はてなキーワード: 淫売とは
ネクタイって元々防寒具なんですよ。
おかしくないですかドンキーコング。裸にネクタイですよ。短パン小僧がマフラーしてるようなもんですよ。
じゃああのネクタイはなんだっていったら恥部を隠すためのものなんですよ。
よくみたら股間まで届いてないんですけど、そこじゃないんです。へそを隠しているんです。
更にいうとドンキーコングは前科一犯です。女性を誘拐して配管工に現行犯逮捕された経歴があります。
めちゃくちゃ性欲が強いんですね。こうなるともう彼が防寒具に腹巻きでなくネクタイを採用したのがなぜか明らかですよね。
チラチラといやらしいヘソを見せて楽しんでいるんです。
だから、スマブラでもマリカでもドンキーを使うなら自分がそういう淫売ゴリラの肩を持ってるということを忘れないでくださいね。
それは私の中の淫売の精神をあなたの中に見出した、見出そうとしたこと、それを押し付けようとしたこと。
それだけの理由であなたのことを好きになったわけではないが、私の中の淫売(性欲を向けられるならば誰でもよい、でも自分からは誘い出せないような気質を持った淫売)であり、その気質を正当化したかったという旨をお伝えしました。
あなたとあってからのこの数か月、、楽しく、有意義で幸せだったことは本当です。
あなたが、わたしの精神状態を思ってか、あなたが(おそらく)付き合っている人間がいるということを隠していたことも一種のやさしさであると思っています。
そんなこと考えるのバカだなって思うのですがわたしの精神状態だとそうしてくれていたほうがむしろありがたかったのです。
しかし、私のような人間ばかりではないことを知っているはずです。
そのやさしさはいつか誰かを殺し、自分さえも殺すということを知っててください。人間は時に何かを切り捨てることも必要です。
それを私からさせたあなたは非常に残酷な人間だなとも思いました。
また、そうして生きてきたことを思い出させてくれました。
どうぞ、誰かに殺されないように、自分を守って生きてください。私は殺したりしません。それでも、だれかに殺されうる可能性はあるのです。
あなたの指が好きでした、と書き忘れました。
今度は、私は切り捨てたのではないというのを知っておいてくださいね。
また、友人としてコーヒー飲みに行ける日があることがありますように。
古城行きましょう。おいしいですよ。
(追記)ウザがらされない→ウザがらせられない ですね。日本語が不自由になってました。恥ずかしい。
後、importuner と Un porc, tu nais がどちらもアンポルチュネで発音同じことに言われて気づきました。これも恥ずかしい。
そして、さらに恥ずかしいことに、最後の段落抜けてました。大急ぎで追加しました。
_______________
ちょっとフランス語を翻訳してみたくなったので、最近の増田の流れで、一つ記事を訳してみました。
Leïla Slimani (レイラ・スリマニ)というモロッコ出身のフランス人女性作家の Liberation のサイトに昨日掲載された«Un porc, tu nais ?» (「あなたは、豚として生まれたの?」)という記事です。
なんで、これを訳したかというと、先の「ウザがらせる自由」が、何やらフランスを代表するもの、英米系からのmetooブームに対する、大陸系からの批判みたいな取られ方をしている向きがあったからです。全然そんなことありません。twitter を見る限り、あの記事叩かれまくっています。
現在も、テレビの討論番組で、Brigitte Lahaie という元ポルノ女優(あの記事の署名者の一人です)が「レイプの最中だって、楽しめるわ」と発言した件で、絶賛大炎上中です。(この発言が、あの記事の後半部につながっているのは明らかでしょう)。
フランスでは #metoo に加えて #balancetonporc というタグは使用されていて、意味は「あなたの豚野郎を叩き出せ!」です。ものすごく攻撃的ですね。Le Monde 誌の記事はそんな流れの中でのカウンターとして出されたもので、まぁ、要するに両者ヒートアップしてるってことです。
「あなたは、豚として生まれたの?」は明確に「ウザがらせる自由」に対する反論として書かれています。いくつかの言い回しが、あの記事から来ているので、増田での訳語にその辺はあわせました。この記事の文脈では「ウザがらせる」は生ぬるい気もしますが。
--------
(追記)ブコメで指摘がありましたが、あちらの翻訳は「ウザがられる自由」でしたね。完全に見間違いをしていました。
でも、これはしょうがないところがあって、原語 importuner は他動詞の能動形以外のなにものでもないので、まさか受動形で訳しているなんて思わなかったのです。
「ウザがらせる」が正しいです。
「不器用・勘違いから来る過失のニュアンス」は日本語訳から生まれたものであって、原文にはそうした解釈の余地はありません。
