はてなキーワード: 流行歌とは
本当はこういうのって読者サイドから自然発生する話なんだよな。
でも"仕掛け"が見えると今はみんな乗ってこない。
……なんでだか分かるか?
要はさ、「オマエラ」とか仲間ぶった口調で呼びかけられてもオマエが本当の読者かどうか分からないからなんだよ。
同じ時間を過ごした仲間と「おもしろかったよな」って話すのと、商売してる癖に匿名をいい事に「オマエラ」なんて金も掛けずに呼び掛けるような連中が多過ぎるのが原因なんだ。
もう辟易っつーかさ、みんな信じられなくなってるし、実際にファンだとしても利害が見えると「やっぱりな」って感じでウンザリなんだ。
どうしてそうなったかって、そういう仕掛け方をやめない連中の自業自得だから、俺にはどうでもいいんだけどな。
いや、別に「オマエ」がステマ野郎だなんて断言してるんじゃないんだぜ?
読者様にはそれを見分けようがなくなっちまった、って話をしてるんだ。そして読者様はそれに慣れたんだ。
だから「アレが面白かった」「コレが面白い」って言う奴も減った。
そういう話を信じる奴も減った。
アニメもそう。映画もそう。ドラマも音楽も漫画も小説も舞台もみーんなそう。食べログや名所案内ですらそうだからな。
斯く言う俺も嫌いじゃなかったぜ? 他にも好きなものはたくさんあった。
でもそれに泥を塗られてる気分、分かるか?
「テキトーにマーケティング会社に任せとけばいいんですよ、読者なんて人気だって言っとけば信じるんですからw」
そういう姿勢で年収ン千万も取るようなのが、仲間ヅラして「オマエラ」ってやらせてきたんだって思うと、どんな気分がするか。
最近じゃブランドバッグだっけ? それで女を格付けするって言ってるオヤジがサンドバッグになってるんだから笑い話としちゃ上出来だけどさ。
残念ながらはてなでのオマエの話には乗りたくない。
それはオマエが悪いんじゃなくて、今まで好き勝手やってきた出版社やテレビ業界や広告代理店のツケが来てるってだけの話だ。これからもそれは変わらないし、生まれた時からネットがある世代は増えているから悪化しかしないだろう。
実名SNSはそうした裏切りを回避できる可能性もあったが、有名アカウントに隠れた宣伝依頼をされてるのが発覚して結局宣伝めいた話は嫌われるようになった。
寧ろ、何かを褒めるのが疑われる原因だから褒め難くなったって言ってもいいだろう。
広告のコストと効果の最適化戦略だとかアクセルロッドの戦略ゲームを持ち出してもいいが、話はもっと単純だ。
「オマエラ」は俺の本当の仲間との思い出やなけなしの小遣いに唾を吐いた。
「オマエラ」は俺の好きだったものに泥を塗った。
だから誰だか分からない「オマエラ」の話は相手にされないし、「オマエラ」はこれからも嫌われていく。
楽しかったな。
原っぱでやった変身ごっこや登下校時のお話作りや何の気もなく口ずさんだ流行歌や一緒に絵を描いた時間も。
でも「オマエラ」は仲間じゃない。
残念だな。
オマエが本当の仲間だったとしたら、尚更だが。
僕は今、みちのくに向かう寝台列車にひとり揺られている。(75 寝台列車)(72 鉄道)(15 一人旅)
岩手県の、とある霊山でバックカントリースキーを楽しむためだ。(51 パワースポットめぐり)(64 スキー)
今日は、バックカントリースキーの魅力をこのブログに書き残しておこうと思う。(6 ブログ)
管理されたスキー場ではなく自然のままの雪山を滑走するバックカントリースキー(BC)は、ドロップポイントまで自分の脚で登らなければいけないし、ときには野営もする。要はスキーをかついだ冬山登山である。(35 登山)(1 キャンプ)
