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2017-05-19

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学中国に発祥し、入唐した最澄伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。

目次 [非表示]

1 日本天台宗

1.1 天台密教台密

1.2 四宗兼学

1.3 止観行

1.4 所依

1.5 主要寺院寺格

1.5.1 天台宗山門派

1.5.1.1 総本山

1.5.1.2 門跡寺院

1.5.1.3 大本山

1.5.1.4 別格本山

1.5.1.5 その他の寺院

1.5.2 天台寺門宗

1.5.3 天台真盛宗

1.6 その他天台系宗派

1.6.1 天台宗新宗教

1.7 教育機関

1.7.1 大学

1.7.2 天台宗中学校高等学校

1.7.3 養成機関

2 中国天台宗

3 韓国天台宗

4 社会運動

5 脚注・出典

6 関連項目

7 外部リンク

日本天台宗[編集]

正式名称天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後呼び名日蓮教学法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。

初め、律宗天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍日本に入った。次いで、伝教大師最澄767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである最澄特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。

この時代、すでに日本には法相宗華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄日本帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問修行を修めるという革新的最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇勅許下り名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。

天台密教台密)[編集]

真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。

当初、中国天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。

しか日本天台宗宗祖最澄伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しか最澄帰国して一年後に空海弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。

はいえ、最澄自身法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教系譜は、円仁円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。

なお真言密教東密)と天台密教台密)の違いは、東密大日如来本尊とする教義を展開しているのに対し、台密あくまで法華一乗の立場を取り、法華経本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである

四宗兼学[編集]

また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国天台宗とは違い、最澄が開いた日本天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。

止観行[編集]

天台宗修行法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在日本天台宗修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在仏性が宿るという天台本覚思想確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗浄土宗浄土真宗臨済宗曹洞宗日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。

所依[編集]

法華経

涅槃経

大品経

大智度論

主要寺院寺格)[編集]

天台宗山門派)[編集]

総本山[編集]

比叡山延暦寺滋賀県大津市

門跡寺院[編集]

滋賀院(大津市

妙法院京都市東山区

魚山三千院京都市左京区

青蓮院京都市東山区

曼殊院京都市左京区

毘沙門堂京都市山科区

大本山[編集]

関山中尊寺岩手県西磐井郡平泉町

日光山輪王寺栃木県日光市

東叡山寛永寺東京都台東区

定額山善光寺大勧進長野県長野市

別格本山[編集]

毛越寺岩手県西磐井郡平泉町

瑞国海岸観音寺宮城県気仙沼市

正覚山蓮前院安楽寺茨城県常総市

星野山中院(埼玉県川越市

狭山山不動寺(埼玉県所沢市

大鱗山雲洞院天龍寺埼玉県飯能市

浮岳山昌楽院深大寺東京都調布市

向山常楽寺長野県上田市

宝積山光前寺(長野県駒ヶ根市

龍谷山水間寺大阪府貝塚市

書写山圓教寺兵庫県姫路市

大山寺鳥取県大山町

山大興善寺(佐賀県基山町

六郷満山両子寺(大分県国東市

その他の寺院[編集]

谷汲観音寺北海道河東郡音更町

青柳山談義堂院龍蔵寺(群馬県前橋市

星野山喜多院(埼玉県川越市

谷汲華厳寺岐阜県揖斐郡揖斐川町

清香寂光院京都市左京区

根本山神峯山寺(大阪府高槻市

三身山太山寺兵庫県神戸市

補陀落山長尾寺香川県さぬき市

清水観世音寺福岡県太宰府市

海山大恩教寺釈迦院(熊本県八代市

阿蘇山西巌殿寺(熊本県阿蘇市) 

王寺熊本県山都町宮司豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である) 

天台寺門宗[編集]

総本山 長等山園城寺三井寺)(滋賀県大津市

天台真盛宗[編集]

総本山 戒光山西教寺(滋賀県大津市

その他天台系宗派[編集]

聖観音宗 

浅草寺東京都台東区

和宗

四天王寺

本山修験宗寺門派系)

聖護院京都市左京区

金峯山修験本宗

金峯山寺奈良県吉野郡吉野町

浄土真宗遣迎院派

遣迎院京都市北区

妙見宗

本瀧寺大阪府豊能郡能勢町

粉河観音宗

粉河寺(和歌山県紀の川市粉河

善峰観音宗

善峰寺京都府京都市西京区

天台宗新宗教[編集]

念法眞教

孝道教団

鞍馬弘教

教育機関[編集]

大学[編集]

大正大学

天台宗中学校高等学校[編集]

比叡山中学校・高等学校

駒込中学校・高等学校

養成機関[編集]

叡山学院

円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれ出自壬生氏。

目次 [非表示]

1 円仁人物

2 遣唐使の渡海の困難

3 天台山を目指すが…

4 在唐新羅社会の助け

5 五台山巡礼

6 長安への求法

7 帰国の旅の苦難

8 関連文献

9 脚注

10 関連項目

11 外部リンク

円仁人物像[編集]

794年延暦13年)下野国都賀壬生町現在壬生寺)に豪族壬生氏(壬生君:毛野氏一族)の壬生首麻呂の子として生まれる。兄の秋主から儒学を勧められるが早くから仏教に心を寄せ、9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智は鑑真の直弟子道忠の弟子であるが、道忠は早くから最澄理解者であって、多くの弟子最澄師事させている。

※生誕地については

美加保ノ関(藤岡町三鴨の都賀字館)

手洗窪(岩舟町下津原

壬生寺壬生町

などの説があり、順徳天皇撰による「八雲御抄」では、みかほの関、みかほノ山での誕生が記されている。

また、美加保乃関は万葉集歌人によって和歌も詠まれており

下つ毛野 みかもノ山の越奈良の須 目ぐはし頃は 多が家かもたむ

あずま路の 人に問はばや みかもなる 関にもかくや 花は匂うと

石ふまぬ 安蘇の川原に 行き暮れて みかほの関に 今日やとまら

下野や 安蘇の川原に 行きくれば みかもの崎に 宿をかりなん

この他、近くにある円仁ゆかりの安蘇の川原は、みかほの関を沼越しに眺める名所として多くの和歌が詠まれている。

安蘇山の麓に生まれたという説では、慈覚大師円仁の出生については「桓武天皇延暦13年、廣智菩薩大慈寺住職とき南方に紫雲がたなびき、尋ねていくと安蘇山麓現在の三毳山のふもと岩舟町下津原手洗窪)…下津原の手洗窪は「慈覚大師誕生の地」として栃木市史跡指定されている。

15歳のとき、唐より最澄帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くとすぐに比叡山に向かい最澄師事する。奈良仏教の反撃と真言密教興隆という二重の障壁の中で天台宗確立に立ち向かう師最澄に忠実に仕え、学問修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであった。

814年(弘仁5年)、言試(国家試験)に合格、翌年得度出家)する(21歳)。816年(弘仁7年)、三戒壇の一つ東大寺で具足戒(小乗250戒)を受ける(23歳)。この年、師最澄東国巡遊に従って故郷下野を訪れる。最澄のこの旅行は、新しく立てた天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選んでそこに宝塔を建て、一千部八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものであった。817年(弘仁8年)3月6日大乗戒を教授師として諸弟子に授けるとともに自らも大乗戒を受ける。

