はてなキーワード: 活動的とは
水谷緑さんの「私だけ年を取っているみたいだ〜ヤングケアラーの再生日記〜」(文藝春秋)を読んで、病識のない精神障がい・患者を抱えた家族がどうやって社会と繋がれたか書こうと思った。
母も当時、自分を病気じゃないと思っていて(病識(びょうしき)がない、と今は言ってる)、明らかに家族や周りが見たらおかしくて、その認識の乖離のせいでさらに信頼関係が崩れたり、暴走が激しくなったりした。
精神科は本人を連れてきて、と言う。
母が調子を最初に崩した時、父がすぐに何か気付いて東京の病院に連れて行った。
そこで話を聞いてもらって、薬をもらった。
気分が落ち着くような薬で、代わりにうつ病のように1日のほとんど寝ていることになる。
お酒も飲めない。
それでも家族としては暴走されるよりマシだから飲んでて欲しいけれど、本人は「薬を一生飲むのかな」「薬がなければ家事をきちんとできるのに」「私は薬なんかなくてもまともだ」と思うのだろうか。
薬を飲んでいない時で躁状態の時、最初に行なったのは都内に出かけて高価な買い物をしてきたことだった。
出かけた先で予定を変えて夜遅くまで帰ってこなかったり、突然深夜に出かけることもあった。
おかしな行動をし始めた頃、父は必要あれば迎えに行ったり連絡を試みていたが、だんだんほっとくようになった。
お父さんは浮気してるとか、お父さんは嫌いと言って家出という形で出ていくことも多くて、父としてもあまり優しくして構うのも限界があったのだと思う。
ある時、学生時代の友達の家に遊びに行って泊めてもらっていた。友達も泊まるとは思わなかったし様子もおかしいので、父に連絡がくる。母が車で出かけていたので始発を待って翌朝父が迎えに行くと、友達の家のベランダから何かを叫んで怒っていて、友達は怯えて寝室に閉じこもっていた。
父が車を運転して母を連れて帰ってきて、その翌日、数年ぶりに病院に連れて行くことにした。
それまで母に「診てもらおうよ」と言ってもまた喧嘩になるから諦めていた。
その時は、妹や父が(色々あって)鬱かも、みんなで診てもらおう、と連れ出したらしい。
(私は進学で別の土地にいたのでこの辺りは伝聞だ。)
日曜だったのでやっている病院が少なく、隣の町の小さなメンタルクリニックに連れていった。
少し離れた有料駐車場に車を停めて3人でクリニックに向かう間も、母は「やっぱりやめようよ」「あそこに行ってみたい」「どこに連れてくの?」と、足を止めていたらしいが、なんとかクリニックの前まで連れてきた。
クリニックの看板には、「心療内科・整形外科・内科」みたいなことが書いてあった。
それを見て母は、「整形外科って何!私を整形させたいの!?整形しようとしてると思われる!みっともなくてこんなところは入れない!」と言ったが、とにかくいいから、と院内に入る。
待合室で少し待っていると、母がだんだん気分が上がってきて、診察を待たずに待合室で父と喧嘩になった。
妹が泣きそうになりながら、クリニックの人に「早く診てください」と言うと、クリニックの先生が出てきて、「うちではここまで調子悪い人診れないよ」と言った。
暴れたり叫んだりするのをやめないので、クリニックが警察を呼んだ。
警察。
これが初めての警察のお世話になった場面だった。
みんな家族が警察に捕まるなんて恥ずかしいしとんでもないと思うかもしれないけど、本当に家族がおかしくて困っているなら警察は悪手ではないと今は思ってる。
本人は嫌だったと思うけど。
警察が来ても頭がおかしい人は「捕まる」訳ではない。でも、一晩署にいて、そのあと病院に送還される。そこで度合いによるが「措置入院」となると、県知事や都知事、市長が入院しないといけない人と判断した、となり、その入院にはお金がかからない。