BCはスキーの技術だけではなく登山についても十分な知識と経験、装備、そして体力が必要になる。だから夏の間は準備のためにあらゆるトレーニングをする。実際に山にも登るし、筋力トレーニングはもちろんのこと、ロッククライミングの講習を受けたりもする。(7 筋トレ)(17 ボルダリング)
今回は途中の山小屋で一泊する予定だが、山小屋泊はいつもいろいろな出会いがあって楽しい。山小屋につどう様々な年齢職業の人々の雑談に耳を傾けながら、スキットルに詰めてきたモルトをちびりちびり。至福のひとときである。(57 人間観察)(34 お酒)
山小屋の夜も更けると、誰からともなく懐かしい流行歌の合掌が始まる。僕も小屋に誰かが置いて行ったウクレレで伴奏をつけながら、絶妙なタイミングで合いの手を入れる。(22 ウクレレ)(32 音ゲー)
ある時など、同宿者から何か歌えと言われて一番得意なビーチボーイズの『サーフィン・USA』を歌おうとしたのだけれど、むかしあんなに一人で練習したのに歌詞をど忘れしてしまった。途中から出まかせを歌ったらこれが逆に大いにウケたのもいい思い出だ。(95 サーフィン)(39 1人カラオケ)(13 作詞)
このように山小屋での一泊は和気藹々としたものだが、たまにケンカもある。ある時は大道芸人とトライアスロンの選手がささいな口論から取っ組み合いになり、片方が大怪我をして訴えを起こす騒ぎになってしまった。(41 ジャグリング)(60 水泳)(47 サイクリング)(4 マラソン)(82 裁判傍聴)
みんなが寝静まると僕は外に出て空を眺めることが多い。冬山の夜空は満天の星。この美しさを楽しめるのは、自分の脚でここまで登ってきた者だけに与えられる特権だ。昔の学者たちは、こんな星空を眺めながら複雑な計算をして宇宙の仕組みを解明していったんだなあ、などとぼんやり考えていると、手を伸ばせば届きそうな頭の上をUFOが通過していくこともあった。(10 天体観測)(24 数学)(46 UFOキャッチャー)
夜が明ければ深い雪をかきわけながら山頂を目指す。道中はここでしか見られない高山植物や希少な野生動物も目を楽しませてくれる。高山と言えば長野のライチョウが有名だが、意外にヒワなどもけっこう高標高まで鳴き声が聞こえてくる。(78 バードウォッチング)
長い時間かけてたどり着いた山の頂上からの眺めは最高だ。記念写真を撮ったらまずはゆっくりとコーヒーを沸かして喫むことにしている。山の上での撮影は最近流行りのドローンが楽しい。荷物が軽い日帰りの時はできるだけ持っていくようにしている。(18 カメラ)(45 コーヒー)(80 ラジコン)
山頂での一服を楽しんだあとはいよいよ滑走だが、あれだけ長い時間かけて登っても下るのはあっという間だ。粉雪のスプレーを全身に浴びながら心を無にして滑走しているうちに、魔法にでもかけられたかのように、あっけなく麓に着いてしまう。(8 マジック)
山奥には秘湯と呼ばれる名湯がひっそりと湧いていることも多い。登山と滑走に疲れきった体は温泉でリフレッシュしよう。(43 温泉巡り)(30 サウナ)
せっかく遠くまで来たのだから、時間に余裕があれば、地域の名所や旧跡に立ち寄って見聞に蒙を啓くのもまた、旅の楽しみのひとつだ。(70 歴史)(12 神社巡り)(29 動物園巡り)(31 水族館巡り)(50 博物館巡り)(94 ダム巡り)
恭介はそうつぶやくと、しばし手を止めてパソコンのファンの音に耳を澄ませた。どこかの調子が悪いのか、最近やや熱暴走気味でファンがやたらにうなるのである。
やはり次はメーカーの完成品にしよう、と思いながら恭介はいくつかのキーを素早く叩いた。するとパソコンは、恭介の書いた原稿を校閲し「はてな匿名ダイアリー」へ投稿する自動シーケンスを一瞬のうちに実行してから自発的にシャットダウンした。(68 自作PC)(26 プログラミング)(5 小説を書く)
