はてなキーワード: 法律学とは
前回、民法の偉い先生が、自身のキリスト教信仰と民法研究は無関係であると言った講演について書きました(http://anond.hatelabo.jp/20161127222341)。
が、どうもこれが頭に引っかかってしまって思考が進まなくなってしまったので、とりあえず混乱したまま吐き出すことにします。
「〔私にとってキリスト教信仰と民法研究とは〕全く関係ありません。キリスト教は私の人間としての生き方の指針。民法学は私が民法の研究者として、民法上の諸問題を一解釈学者として精一杯明らかにしようと務めているだけのことです。両者はその存在次元を異にしていますから、直接関わることはありません。」
「そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、既にあなたがたの負けです。なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです」(コリント前書6-7)
「人を裁くな」(ルカ伝6-37)
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ伝14-6)
一方で「民法研究とキリスト教は無関係である」と言い、他方で「キリストを通らなければ真理はない」と言われると、つまるところ法律学の研究には真理はないということになるのでは?というのが今の疑問。
ぜんぜん関係も文脈も違う2つの命題を繋げて何を言っているんだ、という感じなんですが、これ実感として「そうかもしれない・・・」と思えてしまうのが不安を持つ原因。
どういうことかというと、民法はちょっとややこしい(資本主義の影響が~とかになりそう)ので刑法を例にとると、刑法の事案を処理する際、法律家は(事実認定を除くと)大体以下のような作業をします。
(1) 事案をよく見る。
(2) 適用条文を探す。
(3) 条文の要件を切り出し、解釈を通じてさらに具体化する。
(4) 過去の判例・裁判例から重要と思しき事実をピックアップしてマトリクスを作る。
(5) マトリクスを作る過程で過去の裁判所の判断を分けた重要な事実が炙り出される。
(6) 本件に戻ってその重要な事実の有無・相違を確かめる(自然と結論も出る)。
(7) 上手くいかなければ(1)に戻る。
ただこの作業、やってる最中は真理というものを全く意識しません。
(1)~(7)の作業が担っている機能は、よく考えてみると過去の判例・裁判例の結論と平仄を合わせるものでしかありません。
また、こうして出された結論が「国民の常識」にかなっていることが多いと評価されることが多いのですが、よく考えてみるとそこでいう「国民」のほとんどは無神論者で資本主義者です。また「常識」にかなっていたから何だ、という話もあります。
他方、(8)の作業はいかにも真理っぽい作業なのですが、①②③の原則というのも、治安悪化の程度や警察の捜査能力などによってその要請の強度が変わってきます。
たとえば警察に捜査能力がぜんぜんない国で、責任主義を徹底し、故意の認定を厳格にするよう求めても、土台無理な話でしょう。
他にも、イスラエルのようにテロが頻発する国で予防拘禁を止めろというのもなかなか難しい話だと思います。
真理というものが普遍的なものだと仮定するなら、やはりここでも真理というものは現れないように思えるのです。
そしてさらにこういう作業を綿密に経たところで、刑務所の中で受刑者が思うことの多くは安部譲二『塀の中の懲りない面々』や堀江貴文『刑務所わず。』で描かれてるようなことでしょう。
そうなると上の作業には、やはり真理はないと思われるのです。せいぜい国の治安維持政策としての意味しかないのではないか、と思われてならない。
今回は思いつきばっか書くので、あんまり本気にしないでください。
日本語の「信じる」「信仰する」という言葉は重いと思っている。
自分の神に対するスタンスは、(本当はいるかどうか良く分からないが)①いてくれたら良いな、②いる方に賭ける、③いてくれなければ困る、という幅で気持ちが揺れ動いている状態だ(その理由は以前書いた)。
「信」という漢字は「人」+「辛」+「口」の組み合わせから成るという説があるらしい。
ここで、「辛」は入れ墨に用いる針の象形で、入れ墨による刑罰を示す。「口」は誓いの文書を表す。
この説によれば、「信」という言葉は「その発言に嘘があれば、受刑することを前提に誓う様」を意味するとのこと。
他方、英語の"believe"は、allow(受け入れる)を意味する"be"と、to hold dear(愛しく思う)を意味する"li"から成るとのこと。
この説によれば、"believe"の意味は「対象を受け入れて愛しく思う」というところか。
これらの説が本当なのか文献を当たってないので分からないが、もし本当ならば英語の方がしっくりくる。
聖書の文言というのは非常に抽象的で、中には矛盾するように読める個所もある。
そのため、人生で直面する問題に対して聖書の規定を適用しようとする際、人によって全く違う結論が導き出されることがある。
このことが顕著に顕れるのが同性愛の問題で、①同性愛は全面的に罪だよ説、②欲求を持つのはOKだけど行為に及ぶのは罪だよ説、③ノンケの人が男色に走るのが罪なだけで生まれながらの同性愛者は罪ではないよ説、等々、バリエーション豊かな議論が展開されている。
(ちなみに自分は、どの説に立つにせよ、自説をもって他人〔同性愛者〕を裁くことは「人を裁くな」〔ルカ伝6-37〕に抵触するのでイカンと思っています)
また実際にも、(a)同性愛を罪と考えて信仰に励む同性愛者、(b)同性愛を罪と考えず積極的に差別と偏見と闘う同性愛者、のどちらも間違いとは言えないだろう。
そうなると聖書解釈というのは単なる主観の表明じゃないのか、客観的に正しい解釈というのはないのか、という疑問が湧いてくる。
この問題を考える際に参考になる議論として、法律学で似たような議論がある。