性は円満にして温雅、眉の太い人であったと言われる。浄土宗開祖法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったという。

遣唐使の渡海の困難[編集]

836年(承和2年)、1回目の渡航失敗、翌837年(承和3年)、2回目の渡航を試みたが失敗した。838年(承和5年)6月13日博多津を出港。『入唐求法巡礼行記』をこの日から記し始める。志賀島から揚州東梁豊村まで8日間で無事渡海する(しかし「四つの船」のうち1艘は遭難している)。円仁の乗った船は助かったものの、船のコントロールが利かず渚に乗り上げてしまい、円仁はずぶ濡れ、船は全壊するという形での上陸だった(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

上陸である唐の開成4年7月2日日本の承和5年7月2日と日付が一致していた。唐と日本で同じ暦を使っているのだから当然ではあるが、異国でも日付が全く同じであることに改めて感動している(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

天台山を目指すが…[編集]

最後遣唐使として唐に留学するが、もともと請益僧(入唐僧(唐への留学僧)のうち、短期のもの)であったため目指す天台山へは旅行許可下りず(短期の入唐僧のため日程的に無理と判断されたか)、空しく帰国せねばならない事態に陥った。唐への留住を唐皇帝に何度も願い出るが認められない。そこで円仁遣唐使一行と離れて危険を冒して不法在唐を決意する(外国人僧の滞在には唐皇帝勅許必要)。天台山にいた最澄の姿を童子(子供)の時に見ていたという若い天台僧敬文が、天台山からはるばる円仁を訪ねてきた。日本から高僧が揚州に来ているという情報を得て、懐かしく思って訪れて来たのだという。唐滞在中の円仁の世話を何かと見てくれるようになる。海州東海県で遣唐大使一行から離れ、一夜を過ごすも村人たちに不審な僧だと警戒され(中国語通じず、「自分新羅僧だ」と主張しているが新羅言葉でもないようだ、怪しい僧だ)、役所に突き出されてしまう。再び遣唐大使一行のところに連れ戻されてしまった(『行記』839年(開成4年)4月10日条)。

在唐新羅社会の助け[編集]

当時、中国山東半島沿岸一帯は張宝高をはじめとする多くの新羅人海商が活躍していたが、山東半島新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅社会の助けを借りて唐残留成功不法在留者でありながら通行許可証を得る等)する。遣唐使一行から離れ、寄寓していた張宝設立の赤山法華院で聖林という新羅から天台山の代わりに五台山を紹介され、天台山はあきらめたが五台山という新たな目標を見出す。春を待って五台山までの約1270キロメートルを歩く(『行記』840年(開成5年)2月19日4月28日の58日間)。

五台山巡礼[編集]

840年、五台山巡礼する。標高3000mを超す最高峰の北台にも登山する(47歳)。五台山では、長老の志遠から「遠い国からよく来てくれた」と温かく迎えられる(『行記』840年(開成5年)4月28日条)。五台山を訪れた2人目の日本人だという(1人目は、最澄とともに入唐し、帰国せず五台山客死した霊仙三蔵)。法華経密教整合性に関する未解決問題など「未決三十条」の解答を得、日本にまだ伝来していなかった五台山所蔵の仏典37巻を書写する。また、南台の霧深い山中で「聖燈」(ブロッケン現象か。『行記』840年5月22日条、6月21日条、7月2日条)などの奇瑞を多数目撃し、文殊菩薩の示現に違いないと信仰を新たにする。

長安への求法[編集]

当時世界最大の都市にして最先端文化の発信地でもあった長安へ行くことを決意し、五台山から1100キロメートルを徒歩旅行する(53日間)。その際、大興善寺の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法を授き、青竜寺の義真からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授く。また、金剛界曼荼羅長安絵師・王恵に代価6千文で描かせる。

台密にまだなかった念願の金剛界曼荼羅を得たこの晩、今は亡き最澄が夢に現れた。曼荼羅を手に取りながら涙ながらに大変喜んでくれた。円仁は師の最澄を拝しようとしたが、最澄はそれを制して逆に弟子円仁を深く拝したという(『行記』840年10月29日条)。描かせていた曼荼羅が完成する(『行記』840年(開成5年)12月22日条)。

しばらくして、唐朝帰国を百余度も願い出るが拒否される(会昌元年8月7日最初)が、その間入唐以来5年間余りを共に過して来た愛弟子・惟暁を失う(『行記』843年(会昌3年)7月25日条。享年32)。また、サンスクリット語を学び、仏典を多数書写した。長安を去る時には423部・合計559巻を持っていた(『入唐新求聖教目録』)。そして、842年(会昌2年)10月、会昌の廃仏に遭い、外国人僧の国外追放という予期せぬ形で、帰国が叶った(会昌5年2月)。

帰国の旅の苦難[編集]

当時の長安の情勢は、唐の衰退も相まって騒然としていた。治安悪化不審火も相次いでいた。その長安の街を夜半に発ったが(曼荼羅や膨大な経巻を無事に持ち帰るため)、夜にもかかわらず多くの長安住人の送別を受けた。送別人の多くは、唐高官の仏教徒李元佐のほか、僧侶及び円仁長安暮らしを支えた長安在留新羅人たちが主であった。餞けとして絹12丈(30m余)を贈ってくれた新羅人もいた(845年(会昌5年)5月15日)。歩くこと107日間、山東半島新羅人の町・赤山まで歩いて戻った[注 1]。

この際、新羅人の唐役人にして張宝高の部下の将・張詠が円仁のために唐政府の公金で帰国船を建造してくれたが、密告に遭い、この船では帰れなくなる。

円仁が無事生きている」という情報日本に伝わっていたらしく、比叡山から弟子の性海が円仁を迎えに唐にやってきて、師と再会を遂げる。楚州の新羅人約語(通訳のこと)劉慎言に帰国の便船探しを頼み(彼は新羅語・唐語・日本語を操れるトライリンガルであった)、彼の見つけた新羅商人金珍の貿易船に便乗して帰国する。円仁は劉慎言に沙金弐両と大坂腰帯を贈っている。朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅であった。新羅船は小型だが高速で堅牢であることに驚いている。博多津に到着し、鴻臚館に入った(『行記』847年(承和14年)9月19日条)。日本政府円仁を無事連れ帰ってきた金珍ら新羅商人に十分に報酬を報いるように太政官符を発し、ここで9年6ヶ月に及んだ日記『入唐求法巡礼行記』(全4巻)の筆を擱いている(『行記』847年(承和14年)12月14日条)。54歳。

この9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは日本人による最初の本格的旅行記であり、時の皇帝、武宗による仏教弾圧である会昌の廃仏の様子を生々しく伝えるものとして歴史資料としても高く評価されている(エドウィン・ライシャワー研究により欧米でも知られるようになる)。巡礼行記によると円仁は一日約40kmを徒歩で移動していたという。

目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺松島瑞巌寺を開いたと言われる。慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされ、浅草浅草寺もそのひとつ岩舟町観光協会HP)。このほか北海道にも存在する。

