はてなキーワード: 清水寺とは
2020年を待ち遠しく思っている人もいるだろう。
そこについて否定するつもりはないが、祭りに参加したくてチケット取れなかった人は
・185日間開催するのでチケット争いがほぼ無い
・ドリカムが大阪LOVER歌うときはチケット争いが起きるかもしれない
・それ以外は大体気軽にいけるはず
・5月から11月までやるので涼しい時期に行ける。台風も避けれる
・大阪は飯が美味い
・正式名称が大阪・関西万博なので京都や兵庫でもなにかしらイベントがある
・そうだ万博より京都に行く手もある。なにがある?清水寺がある
・まだ決まってない
・ハッキリ「これから考えればええんや」と関西ローカルでマスコミや政財界や大阪のおばちゃんが言ってるのが流れてる
・まぁそんな変なことはしないと思う
・でも汗だくで原始的にスポーツ応援して喉を枯らすようなことは無いと思う
・多分エアコンガンガンで未来っぽいものを展示したり歴史を振り返ったりピカチュウと遊んだりするんだと思う
・ポケモンは絡むと思う(五輪ではドラえもん、万博ではマスコットとしてピカチュウを使用)
・国をあげて各国も参加する大規模な文化祭という認識であっているはず
・あと多分毎日よしもと芸人が来ると思う。千鳥が来る日に当たりたい。ダウンタウンは多分開会式にくる。
・死ぬまでに明石家さんまを見たいので、さんまが来る日にも当たりたい
・まぁとにかく万博に来よう
・大阪人になろう
・そうだ、大阪人になろう
秋葉原から岩本町に向かって歩いていたら、めちゃくちゃ遠慮がちに、黒人の女性に呼び止められた。
赤いクリアファイルに目的地の紙が入っている。場所が分からないらしい。
自分も2ヶ月前に東京に引っ越してきたばっかりだし、分からない。そこらへんのおじさんを呼び止めて教えてもらった。
女性の様子がなんか普通じゃないというか、「清水寺はどこですか」って聞いてくる人とは明らかに違っていて、なんかほっとけなくて、そこそこ遠かったけど、一緒に歩いた。
カメルーンからの難民らしい。そういえば牛久の入管施設で亡くなったのもカメルーン人だった。
無事に着いたし、ここでOKだよねと離れたけど、遠くからもう一度見てみると、彼女はまだ立っている。施設がオープンしていないから、ドアの前で、寒そうに立っている。
今日の東京は特に寒くて、周りの友達も騒いでいたくらい。1時間半もほっておけない。
戻って、ランチに誘って、一緒に喫茶店に入った。日本語は全然だったし、英語もあまり話せなさそうだったけど(母語はフランス語らしい)なんとか会話した。
喫茶店は暖房が効いていたけど、氷入りの水を「ノー!」と拒んだ。
「聞き流しフランス語」で「délicieux」だけは覚えていたので、使った。
一応、電話番号も伝えた。Facebookもやってるらしく、カメルーンの写真を見せてもらった。日本に家族はいなくて、ひとりぼっちらしかった。
就労ビザが下りないから、働けない。日本語を話せるようになって、日本人と結婚したい。
「どうして親切にしてくれるのか」と聞かれて、ずいぶん困ったけど、大学院で鬱になったときを思い出した。
他大学の先生がきれいに撮れた花の写真を送ってくれたりとか、しばらく会ってない友達が長文でメールしてくれたりとか。そもそも私も貧乏だったし、でも今は比較的困ってないから、返す番かなと、そういうことを伝えた。
時間がきて、再びフードバンクへ送っていった。「さむい!」と震えていた女性は、スープを飲んで「さむい、おわり!」と言った。
彼女の住んでいるところは千葉県で、フードバンクまではかなり遠い。「日本の物価は安い」と言いつつ、お金がなくて朝ごはんは食べていないらしい。
体力も落ちる中で、こんなに遠くの施設まで食事をもらいにくるのはどんな苦労だろう。
紛争とか、政策とか、移民とか、外国人労働者とか、入管での事件とか、いろいろなことを考えながら歩いた。「カメルーン」と言われてパッと場所が思い浮かばない、自分の知識不足とか。こんな無関心なやつが住んでいる国に、それでも逃げてくる意味とか。なんでこうなってるんだろう。どうしたらいいんだろう。
つらい。
「どうして人って自分が理解できないことに対して寛容になれないんだろうね」
会社をサボろうと思ったわけじゃなかった。今日だけは一人になりたいと思った。自分の割り振られている仕事はこっそりやっておくつもりだった。なんだけど、昼すぎには東京駅から広島行きの新幹線に乗っていた。大学生のときはこんな簡単に乗れなかったのに。少しだけ大人になった気がした。
なんで京都だったのだろう。多分、その意味は無意識の自分にはわかっていて、意識の自分にはわかっていない。思えばいつもそうだ。いつも無意識の自分は答えを出している。懐疑的な僕だけが、無意識に出した答えを理解できずに苦しんでいる。無意識の僕は僕よりも僕のことを理解している。なんでなんだろう。僕はいつも僕に負けている。
京都についたらとりあえず清水寺に行こうとだけ決めていた。京都駅から歩くと30分以上かかってしまうけど、歩いていきたかった。ただ歩きたい時もある。その時はそういう気分だったのだ。
タカは、「清水寺に日本人が全然いない」と驚いた様子の僕に向かってそう言った。京都についた時、一応連絡しておいたほうが良いだろうと思って連絡を入れたところ、
タカから「急にどうした?」と返信が来たので、「確かに急だったわ。なんか一人になりたくて」と言った。するとタカは何かを察したように
「19時から会おうよ。なんか食べたいものある?」と聞いてきた。僕が「お好み焼きかもんじゃ」と注文したら、「もんじゃは東京の食べ物やからw」と笑われてしまった。
もんじゃは東京の食べ物なのか。もんじゃとかお好み焼きとかはなんとなく関西発の食べ物なイメージがある。本場のお好み焼きはやっぱり広島なのかな。よくわからないけど、関西に来たら食べるべきものってその辺なんだろうなって思っていたのに。
タカは呆れた顔で「今更?」とだけ答えた。
「そんなことはわかっているんだけど、なんかほら、そういうことじゃなくてさ。向いていないことなんて百も承知だったよ。だけど自分はそれが自分の課題だと思っていたから。克服すべきものだと思ってた。昔から社会性のなさで怒られてばっかりだったし、大学入ってからもそれは変わらず指摘を受けるばかりだったから」
「りゅーちゃんにそれは無理だと思ってたよw」
僕もそう思っていた。だけどそれでもきっと何かを変えるためには、多種多様な方々と協働することが求められるのだと。そう考えた時、社会性のなさは致命的だと思った。
「・・・まぁ確かに、いまこうしてここにいる時点で克服できるとは言い難いね。笑 タカはどうなの?こうして今自分の事業やってるわけだけど。俺と似たような課題感じていたわけでしょ?」
「もちろん全くできないよね。絶対無理!ってわかってたから半年で辞めるつもりだったしね〜。
ただ私の場合は成功体験があったからさ。大学時代に。それでイケる実感があったよね。まあ、最低限のお金さえ回っていれば潰れることはないしね。」