カルチャーって、「言葉」とか「絵」とか「民俗」とか、人間が生み出すもの。
上記のような、地域や民俗などによっても異なるそれぞれの「言葉」「絵」「民俗」などをベースに、新しく生まれてきているものがサブカルチャー。
だからsub=下位概念という接頭語が付いていると学生時代に教わったよ。
具体的には、吟遊詩人~クラシック音楽ぐらいまではカルチャー、流行歌はサブカルチャー、とか
神話~古典文学ぐらいまでがカルチャー、それ以降はサブカルチャー、とか、
単純に、学問として腑分けできるぐらい固定化されているものなどがカルチャー、流動的なものがサブカルチャーみたいに考えると分かりやすい。
95年~96年ごろ、日○研大森校(現在は消滅)で算数を教えていた通称ナスビ先生がいてな、
あの頃流行歌だった岡本真夜のtomorrowを替え歌にしてクラスの生徒たちが合唱したことがあった。
以下歌詞(サビ部分)------
ナスビの数だけ弱くなれるよ
見るものすべてがおびえているよ
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先生は、歌が終わった後あきれた顔をしたものの、特にコメントもなく授業を始めた気がする。
そして次の年には辞めていったと記憶している。他に覚えているのはちょっとした学級崩壊になっていた事。
先生は特に怒鳴ったりするようなことはせず、スルーしていた事。
とまあ、今頃このことを思い出して自分でもびっくりしている。自分は先生に謝りたかったのかもしれない。
ただ、この自分の記憶も自分の都合のいいようにアップデートされた可能性があり、
いや、作曲家すごーくたくさんいて、宗教曲も世俗曲もどんどん新曲作られてたよ。
1人で何百曲も書く作曲家だっていたし、有名無名合わせて一時代に何百人と作曲家はいたから、新しい音楽はいくらでも溢れていた。
昔から伝わる民謡だとか、伝統的なグレゴリオ聖歌ばかりを延々歌ってたわけじゃなくて、その時代の作曲家がその時代に作った音楽が普通に歌われていたんだよ。
当時の音楽はパトロンが大枚はたいて作曲家に書かせるものだったから、そりゃあ確かに"ヒット曲"なんて概念は存在しなかったね。
エイヨ― TOKYO, MABOとSS, YES! 欲望放ちかませ
エイヨ― TOKYO, MABOとSS, Uh!! (Yo) You know what time is it?
東京弐拾伍時あの店の倉庫に集合 騒がしい街見下ろすベランダで休息
磨く銃口 企む計画 終わらない反抗期 でかいpay back
ポッケぱんぱんのMoneyで鼻かむ ラップスター抜け出す格下ラッパー
ベイベベイベ― 手の鳴る方へ転がるstoneのよう響くflow
Here we go, YO! 日々膨張 始めちゃうぜ Can I Kick it, Tokyo?
から回る森のビルも森から回る回る 食べるよみんな明日にマイクパス
Check 1, check 2, check 3, YES! 眠らぬ街といざS.E.X
この病む街から俺たち発進 旅立つsick life, illなtype
人に問う 溺れる溢れる 見えなくなる残念SHOW
イラッとくる価値の供養 流行歌 ファッション コンビニの下着Peach John
逃げ道がないコンクリのLife 電磁波が溜まるどうしようもない
パない騙し合いそこに価値はない 薄い武器一つ戦ってはいけない
音が溶ける街に受ける刺激 健全的時を育ちはじめ
My microphone から調子はどう?From neo TOKYOから超電導
Yo, N da I con T.R.O we are 殺し文句のP.R.O
そう奴はFUDATZKEE おわかり?Mack チョキチョキ Swik どのくらいどう?
