はてなキーワード: 添乗員とは
2月の上旬に北海道旅行に行った。一泊二日で道内の絶景スポットを、観光バスに乗ってあちこち巡るやつ。土・日で行ったので休みはもらっていない。よって大々的に「北海道に行った」ということを話すでもなく、お土産を配ることもしなかった。
既にコロナウイルス問題は世間に浸透しており、添乗員やバスガイドもマスクをしていた。私もマスクをして行ったけど、バスの中とかものを食べるときとか外してしまうことはしょっちゅうで、気休め以外の何者でもなかった。
一番まずかったのは宿で、中国の団体客と食事も風呂も一緒だった。夕食も朝食もバイキング形式で、日本人も中国人もごっちゃになって料理を取りに行き、席で食べながらくっちゃべっていた。いくらバスの中で気をつけていたって、飲み食いの場でマスクをすることもできず、往復の道のりでいくら添乗員やバスガイドが気を遣ったところで宿がこれではどうにもならない。その中国人団体客がかの国のどこから来たかは知らないけど、かなりリスキーな状況には違いなかったと思う。
その後、何事もなかったかのように出勤して約三週間、特に体調を崩すこともなく普通に働いていたが、花粉症なのでどうしてもくしゃみと鼻水は出る。そしてたまに咳も出る。自分も周りもマスクをしていることが多いし、症状的にコロナ菌による肺炎ではなく、単なる花粉症である可能性大。
が、あまりにも世間がうるさいのでもっと咳が出るようになったら職場に迷惑をかけないように休んだ方が良いのかな。ちなみに私の仕事が一番忙しいのは3月と4月である。休み続けたら仕事のメールがたまりまくり、文房具とかを私に手配して欲しい人々は怒り狂うであろう。
大手を振って休んでいいなら大型休暇を取らせてもらうが、近所のスーパーやコンビニには営業していて欲しいし、ずっと家にいると退屈だろうから多少はエンタメの施設などにも行きたいところだ。結局周りの店舗などにも私と似たような状況の人がいるかも知れないので、彼らが働き続けるなら私が休んでもさほど意味がない気がする。
感染していても無症状ということもあるようだけど、どうせ治療法が確立していないなら大騒ぎして検査を受けて白黒付けても意味がないと思う。一番忙しい時期に大手を振って休めるなら休みたいが、結局誰も代わりに私の仕事をやってくれる訳ではないので、後で山積みの仕事を前に泣きながら片付けるしかない。あ~、明日になって咳が悪化してたらどうしようか。
どんなレベルを目指しているかで全然違うと思う。海外旅行で何とか無事に行って帰って来られればいいのか、それともビジネスとかでこみ入った内容まで話せないといけないのか。
海外旅行だったらとにかく中学レベルの英語を思い出せばいい。特に非英語圏の有名観光地だとお互いブロークンイングリッシュで案外何とかなる。ヨーロッパ圏の観光施設とか土産物屋なんか特に親切。心配だったらガイドブックに書いてあるような定番のやり取りを覚えて行けば良いと思う。
ビジネス英会話だったらお金を払って勉強した方がいいと思うけど、始める前にビビり過ぎだと思う。正確かどうかよりも通じるかどうかが大事。旅行会社の添乗員でも結構カタカナ英語みたいなしゃべり方してるよ。
ネイティブ並みの発音ってそんなに必要かな。自分は高校生のときとか「発音が上手い」と言われていたけど、そんなにそれで得した記憶はない。
こないだ海外旅行に行ったけど、英語圏でない有名観光地だったせいか、ブロークンイングリッシュで十分通じたし、添乗員も意外とカタカナ英語的なしゃべり方をしていた。
ただ単に汎用的な言語として英語が用いられているだけで、ビジネスとか複雑な話でなければそんなに難しく考える必要はないのではないかと思った。ただ旅するなら中学生レベルの英語で結構通用するんじゃないかと…。(面倒なトラブルに遭遇した場合を除く。)
流暢にしゃべることよりあの添乗員のように業務に必要なことを聞き取ったり自分のやりたいことを伝えられるようになりたいと思った。
日本人の無意識に抱えている、ネイティブスピーカーへのあこがれは
ときには、動機付けになるが、多方、語学学習の阻害要因にもなりうる。
