はてなキーワード: 渋谷凜とは
要点だけ言うと「元μ's原理主義者がバンナムフェスでGuilty Kissのステージを見てAqoursに対する負の感情が浄化された話」もしくはバンナムコフェスday2感想。
殴り書いているので、読みにくいし、文章も稚拙だし、ただバンナムフェスの終わってすぐの新鮮さだけは補償します。
今となってはもはや、そう自称することが許されるかどうかも怪しい。μ's原理主義が極まり過ぎてファイナル以降は完全にラブライブ!から足が遠のいてしまったし、他のアイドルコンテンツ(後に言及するがアイマスである)に今は浸っているし、かつてのようにμ'sの声優達を追うようなことはもうなくなってしまった。
来年にμ'sが出演する大きな合同ライブが決まったという知らせにも、当時大好きだったμ'sの曲を懐かしむように聞いてひっそりと嬉し泣きをするだけで、リアタイで集めたブルーレイディスクがあるのに更にチケット先行のあるブルーレイBOXを買う気になれず、チケット戦争に本気になれていない。そのレベルで心が離れている。
それでも当時は、μ'sが大好きだった。東條希は私の女神だった。曲の全てが、メンバーの全てが大好きで、ラジオやノベルを含めた全てのコンテンツをチェックして、スクフェスにもめちゃくちゃ課金して、大型ライブのみならず、声優個人のイベントにも行った。
μ'sが私に元気を、生きる気力をくれたから、私も全力で応援した。
μ'sのいないラブライブなんて、見ていても辛くなるだけだ。そんなの私の好きだったこのコンテンツじゃない。
ラブライブ!を冠にしていれば売れると思っているようなこいつらのせいでμ'sが休止になったんじゃないかとすら考えた。
すぐに東京ドームでライブが出来たことだって、μ'sの実績があったから押さえられたんでしょうと。
発表当時はキャラデザだけで吐き気を覚えていたのでアニメなんか見る気にもなれず、少し落ち着いた頃に再放送をやっていたので視聴してみたらまぁまぁひどい(ネットで散々言われていることなのでここでは割愛します)し、一生今後の人生においてAqoursなんかには触れないだろうなと、思っていた私が、
ついにGuilty Kissに触れてしまった。
なんの因果か、μ'sファイナルを行った東京ドームという場所で。
憎きAqoursの片鱗に。
本当に申し訳ないが、拒否反応が酷過ぎて彼女たちが登場した1曲目が始まった瞬間トイレに立った。ギルキスの登場までアイマス曲が連続で披露され、そろそろMCだろうという流れでの登場だったので、ここで1曲消化し、MCの二人が出てきてトークを挟み、その後1曲ぐらいやって終わりだろうと。トイレ休憩を入れるなら今だろうと。
そんなことはなかった。
いや、お、おわらねぇ。
挨拶もなしに立て続けに3曲、MCも彼女達自身で行うもほんの一瞬で、続けざまに2曲、更にし、新曲~~!?!?!?
シンデレラ6th名古屋で渋谷凜役のふーりんがMCとアンコールを挟んで最後のおねシンまで6曲連続で歌いきったことが話題になったけれど、彼女たちは与えられた短い時間で全力で6曲歌い、踊り続け、東京ドームに集う4万7千人を完全に圧倒させた。
トイレからの帰り道に通路で聴く歓声も凄かった。出演者のほとんどをアイマス関係で占めるこのライブで、たった3人で乗り込んできた彼女たちに湧くこの轟音、え!?ここってバンナムフェスじゃなくてラブライブのライブ会場ですか!?というくらい。
席に戻った時には2曲目の「Guilty niguht, Guilty Kiss」が始まっていて、まわりのアイマスのTシャツを着ているPちゃん達も皆が「ギルティキス!ギルティキス!」とコールしている。アイマスPもアイカツおじさんも皆ライブライバーになっている。さっきまで皆でアスタリスクににゃーにゃー言ってたじゃないか。HANABI打ち上げたじゃないか。一瞬にして世界が変わった。
たった3人だけの女の子たちの力で。
正直、9人中の3人だけの出演っておいおい大丈夫かラブライブ、ただでさえほぼ四面楚歌状態なのに狼の中に羊放り込むようなものだぞと思っていたけれど、そんな世界をひっくり返してしまうほどの力を彼女たちは持っていた。