Swor-D (カキーン!カキーン!) まさにAvengers みてぇなMCs
(The saga continues)
帰ってきた余裕ちゃん 遊んでるfuture
最近物足りてないエンドユーザー また告げてあげるドクーガンな集団
ブーキャン?ウータン?そんなんじゃねえよTOKYO N.M.Uじゃん?
宇田川純正のHIP HOP チューナー 列島縦断 MABO とSS
知ってるヤツらなら相変わらず 知らねえヤツは今知ったはずYes
A.JにForce One, ガッエッページェン
ぶらす散らすプラス思考のバウンス バイスレス皆に送るGod breath
耳に残るえぐるKillerのPhrase 返す返す巡るCall & Response
ホログラムじゃなく生身のLive ボーカロイドじゃ愛せるわけ無い
俺はロジャーみたくわが道行くAvengersみてぇな
My microphone から調子はどう?From neo TOKYOから超電導
Yo, N da I con T.R.O we are 殺し文句のP.R.O
そう奴はFUDATZKEE おわかり?Mack チョキチョキ Swik どのくらいどう?
Swor-D (カキーン!カキーン!) まさにAvengers みてぇなMCs
Yes, don't stop Hip-Hop 東京弐拾伍時
Avengers, 4人です!in da Daimonion Studio
Back again!
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低俗でくだらないコンテンツが好きだから、とてもそういう気持ちにはならないな。
誠実さがないというのか、「こんなものでも売れるだろ」というふうな作品は嫌だな。
流行に乗っかって、適当なマーケティングで作られたんじゃないかと思えるもの。客をバカにしている。
俗っぽい作品の中にも、売れるにはどうすればよいのか徹底して考え抜かれた、面白いものもある。
作り手の手間暇と情熱がつぎ込まれていると感じられればいい。
誰かが選別をするというのは個人的に気に食わないし、偏ってしまうはず。
選び取るのは文化を受容するお客さんがやればいい。
店頭にゴミばかりならんでいるなら、客の見る目がないということ。
表現規制の歴史をふりかえってみようか | DDN JAPAN - DIGITAL DJ Network
http://japan.digitaldj-network.com/archives/51565236.html
http://megalodon.jp/2010-1012-0424-32/homepage2.nifty.com/tipitina/HYOGENC.html
サブカルチャーという定義がいまいちぼやけているので分かりまねますが大衆文化という定義で捕らえるとサブカルチャーだから何かしらの特別な影響を生み出す物ではないとは思っています。60年前の新聞には歌謡曲が俗悪流行歌として取り上げられています。
文化というものは時間を掛けて成熟され評価される物だというのはいつの時代も同じだということです。
コンピューターゲームが日本において広く認知されたのは今から30年前のスペースインベーダーブームがだと思われます、そしてファミコン誕生から26年です。
統計を見てもファミコンやコンピューターゲームがなかった時代あった時代も少年犯罪の発生率は増えてもいない減ってもいないというのが正しいのではないでしょうか?