議論状況は泥沼に陥っている上に難解なのでとても要約なんてできないのだが、論者で議論が一致している点として「裁判官は法律家としての直感で結論を決めており、法解釈はそれを検証・正当化するために用いられる」ということが挙げられる。
このことから、法律家はこの「法律家としての直感」を育てることが肝要であるとよく言われる。
大事なのは「キリスト者としての直感」を、信仰と聖書研究を通じて育てることであり、聖書解釈はその直感を検証・正当化するために用いるものなのではないか。
上述した同性愛の問題でいえば、①同性愛者が直面する問題点、苦悩などをよく勉強したうえで、②キリスト教的な価値観に照らして直感で結論を出し、③それを聖書の規定に照らして検証・正当化する、というプロセスになる。このプロセスを経た結論は、いずれの立場にせよ、聖書的と言える(と勝手に思っている)。
なお、「法律家としての直感」の土台には、無神論と(マルクス主義的な理解における)資本主義がある。
「キリスト者としての直感」の土台には、キリスト教的な価値観(人間は堕落しているという人間観、成功より正義を重んじる姿勢、死後の世界の肯定、愛)がある。
「〔パウロ〕の手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています」(ペテロ後書3-16)
「あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい」(テモテ後書2-15)
「自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです」(コリント前書2-14)
#ブコメ返信
・いつもありがとうございます。教理問答買って読んでみます。今は詩篇を読んでいるのですが、終わったらコリント前書も読もうと思います。
東大教授の玉井克哉が twitter で発言して、話題を呼んでいる。
「残業100時間は何が何でも悪いんじゃ?、ガー」という人が次から次へと沸いてきて驚いているんだけど、そういう人は、震災の後の自衛隊員が何時間働いたか、想像つかないのかな。あのときに「けしからん、長時間労働は止めさせよ」と言ったんなら、首尾一貫するとは言える。賛成はしないけどね。
これに対して、前後の発言を読め、という批判があったので、読んでみた。10月09日の発言。
http://twilog.org/tamai1961/date-161009/asc-nort
http://twilog.org/tamai1961/date-161010/asc-nort
要するに、「月 100時間の残業以外にも問題点はある」と言っている。それだけだ。
ま、それだけならば、めくじらをたてるほどのこともない。ただし、上記引用部のツイートは、たとえが悪い。「震災の後の自衛隊員が何時間働いたか」なんて、全然別の話だし、これを出せば、「月 100時間の残業は問題点はない」と言っているのも同然だ。当然、批判される。
本人がいくら、「月 100時間の残業以外にも問題点はある」というつもりだ、としても、その趣旨では受け取れない。単に上記ツイートだけを見て、「月 100時間の残業は問題点はない」と言っていると理解される。
ま、本人からすれば、「誤解された」というつもりなのだろうが、そのつもりだとしても、そういう趣旨の文章になっていない。自分の意図したとおりの文章を、自分で書けていない。文章力が低いせいで、意図が伝わらない文章になった、とも言える。
以上をまとめれば、こう言える。
「まともな論説を書きたければ、ツイッターなんかに書くな。ブログなどを使って、ちゃんと長文で書け」
学者ならば当然、そうするべきだ。140字の制約のある短文しか書けない媒体を使うなんて、根本的に狂っている。
その上で、表現未熟・推敲未熟な文章を書いて、「誤解された・誤読された」と勝手にわめいている。自分で自分の首を絞めていることに気づかない。
この人は基本的に、文章能力が低すぎる。だから、 twitter なんていう媒体を使っている。そのあとで、自分の文章能力の未熟さを、「短文しか書けない twitter のせいだ」と責任転嫁している。
バカを言え。そんな媒体を選んだのは、自分自身だろうが。すべては自分の責任だろうが。
この人に忠告しておこう。
と。
とはいえ、いくら忠告しても、それは実行されないだろう。なぜならこの人にはもともと長文を書く能力がないからだ。それがあるなら、とっくに実行している。
結論。
「まともに長文を書けないほど文章能力が低くても、東大教授になれる」
「一日中 ツイッターなんかをやっているような人間は、たとえ東大教授であっても、ニートと同類だよ」(まともな研究もできないし、まともな長文も書けない。)
ブコメに返信
あなたは誤読しているようだが、私は「玉井教授には業績がない」と言っているのではない。「 twitter をやっていると、仕事をする時間がなくなる」と言っている。当然ながら、それが影響するのは、 twitter をやり始めてからだ。上記のリンクページによると、
とあるから、この日以後についてのみ成立する。それ以前については関係ない。( twitter の影響はない。)
「
アウティングするやつが法曹の道に進むなんて…みたいなコメントとかナイーブすぎるだろ。
知らねーわ。法律学んでる学生にそこまで求めてどうするんだよ。
だいたい一介の学生に友人が女好きかどうかの守秘義務なんかあるか。
自殺した女好きのA君は超気の毒なんだが、暴露したZさんの状況を全く斟酌してないのはバランスが悪すぎる。
どうせ医学部の学生に同じことが起きても同じロジックで叩くに決まっているんだよ。
女好き男性は世の中に一定数いるんだからこうした若いA君にどう対処すべきか方策を指南、啓蒙すべき。
数人以上の比較的パブリックなグループの会話の中で、今回のアウティングを示唆するようなセンシティブなキーワードが出てきたら自動的に排除するような機能を流行りの人工知能で実装するといいと思います。」
ってなるわけなかろう。男性保護団体みたことあるのか?女性への告白において免責事項を述べておけとか言うのか?
