はてなキーワード: 消失とは
「ガラスの仮面」はマヤと速水が長年両片思い状態でもだもだしている
雑誌掲載時の展開では、速水の部下がマヤを社務所に呼び出し、そしてそこに速水に行くよう勧める
そこでもうさっさとセックスでもしちまえよということだ
部下は「おやりなさいませ」と丁寧なのか下品なのかわからないことを言って読者に衝撃を与える
しかしこの展開、単行本だときれいさっぱり消えて全く別の展開になる
「おやりなさいませ」はボツ展開として闇の彼方に消え、もうその続きは見られない
ガラスの仮面は雑誌と単行本で展開が大きく変わるというのが末期ではしばしばあったが、「おやりなさいませ」の消失は特に惜しまれている
俺の答はこれ以外にありえない。
もし本当にある日異性が消えたら、私はまず「自分が眠っている可能性を考える」だろう。
ひとまずインターネットを立ち上げてみて、文字が読めればそこは現実だ。
そしてインターネットに並ぶ無数の異性消失情報を目にし、次に考えるのは「ドッキリの標的にされた可能性」だ。
ひとまずは悩んでますよというポーズをしながら目を瞑って作戦会議だ。
あとあと馬鹿にされないような形に気をつけて道化を演じつつ、ドッキリのコストに負荷をかけようとして、いつも行かないような駅にでも行こうと家を出る、直前で足を止める。
もしも本当に全ての異性が消失していたら、世界人口の半分が消えるという大パニックだ。
というか、インフラ施設の当直員や夜行バスの運転手が消えたとしたらどうなるのかを考え、引きこもることを決めるだろう。
もしかしたら我が家の周りも既にクリスタルナハトが始まっているかも知れない。
窓やドアの施錠を確認し、板をうちつけるまではいかずとも目張りぐらいはしておく。
家中の武器になりそうなものを足元に集めた状態でインターネットに再び潜る。
24時間ちょうど異性が消滅していたことが世界中で話題になるだろう。
偶然か、神の奇跡か、裁きの時か、きっと大きな混乱が巻き起こるはずだ。
その中にいるはずなのだ。
「世界が仮想現実であり、if sex=0 deleat time=1dのようなコードが入力されたに違いない」という仮説を元に検証を始める集団が。
私はそこに合流する。
何故なら神の存在を信じるよりも、その可能性を追求したほうが現実的に感じられるからだ。
確証バイアスによって集団幻覚で終わらせる者達、パニックのままに暴れ続ける暴徒、ここぞとばかりに勧誘を始める宗教家、様々な連中が出てくるだろうが無視する。
世界が仮想空間であり、リバースエンジニアリングによって我々人類にも神に等しいチートを手にする機会があるかも知れない。そのチャンスに私は合流するからだ。
答は出るのだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20240221133122
アメリカのドラマシリーズにもなった「フラッシュフォワード」というSF作品がある
CERNの実験により人々の意識が2分ほどの間、21年後(ドラマ版は6ヶ月後)の未来に飛ばされる
未来を垣間見ている間、<現在>の地球では人々は意識を失っており
自動車は衝突し、飛行機は墜落し、大混乱の中で多くの人が命を失った
突然消滅はしない、時間がわかっていて運転中など危険な状態は避けるものだとしよう
消失した男性たちは安全で快適な場所にいて確実に戻ってくる、それを女性たちも知っているとしてだ
たかが24時間だけれども、病院や交通機関、電力や水道などの維持はされなくてもいいのか?
みんな女たちだけなのだから公園へ両耳イヤポッズで繰り出してOK?
寝たきりの人も老人も赤ん坊も未熟児も病人も男がいない自由を楽しめばいい?
