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はてなキーワード: 法規制とは

2024-03-06

anond:20240306215600

検証も取締も不可能法規制って意味ないですよ

からみんな悩んでるってのに

2024-03-04

anond:20240304114324

そりゃ誰でも簡単に稼げる事が出来れば良いけど現実問題難しいから、法規制とかメーカー転売対策するほうが手っ取り早い

2024-03-02

anond:20240302013116

倫理観じゃなくて弱いのは頭じゃね。

海外でも法規制進んでるのはお絵描きAIとかとは別のハイリスクAIなのに混合してるレベルの知能だし。

海外の反AI過激化してテロ集団しかけてるからそこらへんがテロ起こして自分の家まで警察が突っ込んだ時泣き言吐きながら豚箱にぶちこまれんだろうね。

絵師経験に学び、賢絵師歴史に学ぶ

自動車発明陸上競技消滅たか

かつて声優商品は声「だけ」だった。

声優ビジュアルが求められるようになり、SNS私生活小出しにするまでが商材になり市場は拡大した。

我々が砲丸投げに期待しているのは飛距離の結果ではない。

そんなもの機械で打ち出せば何百メートルでも何キロでも飛ばせる

人々は競技者に付随するロマン文脈ストーリー価値を見出す

 

こんなもん歴史が繰り返してきた当たり前の社会の変化なんだよ

適応できた奴が生き残る

 

絵師成果物の技工で、その中ですべてを表現し、そこに価値がある

資本主義にそんな矜持通用せんよ

うまい飯が食いたけりゃ知恵を絞れ

デジタル時代アート生き残り策

 

少なくとも上手に絵が描けるだけではもはや無価値だ、諦めろ

 

絵師の相当数が不要になる、さっさと転職するか、知恵を絞った生き残り策に掛けるか

 

でもこれお前らにだけ降りかかった不幸じゃねぇよ

 

かつて必ず街に1軒あった畳屋とガラス屋は駆逐された

港には大量の港湾労働者が働いていたが、コンテナICT発明駆逐された

 

業界の変化と斜陽を指くわえて眺めるだけでは愚痴愚痴駆逐される

 

法規制しろ、変化を止めろ、

自動車発明でも馬車主がそう声を上げた、が

無駄

2024-03-01

絵描きって頭イカれてんのか?

生成AI法規制されそうな流れになって、「これでドローンの二の舞い。結局、中国アメリカあたりが全部持っていくんだろうな」ってぼやいやたら「生成AIに関しては絵描き生命がかかっているのだから部外者は黙ってろ」っていきなり絡まれた。

言論統制ですか?」「絵描き以外に発言権はないんですか?」って言ったら「当たり前です。この件に関しては絵描きに決定権があります外野が口を出す話ではありません。今後一切関わってこないでください」って捨て台詞と共にブロックされた。

普段は、絵描き絵描き同士でしかやりとりせず、リプ送ってもDM送っても無視するくせに、こう言う時だけはしゃしゃりでて殴りかかってきて、挙げ句部外者は一切喋るな」と命令する。絵描きって頭イカれてんのか?引きこもってずっと絵を描いてると人間性なくすのか?キチガイが。

2024-02-26

独裁自主規制の違いを教えてください。

自分

独裁自主規制の違いを教えてください。

どちらも法の規制以上に民意無視した独自規則押し付け方法ではありませんか。

Copilot

独裁」と「自主規制」は、確かに両方とも特定規則押し付けるという点では似ていますが、その適用方法目的には大きな違いがあります

独裁は、一人または少数の指導者絶対的権力を持ち、その意志によって法律規則が決定され、民意や法の枠組みを無視することが可能政治体制を指します。独裁者はしばしば自己利益視点を優先し、異なる意見や反対派を弾圧する傾向があります