犯罪の質も殺人や強姦、強盗といった重大犯罪よりも自転車泥棒といった横領が増えています。これは経済的にやむにやまれずと犯行を行ったり性の発散を行う術がなかった事による悲劇だと思いますがむしろ今は一人っ子によるストレスや孤独による物であったり周りに常識を教えてくれる人が居なかったが故に、周りの大人達が行っている行為を行ってしまい放置自転車を持って帰ってしまったり放置傘を持って行ってしまったといった類の物だと思います。
その子供が自ら意識して興味を持ち見るといった行為を私は遮るべきではないと考えています。
自らの意志で性的な物に興味を持ち見てみたいという行動も自分の中で性を消化していく過程では必要なのです。
問題なのは性的な創作物に触れる意志がない状態で見てしまう、受け入れる準備が出来ていない状態で見てしまう事が問題なのではないかと思います。
たとえばティーン向けの雑誌で性の相談を載せるレベルならいいでしょうが全員が受け入れる準備をしていないのに前戯仕方が載っているなどといった事です。
成年雑誌についてはテープで封がされていて開けないようになっていたり、成年ゲームに関しては元々が相当高額であったりクレジットカードによる認証が必要だったりとハードルが高くなっています。
出来る限り心の準備が出来るまでフィルタリングソフトで見せないようにしてそれを自力で解除してまでみたいという気持ちが生まれてきたのなら黙認しつつ正しい性教育も行っていく、家庭内でもタブーにて触れないのではなく体の成長に伴う不安に思う心を和らげてあげるサポートをしていくのが良いのではないでしょうか。
by bobcoffee 2010/03/25 17:18:05 from hatena haiku 返信 初稿 2009年05月14日
うーん、やっぱり共感できない。
なぜ共感出来ないかと言うと、歌う内容、方向性が、あまりに現実の自分たちと違いすぎるのだ。
もっと現実ってグチャグチャしているはずなのに、何で流行歌手はキレイな言葉に摩り替えたり、方向性を恋愛、夢などにしてしまうのだろう。
例えばこれは凄く個人的で開き直りな感情なんだけど、恋愛ソングなんかじゃなくて機能不全家族や共依存のこととか自尊心の低さとかを歌って欲しい。しかもキレイな歌詞にして歌うんじゃなくて『家族と離れて暮らす方が幸せなんだ』とか『もしも君が甘えたいと言ったら 僕は君の手を離すよ』といった、本当の現実に寄り添った歌を歌ってほしい。『家族と一緒に居るほうが幸せ』とか『君に思いっきり甘えたい』とかもううんざりなんだ。
今のところこういう歌詞で歌っているのって神聖かまってちゃんぐらいなので、EXILEや西野カナにもこういう方向性を目指して欲しい。
女が入ってきた文化は間違いなく衰退する
http://blog.livedoor.jp/kaibu222/archives/51466679.html
↑のブコメ
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/kaibu222/archives/51466679.html
既に※欄やブコメで色々と突っ込まれているが、色々と思うところがあったので書いてみる。
男だけで楽しくワイワイやってきたところに
女がチヤホヤされたいと私も混ぜてぇ~混ぜてぇ~とズケズケ入ってくる
そうして衰退した文化は多い
Ⅴ速
どう見ても、「流行る→落ち着く→定着or衰退」という、よくある流れになっただけのものがほとんどです。本当にありがとうございました。
定着or衰退期に入ると、あとはもう個人の趣味の領域で、やる人は深くハマってるけどやらない人は全然やらないというふうになる。
バブル期を経験した人が、「最近の若者は飲む・打つ・買うをしないね」と言ってるのと一緒。別に女関係ない。
昔は今より夫婦漫才が盛んだったし、音曲漫才は多数の女芸人が活躍してた(証拠映像:http://www.youtube.com/watch?v=tzWfxPs0Fmg)。
漫画挙げるなんて、もうね…2000年以降急に女漫画家が参入して来たとでも?