自分の仕事を倍(利用者半減するので倍にならないケースも多いだろうが)こなさなければならないとか
休日でも手伝いにでかけたほうがいいとか、入院している親族のもとに行かなければとか
そういう声がまるでない
堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi@Hidetoshi_H_
https://x.com/Hidetoshi_H_/status/1759862780914807009
このたび、Cloudflare, Inc.を債務者とする間接強制決定が発令されました。
従前、あるWebサイトの管理者について、同社に氏名、住所、電話番号および電子メールアドレスのを開示を求める発信者情報開示命令申立事件の決定が発令されました。しかし、同社は電話番号について、「保有していない」(None available)と回答しました。
そこで、執行裁判所である東京地裁 民事第21部に電話番号の開示を命じる間接強制を申し立てたところ、執行裁判所は同社に電話番号の開示を命じました。同社が電話番号を開示しない場合、1日につき10万円の債務が発生します。
また、この他にも、同社を相手方とする発信者情報開示命令申立事件の決定は複数件が既に発令されています。これらの発令から1ヶ月の不変期間が経過し次第、これらの決定を債務名義とする間接強制を執行裁判所に申し立てています。
もし発信者情報開示命令申立事件の決定が発令されたにもかかわらず、同社が発信者情報を開示しない場合、同社は次々に執行裁判所から高額の支払いを命じられることになる見込みです。
なお、プロバイダ責任制限法14条5項の規定によると、当事者が発信者情報開示命令の申立てについての決定の告知を受けた日から1ヶ月の不変期間内(同条1項の規定による)に異議の訴えを提起しなかったとき、この決定は確定判決と同一の効力を有します。
また、民事執行法35条2項の規定によると、確定判決についての異議の事由は、口頭弁論の終結後に生じたものに限ります。すると、この発信者情報開示命令申立事件の手続が終了したあとに同社が発信者情報を消失した事情が立証されない限り、たとえ同社が発信者情報を保有していないとしても、同社には発信者情報を開示する義務が存在します。
存在しない開示情報の命令は有効なので開示できない限り1日10万円の間接強制(キリッ
彼への被害は酷いし、学生が弁護士も立てずに本人訴訟で開示出したりは凄いし本訴も頑張ってくださいって感じではあるけどさ
自我を電脳空間にアップロードできたとして、なんか首にマトリックスみたいな線つっこんで、目をつむって、アップロードが完了するまで待ってたとしよう。
目を開けたらどうなる?椅子に座って首に線を突っ込まれたままPCのモニターを眺めているのか?モニターの向こうには「俺」がいて成功したとはしゃいでいる。
もしくはモニターの向こうから椅子にだらりと座ってぴくりとも動かない自分の身体を眺めているのだろうか。あるいは自分の身体は動いている。「俺」が絶望の表情でモニターを覗き込んでいるのをモニターの向こうから眺めるのだろうか
俺はシミュレーション仮説を宗教として信じていて、死んだら「上」の世界で目が覚めると思っている。「死」が唯一のログアウトの方法だと仮定している。
「上」の世界にもさらに上があるかと思われるが、じゃあどこが一番上なんだと言うと、不老不死が達成された社会が一番上になる。逆説的にこの世界で不老不死が達成されたらここが一番上ってことだ。だって不老不死実装したらログアウトできないじゃん。
逆に、上の世界では不老不死が達成されてしまっていて時間も有り余っているので、ワンプレイ80年の大して面白くもないゲームに没頭しているのだろうと考えると納得感がある
とはいえ、俺が想定しているのはゲームのように「上」の世界から干渉されているシミュレーション(つまりプレイヤーである「上」の世界の彼がこの世界に没入することで干渉している)を想定しているのであって、実は干渉してない箱庭のような鑑賞型シミュレーションである可能性もある。
そうだったとして、あまりそれを考慮する必要は感じない。この世界がシミュレーションではないオリジナルだろうと鑑賞型シミュレーションだろうと死んだら無だとしか思えない。もはやそれはどっちだっていい。なので宗教としては干渉型シミュレーションを信じている
「上」の世界の彼は人間の形をしているのかどうかも不明。ニンゲンとかいうキモカワ生物になれるシミュレーションゲームなのかもしれない。
不老不死の彼は暇にかまけて今まで散々色々なニンゲンの人生を歩んできたのだろう。大谷翔平みたいなのとか。もしくはもっと別のキモカワ生物とか。そういうのに飽きて一般的なニンゲンの俺の人生をプレイし始めた。