善子ちゃん役の小林愛香さん、あの方凄いですね。ライブ後すぐ調べたんですが声優デビューが本作品だそうじゃないですか。甘くてとろけるような可愛いお顔にして力強い歌声、しかもめちゃくちゃ踊りが上手い。ステージ上でバキバキのHIPHOP踊りだした時にはびびりすぎておしっこ漏らすかと思った。
メンバー全員のパフォーマンス力が高すぎて、開いた口が塞がらない。
ライブ初披露だという「New Romantic Sailors」(あれってガチの未発表新曲だったんですか?それをバンナムフェスという場で初披露した彼女達の度胸がすごい)。
ちょっとお遊び感をまぜたライブぶち上がり曲、「PSYCHIC FIRE」だ!!と思った。BiBiの系譜を感じてしまい泣きかけた。本当に素直にそう思えた。そう思った自分自身に心底驚いた。
μ'sの仇と、Aqoursを敵視していた私はもう、この最後の曲の時にはいなかった。
『μ'sの二番煎じ』
私が思う以上に、彼女達は何度もその言葉を浴びさせられたんだろう。
彼女達の受けた矢の痛みは計り知れない。想像することもできない。それでも彼女達はそれらを跳ね除けて、ここまでやってきた。二番煎じで、μ'sが大きくしたコンテンツの名前を背負うからこそのプレッシャーが彼女達にはあったから、ここまできた。アイドルジャンルの作品は星の数ほどあって、その中で本気でコンテンツの過去の栄光に、ラブライブという作品の名前に乗っかってやろうとしか考えていなかったらもうとっくに飽きられて終わっていただろうに、彼女達は彼女達自身の力でこうして未だに輝きを放っている。その輝きは終わりが見えない。
Aqoursを普段聞かない私達が見た今回の6曲は、Aqours全体からしたらほんの氷山の一角に過ぎなくて、そんな齧っただけの私にも「わからせる」力を感じられて、でもきっとその力は一朝一夕のものではなくて、
そのための努力を知ろうとも、見ようともしないで鼻から拒絶したことを、私は心から恥じた。
アイマスだって、DSデレミリMシャニゼノグラシアには765本家があった。アイカツだって大正義いちご先輩の存在があって、それらの「はじまりの象徴」と後継のシリーズが集まって今回のフェスを大成功に収めた。
後継だって、そこに携わる、そこにしかいない演者がいて、ファンがいて、本家にけして負けないパワーがあって、シンデレラガールズのPである私はその世界を知っていたはずなのに、どうしてAqoursだけは気付けなかったんだろう。Guilty Kissの彼女達は、私にそれを気付かせてくれた。
違うな。
気付けなかったんじゃなくて、気付きたくなかった。二番煎じで始まったAqoursが、μ'sと並ぶ存在になっていることを。ずっとAqoursにはμ'sより劣った存在でいてくれないと、私がμ'sを神聖視する感情に都合が悪かった。ただ目を瞑っていただけだった。その事実に気付くことができた。
ありがとうバンナムフェス、ありがとうGuilty Kiss。
μ'sが終わってしまったわけではないのに、勝手にAqoursのせいで終わってしまったと思っていたことも、きっと希に「こらこらこらこらー!」って怒られるね。
「現状」と銘打ったエントリの割に今更?という話が大半だし的外れな部分も多いと思います。
>数ヶ月ごとにSRとして出番をもらうアイドルと年に一回R、よくて強くないSRとして処理されるアイドルが同居している
数ヶ月ごとにSRとして出番をもらうアイドルって誰でしょうか? 最近で言うと島村卯月が該当しますが、総選挙ガチャ→CG記念ガチャの流れですぐ再登場するのは第2回あたりから恒例の流れなので今更な話です。
高垣楓のように総選挙上位常連でも半年に1度ぐらいしか出番がないアイドルもいるし、最近のイベント上位の傾向を見たらむしろこれまで上位SRにならなかったアイドルを抜擢しようという流れがあると思うのがフツーでは。
>さらにはデレラジがスタートし、メンバーが渋谷凜、島村卯月・・・そして城ヶ崎美嘉だった。NG揃いかと思いきやまさかの除外である。
せっかくNGという信号機ユニットがあるのにラジオで起用できなかったのは理由があると思いませんか?