後に円仁派は山門派と称された。(円珍派は寺門派、両者は長期にわたり対立関係になった)。

のもりのかがみ【野守鏡】

鎌倉時代歌論。作者は,源有房,天台僧(氏名不詳)など諸説がある。1295年(永仁3)9月に成立。書写山(播磨円教寺)に参詣したおりに住僧から聞きえた話を紹介するという趣向は,《大鏡》などと同巧。上下2巻から成り,上巻では二条派的な平淡美を重んじる歌論を説き,京極派,とくに為兼を批判,下巻ではおもに宗教論を述べ,禅宗浄土宗非難している。反京極派の歌論として,また仏教思想史上の資料として貴重。【赤瀬 知子】

出典|株式会社日立ソリューションズクリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

世界大百科事典内の野守鏡の言及

歌論】より

…為家の子の代で,二条家京極家,冷泉れいぜい)家と歌の家が三つに分裂し,以降,派閥争いが激化したために,〈歌論〉も本質理論的に深めるという方向ではなく,派閥意識をあらわにして,他派を攻撃するケースが増えていったかである。たとえば《野守鏡(のもりのかがみ)》は作者未詳の歌論であるが,二条派立場に立って為兼を初めとする京極派を攻撃した書であったし,《延慶両卿訴陳状(えんきようりようきようそちんじよう)》と呼ばれる,《玉葉和歌集》の選者をめぐっての二条京極両家の厳しい対決を伝える応酬もある。南北朝室町時代では頓阿(とんあ)の《井蛙抄(せいあしよう)》,二条良基・頓阿の《愚問賢注》,良基の《近来風体抄(ふうていしよう)》等の二条派歌論書,冷泉派今川了俊の《弁要抄》《落書露顕(らくしよろけん)》などがある。…

鎌倉時代僧侶・一向俊聖(暦仁2年(1239年)? - 弘安10年(1287年)?、以下「一向」と表記)を祖とする宗派

一向は筑後国草野家の出身で、はじめは浄土宗鎮西派西山派という異説もある)の僧侶であった。後に各地を遊行回国し、踊り念仏天道念佛を修し、道場を設けた。近江国番場蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。

以後、同寺を本山として東北関東尾張近江に一向の法流と伝える寺院分布し、教団を形成するようになった。鎌倉時代末期に書かれた『野守鏡』にはこの教団を一向宗と呼んで、後世の浄土真宗とは全く無関係宗派として存在している事が記録されている。

一向と一遍智真は同時期の人物であり、ともに遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、一向の「一向宗」は一遍の「時衆」と混同されるようになっていく。『天狗草子』に記された「一向宗」は、一遍の衆を指したものである(一向俊聖の項を参考)。たしかに一向も一遍と同様に浄土宗の影響を受けて自己教義確立させたものであるが、全く別箇に教団を開いたものである。また、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏のもの特別宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。ところが時代が降るにつれ、一向の教えが同じ踊り念仏一遍の教えと混同され、更に親鸞の興した浄土真宗とも混ざり合うという現象が見られるようになる。特に一向の教義が早い段階で流入していた北陸地方ではその傾向が顕著であった。

浄土真宗本願寺八世の蓮如北陸地方活動の場を求めた時に、布教対象としたのはこうした一向や一遍の影響を受けて同じ浄土教の土壌を有した僧侶信者であり、蓮如はこれを「一向衆」(「一向宗」ではない)と呼んだ。蓮如布教時に、一向宗時宗支配層との結びつきを強め、民衆から離れ、一向宗民衆蓮如教団になびいた結果、一向宗と呼ばれるにふさわしかったともいわれる[1]。本願寺及び蓮如北陸における成功の背景にはこうした近似した宗教的価値観を持った「一向衆」の存在が大きいわけであるが、同時に蓮如はこれによって親鸞の教えが歪められてしまう事を恐れた。さらに別の事由から宗派より「一向宗」と呼称されていたこと(後述)も彼の憂慮を深めた。文明5年(1473年)に蓮如によって書かれた『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」とし、一向宗が一向の教団でもあることを明記して本願寺門徒一向宗名前を使ったもの破門するとまで書かれているものの、ここでも一遍と一向の宗派混同されている。

江戸時代に入ると、江戸幕府は本末制度の徹底を図り、系譜を異にするさまざまな念仏勧進聖が、清浄光寺総本山とする単一宗派時宗」の管轄下に編成された。この際、一向の流派独立した宗派とは認められず、「一向宗」の呼称を用いる事も禁じられた。『時宗要略譜』によると、時宗十二派のうち、一向派と天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。一向派(かつての一向の一向宗)は再三にわたり時宗から独立を求めたが実らなかった。

明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[2]

大半の寺院時宗を離れ、一向の母体であった浄土宗帰属するようになったのは、昭和時代に入った1943年の事であった。

ゆかり寺院[編集]

番場蓮華寺滋賀県米原市

佛向寺(山形県天童市):現在でも踊躍念仏を伝える。

浄土真宗の「一向宗」[編集]

浄土真宗、ことに本願寺教団を指す呼称。教団自身はこの名を自称しなかったので注意が必要である

「一向」とは「ひたすら」「一筋」という意味であり、「一つに専念すること」を意味している。『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、とくに阿弥陀仏名号を称えることと解釈され、親鸞宗祖とする教団(本項では「真宗教団」とする)を他の宗派から指す呼称となった。とくに浄土宗は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」の称を用いた。

したがって「一向宗」は真宗教団の門徒から見て正しい呼称ではなく、また一向俊聖の「一向宗」と混同される事から望ましい呼び方でもなかった。だが、中世において同じ念仏を唱える浄土教宗派であった両派が混同され、更に時衆などとも漠然と同一のものとして捉えられるようになっていった。蓮如は前述のように「他宗派の者が(勘違いして)一向宗と呼ぶのは仕方ないが、我々浄土真宗門徒一向宗自称してはいけない」という主旨の発言をして違反者破門するとまで述べているが、逆に言えばこれは、真宗教団の門徒ですら「一向宗」を自称する者がいた事を意味する。

こうした指導により教団内部では「一向宗」の語は正式に使われることはなくなり、「浄土真宗」または「真宗」と称するようになった。しかし、門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、真宗教団のことを教団外から一向宗」と呼ぶ風潮は収まる事はなかった。

江戸幕府は、真宗教団を指す名称として「一向宗」を公式に用い続けた。この経緯としては、徳川家康三河一向一揆により家中統制で苦しめられたこと、徳川将軍家が(真宗教団が「浄土真宗」を称することを望まない)浄土宗信仰していることが挙げられる。これに対して、真宗教団側は本願寺の分裂などの影響があり、長らく具体的な対応が取られることがなかった。

