はてなキーワード: 泥仕合とは
2ヶ月前から検討して、最近お互い物件も引越しの日も決まった。
短い同居生活だった。
旦那からは離婚したくないと言われているが、私はもう心底疲れてしまった。
旦那は高収入だし顔もいいし多分浮気もしてない。悪い人ではないけれど、ただ性格や考え方が合わない。
全く考えが合わない人間同士が話し合いをするととても疲れる。言ってることが理解に苦しむし、どう考えてもお互いの価値観がおかしくみえてしまう。
離婚とか別居のワードが出始めたあとは、口が継げないぐらい傷ついたし、きっと私も向こうに対して嫌なことを言ってるんだろう。
セックスも当然ない。でもそれ以外は全て仲良さそうな夫婦に見えるから不思議な感じ。
でもふとすると、暗い感情が湧き上がって、死ねばいいのにとか思うことがある。
向こうは情があるのか分からないけど、私の後をついてまわり、嫁ちゃん嫁ちゃん!かわいい!と嬉しそうにしている。
離婚したくないのだそうだ。でもそれなら話し合いの時になんであんなに酷い言葉を投げかけたんだろう。受け取った側は、無しなんてできない。
幸い、私はまだ再出発もできる。子供もいなければ手に職もある。
でもひたすら虚しい。結婚式もコロナでできず、挙式用のアクセサリーや小物を見る度に鬱々とした気分になる。
本来ならば、今日ヨーロッパへ向かって挙式と新婚旅行へ行くはずだったんだ。
ようやく手に入れたと思った幸せは、存外苦しくて、何度も泣いたしストレスで吐いた。
別居がせまるたび、どうしようない虚無感におそわれる。引越し自体に60万ぐらい使ったり。
お金を使うのは辛い。本来ならこれは挙式費用だったんだ。その為に贅沢もせず貯めてきたのに。
別居したらすぐ離婚しよう。
結婚なんてなんだったんだろう。
意思疎通したい人と論破合戦したい人は確かにごちゃまぜになってるな。
それぞれが自分が考えるOK/NGのラインを示せばいいと思うんだよな。でもみんなそれをしないのがダメだと思うよ。
って感じ。これじゃあすり合わせはできっこない。
長すぎて読めない:AIの推奨手と解説聞きながら藤井SUGEEE!してればおk
(対象読者:駒が規定の動きに従って取ったり打ったりできるのは知ってるくらい)
かつて、電王戦というイベントがありました。故米長邦雄永世棋聖(ちんこにまつわるエピソードが豊富)の鬼手/奇手として遺ったそのイベントは、プロ将棋界に大きな爪痕を残しました。2013年、コンピューター(当時はAI=人工「知能」とは呼ばれていませんでした)に破れた最初の現役棋士、佐藤慎一五段(ギターと歌がうまい)のブログに多くの中傷コメントが寄せられたことに始まり、その後プロ棋士が泥仕合の末の引き分けを挟みながら連敗すると「コンピューターに負ける棋士達に偉そうに生きていく資格はあるのか?」という問いが投げかけられました。その後はプロ棋士も一時的に巻き返して勝ったり負けたりになりましたが、その勝ち方に対しても「コンピューターに対するハメ手」ではないかという意見が上がるなどしましたし、2016年3月にAlphaGoが囲碁のトップ棋士を破るに至っては、もはや二人零和有限確定完全情報ゲームで人間がAIに勝つのは不可能だろうと考えられました。実際AlphaGoに敗れた棋士は、2019年に「AIに勝つことができない」ことを理由の一つとして引退しています。2017年に佐藤天彦当時名人(ABEMAトーナメントの煽り文句が「おしゃれマスター」なのはひどすぎる)が番勝負を連敗で落とすに至って、「絶対に将棋で人間はAIに勝てない」という合意が形成されていきました。
藤井聡太二冠(初手を指す前にお茶を飲む癖があり、昨日の王位戦にはお~いお茶がスポンサーした)は、そんな2016年末、「プロの将棋棋士とか存在する意味ある?」という疑念がマッハな時代にプロデビューし、2017年度にまたがってあのデビュー後無敗で29連勝とかいう前後不覚、いや空前絶後の記録を打ち立てたのです。藤井二冠の将棋の魅力は色々に語られますし私も以下で色々に語っていきますが、当たり前であるが故にスルーされがちな第一の理由としてシンプルに「強い」ことが挙げられるでしょう。誰しも推しがしょんぼりしている姿は見たくないものですし、そこから逆照射して強い人を推しにするのも自然なことです。藤井二冠の強さは誰しも知るところですが、端的に説明するならば2018年に達成した記録4部門(勝率、勝利数、対局数、連勝数)独占が挙げられるでしょう(なお過去の独占者:内藤國雄、羽生善治、羽生善治、羽生善治、羽生善治)。今回の「二」冠についてもそうですが、レーティングや勝率など将棋についての数字で表せる強さに関しては、ほとんどすべての場合において現状藤井二冠に勝てる人はいないでしょう。そのことは世間に対する「わかりやすくすごい」というアピールに繋がっているのだと思います。駒の動かし方すらわからなくても、何かでデビュー後29連勝するのがとんでもなくすごいことだというのは誰でもわかりますからね。
さて、「数字に関して藤井二冠はすごい」と言いましたが、ではこれが「数字じゃない部分は藤井二冠は大したことない」という皮肉であるのかと言えば、そんなことは全くありません。まあ将棋が勝ち負けのつく勝負事である以上、どうしても「勝てば官軍」的な側面は存在してしまうのですが、それを抜きにしても多くのプロ・アマチュアの意見の一致するところとして「藤井将棋は華がある」というものがあります。