>結果はなんと総合5位。圏外からこの順位は今も昔も本田未央のみである。
>確かにガチャによる順位の大きな向上は見受けられるが伸び幅があまりにも桁外れ。NG揃っての月末だから未央にも入れたプロデューサーが今まで以上に多かったのかもしれないが・・・真相は闇の中である。
この後で第4回総選挙ガチャの人選があからさますぎてドン引きしてる割には総選挙ガチャの力を過小評価しすぎではないでしょうか? 身銭を切って投票した未央Pや未央を応援していた人々に失礼なので撤回してほしいぐらいですね。
>それなのに総選挙すべて圏外のアイドルの抜擢をするのは理解に苦しむところである。しかも声付けただけでその他展開がない&遅いでは声が付いたアイドルの立場もない。
アニメでむやみやたらに抜擢しすぎという点は同意できます。まぁ「その他展開がない」っていうのはSTARLIGHT MASTERがあるのでそうでもないと思いますが。
>余談だが第4回総選挙期間でのボイスなし3人の月末ガチャという運営の声を付けたいアイドル押しは本当にドン引きだった。
この項目はだいたい納得できるしおおむね同意見です。卯月の泣きの演技力が低いという点は同意できませんが、まぁ私の主観なので。
こちらもだいたい納得できますが、
>このような積み重ねの結果、「運営というプロデューサーによる百合営業を眺める」コンテンツになろうとしているのである。
これはそうでもないのではないでしょうか? 『Love∞Destiny』のようなアノマリーはありますが、まだP-アイドルという関係性が保たれている部分が大きいと思います。アイドルコミュには他のアイドルが登場しないし、イベントコミュやストーリーコミュでもまだ「百合」の域に踏み込んでいないコミュの方が大勢だと思います。
>「運営のやることが一番!文句があるならやめろ!」というプロデューサーもどきもかなりいるものだから性質が悪い。
その通りだと思います。
アニメ以降の話はわりと納得できる論点も多かっただけに、前半のエアプっぷりが少々残念に思えました。もう少しシンデレラガールズのことを信じてモバマスのイベントをやったりデレステのコミュを読んだりしてみてはいかがでしょうか?
http://anond.hatelabo.jp/20160701172732
アニメが終了して半年以上になり、モバマスは自分にとってとてもくだらないコンテンツに成り下がった。
なので個人的に嫌いな部分をあげたいと思う。
意識の高いプロデューサーの方々は「そう思うなら~」のコラ画像でも想像してくれればよろしいかと。
しかしながらCDやライブと言った重要な部分に関しては平等である。
ところがモバマスはCDやライブを行うために必須とも言える声優が当てられているアイドルが半分にも満たないのである。
さらに言えばその声付き全員がそれらに恵まれたかと言うとそうではない。
もっといえばカードコレクション系のソシャゲが本体でありその中ですら適当な扱いを受けるアイドルが大勢いるのである。
数ヶ月ごとにSRとして出番をもらうアイドルと年に一回R、よくて強くないSRとして処理されるアイドルが同居している、そんな世界。
ただしこの現状は「しょうがない」で終わってしまうものでもある。
人気のあるキャラクターを軸に展開するのはコンテンツとして企業として正しいあり方なのだから。
全アイドルに声優を付けたり、出てくるカードが全アイドル平等になりすべて強いSRにしたところで利益がでるどころか返ってマイナスになりかねない。
ぶっちゃけこのコンテンツが生まれた時点でのやむをえない欠陥といってもいいだろう。
人気=待遇=出番が基本のコンテンツであるが人気はないにも関わらず出番が増えていくアイドルが一部いる。
現在のモバマスの顔ともいえるニュージェネレーションズ、NGのメンバーの一人としてデザインされている。
ところが運営の予想と反して、渋谷凜と島村卯月がある程度の人気を確保した中、本田未央は総選挙で2回連続圏外となってしまった。
さらにはデレラジがスタートし、メンバーが渋谷凜、島村卯月・・・そして城ヶ崎美嘉だった。
その後CD3弾で曲を手に入れたが「ちゃんみおは不憫」
20位~30位、少なくとも50位内はいけるだろうという予想がプロデューサー間であった。
結果はなんと総合5位。