とくに、ネイティブ並みのコミュニケーション能力を目指す考え方は
恥ずかしい発音をしたくない、文法含め、間違ったことをいって恥をかきたくない、という心理が
どれだけ機会損失につながっているか、実践訓練を妨げているかわからない。
特に日本人同士では顕著だ。日本人同士で「あのさ、お前何言ってんの?」とは絶対に思われたくない心理。
なので、例えば、自分よりも会話能力が上回っていると感じた日本人とは自然と会話自体を控えるようになってしまう。
一方、留学したり海外旅行では、日本人の視線を感じないことも多いため、堂々と間違えることができる。
留学時、なるべく、日本人と接しないようにした、と告白する人が語学を身に着けていくのはそれなりの理由がある。
最近、フィリピン留学などが流行しているようだが、これは、非ネイティブという利点を有効に活用できてよいと思う。
ネイティブ並みを目指しているひとにとって、未熟な言葉をネイティブと会話するよりも恥ずかしさは少ないはずだ。
そのうちに、経験や機会を阻害していた自分自身のネイティブ並みへのこだわりも消えていくかもしれない。
忍者ハットリくんやマンガ道などで知られる藤子不二雄A。そのなかに「添乗さん」という作品がある。
これは1970年代、高度成長期を上り詰め、一般の日本人が海外ツアー旅行に行き始めた時代を背景に
添乗員の悲哀を通じて、人々の海外旅行観をコミカルに映しとったた名作だ。
この作品は、個人的には同氏の最高傑作のひとつだと思っている。
見開き2ページで構成された、この小噺集のなかに、とあるエピソードで
ネイティブ英語を鍛えてきたと自負するおっさんがハワイ行の機内でドリンクを注文する場面が登場する。
添乗員に対して「キミィ。英語のわかるスチュワーデスを呼んできてくれたまえ」といって、やってきたのは
しかし「スカッチャンドワーラー、プリーズ」と話しかけるものの、
見かねた添乗員さんが、スコッチを欲しいと言っています、とコソっと耳打ちすると
「オー、スコッチ・アンド・ウォーター!オーケー」といって、おっさん語をようやく理解できてスッキリした表情。
その他のエピソードでも藤子不二雄Aの観察眼はいろいろと鋭い。
当時は、「百万人の英語」のハイディ矢野などを通じて、リエゾンの重要性を洗脳されていた時代である。
試しにネイティブの発音をマネしてかっこつけて話そうとすると、通じないことが多かった。
恐らく、ニューヨーカーの発音、南部なまり、西海岸の英語、オセアニア系、ブリティッシュ英語、これらをジョークとして使い分けられる程度の能力があれば
相手に応じて、発音のコントロールができて、通じるようになるような気がしている。
えてして、ネイティブの多様性を理解できず、山形弁をマネしようとして失敗しちゃってる奴が大阪で話をしているようなものである。
しかし、それはあたかも大阪弁と山形弁を使い分ける変なガイジンなんであって、何を目指しているのか、という自問自答になるだろう。
夏休みの旅行に向けていろいろ準備をしている。大手旅行会社の添乗員付きツアーなので、そんなに心配することはないはずなんだけど、なぜか「○○を忘れたらどうしよう」とかその他もろもろ下らないことが心配になり、あれもこれもと無駄な買い物をしている。
添乗員が電話をかけてきて、小学生の修学旅行でもここまで言わないんじゃないかと思うレベルの細かい注意事項や持ち物について説明してくれた。
自分の語学力はカタコト英語レベルだし、ろくに言葉の通じない国でいろいろなトラブルに対応する自信もないので、少々旅行代金が高くても、こういうツアーに頼るしかない。
でも知り合いの若者たちが、私よりずっと安月給のはずなのにいろいろ手段を探してしょっちゅうあちこちの国に出かけて行くのを見るとまぶしいと思う。しかも彼らの旅先といったら、一般的な観光地はあまりなくて、「え?そんな国に行って治安とか大丈夫なの」と心配になるような国多数。
多少迷おうがトラブルに遭おうがそれも旅の醍醐味なんだろうけど、歳とともにリスクを恐れる気持ちばかりが強くなってしまった。自分が行くプロに守られた旅は本物じゃないような気もするけど、もはや若者たちのような勇気というか無鉄砲さはない。