僕は店員さんが焼いてくれたお好み焼きに青のりをかけてから、ヘラで4等分にした。
「絶対無理かあ。それ、いいね。俺も決め切れたら少しは楽だったのかもしれん。だけどやっぱ、難しいわ。」
「なにがあったの?」
お店を出てから、「これからどうするつもりなの?」と聞かれたので
「漫画喫茶に泊まるつもりだよ。あ、それか温泉の付いているホテルとか、今から入れないかな?」と言った。
「明日みんなで温泉いくよ。学生の子達連れて合宿すんのよ。宿泊費とか食事代とかはうちで持つから、メンターやってくれない?明日には帰るつもりなんだっけ、帰るの明後日になっちゃうけど。」
すごい魅力的だった。でも急に押しかけてそこまでしてもらうのは申し訳ないと思ったので、
「いやさすがにおれなんかがメンターとか、大丈夫か?これ・・・なんかみんなきまずくしちゃいそう。。」気を遣ってみたのだが、
「なにさっきからうるさいわ!こういうのは流れで行くもんだろ!そういう旅なんじゃないの?今回は!」と怒られてしまった。
こんだけ勢いのある感じなら、確かにスパパーンと会社を辞めて事業を興すくらい容易いんだろうなと僕は思った。今日はタカの家に居候させてもらうとして、合宿に参加させてもらうことにした。
「自分のやりたいことを実現するためだったら、政治的な動きだっていやだと思うことないって言ってる人がいてね。その人の気持ちがよくわかる。今京都の行政トップの人たちとお話する機会あるけど、そういう人たちの理解をいただくのとかって、自分の事業のためだったら苦じゃないよ」
いつから僕は人から好かれることが苦手だと思うようになったのだろう。いつのまにか、目上の人はみんな自分のことをいけ好かないやつだと思っていて、余計なことを口走るくらいなら、会話せず穏便に済ますほうがいいと思うようになった。みんなから気に入られて、それでコトがうまく進むのなら、どんなに生きやすいだろうか。
自分は人からどう見られているかに対して無頓着なままだった。ものすごくくだらないことだと思っていたし、気にしても仕方がないに決まっていると思っていた。みんなが意識せずに行っていることを全くしてこなかったからか、まわりからどう思われているのかを意識することがまるでできないらしい。それに今だって、心底どうでもいいと思っている。自分の価値を人に決めさせてしまって良いのだろうか。それは僕に対して最も無礼な態度に思う。
でも多分、こんな僕だけど目上の方々は僕が苦手だと思っているほどには僕のことを苦手としていないのだろう。きっと僕が歩み寄り方を知らないだけで。
奥嵐山から望む京都の景色はとても奥ゆかしくて、いつまでも眺めていられた。奥嵐山にはちょっとした小屋があって、ベランダみたいなところから景観を味わうことができる。ボケーっとした顔で座布団の敷かれたベンチに座っていると、住職のおっさんが僕の隣に座り、京都のことや奥嵐山のことについていろいろ教えてくれた。四条にある木造カフェでブレンドにウィスキーを入れて飲むとか、でもおっさんはウィスキーを水割りにしてそのまま飲むとか。ブラタモリで紹介されたとか、夏目漱石がここで昼寝して帰ったとか。14時になった時、僕の隣で法螺貝を吹いてくれた。宗派によって吹き方が違うらしいのだけど、どこがどう違うのかまではわかりそうになかった。
「比叡山に行きたいの?今が一番のチャンスだね。本場の比叡山を体験できますよ。」住職のおっさんは言った。
「本場ですか?本場というと・・・」
「修行僧が登った比叡山だよ。2月は寒いし、ロープウェイが動いていないからね。バスも出てるけど、歩いて登るんだ。修行になるよ。」
「それは過酷ですね・・・いまから行くと登り切れなさそう。」僕は残念に思った。
これは無意識の僕と意識の僕が対話をするための旅なのだから、もっと旅らしいことをしていいのかなって思った。さすがに歩いて登るわけにもいかないから、ひとまず夜行バスの予約をして、そこから京都駅でレンタカーを借りて比叡山を登ることにした。
「これからどうするつもりなの?」僕は言った。
比叡山の頂上から見える夕暮れの景色の美しさに言葉が出なかった。奈良まで続く京を一望できた。この景色がまさに権力の象徴しているように感じた。僕はこの平地に思いを馳せた当時の人々のことを思った。ある人は太平を願い、ある人は戦乱を望んだ。比叡山を焼き討ちするくらいの器量は僕にはないだろうな。僕は彼の方がバグっていることに少しだけホッとした。「それよりはいくらか、だいぶマシだよな。」
京の反対側の景色も好んだ。どこまでも山脈の続くような予感が僕の想像の世界を掻き立てた。さらにすぐそこに琵琶湖があって。つくづく京都はいいところだなって思った。この景色をいつでも見られるなんて。
これから東京に帰る。そう思った時、 タカの家のドアを開けた6階からの景色を見て、「うわ、すごいねこれ、タカにとっては見慣れた景色かもしれないけど、俺にとってはすごい貴重なものだよ」と言ったことを思い出した。
タカは「知ってるよ」と満足げに笑った。
タカの部屋には今だに世界史の教科書や政治経済の用語集が置いてあって、僕たちはそれを手にとって、
「うわあ、いまやったらすげえ理解できるのに。。東インド会社とかって、もう、そりゃそうするよね・・・」
「政治経済もやってたの?あれ、二次試験って、文系2科目? うわ、すごい、ケインズの説明。みてこれ。この一文にケインズ政策とその課題点書いちゃってるよ。」
と盛り上がっていた。
知らないものに対して関心を持つことは難しい。僕は勉強が苦手で、覚えなければならないことを覚えることができなかった。そんなことよりも日本史のwhyを解き明かして行くのが好きだったのだ。
「なぜこの絶望的な状況下で戦争に踏み切ったのか。教科書では陸軍の勢いって書いてあるけど、それだけで本当に説明つくのかな?」
いまだからわかることが受験時の記憶から解き明かされるのが面白い。アームストロング砲を答えとして書かせる大学があって、当時は「なんだこの重箱クソ問題」と思っていたが、その答えを書かせることで戊辰戦争の真意を解き明かすきっかけになっていることに後から気づくことがあるといったように。
「いや、そっちじゃなくて。辞めちゃいなよ。リクルート」
そう、
わかる?
だって、
競争してたどり着いた順番の並びが干支の並びってことになってるじゃない?
そわそわしている季節よ!
でさ、
ハーレーダビッドソンに乗ったおっさんが1位になってたら、
ハーレーダビッドソン年!ってことになるんじゃない?
それはそれでなんか
ハーレーダビッドソンならぬジテンシャダビットソン!
みたいな!!!
そんなこと小学生の頃やったわよね!
やったわよね!!!
ふーるいあーるばーむーめくぅ~りー
って涙そうそうよ。
想い出に浸っている場合じゃないわ、
年末年始のうちにまず始めたいのは、
捗らないわっ!
今年の汚れは今年のうちにっ!!!
うふふ!!!
そういえば、
圧倒的に朝パンが多いわね。
エッギーでチージーよね!
もう、だんだん寒くなってきたので、
皮の香りが良いわ~。
でも出回ってないから、
これ何かとあったら便利よ!