2016-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20161124064919

僕はクリスチャン信仰は良いものだと思います

なので信仰者としての立場を極力排してなぜ胡散臭いのか、本当はどうなのかを考えてみます

なぜ胡散臭いのか

最初からいいますが、僕は新興宗教自体胡散臭いとは考えていません。

身も蓋もない言い方ですが、キリスト教ユダヤ教新興宗教ですし、仏教日蓮宗浄土宗臨済宗密教系とは重要教義が異なっています

私はカソリックですが、米大統領選でも注目されるモルモン教福音派などのプロテスタントは明らかに新興だと言えます

基本的なことですが、この点をまず明らかにしておきたいと思います

ではなにが胡散臭いのかというと、相当分がみなさんと宗教の接点ですれ違いが起こっていることになります

そして悲しいことですが、本気で胡散臭い活動も当然ながらあります

布教のやりかた

宗教からみなさんへの第一の接点は布教活動になると思います

僕が通っていた大学でも注意書きが掲示されていましたが、家に押し掛けてくるのは胡散臭さレベルが高いので敬遠するのに越したことはないでしょう。

商売と一緒で「売ってくれ」とお客さんが来るのが最高の営業ですが、現代日本ではこれはほとんど期待できないでしょう。

ではどのように新しい信者を獲得するかというと、団体としての活動宗教活動を通じてということになります

お金の使い方

代表的新興宗教には宗教活動以外にも莫大なお金をつぎ込んでいるものがあります

PL教団花火大会や、米ソルトレークシティモルモン教大寺院などはその代表的ものです。

このような活動には伝統的な宗教も古くから関与してきました。宗教伝統的に文化芸能活動庇護者であったのです。

長い歴史の中ではそれに対する反発もありましたが、現代日本でもその恩恵に多く与ることができます

例えば東京観光京都観光には寺社仏閣がつきものですが、その観光価値一般の方には庭園天井画や襖絵、建造物にあるのが現実だと思います

そのような文化活動信者と、一般の方の両方に働きかけるもので、難解な教義を介さない身近な存在として宗教を感じてもらうことができるのだと思います

新興宗教には巨大、特徴的な寺院を建造するところが多くあると思いますがこの理由ちょっとわかりません。

ただこのような建造物を建てたからと言って、教主や教団幹部の懐に直接お金が入るわけではないということは留意しなければならないでしょう。

教義の難しさ

教義信仰者にとっても難しいものです。カソリックでは洗礼を受けるにはちゃんと勉強をして認められなければなりません。

本来ならばどの宗教でも教父にあたる方に接するのが第一歩になるでしょう。

ただ、いきなり相手ホームグラウンドに行くのは恐いですから興味のあるお寺(教会)に電話してみるのはいかがでしょうか?

自分の考えていることを吐露してそれで答えが受け入れられないものであれば、それは相手方の落ち度でしょう。

元増田アプローチは、まず文字に当たるということですが、どの宗教でもその本質活動です。

wikipediaは参考文献に含まれない」とはよく言ったもので少なくとも宗教で学ぶというのは不適当ではあると思います

完全に新興の宗教は別として、多くの新興宗教既存宗教派生です。なのでそれぞれの教義には数百年単位の積み重ねがあり、

一人でそれを理解しようというのはだれにとっても不可能でしょう。ただしその本質というものシンプルで良いものであると私は信じています

宗教政治

長い人類歴史の中では宗教歴史が分離されていたことの方が少ないでしょう。

それはさておき、宗教政治無視できないのは宗教が人の本質アプローチするものからです。

人の生活に直結する政治とはどうしても重なる部分があるということが宗教政治に関わっていく要因でしょう。

宗教非科学的か

波動」や「飛行」というのを聞いたときの胡散臭さは相当リアルに感じます

それはそれとして一歩引いてみれば仏教用語因果因縁、「宇」や「宙」というのは非科学的な概念ではないでしょうか。

これらを科学的に検証することはできませんが、明らかに科学矛盾するものとしてキリスト教進化論地動説否定があります

私自身は技術者として生計をたてていて、人は猿から進化して、地球太陽の周りを回っていると思います

しかしその部分がどの程度まで宗教本質を損なうでしょうか。

非科学的ということが宗教を損なうのはその真実性を損なうからだと思います

これはどこの宗教もつものだと思います検証不可能なことは証明できませんし聖典多面的な読み方ができるため科学的な検証には向いていません。

聖典が正しければ寺院教会)・教義は正しい」そして「寺院教会)・教義は正しければ聖典は正しい」というような循環論法に陥りがちです。

これに対しては僕が言えるのは「あなた自身の考えて」という月並みものです。あなたが一歩を踏み出してよい教えに導いてもらえることをお祈りしています

2016-08-14

[]

ロマ書によれば、信仰さえすれば救われるらしい。浄土宗並みの緩い条件だ。

2015-07-20

あたりまえだろ?

anond:20150720043105

フジテレビ抗議デモ参加者フジテレビ採用するだろうか?

反原発デモ参加者を優先して採用する企業があったとする」って?

反原発利益となる企業であれば当然だ。

信教で浄土宗不採用浄土真宗優遇とか……企業はともかく、他の宗教信徒を職員に採用する宗教団体はなかろう。

自社の利益になるデモであれば、どれだけ参加していても問題はなかろう。

デモ参加がバレたら就職できないという風潮

がまとめられたり拡散されてるわけだけど

その中にデモの内容を問題視するものもある

仮にフジテレビ抗議デモ参加者採用しない企業があったとする

デモに参加しない人は自分には関係ないと思うだろう

では、反原発デモ参加者を優先して採用する企業があったとする

デモに参加しない人は不公平だと怒るだろう

思想政治信条採用判断基準にする事が許されるなら、このような事態も起こりうる

他にも信教で浄土宗不採用浄土真宗優遇とか

内容に関係なく、デモ参加者採用しないという場合も考えられる

偏った思想を持つ、自分の主張を通そうとする、反抗的などとして敬遠されたりして

逆に言えば、そのような企業従順文句を言わない労働力だけを求めている

そんなところに就職しても苦労するだけだろう(ほとんどの企業奴隷を欲しがってるだろうけど)

しかし、そもそもデモという学外の活動について調査評価することが間違いだ

そのような企業社員プライベートや内心にも干渉し、強制してくるだろう

2014-01-13

潔癖なのに不潔な国

今日も、「荒れる新成人」という毎年恒例の話が出てくる。しかし、新成人に文句を言って嘆く既成人たちは、「なにがなぜ悪いのか」を説明して叱れるのだろうか? 叱責が説得力をもつためには、なにがなぜ悪いのかを説明し、しかも叱る当人が己を律していなければならない。

「人を殺してはなぜいけないのか」という疑問が話題になったことがあったが、「そうした疑問をもってはならない」という社会気質が、この国にはある。何も考えずにただ「殺人=悪」だと言う。しかし、そんな思考停止では、真の倫理観は育つまい。究極的には、刺すか刺されるかの状況になれば他人を刺すものが必ず出るし、「死にたい」と思っている者には「他人を殺すまい」という抑止力はきわめて働きづらい。ただ単に「殺人=悪」だと言って洗脳するのでは、ものごとは解決しない。

この社会にあるのは、道徳倫理ではない。潔癖症なのだ。言い換えれば、怖いのだ。多くの者が、死を怖れると同時に、快適に暮らしたいと思っている。その、自分たちにとって心地の良いような潔癖な社会にしようとする理屈でできているのであって、真に「なにが悪いのか」は考えていない。

「なにが悪いのか」を考えずに杓子定規に順守して、「俺も守っているのだからお前も守れ」と言うのだろうが、そんな理屈ではよくわからない。ところが、いまの多くの人たちは、「俺はこんなに頑張っているのに」「私はこんなに苦しいのに」と言って他人に八つ当たりする。大流行中だ。