訴えることをかんがえるほどだから人格を踏みにじるほどひどかったんだよ。
「アウティング」っていわないと、具体的なひどい言葉をかけば二次被害が起こるんだよ。
世の中の同様の立場にある男性が手ひどく振られたあと同じ言葉を投げつけられると自殺したくなるようなひどい言葉だからわざわざ伏せて訴えてるんだよ。
同情と世論勝訴を買うならアウティングなんてものやわらかにいわずに端的に露出したほうがいいってわかってて、
アウティングするやつが法曹の道に進むなんて…みたいなコメントとかナイーブすぎるだろ。
知らねーわ。法律学んでる学生にそこまで求めてどうするんだよ。
だいたい一介の学生に友人がゲイかどうかの守秘義務なんかあるか。
自殺したゲイのA君は超気の毒なんだが、暴露したZ君の状況を全く斟酌してないのはバランスが悪すぎる。
どうせ医学部の学生に同じことが起きても同じロジックで叩くに決まっているんだよ。
ゲイは世の中に一定数いるんだからこうした若いA君にどう対処すべきか方策を指南、啓蒙すべき。
数人以上の比較的パブリックなグループの会話の中で、今回のアウティングを示唆するようなセンシティブなキーワードが出てきたら自動的に排除するような機能を流行りの人工知能で実装するといいと思います。
東大基礎科学科卒。過去250~340年間世界の大数学者達が解こうとして解けなかった、世界史的数学難問4つを解き、現在ロシア科学アカデミー数学の部で審査中。マスターした11ヶ国語を駆使したプロの通訳・翻訳家。矛盾だらけの現代物理学を初め、全科学(自然、社会、人文科学)の主だった物を体系的に批判し各々に別体系を提起。各種受験生(医学部、難関大学入試、数学オリンピック、社会人大学院入試、IT関連資格)支援。
■経 歴
2002年 (至現在)セント・クレメンツ国際大学 物理学教授
2001年 英国系セント・クレメンツ大学で数理物理学の博士号取得
2002年 ロシア科学アカデミー・スミルンフ物理学派論文審査員となる
1999年 英国系ウィットフィールド大学でコンピュータ科学人工知能の博士号取得
1991年 (~1993年)University of California、 Irvine人工知能研究所で確率論批判・学習システムの研究
1988年 (~1991年)世界の認知科学の権威ロージャー・シャンクのCognitive Systemsのデータベース研究所IBSで自然言語処理研究
1986年 (~1988年)欧州先端科学研究プロジェクトESPRITにESPRITディレクターとして仏Telemecanique研究所より参加(生産ラインへの人工知能導入の研究)
1985年 西独ジーメンスのミュンヘン研究所で生産ラインへの人工知能導入の研究
1982年 (~1985年)[仏国]世界一速い列車TGVのメーカーAlsthom社の知能ロボット研究所
1981年 (~1982年)[仏国]グルノーブル大学院、ソルボンヌ大学院で通訳の国家免状取得
1980年 (~1981年)[スペイン]マドリード大学院で言語学履修 西国政府給費留学生
■専門分野
数理物理学Ph.D.、コンピュータ科学人工知能Ph.D.、マスターした11カ国語を駆使したプロの通訳・翻訳家
■講演テーマ
「ビジネスマン、文系卒社員に理工系技術と技術的発明を評価できる眼を」
近年世界の大学でビジネス志向の学生向けに、理系の技術的な事がある程度分かるためのカリキュラム改変が始まっている。しかし申し訳程度であり、また理系の拠って立つ数学物理学の科学理論自体に欠陥が有る事が最近明らかとなっているため、正しい数学と物理学の粋を伝授し、文系でも本物の理系技術評価が出来るように支援する。
「英語を完璧に&現地語(非英語)を或る程度使えるマネジャー急遽創出と、社員の中から各国語通訳をネーティブに肉薄する敏捷性と正確さで急遽育成を支援」
海外のプロジェクトや企業と折衝するとき、英語がネーティブ並みであったり、現地語を自社のディレクター自身がある程度こなせるか、英語、現地語につきネーティブ並みの社員が通訳出来ると先方との話が大きく好転する場合が少なくない。それを本当に実現する教育訓練を私は提供できる。平明に説明し、実体験をしてみたい方がいらっしゃるなら講演会場で手解きをしてみたい。
「発見された言語学理論と外国語訓練方法論を基に、文科省と英会話学校の英語教育訓練方法論の根本的誤りの中枢を詳説」
統語法意味論、文脈意味論、実世界意味論の3レベルで進展するネーティブの母国語習得過程の中、言語能力の真の中枢は解説も無しに親の喋るのを聴いているだけで分かるようになる統語法的意味把握能力で、これは文法用語を全く使っていなくても徹底した文法訓練となっている。ネーティブが敏捷性、精度の点で万全であり、先ず文法的間違いをすることはない理由はここにある。全文法分野について書き換え問題の「即聞即答訓練」を一気に中学生以上の年齢の人に施し、全文法のビビッドな一覧性を習得させるとネーティブに肉薄する敏捷性と精度で外国語を使いこなせるようになることが発見された。
「<証明された欠陥数学> 確率統計と微積分学のビジネス、金融工学、保険業界での使用に対する警告と、それに取って代る新数学体系」
我々物理世界は離散値の世界であることが原因で、物理世界に住む人間の頭脳が考え出した数学の中で連続実数値に基づく確率統計学と微積分学だけが欠陥数学として発現していることが証明された。決して建設的な予測をすることができず、崩壊していく事象に後ろ向きにしか適用できず、せいぜいリスク管理にしか使い道の無い確率統計学をビジネス学の分野では金科玉条の如く信用し積極的やり方で利用しているが、ここに「理論」と現実との間に大きな食い違いが生じている点に警告を発したい。そのためそれに取って代る新数学体系を提起する。全てを分かり易く解説します。
「新エネルギー・エコ向けの発想を大転回した技術的な重要な発明を提起」
20世紀初頭に数理物理学者Henri Poincareは二体問題までは解けるが三体問題(三つの星が互いに重力で引き合いながら運動している時の時々刻々の位置を計算で求める事)以上は微積分学を使って解く事が出来ない事を証明した。これは無限小差分を使う微積分は計算式中で交差する項をほぼ同等とみなして相殺してしまうため、作用反作用の法則(F1*v1=-F2*v2)の取り違い(F1=-F2が作用反作用の法則であると圧倒的多数が信じている)と相俟って、交互に対称な運動しか記述できないため、対称性の有る二体までは記述できても対称性のない三体以上は記述できないためである。この欠陥数学微積分を基に二体までは「エネルギー保存則」を証明したものの三体以上の「エネルギー保存則」は本来的に証明不可能であることが明らかと成った。現に永久磁石がエネルギー保存則を大きく超えることが実証され始めている。それらの実験につき具体的に物理学の素人の方々にも分かりやすく報告したい。