そっと添えると、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
秋篠寺 あきしのでら
芦峅寺 あしくらじ
飛鳥寺 あすかでら
安寺 あてら
阿寺 あてら
天寺 あまでら
尼寺 あまでら
阿見寺 あみでら
荒寺 あれでら
安岡寺 あんこうじ
安全寺 あんぜんじ
安用寺 あんようじ
安養寺 あんようじ
安楽寺 あんらくじ
石寺 いしてら
石山寺 いしやまでら
板寺 いたでら
猪名寺 いたでら
一乗寺 いちじょうじ
一条寺 いちじょうじ
一寺 いちでら
一坊寺 いっぽうじ
井寺 いてら
威徳寺 いとくじ
伊堂寺 いどうじ
稲寺 いなでら
今寺 いまでら
岩峅寺 いわくらじ
岩寺 いわでら
巌寺 いわでら
巖寺 いわでら
上寺 うえでら
氏寺 うじでら
永源寺 えいげんじ
英勝寺 えいしょうじ
永徳寺 えいとくじ
永平寺 えいへいじ
永保寺 えいほうじ
永満寺 えいまんじ
永養寺 えいようじ
江寺 えてら
慧日寺 えにちじ
家原寺 えばらじ
円覚寺 えんがくじ
円行寺 えんぎょうじ
円光寺 えんこうじ
圓光寺 えんこうじ
円護寺 えんごじ
円勝寺 えんしょうじ
円正寺 えんしょうじ
延勝寺 えんしょうじ
延壽寺 えんじゅじ
延寿寺 えんじゅじ
円城寺 えんじょうじ
円成寺 えんじょうじ
圓城寺 えんじょうじ
圓成寺 えんじょうじ
延対寺 えんたいじ
円通寺 えんつうじ
円道寺 えんどうじ
圓道寺 えんどうじ
円頓寺 えんどんじ
円応寺 えんのうじ
円能寺 えんのうじ
円福寺 えんふくじ
圓福寺 えんふくじ
円満寺 えんまんじ
円明寺 えんみょうじ
延命寺 えんめいじ
延暦寺 えんりゃくじ
王寺 おうじ
王禅寺 おうぜんじ
押領寺 おうりょうじ
大谷寺 おおたにじ
大寺 おおでら
大野寺 おおのじ
大庭寺 おおばでら
岡寺 おかでら
奥海印寺 おくかいいんじ
奥寺 おくてら
奧寺 おくてら
小倉寺 おぐらじ
長寺 おさでら
尾寺 おてら
御寺 おてら
小埜寺 おのでら
小見寺 おみでら
表慈恩寺 おもてじおんじ
音光寺 おんこうじ
園城寺 おんじょうじ
遠城寺 おんじょうじ
温泉寺 おんせんじ
隠明寺 おんみょうじ
園林寺 おんりんじ
海印寺 かいいんじ
海応寺 かいおうじ
海音寺 かいおんじ
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海蔵寺 かいぞうじ
海藏寺 かいぞうじ
覚王寺 かくおうじ
覚寺 かくじ
覚満寺 かくまんじ
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駆込み寺 かけこみでら
笠寺 かさでら
嘉祥寺 かしょうじ
勧修寺 かじゅうじ
門寺 かどでら
金森寺 かなもり
上古寺 かみふるてら
川寺 かわでら
寛永寺 かんえいじ
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観海寺 かんかいじ
観喜寺 かんきじ
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観修寺 かんしゅうじ
官寺 かんじ
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神大寺 かんだいじ
神道寺 かんどうじ
感応寺 かんのうじ
感應寺 かんのうじ
観音正寺 かんのんしょうじ
甘露寺 かんろじ
願海寺 がんかいじ
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願興寺 がんごうじ
願成寺 がんじょうじ
北久宝寺 きたきゅうほうじ
北寺 きたでら
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吉城寺 きちじょうじ
吉祥寺 きちじょうじ
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紀寺 きでら
木佛寺 きぶでら
紀三井寺 きみいでら
久宝寺 きゅうほうじ
久本寺 きゅうほんじ
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金勝寺 きんしょうじ
金仙寺 きんせんじ
金泉寺 きんせんじ
金熊寺 きんゆうじ
金楽寺 きんらくじ
祇園寺 ぎおんじ
行願寺 ぎょうがんじ
玉泉寺 ぎょくせんじ
銀閣寺 ぎんかくじ
久遠寺 くおんじ
久能寺 くのうじ
九品寺 くほんじ
久保寺 くぼじ、くぼでら、くぼてら
窪寺 くぼでら
弘法寺 ぐほうじ
弘明寺 ぐみょうじ
恵林寺 けいりんじ
敬礼寺 けいれいじ
華蔵寺 けぞうじ
顕聖寺 けんしょうじ
建長寺 けんちょうじ
建仁寺 けんにんじ
源法寺 げんぼうじ
高安寺 こうあんじ
光悦寺 こうえつじ
高円寺 こうえんじ
光音寺 こうおんじ
光源寺 こうげんじ
高源寺 こうげんじ
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耕三寺 こうさんじ
高山寺 こうさんじ
興聖寺 こうしょうじ
光寺 こうじ
国府寺 こうじ
國府寺 こうじ
高水寺 こうすいじ
高専寺 こうせんじ
高專寺 こうせんじ
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高蔵寺 こうぞうじ
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国泰寺 こくたいじ
國分寺 こくぶじ
国分寺 こくぶんじ
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小寺 こでら、こてら
駒寺野 こまでらの
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金剛峰寺 こんごうぶじ
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相国寺 しょうこくじ
正権寺 しょうごんじ
荘厳寺 しょうごんじ
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正道寺 しょうどうじ
正福寺 しょうふくじ
正法寺 しょうほうじ
淨法寺 しょうほうじ
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正明寺 しょうみょうじ
称名寺 しょうみょうじ
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正楽寺 しょうらくじ
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太寺 たいでら
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太陽寺 たいようじ
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高寺 たかでら
髙寺 たかでら
宝寺 たからでら
滝寺 たきでら
瀧寺 たきでら
橘寺 たちばなでら
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館寺 たてでら
田寺 たでら
多門寺 たもんじ
誕生寺 たんじょうじ
大雲寺 だいうんじ
大雄寺 だいおうじ
大巌寺 だいがんじ
大願寺 だいがんじ
大京寺 だいきょうじ
題経寺 だいきょうじ
