はてなキーワード: 海馬とは
あのときの海馬は完全に欲に支配された悪人で世界に4枚しかないブルーアイズ(当時最高の攻撃力)を3枚を持っているが、4枚目を手に入れたところでデッキには3枚しか入れられないから4枚目は不必要なのでつかわれないように破る(しかし、遊戯に特殊勝利をされて負けた)ってのなら悪人だからわかるんだけど、
バトルシティ編の海馬は、遊戯にマインドを再構築されて、非道なことはしないはずなのに、ダイヤモンドドラゴン(レアリティは高いが当時のルールから考えても対して強くない)の持ち主がヤンキーだからといって「自分は30数枚もっている」という理由でダイヤモンドドラゴンを破り捨てたのがよくわからない。
祖父母と親戚と親の介護をした経験を書くので個人差と地域差はあるけど役に立てば。
まず、ブコメにもあったが地域包括支援センターに行く。忙しくて遠いならとりあえず電話でもいいからする。
おそらく要介護認定を受ける話になると思うので申請書に住所と名前と病院を書く。役所に行かなくても代わりに書類を出してくれるので、あとは自宅に調査員の人が家に来てくれて母さんの体が動くかとか認知症の症状とかいろいろ聞くから父さんが一緒にいて答えるといいと思う。母さんの前で言いにくいことは後からメモとか電話で伝えてもいい(自分はそうした)。申請すると役所から医者に診断書を書くように依頼が行って、調査の内容と診断書をみて審査されて、だいたい1か月くらい(もっとかかることも多い)で介護度が決まる。病院にかかってない認知症の家族が詰むのはこの仕組みのせい。だから、病院に行くことができているのは大きい。
増田には病院ルートで医者が病院の相談員を紹介してくれて、どこに行けばなにをしたらを教えてくれたり今後も相談にのってくれるというのもあったと思うんだけど機能してないっぽいし、役所ルートで相談するというのもあるけど、それなら地域包括支援センターの方がよさそう。申請だけじゃなくて住んでるとこにある役所でやってる以外のサービスも聞けば親切に教えてくれる。緊急だったらすぐ使いたいって相談にものってくれた。まずここに連絡がいいと思う。
自分のざっくりした理解だと、アルツハイマー型は脳が縮むやつ。脳血管は詰まったり血が出たやつ。レビー小体型は脳になんかたまるやつ。ほかにもいろいろあったと思うけどそれぞれ症状が違うから対応が違った。ひとり介護した後で自分は介護した経験があるって思ってたんだけど認知症って同じじゃなかった。ちなみに海馬縮むと記憶の出し入れに問題が出るって自分は説明を受けた。あと、いい医者っぽいけど、薬やうつでも怒りっぽくなることもあるから相談する。母さんが穏やかにいられないなら医者は変えてもいいやくらいの気持ちでいいと思う。
要介護度が決まったら担当のケアマネージャーがつくから、あとはその人に相談したらいい。父さんが休んで母さんが手芸とか運動するならデイサービスとか。手すりとかベッドとか借りたりもできるし、施設に入りたいっていうときがきたらそれも相談にのってくれる。担当のケアマネが決まるまではなんとかやってみてほしい。
自分の祖父は自営業だったから売り物がちゃんと作れなくなって、認知症だってわからなかったのもあって周りはかなり責めてしまった。わかってからはよかれと思って行きたくないっていうデイに無理やり行かせた。振り回されて大変だったことしか覚えてない。祖母は認知症がわかったら自分からグループホームに入った。行けばニコニコして迎えてくれて、職員さんが家族は笑顔で来てくれる役割ですって言ってくれるいいところだった。それを見てたけど親戚はやっぱり自分の家にいたいって言って、体も動かなかったこともあって、訪問診療やら訪問看護やらフルコースでサービス使い切って最期まで家で過ごした。親を介護してる今も家族だからこそなにがいいのかよくわからなくなる。介護も医療もある意味ガチャみたいなものだって思うし。