古くは、自分でも「悪い」とは思いもよらなかった行為を、偉い人に怒られたり、天変地異の原因になったと思ったりしたから、「しきたり」ができるようになり、いささか不合理な「しきたり」でも杓子定規に遵守するという社会気質ができた。それがそのまま江戸時代ころにはもう全国家的に流布されて、皆「お上」の言うことをきく「踏み絵社会」ができあがっていた。

さて、そもそも、社会的善悪というのは、真の善悪とは異なると思う。社会的善悪というのは、人間にとっての都合の良し悪しだ。自分たちの自我にとって「得だ」と思うことが善になり、「損だ」と思うことが悪になる。だから、死にたくなければ他の生物も殺すし、インフルエンザウイルスであれなんであれ、徹底的に殺すようにしているだろう。昔も今も、多くの生物殺戮して、しばしば絶滅させてきた。

昔はもっと、「殺生は悪だ」ということが一般的に言われていた。いまは、平気で生物を殺すし、動物がたくさん殺されて食べられている。動物を殺すのを見たくないから食べない、というのではなく、見ずに食べる方法をつくりだして逃げている。ついには、魚肉や鶏肉に骨がないようにまでしている。もはや、生物っぽくなく、便利に食べられる。もちろん、骨抜き魚肉や骨抜きフライドチキンが出てくる以前に、チキンマックナゲットだろうがハンバーグだろうが、骨を意識することはないのだが。いまの欧米人はこの国の活造りを見ると「残虐だ」と言い出すが、我々はもともとは、生き物を殺して喰らっているという自覚をあえてもって、また、ピチピチしているのを見て「新鮮だ」と言って、喜びと有難みをもってきたのだ。反対に、たとえブロイラーにしようがハンバーグにしようが、動物を殺している残虐からは不可避なのだ。例えばマクドナルドなどにしても、全世界的に食肉を大量生産して流通させているが、膨大な殺生をしている。大量の飼料や水を消費して牛を飼い、また、深海魚まで獲っている。それはムダな消費なのではないか?

まあどうせ昔も、「殺生=悪」という「しきたり」でしかなかったのかもしれないが。だが、きっと、釈尊にしてもそうだし、「無益な殺生をしてはいけない」と言った多くの偉人たちのなかにも、「殺生ばかりをしていたら自分たち人間も生きていけないだろう」と直感していた者が少なくなかったのだろう。ただそれが、日本社会では、形式的にばかり順守される「法令さえ守っていればいい」的な実態になったのだ。それは結局のところが、日本社会ほとんどの人が無教養思考停止をしているかなのだろう。つまり洗脳されてきただけだ。

我々が生きていくためには、生物を少なからず殺す必要がある。そうしないと食べていくこともできないだろう。直接にも間接にも、殺生をしている。だが、際限なく殺しまくっていたら、無益な殺生になり、そして殺された生物種がしばしば絶滅する。

自我屁理屈を超えれば、他の生物を殺しすぎるのは、生態系のつりあいを破ることになるから、我々自身も生きていくことが難しくなる。したがって、無益な殺生は、生きていくという観点でも明らかな悪だ。無益な殺生が悪だということは、合理的に説明可能だ。

いまのこの国では、「本当のこと」が言えない。例えば、政治的な発言が忌避されるのも異常だ。「それはおかしいと思う」と言える社会ではなくなっている。例えば原発にしたって殺生にしたって自殺率にしたって、さらには、インフルエンザだろうがHIVだろうがなにもかもを殺戮して存在を消し去ろうとすることの異様さにしても。

他人を叱れないし、叱る能力(冒頭に書いた通り)がそもそもない人が多いのだろう。なにがおかしいのかを言える雰囲気でもなければ、なぜおかしいのかも言えないからなのだろう。ひとりひとりが叱れない社会からマスコミが代弁することで憤懣の捌け口になっているのだろう。

我々は、完全には清廉潔白でいることはできない。殺生をしなければ生きていけないし、他人に迷惑をかけずには生きていけない。

だが、己の穢さを自覚しなければ、不潔であることに対する抑止力は働かないのではないか。

皆がまたぞろ、自分にとって都合のいいと思うことをやりたいから、例えばガソリンなどの資源エネルギーも多用するし、そうして地球温暖化も進んでいるのだろうし、有毒物質もまきちらしているし、将来の資源枯渇へと「ツケまわし」もしている。だが、「それは悪いことだ」とは、ほぼ誰一人として言わない。例えば、「自動車を抜本的に減らせ」とは、ほぼ誰も言わない。乗りたいからなのだろうし、自動車があることで産業があり雇用があるからなのだろう。同じように、「タバコ有害から禁止すべきだ」どころか「増税すべきだ」と言うことすら、すぐさま自民党などから「葉タバコ農家が〜」という屁理屈が返ってくる。それではきっと、葉タバコ農家死の商人だね。JTも、その大株主のこの国も、同じ国民から「血を吸って」「肉を喰らい」生きているのだ。

例えば米国人がやっていたら、この国でもやっていいことになる。迷惑駐車でもポイ捨てでもなんでも「他人たちがやっているか自分もやっていい」という言い訳は必ず出てくるだろう。互いに都合のいいことなのだから、みんなして「赤信号も渡る」のだろうし、「崖っぷちへと突撃する」チキンレースをやりもする。

ところで、自分たちにとって都合の悪いと思われる生物を徹底的に殺戮してきたから、HIVが出てきたり、新型インフルエンザが出てきたりしたのだと思う。少なくとも、薬物耐性病原体は、過度の殺菌をしてこなければ出てこなかっただろう。そうして、潔癖に潰しまくってきたから、いわば「テロ攻撃」が他の生物から地球から、加えられているのだ。

それどころかさらに、いまの我々は、自己の心身にすら欺いて、自我が都合の良いと思うことばかりをしているから、心身の反乱をくらっているのだろう。癌にしても、アレルギーにしても、「精神疾患」にしても。人工的に潔癖な生活空間をつくってきたから、心身にとってかえって不健康なことになっている。

地球生態系のつりあいも、自己の心身のつりあいも、壊しているからだ。だからかえって危機に陥る。不健康になる。

この国では少子化だと騒がれているが、世界人類はいまも増え続けている。はたして、「人口増=善」なのか? 人類が増えすぎたら、地球生態系のつりあいは崩れる。すでに崩れている。しかし、自分が生きたいと思っている人たちは、「出産=悪」だとは決して言わないだろう。真実を言わないし、真実気づきすらしないのかもしれない。

から、例えばクリスチャンは「人は原罪を負っている」と言う。また、この国では浄土真宗の檀信徒が最大多数だと言われているが、そもそもの浄土宗浄土教は、悪の自覚から始まっている。つまり、「自分悪人だ」と自覚しているからこそ、「地獄に堕ちる」と思い、「どうやったら救われるか」と考えるのである。それに比べると、いまの人間には、悪の自覚が足りない。

自分たちを律することができず、ゆがんでいく。ゆがんだことでトラブルが起こるごとに、対症療法をする。砂糖を入れすぎたから塩を足すかのように、余計なものをどんどんと付け足していき、だからますます錯乱していく。ぐにゃぐにゃにゆがんでいく。