多くのプロデューサーが賞賛をあげる中、この順位に納得できない者もいた。
赤城みりあ | 第1回圏外 | → | 第2回37位 |
---|---|---|---|
フレデリカ | 第1、2回圏外 | → | 第3回40位 |
及川雫 | 第2回圏外(中間49位) | → | 第3回19位(第1回23位) |
島村卯月 | 第1、2回29位 | → | 第3回4位 |
本田未央 | 第1、2回圏外 | → | 第3回5位 |
確かにガチャによる順位の大きな向上は見受けられるが伸び幅があまりにも桁外れ。
NG揃っての月末だから未央にも入れたプロデューサーが今まで以上に多かったのかもしれないが・・・真相は闇の中である。
なお、この後の本田未央を含めNG3人は必ず総選挙上位者になるようになり、アニメや外部展開によって本田未央の人気は本物になっていった。
しかし、この贔屓の裏では安定した人気を持っていたにも関わらず恵まれないアイドルがいることを忘れてはならないだろう。
それなのに総選挙すべて圏外のアイドルの抜擢をするのは理解に苦しむところである。
しかも声付けただけでその他展開がない&遅いでは声が付いたアイドルの立場もない。
そういうのは優先すべきアイドルが終わってからにすべきだろうと思う。
余談だが第4回総選挙期間でのボイスなし3人の月末ガチャという運営の声を付けたいアイドル押しは本当にドン引きだった。
それは765アニメが放送終了後、アニマス風の絵が増えたことを見ればなんとなくわかるだろう。
ただし出来に関しては2期が酷かった。
途中の本田未央の「私、アイドルやめる!」問題も物語として十分考えられる、内面を描いたストーリーの起伏として楽しめていた。
ところが2期では美城常務の登場により1期での積み重ねの崩壊。
さらに内部の人間、ライバルとして描こうとしているはずが敵にしか見えないという状態に。
ポエム合戦とも言われる掛け合いもあり、もはや美城常務の評価点はユニットを組んだ事とも言われるありさまである。(これに関しては賛否が激しい)
また、渋谷凜のTPへの葛藤や島村卯月の一人で勝手に落ち込んでいくのには共感や涙どころではない。(しかも泣きの演技力の低さ)
765のアニメでも谷間となる部分はあるが、これは谷間が長く続く。
暗く雨が降っている場面ばかりで、しかもそれはアイドルとしての問題のせいではなく、ほぼすべて美城常務のせいなのだからアイドルアニメの物語として入り込む事ができないのである。
もっと追求するならば、これは「皆が主役」と謳っていたはずだが・・・
武内Pについては「オタクが喜びそうな寡黙だけど優しい不器用なイケメンとまでいかないキャラ」と当時17歳の声優という話題性がマッチしてでた人気だったと思う。結局は二次創作の肥やしになった程度の存在だろうか。
そしてアニメ終了後の影響だが、まず「プロデューサーという名の百合豚」が増えたことがもっとも顕著だろう。これに関しては下記項目と合わせて執筆したい。
ざっくり説明すると「プロデューサーの存在が薄れ、アイドル同士の絡みが中心になってしまった」という状態にモバマスは陥っている。
アニメ終了後の、「新田とアナスタシア」のコンビがその代表とも言えるだろう。
その他にも出たカップリングはTwitterやpixivといった媒体で百合百合しいイラストとともに蔓延していったのだ。
さらにその後、デレステが登場し今度は公式からそういった百合要素がプロデューサーの存在と引き換えに分泌され始めた。
このような積み重ねの結果、「運営というプロデューサーによる百合営業を眺める」コンテンツになろうとしているのである。
さらに面倒な事に、「運営のやることが一番!文句があるならやめろ!」というプロデューサーもどきもかなりいるものだから性質が悪い。
彼らが守りたいのは「アイドルマスター」なのか「自分達の遊び場」なのかはわからない。
モバマスに限らずだが、大規模な美少女ゲームにおけるユーザーの核には「○○好きな自分が好き、もっと皆自分を見て触れて構って」というのがある。
(皆が皆そのような人間だとは言えないけど)
ようはSNSとして美少女ゲームは絶大な力を持っているといえる。
なにせアイデンティティや他人と付き合うためのセールスポイントを美少女ゲームに委ねているのだから周りにあわせざるをえない・・・