世の中にはプロ棋士に評価されるプロ棋士、されないプロ棋士、というものが実は存在します。その基準は将棋に対するそもそもの姿勢であったり、序盤の構想力であったり、終盤の鮮やかさであったり、あるいは元も子もなく勝率であったり、さまざまです。しかし、羽海野チカ先生(キラキラ系だと思ったら違ってむしろアコガレ側だというのを吉田豪のインタビューで知ってより好きになった)が『3月のライオン』で「信用」という言葉を用いて描いたように、それは確かに存在します。その言葉を借りて言うならば、藤井二冠は今棋界で最も信用を得ている棋士といえるでしょう。その源は何かと問えば5連覇中の詰将棋解答選手権に明らかな終盤力でしょう。「詰まないと思ったけど藤井くんが詰ましに行ったからまさかと思って調べてみたら詰んでた」というエピソードをどれだけのプロ棋士の口から異口同音に聞いたのか数えきれません。昨日も村山慈明七段(兄弟子の飯島栄治七段をトーナメントで負かしたのを忘れて「叡王戦どうされました?」と聞いた)がそれを言ってました。他方で、序盤力で羽生九段(って呼び方違和感あるよね)の若い頃と比較して、「新人の羽生の序盤は荒削りで終盤の豪腕で勝利をもぎとっていたが、藤井はそうではない」と度々評されてきたあたり、「序盤、中盤、終盤、隙の無い」という格言に当てはまる棋士のような気がします。ちなみに藤井二冠はコロナ前後の課題として中盤力を意識的に強化したようです。
さて、ここまで散々凄いことかのように言ってきたのですが、実はプロ好みのプロ棋士というのはさほど珍しくありません。何十人かはいるでしょう。しかし、「プロ好みで」かつ「アマチュアにも好かれる」棋士、しかも勝ちまくっている棋士といえば片手で十分なレベルでしょう。「プロ好み」「勝ちまくり」についてはすでに説明したので、以下では藤井将棋のどのような部分がアマチュア好みであるのかを解説します。アマチュアもまたプロに負けず劣らず基準が多様なのですが、結局は一つです。「オレが観てて面白いか否か」。以下では、その点について昨日の封じ手を中心に論じていきたいと思います。
さて、封じ手です。封じ手とは何でしょうか。大丈夫です。たまに先走っちゃうけど私は「駒の動かし方というものが存在する」レベルの知識の人にも分かるように書いてるつもりです。封じ手とは2日制の棋戦で用いられる作法で、どこかまで指して、じゃまた明日、となっては最後に指してない側の人が一晩考えられてあまりに有利なので、手番の人が誰にも見せず「封じ」て、翌日に開封するということでそれを相殺しようという試みだと私は理解しているのですが、実際は「お前それ同歩の一手やん」みたいな封じ手も多く、謎です。たぶん同歩の先に必然手順があってその先にある分岐を実質的に封じているのだとは思うのですが、封じ手やったことないし全く分かりません!誰か解説して!ともあれ、封じ手(NARUTOとかの技名っぽい)の瞬間にドラマチックなことが起こることはまれです。でもなー、そこで起こすのが藤井二冠なんですよ!
さて、王位戦第4局の封じ手は8七同飛車成でした。これは、一手前に木村王位(自ら将棋の強いおじさんと称するユニークな解説名人の称号は当分は奪われないでしょう)が飛車の前に銀を進め、飛車にお帰り願う手に対するものでした。お帰り願われては仕方ないので、飛車を逃げるだろうというのが大方のプロの見解でした。しかし。藤井挑戦者はここで30分以上の、当たり前の一手があるに場面しては長考を行います。まさか、と解説がざわめきます。飛車を切る手順を考えているのではないか。お帰り願った銀を飛車で食いちぎり、その飛車を金に取らせる手順を考えているのではないか。長考のまま封じ手の時間となった。解説では飛車を切る手順と逃げる手順の比較を行っています。解説の橋本崇載八段(金髪パンチパーマゴリラから一時期太ったがまた巻き返して爽やかになった)は「いやー同飛車成は指せないですね。いや指すには指せますけど。ただ封じ手でしょ?手が震えて紙に書けないですよ」と言う。それほど異色の手なのだ。
同飛車成について私の印象を言わせてもらうならば、「アマチュア5級~3級の人がやりそうな手」です。お帰り願われたんだけど、そのまま言いなりになるのも業腹なので、切ってしまう。飛車と銀の交換で、相手は最強の駒・飛車をどこにでも打てるのに対し、自分は飛車より弱い銀をどこかに打つ権利を得る。普通はそれでは勝てないが、相手が考えてない手を指した結果、相手の陣地は乱れ、時間も使わせることができる。お互いに強くないのでそこからごちゃごちゃっと泥仕合にして最後はなぜか飛車を切った方が勝ってしまう、というのはそのレベルの人たちの将棋ではありがちです。ムカついたからという理由で飛車を切り飛ばし、それで勝ってしまう。こうなると将棋はやめられません。もちろんそれはお互いに棋力が低いから成り立つ無茶で、相手が強くなっていくにつれてそうした手は通らなくなり、みんな普通の手を指すようになります。プロがよく言う「将棋は当たり前の手の積み重ね」「将棋は悪手を最後に指した方が負ける」という格言はそれを物語っています。ある程度強い人同士の将棋では、必殺技みたいなすごくいい手というのはなかなか出てきません。相手もそれを読んで必殺技を出させないようにするわけですから。しかし、です。藤井二冠にそれは当てはまらないようです。今回の同飛車成も、以前に指した数々の「AI越えの鬼手」も、いかにも無茶で派手な、必殺技的な手です。つまり3級~5級の頃にみんな指していて、今はもう出来なくなってしまった手です。将棋は一般に、2級と初段に壁があるといいます。2級になるためにはそうした無茶な手を捨てられるようにならなければならないし、初段になるには詰将棋や定跡を覚えなければならない。そうやって人は昔の無茶苦茶でありながら楽しかった将棋を失い、しかし強さを得ていきます。そうして強くなった人にとって、3級~5級の人の将棋というのは、少年期の懐かしい思い出のように映ります。昔は楽しかったな、でも今はあんな無茶はできないな。しかし、藤井二冠はその少年のような(というか少年なのですが)手を数々の大舞台で指して、そして強敵を破ってしまう。そりゃテンション上がりますよね。