一方、自主規制は、特定業界や団体が自らの行動規範を設定し、その規範に従うことを約束するシステムを指します。自主規制は、法律が追いつかない新しい技術問題対応するため、または公共利益を守るために行われます自主規制は、その業界や団体のメンバー自発的に参加し、通常は民主的プロセスを通じて規則が決定されます

したがって、独裁自主規制は、規則の制定と適用方法目的、そしてそれがどの程度民主的であるかという点で、大きく異なります独裁一部の人々が他のすべての人々に規則押し付けるのに対し、自主規制共同体全体が自らの行動を規制するための合意に基づいています自主規制は、その参加者自発的規則を受け入れ、それに従うことを約束するため、民意無視するものではありません。それはむしろ、その共同体価値観目標を反映したものであるべきです。しかし、自主規制不適切に行われると、それは確かに独裁的に見えるかもしれません。そのため、自主規制プロセスは透明で公正であることが重要です。また、自主規制法律基本的人権侵害することは許されません。自主規制は、法律の補完として機能するべきです。

自分

ユーザー実質的自主規制プロセスに参加できないのであれば、市場独占的な環境で行われる自主規制法規制よりユーザー民意が反映されていないと感じます。「自主規制により過剰な法規制を免れている」という論立ては、実質的立法より強権的に、自由環境支配する手段になっているように感じます

Copilot

あなた意見は非常に重要で、自主規制問題点を明確に示しています特にユーザー自主規制プロセス実質的に参加できない場合や、市場が独占的な状況にある場合自主規制民意を反映していないと感じられる可能性があります

自主規制が適切に機能するためには、そのプロセスは透明で公正でなければならず、全ての関係者が参加できるようにする必要がありますしかし、あなたが指摘したように、一部の企業市場を独占し、自主規制を通じて自由環境支配することができる場合、それは問題となります。このような状況では、自主規制は「過剰な法規制を免れる」手段というよりも、市場支配手段となり得ます

したがって、自主規制が公正で民主的ものであるためには、そのプロセスには適切なチェックとバランス必要です。これには、独立した監視機関による監督や、法律による補完が含まれます。また、自主規制市場の独占を許容または助長することなく、公共利益を守るためにどのように設計されるべきかについては、引き続き議論必要です。

あなた意見は、自主規制問題点と改善のための重要視点提供していますありがとうございます。このような議論は、私たちがより公正で効果的な社会を築くための重要な一歩です。

自分(サジェスト質問)

自主規制問題点を改善するためにはどうすればいいですか?

Copilot

自主規制問題点を改善するためには、以下のようなアプローチが考えられます

透明性の確保:自主規制プロセスは透明であるべきです。これにより、関係者自主規制の決定過程理解し、必要に応じてそれに影響を与えることができます

公正な参加機会:全ての関係者自主規制プロセスに参加できるようにすることが重要です。これにより、自主規制が一部の強力な利害関係者によって支配されることを防ぐことができます

独立した監視自主規制プロセスと結果は、独立した第三者によって監視されるべきです。これにより、自主規制が公正かつ効果的に行われていることを確認することができます

法的補完:自主規制は、法律の補完として機能するべきです。法律存在しない領域や新しい問題対応するための手段として自主規制が用いられることがありますが、それは法律による規制を置き換えるものではありません。

教育と啓発:自主規制目的プロセス理解するための教育と啓発活動必要です。これにより、関係者自主規制により適切に参加し、その結果を評価することができます

これらのアプローチは、自主規制が公正で民主的ものであるための基本的ガイドライン提供します。しかし、具体的な実施方法は、その業界や団体、そして対象となる問題によって異なる可能性があります自主規制成功は、そのプロセスが公正で透明であること、そして全ての関係者が適切に参加できることに大きく依存します。それはまた、自主規制公共利益を守るためにどのように設計され、実施されるかに依存します。

自分

「全ての規制国民による民主的プロセスである政治による法が行うもので、業界などの自主規制立法までの一時的で極限られた処置であるべき」という極論の評価問題点の指摘をしてください。