本人はできないこと増えて不安で言われたら責められてるみたいで落ち込んだり家族だからってあたったりするし、家族はちゃんとしてるとき知ってるからこそ腹立つし悲しいしなんとかしてやりたいし。けど、環境とか体調なんかのトラブルをひとつずつ解決していくと本人がどうしたいか決められることが結構ある。家族はなんとか病院に連れてって、あれこれ書類書いてハンコ押して、金まわりをサポートして、あとは元気で暮らす。これだけでもかなり大変。増田も無理しないで。
去年あたりから67歳の母の物忘れがひどくなったので今年の4月に神経科にいって脳のMRIスキャンをしたら、脳全体の萎縮、特に海馬のあたりが同年代の平均よりも縮小が早いらしく、このままだと認知症やアルツハイマー型認知症の原因になると診断された。
正直僕には認知症とアルツハイマー型認知症の違いがよくわからないのだが、母親はすでに自分の停めた車の場所がわからなくなったり、以前なら作れた料理のレシピを忘れていたり、昔住んでいた地区に電車で行こうとしても現在地がわからなくなったりパニックを起こしたりと、私生活に支障がでるレベルになってきている。一緒に住んでいる父親も最初は健忘症か寝不足によるストレスじゃないか?と話していたが、さすがに最近は認知症らしいと認めざるを得なくなってきた。
担当医からはドネペジルとメマンチンという薬を処方されて、とりあえず母には忘れないように毎日飲んでもらっている。ただこれらもうまくいっても進行を遅らせる程度の効果で、一度始まった認知症を回復させる方法はおそらくないのだろう。
担当医からは薬の服用以外にも、進行を遅らせる手段として日頃から散歩などの運動、または手芸、生け花、絵画など脳をよく使う趣味、そして人とのコミュニケーションを増やして脳を活性化させることを勧められたのだが、困ったことに母がなかなかその気になってくれない。最近は家庭内トラブルが続いて長期的なストレスで自分から行動する気力がなくなったようだ。以前は人付き合いが得意で話上手だった母だが、些細な事で怒ることが増え以前まで仲良くしていた友人たちと次々と疎遠になっていった。
そもそも病院への診察も非常に嫌がり、結局僕が病欠をとって会社休んで同行することでやっとMRI検査までこぎつけた。正直車で2時間離れている距離にいる僕が今後も毎回通院の際に仕事休んで同行するとか経済的にもしんどい。
一緒に住んでいる親父は僕からみてもよく頑張っている。事情があって弟の高校1年の娘を引き取って高校卒業まで一緒に暮らしているのだが、75歳の高齢でありながら年金だけでは暮らせないので週に5,6日ほど仕事を続けながら出不精になった母をなんとか散歩に連れ出したり、料理のレシピを忘れた母とyoutubeのレシピ動画を見ながら一緒に料理も作っている。昔は傲慢で家庭をほったらかしだったあの親父があそこまで頑張っている姿は毎回感心するし、42年生きてきて最大級に親父を尊敬している。
こんな日記を書いている僕といえば、すでに実家から離れ結婚して子供もいる共稼ぎ夫婦。なんとか月に1度程度、まだ小さい息子を連れて遊びにいったりたまにアマゾンでギフトを送るのが精いっぱいである。
母は以前はウザいくらい僕に電話してきたので、今年になって俺が「病院に行け」だの「趣味を始めたほうだいい」だの言いすぎたせいか、あっちから連絡が来ることがぱったりなくなった。僕からの電話も素っ気ない対応になった。まぁ息子にあれこれ言われてウザいんだろうね。
実家近所の役所やらNPO団体などを探せば、高齢者向けのサポートサービスがいくつかあるのは知ってる。ただどれも本人たちが自発的に訪ねていかないと何もしてくれない。役所やNPOも暇じゃないから当たり前の話なのだが、うちの母のように精神的にふさぎ込んで助けを求める気力すらない人間はどうすればいいんだろう。主治医にはあまりに母が落ち込んでいるのでうつ病の可能性も指摘されたが、どうやって母に自発的に精神科に通院してもらえばいいのか見当もつかない。(もちろん頼んだが「そんなとこいっても治らない」と拒否)
このままにしたらどんどんひどくなる。わかっているのになにもできない。どうしたらいいんだろうか。