ただ単に男同士で遊んでて女の存在が見えてなかっただけ。
つーか、スレを見るに、今の中高生中心の若者文化を楽しむには年を取ったが、かといって昔のことはよく知らない20代ぐらいのやつが懐古厨気取って、昔は男だけで盛り上がってたはずだと、憶測だけでものを言ってるんだろうな。
まあ自分も20代で、お笑いと流行歌は昔のほうが良いと思っている懐古厨だけど、懐古厨気取るなら、こんなちょっと調べればわかることぐらい、調べてからものを言えばいいのに。
ここで、コミケを例にとって話をしてみる。
一般参加者の男女比については、2004年8月のコミックマーケット66でコミック文化研究会(九州大学助教授・杉山あかし)が準備会と共同で試験的に計測した結果によると、男性がやや多いかも知れないという。一方で、2008年2月に準備会が公開した資料「コミックマーケットとは何か?」によると、女性57%、男性43%である。サークル参加者に関しては、同資料によれば女性71%、男性29%であり、準備会は「世の中の認識とは異なり、女性の参加者が多い」と結論づけている。時期によってサークル参加者の男女の比率は大きな変動があるが、第1回コミック=マーケット開催当時から一貫して女性のサークル参加者数が男性のそれを下回ったことはない。
つまり、女の場合は比較的全員参加型になるのに比べて、男の場合は、一部の自分でガンガンやる人と、沢山の消費専に分かれる傾向があるということだ。
そして、消費するだけの人間ほど「自分たちのもの」「わしが育てた」と思い込みやすい。
実際に、2chやニコニコ動画などでは、運営は「誰でもいらっしゃい」のスタンスであるにもかかわらず、「自分たちのもの」と勘違いする男が沢山いて、「女は出て行けよ」などと言っている。
加えて男の場合、「女にはわからない男の世界」というホモソーシャル的な優越感を感じながら趣味を楽しむ人がいるのが原因かと。
これが全てですね。
文化の衰退の根本的な問題を考えずに女のせいにする思考回路は、子供がキレる原因をゲームのせいにする「ゲーム脳」と変わらんよ。
ゲーム脳を信じても子供のためにはならないように、女のせいにしたって文化のためにはならない。
もうほんと、何もしない人に限ってこういうこと言うよね。
ヒトラー総統も言っています。
ヒトラーを持ち出してくる時点でアレだけど、あのナチスの時代こそが、ドイツの文化が衰退した時代だったんだが。
近代日本においても、第二次世界大戦中が一番規制かけまくって文化が衰退した時代だったよね。
中国も、文化大革命の頃が一番文化が衰退した時期だ。中国の場合は、現代もまだ衰退期を抜け出せていない感があるけれど。
あと、是非ようつべで、昔の懐古厨代表、人生幸朗・生恵幸子の夫婦漫才見てみてください。
面白いよ!
http://www.youtube.com/watch?v=wHQflkzqDx8
そして、半田健人に超期待。
先夜、晩酌が過ぎたのか茶の間でうたた寝し、つけっ放しにしたテレビの吹き替えの声で目を覚ましました。ぐずぐずと瞼を閉じたままでいると、耳にヘンリエッタだの、アンジェリカだのと呼ばれる少女たちの会話がとびこんでくる。スパイ物だろうか?それともテロリスト物だろうか?
いずれにしても武器を使った先頭場面が登場するヨーロッパ映画に相違なく、さて、どんな女優たちが出ているのか、と目を開けてぎょっとした。画面に映っていたのはアニメ。しかも少女たちは目が大きな、いわゆる”萌え系”のキャラクターだったからである。
これって、何なのだ?本腰を入れて見る間もなく番組が終了したため、ネットでこのアニメについて検索して、さらに驚いた。アニメに登場する少女たちは全員サイボーグという設定。時代背景は偽史が絡んだ現代イタリア。某公益法人が、事故で瀕死の重傷を負うなどした少女たちを集め、人体改造と洗脳を行い、反政府組織に対する非合法活動に就かせるというのが物語りのあらましだった。