さて、藤井二冠のデビュー前後でAIが棋士の地位を脅かしていたという話をしました。今もネット中継ではAIによる評価値や予想手が画面上に表示された状態で視聴者・解説者は将棋と向き合うことになります。そんな中で生まれた面白い解説の常套句があります。「これは人間には指せない手ですね」。初めてその言葉が使われたのはおそらく第2回電王戦のどこかだと思うのですが、最初のうちは否定的なニュアンスが多分に含まれていました。人間なら一目でもっと上手く指せるのに、コンピューターにはこんな変な手を最善手として示してしまう、と。しかし次第にその言葉は畏怖と諦観を込めて使われるようになります。AIはこの手を最善と示している、確かにそれは正しいのだろう、しかし人間にはそこまで深く読むことが出来ないから指せないのだ、と。現在の棋士はおおむねその諦観を受け入れているように見えます。AI的な最善よりも、人間の身の丈にあった答えを。ほとんど神話か寓話の世界の話ですが、その姿勢は間違っていません。人間が鳥の真似をしたところで、翼を焼かれるだけですから。しかし少数の棋士は、その諦観を受け入れません。その筆頭が藤井二冠でしょう。彼は徹底してAIの感覚を身につけようとし、かつ成功している人間であるように思われます。先ほど述べたように、「コンピューターのような」という言葉が蔑称として使われる時代はもう過ぎました。それは単なる時代的なドグマではなく、すでに述べたとおり実際に「面白い」のです。藤井二冠はきっと、ラジオの時代にポップスターがいたように、テレビの時代にプロレススターがいたように、AIの時代に生まれるべくして生まれた将棋スターなのだろうと思います。
将棋はきっとこの先永遠にAI=神様との比較にさらされ続けます。その中で、我々よりもずっと神様に近い人が諦めてしまう。きっとこの構造は人類史上普遍的なものだと思います。そして、その諦めは決して不幸とイコールではない。そのことは多くのプロ棋士が「コンピューターには指せない」=「人間に特有の」戦法や戦術を用いて証明してくれています。しかし、もし、人間が諦めずほんとうに神様を目指したとしたらどこまで行けるのか。その問いに対して藤井二冠の活躍は答えを出し続けてくれているように思います。私にはできない、あなたにもできない、困難な道を歩むことを彼は決めました。ならばせめて、その後ろ姿をずっと眺めていたいとは思いませんか。私は思います。というか散々述べたように後ろ姿を眺めるのが楽しすぎてやめられない状態にあります。まあ、私は振り飛車党なので実は推し棋士は別にいるんですけどね。
(2021/2/7追記)書きました anond:20210207093448
身近にあったことがないからあんまり親しみはないんだけど、大きくて青くていい感じの音がして…と良い要素が揃っていて好きだ。堤防から覗くとときどきクラゲとか小さい魚が見えるのも素敵。
サンドイッチとかハンバーガーとかパニーニみたいな、挟む系のパンが好きだ。具の彩りが側面から見えてテンションが上がるし、モノによって味の傾向が全然違うのも良い。サブウェイのサンドイッチもマクドナルドの安いバーガーもアンティコカフェ(増田で知った!)の高くてデカいパニーニも、それぞれに良さがある。
イモリの絶妙な希少性が好きだ。たぶん飼おうと思えばかなり簡単に手に入るんだけど、そうじゃなく野生で探す場合の。
実家の裏にちょっとした谷があって、そこには舗装された小川みたいなものがあった。そこにイモリがいてめちゃくちゃ興奮したんだよな。
トカゲのフォルムが好きなんだけど、やつらは速すぎてドン臭い俺では捕まえられなかった。シッポ切られるとすげえ申し訳ないし……
イモリはその点、フォルムは似てるのにかなりノンビリした感じで捕まえやすいし、顔もトカゲに比べてなんとなくノホホンとしていてかわいい。
腹が赤いのもかわいい。普段全然動かないのにエサをやるとノソノソ動いて、口をあけると中がピンク色なのもかわいい。
いい生き物!
中3〜高1くらいにみて、こんな面白い映画があるのか…と衝撃を受けた。修学旅行で行ったUSJ、ユニバーサルの作品を全然知らなくてアウェイ感があったんだけどBTTFザライドだけは乗るぞと意気込んで乗ったし、でけえポスターも買って帰った(かさばって大変だった)。
バックトゥザフューチャーの何がいいって、やっぱ終わり方ですよね。1なんかさ、いろいろあった末にすげえハッピーなところに着地するじゃないですか。現代に戻れて、ドクも死なないし、家庭環境もステキな感じになり、憧れの車もゲット、もう完璧な大団円じゃない。そこにわざわざさあ、未来から来て大騒ぎのドク、バックトゥザフューチャーのタイトル回収2、気がかりな新情報、謎の核融合炉なんかをブチこんできてさ、まったくもうこの映画は…と思ったところで空飛ぶデロリアンですよ!俺は笑いながら涙目になってしまった。最後の最後に広げなくていい大風呂敷を広げるやつ本当に大好きなんですよ。で、カッコいい台詞と共にとびあがったデロリアンがさあ、こっちに飛び込んできてエンドロール!もう完璧すぎる。「良さ」だけを理由に泣ける数少ない映画のひとつだと思う。
2もいいよねえ。全編について語ると長くなるから終わり方についてだけ触れると、あの1での印象深い雷のシーン、ドクが感じてるであろうタイムトラベル成功の嬉しさと未来からの友人がいなくなった寂しさがこっちにも伝わってくる絶妙な感情のシーンがさあ、一気にドタバタコメディに化けちゃうわけじゃないですか。アレも最高だよお!ドクがぶっ倒れるのもわかる!!!
