はてなキーワード: 清水の舞台とは
ガキの頃のキャラ設定上、同級生飲みとか、同窓会とか、その他プライベート飲みでもだいたい俺が飲み会を開催するんだけど、30歳に片足突っ込みかけてきた中で、どうやら可処分所得に大きな違いが生まれてきた。
たまたまベンチャーの設立に携わってそのまま居座った結果、俺の年収は普通に企業勤めしてた時の倍になってた。
それはそれでありがたいんだけど、一方で飲み会の場所選びに非常に困る。
同級生の中には俺の年収半分ぐらいのヤツだっているし、まぁ半分とは言わないけど結婚してお小遣い制になったやつもいる。
そういう使えるお金に違いが生まれると、一次会の予算は一人5,000円なのか?8,000円なのか?10,000円なのか?
いやいや、3,000円なのか?
この辺のサジ加減が恐ろしく難しい…
同窓会で幹事やった時、これでも努力したのだが、ホテルの宴会場で一人6,000円でやった。
それでも「高いから行けない」って言われてこないヤツもいた…
学生時代は、みんな和民や白木屋で満足してた仲だったんだけど、満足度の違いが浮き彫りになってきたんだなぁなんて考えたり。
金の大小で人間は測れないけども、金の大小で経験の有無は大きく変わると思う。
さすがに俺も清水の舞台から飛び降りる覚悟で一泊だけリッツカールトン泊まったけど、俺の同級生でそんなヤツはいない。
でもその経験から俺はもう絶対、東横インやそれこそカプセルホテルには泊まれないなって事だけは分かった。
そういう事って誰にも理解されないからさすがに言いはしないけど。
金があることで様々な経験をし、「あ??俺、もうそこまで基準値を落とせないわ」みたいな事の差異が大きくなってきて、そして疎遠になるのかなぁ?
そう思うと悲しいけど、一つだけこの件に関しては、以後一切呼ばないって決めた事があって。
合コンの値段設定で会計の時に「高い!女から取ればよくね?」って言われた時に「あ??コイツとは一生女を介在した飲み会には連れて行くまい」と思った次第。
ガキの頃の気分のままじゃ付き合ってられないし、付き合い方は見なおしていこうと思った。
「自由さと小回り」ってのはベンチャーじゃなくて中小企業でしょう。ベンチャーはやっぱり「清水の舞台からI can flyする」企業だよ。
で、中小の、小回りで障害物を回避しながら時期を待ちつつ、絶好の機会とみるや飛び出せる自由さがベンチャー向きなわけで。あと、飛びきれなかったときの被害が小さいことも向いている理由だけれど。
世の中、色々なところから下請け仕事をもらってまわしている中小が多いと思うけど、そういうのはベンチャーとは言わないよね。ただ、それは機会をうかがってるだけかもしれないが。
要は飛躍のために飛び出そうとしているか、だろう。
こんなことをトラバで書くのもどうかと思うけど、あなたに触発されたので自分も友達のことを書く。
私には友達が居る。ほとんどが地元の友達で、小学校中学校の頃の友達だ。今は地元を離れて23才にもなってまだ大学生をしているけれど、帰省をした折なんかに彼ら彼女らと話すと、それが1年以上ぶりの再会だったとしても昔と変わらず話ができる。
正直な話、彼ら彼女らと久々に話したりするときになると、ものすごく不安になる。みんな地元でお互いこまめにやり取りしながら生活してて、そこへぽつんと帰省してきた私に彼らの輪の中に入る余地はあるのだろうか?と。だから連絡を取るときも、あれこれ頭の中で葛藤をしてそれから清水の舞台から飛び降りるつもりで電話なりメールなりをする。相手は私のことなどどうでもいいと思っているかもしれないけれど、私は会いたいのだし、その気持ちは形にしなければ伝わらないと思うからだ。
でも実際に話してみると、幸いなことにそれは杞憂に終わる。本当にありがたい。
なんで自分に友達が居るのか?というのは何度となく考えていたことだ。私は性格が悪い。最近はさすがに押さえることができるようになったが、小学校中学校の頃は腹が立ったら嫌みや罵倒何でもござれで口喧嘩をよくした。それで友達を泣かしたりしたことも何度かある。それなのに今も付き合いを続けてくれる。
こういうことを考え始めると、単純に彼ら彼女らは私を腫れ物のようにして、それで持ち上げてくれているだけなのではなかろうか?とも考えてしまう。でも、実際に話していると、本当に友達としてつきあってくれているみたいだと感じられる。
だから、友達の真意がどうであれこうして話をしてくれているだけで十分だと思うようにしている。もし内心裏切られていたとしても、私はそれだけのことをした人間なのだと受け止めようと心に決めている。
私に取っての友達とは、そんな感じ。
「なあ、ゆき。バレンタインのチョコの作り方を教えてくれないか?」
平静通りに言えたと思ったが、実際の所、どうだったかはわからない。心の中ではそれどころではなかったから。
なぜかあたしはチョコを貰う機会が多かった。女なのに、だ。確かに悪い気はしなかった。元々甘い物が好きではなかったので食べるのは苦労したが、好意を向けられて悪い気はしない。でも、ほとんどは好意の、友情や親愛としてのチョコだったけど、中には本気であたしに愛情を持ってくれた子もいた。けど、あたしには恋だの愛だのって桃色なことはよくわからなかったし、彼女たちにそれを持てそうもなかったから、断った。彼女たちは取り乱すことはなかったけど、そうですよね………でも…ありがとうございました…!と、涙を目に浮かべながらも、精一杯の笑顔を作って返事されたときはさすがに心が痛んだ…
そういったわけで、あたしにとってのバレンタインとはそのようなもので、誰かにあげたり、ましてや告白するものではなかった。でも、今年はあげる立場になりそうだ…率直に言えば、好きだって伝えたい人ができた。
彼女たちには悪いが、あたしに告白して泣く少女たちを見て、泣くのならば告白しなければいいのに、と思ってしまったことも少なからずあった。でも、いきなり告白されて、いきなり泣かれたあたしの立場にもなってほしい。あたしが悪いのか?と思ってしまうこともあるだろう。でも、今なら彼女たちの気持ちがわかる。好きだって伝えたい…伝えなければ胸がはりさけてしまいそう…あたしがこんなこと言うだなんて知ったらみんなに笑われてしまいそうだけど、好きだって気持ちを知った今は心の底からそう思えるんだ…
でも、料理一つ作れないあたしがチョコレートなんて作れるとは思えない。自分一人でやろうとも思ったけど、家庭科の時間に小麦粉と卵と砂糖で毒物を作りあげてしまったあたしには到底できるとは思えない。クラスや部活のやつにもこんなこと恥ずかしくて頼めない。だから、あたしは、いろいろと恥ずかしい気持ちを我慢して(一週間前から言おうと思ってたけど一度も言えなかったし風呂やベッドの中でシミュレーションしてもいつも顔が真っ赤になって最後まで言えなかった)、幼馴染みのゆきに、清水の舞台どころかランドマークタワーから飛び降りる思いで、頼んだ。ゆきは料理が上手だし、それにゆきならあたしがチョコを作ると言っても、驚きこそすれ馬鹿にしたりなんて絶対にしないからだ。絶対に。ゆきはそういうやつだから。