その分それくらいのレベル、ということで病院では拘束されたり外部との連絡や交流が制限されたりするが。
この時は措置入院になり、つまり母としては「無理矢理頭がおかしいことにさせられて警察に強制的に入院させられた」となっていたと思う。
母が署に一晩いることになって父と妹だけで帰宅した夜、初めて電話が来て、「なるべく早く、可能なら明日にでも帰ってきて」と言われた。
2人とも料理や洗濯もできないと言ってやり方を教えてくれ、と。
入院にあたってタオルなど荷物を届けるためみんなで病院にも行った。面会はできなかった。
入院は2ヶ月程度だったと思う。
2ヶ月経って面会が許された頃、病院に久しぶりに行くと、先生に「本人が退院したがっていて、症状も落ち着いてるのでこちらとしては患者さんの意向を尊重する」と言われた。
だが、面会した時に話した感じで、母に病識がないことがわかっていたので私と妹は反対だった。
だが結局その時は退院になってしまった。父が母を信用してみることにしたのだ。ここからの入院はお金がかかるから躊躇したものあるかもしれない。
案の定1ヶ月以内に躁状態は戻ってきたが、通院と薬で押し込めて落ち着けられた。
そのあと2年後に、大きな動きがあった。
入院の時お世話になった先生のところに、2ヶ月に一回のペースで通院していた頃だった。
その回の通院で話し合って、薬を少しだけ減らしたらしい。
そこから2週間ほど。
教育関係者の偉い人の講演会に感動して、ビラ配りに参加したり活動的になってきていた。
だがそんなもの趣味と同じ扱いで制限もできないと思っていたころからたった3日ほど経ったある日、パート先で勤務中に、母がいなくなった。
仕事着のまま、運動会中の近所の小学校に来て騒いでると小学校の教頭から父のところに連絡があった。
小学校に来て、〇〇さん(教育関係者の偉い人)が来てないかと騒いだと。
保護者や教員で取り押さえていたが、父が仕事中で母の実家に連絡をとっている間に脱走。
母の実母は、母の姉に連絡し、妹にも連絡し、様子を見に向かっていた。妹はデートに行く途中で連絡が来て、相手に断りを入れなきゃいけないし、自分の予定を邪魔されるし、そんな状態の母も見たくないしで泣きながら戻ってきたという。(私は妹にこの時、母のところに行きたくなかったら行かなくてもいい、時間をおいて帰宅したらどうか、と言った気がする。デートについてはなんて言えばいいかわからなかった。)
みんなが母を迎えに行こうとしている中、GPSで父が母の場所を探っていたが、急に移動のスピードが上がる。
教育関係者の偉い人の事務所の前にて、騒いでいるところを通報を受けて警察に連行された。パトカーに乗っていたからGPSが速く移動したのだった。
署で面談中、母は暴れ、叫んでいた。
服を脱いでいたらしく、警察に渡された布を纏って、面談相手とは距離を取って面談をしていたという。
気が大きくなっていたのもあるが、離れて会話するから叫んでいたとも思う。
前回と同じ流れで措置入院になり、前回より近所の病院に入院した。
私は今度こそ病識が持てるまで入院させよう、と強く主張し、妹・父と、先生に伝えたいことをまとめた。
また訪問看護も利用できないか聞きたかった。私は勘違いをしていて、家の中に来て少し家事をしたりしていってくれる人だと思っていたが、そのあと聞いたら訪問看護は薬を飲み忘れてないかとか様子がどうか見るだけのものらしい。
それでも家族以外の外部の人に見守ってもらえるなら今までよりいいと思う。
家族だけじゃ息が詰まる。
今回の先生は女性の先生で私たちの話をよく聞いてくれて、「病識を持ってもらう」というゴール設定をよく理解して汲み取ってくれた。
薬を性質の違うものに変えて代わりに量を増やし、症状を抑えていた。
私は「心理的なきっかけがあるんでしょうか?トラウマとか…」と聞いた。