3のエンドも最高の形で1をセルフオマージュしてますよね。問題は全部解決してさ、シリーズ最終作らしく一抹の寂しさも残るけど、ハッピーで素敵な終わり方だぜ…とシンミリしたところでまたあのバカみたいな情報量ぶちこみ展開をかましてくるの!未来は白紙だ!とか言っちゃってさあ……もう………そしてあの締め方、誰がどうみてもわかる1の終わり方のオマージュ!突っ込んでくる飛行機関車!泣くわあんなん!!!
秋、気候の良さに加えて謎の寂しさもあって最高、秋の朝の、肌寒さと朝露の湿り気と空気のきれいさが合わさったあの雰囲気、あれ最高なんだよな。
金木犀の香りもいい。あれ嗅いで胸騒ぎがするのはなんでなんですかね、フジファブリックの影響な気もするし、それは関係なく夏の終わりに切なさを感じてるような気もする。一回バイアスなしに嗅いでみたい。でもそれは無理だな……
Steamにある惑星開発サバイバルシミュレーションで、すげえ面白い。俺はかなり飽きっぽく同じゲームを100時間もやればかなりハマったほうで、200時間いけばライフタイムベストって感じなんだけどRimworldは800時間とかやった。
人のあまりいない不毛の(という割には資源潤沢だけど)惑星に不時着してコロニーを作り生きていく、っていうシチュがいい。捗る。
とにかくmodが充実していて、いろんなコンセプトで楽しめるのが良い。
衛生とか排泄の概念を足していよいよリアルな生活を送るもよし。全員分の浴場を作り上げたときはすごく嬉しい。ファンタジー系のを入れれば「不死身の身体を活かしてシカを泥仕合の肉弾戦のすえ倒し、その肉を食べ皮を服にして食いつないでいく」みたいなこともできる。スターウォーズmodで最強のフォース使いを作り上げるのも良かったな。
定期的にハマりなおして、そのたびに違うプレイングをしている。そろそろ次の波がくる気がする。
大きい無人の空間、良いんだよなあ…沢山の人が使うことを前提に大量にある備品なんかが全部自分のために開かれてるって状況がたまらない。
大学時代、キャンパスで一番デカい大講義室がわりと空き教室になってることが多いのに気づいてよく入り込んで空きコマを潰してた。無駄に歩き回ったり教壇に立ったり、席を3つ使って寝たりしてたな。いい思い出…
電車乗って乗客が自分だけだったりするとテンションあがるのもこれ!電車って意外と広いんだよなあ… 車掌さん来たら気まずいなとか思って歩き回ったり寝転がったりはできないけど、人がいないってだけでテンションが上がる。
空港とかショッピングモールが好きなのもちょっとこの趣味に関係してそう。どっちも人めっちゃいるけど、でかい分人口密度は大したことなかったりして、自分ひとりだったら…って妄想をしやすいのかもしれない。
音楽、いろいろ聴こうと思ってるんだけど好きになったバンドのWikipediaみたら絶対「ジャンル:オルタナティブ・ロック」って書いてあるんだよな。
その頃まだSNSは今ほど隆盛ではなくて、ネット上で匿名をたてに誰かを悪く言うといえば、定番のひとつとして掲示板サイトがあった。
当時、というかそれよりずっと以前からあったのを私が知らなかっただけなのだが、活動していたジャンルで、同じジャンル内で活動している人の中から誰かをピックアップして面白おかしく嘲笑うというスレッドがあった。
それを見つけた誰かがSNSにリンクつきで報告し、そこから、私のような地味担当にまで聞こえてくるほどの話題になった。
まだ(確か)若く、オタク活動の幸福で楽しい一面しか知らない私には衝撃的なほど、聞いたことくらいはあるあの方この方を名指しで、どこが悪い、ここが拙いと作品批判から始まり、本人の人間性について憶測で中傷し、笑い、あるいは敵意を隠さず罵るといった、その様相に愕然とし、それなりに長い間、その掲示板内スレッドに貼り付いて一言一言を脳に刻んでいた。
その内、社交的でそれなりに人気もあって、少々は目立つ部類であろう、私の友人がそのやり玉に挙げられ始めた。彼女の周囲の人物として、批判はないながらも自分の名が挙げられたのを見た時には、自分が何を感じたか認識するよりも早く、嘔吐した。
匿名で、明らかに誰か判らないから言うのだろうと思うような下衆な発言が繰り返される中、驚いたことに、友人は、明言しないながらも考えれば気づきそう、或いは違うとしても本人だと勘ぐられかねないほど、正面切ってその場で反論し始めたのだ。