--------
小説家による平明に書かれた文章なので、致命的な誤訳はないと思いますが、気づいた点があれば、じゃんじゃん指摘しちゃって下さい。
_______________________________________
通りを歩く。夕方、地下鉄に乗る。ミニスカート、胸の広く開いたシャツとハイヒールをはく。ステージの真ん中で一人で踊る。派手めの化粧をする。ほろ酔いでタクシーに乗る。半裸で草むらで伸びをする。ヒッチハイクする。深夜バスに乗る。一人旅をする。テラスで一人グラスを飲む。ひと気のない道を走る。ベンチで待つ。男を誘い、意見を交わし、歩き続ける。イル=ド=フランスの人込みに紛れる。夜勤する。公共の場で子どもに乳をあげる。賃上げを要求する。
こうした、日常的で平凡な生活において、私はウザがらせられない権利を、そんなことにかかずらわされない権利を要求します。 私は、私の態度、私の服装、私の歩き方、私のお尻の形、私の胸の大きさについて、とやかく言われない自由を要求します。私は、私の平穏と孤独の権利を、恐れることなく前に進んでいく権利を要求します。私はただ、内的な自由だけを求めているのではありません。私は、外での、広々とした場所での、私もまたその片隅を占めている世界においての自由を求めているのです。
私はちっぽけな壊れやすい品物ではありません。私は守られることを求めているのではなくて、安全と尊重についての私の権利を認めるよう求めているのです。そして男性たちは、皆が皆、豚であるわけではありません。そんなことは全くありません。この数週間、どれほどの男性たちが、彼らの能力でもって、今起こっていることを理解し、私を魅了し、驚かせ、大喜びさせたことでしょう。どれほどの男性たちが、もう加担することをやめ、世界を変え、これらの行為から、彼ら自身をもまた解放しようとする意志を示してくれることで、私を驚嘆させたことでしょう。
というのも、例のいわゆるウザがらせる自由は、その奥底に、男性性についての極めて決定論的な見方を隠しているからです。すなわち、「あなたは豚として生まれたのだ」と。
私の周りの男性たちは、私を侮辱するものたちに対して、怒り、抗議してくれます。朝8時に、私のコートに射精した誰かに。私の出世に何が必要か理解させようとした上司に。研修の対価にフェラチオを求めた教師に。「キスしないか?」と尋ね、「淫売」扱いして去った通行人に。
私の知っている男性たちは、この男らしさについての反動的な見方に、うんざりしています。私の息子は、そう私は希望するのですが、きっと一人の自由な男になるでしょう。その自由とは、ウザがらせる自由ではありません。制御できない衝動にとりつかれた捕食者としてではなく自分を定義する自由です。私たちを魅了した男たちが持っているようなたくさんの素晴らしい仕方で、魅了することのできる一人の男に、息子はなるでしょう。
私は一人の犠牲者ではありません。しかし何百万もの女性たちはそうです。これは事実なのであって、道徳的判断やそうした女性たちを(犠牲者として)本質化するものではありません。
そして、世界中の何千もの街の通りを、うつむいて歩いている全ての被害者たち、付け回され、ストーカーされ、レイプされ、侮辱され、公共の場で場違いなものとして扱われている彼女たち、その恐怖が、私の中で瞬きます。うずくまり、恥じている彼女たちの、辱められたという理由で通りに投げ出され除け者になった彼女たち、彼女たちの体がウザがらせる行為を招くからという理由で、黒く長いベールに隠させられている女性たちの叫びが、私の中で響いています。
カイロ、ニューデリー、リマ、モースル、キンシャサ、カサブランカの通りで、歩いている女性たちは、失踪、誘拐そして(下心ありの)慇懃さを心配しているのではないでしょうか?彼女たちに、誘惑し、選び、ウザがらせる権利などあるでしょうか。
私は、いつか、娘が夜中に通りを、ミニスカートと胸の開いたシャツを着て歩き、一人で世界旅行をし、真夜中に何も恐れることなく、そんなことを考えることもなく、地下鉄に乗れることを望みます。その時、彼女が生きるその世界は、清教徒の世界ではないでしょう。私は確信しています、それはより正しい世界、そこでは愛と歓びに満ち、魅了し合う場だけが、より美しくより豊かである世界になるだろうと。それはまだ想像すらできないものだけれど。
http://www.liberation.fr/france/2018/01/12/un-porc-tu-nais_1621913
これは私の話だ。