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大源寺 だいげんじ
大光寺 だいこうじ
醍醐寺 だいごじ
大師寺 だいしじ
大正寺 だいしょうじ
大聖寺 だいしょうじ
大慈寺 だいじじ
大樹寺 だいじゅうじ
大乗寺 だいじょうじ
大泉寺 だいせんじ
大善寺 だいぜんじ
大通寺 だいつうじ
大徳寺 だいとくじ
大導寺 だいどうじ
大道寺 だいどうじ
大日寺 だいにちじ
大宝寺 だいほうじ
大楽寺 だいらくじ
大琳寺 だいりんじ
達磨寺 だるまじ
檀那寺 だんなでら
旦那寺 だんなでら、だんなじ
智恩寺 ちおんじ
知恩寺 ちおんじ
竹林寺 ちくりんじ
千見寺 ちけんじ
知見寺 ちけんじ
千葉寺 ちばでら
中元寺 ちゅうがんじ
中願寺 ちゅうがんじ
中宮寺 ちゅうぐうじ
仲元寺 ちゅうげんじ
中権寺 ちゅうごんじ
中在寺 ちゅうざいじ
中善寺 ちゅうぜんじ
中禅寺 ちゅうぜんじ
中尊寺 ちゅうそんじ
中堂寺 ちゅうどうじ
長安寺 ちょうあんじ
長栄寺 ちょうえいじ
潮音寺 ちょうおんじ
長久寺 ちょうきゅうじ
長慶寺 ちょうけいじ
長源寺 ちょうげんじ
長興寺 ちょうこうじ
長勝寺 ちょうしょうじ
長松寺 ちょうしょうじ
長泉寺 ちょうせんじ
重染寺 ちょうぜんじ
長徳寺 ちょうとくじ
長坂寺 ちょうはんじ
長峰寺 ちょうほうじ
長命寺 ちょうめいじ
長楽寺 ちょうらくじ
通元寺 つうげんじ
通法寺 つうほうじ
津寺 つでら
貞永寺 ていえいじ
天花寺 てんげえじ、てんかじ
天現寺 てんげんじ
天性寺 てんしょうじ
天正寺 てんしょうじ
天寧寺 てんねいじ
天王寺 てんのうじ
天籟寺 てんらいじ
天竜寺 てんりゅうじ
天龍寺 てんりゅうじ
伝法寺 でんぼうじ
傳法寺 でんぼうじ
東慶寺 とうけいじ
東光寺 とうこうじ
唐招提寺 とうしょうだいじ
当寺 とうじ
東寺 とうじ
東泉寺 とうせんじ
東禅寺 とうぜんじ
東大寺 とうだいじ
東長寺 とうちょうじ
塔寺 とうでら
東福寺 とうふくじ
灯明寺 とうみょうじ
徳大寺 とくだいじ
道光寺 どうこうじ
道寺 どうじ
道場寺 どうじょうじ
道成寺 どうじょうじ
導寺 どうでら
道明寺 どうみょうじ
道明寺粉 どうみょうじこ
中秦泉寺 なかじんぜんじ
中寺 なかでら
中山寺 なかやまでら
若王寺 なこうじ
那谷寺 なたでら
成相寺 なりあいじ
南禅寺 なんぜんじ
南林寺 なんりんじ
飯寺 にいでら
西秦泉寺 にしじんぜんじ
西寺尾 にしてらお
西寺方 にしてらかた
西本願寺 にしほんがんじ
西本成寺 にしほんじょうじ
仁頂寺 にじょうじ
日東寺 にっとうじ
如法寺 にょほうじ
忍頂寺 にんじょうじ
仁和寺 にんなじ
念仏寺 ねんぶつじ
能仁寺 のうにんじ
野寺 のでら
廃寺 はいじ
長谷寺 はせでら
畑寺 はたでら
鉢ヶ峯寺 はちがみねじ
八九寺 はちくじ
幅寺 はばでら
浜寺 はまでら
林寺 はやしじ
原寺 はらでら
梅津寺 ばいしんじ
梅林寺 ばいりんじ
番生寺 ばんしょうじ
日向寺 ひうがじ
東本願寺 ひがしほんがんじ
東山寺 ひがしやまてら
引寺 ひきじ
百済寺 ひゃくさいじ
白毫寺 びゃくごうじ
平等寺 びょうどうじ
富貴寺 ふきでら
福王寺 ふくおうじ
福音寺 ふくおんじ
福成寺 ふくじょうじ
福禅寺 ふくぜんじ
福寺 ふくでら
福田寺 ふくでんじ
普賢寺 ふげんじ
普済寺 ふさいじ
普正寺 ふしょうじ
藤井寺 ふじいでら
二ツ寺 ふたつてら
不動寺 ふどうじ
舩寺 ふなでら
船寺 ふなでら
古寺 ふるでら、こでら
峰定寺 ぶじょうじ
仏光寺 ぶっこうじ
仏国寺 ぶっこくじ
仏生寺 ぶっしょうじ
仏寺 ぶつじ
平安寺 へいあんじ
平泉寺 へいせんじ
平林寺 へいりんじ
報恩寺 ほうおんじ
方広寺 ほうこうじ
宝厳寺 ほうごんじ
宝山寺 ほうざんじ
宝積寺 ほうしゃくじ
寳積寺 ほうしゃくじ
法勝寺 ほうしょうじ
放寺 ほうじ
法寺岡 ほうじおか
芳寺戸 ほうじど
宝仙寺 ほうせんじ
宝泉寺 ほうせんじ
法泉寺 ほうせんじ
法善寺 ほうぜんじ
宝蔵寺 ほうぞうじ
宝藏寺 ほうぞうじ
寳蔵寺 ほうぞうじ
寳藏寺 ほうぞうじ
寶蔵寺 ほうぞうじ
寶藏寺 ほうぞうじ
法蔵寺 ほうぞうじ
法伝寺 ほうでんじ
法傳寺 ほうでんじ
宝塔寺 ほうとうじ
法道寺 ほうどうじ
鳳来寺 ほうらいじ
法隆寺 ほうりゅうじ
法輪寺 ほうりんじ
法起寺 ほっきじ
法華寺 ほっけじ
法興寺 ほつこうじ
法性寺 ほつしょうじ
本願寺 ほんがんじ
本興寺 ほんこうじ
本寺 ほんじ、ほんでら
本成寺 ほんじょうじ
本能寺 ほんのうじ
本遠寺 ほんのんじ
本法寺 ほんぽうじ
本妙寺 ほんみょうじ
本門寺 ほんもんじ
坊寺 ぼうじ
鳳凰寺 ぼうじ
菩提寺 ぼだいじ
前寺 まえでら
牧寺 まきでら
松尾寺 まつおじ
末寺 まつじ
松寺 まつでら
眞寺 までら
真寺 までら
万願寺 まんがんじ
満願寺 まんがんじ
万寿寺 まんじゅじ
万造寺 まんぞうじ
萬造寺 まんぞうじ
万代寺 まんたいじ
万納寺 まんのうじ
萬納寺 まんのうじ
万福寺 まんぷくじ
三井寺 みいでら
美江寺 みえじ
右寺 みぎてら
三田寺 みたでら
御田寺 みだてら
三ツ寺 みつでら
三寺 みつでら
味寺 みでら
見寺 みでら
南寺 みなみてら
峰寺 みねでら
壬生寺 みぶでら
宮寺 みやでら
妙円寺 みょうえんじ
明王寺 みょうおうじ
妙国寺 みょうこくじ
妙寺 みょうじ
妙成寺 みょうじょうじ
明善寺 みょうぜんじ
明大寺 みょうだいじ
明徳寺 みょうとくじ
妙法寺 みょうほうじ
明法寺 みょうほうじ
妙楽寺 みょうらくじ
妙蓮寺 みょうれんじ
弥勒寺 みろくじ
彌勒寺 みろくじ
向寺 むかいでら
室生寺 むろうじ
室寺 むろじ
毛越寺 もうつじ
元寺 もとてら
森寺 もりでら
茂林寺 もりんじ
文珠寺 もんじゅじ
薬王寺 やくおうじ
薬師寺 やくしじ
藥師寺 やくしじ
薬勝寺 やくしょうじ
薬眞寺 やくしんじ
薬真寺 やくしんじ
藥眞寺 やくしんじ
矢寺 やてら
柳寺 やなぎでら
山寺 やまでら
祐天寺 ゆうてんじ
幸寺 ゆきてら、こうでら
楊谷寺 ようこくじ
養福寺 ようふくじ
要法寺 ようほうじ
横寺 よこてら
善峰寺 よしみねでら
雷音寺 らいおんじ
来迎寺 らいこうじ
楽巌寺 らくがんじ
理寛寺 りかんじ
立石寺 りっしゃくじ
竜角寺台 りゅうかくじだい
竜宮寺 りゅうぐうじ
龍宮寺 りゅうぐうじ
立花寺 りゅうげじ
龍源寺 りゅうげんじ
竜光寺 りゅうこうじ
龍光寺 りゅうこうじ
龍寺 りゅうじ
竜泉寺 りゅうせんじ
竜禅寺 りゅうぜんじ
竜造寺 りゅうぞうじ
龍造寺 りゅうぞうじ
龍胆寺 りゅうどうじ
了仙寺 りょうせんじ
了徳寺 りょうとくじ
良福寺 りょうふくじ
臨済寺 りんざいじ
輪王寺 りんのうじ
瑠璃光寺 るりこうじ
蓮覚寺 れんがくじ
蓮花寺 れんげじ
蓮光寺 れんこうじ
連光寺 れんこうじ
蓮正寺 れんしょうじ
蓮台寺 れんだいじ
楞巌寺 ろうごんじ
鹿園寺 ろくおんじ
鹿苑寺 ろくおんじ
六泉寺 ろくせんじ
六湛寺 ろくたんじ
六波羅蜜寺 ろくはらみつじ
和寺 わでら
京都の魅力を私にも教えて欲しいわ。
そりゃさすがに珍閣寺や平等院とかは
一度見て凄いわねってなったけど、
それっきりね。
清水寺のゼットソードはあまりに重たくて持ち上がらなかったわ。
人間じゃ無理ね。
それにあちこち神社めぐりに命をかけている御朱印帳とかはないのよね。
全く嫌いって訳じゃなくて
二礼二拍手一礼は慣れたら出来るわよ。
4回拍手してる人がいてふざけてるのかなと思ったけど、
いろいろ調べてみると
長いわっ!