先生は「違います。脳の障がいなんです。双極性は心理的な原因があることは少ないです。」と言ったと思う。(私の解釈が入っていて医療的に間違っていたらすみません。)自律神経の不調やホルモンの不調と似たものだという理解だった。
結局入院は3ヶ月程度だった。
退院した数日後に会いに行くと、母は前回と違い周りの患者さんと交流もできて、自分から「障がい者手帳」「障がい年金」をもらおう、と言っていた。
一緒に申請に付き添って行ったが、明らかに前回と違うと思った。
今は自宅で過ごしている。家事も自分のペースでして、やはりよく昼寝をしている。
作業所などに通うことも検討したが、落ち着いていればパートもできるのだから本人としては新しいところでパートを始めたいらしい。
今症状と付き合い始めて10年ほど経つ。
今やってる向き合い方が正解かはまた数年経たないとわからないが、とりあえず穏やかにやってると思う。
暴走の仕方によるが、私たちの場合は調子の良い時は家族同士仲がいいし母の暴走は人を暴行したりはしないので、暴走させて警察などの権力のある機関に介入してもらう、というやり方で結果的に良かったと思っている。これが暴走するのが父で、ほっといたら人を殺すような人だったら思うとゾッとする。
でも、私もすごく怒りっぽいところがある。「暴走」自体、他人事と思えないし、私自身いつそちら側に行くかわからない。その時入院となったら、犯罪を犯してしまったらと思うとゾッとする。
私は病気が原因で人の命がどうにかなってしまうことだけが恐ろしい。
双極性障がいは、鬱に振り切って自殺をしてしまう患者もいると言う。
母が自分を責めてそんな選択をすることもないよう気をつけている。
ADHDの特徴に、片付けられないとかミスが多いとか遅刻が多いとかは十年以上前から聞いていたけれど
先延ばし癖もそれに入るらしいというのはこの二、三年で初めて知った
さらに「人の話に被る」に至っては今年に入ってから初めて聞くようになった気がする
(いや、自分が今まで知らなかっただけで、多分世間では昔から言われていた事なんだろうけれど)
多分「発達障害」の概念そのものがなかった子供時代や、それも発達障害の特徴だと知らなかった10年前にも自分はそうやって人の話に被りがちだったと思うんだけど
正直それを気にした記憶って特にないんだよな。ミスや遅刻とも違って、本当に一切困った経験がない。
だけどそれを「発達障害」の特徴だと言われた途端、話すのが怖くなるし自分からは話題を振らずに聞き役に徹しようという決意を固めた。
こうやって本来はおしゃべりな人や活動的な人だったのに「発達障害」と認定されたために塞ぎ込みがちになっておとなしくなる人が多いんだろうな…
僕は「副反応とかあるかもしれないし、それを理解した上でワクチン接種してください」程度なら分かるんだけど、「毒が入ってるから打つな」っていう主張はどうかと思ってる。
そういう「毒だから」主張をする人って、Twitterに結構いる。
プロフィール とかを見ると、そういう人たちは決まって「自分で考える人」とか「目が覚めた人」とか「家族のための勉強」、割と先住民的思想を持ってる。
あ、ここでいう先住民っていうのは、「先を見据えて暮らす人」って意味ね。テクノロジー恐怖症だとか、新しいものを毛嫌いする時代遅れ人って意味じゃないよ。本当だよ!
んで、彼らは将来や子どものことを思慮に入れつつ、自分で考え行動する、活動的な人たちなんだよね。
そんな彼らが集まったら、めちゃくちゃ良い起業ができると思うんだよね。
だって、彼らは問題があれば意義を唱える、自ら考えて行動する、未来を見据える。
それで業績を上げて財を産んで、日本有数の企業、あわよくば世界の上流企業になれば「ワクチンは〇〇だ」って声明が、すっごく信頼できるものになると思うなぁ。
できないの?頭いいのに?