それが大勢いるのだから上記のような性質の悪い人間がでてくるのだろうと思う。
自分が「プロデューサー」という存在であることを感じなくなっていたのだ。
まあこの記事を見た方にはバカが癇癪を起こして自棄になっていると思ってもらうほうがあっているだろうか。
デレマスプロデューサーを名乗る皆様、どうか自分の持っている「今まで持ってきたアイドルとプロデューサーの関係像」を大切にして欲しい。
成り下がった。なので個人的に嫌いな部分を
方々は「そう思うなら~」のコラ画像でも
数ヶ月ごとにSRとして出番をもらうアイドルと年に一回R、よくて
強くないSRとして処理されるアイドルが同居している、そんな世界。
ただしこの現状は「しょうがない」で終わってしまうものでもある。
人気のあるキャラクターを軸に展開するのはコンテンツとして企業として
正しいあり方なのだから。全アイドルに声優を付けたり、出てくるカードが
全アイドル平等になりすべて強いSRにしたところで利益がでるどころか
返ってマイナスになりかねない。
欠陥といってもいいだろう。
・運営による贔屓
人気はないにも関わらず出番が増えていくアイドルが一部いる。
現在のモバマスの顔ともいえるニュージェネレーションズ、NGの
人気を確保した中、本田未央は総選挙で2回連続圏外となってしまった。
さらにはデレラジがスタートし、メンバーが渋谷凜、島村卯月・・・
そして城ヶ崎美嘉だった。NG揃いかと思いきやまさかの除外である。
その後CD3弾で曲を手に入れたが「ちゃんみおは不憫」
50位内はいけるだろうという予想がプロデューサー間であった。
結果はなんと総合5位。圏外からこの順位は今も昔も本田未央のみである。
多くのプロデューサーが賞賛をあげる中、この順位に納得できない者もいた。
赤城みりあ 第1回圏外 → 第2回37位
フレデリカ 第1、2回圏外 → 第3回40位
及川雫 第2回圏外(中間49位) → 第3回19位(第1回23位)
島村卯月 第1、2回29位 → 第3回4位
本田未央 第1、2回圏外 → 第3回5位
になるようになり、アニメや外部展開によって
本田未央の人気は本物になっていった。
しかし、この贔屓の裏では安定した人気を持っていたにも
関わらず恵まれないアイドルがいることを忘れてはならないだろう。
理解に苦しむところである。しかも声付けただけでその他展開がない&遅い
そういうのは優先すべきアイドルが終わってからにすべきだろうと思う。
という運営の声を付けたいアイドル押しは本当にドン引きだった。
・アニメの出来と影響
増えたことを見ればなんとなくわかるだろう。
ただし出来に関しては2期が酷かった。
起伏として楽しめていた。
ところが2期では美城常務の登場により1期での積み重ねの
崩壊。さらに内部の人間、ライバルとして描こうとしているはずが
敵にしか見えないという状態に。ポエム合戦とも言われる掛け合いも
あり、もはや美城常務の評価点はユニットを組んだ事とも言われる
また、渋谷凜のTPへの葛藤や島村卯月の一人で勝手に落ち込んでいく
765のアニメでも谷間となる部分はあるが、これは谷間が長く
続く。暗く雨が降っている場面ばかりで、しかもそれは
アイドルとしての問題のせいではなく、ほぼすべて美城常務のせい
できないのである。
もっと追求するならば、これは「皆が主役」と謳っていたはずだが・・・
そしてアニメ終了後の影響だが、まず「プロデューサーという名の
下記項目と合わせて執筆したい。
ざっくり説明すると「プロデューサーの存在が薄れ、アイドル同士
の絡みが中心になってしまった」という状態にモバマスは陥っている。
アニメ終了後の、「新田とアナスタシア」のコンビがその代表とも
言えるだろう。その他にも出たカップリングは
Twitterやpixivといった媒体で百合百合しいイラストとともに
蔓延していったのだ。
さらにその後、デレステが登場し今度は公式からそういった百合要素が
積み重ねの結果、「運営というプロデューサーによる百合営業を眺める」
コンテンツになろうとしているのである。それはもうプロデューサーではなく
さらに面倒な事に、「運営のやることが一番!文句があるならやめろ!」という
プロデューサーもどきもかなりいるものだから性質が悪い。彼らが
守りたいのは「アイドルマスター」なのか「自分達の遊び場」なのかはわからない。