「世界史的体系的誤りに迷い込んだ現代物理学とその使用者への警告とそれに取って代る新物理学」
現代物理学の二本柱、量子力学と相対論の中、量子力学は水素原子の原子核と軌道電子の関係説明を辛うじて試みただけで、水素原子より複雑な原子や分子の構造の説明に実は悉く失敗し、繰り込み・摂動理論はその失敗を隠すため後に持込まれた。軌道電子は光速に比べ無視できぬ速度でクーロン力で原子核に引かれて急カーブしながら等速加速度円運動、大量のエネルギーを消費するが、半永久的に軌道を回る。しかしシュレーディンガーの波動方程式(その波動関数とその共役関数の積は確率)はエネルギー消費に一切言及せず、エネルギー・レベルが一定に保たれるという明らかに矛盾した論を展開する。また確率を持ち込んだからには、エントロピー単調増大法則がここに適用され、水素原子は瞬時に粉々に飛び散らなければならぬ現実に反する二つ目の重大矛盾に遭遇するが、これもシュレーディンガーは見てみぬ振りをする。つまり水素原子の構造の説明にすら量子力学は完全に失敗した。量子力学とは動力学でなく各エネルギー・レベルについての静力学でしかなく、「量子力学」の「力学」なる名前とは裏腹に力を論じられない。論じればエネルギー消費が起こりエネルギーレベル一定論が崩れる。
「現代のフォン・ノイマン型コンピュータ・アーキテクチャーの誤りと、創るべき新コンピュータ・アーキテクチャー」
現代のフォン・ノイマン型コンピュータの計算機モデルが取りも直さずチューリングマシンそのものである。チューリングマシンは決ったパラメータ数の状態間の遷移を静的モデル化したものであるのに対し、歴史的にその直前に発表されたアロンソ・チャーチの計算モデルのラムダ・キャルキュラス(人工知能プラグラミング言語LISPの言語理論でもある)は関数の中に関数が次々に入れ子のように代入されて行き擬パラメータが増えていくダイナミックな仕組みを持つ。この後者は人間が作ったコンピュータを遥かに凌ぎ、宇宙の始原から発生した環境データから関数をf1(t),f2(t),.,fn(t)と次々に学習し入れ子のように代入進化し、次の一ステップの計算には宇宙の始原からの全ての関数f1,f2,...,fnを思い起こし、そのそれぞれの差分を取って掛け合わせる事をしているコンピュータとも言える物理世界とその時間の学習・進化を時系列順に模写するのに持って来いの仕組である。関数と言っても多項式で充分である事を世界の7大数学難問の一つPolynomial=Non-Polynomialの私の証明も交えて平明に解説する。これは日本の国と世界の先進諸国のコンピュータ科学の今後の研究方向を左右する発言となる。
■実 績
【講演実績】
Trinity International University
「コンピュータ科学」 学士号コースの学生に卒業まで全コースを講義
St.-Clements University
「金融工学に必要な数学・物理学」の博士号コースの学生3年間に渡って講義、研究テーマと研究内容、博士論文のアドバイス
St.-Clements University
研究テーマ「コルモゴロフ複雑系の二進ビット・ストリングの下限=Lower bound for binary bitstring in Kolmogorov complexity」の博士号コースの学生Dr. Bradley Ticeに英語でアドバイス
St.-Clements University
外国語学部のポルトガル語・伊語の通訳・翻訳の学士号コースの学生に教養学部のレベルから全社会科学(経済学、法律学、社会学、経営学)、人文科学(哲学、言語学、心理学、歴史学)、自然科学(数学、物理学、化学、生物学、医学、計算機数学)、エンジニヤリング(Information Technology、ソフトウエア工学、電気工学、電子工学)の各々の学科の全講義を行う。
Госдарственный Университет Санктпетербургской Гражданской Авиации (サンクトペテルブルグ国立航空大学)
物理学学会の論文発表会で幾多の論文の露語によるプリゼンテーション。
【メディア出演】
【執筆】
ti-probabilistic Learning by Manifold Algebraic Geometry, SPIE Proceeding, 1992 Orlando 等 人工知能学会論文
○山下義信君 先生に伺いますが、私もその点を伺おうと思つてここにチエックしておいたのでありますが、男女の結合が生殖を目的とするということが第一、その立場から愛情の有無と受胎のパーセンテージというものが、学問的にわかるのでありませうか。その点が一つ。それから今松村委員からお尋ねしようとなさつたところは次の点にあるのじやないかと思うのであります。優生学上から愛情の深い者同士の間から天才が生れるということはいわゆる世俗で申しますが、不義の子供には偉い者ができるということをよく世間で申します。そういう意味で、愛情の深い者同士の子供に果してそういう優良兒ができるかどうかということを伺いたいと思います。
○松村眞一郎君 私の質問を補充するようなことをおつしやつておりますが、私はそういうことを要望しておりません。そういうものはないと考えております。遺傳学上から考えて極く純粹に考えております。そんなことで大体良い子供ができるということは遺傳学上否認いたします。そういうことでない、もう少し何と申しますか、自然科学の方面から、遺傳学以外に何かありませんかということなんです。環境ということになりますと、遺傳学じやありません。今すでにお尋ねになつた中にも一つあるのですが、例えば両性の結合が愛情のある結合であるならば、ここに生殖ということも或いは行われることがあるか知れません。愛情がなければ、良い結合がなければ成功しないという虞れが起つて來るわけでありますが、そういうことが何かありませんかという考えなんです。
○証人(安藤畫一君) ちよつと私はつまり初めの方の御質問の核心に触れ得ないのですが、私は遺傳学のみからこの問題を論ずるという趣旨で申上げたのでありませんが、一番重大な遺傳学を採り上げて説明の手段にしたのであります。無論人間が良くなるか惡くなるかという問題は、そういうことだけで考えられないので、昔から氏より育ちと言つております。だから、今氏の問題を言つておりますが、育ちの問題が加わることは、当然であります。環境の影響があります。それでありますから、母親の責任を問うた場合に、環境の大部分は母親が重大な影響を持つているということを申上げたのもそれであります。
それから先程ちよつと二度ばかりお話がありましたが、結び付いたものが遺傳学的に良いものでなかつた場合に、それを良くするために良いものを一つ加えてもいいじやないかというお話は、私は不賛成ということを申上げた。人間というものはそういうふうな勝手はできない。一度結び付いた以上は止むを得ない。これは結び付く前にそれを講ずるものであつて、結び付いた後にそういうことをやるべきじやない。言い換えれば、なんぼ遺傳的に良いものを作つても、やはり姦通というものはいけない。こういうふうな立場であります。