その手の誹謗中傷なんていうものは、知っている人間から見れば明らかに根も葉もない内容で、しかし驚くほど、ちゃちなやり方ながら、雑な根拠といい加減なソースなんかを提示して、それらしく見せてくる。
現在のSNSほどでないとしても、企業の偽装、マスメディアのやらせ、作為的なフェイクニュースが話題になってまだ記憶に新しい頃で、見え見えながら悪い意味でよく見習い踏襲された話題の運びに感心するほどだった。
話題の刺激があれば充分で内容の虚実を必要としない目線からみれば、心を痛めるにも潤すにも、充分な燃料だろうと見えた。
それで私は、彼女のやろうとしてる反論は不利だと考え、彼女自身にもそう伝えた。黙っておけばどうせ話題の旬は過ぎて、深く考えていないように見える彼らは忘れてしまうだろうにと。
その時彼女が、恐らくは憤り混じりに言ったことを、きっと一生忘れないだろうと思う。
「匿名掲示板は、誰もが言いたいことを言っていい場所として提供されている。それなのに何故、間違ったことを言っているやつらが好き放題を許されて、間違っていない私が黙らなければならないのか」と。
私は一瞬言葉を失い、それから、ごもっとも…と彼女の言い分に白旗をあげ。けれど、陰口好きの類に彼女ほど詳しくも、弁舌巧みでもなく、参戦は恐らく足手まといであろうと考え、何かあれば、どんなことでもいつでも連絡して欲しいと告げるのみに留めた。
その騒ぎ自体は、長い間うんざりするような泥仕合を続け、繰り返して、予想に違わず話題は次々に変わり、もう追ってもいないので判らないながら、ご存知の通り、同じことが今も世界中で続けられている。
私は、彼女の言い分はもっともだと考える一方で、匿名を笠に着てよく知りもしない相手をあれほど悪し様に罵れる彼らは一体、何をどうしたのだろうということも非常に気に掛かった。
他者を攻撃しなければいけない状態にあることそのものが、地獄だ。と、言って意味が通じるかといえば、渦中にとっぷり身を浸し、その刺激に酔って何某かを得られる状態では、恐らくそう感じることもないだろうとも。
自分よりも弱い者をいじめることは快楽だとはよくいうし、その意味も分かる。そういう状態、そういう心理があることは、知るべき、認めるべきで、そこからでないと出発点に立てはしないが。
人を殴らなくても生きていける心安さは、人を殴って得られる快感よりもはるかに大きいと感じているし、知って欲しいと思う。
私達は誰も怪物ではなく、けれど生きていく中で味わう苦しさや弱さがいつでも私達をそのような姿に変え、けれど私達は誰も怪物ではないのだ。
誰かが指さして私を怪物だと決め、周りがそれを容易く認め、私に気づく者がいなくなれば、私はきっと死ぬまで怪物の姿から元には戻れない。
詮無いことではあるし、怪物の姿になってしまった者に近付くこと自体が、危険なことだというのも経験上から知っている。
それでも今も、危機回避について考えるたび、記憶の中の彼女が憤りを持って訴えてくる。
「何故、間違ったことを野放しにして、正しいことを言わないのか」と。
はい。
どんなにAMDのほうが優れていても、『cpuはintel。それ以外は怪しいメーカー』という考え方を持った層がいる時点で、どうやってもこの戦いはintelの勝利です。
たとえば貴方が社内SEとして会社の新規リースPCについて相談を受けたとしましょうか。
貴方がどんなに必死にAMDの方が今は優れていてコストパフォーマンスが優れていると説明しても、上役に1人はいるITオンチが「いやでもcore i-なんとかって奴じゃないCPUはノートパソコンとかに使うような変なCPUなんだろ?」と頑なに言い続けたらその時点で終わりです。
わざわざ彼と衝突してまで社内PCのコストパフォーマンスを上げようとする人達はいないので、結果的にどんなに性能が劣っていていてもintelのcore i-なんとかを使ったPCのリースで決まるのは間違いないでしょう。
では逆に、どうすればAMDがintelに勝てるのかを考えてみましょうか。
簡単です。
intelのネガティブキャンペーンを打てば良いのです。
きっと泥仕合になるでしょうが、両方の評判が地に落ちればそこは同じ土俵の上、性能が高いほうが勝つに決まっています。
でもAMDはそれをやりません。
何故でしょうか?