モバマスに限らずだが、大規模な美少女ゲームにおけるユーザーの核には
「○○好きな自分が好き、もっと皆自分を見て触れて構って」というのがある。
(皆が皆そのような人間だとは言えないけど)
ようはSNSとして美少女ゲームは絶大な力を持っているといえる。
なにせアイデンティティや他人と付き合うためのセールスポイントを
美少女ゲームに委ねているのだから周りにあわせざる終えない・・・それが
大勢いるのだから上記のような性質の悪い人間がでてくるのだろうと思う。
・最後に
自分が「プロデューサー」という存在であることを感じなくなっていたのだ。
なっていると思ってもらうほうがあっているだろうか。
「今まで持ってきたアイドルとプロデューサーの関係像」を大切にして欲しい。
自分がその世界にいなくなった時、多分あなたは「プロデューサー」
ではなくなるのだから。
2015年に入ってから三ヶ月が経過した。それは、今年のアニメの第一陣(1~3月期)が終了を迎えたということを意味する。
一月に始まったアニメの中で放送前の注目度が最も高かった作品は、言うまでもなく『艦隊これくしょん』だろう。2013年のサービス稼働時から今現在まで破竹の勢いで隆盛を極めていることは、オタク世界に足を突っ込んでいる人間にとっては周知の事実である。特に同人ジャンルとしての隆盛がめざましく、その勢いはかつての『東方Project』を彷彿とさせるほどである。今、最もオタク系コンテンツの中で熱量の高い作品と言っても過言ではない『艦隊これくしょん』の待ちに待った「アニメ化」である。世間の注目度が鰻登りするのはもはや必然だと言える。
だが、そのような前評判に反して、実際に放送された内容はお世辞にも上出来とは言えないものだった。いまいち目的が見えないまま展開されていくストーリー、調和の取れていないギャグとシリアスの配分、そして視聴者に衝撃を与えただけで後の展開にはあまり影響を与えなかった如月の轟沈・・・・・・少なくとも従来の「艦これファン」は戸惑いを隠せていなかったように思える。元々の期待値が高かったこともあってか、ネット上の書き込みでは非難囂々である。
一方、これと比較すると面白いのが『アイドルマスターシンデレラガールズ』のアニメである。これは『艦これ』と同じソーシャルゲームとしての出自を持つ作品なのだが、ブラウザゲーの『艦これ』と違って課金要素が強く、ネット上に出回っている数々の逸話も相まって「廃課金ソシャゲ」の代名詞みたいな存在だった。そんな敷居の高さもあったのだろう。アニメの放送時期は『艦これ』と同時期だったのだが、「アニメ化」に対する前評判・話題性は『艦これ』と比べてそこまで高くなかったように思える。事実、当の「デレマス」ファンの間でもそこまで期待値は高くなかった。「無難な内容でやり過ごして、ソシャゲ本体に悪影響を及ぼさなければそれで良い」なんて話をされていたぐらいである。
ところが、フタを開けてみればビックリの良作アニメだった。島村卯月・渋谷凜・本田未央の三人を軸に展開されていくアイドル界でのシンデレラストーリー、絶妙に挿入されるシリアス展開、そしてまさかここまで人気キャラになるとは思われていなかったオリジナルの男性プロデューサーの登場・・・・・・あくまで目算に過ぎないが、従来の「デレマスファン」を十分に満足させただけでなく、アニメからの新規ファンを大勢獲得することにも成功しているように思える。前評判の大人しさからは信じられない大躍進である。
もちろん、『艦これ』のアニメだってBlu-rayディスクの売り上げを見れば11000枚となかなかの数値なので、「商業的に失敗だった」わけではないだろう。ランキングで見ても現時点で冬アニメ(1~3月期)の円盤売り上げは暫定『艦これ』が一位なので、むしろ商業的にはまずまずの結果である。『デレマス』のBlu-rayディスクは現時点でまだ発売していないので比較しようがないし、KADOKAWAを初めとするバックの組織がいったい『艦これ』という人気コンテンツにどれほどの売り上げを期待していたかは全く分からないが、まあ近年のアニメ円盤の売り上げ規模から言えばケチはつけられない数値であることに違いはない。