ADHDのワイさんはタロット占いが好きである。こういう風に使ってるよという一例
・AとBどちらが良いか
・AかBかは2枚
・悪いことが起こったらジタバタしないで今日はそういう日だったんだとカードのせいにして思考を止める
・警告するカードが出たらいつもより気をつける
・どうでも良い選択(重要な選択はカードに委ねない)で精神を消費しない
・明かに精神消耗の削減に効果があったよ(ジョブズや自己啓発本が言ってる『小さな選択は精神を消耗する』はガチである。重要で無いことはお任せしておきたい)
・異常にそそっかしいので気をつける習慣が出来て良かった(いうて警告のカードが出ている時しか気をつけないが)
・自分がコントロール出来ない/しにくいイヤな出来事を『今日は日が悪い』で少し投げることが出来るようになった。争いっぽくなった時は致命傷を相手に与えることが無くなった(多分)
スマホのAppのデッキなので、物理デッキよりはランダムなカードが出るハズ(乱数によってカードが偏りにくいはず)だが、
ぜーんぶ微妙なカードだったり、ほとんどあるいは全部逆位置だったりすることもある
その場合、外せない重要な用事の時以外は、カードに合わせて、行動が消去的になりがち(特に仕事が入っていないプライベートな日は)
カードが助けになるならともかく、足かせになっては、本末転倒なので、敢えて活動的に動くようにはしている
重要な用事があるときはタロットやらない(そもそもやる暇無いが)
そういうのは体格の大小とかそういう程度じゃないのか
胸部の脂肪袋の大小が声帯形成に顕著な差を与えるとは考えにくいしそういうフィジカルなアプローチは難しいと思う
まあ巨乳は体格も大きくなりやすく小柄だと逆という相関くらいはあると思うがそこからバストサイズだけを狙い撃ちでエスパーできるのは現実的には無理があるだろう
だが二次元と結びついたオタク活動的な大量サンプルがあれば巨乳キャラが持ちやすい性格や貧乳キャラが持ちやすい性格からおおよその発声法が決まってくるように
オタクであれば巨乳キャラを貧乳声優が務めているときのような演技上の違和感から見抜けるようになっていてもおかしくないのではという話で
LGBコミュニティでは、昔っからそういう形で同性婚を批判する議論はあります。ぶっちゃけ50年以上前からあったし、今も同じ事を言ってる人たちはいます。
まずゲイ男性の同性婚批判について。ハッテン場とかをイメージしてもらうとわかるけど、ゲイ男性界隈というのはだいたい性的な交流・交渉に対してオープンで(享楽的ともいう)、短期間に多くのパートナーを持ったり、ワンナイトだけと割り切ってたりと、特定の相手との排他的な関係(モノガミーシップ)に拘束されたがらない人達が多かった(今でも多い)です。アクティヴィストも、基本的にはこういう行動パターンを自分たちが創り上げた独自のライフスタイル(ゲイ・ライフ)、異性愛主義から解き放たれたゲイ男性独自の文化的資産とみなし、肯定的に捉えてました。
もちろんそれは、同性との持続的関係を公にしつつ生きることが難しい時代背景ゆえの事情でもあったし、一方で60年代のヒッピー文化でもフラワーパワーとかと並んで性の解放が訴えられてたという事情もあったんですけど、まあ時代の空気だったんですね。で、そういうライフスタイルが主流だったゲイ男性の多くにとっては、「同性婚」というのはあんまりピンと来ないテーマだったんですよ。俺たちがヘテロの真似してどうすんの、という。米国でも欧州でも日本でもこういう言説は根強くありましたし、当事者自身がそう書いている書き物も多く残っています。
もう一方のレズビアン界隈での同性婚批判について。こっちはこっちで、結婚制度を「男女の性役割分業を究極的に固定化する差別的な制度」という風に見る人たちが多かったんです。今よりもレズビアン・フェミニスト的な立場の人達の影響も強かったし。家父長制と結婚制度こそが世の女性たちを抑圧しているシステムなんだから、それを自分たちが模倣するなんて…という抵抗感もありました。
そもそも当時は、「同性同士が結婚する」というアイディア自体、多くの当事者にとっても突飛な、想像を超える、およそ現実的でない絵空事だったんですよね。大半のゲイやレズビアンは、そんなことが本当に実現するとは思ってもいなかったから、それを目指して社会運動したりもしなかった。そもそも「昼間の世界」でカムアウトすること自体が自殺行為みたいな時代です。同性愛という性的指向を詳らかにして堂々と同性パートナーと暮らすことすら難しかったわけですから、さらにそこに法律婚の仕組みを適用するだなんて発想を持つ人はほとんどいなかったんですね。もちろん「同性のこの人と結婚できたらいいなあ」と夢想する人達は当時もいましたけど、それは多くの場合、ロマンティックなファンタジーとして語られていた。結婚制度を同性間に拡張することで、異性カップルに認められているさまざまな社会的権利を自分たちも獲得しよう、という発想はまだ乏しかったんです。