表面的な物見遊山になりそうだけど、それはそれで楽しんでこようと思う。
バスツアーで観光地に向かっている。目的地に着くのはまだまだ先で、都内から出るにも渋滞でまだ時間がかかりそう。
それ自体は連休だし仕方ないんだが、バスツアーの老舗Hバスは見所がない場所でも何かしらガイドがしゃべり続ける。みんな知ってるどうでも情報をしゃべるぐらいなら静かにしていて欲しい。集合時間が朝早くて眠いんだよ。
最近は添乗員付きのツアーでも観光スポットに着くちょっと前に豆知識を教えてくれるぐらいで、後は静かに休ませてくれるものが多いのでイラっとする。
サービスのつもりでしゃべってるんだとは思うが迷惑だ。帰りのバスでしゃべり続けたらうるさいので殺したい。ま、実際は爆睡してガイドのおしゃべりなんて無視するだろうけど。
一理あるとは思うけど、旅上手な人は「言葉なんてできなくても何とかなる」って言うよね。現地語で「こんにちは」「ありがとう」ぐらいは覚えて行くとか、向こうでタブーとされている行動はしないように気をつけるぐらいは必要だと思うけど、全部をマスターしようとしたらいつまでたっても海外なんて行けない。
どうしてもそういうのが許せないなら、添乗員のいるツアーで食事もついてるのを利用する(ヘマとか失礼なことをするリスクが減る)とか、ハワイや台湾みたいに日本人観光客の相手をするのに慣れてる国に行くしかないんじゃない?
私は語学力やトラブル対応能力に自信がないので、添乗員やガイドさんのいるツアーを利用することが多いけど、だからといって「語学力がなくて相手国のことを知らない人間は海外に行くな」というのは極端だと思う。
自分は就職するのだな、というのが決定的になったのは、大学三年の正月に帰省したときだった。そのとき姉は子どもを身ごもっていて、結婚式の準備を進めている時期だったと思う。両親の住む実家はいつになく浮き足だっていて、居間に鎮座した年代物のコンポが機嫌のよい音楽を流しているのを何年ぶりかに聴いたりした。この雰囲気だったら言っても大丈夫だろうかと思った。家に着いたその晩、おそらく姉の結婚式やお腹のなかの子どものことをしばらく話したと思う、そのあとに切り出した。あのさ、大学院に行きたいっちゃけど。
予想外に、部屋の空気が一瞬で凍りついたのを覚えている。両親は言葉を発さず、コンポから流れる陽気な音楽(荒井由実のセカンドアルバムの六曲目、あなただけのもの、)がいっきに、なにか強烈な、皮肉めいた疎外感のようなものを演出する異物となって浮き上がった感触があった。しばらくして、母が重々しく口を開いた、なん言いようね、そげんお金なかよ。大学院てなんね。行ってなんすると。もとより自分も、大学院で何か研究したいことがあるわけじゃなかった、研究というのが何をすることなのかもよく分かっていなかった。ただサークルや何やで接する先輩たち、自分より二年間長く学生でいられる、その二年間は就職せずにいられるひとらのことがうらやましかった。その程度の動機だったから、突如として部屋に現れた重苦しい空気を前にして、うっかり声に出した気持ちは途端に冷え切り、しぼんでいった。なんでんなか、分かった。話を逸らすような話題もなく、アルバムが次の曲に行ってしまうまえに居間を出て階段を上がった。あのコンポが音楽を流しているのを聴いたのはそれが最後だったと思う。
*
就活ではいろいろな街へ行った。下宿していた福岡から、十分な交通費が支給されるときは新幹線や飛行機(LCCはまだなかったから、スカイマーク)で行き、そうでないときは夜行バスで行った。その土地の知人に当てがあれば泊まらせてもらうときもあり、ネットカフェに泊まるときもあった。神戸の三宮とか東京の蒲田とか、そのころネカフェに泊まったっきり訪れていない街がいくつかある。