調べてみると面白いわよね。
この時期は
神社の人がひしゃくで葵の紋の入った器に注いで、
ほれ飲め飲めっていうの。
また旅してみたいわね京都。
うふふ。
ちょっとそれにしてみました。
お洒落なのかどうだかってのも
一周して分からないわね。
たまにそういう所に行くとレシィピの参考になるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
【清水寺】有名観光地と言われるだけあってやっぱり見ごたえがある。
【金閣寺】壁に金箔貼り付けただけのただの家。ここに行くくらいなら銀閣に行った方が良い。
【銀閣寺】質素な建物が周囲の木や池と溶け込んで美しい。周りの門前町もいい雰囲気。
【東寺】五重塔はやっぱインパクトあるけど、1回見ればもういいかな。
【二条城】石垣は普通の城と同じだが、当時の建物がちゃんと残ってるのはやっぱすごい。
【龍安寺】教科書で見たことある庭園が間近で見れるという感動はあるが、それ以外は特に見所なし。
【醍醐寺】観光客が少なく静かに見て回れるが、ここも1回見ればもう十分かなあ。
【仁和寺】門や本堂の巨大さと、庭園の美しさを同時に楽しめる。
【上賀茂神社】規模はデカいけど、ぶっちゃげただの神社と変わらん。
【三十三間堂】千体の千手観音像が並ぶ姿は本当に圧巻。人にもお勧めしたい。
【平等院】建物は思ったほど感動しなかったが、付設の博物館がすごく良かった。
【宇治上神社】観光客がほとんどおらず、静謐で神聖な雰囲気。平等院に来たらここにも立ち寄るべき。
【天龍寺】建物・庭園・池が一体となった風景がすごい。これぞ、ザ・日本の美って感じ。
今年の漢字に「安」が選ばれた理由の一端に、とにかく明るい安村が含まれていることに好感を抱いている。
「今年の漢字は『安』です」と発表されたものの、その実、理由として上げられるのは「不安の安」とマイナスな要素や、「安保の安」や「安倍の安」…と政治的なものなど、漢字から受ける第一印象とは違うものばかり。寄せられるコメントも「爆の方が合っているのでは?」「殺の方が」「確かに給料安い」などと、鬱屈としたものばかり。
そんな中、
「安心してください、履いてますよ!の安」なんてすっげー朗らかじゃん。安らかじゃん。みんな笑うじゃん。オーシャンパシフィクピースじゃん。
どこかのニュース記事に「今年の漢字を爆、にしていまうと言霊によって清水寺に良くないことがおこりそう」というコメントがついているのを見かけた。
スピリチュアルがすぎるぜ、とつっこまれればそれまでかもしれないが、数ある漢字の中から一字決め、あんなに大きな紙にお坊さんが毛筆で刻んで、こんなに大勢の人に周知されてしまったら、何だか今年の締めくくりの漢字というだけではなく来年の空気まで決めてしまうような流れが出来てしまうような気がする。
確かに今年は世界情勢が悪化の一途を辿っているし、次々と悪いニュースが舞い込み、世界が不安に包まれた年だ。でもそんなことは皆共通認識として分かっていることなのだから、ここであえてまだ見ぬ「安らかさ」への願いをこめて「安」の字を飾る、というのも悪くはないんじゃないかと思うのだ。
以上の諸々を考えながら見ると、今年の漢字発表後に、とにかく明るい安村がツイッターに書き込んだ
私の頭の中には、この世に蔓延した不安な空気を全てを飲み込んだ上で安らかに微笑む安村がいる。
誰も傷つけない優しいネタを全力でやり続ける安村がいる。
私の頭の中のとにかく明るい安村は既に菩薩の格好をしてこの世に悩める一切衆生を救いそうな雰囲気さえある。そんな漢字。<
大阪に行く度羨ましく思う。地下鉄網が必要な場所にしっかり整備されているからだ。
中之島辺りはまだ改良の余地があるし今里筋線は無駄だったかもしれないが、なにわ筋線という「本当に必要とされる線路」を具体化できるあたり京都とは違う。
京都市会議員ときたら「東西線の乗客が少ないから太秦天神川から洛西NT~長岡京と延伸し、六地蔵からも延伸して環状化しよう」などと宣うような連中である。
アホだと思いますか?そうアホなんです!
本当に必要なのは西大路・北大路・東大路・京都駅を繋ぐ地下鉄環状線なのに。
京都駅から出て東大路通を上り清水寺や祇園を通る206系統には朝っぱらから外国人観光客が並んでいる。積み残しなど日常茶飯事。
金閣寺・立命館大学方面の205系統も混雑が酷い。西大路通には阪急西院駅、地下鉄西大路御池駅、JR円町駅などがありそこから通学者や観光客が雪崩れ込んでくる。
にもかかわらず交通局は対策をほとんど諦めている状態で、むしろ東大路に至っては四条通のように一車線化する予定らしい。
その四条通は視界に5台のバスが常に映っているような状態でオンシーズンには完全に麻痺する。救いようがない。
京都観光をしたことのある人ならあの不快極まりないバスに恐らく一度は乗ったことがあるだろう。
運転は荒く道路状態は悪く愛想という概念が無い。扉が閉まらないうちに発車することすらある。時刻表っておいしいの?