○松村眞一郎君 それは法律制度としてはあなたと御意見は同じなんです。法律制度としてはそうだが、医学的に言えないかということをお尋ねしている。
○証人(安藤畫一君) 医学的に言つているのです。医学的にはとにかく生殖というものが限局されている。動物と違つて点は、動物は自由に許されている。人間は二人しか許されていない。その立場からいいと言うのです。
○証人(安藤畫一君) 医学的にも説明できるのです。さつき言いましたように、遺傳という問題をいつも持つて來る。いわゆる雜婚、日本人の間の雜婚の意味で、人種でない。ともかく二人を目的としたのは、そこに純血性を見たのでやはり遺傳を持つて來たのです。それ以外においてやはり医学的にもそういうふうに考えられるのであります。法律学的でなく……
○松村眞一郎君 御趣旨はよく分ります。私の考と一致しているのです。言い方で法律的と医学的となる。意見は一致している。それではもう少し何か物足りないのです。
○証人(安藤畫一君) 愛情と受胎率の関係の御質問がありましたが、私の方でも不妊症に陷つている者に子供を生ませるようにするにはいろいろな因子があります。生れないためにもありますが、生むためにいろいろな因子がある。その中に性交時の性慾の差、これは愛情と同じものでないかも知れませんが、それが何時も問題になるのであります。これは絶対的のものではないのです。無論これは一つの補助因子になりますが、絶対的のものではない。というのは強姦をされておる際でも、受精します。だからこれは愛情というものは絶対的のものではないと、我々は見ておる。無論補助因子だから、愛情だけで以て受胎を左右するということは考えられておりませんが、受精をたやすくする可能性を多くする意味において、その時の、例えばこれはちよつと申上げ兼ねますが、オルガニスムスと快感の絶頂を両者で合せるものとか、性的技巧の中に加わつておるのですが、これは絶対的のものじやない。このくらいの程度のお答えしかできません。
○山下義信君 それから愛情の深い者同士から優良兒が生まれるとか……
○証人(安藤畫一君) ちよつと聽いておりませんが、私の遺傳に関する知識からは考えられないように思います。
○松井道夫君 只今松村さんのお尋ねがありました点について、安藤先生は何処か核心を掴めないでおると思います。私はこれは安藤先生がちよつと誤解しておられるのじやないかという氣がいたしますが、今日は要するに証人という立場で來て頂いておりますので、前回の公聽会とは違いますので、それで純粹に医学上の立場から我々に資料を與えて頂く。こういうことなので、法律制度としての姦通罪を残すかどうかということは、これは我々の方で試みるべきことなのであります。ですからその点の御意見は拜聽しないで結構なのであります。ただこれに対して資料を與えて頂くという趣旨なのであります。それで私の質問に入りますが、純潔ということを只今申されたのでありますが、純潔という観念は、これは宗教上、道徳上倫理上の観念であつて、医学上の観念では普通はないように解釋されるのでございますが、ただ私は医学上も純潔ということを考えていいのじやないかということを考えておりますのは、要するにこれはいわゆる血液が汚れる。こういうことが普通言われておる点であります。例えば梅毒ならスピロヘータが血液の中に滲み出す。それが遺傳因子の方にも作用を及ぼす。これはそういうことがあるかどうか伺いたいことなのでありますが、さような場合に初めて医学上純潔が云々されるのではないかと存ずるのであります。それでその意味におきまして、姦通の子に何らか医学上の純潔を欠く。即ち正常の結婚から生れた子と比較して劣つておるとか……只今山下さんから優れたということを伺いましたが、劣つておるとか、その他医学上純粹の意味で純潔を欠くような場合があり得るか、想像できるかということをお尋ねしたいのであります。
○証人(安藤畫一君) ジユンケツということい今文部省あたりで純潔と書いておるようです。あなたの方はどうですか。
○松井道夫君 私の方はどちらでも結構ですが、実は医学上、生態上、変化を生ずるかという意味です。
○証人(安藤畫一君) これはどうしても、潔いにしても血にしても、どういうことを純というかを医学的の観点から言いますと、純ということは何処までも、先程から何度も申しましたように、許された夫婦間においてのものばかりを純と申します。それ以外を不純と申します。
○松井道夫君 ちよつとその点は分らないのですが、許された夫婦間の性交ということは、これは医学上の問題でございましようか。
○証人(安藤畫一君) 人間というものは正常というものを、或る限局されたものに置かなければならん。
○松井道夫君 ところが支那では法律上は一夫一婦でありますけれども、現実は一夫多妻が行われておるのです。又法律上一夫多妻が認められておる所がある。一夫一婦の法律であるから、それを維持して行くということは普遍の原則でなければならない。日本における一夫一婦の制度に立つた医学でありまして、私のお尋ねしておるのは、普遍の、世界に通ずる医学の原則をお尋ねしておるのであります。
○証人(安藤畫一君) そういうものはやはり決められていないと思うのであります。
○松井道夫君 今の純というのは私の言葉で、血の純で結構ですが、そういつたような純医学的、遺傳学的の関係で、不義の子と、正常の結婚の子と差がありやということであります。
○証人(安藤畫一君) それは血清学上に言う差異はありません。ただ遺傳学的にのみ考えられる。それ以外には考える余地はありません。
○松井道夫君 それならば純血という文字を撤回して結構ですが、医学上、遺傳学上、結婚外の子と結婚内の子と差異があり得るのですか。
○松井道夫君 下世話では、密通の子は何処か素質が惡いとか、或いは体が弱いとか、或いはその後本当の子供ができても、間男に似るとか、いろいろなことを言うのですが。
○証人(安藤畫一君) それは一貫したお答えでいいと思います。そういうことは全然ないわけであります。遺傳的に考えて全然ないのです。さつき鬼丸さんのお答えに説明が足りないで、後を古畑君から図によつてお話になりましたが、犬の場合の説明は隔世遺傳で以て説明できると思うのであります。最初にかけ合せた親が純血種であつたかどうかというときに、それが雜種であつた場合に、そのときに現われないで、幾代か後で現われて出ることはありますから、その点は大いに考慮されないと、解釈の誤謬ができて來ると思うのであります。それで、どうしてもこの問題は、今お話の最後の方の御質問では遺傳的に見るより仕方がないのでございます。その外には、例えばスピロヘータの入つた場合に血を汚すか、それは子供に傳わるかというと、無論スピロヘータは、受胎した後に胎内でスピロヘータは母親の血液から胎兒に移るけれども、遺傳的に見ては血は不純にならない。どうしても遺傳という問題を切り離して、この純潔という問題を持つて行かなければ不合理だと私は信じております。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/001/1340/00108191340015c.html