ただ、こと「既存のファンの満足度」という視点に絞って言わせてもらえば、今回の『艦これ』アニメの内容は散々だったと言わざるを得ない。SNS上の反応を見ると、多くのファンが次週の展開を戦々恐々とした気持ちで見ていたことが窺えるし、事実としてその内容が彼ら彼女らの不安を払拭してくれる展開であったことなどほぼなかった。ていうか、他ならぬ「一番ファンからの評価が高かった回」が、本筋の話をガン無視して挿入された第六駆逐艦たちのカレー回(第六話)だったことがいい証拠である。同じ「ソシャゲ出身のアニメ」でありながら『デレマス』アニメとは雲泥の差である。もちろん単純比較はできないけれど、少なくとも『デレマス』はファンが来週の展開を心待ちにできるクオリティではあった。その週の内容をツイッターで実況して盛り上がることができた。各話の展開を思い出として胸に刻むことはできた。どちらがお互いのファンを満足させたか、延いては「どちらが抱えているファンを大切にするアニメだったか」の優劣はハッキリと出ている。
片や従来のファンすら激怒させる結果に終わり、片や従来のファンどころか新規ファンまで含めて感動させた。いったい何が両者をここまで分けたのか? というか『艦これ』のアニメはどうしてあんなお粗末な内容になってしまったのか? 冬アニメが一段落を迎えた今、改めてそれを考察してみたい。自分でも『艦これ』に対してきつい物言いをしているとは思うが、あのような悲劇的な過ちを二度と繰り返させないためにも、ここでキッチリと批判しておかなくてはならない。人気コンテンツにあやかった粗製濫造アニメは決して許してはならないのだ。
さて、そろそろ「どうして『艦これ』のアニメはあれほどお粗末な内容だったのか」その理由を語っていこう。実はそれこそが『デレマス』のアニメと比較してみると浮き彫りになってくる話なのだ。というのは、背後の組織が持っている「アニメ化」への意識が根本的に違っているからである。
『艦これ』のアニメがあれほどお粗末な出来であったのは、言ってしまえば「人気コンテンツをアニメにしてみた」に過ぎなかったからである。内容なんて二の次で、とにかく「旬なジャンル」を一刻も早くアニメにすることが至上の命題だったのだろう。商品的価値は『艦これ』というブランドが保障してくれるのだから、あとは適当にアニメの中で「吹雪」や「赤城」といった登場キャラをそれっぽく動かしておけば良い。そうすれば最低限『艦これのアニメ』としては成立する・・・・・・おそらく、制作サイドにとって最も重要だったのはこの『艦これのアニメ』として「成立している」ことだったのだ。たとえ「胸を打つストーリー」がなかろうが構成が破綻してようが、「吹雪」や「赤城」という人気の艦娘を動かしておけば『艦これのアニメ』に違いはないので、「艦これジャンルの商品」としては問題なく売り出せるのである。
いわば制作サイドにとって、『アニメ艦これ』は「単なる艦これジャンルのグッズの一つ」に過ぎなかったのである。どれくらいのグッズかと言えば、アニメイトなどで売っているキャラクターが印刷されたクリアファイル、あれと同水準の「一グッズ」だ。その商品的価値は「『艦これ』のアニメ」だというそれだけだ。しかし、たったそれだけあれば「金剛を印刷したクリアファイル」が『艦これのグッズ』として販売されるように、「吹雪や赤城が動いているアニメ」も『艦これのグッズ』として販売できるのである。何ともファンを舐めた話だが、「艦娘がただプリントされたクリアファイル」を『艦これのグッズ』として購入してくれるように、「艦娘がただ動いているアニメ」も『艦これのアニメ』として評価してくれると本気で思っていたのだろう。そうでなければあんなお粗末な内容のアニメを本気で『艦これのアニメ』と言って世に出せるわけがない。
もしかしたら「でも、キャラクターもののアニメなんてそんなもんでしょ?」と反論したい方も中には居るかもしれない。ところが『アニメ版デレマス』を見てみると、明らかに『艦これ』とは「アニメ化」に対する意識が異なっていることが分かるのだ。
『アニメ版デレマス』は、「キャラクターが印刷されたクリアファイル」などの「単なるキャラクターグッズ」は明らかに一線を画している。というのは、『アニメ版デレマス』の場合、「それがアニメとして成功するかどうか」は決して「Blu-rayの売れ行きの話」に留まらないからである。一番分かり易いのは、劇中のアイドルたちのデビューソングだろう。言うまでもない話だが、あれらの楽曲はCDショップで実際に販売されている。ファンのみんなはそれらの楽曲を「あ、アニメのあの話で卯月ちゃんが歌ってた曲だ!」と思って購入するのだ。そして彼女たちの歌声を聞きながらアニメの感動的なシーンを思い出したりするのだろう。