少女たちは家族との別離と身体の劣化を、運命として甘受せねばならない。また、彼女たちには男性の担当官がついて、男女間にはフロイト風に「転移」した感情の縺れが出来上がってもいるらしい。オタク世代のアニメ文化もここまで複雑で高水準になったか。
実は私はかねがね、オタクや腐女子と呼ばれるアニメやゲーム漬けの若者が増殖することに、かすかな懸念を抱いてきた。このままオタクが増え続ければ、しまいには大事な決断や、国家的な戦略策定の場面で、私たち日本人は道を誤るのではないか、と。
たかだかアニメやゲームで何を大げさな、と考える向きもあるかも知れない。だが、オタクたちの「萌え」志向や世界観が世の中で支配的になれば、私たちはますます内向し、衰弱して、リアリズムが貫徹する他国の人々に軽んじられるのではないか?いや、冗談ではなく、私はそう考えるのだが、ただ、これにはちょっと説明が必要かも知れない。
文芸について考えれば、私たちは小説や批評を読むことによって、暗々裏に人生の悲哀や生活の真実を知り、また生きてゆくための規範や行動の基準のようなものを学ぶ。ときどき人生の切所で小説の一節が脳裏に浮かんだり、敬愛する文学者の誰それが立ち向かったと同じように、人生に立ち向かおうとしたりするのはこれである。
しかし、こうした功徳は文学のみならず、ある日くちずさんだ流行歌の一節だったり、映画や芝居の登場人物の台詞だったり、さらにいえばマンガやアニメの一シーンであっても同じだろう。
例えば、つらい毎日に挫けそうになったとき、「立て、立つんだジョー!」と『あしたのジョー』の段平オヤジの督励が聞こえてくる、などと言えば人は笑うだろうか。鈴木清順監督の『けんかえれじい』には「可愛そうってことは惚れたってことよ」という漱石から転用された台詞が登場するが、そうした台詞で自分自身の恋愛や結婚の行方を納得する男女だって多数いることを私は知っている。また周囲に振り回されたあげく、鶴田浩二をまねて「右を向いても左を見ても、人生まっ暗闇じゃござんせんか」と呟く人がいるが、私が言いたいのは要するにそういうことだ。
ここにあるのは自らに何らかの役割を振り、その役割によってようやく自分たり得る私たちの姿である。よく「とり換えのきかない自分」などと言うが、胸に手を当てて思いいたせば、私たちは常に何らかの役割(人格)を自らに振ってその場その場を生きている。自分とはその意味で他人なのだ。
まことに「人間この劇的なるもの(福田恆存)」で立場が人を作るというが、家では頑固オヤジであっても、会社に行けば部長なら部長としての振る舞いがあり、学校の先生であったならば先生としての行動がある。また老母に対しては、よき息子、娘の役目も勤めねばならない。
こうした前提を認めれば、オタクや腐女子では「萌え」が判断の基準になり、行動の準則になることは明瞭だろう。しかも彼らはどっぷり浸かったゲームやアニメの世界を生きて、いま、ここにある現実を生きようとしないように見える。そしてその結果、例えば外国人との交渉で、会社や国の命運をかけて決断せねばならぬときに、ついついリセットできるゲーム感覚で、鼻面を引き回されることだってまま起こり得る。
とはいえ、うたた寝から覚めて見たアニメに驚かされたように、オタク世代もリアルの構造が私たちと違い、異なる感受性によって動く頭を持っているだけ。実はむしろ今のリアリティーに適応した世代なのかもしれない。年寄りが若者たちに文句を言うのは、古代メソポタミア文書以来、普遍的な話らしいから、私の懸念は愚かな繰り言なのだろう。
とここまで書いてふと思い出した。百年に一度と喧伝される経済危機の中、財政出動を決意した政府が、世界に冠たる日本のアニメ文化を発信するためアニメの箱物を作るという。ふむふむ。要するにすでに私などが思うよりも、ずっと世の中は進んでいたのだろう。切所ですでに「萌え」は老人により先取りされているらしいのだ。これがうたた寝から目覚めた私の短絡や懸念と重ならぬことを祈りばかりだ。