まあ当たり前だが、論文でコピペなんて許されるわけがなく、修論で孫引き(引用の引用)をしただけでも教員に叱られた。
しかし当時を思い返してみれば、理系の学生の話を聞いていたら、論文だとか研究だとかの感覚が、自分の身の回りと違っていたな。早稲田で理系っていうと、理工か教育か、あと人科とスポ科だったけどね。よく覚えてないけど、理工か教育の学生がしていた話だったと思う。
そもそも、いわゆる理系と文系では、研究や論文のやりかたが根本的に違う気がする。法律学の論文では、自分で書くのは当たり前で、コピペなんてしたらぶん殴られるかもしれないな。卒論やレポートだとばれない可能性があるし、レポートごときだと基本書からコピペする奴はいるだろうけど。
いわゆるコピペは、倫理違反だし、多くは著作権侵害だ。引用はしてよいし、論文なら引用を基礎にして成り立つものだといって過言ではない。だが、引用元を明示して、区別して記載しないといけない。
まして博論は、修論に比べても、独自性が高くないといけない。そうでないと学位が出ない。私の感覚からすると、博論でコピペというのは信じがたい。
@**********様
以前の人権規定の私人間効力について、思ったことを書きます。(メールやツイッターだとアレだし、他にいい手段を思いつかないので、ここを使う次第です。)
初めにお断りしておくと、僕はことの発端となったその本(図書館学に関する本?)を読んでいません。
また、学がないので、憲法学の体系や諸学説の展開を十分踏まえた上での論述ができていません。
完全に自己満足のため、頼まれてもいないのに、自分の思ったことを適当に書いたものですので、当然スルーしていただいて結構ですが、
もし、気が向いたら、的外れであったり、誤りがあったりする点などについて、ご指摘いただけるとご幸甚です。
以下、本題
結論から言うと、
(よく聞く言葉である割に、実は、定義がきちんと定まっておらず、話者によって使い方がバラバラであり、時には話者自身も自分が何を意味するものとしてその言葉を使っているのか分かっていないような言葉)
「人権」と聞けば、まずは、憲法的な意味での「人権」を思い浮かべますが、
そうでない人達は、社会規範上の「個人は人格的に尊重されるべきという前提に立った場合に当然にその個人に認められる権利」くらいに思っているんじゃないかな、
という感触を持っています。
しかし、彼らの中でも、具体的にどんな場合に保障されるどんな権利なのかという話になると、人によって言うことバラバラで、
その原因として、「それが権利とされる根拠」「憲法との関係性についての考え方」「権利としての保護の強度」などについての考え方の違いが背景にあるじゃないか、と考えます。
(2)そういう権利が認められるべきだ、という社会的合意がある
(3)社会政策として、そういうことにした方がより良い社会になるので、そういうことにしておくべきである(思想家的確信犯)
彼らは高校の地歴・公民で「人権」なる概念に触れますし、まあ、こんなもんじゃないかと。
・(1)(2)の立場だと
(ア) 憲法の規定は上記の自然権または社会的合意を単に明文化したものに過ぎない
(ア-2)上記自然権・社会的合意は素晴らしいものなので、当然、憲法か法律かで明文化されていないはずがない。
(イ) 憲法の規定(およびそれについての裁判所の解釈)はどのような自然権・社会的合意があるのかということの間接的な証拠である
(ウ) 日本国憲法は国家の在り方だけでなく社会の在り方をも定めるものであり、社会的合意そのものである(直接適用説?)
くらいでしょうか
・(3)の立場だと
(エ)偉い人が考えてつくった憲法にもそう書いてある(or賢い人である裁判官もそう言っている) → だから、自分の政策提案は正しい
という感じなのかなぁ、と。まあ、(ア)~(ウ)もありうるかもなぁ。
・彼らの統一見解
(あ)社会のある成員は別の成員の「人権」を侵害してはならないし、第三者はそれに加担するべきではない。
(い)だから、人権侵害にあたる行為は全て禁止するべきであり、侵害したものは必ず法的制裁を受けるべきである。
(う)法律のことはよく知らないし、法的制裁云々はよく分からないけど、社会的な非難は受けるべきorはず。
(え)その他
行政官としては法治主義の建前から法実証主義的な立場を取らざるを得ず、
行政が他人の権利・利益を制限・侵害する根拠として別の人の「人権」を持ち出す場合においては、
その「人権」は日本国憲法上保障されているものとして解釈できる範囲を越えてはいけないのではないか。
但し、勿論、他人の権利・利益の侵害とならない範囲で社会規範としての「人権」を尊重する方法がないか、十分、意を用いるべきである、と考える。
また、それ以外の場合では、社会的規範としての「人権」の尊重は心にとめておきながら、施策を進めていくべきである。
(が、そもそも、別に「人権」とかそういう話ではなく、法規範だけでなく社会規範にも従うことを心がけるべきであるという話に過ぎない。)
○一個人として思うこと
(3)みたいな「僕が考えたすごい人権」みたいなものに付き合わされるのは勘弁してほしい、と思ってます。
人は本来自由なのですから(というか自由じゃないと不満を持つ生き物なのですから)、その自由の制限は最小限であるべきです。
「○○した方がいい」というマナー・社会道徳のレベルで済む話まで、無理に「人権」という概念に取り込んで、それを「守るべき」という価値観を押し付けたり、法的に強制することには反対です。
また、マナー・社会道徳を越えて、法的保護に値する権利と言えるものであっても、「どんな場合でも他人の言動を縛るための根拠として使えるもの」とすることにも反対です。
まあ、結局、みんな「人権」という言葉をよく分からないまま使いすぎ。
もっと、意味内容を限定的にしてくれないと、聞いている方が訳わかめ。
少なくとも「基本的人権」なんて言葉は憲法上の意味に限定して、それ以外のものは別の言葉で説明してくれた方が議論が捗るのに。
(多分、意図的に混同している人もいるんだろうな、とも)
先日の日経に、
「法学部人気急落」という記事があって、明治学院大学とか東大とかが取り上げられていた。
日本の文系大学の中で、法学部は「文系の花形、主流派」的扱いを今までされて来て、
「あぐらをかいていた」が、人気急落で、受験生相手に法学部の魅力のアピールに努めざるを得なくなった、という記事。
そもそも、なぜ日本では法学部が主流で、文系の花形扱いされているのか?