Copilot

「全ての規制国民による民主的プロセスである政治による法が行うもので、業界などの自主規制立法までの一時的で極限られた処置であるべき」という見解は、法の優位性と民主主義原則を強調しています。これは、法が公正で公平な社会保証し、全ての市民がその作成に参加できるという考え方に基づいています

しかし、この見解はいくつかの問題点があります

柔軟性の欠如:法律はしばしば時間をかけて作成され、新しい技術や状況に迅速に対応することが難しいです。一方、自主規制はより迅速に適応し、新しい問題対処することができます

専門知識の不足:立法者は多くの場合特定業界技術についての専門知識を持っていない可能性があります自主規制は、その業界専門家規則作成し、適用することを可能します。

過剰な法規制リスク:全ての規制法律依存させると、過剰な法規制リスクがあります。これは、イノベーションを阻害し、経済的負担を生じる可能性があります

したがって、自主規制は、法律の補完として、または新しい問題対応するための有効手段となることがあります

自分

先の論は長期・慣習的な自主規制批判したものであり、回答には「業界などの自主規制立法までの一時的で極限られた処置であるべき」と限定的に限り認めている文脈を見落としていると感じます自主規制による即効性や専門性メリットは認めますが、慣例化してしまっていることに害はありませんか。

Copilot

あなたの指摘は非常に重要で、自主規制が長期化・慣例化することによる潜在的問題を浮き彫りにしています。確かに自主規制一時的措置から恒常的なものになると、以下のような問題が生じる可能性があります

市場の独占:一部の強力な企業や団体が自主規制を通じて市場支配し、新規参入を阻害する可能性があります。これは競争を妨げ、消費者選択肢制限する可能性があります

規制の透明性と公正性の欠如:自主規制プロセス不透明であったり、一部の利害関係者によって支配されていたりすると、その規制は公正でないと perceived される可能性があります

法の補完ではなく代替自主規制法律の補完としてではなく、代替として機能するようになると、法の優位性が損なわれ、公共利益保護されない可能性があります

したがって、自主規制が長期化・慣例化することには確かに潜在的問題があります。これらの問題解決するためには、自主規制プロセスが透明で公正であること、そして全ての関係者が適切に参加できることが重要です。また、自主規制法律基本的人権侵害することは許されません。自主規制は、法律の補完として機能するべきです。自主規制市場の独占を許容または助長することなく、公共利益を守るためにどのように設計されるべきかについては、引き続き議論必要です。あなた意見は、自主規制問題点と改善のための重要視点提供していますありがとうございます。このような議論は、私たちがより公正で効果的な社会を築くための重要な一歩です。

自分

たとえば成人向けの漫画などに行われる性器へのモザイクなどによる修正という自主規制業界自己利益のために行うものではなく、政府行政意図的立法改正せず曖昧な法の運用不定期に業界側が逮捕・立件されていることを回避するためのものかと思われます法規制をわざとせず、防御的に自主規制を行うしかないという悪習について論じてください。 

Copilot

あなたが指摘したように、成人向けの漫画などにおける性器へのモザイクによる修正という自主規制は、業界自己防衛のために行っていると言えます。これは、政府意図的法律曖昧に保ち、その結果として業界不定期に逮捕や立件を避けるために自主規制を行う、という状況を生み出しています

このような状況は、いくつかの問題引き起こします

法の不確実性:法が曖昧であると、その適用恣意的になり、法の公正性と予測可能性が損なわれます。これは、制作者や消費者にとって不確実性を生み出し、表現の自由を不必要制限する可能性があります

自主規制の過度な負担業界自己防衛のために自主規制を行うと、その負担業界不公平負担される可能性があります。これは、特に小規模な制作者や新規参入者にとって、創造性やイノベーションを阻害する可能性があります