こういう流れを一変させたのが、80年代のAIDSパニックです。若い人は知らないと思いますけど、日本でも当時はプライバシー侵害なんかガン無視した、壮絶なパニック報道がありました(参考: https://www.janpplus.jp/topic/433 )。今でこそHIVとAIDSは、発症の抑制も症状の緩和も可能な、生活態度次第では余命を全うできる病気になりましたが、発見当初は本当に不治の病だったんです。震源地のひとつとなった米国のゲイ界隈はもう本当に凄惨な状況で、各都市のコミュニティ自体が壊滅し消え去ってしまうほどのパンデミックになりました。バスハウス(ハッテン場)で活動的だった人達を中心にゲイシーン全体に感染が広がり、次々に病み、衰え、死んでいったんです。その中にはもちろん、互いに大切に思っているパートナーと長期的関係を築いていたカップルもいました。その経緯を通して、パートナーの病と死に伴う課題、つまり「パートナーの医療・看取り・相続などについて、同性愛者は全く権利がなく、法的にとても脆弱な立場にある」ということがコミュニティに深く認識されることになりました。
結婚というのは、恋・愛から始まる親密な関係に確固とした法的枠組を与えてくれるものであると同時に、人が生きていればいずれ来る病・苦・死のリスクに対して、信頼できるパートナーと共に備え、支え合うことを可能にしてくれる枠組でもあります。AIDSという歴史的な苦難は、そのことへの経験と想像をゲイ/レズビアンコミュニティ全体に与える決定的な機会になりました。「ゲイの老後」という、それまであまり語られなかったトピックが海外でも日本でも注目され始めたのこがこの頃です。多くのゲイ男性が「自由で享楽的なゲイ・ライフ」という夢の先にある、生活者としての現実をシリアスに捉えるようになった…といってもいいかもしれません。これを保守化と取るか、成熟と取るかは人によって違うでしょうが、自分は後者だと思います。
AIDSパニック以後、ゲイ/レズビアン・アクティヴィズムが一気に同性婚推進路線に舵を切ったわけではありませんが、パートナーシップに対する法的保護のニーズを求める声はじわじわと広がっていきました。そして、米国各州で一部当事者と法曹支援者が同性婚訴訟を起こして、そのうちいくつかで良い結果が出続けたことで、同性婚に対して微妙な葛藤を持っていたアクティヴィズム界隈でも「これは行けるかもしれない」という手応えがでてきて、徐々に同性婚をめぐる権利運動が主流化していきました。このあたりの経緯は、ぜひジョージ・チョーンシーの『同性婚 ゲイの権利をめぐるアメリカ現代史』をお読みください。
というわけで、実は元増田の意見は割と真っ当というか、問題の芯をとらえてます。というのは、元増田が書いてることは、かつてのレズビアン/ゲイコミュニティでの典型的な同性婚批判のロジックとしっかり符合してるからです。
これは上でも書いた「異性愛前提の制度を模倣・従属すべきでない」という声。
それよりも新しく同性パートナーと生きていくのに必要なことを自分たちで決めてそれを法律に落とし込んでいく方がいい
それが多様性だろ
これは「既存の結婚制度に縛られない、よりフラットな意味合いの法律関係(シビルユニオンやPACSやパートナーシップ制度など)」を求める声。これについては、保護される権利が同等でない「まがいもの」で満足すべきではない、という批判もあったりして、結局それぞれにニーズのある人達がそれぞれの路線で運動して、結果的に両方が実現していくという流れがあります。
「恋愛のゴールとしての結婚」も、やはり異性愛主義やロマンティック・ラブ・イデオロギーの模倣とみなす批判はあります。一方で、先のチョーンシーはゲイの歴史学者で「自分は同性婚が法律化されても利用しないと思う」という立場ですが、それでも同性婚をめぐる運動が当事者を強くエンパワーしていることははっきり認めています。やっぱり法律婚って、そのパートナー関係に対する社会的承認の象徴なんですよね。その関係を行政が公的に認め、社会も追認する。そういう承認を得ることが当事者にとってどれほど心強く、報われる、喜ばしいことなのかは、想像していただければわかるのではないかと思います。