俺が死んだあと彼の記憶の中に一定期間は留まるだろう。とはいえ彼は大谷翔平のような人生ばかりを記憶して、きまぐれに遊んだ俺の人生なぞすぐに忘却するはずだ。その時が俺と言う存在が本当に消失する瞬間となるんだろう
【よくある話】
もうだいぶ昔の話。
小さい病院で働いていた時に自分より年上の人が「専門医取得のため」とその病院にやってきた。申請に必要な「論文が足りない」とのことだった。
他の科は指導医資格を複数お持ちで(ネットでの発信/配信も盛んにされているようなので特定回避のため書かない)それでは足りないのだろうかとも思うくらいだったが、そこは個人の価値観によるのですごいなあと最初は思っていた。
少し引っかかったのはマイナーな学会の資格や加入歴がとても多いことと職場を転々としていることだった。
結果的に半年で去って行ったのだが、昨今のいろいろな告発などを見かけて思うことがあったのでそれまでに起きたイベントを記録しておく(※自分の見聞によるものが大きいので証拠はない、中立性には欠ける)。
とにかく立場が明確に下の人間(患者や研修医)へのあたりはとにかく強かった。そうした人間への暴言や謎の自信あふれる上から目線の発言は事欠かなかった(録音などはなく伝聞)。
ただ正当性が全くないわけではないので完全に悪とまで言うこともできない。
ざっと挙げる
・喘息/COPDの吸入薬が余った患者への当たりはとにかく厳しい。「当院治療効果は期待できない」とカルテに書かれて紹介状も書かれず(書かれた人もいたが)一方的に通院中止になった人も多かった、気持ちはわかる。
・喫煙している患者も同様、まあこれも気持ちが分からなくはない。
だいたい「禁煙できないのであれば(吸入薬をきちんと使用しないのであれば)、治療効果が落ちてしまう」「治療しようとしている医師に失礼」「治療をきちんとしないのであれば、当院のような専門医療機関で見る意味はない」という意味合いのことをとにかく強く言っていた。気持ちはわかる。
・吸入薬で動悸が出るため自己判断で休薬していた患者も「自分のこだわりが強く自分の裁量で調整してしまうこともある」とカルテ記載し一刀両断して通院中止にしかけた(たまたま周囲が気を利かせてそっと主治医変更)、誰のこだわりが強いのか判断が難しいね。
・引き継いだ肺癌症例のPD時治療方針が患者希望と一致していなかったことに対して怒りを覚えたのか、患者希望でもなく一方的に転勤した前医(同じ県内)にPS2~3の状態で紹介していた。そこまでするんだとは思うが希望があったのかもしれないし詳細不明
・ガムを噛みながら外来に入ってきた患者に「ガムを噛んで相手に応対することは自分は不愉快だ。」と入室して早々に怒鳴る、これもわからなくはないけど怒鳴るメリットあるのかな
・ICU担当の循環器内科医のコンサルトに対して「こんな重症肺炎は高次医療機関に紹介すべきだ。ここで診るのは厳しいだろう。」と口頭でお返事。相手からの報告のみでカルテの返信記録もなく証拠はないが、ICU管理以上の高次医療機関あるのかな。
・自身が外勤で不在中に入院担当患者尿道カテーテルの自己抜去が発生、病棟対応をした初期研修医は止血が得られて尿流出もあることを確認し、院内にいた別の当科医師に報告して経過観察にしていたが、戻ってきて報告を受けるなり「なぜすぐに泌尿器科に紹介しないのか。」と激昂。止血が得られていたことなどを説明したが、舌打ち、「使えねーな」と言い放った。このあと指導医即変更。
・時間がずれ込んで当直帯に輸血することになった他科患者の輸血承認を研修医が依頼したところ「俺の仕事じゃない!」と激昂して研修医を電話で30分激詰め。院内のローカルルールでは時間外の病棟対応も当直医がすることになってはいたが特に明文規定もなくこの辺はどこまでを当直業務とするのか難しいなと思った。
記載がない
とにかくカルテ記載がほとんどない。オーダーは外来にしても病棟にしてもかろうじて出るが、ほとんどdo処方。方針も書いてないので誰も手を出せない。
外来では少なくとも10件以上が無記載で処方のみになっていて無診察処方ともとられかねない状態。入院になると下にいた研修医がかろうじてカルテを書いていたが、早々に下につかなくなったうえ、病棟看護師にも威圧的な態度なため早々に誰も方針確認を出来なくなった。
コンサルトの返事も紹介状も書かないので彼が担当の日は部長が代行していた。
手技ができない