わたしがあの人にはじめて会ったのは13歳の秋だった。
中学の入学祝いに父親からパソコンを送られた私はすぐにインターネットの世界にのめり込んでいった。
友達と放課後にマックに行ったり、クラスの男の子を好きになってすったもんだしてる都会在住の女の子の都会っぽい生活に憧れたり、、
ちょっと不良ちっくな男の子達のリアルな体験談にわくわくした。
わたしは地味で目立たないタイプの中学生で、自分に自信が持てなくてうまく人とコミュニケーションが取れなかったので、今ではよくわからないようなものにまで憧れたりしていた。
というか、クラスに友達がいるっていうだけで、クラスメイトと普通に話せる人だっていうだけで、私にとっては憧れの的だった。
そんな普通に楽しい中学生活を送っている人たちとお話できるのがほんとに楽しかった。
あの人は常連のひとりでいつもロムってるんだけど、
そのくせふとあらわれてなんとなく心に残ることをぐさっと言ってはまたいなくなる、みたいなかんじだった。
毎日入り浸っていたわたしはあの人と自然にあいさつとかするようになった。
あの人はほかの誰とも違う不思議な独特な空気感をまとっていて、
(あとで聞いたらちゃんとキャラ設定があったらしい)
あの人と文字で交わす会話を心地よく感じた。
あの人はいつも真夜中、みんなが落ちていったあとのひと気のないチャットルームに現れた。
いつの間にかあの人と話すことが一日の楽しみになっていた。
あなたはどんな人なんだろう、
どんな生活をしてるんだろう
人望厚く、生徒会長をやってるらしい。
(同じ学校だったら関わることもないだろうなー)
すきなマンガはるろけん。
てゆーかけっこうオタク。
って思っていた。
それは深夜で、チャットルームにはよく顔(?)を合わす女の子二人とあなたとわたしの四人だけで、その話は10代の私にとってはとても重いお話で、
というかまだ恋のなんたるかを知らない私にとっては目の回るような話で、
(確か、好きな女の子がいて両思いだったんだけれど、その女の子につらい思いをさせたまま別れてしまった、みたいな話だったと思う。)
その長いお話が終わる頃にはわたしたちはとてもしんみりしていた。
でもそういう特別なことを共有したことをきっかけに私たち四人はメールアドレスを交換することになった。
私は心の中でその成り行きにガッツポーズを決めていた。
だってずっとアドレスを聞きたかったけど、乙女で内気なわたしにはどうしても言い出せなかったからだ。
そうしてあの人のアドレスをゲットしたわたしは、
使い方が謎すぎて放置していたメーラーの説明書を100万回読んでメールのやり方を会得し、
(メールの画面が夢にまで出てきた)
やっとあの人とのメールのやり取りを開始した。
あの頃の私にとってあの人は遠い(友達いっぱい!楽しい学校生活!リアルではお近づきになれるはずもない人!みたいな笑)夢の世界に住む憧れの人で、
他愛のないお話ばかりをしたと思う。
みたいな見栄もはったきがする。
でもそういうメールのやり取りを繰り返すうちに、
少しずつ少しずつ見えてくるような気がした。
夢の世界に住んでるように思えたあの人にもたくさん悩みや考え事があることを知った。
あの人がどんどん近くなって来るような気がした。
ある日わたしは決心した。
あの人が生活する街を見てみたくなった。
本当は会いたかったけど、言えなかった。
あの人が歩いているだろう道を歩いて、
あの人が買い物をするだろうショッピングセンターに行って映画を観た。
源氏物語みたいなやつ。
今思えば、あの頃のわたしにとってあの人が唯一の友達だったんだと思う。
ではないと思いたい。
そのうちどうしても気持ちを抑えられなくなってわたしはあの人に告白した。
それが本当の好きなのかどうなのかわからなかった。
文字以外のあの人のことを何も知らない、
会ったことも見たこともない。
でも気持ちだけは本当だった。
そしてあの人にはあっさりふられた。
高校生活は最悪だった。
高校生になったわたしはけっこうないじめを受けるようになっていた。
成績もガタ落ちで留年寸前だった。
私は自分の部屋にひとりで閉じこもるようになった。
両親は仕事やまだ小さい兄妹たちの面倒に忙しくて
わたしの苦しさを理解できる余裕はなかったんだと思う。
誰かに理解されたかったんだろうけど、
それをうまく言葉にすることもできなかった。
絶対に来ないと思ってたからかなり驚いた。
どういう話の流れだったのかは思い出せないけど、
たぶん私が言いだしたようなきがする。
心臓が口からまじで飛び出しそうになりながら電話に出たのを覚えてる。
それまでは蒼紫様とゆこ殿、みたいなメルヘンなHNでやりとりしてたの笑
なんか本当に不思議な感じだった。
はじめて聞くあの人の声は上ずったかんじの甘い声でわたしは本当にどきどきした。
なにをあんなに話したんだろう?
たぶんとてもしょーもないことばかり話してたんだろうと思う。
気づくと朝日が昇って、朝になってた。
そしたらあの人は恥ずかしそうに言ったんだよ。
「俺の言いたいことわかる?わかって、テレパシーで。」
「・・・わかんないよ笑」
「・・・すき。」
どういう気持ちの流れがあの人にあってそうなったのかは今でもよくわからない。
たぶんあの人も覚えてないんじゃないかな?笑
でもわたしたちはこの電話をきっかけに付き合いはじめることになった。
携帯の請求がすごいことになってお母さんに何回も怒られた(笑)
会ったこともない人と付き合うなんて浅はかなことだと思うけど、
どうしてもあの人と毎晩長電話するのが辞められなかった。
あの女の子の化粧が濃くてキモイ、とか、モデルの女の子がいてなぜかその子が俺のこと好きっぽい、とか他愛のない話しを!(笑)
それは、仲のいい友達がいたんだけど、その子が亡くなってしまってとてもつらい、それはたぶん自分のせいなんだっていう話し。
それがあったから今は誰かと深く関わるのが怖いんだって話してくれた。
当時のわたしは自分のことを客観的に見る余裕なんか皆無だったからどうして自分がそんな気持ちになるのかわからなかったんだけど、その話を聞いてものすごく悲しくなった。
今考えるとわかるんだけど、わたしはあの人と深く関わることを望んでたからだと思う。
自分でも訳のわかんない私をあのひとなら理解してくれて助けてくれるような気がしてた。
でもお互いに問題をかかえたままお互いを理解しあえるわけもなく、私たちはすぐに別れてしまったんだ。
本当なら私があの人の傷を癒してあげられたらよかったんだと思うけど、当時のわたしには無理だった。
それを説明することともできなくて、
たぶん相当意味のわかんない理由で別れたと思う。
実はほかの人とのあいだに子供ができて、もうあなたとは一緒に居られません、みたいな出鱈目を言った気がする。
変だよね。(笑)支離滅裂だ。
よくわかんないけどそういう心理だったんじゃないかなーって思う。
やめる前後はピークに荒んでいたけど、
いざ辞めてしまえば私の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。
15歳にして社会の外に放り出されてしまったことは恐怖だったけど、
それは逆にこれからのことを真剣に考える原動力だったような気がする。
それから3カ月。
今度こそ連絡が来ることは2度とないだろうと思っていたところに
冬、連絡をくれたのはあの人の方だった。
ちょうど寮制の定時制高校への受験を決めて一念発起を心に誓った頃だった。
厳しい環境に身を置くことで私は最低な自分から脱出できると思った。
家族とも、育った街とも、この街の人とも、全てに距離をおいて新しい自分を始めるつもりだった。
付き合っていた頃みたいにまた明け方まで電話することも何回かあった。
でもそういう自分の状況をあの人にうまくせる自信がなくて黙っていた。
相変わらずどうでもいいような話しを何時間もしていた。
というか今気づいたけど、わたしどれだけ素直じゃないんだw
わたしは本当はあの人ともう一度お付き合いがしたかった。
あの人が今でも私を好きでいてくれればなって思った。
朝6時に起きて掃除、点呼、先輩の洗濯や食器洗いをすませてから仕事に行って、夕方から学校。
はげしいルーティン。
ここに来たことを後悔してないと言ったら嘘になるけれど、
もちろん携帯電話は禁止。
というわけであの人への連絡手段を失ったわけだけど、
どうしてもくじけそうな時は負けじと寮の公衆電話から10円片手にあの人に電話した。
この公衆電話がまたすっごいの!