元増田のような問いを受け止めつつ、それでも諸々の紆余曲折を経て、同性婚の実現による法的権利と社会的承認の獲得に向かって前進してきたのが、今のレズビアン/ゲイコミュニティだと思います。
日経新聞の月曜日のたわわ広告の件で、フェミニスト、ツイフェミ、HeartClosetを不買する女性、20代以下の若い世代のスタンスと属性についてまとめたよ
おおまかなまとめなので個人差はあるけどだいたいこんな感じ
真向から広告を叩くわけではなく、非難するといっても難色を示す程度
「広告によって高校生の性被害が広がる!」といった意見も、「加害する男性(痴漢)が悪いから罰しろ」というスタンス
30代後半~50代前半がボリュームゾーンで、文化人や起業家など活動的な人が多いのが特徴
・室井佑月
とどんどんゴールポストをずらしている模様
20代後半~40代半ばがボリュームゾーンで、主婦や教師が多いのが特徴
・笛美
・勝部元気(ツイ消しした)
黒澤美寿希(HeartClosetブランドを持つ社長)のツイートやスペースを視聴して不買するに至った女性達
HeartClosetでは女性以外の性的なコメント等の女性に不快感が残るような行動は避けるように告知していたことで有名
その件があったのにもかかわらず、黒澤美寿希が性的の塊であるたわわを擁護したとして不買するに至った模様
なお、黒澤美寿希は「現実と漫画は別」というスタンスを取っている
30代後半から40代後半がボリュームゾーンで、ブランドがブランドなので胸の大きい女性が多い
逐一不買すると表明したアカウントを洗ってみたものの、9割くらいがプロフィール欄に「メンタルに問題を抱えている」と明記してあるアカウントだった
「男性から向けられる視線」に嫌気がさしてか、または「メンタルに問題を抱えている」から認知が歪みツイフェミに傾倒してしまったのかは定かではない
Z世代なので漫画だろうがアニメだろうが普通に存在し普通に視聴している
比村奇石(たわわの作者)が毎週月曜日に投稿しているような絵を広告として載せていたらおそらく難色を示すと思う
そもそも漫画自体を読んでいればたわわは実は女性に向き合っているという意見は正しく、それらを平然と読んでいる若い世代が激しい意見をする可能性は低い
アニメキャラの胸が強調されてるからとか露出が多いとか頬を赤らめてるとか、そんなんで「この絵は社会にとって悪である!」っていうのは阿保なんですよ。
阿保が阿保なこと言ってるんだから相手を阿保と思って対応しないといけないんです。
「こんな女性蔑視の酷い表現がある!」って言われたら例えば「いやもっと酷いのあるぞ!!」って競ったりして茶化せば良いんです。
馬鹿にして茶化してやれば企業とか施設の側も(ああ阿保な人がクレーム入れてただけなんだな)って安心して無視できる。
でもなんでそれを今までやってこないか?というと表現規制派とのレスバトルが楽しかったからです。
無理やりこじつけた理屈で襲い掛かってきて正論で叩き潰してもまだ立ち上がってきて負けが決まったら「誰も問題にしてないですが?」「一人一派ですから」と捨て台詞を吐いて去る。
こんな面白い奴を弄りたくなるに決まってるじゃないですか。
だから、今は表現規制に熱を上げてる人間よりも、表現問題やジェンダー論で好戦的な青いのとか白いのとかのほうが活動的じゃないですか。
表現規制界隈は変なことになってるんですよ。
https://eonet.jp/health/articles/2017/0511.html
「僕はタオルとお風呂セットを常に持ち歩いています」と話す森さんですが、実は数年前までサウナのことが特に好きなわけではなかったそう。仕事の都合でサウナに入る機会が増えて、自分なりの気持ち良い入り方を工夫していたある日「この最高の快感はなんだ!?」と思う瞬間が訪れました。
そう、それこそが全国のサウナーを魅了してやまない「ととのった(ととのう)」瞬間だったのです。サウナや水風呂を何回かくり返した後、椅子やベンチでゆっくりと休憩をすると血液が体を、酸素が脳を駆け巡り、ディープリラックス状態になります。この「とてつもなく気持ち良い、天国のような快感」に達することを、サウナーは「ととのった!」と呼ぶのです。
疲れをとる手段はいくつかありますが、わざわざ仕事終わりにサウナに行こうと思う人は多くはないかもしれません。しかし森さんは「サウナでととのうと、体がシャキッとして疲れがとれるんですよ。仕事終わりのサラリーマンにこそ行ってほしいですね」と言いきります。