これは推測だが、今の日本の文系大学の多くは、明治時代の「法律学校」創設がルーツだったからではないか?
経済学部とか文学部とか社会学部とかは「後発の学部」なので、大学内では傍流だったんだろう。
もっと突き詰めれば、「なぜ明治時代には法律学校が多く出来、経済学校は少なかったのか?」
という疑問に行き着く。
これも推測だが、当時の日本のGDPの大半は農業生産GDPであり、
つまり農業経済が大半、個人農業が大半であって、企業・資本の経済行動を
要するに、経済学がさほど必要なかった、経済学が必要なほど経済が成熟してなかった、ということ。
他方、近代化のために法律制度を整え、また列強に対抗し不平等条約を改訂するために
「法治国家」をアピールする必要があったため、経済力以上に「法律力」を身につける必要に迫られたため、
農業国であっても法律学校を整備する必要があった、そういうことでは?
しかし、現代みたいに、GDPの殆どが企業の生産活動で成り立っている社会では、
文系のメーンストリームは「法学部」じゃなく「経済学部」であるべきなんじゃないか?
http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-column/news/20100623/ecc1006231611000-n2.htm
民主党が参院選を前に公表したマニフェスト(政権公約)で、「連帯保証人制度や個人保証の廃止を含めた見直し」をぶち上げた。連帯保証人には融資を受けられるなどの経済的メリットがない半面、債務負担のリスクだけを負わせる不当な契約だとして、法律学者の間では、制度そのものを疑問視する意見がある。半面、金融の現場では古くから定着している制度でもある。
民主党バカですね。連帯保証人制度を廃止したら金や家を借りれない人が続出するだろうに。そもそも連帯保証人が必要がどうかは貸す側が決めることであって、借りる側はそれに従うしかない。本来は、「君の場合、連帯保証人がいないなら5万までしか貸せない。でも、正社員の君のお兄さんを連帯保証人につければ300万まで貸せる。もしくは、君のアルバイト先の社長は金持ちだから、彼を連帯保証人につければ5000万貸すよ。」みたいになるはず。
重要なのは連帯保証人を廃止することじゃなくて、連帯保証人とは何なのかをキチッと教育することでしょう。民主党の人だっていい大学でてる人多いんだから、問題は何にも知らないで連帯保証人の欄に名前書いちゃう人が多いことであって連帯保証人の制度自体は問題ではないってことぐらいわかってるだろうに。
なんか根本的に誤解というか思い込みがあるような気がする。
よくわかんないんだけれど、1つ気になった点。
文章読んだ限りだと、この法改正ぎろんについて
「20年前に読んだ本」をもとに「10年前に書いた話」なんてものが
論拠として使われているようなんですけれど、こんなことがあっていいんですか?
この人だって、そんな昔の発言いまさら穿り返されても困ると思うんだ。
ましてそれについて勝手に神輿にのせられて、下手したら責任取らされる。
それってどうなのさ?今の学者達は何をやってるの?
法解釈学(法律学と一般的に言われてるものはこれだと思う)ってのは、多くの場合新しいものがポンポン出てくる世界じゃない。
それこそ参政権とか国民国家とか、もっと広く言えば人権の概念なんて、
数十年、数百年かけてちょっとずつ変わってきたようなもので、10年なんて文字通り一昔。
だいたい、「10年経ってるから当然古臭い」なんていうのは論として荒すぎる。
今と10年前で何がどう違って、その違いによって対象となっている主張のどの部分が何故陳腐化するのかが説明できなきゃ無意味。
あと、今の学者は何をやってるの?というなら今の学者の業績を調べることをお勧めする。
というか件の長尾教授だって「今の学者」だと思うんだが、、、。
ちなみに「外国人参政権 論文」でググっただけで、トップにいきなり論点をまとめたドキュメントが出てきたぞ。
ちゃんと読んでないし、政府の息がかかってるようなのでそれを鵜呑みにしていいかは分からないが、
少なくとも憲法学者はこれまで議論を続けてきたってのだけは分かる。
価値ある学説っていろんな学者が入れ替わり立ち代り議論するから新鮮だと思う。
でも、10年間他の人が寄り付かなかった学説って要するに
その価値がなかったわけでしょ?カビが生えてるわけでしょ?
その議論をする必要がなかっただけ、というかもしれないけれど、
これもなんか思い込みで書いてるように見える。
10年前に単発の論文がぱっと出て、それきり何の検討もなしに放置されてたみたいな認識でいるのかね。
上でも言ったが議論は継続されてる訳で。
今その必要が出てきたわけだから、あらためてみんなで議論しなきゃいけないんじゃないの?