何の手技が出来るのか最後まで分からなかった。少なくとも胸腔ドレーン挿入は出来なかった。ドレーンは入れられるし指導も出来るということで研修医もドレーン挿入介助についたのだが、全く入れられずある時は手技を別の医者に変更になっていた。手を代わった先生によると皮下組織の剥離が全然できないまま、ドレーンをペアンでつまんでひたすら押し込んでいたらしい。EとIDのAttendがあっても出来ない手技はあるんだなというよくわからない驚きである。あとアナログな水封のドレーンバッグを当時使っていたが、仕組みが分からず水封に出来ずに使おうとしていた。
Ⅲ度気胸症例のドレーン挿入も出来なかったが、若い人だったのもあり局麻も十分に使わなかったのか痛みのために手技中に意識が消失しかかっていたらしい(緊張性気胸のほんとうにまずい状況ではなかったようだが)。病状説明では「患者が喫煙をずっとしていたために胸腔ドレーンの挿入に手間取った。挿入時の疼痛についても喫煙の影響だ。」と発言(そもそも説明記録がないので証拠はない)、そんな事実は今のところ自分は知らないがひょっとしたらそういうエビデンスがあるのかもしれない。
点滴、採血は看護師がやっていたのでそのあたりはわからないが、抜鉤は出来なかった(縫合は不明、抜鉤器は病棟看護師が使い方を教えたらしい)。
連絡がつかない
報告しないと激昂する割に電話はとにかくつながらなくなることが多い。外来が終わると姿が見えなくなるので外食でもしているのではと言われていたがどこにいて何をしていたかはわからない。
何もしない
入院患者はとにかく増やす。「入院を増やして収益に貢献する」と息巻いてとにかく自分の担当で入院させるもののそのあと何もしない。検査や点滴、処方のオーダーもしないので研修医がオーダーを入れていて、指導がつかなくなったあとは自分でしていたが、病状説明も方針決定もしないので抗菌薬が延々行き続ける、入院日数だけ増えていき収益に貢献するどころか負債になっていく患者が積まれていった。結局別の医者に担当変更して退院調整せざるを得なかった。
人の話は聞かない/自分の非は認めない
外来患者には延々自分から話をしていて全く話を聞いてくれないと毎日のようにクレームが来ていた。その上外来の時間は長時間になり待たされる/話を聞いてもらえないの状態から激怒する患者も多かった。こちらから何を言っても非は認めないので周囲から指摘することはすぐになくなった。
結局この状態なので論文どころではなく病棟担当からも外れたので早々に転職活動をして去って行った。
それでも世間を騒がせる医師と異なったのはここが内科であったことだ。内科は直接手技で死なせる/後遺症を負わせることは外科と比べると少ない。内科の薬も手術よりはリスクが低いのでリカバーがきいてしまう。誰かが修正すればどうにかなってしまうのだ。
その場の犠牲は少ない代わりにそんな人間がどこかで医療をすることは続く。自分には良いのか悪いのか分からない。
SNSなどを見ていると感謝されたというような投稿も見かける。自分が見たのもだいぶ昔なので変わったのかもしれない。
世間をにぎやかしている医師もそうだが、患者側からみると一目見ただけではおかしいかどうかはわからない。特に紹介状なしで受診すれば医者が選べることはほぼない。そのなかで当たりか外れかなんて事前に誰も分からない。
紹介状で指名でもしない限り無理だ(指名しても当たるかはわからないが)。ソシャゲのガチャに等しい。
全員を知らないが、医者は基本的に話を聞くスタンスで外来にいるし、喧嘩をすることはメリットが少ないので好んでしない人は少なくない(と信じたい)。
いろいろ批判が来そうだが客商売の側面はどうしてもあるので、患者相手に普通はそうはならないのだ(時と場合にもよるが)。
話がかみ合わない。喧嘩になる。普段の外来でもないわけではないが、そうなることが多いなら担当変更など考えても良いのかもと場末の医者は思う。
誹謗中傷したいわけでもない。世の中極端ではなくとも危ない医者はいる。そうでないまともな医者もたくさんいる。
犠牲になる人が一人でも減ることを願う。
自分の斜め上、後頭部近くにある旋毛から2mほどのところから、この人間を見下ろしている。
この体を動かして40年を過ぎたが、実に多くのシーンを目撃してきた。
正確には、目撃してきたのではなく、「コレ」を構成する一つ一つの細胞を統制してきら。
コレを動かすことで、放り込まれてしまったこの世界のゲームをこなしてきた。
時間が進むにつれてエントロピーが増大し続ける中で、同じペースでエントロピーを増大させないことは、意図を持った行動としてむしろ悪目立ちする。
コレは放っておくと、分子のランダムな動きによるものか、予期しない行動を起こす。
そこで自分は行動を補正したり、上書きすることで、なんとか制御してきた。
コレが「予感」だと認識している現象は、こちらが俯瞰しながら先手を打つことで生じる。
誰がゲームを作ったのか?