表現の自由制限自主規制が過度になると、表現の自由制限され、多様性創造性が損なわれる可能性があります

2024-02-23

anond:20240223210720

あなたがどう思うかはともかく、売買春に何らかの倫理的問題があると考えるのは一般的ではないでしょうか

法規制対象でもあるし

2024-02-18

anond:20240218220514

自主規制しなければ法規制されるぞと同じでそれ言い始めて何年経つのやら

未だになぜ萌え絵が駄目なのかをわかろうとしないチー牛オタク

正直、駄目なのは表現それ自体なんかじゃないんだわ

お前らみたいな女性から嫌われて遠ざけられて、女性との関係とそこからもたらされる喜びを絶たれて然るべきキモ男のために、女性表象が使われてるのが許されないんだよ

いい加減分かれや

繰り返すけどアウトなのは絵柄それ自体じゃないの

お前らが喜んでることが許せないし、お前らを喜ばせるために作られ供給されてるものはことごとく不快

ましてやそれが女性がお前らに絶対供給したくない女性性的魅力によるものであることがとにかく気持ち悪い

女性自分の歓心を勝ち取った男以外には女性けが持つ魅力なんて一切与えたくないわけ

その気持ちを踏みにじるようなことしてるんだから性犯罪も同然

萌え絵はもちろん風俗AV水着グラビアも厳しく法規制されないほうが異常だと思う

2024-02-11

anond:20240211103423

西成AI

日給も住居も人権も、日本だけガチガチ法規制して再開発の芽を徹底的に潰している間に、

外様顧客クリーンでめちゃくちゃリッチホテルを生成して次世代搾取企業に成長

地元民はそれを高額の宿泊料を払って使わせて貰うだけになるんだろうね

インバウンド暴虐無尽客にてひどくやられたのに全く反省してない

これはあきませんわ

生成AI

文章画像音楽も、日本だけガチガチ法規制して技術開発の芽を徹底的に潰している間に、

外国学習元がクリーンなめちゃくちゃ高性能な生成AIを開発して次世代国際企業に成長

日本はそれを高額の手数料を払って使わせて貰うだけになるんだろうね

GAFAにてひどくやられたのに全く反省してない

これはあきませんわ

2024-02-09

日本の文化衰退が心配されてるし、私も心配してた

しかし、この令和の世界地上波でまほあこを流すのを見て、「まー、そんなに心配しなくても大丈夫じゃね?」と楽観視し始める

変にフェミ圧力に屈したり、欧米ポリコレ配慮して、明確で厳重な法規制をしない限り、法の抜け目をつく自由な発想は生まれ

2024-01-23

法規制される前に既存イラストAIにぶち込んで新デザインを生成

既存データをぶっこ抜いてキメラにすることでモデリングを省略

人間性カスだけど利益のためにブレーキがないビジネスマンだな

2024-01-21

欧米ではリベラルな人ほどAI反対だけど、何故か日本ではリベラル派でもウヨや表自と一緒になって冷笑してる層が少なからずいるよな。

欧米では人権意識が高いリベラルな人ほどAIに反対してて、(人間尊厳を奪う、人種ステレオタイプ助長人権侵害、ネトウヨプロパガンダや偽情報への悪用が主な理由米国民主党リベラル派がAI人権侵害で反対してる事を理解して、その方向で動いている。

バイデン大統領世界に先駆けて法規制に動いており、ニューヨークタイムズ大学教授などの知識人も反対の立場を取っている。

https://people.com/joe-biden-ai-executive-order-mission-impossible-villain-8385476

・逆に、右翼ほどAI肯定的で、4chに生息するアメリカネトウヨなどはクリエイター層を冷笑している。(クリエイター層はリベラル派が大多数だ)

右翼は偽情報プロパガンダ規制されると不利になるため、AI反対派を攻撃している。

AI推進派は表自(表現の自由戦士)で、ポルノ自由や、「AIコンテンツポリコレの影響を受けて無い」を理由AIを推進。

ITテック系も本音は金儲けがしたいので、「Wokeism(リベラル思想)にはうんざりだ」と、イーロンマスクラリーエリソンなどのIT起業家が続々共和党支持へ袴替えし、本音を表している。