就活にかかる交通費は多くの同級生にとって悩みの種だったと思う。専攻柄、東京に一極集中したメディアや広告、出版関係の企業を受けるひとが多かったせいもあったか、とにかくいかに交通費で破産せず就活を乗り切るかはひとつの重要なテーマとして共有されていた記憶がある。自分もそんなに多くの交通費を出せる状況ではなかったので、受ける企業の数をかなり絞っていた。当時の就活サイトが提唱する標準的なエントリー数は二十社くらいだったけれど、自分は十社も受けなかった。それでも度重なる関西や関東への移動はそれなりに負担で、特に東京の会社で選考が進むたびに片道半日以上かかる夜行バスを往復するのは楽ではなかった。
夜行バスが発着するのはたいてい新宿の西口だった。あるとき、行きのバスに乗っていた添乗員さんと、帰りのバスでも鉢合わせたことがあり、乗り込みざまそのひとが、就活ですか、がんばってね、と声をかけてくれた。あのひとはたぶん、その数日間だけじゃなくてずっと、何十往復も、あの片道半日はかかる夜行バスに乗りつづけていたのだと思う、いまも乗りつづけているかもしれない。西新宿のビル街を歩くと時々そのことを思い出す。
支給される交通費で収入を得るモデルを立てていたひともいた。関東の実家や知人のところに滞在しながら、東京の会社をたくさん受け、それぞれの会社に対して福岡〜東京間の交通費を申請して利益を得る手法だったと記憶している。あるいは近場であれば、実際には18きっぷで移動しながら新幹線のぶんの交通費を出してもらう方法もあったらしい。これは静岡の会社に大阪から来ていた子が教えてくれた。会社でいっしょに最終面接を受けたあと、内々定をほのめかす説明会から帰るバスの中でのことだった。その子はすでに他社からも内々定を得ていて、ほんとうはそちらに就職するつもりだと言っていた。第一次安倍政権のときで、少なくとも経済政策はうまくいっていて売り手市場だったから、そのように交通費収入を得る目的で、実際には就職する気がない企業の内々定までを得る学生はその子だけではなかったと思う。二年後にはリーマンショックが起こって、ふたたび新卒市場は氷河期を迎えた(らしい)。もし自分が大学院に進み、二年後に就活をしていたら、たぶん学部のとき受かったところには受かっていなかっただろう。
職を得るためにスーツを着ることは苦ではなかった。それは公立の小学校から高校までをずっと制服で通わなければならなかったのと同じ程度の義務だと思っていた。大卒でそれをしなくてよい人生がどういう仕組みで成り立っているのか、そのころさっぱり想像がつかなかったし、いまでもその仕組みを十全に理解しているとはいいがたい。いずれにせよ、そうしたものは自分には関係のない、自分に与えられた生の可動域からは逸脱するものだと思っていた。もちろん、自分を取り繕って面接官に良い顔をすることとか、所与の経歴と志望動機を矛盾なく有効に繋げる作業を会社ごとに行うこと、そうした虚飾じみた行為への疲れはあった。リクナビやみん就のサイトを見るのも好きではなかった。けれど仕方のないことだと思っていた。ほかに生きられる道があるとも思えなかった、だからメンタツも読んだ、SPIも受けた、そうこうしているうち、他人に自分を矛盾なく説明するために用意したぎりぎり嘘でない物語の数々は、徐々に内面を染めかえ、自分のなかに元々あったそれらと区別がつかなくなっていった。照明がおとされた夜行バスの車中で、自分は眠れずによく手を組んで、いろいろな願いごとをしていたけれど、どうか今度の面接が通りますように、内定が取れますように、そういうこともふつうに願った。
*
先日、はじめて海外旅行に行った。羽田から仁川経由でニューヨークへ向かう機内の十数時間を体験しながら、ああ、これは博多から東京まで夜行バスでかかったのと同じくらいだなと思った。
夜行バスに乗っていたときの自分にとって、海外旅行も宇宙旅行も似たようなものだった。どうせ行けないのだから費用や行きかたなんて調べても意味のない、視界に入れたってしょうがないもの。行けるわけのない外国の遠さよりも、見慣れた田んぼ、そこにある変わらない暮らし、そういったものに思いを馳せるようになるのは、そのときの自分にはごく自然な成り行きだったと思う。だから新宿の街も好きではなかった。東口のネットカフェに泊まったり朝から歌舞伎町の銭湯に入ったりする小旅行を、楽しんではいたけれど、駅の通路に浮浪者の排泄物のにおいが漂っていたのを強烈に覚えてもいた。長く住むところではないと思った、その都市に、けっきょくいまは福岡に下宿していたのよりもずっと長いこと住んでいる。