たまたま「真夜中のカーボーイ」という映画を見ていて、劇中主人公の回想シーンでレイプ描写があった。断片的な映像で、余計に想像力を掻き立てられた。ムラムラして、とりあえずオナニーをしようと思った。レイプというイメージから、ふと大学の後輩が、ネット上で野次られていたことを思い出した。その中には酷く卑猥な野次もあり、見つけた時は衝撃とともに勃起した。知らない誰かが、身近な知り合いに欲情している事に興奮した。私は自分自身が、身近な存在に対して100%欲情することは出来ない。不特定多数の誰かがその人に欲情しているということ、それに対して興奮する人間である。なぜなら誰かはその人に対して100%欲情している、と妄想することができるからだ。100%性的な存在、性の巨人を作りあげ、その妄想の中でオナニーをした。この妄想の中で、私自身の立ち位置はない。性の巨人と後輩だけが登場人物である。そして、卑猥なイメージの中で私はいつのまにか後輩と同化していた。性の巨人の中に、私はいなかった。淫売と罵られ、公開レイプされる後輩が私であった。私はあくまで純情だ。その純情さを後輩に託し、下品な野次に傷つきながら興奮の絶頂に達した私は、ティッシュに出した。4月から無職だ。
占領下における兵士のレイプ問題への対策として慰安所を設けるという考え方。
レイプは軍規違反だが、(所属した隊の気風にもよるが)多発していた。
戦闘活動などで、危機にさらされる状態が続くと、人によっては性欲が高まるのだろう。
日本側も敗戦後、大陸に居た日本人はロシア兵から、 国内ではアメリカ兵から、
広範な規模でレイプ被害をうけている。
・身内に売れらた人間(当時の時代背景においてはめずらしくない)
・ブローカーに騙された者
・完全に占領下におかれた際に、兵士にみつくろわれ、ブローカーに引き渡された例
強制性を訴える者においても、親による児童売買、ブローカによる騙しがその大半。
完全に占領下におかれた地で、村の娘を連れて行くような行為はあった。
兵士が関与している例は、軍全体の規模ではなく、あくまで兵士個人の腐敗だったと言える。
悪質な業者の取締りは一部に留まり、このように、手段を問わず女をかき集めて成り立っていた
慰安所の実態は黙認されていた。
(袖の下を受け取って見逃す図式は 現代の性産業と警察の関係と一緒)
余談ですが、
性行為に不適切な生理前の小学生程度の子供を使っている慰安所を黙認し
(原発やくざがピンはねするように)当然、給与のピンはねもありました。
酷い事例だと12才で連れて行かれて昼夜を問わないレイプ下におかれた上に
ブローカーに中抜きされて、手元にお金は届いていなかったという例もあります。
そのように占領側としての立場を使って、幼女に性行為を働き、悪質なブローカーから
リベートを受け取って見逃してきた人間は糾弾されるべきでしょう。
占領下のレイプを防ぐために慰安所を半公認で許すというアイディアは間違ってないと思います。
ですが悪質なブローカーをコントロールできず、プロの大人の女性による淫売業だけにできず
結果として、“性奴隷=慰安所=日本軍”という最悪のイメージを流布することに
なってしまったのです。
その質を管理できないのであれば、慰安所を認可するべきではなかった。
管理面における政策的失敗なのです。(戦争中という危機下で手が回らなかったとも言えますが…)
韓国、中国の方々は、自国のブローカーが果たした役割を認識し、そのような経路で財を獲得した人間を、
徹底して糾弾すべきですし、ひいては現在の国内がかかえる人身売買の問題撲滅の契機とするべきです。
日本国内でも、<軍規にそむいたレイプ>や、幼女の慰安婦の黙認、袖の下をうけとり悪質業者を黙認した等
慰安所のうまみをなめた人間を裁いてほしいと思います。(もうほとんど死んでるでしょうが)
問題の所在をあいまいにしたまま、なあなあでごまかそうとしてきたために、
当時を知っており、責任の一端を担う人々がほとんど生き残っていないということが
もはや解決を限りなく不可能にしてきたのですね。
「売春婦に自発的になりたいと思う人間はいない。それは貧しさや女性差別を背景にしたもので本人の責任ではないのだから、元売春業の女も、占領下の村で兵士によってブローカーにひきわたされた幼ない少女も、平等な補償をうけるべきだ。」などという詭弁を弄してきたことだと思います。
出産や生理痛の痛みを、男は何にたとえて想像してみるか。そういう話を時々見かけるが、実は女同士でもこの痛みの差はある。多分、まったくケロッとしている人もいるし、文字通り動けなくなる人もいると思う。そして動けなくなる理由も様々だろう。元気だけど出血がすさまじいので結局家から出られないとか、気を失ったように横になっていないとだめだとか。
男の書いた鬱々悶々とした文章や小説を読むと、はあ、なにいってんだかなあ、と思う時がある。ライフハックネタに飛びつく男をみると、馬鹿だなあ、と思うときがある。
毎月死んでいる人間から言わせれば、男の頭の中だけで考えた諸々って本当にくだらないと思う。女に対する決めつけや怒りや嫉妬も全部程度がしれている。
パソコンの前にいる若い男は特にそうだ。女に向かって清潔か淫売の妄想だけふくらまして、どの次元の女に対しても悪態をついて喜んでいる。