高温のサウナに入ったとき、血流が増して脈が速くなったような変化を感じたことはないでしょうか。実はこのとき、体の各器官の動きは通常よりも高まっています。その結果、新陳代謝が活発になり、乳酸などの疲労物質が汗とともに体外に排出されます。つまりサウナに入った後の体の方が、入る前よりもハツラツと元気な状態になっているのです。森さんは「体の老廃物をサッパリ出すサウナは、疲れたときにこそ利用するべき。ととのった後の神経が研ぎ澄まされる感覚の中毒性はやばいですよ」と教えてくれました。
「ととのう」快感も魅力ですが、サウナにはそれ以外にもうれしい健康効果がいくつもあります。「腰が痛い」「なかなか寝つけない」など、忙しい現代人が癒やしてほしいポイントを心地よく改善に導いてくれます。今回はお疲れの方に知ってほしい、4つの健康効果をご紹介します。
サウナに入ると、血流が安静時の約2倍高まります。そして、血流がよくなると疲労物質が汗と一緒に流れ出します。これにより疲労回復効果が見込めるだけではなく、肩こり・腰痛などの神経感覚的症状も緩和されます。
2.血圧が正常になる
年齢を重ねるにつれて気がかりになる、血圧の数値。実はサウナと冷水の交代浴をすると、血圧が正常に戻るといわれています。特に入浴後はサウナで血管が拡張されるので、最高血圧・最低血圧がともに低下します。その数値は一時的なものではありますが、高血圧の人にとってはとてもうれしい効果だといえます。
3.神経が鎮静される
低温サウナにゆっくり入ると、神経が静まり緊張がほぐれます。活動的な昼のリズムから休息のリズムへの自然な切り替えができるので、快適な睡眠に役立てることができます。「仕事のことが気になってなかなか眠れない」という方は、サウナで体と気持ちの切り替えをしてみてはいかがでしょうか。
4.汗腺や皮脂腺が清潔になる
体温が約38℃になると、全身の汗腺から汗がふき出ます。それと同時に皮脂腺からはあぶらが、アポクリン腺からは嫌なニオイのもとが排出されます。サウナに入ることで皮脂や皮下組織を洗浄できるのです。加齢臭が気になる方は、ぜひサウナでリフレッシュを!
習ってる先生とかその周りとか、とにかく仕事忙しすぎてヤバイみたいな話しか聞かないんだけど。
別に理系で実験が大変とかでもないはずの文系だし、特別資格課程とかでなにかあるわけでもない。
それでも学内の仕事が云々、社会貢献活動的な仕事が云々で忙しい忙しいとみなさん言ってるようなイメージ。
そのせいで授業の対応が満足でなかったりしてそれはそれで問題みたいではあるけど。
特に学内業務のなさそうな先生に限って低学年の必修を専門とは別に持たされたりしてその対応が大変そうなこともあった。
それにコロナのせいでオンライン授業にしないといけなくて、文系だからわからなくて相当苦労してることを愚痴ってる先生も多い。
それこそ社会学の先生がコンピュータが不得手なのをなんとか多大な時間をつかってどうにかしようと努力されてる一面もあった。
https://anond.hatelabo.jp/20211226230142
上の記事を書いた増田なのだけど、思っていたより反響があったのでブコメに上がっている疑問点に可能な限り答えたいと思う。内容の重複するコメントが多かったので、要旨を丸める。
Q 本当に死にたい人間はこんなに精力的になれない、婚活も結婚もしようとしないはずだ。
A 友人は、婚活をしていたし、結婚もしていたし、国内外の旅行にも行っていたし、資格の勉強をし、亡くなるほんの数か月前に簿記2級に合格するような知性とバイタリティを持っていたし、貯金もあった。だが、死んだ。
活動的であるかどうか、「自分が生きると思わせてくれる何かがあるかもしれない」という一縷の望みに賭けて努力する(婚活や資格取得)かどうかということと、死にたい気持ちは全くの別物であることを理解されたい。寧ろ努力した結果、報われなかった、あるいは何らかの果実を得たものの「やっぱり生きたいと思えなかった」と落胆することで死に一歩近づくことがある。
そしてこれは言っておかなければいけないことだと思うけれど、「本当に死にたい人間なら」というのは、単に「私の観測範囲内では」という話に過ぎない。実際のところ、死にたい人間も多種多様だ。
希死念慮者は死によってでしかその意思が肯定されないのか、それは違うと思う。希死念慮者は、「死にたいという気持ちを抱えた生きた人間」だ。単に自分の想定に沿わないからといって「ニセモノだ」という話をされたのでは、サバイブした事例の話は出来ないことになってしまう。
Q 2019年に破産の申請が通り、仕事がうまくいかなかったにもかかわらず2020年にはバイクを買って数か月も働かずに旅に出られるだけのお金が貯まるのか?