去年はじめて実際に調べた、二月のヨーロッパやアメリカへ渡る往復航空券の値段は、盆や正月のラッシュのなかを新幹線で実家に戻るのと大差がなかった。どうせ行けるわけがない、他に選べる道もない、と見過ごしてきたものごとの数を考えた。けれど、そのときはたしかに、それが自分の視界に映るもののすべてだった。その視界が十分に広くなかったとして、いまを測るための物差しとしては省みることかもしれない、けれど責められるものではない。いまとむかしの自分は違う、同じものでない、そのことは互いの存在を妨げない。一応は自分のお金で大学院を出て一年が過ぎ、将来の自分から先借りしているお金を返しはじめて半年が過ぎたいまはそう思っている。
息子がもうすぐ5歳。
私は母親で、毎日一緒に寝ている。寝るときに歌を唄ってくれとせがむので、童謡からアンパンマンやらドラえもんやら頑張って唄っていたのだが、歌詞も覚えてないし1曲1曲が長くて面倒くさい。そこで、息子のフルネームを適当にメロディーラインをつけて8小節の歌に仕立て、適当に唄ってやった。息子はこの歌をすっかり気に入って、毎日毎日歌ってくれとせがみ、そのうち息子も覚えて、自ら唄うようになった。保育園でも盛大に唄った挙句、周りの友達がみんな歌を覚えてしまい(メロディーは簡単だし、歌詞は名前を繰り返すだけだからね)、保育園の先生も面白がってピアノの伴奏をつけてくれたという。
先日、保育園の遠足があり、バスの中で何か歌を唄おうということになり、息子のクラス20人と、年長クラス20人総勢40人が、息子の歌を唄いたいとリクエストしたそうな。バスの中で息子の名前を繰り返すだけの歌が鳴り響き、バスの運転手さんと添乗員さんが爆笑していたと園長先生から聞かされた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.moving-to-phuket.asia/entry/2017/03/26/151222
けして大きな国ではないので、国名を書いてしまうと素性がバレる危険性があるので、こちらでちょっと気になったことを。
2-3人でも催行されるパッケージツアー(基本、添乗員なし。現地ガイドがある程度つく)の場合は、個人旅行と一緒なので、直前(前日とかチェックイン開始時刻から24時間前とか)のキャンセルの場合、ホテルはキャンセルチャージとならないところがほとんどです。ただし、何か大きなイベントや旧正月(チャイニーズニューイヤー)、クリスマスや年末年始のように、極端に旅行客が増える時期はのぞきますが。
一方でグループツアーのような添乗員がついて、最少催行人数も8人からとか10人からとかなっているようなツアーの場合は、もっと早い時期に部屋数の確定をしなければならないため、例えば30日前からチャージがかかるようになります。ただこの場合でも確保している部屋数と減らす部屋数によってはチャージなしで変更できたりもします。
また、支払いについても国やランドオペレータの規模にもよるのかもしれませんが、ツアーだから全部前払いということはありません。よほどのことがなければ前払い金を入れたりすることはなく、月ごとにホテルが請求書を発行、月末に支払いというような流れになります。
通常わざわざランドオペレータに依頼が来るということは、ホテルだけでなく現地のガイドや移動用のバスなども少人数・グループにかかわらず手配を行っていることが多いと思うので、これらのキャンセルの必要が出てきます。バスなどは通して予約しているので、キャンセルしても全額チャージとなることも十分考えられますが、場合によってはまけてくれる場合もあります。ガイドも同じです。
あとは現地の観光やレストランなどですが、これも大きなグループや本当に直近の場合はキャンセル料を取られる場合がありますが、例えば7日間のツアーのツアーの後半については全部キャンセル料なしとなる場合もありえます。