長蛇の列に並んでやっとたどり着けるの!
でも時間が決まっていてやっと順番が来たと思ったら1分とかしか話せないこともあるの!!(笑)
そんなわけで満足にあの人ともお話できないし、忙しくて3ヶ月に1回とかしか電話できない時もあったんだけど、
あの人の声を聞くと本当に元気が出たもんでした(笑)
あの人は相も変わらずずっと私の支えだった。
それでも。
地元に帰った時は便利な便利な(笑)家電で思う存分長話をした。
そうだ、手紙も何通か交換したんだ。
今でも大事にとってある。
あの人は字が下手だからってとても恥ずかしがったけど。
(確かにあの人は字がへただった(笑)
あの人と実際に会おうかって話になった。
あの人は大学生になっていて、
せっかくだからついでに会おうよってことになった。
その少し前にわたしたちは小さな喧嘩みたいなことになっていた。
あの人が私のことを何も考えていないただふらふら生きてる奴、
みたいなことを冗談で言ってきて、わたしがそれに反論のメールを送ったんだ。
わたしはわたしなりに色々考えていて、考えた答えには従って生きてる、みたいなメール。
でもあの人が私についてそう思うのは仕方ないことだった。
だって私はあの人に自分についてなんにも話したことがなかったんだから。
と、いうより私は誰にも自分について話したことなんかなかった。
いつも自分が何を考えているのかわかんなかったし、
誰かが自分を理解しようとしてくれるなんて考えたこともなかった。
だから私の気持ちはずっと迷宮をさまよってるみたいな感じだった。
ずっと悩んできた自分の心の暗い淵みたいなものに対する葛藤にも、
なんにも向き合えてなかった。
実際に待ち合わせの場所に着いても私はあの人と会うことをまだ悩んでいた。
会うのが怖かった。
実際に会って本当の自分を見せるのがとっても。
あの時、わたしはもう本当に緊張していた。
心臓爆発だった。
わたしの人生で一番綺麗なあの初夏の日を
わたしは一生忘れないと思う。
あの人は細くて折れそうな体で
外人みたいに彫の深い顔立ちをしてた。
あの人は私に一言、
「でかっ!」
って言ったんだ笑
不思議な感じだった。
はじめて見たあの人は知らない人だったけど、
声はずっと馴染んできてわたしを支てくれたあの声だった。
人見知りな私はあの人をやっぱり人見知ってたけど、
それなのにあの人はずっと昔から一番よく知っている人だった。
綺麗な新緑のさわやかな感じも、
あの人の横顔も
今もあの日のように思い出せるよ。
よく歩いて、よくしゃべった。
わたしは寮生活の話を。
帰りはわたしの近くの駅まであの人が送ってくれた。
手をふりながら猛烈な離れ難さがおそってきたけど、
寮に帰ってからもなんだか夢の中にいるような気分だった。
「楽しかった。また会いたい」って。
私もおなじ気持ちだった。
数日後の5月22日に私たちは付き合いはじめた。
いま考えれば不思議なことはなんにもない。
必然だったと思う。
もう人と深く関わるのが怖いって。
ずっと一人で生きてきたし、これからもそれは変わらないと思うってあの人は言った。
私になにかできることはないのか?って思った。
少しでもあの人の心が軽くなるようになればいいと思った。
あの人が誰にも心を開けなくなってしまったことを、
怖くないって言いたかった。
あの人が本当にわたしを理解しようとしてくれていることが分かって言葉が不思議とすらすら出てきた。
そういうことをちゃんと言葉にするのは生まれて初めてだった。
混沌としていた頭の中が言葉によって整理されていくのがわかった。
私たちはできる限りの言葉をつくして自分たちについて話し合った。
それは数年前の私たちにはできなかったことだ。
今までどうしても踏み込むことができなかった、
でもとても知りたかった、
知って欲しかったことだった。
話しても話しても話したりなかった。
やっとわかりあえた喜びを私は一生忘れない。
ずっとそうしたかったんだと思う。
一生懸命耳を傾けてくれたあの人には感謝してもし尽くせないよ。
あの人が私に言葉をくれたんだ。
本当はわたしは不安だった。
戸惑ってたんだ。
でも私たちはまだ一回しか会ったことがないのにこの気持ちは本物なのか?って。
そのあとに丁寧にロイヤルミルクティーを入れてくれた。
帰る前の日にあの海で撮った写真は今でも宝物だ。
あの日、ホームであの人の手を握りながら本当に離れたくない、
離れたくないってこういう気持ちのことだったのかって思った。
あの人はあなたになら心をひらけるって言ってくれた。
わたしも同じだった。
メールや電話でやりとりをしていた頃はまったく気づかなかったんだけど、
いつもわがままばかり失敗ばかりまぬけばかりの私にきちんと向き合ってくれて、
私に悩み事があれば一緒になって考えてくれた。
私にさえわかんなかったわたしを教えてくれた。
ちゃんとはなしてごらん、ってあの人だけが私に言ってくれたんだ。
お父さんみたいだった。
肉親以上の愛情を注いでくれた。
あの人と一緒にいた数年間は信じられないくらい幸せだった。
思い出が綺麗な綺麗なおとぎ話しみたいだよ。
わたしたちはなにもかもがぴったりだったように思う。
わたしが持っていないものをあの人はちゃんと持っていてあの人が持っていないものをわたしが持っていて嘘みたいだった。
なにもかもが上手く噛み合っていて、あんな風に出会えたことも、こうして一緒にいることも、全部が起こり得ないような奇跡だとおもった。
それはあの人が優しくそう感じさせてくれていただけだったのかもしれないと今になったら思うんだけど、それでも。
真夜中の長電話、一緒に観た何本もの映画、あの人の小さなアパートの部屋、まっすぐに続く海岸沿いの道、
会いたくて我慢できずに何回も最終電車に飛び乗ったこと、旅行に行ったのは神戸と栃木、クリスマスに買いすぎたモスチキン、
大学のピアノがある小さい部屋、高速バスに乗って一緒に出かけたこと、
別れる時に悲しかったぶん会えた時はほんとに嬉しかったこと、あの海辺の夕日、あの人を残してホームから走り出す電車、あの人のかなしそうな顔。
ねえ、わたしはおかしいのかな?
思い出を美化しているだけなのかな?