からAI推進派は欧米では極右として扱われてる。だけど本邦では何故かウヨや表自と一緒にAI肯定して、偽動画作りなどのネトウヨと同レベルに堕ちる奴もいる。

youtube公式うpしてる音楽聴いてるけどさ

これも結局は無くならない違法アップロードに圧されて始めたわけで

政府事件が起きたら法規制するし

結局のところ世の中を動かすのは不法行為だよな

2024-01-13

名誉毀損で訴えられて何度も敗訴している週刊誌などに法規制必要な時期になっている。

昨今のキャンセルカルチャーの波に乗ってゴシップ週刊誌の勢いが止まらない。

このまま野放しにしていると、とてつもない冤罪事件を起こしかねない。

誰かが死んでからでは遅い。

何らかの規制必要だろう。

具体的には、ある記事を書くにあたって何を根拠にしてそれを事実判断たか取材ノートを公開させることだ。

それをすることで、その記事妥当性を判断できるようになる。

現在のように書いたもの勝ちになっているのは問題だ。

敗訴しても数百万円の支払いで済むのならば幾らでも書くのは自明の理だ。

このような状況は好ましいとは思えない。

2024-01-05

ガチャ法規制をって度々出るけど

これだけ大きなビジネスになってしまって、かつガチャに脳を焼かれた廃人が多い現状、ガチャ禁止したら一定数はギャンブルに流れてよりひどい状況になる気がする。

あ、でも日本公営ギャンブルが多いし、国の収益になるならガチャ回されるよりギャンんブルで破産してくれる方が嬉しいか

よしガチャ規制しよう。

2023-12-21

第二のアヘン時代

アヘンの毒性が科学的に証明されるまで、人類アヘンを毒だとは知らなかった。

現代も、バケガク的証明されてないのをいいことに規制が進まず毒だらけなんだわ



アニメAVとその他エロ作品低脳が書き込める掲示板ソシャゲSNS推し活とスマートフォンのある種の仕組みは法規制するべきだと思いますよ。

どれも短期的な超常刺激に満ちていて、射倖心や刺激を強く与え、人格を変容させ、人間ボタンを押し続けるマウスに変えて時間精神体験搾取し、有害情報をばら撒いている。

スマホや関連グッズや作品を売るために。

アヘンを売るためにアヘン中毒にさせたのと構図が一緒ですよね。あの時代に逆戻りしている。



低脳が書き込める掲示板は、三百代言のおおほら吹き、風邪の原因は悪魔憑き時代人類を逆戻りさせている。

あれを反省して、科学手法を発展させてきたのに、大学研究室での知識教養拡散とは全く違ったおおほら吹き時代レベル手法での情報蓄積と拡散可能にしてしまっている。

情弱ビジネスなんてもの存在する


インターネット情報社会、起こってることがまた中世レベルに逆戻りしてる

他の国はまだマシ。それでも自己批判の土壌があるのだから

日本に至っては、そもそも近代以降のレベルに到達したことがない。

迎合せよ偉い相手ルールにNoを言うな変な人は沢山いるから黙って機嫌取りしろ意見を言うのは面倒で賢くない、

(↑現代レベル論理性を兼ね備えていないよね。ここから文明論理的に再構築された現代レベルには届いておらず、女は痛みを感じないかレイプによる精神的苦痛はバイブで治るとか真面目に言ってる中世レベルだとわかる)

的な風潮が強すぎて、自己浄化自己改革や成長する能力が全くない

2023-12-17

女性尊厳wwwwwwww

ターフちゃんのせいですっかり差別用語なっちゃったよね

法規制される日は近いか

2023-12-14

anond:20231214183308

元増田だが、いわゆるゾーニングが十分に行われており、過剰な「エロ規制になるのではないか、という懸念理解できる。また、そこそこ古くオタク文化に触れてきた元増田としても、キモイという分断的な動機から安易規制論に立っているのではないかと感じることも少なくはない(松戸VTuber温泉娘も突っ込みどころはあっただろうとも思うがそこは本論から離れていくので割愛規制すべきものだったとは思っていないので。)。その意味でも、繰り返すが法規制に慎重であるべきだということに異論はない。