究極的には、己の死に対して覚悟がないとはじまらないのだと思う。人類は、過剰な生存意欲があるからこそ絶滅せずに生きていられたのだろう。だが、だからこそ、生存意欲の過剰さに対する自覚をもたないと、欲望も執着も、いくらでも膨張して肥大化していく。そうして、人類も増えすぎるし、生物殺戮するし、資源も食い尽くすし、自己の心身さえも傷つける。

異質な他者存在に対して、多様性に対して、寛容に、しなやかに、ふわっと、受け入れないといけないと思う。究極には己の死に対して覚悟がないと、それはできない。だが、受け入れなければ、「テロ攻撃」が、他人からも、他の生物からも、さらには自分自身の細胞潜在意識からも、加えられていくのだ。

いまのこの日本社会にしても、やっていることは正反対で、威圧して同調化させようとする傾向があり、それは近年ますます増している。それではきっと、ますます危険で不健康暮らしづらい国になっていくのだろうと、私は思っている。

2012-10-30

[][]nigga関連

編集時刻:
    2012/10/30 05:12:27
編集者:
    nigga
編集内容:
    7d6 11d9 12a11,14
    -その凄まじいまでの快感危険性は数多の麻薬のなかでも最高峰に位置するものと語られ、しばしば<b>薬物の王者</b>(<b>The king of drug</b>)とたたえられる。
    +その凄まじいまでの快感危険性は数ある麻薬のなかでも最高峰に位置し、しばしば<b>薬物の王者</b>(<b>The king of drug</b>)とたたえられる。
    +-<a href="http://mimizun.com/log/2ch/ihou/1071563246/">『コ-ルドタ-キ-』</a>...“SICK”氏談(レス12以降)
    +-<a href="http://wiki.nsview.net/What_does_it_feel_like_to_inject_heroin%3F">『ヘロイン打ったらどんな感じがするんですか? | YA庫』</a>

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1398050

編集時刻:
    2008/03/07 11:27:02
編集者:
    nigga
編集内容:
    1,2c1,7
    -グレープフルーツを食べてダイエットをしようするダイエット方法
    +グレープフルーツを食べてダイエットをしようするダイエット方法ゆで卵グレープフルーツを組み合わせたダイエット方法が有名。
    -ゆで卵グレープフルーツを組み合わせたダイエット方法が有名
    +アメリカ合衆国場合は、1930年代ハリウッド起源を持つとの伝えからハリウッドダイエット』とも呼ばれ、食事の量を極端に制限するというその様相と、18日間という期間をあらかじめ設定することなどからクラッシュ・ダイエットの一種であるとも言える。
    +日本では『国立病院ダイエット』との異称がある。偏った食事メニューを基本にすることから、あまり推奨はされないようである。
    + 参考資料:<a href="http://wiki.nsview.net/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88">グレープフルーツダイエット</a>

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=960972

編集時刻:
    2007/11/15 10:53:15
編集者:
    nigga
編集内容:
    8,12c8,13
    --[http://w.nsview.net/v/00080/:title=摂取寺] - 光明山と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市博多区立花寺というところにある。
    --[http://w.nsview.net/v/00088/:title=西専寺] - [[紫雲山]]と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市博多区諸岡というところにある。古くは岡山[[西専寺]]または諸岡山西専寺と号した。永正三年(西暦[[1506年]])の銘のある梵字板碑を寺宝として有す(1989年から県の有形文化財)。諸岡川御笠川との合流地点に近い。
    --[http://w.nsview.net/p/IMGP0752.html:title=無量寺] - 智願山と号する浄土宗の寺で、福岡県春日市の須玖というところにある。智願山、深広院、無量寺。
    --専修寺 - 一向山と号する浄土宗の寺で、福岡県久留米市の藤山町というところにある。元々は行基菩薩の開基で天台宗であったが、兵火で失したことから行明の手により浄土宗寺としての復興を受けた。
    --浄土院 - 安楽山と号する浄土宗の寺で、福岡県古賀市の新原というところにある。
    +-[http://w.nsview.net/v/00080/:title=摂取寺] - 光明山と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市博多区立花寺という町にある。
    +-[http://w.nsview.net/v/00088/:title=西専寺] - [[紫雲山]]と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市博多区諸岡という町にある。古くは岡山[[西専寺]]または諸岡山西専寺と号した。永正三年(西暦[[1506年]])の銘のある梵字板碑を寺宝として有す(1989年から県の有形文化財)。諸岡川御笠川との合流地点に近い。
    +-[http://w.nsview.net/p/IMGP0752.html:title=無量寺] - 智願山と号する浄土宗の寺で、福岡県春日市の須玖という町にある。智願山、深広院、無量寺。
    +-[http://wiki.nsview.net/%E6%AD%A3%E6%B3%95%E5%AF%BA_%E3%80%94%E5%A4%A9%E9%BE%8D%E5%B1%B1%E3%80%95:title=正法寺] - 天龍山、八部院と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市南区横手という町にある。境内に行明の『假墓』なるものがあるという。常に山門を閉ざしている。門を閉ざすというその時点でそもそも仏教根本理念を全く理解していないという信仰上のことはとりあえず置いておくとしても、寺がなぜ法人税を免除されているのかを全く理解していない点は笑止に尽きよう。
    +-専修寺 - 一向山と号する浄土宗の寺で、福岡県久留米市の藤山町という町にある。元々は行基菩薩の開基で天台宗であったが、兵火で失したことから行明の手により浄土宗寺としての復興を受けた。
    +-浄土院 - 安楽山と号する浄土宗の寺で、福岡県古賀市の新原という町にある。

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=924231

wiki.nsview.netってid:nigga氏のウィキ? nsview.netへのリンクを張ってSEOしたいわけですね。

2012-07-02

宗教葬式で「なんなんだ」って思った話

ある人の葬式に行ってきた。

自分も大好きだったその人は、某大型宗教敬虔信者だった。夫婦ともに。

2ちゃんねるでよく叩かれているその宗教は、まあ選挙前になるとちょっと電話わずらわしいけれども、直接の実害があるわけではないし、「自分にとってよくわからないもの」という不安はあるものの、取り立ててわざわざヘイトを表明する対象ではなかった。少なくとも俺にとっては。信じてる人に親切な人も多いし。

今回参加した葬式は、俺の知っている浄土宗だか浄土真宗だかの葬式はいくつかの点が違っていた。

まず、通夜坊主が来ない。

俺の知ってる通夜坊主が来て、読経があって、お布施だのお車代を渡してといった感じだったけどそうではなかった。親族でも友人でもない、喪主でもはっきり誰なのかわからないような人がたくさんやってきて、その中で一番偉いっぽい人がリーダーシップをとってお経を唱える。皆がそれについて一斉に読経するのだ。通夜が終わったら誰だかわからない人たちはあっという間に帰っていく。

そんで葬式

まず受付が違う。親族や友人、職場でお世話になった人用の受付と、その宗教の方々の受付が別に用意される。署名してお布施を受け取るんだけど、その宗教の方々専用の受付では署名しかしない。お布施を受け取らないか引き出物も渡さない。

会場は前後で半分に分けられる。前には親族や友人が。後ろにはその宗教の方々が。後ろ半分はあっという間に席が埋まる。座りきれずに立っている人もいる。どうやら故人は、県内でもわりと高いランクの人だったみたいだ。