なので、当日50%のキャンセル料というのが、すべてにおいて無理ということはないと思います。
これは私のいる国の話なので、すべての国でこうというわけではないと思います(私はこの国のランドオペレータのことしかわからないので)
また、国内線の手配をたまにすることがありますが、国際線は日本側で手配するため、国際線の航空券がらみの支払い条件等はわかりません。
こういうことがあるとパッケージツアーって...となるかもしれませんが、現地のランドオペレータと契約があったり、現地に支店があるような会社なら、もしホテルや観光で何かトラブルがあった場合、現地対応が可能になります。もちろん自分で何でもできる!という自身があれば問題ありませんし、トラブルも旅の楽しみのひとつくらいの気持ちになれる人ならいいですが、やはり自信がないという方はは個人旅行向けのパッケージツアーを利用するのは、けして無駄ではないと思います。
ただ、全体の傾向として、昔のような団体でのパッケージ旅行(大人数で移動して添乗員さんがつくようなタイプ)は、今後は減っていくのではないかという気はしています。
まとまらなくなりましたが、なんとなく気になったことでした。
平凡な事件なら頻繁に報道されているからいちいち毎回関心持たれないのは当たり前
でも元増田のは「ネットで出会った6人が共謀して起こした」「被害者が168人と非常に多い」と割とインパクトある
男性保育士の件が炎上したばかりとタイムリーでもある(これは保育士ではないが、小学生教諭&子供キャンプ添乗員という
児童を世話する職業の人間が起こした事件と言う意味では同じカテゴリだろう)
その割に50user以下は少ないと思える
(しかも加害者の苗字が珍しいというどうでもいい所に反応している人も多く、平凡な苗字ならもっと少なくなっていたと思われる)
教え子強姦46件、元小学校教諭に懲役30年 広島地裁 - 社会
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/national/update/0914/OSK200909140051.html
目立つ事もなく、悪い事もしない、だが、個性もない無色透明人間と言うべきはないだろうか。
自分から前に出る事もなく、自分の意思、意見をハッキリと述べることもしない。
問題が起きれば、なるべく自分が手を出さなくて済むように、おおごとにならないように祈り、他の人の影に隠れるように、目立たぬように生きる。そんな感じでは無かろうか。
「出ない杭」とも言えよう。
グループで昼食を取るなら「あっ、僕もそれでいいです」。コーラとウーロン茶どちらを飲むか聞かれたら「どちらでも」。教師に提示された宿題を粛々とこなし、リーダーに提示された仕事を粛々とこなし、家族に言われた事を粛々とこなす。
創造がないのだ。想像がないのだ。渡された教科書とマニュアルが全てなのではないか。自分で「世界」という図書館に飛び込み、探し、悩み、仲間と議論し、何度も模索を繰り返し、書いては破りを繰り返しながらレポートを書き上げるのではなく、既に世にでまわっているレポートをつなぎ合わせて提出する。いや、つなぎ合わせるだけでも偉いのではないか。まるまるコピペして終わり。まるで単語の暗記テストをこなすだけのようなものではないか。
迎合でもない。迎合なら、進む道を自分が選ぶこと位はしているだろう。
ただただ、生まれた時に乗せられた船から降りる事をせず、その船の客人で居続けるだけ。船の行き先に意見をするでなく、行き先について尋ねる事もしない。舵取りや船の維持について積極的に関わろうと前に出ることもない。船でイベントがあれば顔をだすが、かといってイベントを積極的に楽しむ工夫をするわけでもない。ただただ、船に乗って船窓から風景を見続けるだけなのだろう。そして、ある日客室の中で死んでいるのを船員に発見されるのだろう。
人生という旅を、全行程三食付き&オプション無しのパックツアー客のように、添乗員の旗を目印にとぼとぼついて回るだけか。