技術屋として食べていく資格があるかどうかは、この答が正しく出せるかにあります。
私はあえて答をここには書きません。
そういえば最近、プログラマーになるには云々の増田が流行っていますね。
それに対する私の回答は、この設問にまずは正しく答えられるか考えて欲しい、です。
技術の世界で食べていく人間として、この考え方を持っていなかったら周りと足並みが合わなくなって疎外されていくでしょう。
技術ではなく、印象や雰囲気、政治力や接待によって食い扶持を稼ぐ業種とはこの部分において丸っきり精神性が異なります。
将棋のAbemaTVトーナメントが先々週あたりから放送されているのだが、これが尋常でない面白さなのである。ひねくれたファンが多い将棋ギャラリー界においても今のところ「収録順と放送順が違うのではないか」というぐらいの批判(なのか?)しかされていない。コロナで各棋戦が延期になり、みんなが家にいるという状況も手伝い、将棋界ではもはやこれを観ていないと人権が確保されないところまで盛り上がっている。しかし世情が影響しているとはいえ、この盛り上がりはトーナメント自体がとんでもなく面白いという理由を抜きにしては語れない。以下では、何がそんなに面白いのかを非常に偏った視点から解説する。
持ち時間5分+一手ごとに5秒加算という超早指しの棋戦である。この棋戦が出てくるまで早指しの代名詞であったNHK杯は20分が切れたら一手30秒という感じ(厳密には違うが)なので、文字通り桁が違う早指しである。ちなみに持ち時間が最長の棋戦は名人を決める決勝の9時間である。
それに加えて今回の第3回では、棋士同士のチーム戦という要素も加わる。タイトルホルダーと順位戦Top10棋士がドラフト形式で2名を指名し3人のチームで戦う。過去二回のトーナメントでは二回とも藤井聡太が優勝している(ヤバい)のですが、ドラフトを採用していることにより、「そりゃ藤井くんを指名したいけど抽選で外れて改めて指名し直すよりは他の人と被らなそうな有望株を指名したほうがいいな…」あるいは「それでも俺は藤井くんを指名するぜ」という力学が働き、各チームの特色が生まれることになる。
Abemaトーナメントを観たことのない人はまずこの映像の18:30あたりから1分くらい観てほしい。昨日放送された、今の棋界で間違いなく最強・豊島竜王名人と、今の若手で勢いは一番・本田奎五段の対局である。場面は両者残り時間が20秒を切りお互いに攻める手は色々見えるけど勝ちに結びつくかは相当読まないと無理な局面。
https://abema.tv/video/episode/288-23_s30_p17
さて、観ましたね?頭良さそうな顔をした人たちがチェスクロックを叩き壊さんばかりの勢いで叩いてそれに対して外野がわーわー言ってましたね(将棋界では本当にひえーと言うこともわかったと思います)。このスピード感と荒々しさは今までの将棋界にはまったくなかったものである。普通の将棋中継は眠くて観ていられない人(将棋ファンにもよくいます)でもこれは面白いという人は多い。しかし、ABEMAトーナメントが面白いのは単にスピードが速いという理由だけではないと私は思っている。
これから私は自分の変態性を告白しますが、普段は扇子パタパタしながら難しいことを考えていそうな顔(まあ考えているのだろう)をしている棋士たちが、1秒を惜しむ必死な手付きでチェスクロックを叩きあっているのを見るのは正直にいって痛快である。この暗い愉しみはいかにも趣味の悪いものではあるが、ABEMAトーナメントを観ている人間であれば誰であれ多少なりともその愉しみを感じてしまっているいるということは否定できないはずである。このことが明らかにしたのは、たとえばボクシングがコロッセオでの奴隷同士の戦いを眺める貴族の遊びの系譜に連なることは明らかであるが、将棋というマインドスポーツもまたその系譜にあるということである。つまり将棋はいかにも「お上品なインテリの伝統文化でござい!」みたいな顔をしているけど、実は相当野蛮なものであるということである。まあ改めて考えてみれば他人が戦争を指揮して戦っているのを上空から眺めるという行いが趣味の良いものであるはずはなかったのだが。
話は変わるが、これまで「将棋はインターネットと相性が良い」ということがしばしば語られる際、それはたいてい将棋の長時間性とインターネットの無時間性が引き合いに出されてきた。わざわざテレビ向けにルールが作られたNHK杯とかを除けば、将棋の楽しみは長時間棋士が頭を絞って考えるところにあり、そんなものはインターネットでしかまるごと放送できない、ということである。
後知恵になるが、今やそれが間違っていたことは明白である。将棋は持ち時間が長かろうが短かろうがインターネットと相性が良い。要するに面白いコンテンツはインターネットと相性が良いというただそれだけのことでしかなかったのである。将棋はファンや棋士が思っていたより面白かった。それがこの超早指し棋戦が教えてくれたことである。そして、更にその面白さを補強するのがチーム戦という要素である。
棋士というのは究極の個人商売である。これまでに棋士同士がチームを組んで戦ったのは、コンピューターvs人類という枠組みがあった電王戦ぐらいのものであろう。そのことを、第2回電王戦でコンピューターと劇的な泥仕合を繰り広げ引き分けに持ち込んだ塚田泰明はこう語っている。
「なぜ涙が出たのか、ですか? 負け越さずに三浦さんにつなぐことができた、その安堵からです。
もちろん、投了すべきかとも思いました。批判があることも知っています。でも、どんな形であれ、自分はチームのことを考え、最優先したんだ、そう思うと……。
普段まったくチームというものから離れているからこその純粋さであろう。今回のように棋士同士がチームを組み棋士と戦う、というのはもしかしたら将棋の歴史史上初かもしれない(まあテレビの企画でリレー対局とかはあったけどね)。
これまで我々関係性厨は、限られたリソース(師弟関係、出身地、出身道場、共著、対談、解説やイベントでの共演、自戦記や観戦記に書かれたちょっとしたエピソード等、結構あるな!)から棋士の関係性を類推することしかできなかった。そのせいで「あの棋士とあの棋士は仲がいい!だって同じコマにいた!」状態になっている人もしばしば見かけた。というかさっきも2ch名人のコメント欄で見た。