葬式開始。

司会のおじさんがマイクで、県内でも偉いランクの誰々さんが来てくれている、みたいな説明をする。その人が棺の前に立つと会場後方のあちこちから数珠をこすり合わせるギョリギョリという音が聞こえる。俺が知ってるのと違う、長くて大きくてところどころ枝分かれしている数珠

棺の前には、戒名の代わりに、今回授与された「称号」が飾られてる。二階級特進みたいなものかもしれない。

会場いっぱいに広がる読経合唱リーダーシップをとる偉い人、マイクを持った司会、会場後方の信者の方々が一斉に、はっきりした声でお経を唱えている。初めは凄い音量だなと驚いていたがあっという間に眠たくなる。

でも会場に三色の旗が飾られているわけでもないし、会場前方の席の皆さんは普通だし、これはこれで、そんなに大した差異でもないのかな(許容範囲かな)とか思ったりしつつ、何しろ故人が惜しまれて仕方がないわけで、ご家族からのお別れの言葉で俺はめそめそ泣いてるばかりだった。

そしたら俺の涙が引っ込むようなことがあった。リーダーシップをとってる偉い人(普通葬式で言うところの坊主役)のありがたいお話のところだ。

故人のことも知っているらしく、思い出話をしつつ、故人が苦しまずに旅立たれたことがせめてもの救いだといった言葉もありつつ、人の命とは、残された我々はどうやって生きていくべきなのか、みたいなありがたいお話があった。内容はふつうに理解できる、何らかの方向に偏ったものではないように感じられた。

ただ、最後の言葉だけ違った。「~であるからして、皆さんもこれからも、この宗教を広めることをもっともっと頑張りましょう」という内容の言葉で締めたのだ。「広布」という単語を使っていたと思う。

葬式最後喪主挨拶だ。メモを見ながらも自分言葉で、故人が如何に家族や友人を愛し、愛されて過ごしてきたかを語る胸にしみる挨拶だった。俺はまためそめそ泣いた。ただ、ラストだけ違った。突然メモを読み上げるようにして、自分言葉じゃないお決まりの文句のように「これからも広布に励んでまいります」的な言葉で締めた。

正直なところ、なんなんだ、って思ったよ。

どんな宗教を信じたってかまわない。心底良いと感じているもの好きな人おすすめするのだって自然だ。俺はやらないけど、故人が夫婦で信じた宗教なんだから否定したくないし、故人の本望なのかもしれない。

でもなんで、最後最後で、会場にいる仲間に「これからも我らが宗教を広めるのを頑張ろうぜ」って言葉で締めくくらなきゃいけないんだ。親族にとっては、ご友人にとっては、故人を偲ぶ会で別れを惜しんでいる俺らにとってはそれは「求めてないプラスアルファだって感じた。なんで故人を偲んで終わりじゃダメなんだ。なんでなんだ。

俺は、俺の葬式では同じようにしてほしくないって感じたよ。例えば俺がものすごい極端なジャイアンツファンで、弔問客の9割がジャイアンツファンで坊主ジャイアンツファンだったとしても、最後最後で誰かに「だからジャイアンツ優勝を祈念しましょう、ファンを増やしましょう」とか言われたくない。俺がジャイアンツ狂いなのかもしれないけど、それじゃなんだか……バカみたいじゃないかジャイアンツファンの方、関係者の方、すみません。たとえ話です。他意はないです。俺、野球興味ないのにごめんなさい)。

葬式を終えた今。それまでその宗教は「自分にとって良くわからないもの」というステータスだったけど、今はなんとなく、「故人の葬式を利用しようとしている」という点で、ネガティブポイントが追加された状態です。なんなんだあれ。なんなんだ、って思ったよ。

2009-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20090625154540

確かに層化ではないけど、

浄土宗のほかに、変な宗教入ってるし、

仏壇に祈れ(参れ?)ば治る、と散々言われてるし、

ちょっと親近感が沸いたというか・・・。

層化がポイントなのね。

2009-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20090609132602

浄土真宗では「冥福」は失礼だ、って話が以前話題になったな。故人は極楽浄土に行っており、冥土を彷徨っているはずがない、なんて。

うちは浄土宗だけど冥土の滞在期間はたかだか49日間しかないらしいので、その間の短い幸福よりも来世(涅槃寂滅しない場合)での幸福を祈ってあげた方が良いような気がする。

2008-12-23

自分はよくわかんない。

まあよく分からないんだけど、

電車内の釣り広告見てるとママ向け雑誌らしい宣伝の横に「池田大作先生の今月の話」とかトピックで乗ってる。大掃除の記事とかの横に。

あと、創価釣り広告は他にもあって、自己啓発系の話題を芸能人とかスポーツ選手にさせて、さらに横に「池田大作先生の今月の話」とか。

君たちは一体どんなコンテンツにもその人を乗っけなきゃ気がすまないのかい?と。

話題を入り組んで同じ本に書くのってどうなの。勿論読む読まないは個人の自由なんだろうけど、

布教活動的な話をわざわざ余暇時間に目を通すものに織り込んでくる、そういうあざといやり方がなんか気持ち悪い。

電車の中で聖教新聞を読んでいる人がいるから横目で見たことあるけど、子供はこうであるべき!とか女性は!とかとびっくりマーク押し付けな記事が多かった。朝からあんなの読めないな。朝日とか読売かなんかメじゃない位偏ってた。あれ読んで育ったら怖いなあ。余談だけど赤旗も似たような雰囲気だよね。遠い親戚で懇意にしているおばちゃんが、やっぱり創価聖教新聞を取ってくれ、と30年位頼み込んできてるらしいけど、うちは別の宗派だし、一向に断ってる。大体布教新聞を30年も頼み込まなきゃいけない状況って一体何なんだ。86のばあ様だぞ。

友人に創価の子がいるけど、一緒にいるときとかも久本雅美創価芸能人が出てくるとどれだけいい人なのかとアピールしてくる。何かあると、(知ってる人じゃないと知らないような)創価(のキャラとか企業)=善、みたいな価値観を計算してるのかナチュラルなのか分からないけど押し付けようとしてくる。辟易。本当は友人ではなく知り合い。もう3年も連絡取ってないから過去の人。その子がおかしいだけなのかもしれないんだけどね。

うちの親位の世代になると、プライベートに土足で入り込むような布教活動して話をよく聞く。で、気分害された方が多いからそういうの聞いてると集団としてちょっと、と思う。例え1000万人位の超デカイ集団だったとしても。仲間じゃなくてよかったなあと思う位。

だけど、まあ創価の友人とか知り合いとか他にもいる訳でその子たちの全てがおかしい訳じゃないし、その遠い親戚で懇意にしている人だって懇意にしている位だから気持ちがいい人達。勿論浄土宗の親戚だってキリスト教の親戚だっていい人ばかりです。付き合いある人は宗教なんかで変わらない。