追記:みなさん暖かいコメントありがとうございます。日頃は手厳しいブコメを残してる方々も親身にアドバイスしてくださって、感謝の気持ちと自分たちが置かれた状況の深刻さをかみしめてます。
地域包括支援センターにはすでに相談に行きましたが、現在の母親の状態ではまだ本格的なサポートは受けられないみたいです。介護付き老人ホームなどすでに探してますが、どこも5年~10年待ちです。忙しい父親に頼んで仕事の合間に申請書類を用意してもらってますが、正直いつ入居できるか検討もつかないのでこんな事務作業やらせるなら少しでも休ませたほうがいいんじゃないか?と自問自答の日々です。
主治医に診察に連れていくのが正直しんどいです。嫌がる母親をなんとか説得して一緒に診察にいっても、主治医は簡単な質問をいくつかしただけですでに処方してもらった薬を追加するだけ。しかもその薬も効いているのかよくわからない。(調べたところ、認知症について現状処方されている薬以外の代案がないのもしってます)こんなのが続くと僕だって「こんな診察を嫌がる母親を説得してまで行く必要あるの?」って思えてきます。
今後のことを考えると憂鬱になりますね。幸いにも姪は成績優秀なのでなんとか返済なしの奨学金(ローンじゃないほう)をもらって大学に進学できそうですが、彼女が高校卒業する2021年までは父親も頑張る、でもそのあとのことは考えたくないと言っています。今後の母親の介護プランについて考える余裕もないようです。なにせ高齢の親が高校生の孫を養うだけでも一苦労です。いままでは姪とその父親であるクソ弟の対応に振り回されて、ストレスでボロボロだった母親に対応する余裕がありませんでした。
会うたびに両親からは「お前に苦労ばかりかけて申し訳ない。これ以上お前に負担をかけたくない。姪が大学に進学したら早く死にたい。これ以上生きていても辛いだけだ」といわれます。そういわれて「とりあえず今はできることからやっていこう。後のことなんて誰にもわからないよ」とお茶を濁した対応をしてますが、正直僕も逆の立場になったら現在幼稚園児の息子にそんな苦労かけるならさっさと死にたいって思うだろうから返答に困ります。
うちの両親は決して完璧ではなく、大人になった僕から見たら過去に「なんであんな馬鹿な決断をしたんだ」「あのお金をもっと大事に運用してたら今もっと楽できたのに」と思うことも多々ありますが、それでもこんな悲惨な老後を送らなければならないほど酷いことをした人間ではないです。先のことを考えすぎてもどうしようもないので、なるようになるさっと割り切るしかないですね。
引っ越し作業をしてたら12年くらい前につけてた日記帳が出てきた。
当時の自分はバックパッカーで、バイト代が溜まったらヨーロッパやらアジアやらに3ヵ月くらいプラッと旅行に行くような感じだった。
12年くらい前につけてた日記は、アジアの安宿街で沈没してた時期のことが書かれていた。
日記にはそう書いてあった。
自分はびっくりした。
なにも覚えていない。
そんなラッキーなことがあれば絶対に覚えてるはずなのに全く覚えていない。
日記に書かれた「○○ちゃん」という名前にすら自分の海馬はひとつも反応しない。そんな人覚えていない。
記憶を辿っても辿っても辿っても辿っても辿っても辿っても、自分がフェラチオをされて気持ちよくなった記憶がないのだ。
妄想でも書いてたのかと日記の他のページを見ると、どこどこに観光に行ったとか、何を食べたとか、至って普通で真面目な内容が書かれていた。
だから、たぶんフェラチオも本当にあったことな気がする。きっとあったんだろう。
未だに元カノとの情事を思い出しながら自慰行為をすることが日常化してる自分からすると、これほどのズリネタを忘れてしまってることが猛烈に悲しい。もったいなさすぎる。
旅先の出会いからのフェラチオ。おそらく日記に書かれてないので最後まではしてないと思われるが逆にそれがエロい。だからこそ本気で覚えてないことが悔しい。気が狂いそうなほど悲しい。