その程度の音楽知識は最低持ってるべきだろう。
あと、古賀政男の曲もピンキリだろうけど、安易に「平凡」とかいうと
猛烈なツッコミくらいかねないぜ。
音楽性
クラシック音楽を基礎とし、極めて器楽的である。使用楽器も室内楽のものに準じることが多い。ギターが使用されることもあるが、クラシックギターである。譜割りも現在のポピュラー音楽と違い一定の規則を守っており、その中で個性を出すことに作曲家の才能が試されていた。
後世からは「演歌」と混同されることが多いが、音楽性の面から見ても大きな誤りである。流行歌の音楽性は現在の演歌・歌謡曲に加え、クラシックの声楽曲などさまざまな分野の要素が渾然一体となった様相を呈しており、演歌以前の独立的な音楽性が認められるからである。
学生のノリでなく、社会人的ならカラオケの乗り切り方になってしまうのだけど、せっかくなので書く。
俺はカラオケ嫌いな上にエロゲオタなので、世間一般で流布されてる歌なんてマッタク知らない。カラオケは会社の付き合いなどで、1 年に 1 回行くかどうかぐらい。なので、ネタ役しかやらない。付き合いだとどうせ酒飲んでるから、ムチャクチャでも許容されるしねw
で、俺が具体的に使ったことがあるのは……
ぐらいだろうか。ポイントは「テンション低い自分」のまま行くこと。お前合唱コンクールかお坊さんのお経か、ってぐらい、クールっていうか地味に行く。背筋をピシッと伸ばし、腹から声を出して「あ゛ぁるこぉーあ゛ぁるこぉー ワタシはぁーゲンキー」と暮れの第九並に低音かつ不動剣で歌いきる。
# 引用元増田のようにダンスするなど、ハジけるのもアリ。そこは自分の性向と要相談。
場が「なにこいつwwwwあほかwwww」になったら、後は聞き役に徹していればおk。マイク回されそうになっても「あっ、ムリっす。これ以上は……」とかわす。一回はバカやっておけば、KY 認定されることはないように思う。
ただし、少人数(3,4 人)でカラオケに連れて行かれるとコレだけでは持たない。このため、このケースでは……
最新のヒットソングは知らないが、90年代J-POPは結構使い勝手がいい。
のストックを作っておくしかない。コチラはあまり詳しくないのだけど……具体的な曲名が列挙出来なくて申し訳ないが……福山雅治、ドリカム、ミスチル、近藤真彦、スピッツ、B'z、とか? 「付き合い」ではヘタクソでもいいから、とりあえず歌っとく方が良い。歌わないと「なんであの時増田は一曲も歌わなかったのー?」と後でネチネチ言ってくる人が時々居るので。
なので。引用元増田にもあるけど、こっちのストック作っとく方が王道だと思う。
まぁなんつーか、俺は JPOP 等「多くの人が知ってる流行歌」に興味が無いから、カラオケなんてメンドー事にしか感じないんだけど。社会人の「付き合い」っての考えるとソレナリに出来てた方がいいんだよねぇ、技術職であっても。まーテキトーにやっときゃええかー、と最近は割り切ってます。
あー。やっぱスチャダラパーっていいや
小学生の頃からずーっとスチャダラパーが好きで、社会人になってもずっとスチャダラが好きなんスよね
それは置いといて、クラスで仲間はずれと言うか中心にいない人物が好きなミュージシャンってのはいると思うんですよ
まずスチャダラパー。次に電気グルーヴ。最後にもちろん筋肉少女帯。
やべぇどれも好きだ好き好き大好きだ。電気グルーヴとかスチャダラパーなんてもうご褒美以外の何物でも無いね
まぁ、こういったアーティストを好きになっちゃうのの問題点として、彼らは間違いなく『良い』んです。ただ、そのせいで聞いてる自分まで他の人達より凄い!とか勘違いしちゃうのがよくないわけで
後は菅野よう子とかもこれかなぁ・・・。まぁ、何だ。流行歌を使い捨てられる音楽って言い捨てちゃったり
1年で忘れられる音楽より10年は一部で語り継がれる音楽がいいねとか言ってる奴ぁメインの集団からおいてけぼりくらってちょうどいいんですよ