平凡な人生は悪くない。だが、人生という道を、好奇心や探究心、情動や願いなどによって多彩なものにしていく努力をしないのではと思う。
人生においては、腹を割って話さなければならない時があり、往々にしてけんか腰になることもある。それすら避けてしまい、もやもやとしつつも「もめたくないのでそれでいい」と思っているのではないか。
真面目ではない。ただの、毒にも薬ににもならなぬ「のっぺらぼう」に過ぎぬ。「受け身君」とでもしておけば良いのではないか。
自動車って言葉に既に「自動」という言葉が入ってるからどういう呼び方が定着するのだろうか。
近年googleを始め日本国内の自動車メーカーも自動運転車の開発をしてるということもあり、ニュースなどで耳にすることが多くなってきた。
まだまだ技術や法の問題があるだろうが、10年後くらいには一般化してそうだ。
そこでどういうことが起きるのか素人なりに自分視点で考えてみた
会社の経費で落ちるときは乗るが、よっぽどのことが無い限り私生活で乗ることがないタクシー。
しんどいときとか結構呑んじゃったときに使うくらいだがあんまり呼ばないのは他の交通手段に比べて高いからであって、安ければバンバン呼ぶだろう。
そこで人件費がかからない自動運転車に成り代わって安い無人タクシーが普及するんではないかと思う。
今でもあるサービスだが、スマホのアプリで現在地に呼び出すとか、主要施設などには専用の搭乗口とかが設けられて近くにいる無人タクシーがすぐ来てくれるように。
車内は運転席が要らない分広めで、タブレット端末か何かで目的地を入力するんだろう。降りるときは自動支払機に電子マネーやらクレジットやらで払って降りる。
運転手との煩わしいやりとりもなし。車体はEV(電気自動車)でバッテリー残量が少なくなると自動で充電スタンドへ行き補充。
メンテとオペレーションのスタッフは必要だが、24時間どこへでも呼び出せるサービスになる。
今都内だと初乗り2kmで640円だけど300円くらいになってくれたら嬉しい。
町中を走る乗り合いバスは現時点でも安いから無人化にするメリットがないと思うので長距離バス。
タクシーの場合もそうだが道路に自動運転車専用レーンが出来ると思う。高速も然り。
配送センター間の自動運転。隊列組んで1人で数台をコントロールする実験に成功というのもあったし確実に運ちゃんは減りそう。
センターから各送り先への宅配は自動化が難しそうだからそこからは相変わらず人力だろう。
運転免許取るやつ=車好きって感じになって。
書いた奴=依頼企業の思う壺だぞ。
前も旅行業界は華やかで楽しいなあんて書かれたら翌年の人気企業ランキングにJTBが堂々一位だったことがある。今は違うけど。
華やかなのは表向きで、というか華やかなのは添乗員だけで大方は販売営業職について客を騙してクソ物件を売り付けるアコギな商売の片棒を担ぐだけ。
さらに激務薄給の代名詞ですらある旅行業界に、以前「穴場業界」と紹介されてホイホイ就いて離職して行った新入社員は数知れず。
また、サブプライムローンやリーマンショックで実態がバレるまでは不動産や証券会社が花形だと言われていたが今はどうだ?野村証券なんて今ではブラック企業殿堂入りを果してる。
この間の震災で東京電力を含む電力会社の信用がガタ落ちしたが震災以前はこれまた超優良企業に挙げられ、大学生に大人気だっただろ。
こんなに「穴場」という言葉に騙されてもなお、甘い業界があると本気で信じてる諸君。現実は甘くない。
今、「穴場職業」というと学校事務をよく目にするが、全然楽じゃない。公務員もびっくりのサビ残&成果主義、パワハラが日常的に行われている。それに、悪い意味で染まる。
確かに福利厚生が良いのでそこだけ目を瞑れば優良物件かもしれない。
ただ、同じ条件ならIT業界の独立系SIer(非客先常駐型)の方がまだいい。知識と経験を積むことができるし、それを土台に転職や起業への道が開かれている。
だからとは言わないが、安易に「穴場」だからという理由で就職するのは危険だよ。
まず、何故「穴場」なのか疑え。業界の人は全員知っている。そこは「穴場」なんかじゃない事を。