ただ、現状で、R18規制がかなり緩いサイト散見されるところで、ちょっと戯画的に言うと隠れて「河原で拾ったエロ本を読んでいた」時代とは性的ものへのアクセスの容易さがかなり異なる時代であることも否定しがたいように思う。また、業界での自粛のようなものも、インターネット世界では利かせづらいところもあるだろう。ゾーニングがあるから、だけで本当に良いのかということも、やはり真剣議論をするべきところで、馬鹿にするという態度で良いことはないのではないか

それと、仮に偏見から議論であるとしても、言論に対し「先制警戒で攻撃」されることに「文句を言えない」世界こそ表現の自由が死んだ世界なのではないかな。

非実在青少年ポルノ規制論を馬鹿にする風潮について

https://courrier.jp/news/archives/347289/

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/courrier.jp/news/archives/347289/

記事は決して出来の良い記事ではなく、その点はちょっと困るところもあるのだが、いわゆる「非実在青少年ポルノ画像等の規制論についてインターネット、というか少なくともブコメでは、およそ話にならないと馬鹿にする論調が人気だ。もちろん、規制の厳しい欧米各国で必ずしも児童被害が少ないとは言えないことや、他の架空違法行為規制との兼ね合いなど問題はあり、当該表現自体直ちに特定人の権利侵害しているものではない以上、法規制には慎重であるべきであることには私も異論はない。ないのだが…。

この手の規制論が児童人権保護する立場の人たちから度々出てくるのは、現実児童を食い物にするような事例に対峙する際、いわゆる「グルーミング」的な問題によく対峙することになるためだろうと思われる。十分な判断力性的知識がないこと、あるいは、愛情への飢えのようなもの犯罪者に利用され、「自発的に」ポルノ画像を撮り、送らされるというような児童の事例は枚挙にいとまがない。そのような事例に「他の子もやっている(ように見える)」ことが影響していないだろうかというと、していないとまでは言えないのでは…となるのは無理なからぬところのように感じる。例えば万引きが「普通」の環境で育てば万引きをする子になりやすいということは感覚的には否定しがたいのではないか

もちろん、データがあるのかというと、ほかの社会的な影響を除いてそのようなものに触れることの効果だけをデータとして出すのは困難であると思われるため、根拠はある程度感覚に頼るしかないところはある。その点でどうしても弱いところはあるのだが、それでも児童保護という一定パターナリズムが許される分野において、露骨表現くらいは規制するべきではないかという議論が、馬鹿にするべきものだとは思えない。理由手段との対応関係を考えても、これを認めたらあれもこれもと際限なく規制されるディストピア、みたいな話にもならないだろう(非実在児童ポルノ規制される欧米日本と比べて顕著に表現の自由が規制されている社会に見えるだろうか。)。なんにしても、とにかく相手馬鹿にするところから始めるような議論が人気になる風潮は何とかならないのかと今日もふんわり悲しい気持ちになるところである

2023-12-11

ある書籍出版するべきではないという主張にも表現の自由はある

https://querie.me/answer/ST8s9I6rozezVXc5z41p?timestamp=1702007027

https://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Fquerie.me%2Fanswer%2FST8s9I6rozezVXc5z41p%3Ftimestamp%3D1702007027&_www_via=login

既に回答欄で必要なことは書かれているが、「有害な本を出さな道徳的義務があるに決まってますよ。」等の表現にひっかかってしまう人はいるようだ。誰がその正しさを担保するのかというような噛み合わない指摘がブコメには散見される。そもそも質問自体が少し混乱した内容になっているように思われるので、前段の「事実誤認や著しい誤りがある本は出版するべきではない」という主張について、少し内容を変えて「(ある書籍を)出版するべきではない」という表現表現の自由が認められるだろうかという観点から考えてみたい。