そこに来てトップ棋士によるドラフトという心理的駆け引きのあるチーム編成である。ドラフトは「他の人はそこまで評価してなくても自分が高く評価している棋士」を選ぶ力学が働く。つまり「他のヤツらは分かってないけど俺だけはアイツのいいところを知ってるぜ」な棋士が選ばれる可能性が高い、というか実際そうなった。これは公式からカップリングのお墨付きが出たようなものである。
先程の映像でも「勝ってると思います勝ってると思います打ってください打ってくださいとりあえず打て!」と、お前そんな早口できたんかというほどの早口で野球を観戦しているおっさんと化している三浦九段が映されてしまっていたが、棋士が棋士を応援する、という光景は電王戦以来久しく見ることができなかったものである。私生活でどれほど仲良くても盤を挟んでしまえば(あるいは挟んでいない時でも常に)敵なのである。書いてて思ったけどこの関係性尊いよね…。いや、それはそれとして、逆から見れば仲のいい棋士が戦っている相手もまた同じ将棋界の同士であるので(それも尊い)、普通は棋士が棋士の応援を公にするということはない。我々ファンは「あの棋士の祝勝会/残念会にあの棋士が来たらしい」などというエピソードをニコ生で聞いては悶えるだけだったのである。
しかし今回は。堂々と棋士が棋士を応援しているのである。しかしそれは我々が見るのは初めてであっても、きっと棋士本人にとっては仲のいい棋士に対して心の内でいつも思っていることのはずで。それって普通Pixivの〇〇視点SSとかでしか摂取できない成分のはずなのだがなぜか今回は公式にそれが提供されている。関係性の過剰摂取で死ぬ。
さらに、である。アベマはコンテンツの活かし方をわかっている、というレベルを遥かに超えてプロ(何のだ)が中の人にいるとしか思えない手を指してくる。それが一局分丸々の控室の未公開映像(アベマプレミアム960円に登録すれば無料で見られる)と、チーム戦前のバラエティ的な親睦会映像、そしてチームのTwitterである。出色なのがTwitterで、チーム佐藤康光はさながらレジェンド棋士同士のフランクな交換日記の様相を呈している。棋士がイチャイチャしてるのを現在進行形で無限に見ていられるのである。死ぬ。
まずはAbemaプレミアム(月960円、999999999億円の価値がある未公開映像や過去回が観られるので実質無料)に登録して過去回(と言ってもドラフトと先週分しか無い)や先に述べたような映像コンテンツを観ましょう。煽りVや実況解説があるので棋士を知らなくても楽しめます。そしてチームのTwitterをフォローしましょう。
いきなり金を払うのは…、という人も無料で観られるコンテンツ(昨日分とか親睦会とか)も多いのでとりあえずAbemaのページに行きましょう。
https://abema.tv/video/title/288-23
あなたはもしかしたらそのうちにAbemaプレミアム初月無料という文字列を発見するかもしれません。その際は「絶対解約し忘れを狙ってるやろ」とか「初回無料とかドラッグの売人とやり口が同じやんけ」などと思わず、素直に登録しましょう。先程も述べたように960円取られても実質無料ですので。
Abemaトーナメントは全何週あるのかわかりませんがまだ昨日で3週目です。将棋でいうとまだ7六歩です。今からでも全然間に合いますので皆さんで盛り上がっていきましょう。
(2021/2/7追記)書きました anond:20210207093448
去年の今頃祖母が亡くなった。
友人達と都内の居酒屋チェーンで行けもしない旅行の計画話をのんべりしていると母から「祖母が病院に運ばれた。すぐ帰ってきてほしい。」との連絡があった。
電話があった時点でもうだいぶ飲んでいたし、店から運ばれた病院まで結構な距離があったのでちょっと気の抜けた返事をしたら、めったに声を荒げない母親から恐ろしい勢いで怒られたので、本当にただ事ではないなのだと分かった。
酔いもどこかへ行ってしまった。私の腎臓はこんな時だけまともに働く。
祖母は痴呆がかなり進んでおり、「痴呆症」で検索すると出てくる症状の7.8割をクリアしていた。そして同棲している我々家族はみな疲弊していた。
病院へ向かうタクシーの中で「これはもう前と同じ祖母に会うことはできないのかもな」と痴呆の初期症状が出てきた時と同じことを考えていた。薄情な孫だった。
祖母と私はどうにも性分が似ているようで、祖母本来の性格も痴呆からくる性格も一切合切馬が合わず、喧嘩ばかりしていた。
常に祖母にイライラしてレス&ラップバトルをし続ける日々だった。無論泥仕合である。
(しかし“猛者”である祖母は、数分経つと喧嘩もその原因も何もかも忘れて「財布がない、誰かに盗まれたのかもしれない。」と深刻そうな顔で、3分前にしてきたのと同じ内容の相談を私に持ち掛けてきていた。)
だとしても祖母危篤にこんなに心動かされない自分に、祖母の危篤そのものと同じくらいショックを受けた。小4の時に飼っていたチビ(ジャンガリアンハムスター)の死の方が悲しく喪失感が大きかった。
あと15分ほどで病院につく、というところで母から「たった今亡くなりました。穏やかな顔です。」と短いメールが届いた。
毎日の仕事や家事に加え、祖母の介護で疲弊しギスギスしていた家族は心の余裕を取り戻し、家族の会話は祖母以外の話題が増えて家は昔のような居心地のいい空間となった。
特に祖母に一番心を砕いていた母は、かなり肩の荷が下りたようで、もともと多忙だった仕事の合間に楽しんでいた唯一の趣味にもかけられる時間が増え、比例して笑顔も増えた。
姉も在宅業務の合間に祖母の昼食や身の回りの世話をする必要がなくなり仕事に専念し始め、父も祖母の通院の足のために気を遣いながら会社を休まなくてもよくなった。
末子の私も祖母の遊び相手・話し相手という名の喧嘩稼業の看板を下ろし、平日の夜と土日の時間を完全に自分のために使えるようになった。(あと関係あるのか分からないが慢性鼻炎も治った。なんで?)