もしそうだとしても懐かしくて叫び出しそうになるよ。
だからはじめて会ったあの日からずっと離れるのが本当に嫌だったんだ
あの人がいればなんだってできるような気がした
あの人に話してないことがひとつだけある。
わたしはそれでも迷っていたんだ
私は若くて無知だった
本物がどれなのか判別がつかない程に。
奇跡だと思ってた
完璧だと思ってた
わたしは自分があの人を段々大切にできなくなっていってるのを知ってた
いつか自分の未熟さが原因で壊れて終わってしまうだろうと思った
むしろそうなるべきとも思った
そうしたらあの人の本当の大切さがわかるから
早くあの人を大切にできる自分になりたい
いつの間にかあの人にめぐり合うことができた奇跡を当たり前に思い、
あの人がわたしにかけてくれる愛情を当たり前に思い、
あの人に求めてばかりでいつも苛立っているのが苦しかった
わたしはわたしたちの幸せをめちゃくちゃにした
あの人を失ったわたしは
かたずっぽになって
うまく立つことができなくなった
うまく声も出せなった
うまく笑えなくなった
うまく人と話せなくなった
怖くてわたしを押しつぶしてくるの
何時の間にかわたしはあなたに
荷物を預けて楽してたみたいだ
全部がのしかかってきて
息ができなくなった
笑顔は今でも引きつってる気がしてる
それでも
わたしは受け入れていった
考えることをはじめた
どうしてこうなってしまったのか、
ここはどこなのか、
これからどう生きていくべきなのか 、
あの人のことを何度も思った
ずっと考えていて
分かったことはふたつだった。
ひとつめは、
今自分が感謝できることを必死で探してありがとうって思えるように絶対にならなきゃ同じことを繰り返してしまうってこと
どんな幸せを持っていたってそれをわかってなくちゃそれは不幸と一緒だ
ふたつめは、
本当に愛し合える人を見つけられずに死んでしまう人も多いこの世界で、わたしはあなたと出会えたこと、そしてあんな時間を持てたことがすでに奇跡だってこと。
出会えたことがすべてってこと。
http://anond.hatelabo.jp/20110211132856
東山区 清水寺や三十三間堂など観光名所を多数有し、区内に在する国宝が建造物だけでも軽く2ダース以上。京都といえば観光、観光といえば東山
上京区 京都御苑・京都府庁があり、西陣織・友禅など伝統産業も盛ん、上京こそが京都の政治・経済の中心地。
左京区 京都大学をはじめ文化施設が集中。左京こそ京都の学術・文化の中心地。
北区 高級住宅地が集中、金閣寺を有し有名私立大学も多数あり。『職場は上京区の人でも住んでるのは北区なんだからネ!』
右京区 仁和寺や嵐山など、京都通が好む観光名所が多数。『清水寺より嵐山のほうが観光客数は多いんだからネ!』
中京区 繁華街が集中、その名の通り中心地。ただし下京区から分離して新しく作られた行政区『京都府庁より京都市役所のほうが予算は大きいんだからネ!』
下京区 「上・中・下」の分かりやすすぎるヒエラルキーの一番下。ただし、東西本願寺などを抱える古都でもある『東山区も中京区も、昔は下京区だったんだからネ!』
南区 工場だらけ、自動車だらけ、排ガス等々環境わるし。しかし京都駅と高速・京都インターを有する。『南区こそ京都の玄関口なんだからネ!』
修学旅行前日にインフルエンザになり、アラサーになるまで京都にも新幹線にも無縁だった人間が京都へ行ってきたよ!
東山から四条三条へ北上後、大宮や壬生を回り、島原へ南下し、西本願寺から京都タワー~豊国神社という徒歩旅。
どこもそうだったけど、四条大宮から壬生へ抜ける細い路地を歩いていたら1kmない距離なのに6、7軒は寺があった
路地を歩いているとそこらじゅうに小さな社があった
条例で高層ビルが建てられない為とは知っていても、京都タワーから一望できる眺めが凄い
都内と違って空襲で焼き払われていない分だけ古くからの家をそのまま使っている感じ
あらゆる人種が居る
交差点でクラクション音に驚いて顔を上げたが、酷い時は数分に3、4度クラクション音がなっていた
首都圏ではどんなに渋滞していようとクラクション音をそうそう聞く事はなかったのでびっくり
それから交差点を観察しながら歩いてみたら、赤信号なのに3、4台右折していく感じだった
そして対向車が切れず右折出来ないで居るとクラクションを鳴らす感じ
車の流れがあって多少無理でも曲がる事はあれど、完全に赤信号なのに数台は堂々と右折していったのでびっくり
都内でトイレットペーパーが無い駅はほぼ見かけないのに対し、京都駅は普通にトイレットペーパー無かった
その代わり備え付けのトイレットペーパー販売機があった
盗難はあれどトイレットペーパーを備え付けない店は無いという勢いの首都圏に対して
京都はただ単にトイレットペーパーすら売りつける商魂逞しい土地なのかどうか・・・
総武線内で席に座った全く無関係の隣あった男女3人全員iPhone弄ってて吹いた位なのに
阪急では携帯弄り率が低かった(弄ってる人いたかいないかレベル)
とはいえ京都駅は左によって右を空けていたり、観光客が多いとそうでもない模様
京都駅だったらごめんなさい、と前置きして三条川原町等三条通りかなと
阪急や他の地下鉄が乗り入れていて、京都駅が伊勢丹だけなら、ここは大丸阪急高島屋に色んなブランドの店が有
病院へ入った時に喋っていると周囲からの目線が軽く刺さるような雰囲気になった
これが噂の・・・と思った
しかし観光地を周っていると観光客慣れしているのか色々親切に教えてくれた
昔の話をしてくれたり、資料を貸してくれたり、いい人たちだなと感じた
新宿とは違ったでかさ、東京駅と比べてはいけないが、番線数やダンジョン度は東京の方が数倍上
都内の景観を無視しきったカオスな立て方のでかさではなく、なんでこんなオブジェクト作った?的な
恐らく普通の人が混雑した清水寺金閣寺銀閣寺を周っても、人の山過ぎて綺麗という観念が薄くなると思う
なんだただの普通の寺か~で終わる可能性大
仏ヲタ的には金閣銀閣は触手に触れず、広隆寺だの東寺だののがクるだろうし、
歴史ヲタなら平安鎌倉江戸末期とおいしすぎる上、ヲタスポットは断然人が少ない
勿論景色は綺麗だし料理は美味しいけれども、一般人はリピーターになるレベルまでは行かない気がした
本当に碁盤の目、ここは行き止まりだろ・・・という道こそどんどん突っ込んでいくと古い町なみが拝める
道が行き止まりにならない事を容易に悟れるはず
そのうちいつの間に寺の裏門へ出たりして、この界隈の人しか知らないルートを発掘出来る楽しさ有
殆どの人は一日バスフリー利用券(500円)で回っている模様だが、バスは平日でもかなり混雑している
観光案内通りにバスに乗ると混みまくるので、自分で適当に接続ルートを探して乗るとかなり空いていた
例えば金閣寺行き、駅と接続しない祇園から乗るとスカスカで座れたり・・・みたいな
ただ基本、街中の観光名所がかなり歩ける距離なので、ちい散歩やブラタモリするのがおススメ
湯島から上野までとか表参道から渋谷までとか、遠くて秋葉原から上野まで、みたいな距離
壬生寺に幕末京都の古地図が売っていたので、かなりブラタモリが出来る
寺は拝観料を取られるので(200~1000円程度目安)多く回る人は寺一つ頭千円で持っておいたほうがいいかも
高い見積もりかもしれないが、絵馬や御朱印、お守り収集や国宝観覧をするなら足りない位
カメラは撮影禁止の場所も多いが、撮影可の場所もあるのでカメっこは必須
しかし弥勒菩薩が居る広隆寺や平清盛像のある六波羅蜜寺や風塵雷神屏風の建仁寺はスムーズに入れた
どうしても土日なら土曜日に有名所へ