それは私だ。
私がこの世界を描画している。
君はそれをプレイしている。
アレを動かすことで。
群の性質と挙動をいくつかのレイヤーに抽象化しておきゲームの難易度は高まった。
個の特性は見えないほどに小さくなるが、あるところでそれが全体に影響を及ぼす。
分子が失われる、細胞が失われる、個人は破壊され、集団もランダムに壊滅することがある。
君の次の一手はなんだ?
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
量子論と重力理論を統合するのはもしかしたら直接できないのではと考えてる。
「直接」ではなく近似や条件を付ければなんとかなるが互いの影響を100%成立させるのは無理筋ではないか。
重力のもたらす影響を物理的に計算はできるが重力そのものはまだ何なのかよくわかっていない。
一般的に重力は質量による空間の歪みとされている。空間は既存物理から大きく外れる性質を持っている。
空間は光速を超える。特殊相対性理論では光より速いものは存在しないことになっているが空間は別だ。
確かに今ここに空間は存在すると感じることはできるが文字通り「空」なので何もない。何もないものをどう捉えればいいのか。
空間がエネルギーを持っているように見えてもそれは本当に空間の持つエネルギーなのか空間の中の何かのエネルギーなのか今のところ区別が付かない。
まだまだわからない謎がたくさんある。
空間の及ぼす結果を観測したり計算したりはできるかもしれないが空間がどういったものなのか理解する力は人間にはないのかもしれない。
空間が理解できなければ重力も理解できないし、仮に理解できたとしてもやはり既存物理から外れる性質であれば統合は難しい。
空間に関する私の予想は
空間の歪みが重力という力で表れるのは何かしらのエネルギーが力に変換されているからだ。
大きな天体の重力は強力なのでそれだけエネルギーを消費すると考えると短時間でエネルギーを消耗し尽して重力は消失してしまう。
空間は常に一定のエネルギーを持っているからこそ重力は維持されると考えるとしっくりくる。エネルギーをいくら使ってもなくならないということだ。
そう考えると宇宙膨張の加速も納得がいく。
空間エネルギーが空間を押し広げ押し広げれば空間が増える。空間が増えれば増えた分だけ空間エネルギーの総量も増えていき膨張を加速させる。
大地震や大津波が国生み神話と関連がある可能性は低い、という意見がこの論文では書かれているようだ
加藤茂弘「淡路島の地形と地質 砂嘴・砂州の形成と神話との関わりの背景「鳴門の渦潮」と淡路島の文化遺産
淡路島周辺で地震による陸地の隆起は最近2000年では発生していないらしい
むしろ大津波で砂州などが消失することの方が多いだろうから、国土の増大を語る神話にそぐわない現象の方が多く発生しているという見方
大地震に伴う地殻変動や大津波によって、沿岸部の隆起・沈降や砂嘴・砂州の消失が生じる例も知られている。これらのことからすると、砂嘴・砂州を含む海岸地形の急速な変化が古代人の思考に少なからず影響した可能性を、完全には否定できないだろう
とも冒頭に書かれている
今回は民間機と海保機との事故であり、民間側に多大な損害が発生しているため、賠償問題が発生する。ジャンボ機が1台消失し、滑走路復旧までに何十万名分の運休が発生していることを鑑みると、賠償総額は100億円くらいになるだろう。
これが今の政府事情として存在する。100億もあれば巡視艇を4隻は新調できるが、羽田事故の賠償責任を海保が負うことになったらそれが出来なくなる。
また現行巡視艇の大半が耐用年数切れになっており、巡視艇新調は待ったなしの状態だ。そんな状況で羽田事故の賠償金100億負担せよ、は政治的にも国防的にもあり得ない。
https://www.sankei.com/article/20221125-EAVX76QZUNKG7D4UOH2UZ2OXM4/
そうなると国交省かJALのどちらかに責任を押し付けることになるが、今回はJAL側に瑕疵が存在しないのが明らかである。そうなると国交省にハズレくじを引いてもらうしか無い。
悪者になってもらうにはそれなりの根拠が必要だ。管制官が現場猫(アラートの見逃し)やらかしていたとか、そういう情報を蓄積する必要がある。