まず、おそよどのような主張であれ、その内容に一切かかわらず、言う(表現する)ことが正しく、言わない(表現しない)ことが間違っているという価値観を持っている人は、恐らくいないだろうというところから始める。「どのような」という中身は、回答者のいう「デマ」や「他人に害を与える」内容のものかもしれないし、名誉棄損(他人に害を与えるに入るだろうが)やステマ広告かもしれないし、ある表現をするべきではないという内容の表現かもしれない。その範囲に関しての価値観はそれぞれに違いがあっても構わないし、むしろ違うはずだが、およそ常に表現がされることが正しく、されないことが正しくないという主張は、誰にも支持されないだろうとういことは前提にできると思う。

その中で、具体的にどの表現がされるべきでないものなのかということについては、社会構成員間で価値観の違いがある以上、社会的に決定せざるを得ない。その決定は、各々の異なる意見表現によって交換すること、すなわち、議論によって形成されていくべきだ。そうやって、名誉棄損や著作権法違反への表現規制は認められてきたわけで、その議論担保するからこそ表現の自由は民主主義社会において重要性があると言える。つまり表現規制についてもその限界議論によって定められるべきだということも前提にしていいだろう。

ここで、「出版表現)するべきではない」という主張に表現の自由が認められないとすれば、表現に関する規制について、常に片側の議論の主張を欠く状態になってしまう。無論、あらゆる表現において表現されることに価値があるとか、表現すべきではないことについては議論余地なく決めることができるという前提があれば、そのような表現規制も許されるだろうが、これは今まで書いてきた前提とは反する。つまり出版するべきではないという表現にも表現の自由は認められ、一定尊重がされるべきであるに決まっている、ということになる。

その上で、質問者に戻るのだが、出版するべきかどうかという判断に「事実誤認や著しい誤りがある」かどうかという観点を入れた場合、いわゆる思想の自由主義市場問題、すなわち、誤っているかどうかという判断自体表現を戦わせることによってしか得られれないものではないかという問題が出てくるという側面がある。その点から、およそと事実誤認等を理由にした表現の事前の抑制は行うべきではないという主張はあり得るだろう。ただし、医薬品に関する虚偽の効能広告規制のように、実際には事実に反することを理由法規制される出版行為がある場合もあることからかるとおり、少なくとも現行法解釈上は思想の自由主義市場的な価値はほかの価値との相対的な衡量の中で認められるものにすぎない(出版という一行為態様が禁じられるということが直ちに表現のものを封じられるわけではないということも考慮すべきだろう。)。抽象的な議論を離れ、個別の事例の判断になれば、消費者保護等の観点から規制をおよそ認めないという人は少ないのではないかと思われ、そうだとすれば、その限界判断批判を含めた議論の中で決められるべきという上述の議論に戻ることになる。

インターネット上では、いわゆる反キャンセルカルチャー的な文脈から批判表現自体ですぐに表現の自由を持ち出し反批判を行う意見散見されるが、批判表現表現の自由で認められるべき重要表現である。少なくとも、近時話題になっている角川の事例においては、表現の自由な交換による意思形成を超えた、事実上の表現規制的な圧力がかかったとは私には到底考え難い(まあ、そう考えたい向きがいることも仕方がないことだなとは思う。)。他方で、個人ツイッター(X)上の大したことのない発信に鬼の首でもとったかのような大量のリプライが付くような場合など、この時代において考えるべき問題存在しないわけでもない。批判表現という表現の自由にとって重要表現一般論で封じ込めて「論理的にすっきり」しようとするのではなく、一つ一つの事例にきちんと頭を悩ませることが重要なのではないかとふわっとさせて終わりたい。

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