A 裁判所から破産の決定が下りたのは2019年だが、相談をしたのは2018年であり、相談時点で全ての債務の返済及び利息の加算は停止する。その為、2年近く給与を貯蓄し続けることが出来た。仕事がうまくいかなかったのは、単に自分の無能さに嫌気がさしているということ。私は歩合の無い普通のサラリーマンなので、無能でも減給になったりはしなかった。
A 実際ひときわ美人だから。もはや生きることにうんざりしていた私は、「まあ、この人でも良いかな」みたいな妥協をしてまで他人と付き合う気はなかった。なので、ひときわ美人だったことはやはり俗っぽいけれど重要な点だったと思う。しかし最も重要なことは、このエントリは妻も監視しているということ。
Q 2020年年末から「新潟経由スタートで南下」し「冬の北海道をバイクで走破」は、積雪によって不可能ではないか?
A 年末という書き方が悪かったと思う。これは「12月」と読みかえて欲しい。当時、新潟から日本海沿いに寒波が下りてきていた。私は寒波から逃げるように日本海を南下したので、日本海では積雪に遭遇していない。九州では、大分の九重連山で積雪に悩まされたが、それは乗り切ることが出来た。また、東北・北海道については春に入り雪解けを待ってから上陸したので、「冬の北海道を走破」はしていない(春季でも所どころ積雪はあったが)。
A 実際に行動を起こした(自殺未遂、友人の自死、発信し続けたこと)という点において、漠然と死にたいと思うだけで気付いたら理解ある彼くんが人生をリードしてくれたという案件とはフェイズが違うと思う。
が、「人間を救えるのは人間しかいない」と結んでいるように、一度袋小路に陥り自力では抗えないほど閉塞してしまった人生は、理解してくれる(しようとしてくれる)他者によってしか救われないと思う。犬も歩けば棒に当たるみたいなことが伝わってくれれば嬉しい。
Q 首を吊っても縄が切れることはあり得ない。
A 私の場合、購入して数年経った中型犬用のロープを用いたので、劣化していたことと、そもそも中身がスカスカだったこともあり切れたのだと思う。また、これは私が体験談を聞いた範囲での話だが、縄が切れて首吊りが失敗する事例は割とあるようだ。
Q 「遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた」ってどういうこと?
A 友人がわざわざ自宅から持ってこなければ、通常、携帯料金の請求書は手に入らない。そういう紙の裏に書くと、遺書が自発的に書かれたものである(私に無理やり書かされたのではない)という事実を裏付ける証拠になる。
Q ホテルで死のうとするなんて、ホテル側に迷惑だと思わないのか?
A 誠に申しわけございません。
Q 実話? 創作?
A この種の疑問に回答しても栓ないと思うけれど、実話。読んでくれてありがとう。
小説家だろうが誰だろうが、SNSを使うのは別にいいと思う。言いたいことを言えばいい。ただ、その結果、責任は本人が取らなくてはいけない。
あとはフォローする側が、相手に対して何かを期待するような人であれば、最初にどんなことを呟いているか見て、見たく無いなと思ったらフォローしなければいい。
個人的には、創作をする人全般に、人格はまったく期待しない。むしろクズ率が高いと思っている。だから不必要に作者をフォローしないし、炎上があっても「はぁ〜難儀だな、でも作るものは素晴らしいんだよな」となる。
創作者がタレント活動的なものをしている人であれば、マネージメントがきちんと「見え方・見られ方」を管理したらいい。人物のイメージも商品になるから。