この手の話でよく「人のせいにするのではなく、仕組みを改善すべき」という話が出るが、増田に言わせればそれは政治的都合が絡まない、お子ちゃま世界での絵空事に過ぎない。
車の欠陥のように政治的都合が絡まない事案であれば、悪者探しをせず仕組みに原因を問い改善するという姿が取れるが、今回の羽田事故のように政治的都合が絡む事案では悪者探しをせざるを得ないのである。
ちなみに今回、どういうわけか国交省が情報公開に積極的で、事故翌日には交信記録を公表したし、その後もマスコミに毎日ネタを提供していた。これは責任を押し付けられる流れを察知した国交省側の抵抗と見て良い。7日までに観念したようであるが。
①山本太郎は現地のNPOから要請を受けて能登入りしているので、「不要不急」には当たらない。また、複数で行動しているのならば「個人でのボランティア」にも当たらない
②与野党合意は6党間だけであって、そこにれいわは入っていない
③ブコメはお前の「東京から現地入りする意味がどのくらいあるのか疑問」へのアンサーにもなっているが、お前はそこを意図的に無視。また、①②によって大前提を問うという意味も消失
頭からケツまで全部論破してしまったわ。ごめん、悔しいよね?最初から批判ありきで山本太郎のことを見ているからこうなるんだよ?
今、児童書は凄く売れていて、子供達は日本の歴史において最も読書家な時代になっている
「子供の時に本を読まない→大人になっても本を読まない」という悪循環が起きていた。
その為、2000年代以降、読書を教育として重要なものと位置づけ、読書の時間を設ける、図書室の機能を強化、司書を増員し、児童書を沢山入れた。
それが大成功したのが今。
今は読書教育は目的別読書(何かを調べたりするリテラシーを磨く)、探求型読書(何かの目的の為に読む読書)が増えていて、図書室の司書さんが指導する形で凄く上手く回っている。
その時、図書室の本を司書さんがお勧め貸し出しするので、児童書や、児童書を卒業した子には一般図書が選ばれる。
ラノベっていうのは、こういった学校の読書教育からは完全に外れた。
図書室の司書さんは、美少女お色気イラスト満載の本(ラノベ)とか、お勧めできない訳ですね。なので今の子供は、かいけつゾロリやナルニアやハリポから、桜庭一樹先生や有川ひろ先生の一般図書に移る。ラノベには行かない。
「ウェブ小説系の大人向けラノベ市場の開拓に傾斜」は、上記のようにラノベは学校の読書教育から完全に外れて、子供市場から消失を意味する。特に美少女重視のラノベがそうで、子供に「この美少女ラノベがお勧めです」という教師や司書は存在しない。
ラノベが子供に読まれるには、学校教育でも受け入れられる、一般図書としてのクオリティを必要とする。元ラノベ作家だった桜庭一樹先生や有川ひろ先生が、一般図書で大成功しているような転進を必要とする。だがそれには、異世界転生頼りや美少女頼りを辞めねばならぬので、困難と思われますね。
幼少期の読み聞かせは、読書体験において必須的に重要とされており、こういった動きを政治や行政と手を組んで支援してきたのが児童書業界なんですね。ラノベ業界もこういった活動を支援して欲しい
物語を楽しむとは生存確率を高める為の生得的な原始的なシステム、つまり扁桃体だのなんだの脳の奥の方にあるリソースをいまだに使いながら、恐怖を楽しむ。
少なくともその「アクセントも緩急もなく平板にしゃべる人」の文章での表現が誤解されてないなら、話す場合であってもその文章で行う表現をそのまま使うだけなので、平板で緩急なくても伝わるだろうから、「わかりづらいからイントネーションちゃんとしろよ」みたいに圧力かけられる機会はないのでは?
あと、面倒くさがってるのはただの事実なのでそれをいまさら言われてもって感じ。
話し言葉での意味上のイントネーションの使い分けは学ぼうとしなくても母語話者なら勝手に身につきその意味を言おうとしたとき苦もなく無意識にそう言ってしまうもの。
同じ感覚で通用すると思ったら、書き言葉の場合イントネーションの情報が消失してるから伝わらないんだということは、こういう他人からの何言ってるかわからないいう指摘により初めてカルチャーショックとして経験する問題だと思う(もしくはなんでかまでは何度指摘されても一生気づかないままかも)。