ここで考えて欲しい、もしも肝心のアニメの話そのものがお粗末な出来であったら、ファンのみんなはCDを購入するだろうか? もちろん楽曲として優れていれば購入する人間は居るだろうが、多くのファンは「あの娘たちが血の滲む努力の果てに勝ち取ったあの曲」だからそれを欲しいと思うはずだ。元のアニメの内容がイマイチだったら「あんな雑な作品のCDなんて誰が買うか!」と購入を控えるファンが続出するだろう。『アニメ版デレマス』の成否は「アニメという一キャラグッズの成否」に留まらず、「他のデレマスのグッズの売り上げ」にまで影響を及ぼしかねないのだ。
いわば『アニメ版デレマス』は、『アイドルマスターシンデレラガールズ』という作品に関わる全ての商品の「PV」としての宿命を背負っているのだ。劇中のデビューソングを初めとする関連商品を購入させ、あわよくばソシャゲ本体の方へ誘導して重課金させるという、商業的な使命である。そしてそのためには、ただ「卯月や渋谷凜などの人気キャラクターがただ動いているだけのアニメ」では決して許されない。きっちりと視聴者の心に響くような、彼ら彼女らを魅了してやまない良アニメでなければならないのだ。
「背負っているものの重さが違う」、『艦これ』の第6話で第六駆逐艦隊にそう語っていたのは足柄さんだっただろうか。カレー勝負ではその重さが災いして雷たちに勝利を譲る結果になってしまったが、現実の世界ではやはりその重さこそが「作品のクオリティ」として如実に表れたと言えるだろう。「単なる一グッズとしてのアニメ化」に過ぎなかった『艦これ』と「他のグッズの命運を背負ったPVとしてアニメ化」された『デレマス』の違いである。異論がある提督諸君はどうか自分の胸に聞いてみて欲しい。『艦これのアニメ』を見るのと、それと同じ時間を使ってブラウザゲーム内で艦娘のレベリングに励むのと、どっちが満足感を得られるかを(特に第6話以外でだ)。
さて、この話は以上で終わるが、最後に余談として「どうして『アニメ化』に対してそこまで意識が違ったのか」を個人的に考察しておきたい。
それは、そのまま「背後にある企業の態度」の違いだったのではないだろうか? 『艦これ』の背後にあるのはKADOKAWAという企業であり、基本的にここは「その時々の旬の作品のメディアミックスで利益を上げる」のがポリシーである。言うなればKADOKAWAにとって個々のコンテンツは「消費財」であって、食いつぶして消化しきったらまた次のコンテンツに移動するのである。我々にとって『艦これ』は近年まれに見るモンスター的コンテンツであるが、そんな『艦これ』でさえも母体であるKADOKAWAにとってみれば「その時々の旬な作品」の一つに過ぎなかったのではないか? 世に出てから二年に満たない期間で「アニメ化」までこぎ着けたのは、むしろ「旬が過ぎ去らないうちにアニメ化して利益を回収しよう!」というそういうことだったのではないだろうか? 邪推と言われればそれまでだが、どうにもKADOKAWAには「コンテンツへの根本的な不信感」みたいなものがあるような気がしてならない。
対して『デレマス』の背後にあるのはバンダイナムコエンターテイメントという企業である。ここにあるのは別にポリシーと言うほどのものでもなく、「いかに自社コンテンツを長生きさせて利益を上げるか」という企業としてごく普通の態度である。KADOKAWAが個々の作品を「果実」として見なしているのに対して、バンナムはどちらかと言えば「果実のなる『木』の方」と見なしていると言える。生み出したコンテンツは「金のなる木」であって、これを「長持ちさせること」こそが自社の利益になるのである。なのでKADOKAWAのようにコンテンツを「消費」することなどあってはならない、できる限り「持続させること」こそが至上の命題なのだと言える。そのようなスタンスだから、『デレマス』のアニメもしっかりしたものでなければならなかったのだろうと思われる。どっちかというと『プリキュア』のアニメでおもちゃを買わせているバンダイの方のノウハウなんだろうね。終わり