池田大作さんってのをwikiすら読んでいないからわからないけどまあ巨大な宗教(なのか経済団体なのかわかんないけど)作ったのはすごいとは思う。

悪いことばっかりじゃないからって自分創価に傾倒しようとはまったく思わない。ああ、ここまで書いて分かった。そういう傾倒していない人達ターゲットにしているはずの、「楽しみで読む雑誌」に「布教ネタ」を臆面なく織り込んできてるような「ちょっと不適合というか賢いとは逆のセンス」を「集団」で支持してる、のが気持ち悪いだけ。偏見でもなんでもなく、人生経験に基づいた感想

http://anond.hatelabo.jp/20081223121426

2008-09-30

仏教大学大学院卒業した浄土宗坊主と法論をした。

あの坊主、最弱だった。

俺に論破されてしかも最後は逃げ出した。

極楽浄土阿弥陀仏存在は、実存だと言うから、それについて科学的な証明を求めたけど、最後まで答えられなかったな。

坊主葬式商売なんて、原始仏教のパーリ経典では禁止されているのに、相変わらず江戸幕府権力機構に組み込む為に作られた檀家制度にしがみついて商売している。

キリスト教浄土真宗

アルファルファモザイクにあったんだけど

755 おさかなくわえた名無しさん :2008/09/08(月) 11:42:35 ID:r1uAsXLp

221 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2008/09/07(日) 01:11:17 ID:Oy8wBgQj

浄土真宗系のできかたって、いかにも日本的だと思うんだよなー。

仏教開祖のお釈迦様が、当時の日本思想エリートが導き出したこの結論を見たら

モニタに茶を噴くのは間違いないと思う。w

比叡山修行した法然。→浄土宗

ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人的謙遜)

働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちにしか役立つ可能性がない。

でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたら

おまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。

はらたいらさんどころじゃないよ。「あみださまに、全部」 さあ何度でもいいつづけよう」

親鸞浄土真宗

法然さまはおおむね正しいけど、阿弥陀様なめすぎ。

念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき)

心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。

だから俺なんか結婚だってしちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ」

おまけ 一遍→時宗

「おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。

つまり俺たちは阿弥陀様のおかげで勝ち組。もう決まってんの。(←日本人的暴走)

だから感謝の踊りを踊ろうぜ、let's dance!」

こういうのみると、いつも思い出せなくてイライラするんだけど

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キリスト教の教えとと浄土真宗の「悪人正機」は通じるところがある。

キリスト教も伝来していない文明日本でこのような教えをしていたなんてありえなーい

外人がびっくりしてたよ。

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って書いてあった本を読んだことがあるんだよね。

キリスト教浄土真宗って通じる所あるの?

id:finalventなら教えてくれるのかしら?

2008-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20080929015934

仏教の伝来には大きく2つのルートと二つの宗派があってだな…。

インド(原始仏教)―ダルマさん―中国朝鮮日本 (北伝ルート大乗仏教

インド(原始仏教)―ビルマタイラオスカンボジア (南伝ルート上座部仏教

というふうになるんよ。

んで、中国経由のほうの根本経典は、基本的に般若心経とか法華経とか、浄土宗だと無量寿教とか阿弥陀経とかの大乗経典

仏教経典っていうのは、基本的にすべてお釈迦さんが語ったものを後の世に経典に表したという形になってるんだけど、大乗経典っていうのはお釈迦さん以外の如来ブッダ)が登場したり、観世音菩薩だの弥勒菩薩といった菩薩が登場したり、不動明王が登場したり、とにかくいろんなキャラが出てくる。

ちなみに大乗仏教ってのは、自分一人で悟って涅槃行ってもつまらんから民衆も救済してやるまいよ、という立場の仏教ね。

(これに対して自分一人が修行者として悟ることが第一と考えてるのが上座部-南伝仏教な)

もうこれだけでもわけわからんと思うんだけど、こんなわけわからんのは本当の仏教じゃない、っていうことでわけわからんことをやり出したのが禅宗で(公案とか只管打坐とかね)、それが日本に伝わってきて、明治になって鈴木大拙という人がアメリカで大々的に禅を普及したので、禅=日本というのも間違っちゃいないんだよ。

2008-09-11

浄土宗キリスト教は似ている。

キリスト教は神を人間を超越した存在として人間はそれに従属化される。念仏思想阿弥陀如来もそれと同じように人間を超越した存在として人間はそれに従属化される。

両者は人間の自立を説くのではなく「神仏にすがる。」という姿勢が同じである。

その長い者には巻かれろ的な思想が、国家権力には都合上よろしくてそれぞれに文化として国に根付いて当時の封建社会を支えてきたのである。

近代に入ってからは科学技術の発達とともにマルクス主義民主主義思想が台頭して、宗教権威主義は近代哲学科学的な反証から批判をされた。

しかし、現代でも日本人は(それが念仏思想の影響)とも知らず知らずに、違う形でその名残を残している。それは、現代社会を覆う無気力と諦めと虚無主義がそれだ。

日蓮立正安国論警鐘を鳴らしたのは、この社会全体を覆う閉塞感と無気力感の元凶に対してである。

2008-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20080323225126

多神教だからといって異教と対立しないわけじゃないからね。

たとえばローマ帝国多神教だったわけだけど、キリスト教徒ユダヤ教徒と衝突してるし、人死にも出している。

ローマ帝国は、異教徒に、当時の水準で言えば十分に寛容だったろうが、ローマ帝国が弾圧を加えたこと自体は事実だ。

また、「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」ってのは、信仰とは切り離しての政治的な妥協を認める格言だ。キリスト教だって頭が固いばかりではないよ。

あと、日本仏教でも天台宗から批判されて(原因はそれだけじゃないにしても)幕府から浄土宗が弾圧されたりしてるし。日蓮宗は他宗派を激しく批判してるし。

2007-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20071024214429

子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの(こどもしかるなきたみちだもの、としよりわらうないくみちだもの)

子供の過(あやま)ちを無闇の叱るものではなく、老人の言動を軽々しく笑うものではない。

自分も子供の頃に同じ過ちをした筈だし、やがて年を取れば同じような言動をするようになるということ。

★後に「来た道行く道二人旅、これから通る今日の道、通り直しのできぬ道」と続く。

★作者は不詳。妙好人(=浄土宗信徒の誰か)という。永六輔が著作『大往生』で、愛知県犬山で見たビラの言葉を広めたという。

2007-06-21

昔は日本人の9割は念仏をやってたんだよ。

いわゆる浄土真宗浄土宗や念仏宗といった念仏を唱える事を信仰とした教団は、現世が辛くても死んでから極楽浄土に行けると言って信者の獲得をしていったんだ。

しかし、中世戦国時代には反権力的な武装集団として戦国大名と激しく争いあっていた。

それは今で言うところのイスラム原理主義者のテロ活動となんらかわりわないし、本当は反社会的カルト日本中の庶民が染まっていたんだよ。しかし、

江戸時代檀家制度あたりから、日本の念仏仏教は反権力志向から権力側に取り込まれる形になったんだ。

それからは、お葬式意外には念仏の役割も無くなった。

日蓮仏教はどちらかと言えば念仏思想とは全く対極的な思想なんだよね。死んでからの極楽往生は説かないで、現世利益を説いている。それで念仏の阿弥陀経ではなくて法華経を第一の釈迦の教えとして信奉している。

日蓮は他宗との法論で念仏宗とも何度も法論をしている。で、日蓮は念仏の門徒から命を狙われて襲われた事も何度もあったんだ。

有名な著書には立正安国論がある。

現代で言えば創価学会日蓮の教えを信奉する団体だよ。

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