今年の夏には私の持ち込み企画として家族全員(4人と一匹)で那須高原へ旅行にも行けた。
家に残してきた祖母とその面倒を見る家族のことを考えて申し訳ない気持ちになることも、連れてきた祖母がどこかへ言ってしまわないか気を張ってみている必要も無いというのは、こんなに楽で楽しいものだったのかと悲しくなった。
夏の那須高原は猛暑や我々の苦労など素知らぬ顔で気持ちの良い風が吹いて、地面に木漏れ日が落ちていた。その中を走る我が家の犬も必要以上におやつを与える人間がいなくなり、3kg以上やせて草原が似合うボディになった。お前元はそんな感じだったのか。
昨年急に自由になってしまった私は来年、海外留学を控えている。
皮肉にも社会人になった後も、祖母の介護で実家住まいだったので、お金を使う暇も機会もなかったのが幸いした。
今までできなかった分、勉強してスキルを身につけてバンバン稼いで旅行に行きまくってやるわい!と意気込み荷物を整理している私に「やっぱりおばあちゃんに似てるね」と母が古いアルバムを見せてきた。
中には祖母が友人や亡き祖父と共に国内外、様々な場所を旅してきた古い写真が大量に挟まっていた。
最後のページにヨーロッパの古城の前でほほ笑む若い祖母の写真があった。
痴呆が始まる前の祖母も、私も、外へ出て新しいものを見聞きするのが好きだった。
もうじき一周忌なので気持ちの整理をつけるために書き出したら結構な量になったので、ここに載せて祖母(と私の精神の)供養とさせていただきます。
一連の騒動の個人的な感想としては、会社と従業員間とのあくまで業務的ないざこざがYoutubeという一般の媒体に流出してしまったことが問題の全てであると思う。
本来、演者の所属する組織や会社の内状を外部に公開することは芸能の世界ではタブーのはずで、この騒動ではこのタブーを犯してしまったためにもつれにもつれ両者ともに多大な被害を受ける騒動になってしまった。
ネットの意見や情勢的には、最終的にMEGWIN氏が大人の対応をみせ、ことを収めた。という勢いが多いかと感じているが個人的な意見は少しちがう。
確かに、上記タブーについて先に犯したのはファルコン氏、メテオ氏だと言えなくはない。
しかし、社会的な立場から考えるとMEGWIN氏は会社の代表(経営者)であり二人はそこに所属していた従業員である。
例えるなら、会社を不満退職した従業員がネットに会社の悪口を書くことは当然のごとくあるし、会社はそれを適切に対処する必要があるということだ。
今回の件、二人は最初の動画を出したことでMEGWIN TVという会社に大きな被害を与えた。結果それを挽回するためにMEGWIN TVは会社の内状(2人の勤務態度など)を暴露する動画をYoutubeに投稿したのだが、個人的にはこれは非常に悪手だったと思っている。これは、きちんとした法的な手続きをとり、会社から適切な公開情報を開示した上で本人たちに曖昧な表現や誤解を与える表現を訂正するよう求めるべきだったと思う。(ケースによっては損害賠償を求めてもいい)
しかし、MEGWIN TV側は二人のタブーに対して、タブーで返すというパワープレーにでてしまった。これにより二人の活動にも大きな被害を与え、結果的にMEGWIN TVが二人のチャンネルを潰したような形になった。
二人の言動には曖昧な点がたしかにあり自業自得という考え方も当然あると思うが、あくまで従業員と経営者との会社内でのいざこざである。
これを会社単位で動画としてあのような形で上げてしまうのはやはり違和感があった。
このような動画を出した以上、「内状を全く知らない視聴者を戦力として始める個人対会社の風評被害戦争」という泥仕合になるのは容易に予想できた話だろう。
二人を養護するつもりは全く無く、事実はわからないが筋の通っていないやり取りもあったのだと思う。
しかし法人はいくら個人が無法なやり方で喧嘩を売ってきても、同じやり方で買ってはいけないのだ。
最後の和解動画についても、両者のポジションが違いすぎて全く話が噛み合っていなかった。
MEGWIN氏は最後まで経営者目線で"第三者(視聴者)"に対して冷静に正しいことを発言しようとするのに対して、二人は従業員として不満としてあった事実をできる限り"MEGWIN氏"に認めて欲しいという懇願があったように見えた。
MEGWIN氏は曖昧な点については決して認めず(二人は気持ちを汲んでほしいと思っていただけだと思うが)、終始議論を前に進めることに徹した。
このポジションの違いが、結果としてMEGWIN氏が正しかったという世論を生むのは理解できる。
しかし、個人的にはいくら筋が通ってなかろうが、元従業員がその当時どういう気持ちで、何が不満だったかを理解し、今回のような不毛な結果を生んでしまった原因をあの場で解明し、それに対して「演者としてではなく至らなかった経営者」として二人に謝罪をしたかったのであればあのような態度にはならない気がした。
(そもそも、すでに情勢的にはMEGWIN氏に傾いていたわけであそこまでマウントをとる必要はなかった)
最後にまとめると今回の件は、
Youtubeという場所で利益をいただいている人たち(この場合は三人とも)が、その媒体に公開するにはあまりにも陳腐な「至らない従業員」と「至らない労働環境(経営者)」の不毛ないざこざだったと思っている。
昔からこのチャンネルを見ていて、楽しんでいた一個人としてはチャンネルから離れるには十分な理由になった。
二人をまったく養護する気もないが、従業員の立場としては辛かっただろうがこれからは経営者なので自分たちが嫌だったことを周りにしないように頑張ってくれと思う。
MEGWIN氏は、引き続き経営者として頑張って欲しいが、正直あの経営者としてのスタンスを公開してしまった以上、演者としては見れないなぁとは思う。
多分向こうも同じことになってると思う
正義のために怒ってる自分が気持ちよくてやめられなくなってるし
そのために怒るネタを探してる
あれ他人からしたらただの泥仕合だから自覚あるうちに逃げ出した方がいい
あの界隈から離れて登山とか水族館とかゲームでもカラオケでもなんでもいいから全然違う場所に出て気持ちを切り替えてみてほしい
あの界隈は男も女もアル中薬中と変わらんと思う
顔も名前も知らないし一生会うことのない相手とレスバなんかしなくても人生困らないからアカウントなんて消せ
垢消しで仮にフェミが勝ち誇ったとしても