これは同意。いままで多くの人が関心なんて持ってなかった話題なので、みんなが関心を持ったなら議論すべき。
ただし、これまでの議論の流れは踏まえておいた方が無駄な議論は減らせると思う。
他にも言いたいことはたくさんあるが長くなってきたし疲れたのでこれで。
自称「護憲活動家」の9条教信者がナイフで学生の腹部を刺し逃走 大阪
箕面署によると、男は、箕面市桜ケ丘1丁目、会社役員中井多賀宏(たかひろ)容疑者(36)。現場から約40メートル東の市道交差点で、2人の車が出合い頭に衝突しそうになったことから、中井容疑者が大学生の車を追いかけて口論になり、所持していたナイフで大学生の腹を数カ所刺した疑いが持たれている。中井容疑者の自宅から凶器とみられる折りたたみ式のナイフが見つかったという。
http://www.asahi.com/national/update/0713/OSK200907130147.html
中井 多賀宏(なかい たかひろ、1973年6月17日 - )は、詩人、憲法活動家、ミュージシャン、。大阪府大阪市生まれ、大阪府箕面市出身。関西学院大学法学部法律学科卒業、関西学院大学大学院法学研究科中退。
略歴
大阪府立箕面高等学校27期生。大学入学を機に、本格的に詩作を始める。関西学院大学在学時から、主に差別問題を中心に各種人権問題に取り組み、大学院中退後、憲法の価値を広めるべく憲法講師としての活動を始める。2004年に「みのお9条の会」の立ち上げに参加、呼びかけ人となる。2005年に在野の法律家で構成するベーツ憲法研究所を立ち上げる。
伊藤真や香山リカなどが「成功させる会」の呼びかけ人代表となっているドキュメンタリー映画「シリーズ憲法と共に歩む」の賛同呼びかけ人。 日本国憲法の制定にまつわる映画「日本の青空」の制作委員(ベーツ憲法研究所として)。 「共謀罪新設反対国際共同署名」の呼びかけ人。
2007年3月、「箕面市平和のまち条例」請求代表者として箕面市議会にて陳述。
2009年7月13日午後7時5分頃、大阪府箕面市箕面8丁目の路上で口論となった大学生をナイフで刺し現場から逃走、その後自宅で発見され殺人未遂容疑で緊急逮捕される。[1] [2]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%95%E5%A4%9A%E8%B3%80%E5%AE%8F
---------------
自称「護憲活動家」の9条教信者がナイフで学生の腹部を刺し逃走 大阪
箕面署によると、男は、箕面市桜ケ丘1丁目、会社役員中井多賀宏(たかひろ)容疑者(36)。現場から約40メートル東の市道交差点で、2人の車が出合い頭に衝突しそうになったことから、中井容疑者が大学生の車を追いかけて口論になり、所持していたナイフで大学生の腹を数カ所刺した疑いが持たれている。中井容疑者の自宅から凶器とみられる折りたたみ式のナイフが見つかったという。
http://www.asahi.com/national/update/0713/OSK200907130147.html
中井 多賀宏(なかい たかひろ、1973年6月17日 - )は、詩人、憲法活動家、ミュージシャン、。大阪府大阪市生まれ、大阪府箕面市出身。関西学院大学法学部法律学科卒業、関西学院大学大学院法学研究科中退。
略歴
大阪府立箕面高等学校27期生。大学入学を機に、本格的に詩作を始める。関西学院大学在学時から、主に差別問題を中心に各種人権問題に取り組み、大学院中退後、憲法の価値を広めるべく憲法講師としての活動を始める。2004年に「みのお9条の会」の立ち上げに参加、呼びかけ人となる。2005年に在野の法律家で構成するベーツ憲法研究所を立ち上げる。
伊藤真や香山リカなどが「成功させる会」の呼びかけ人代表となっているドキュメンタリー映画「シリーズ憲法と共に歩む」の賛同呼びかけ人。 日本国憲法の制定にまつわる映画「日本の青空」の制作委員(ベーツ憲法研究所として)。 「共謀罪新設反対国際共同署名」の呼びかけ人。
2007年3月、「箕面市平和のまち条例」請求代表者として箕面市議会にて陳述。
2009年7月13日午後7時5分頃、大阪府箕面市箕面8丁目の路上で口論となった大学生をナイフで刺し現場から逃走、その後自宅で発見され殺人未遂容疑で緊急逮捕される。[1] [2]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%95%E5%A4%9A%E8%B3%80%E5%AE%8F
---------------
自称「護憲活動家」の9条教信者がナイフで学生の腹部を刺し逃走 大阪
箕面署によると、男は、箕面市桜ケ丘1丁目、会社役員中井多賀宏(たかひろ)容疑者(36)。現場から約40メートル東の市道交差点で、2人の車が出合い頭に衝突しそうになったことから、中井容疑者が大学生の車を追いかけて口論になり、所持していたナイフで大学生の腹を数カ所刺した疑いが持たれている。中井容疑者の自宅から凶器とみられる折りたたみ式のナイフが見つかったという。
http://www.asahi.com/national/update/0713/OSK200907130147.html
中井 多賀宏(なかい たかひろ、1973年6月17日 - )は、詩人、憲法活動家、ミュージシャン、。大阪府大阪市生まれ、大阪府箕面市出身。関西学院大学法学部法律学科卒業、関西学院大学大学院法学研究科中退。
略歴
大阪府立箕面高等学校27期生。大学入学を機に、本格的に詩作を始める。関西学院大学在学時から、主に差別問題を中心に各種人権問題に取り組み、大学院中退後、憲法の価値を広めるべく憲法講師としての活動を始める。2004年に「みのお9条の会」の立ち上げに参加、呼びかけ人となる。2005年に在野の法律家で構成するベーツ憲法研究所を立ち上げる。
伊藤真や香山リカなどが「成功させる会」の呼びかけ人代表となっているドキュメンタリー映画「シリーズ憲法と共に歩む」の賛同呼びかけ人。 日本国憲法の制定にまつわる映画「日本の青空」の制作委員(ベーツ憲法研究所として)。 「共謀罪新設反対国際共同署名」の呼びかけ人。
2007年3月、「箕面市平和のまち条例」請求代表者として箕面市議会にて陳述。
2009年7月13日午後7時5分頃、大阪府箕面市箕面8丁目の路上で口論となった大学生をナイフで刺し現場から逃走、その後自宅で発見され殺人未遂容疑で緊急逮捕される。[1] [2]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%95%E5%A4%9A%E8%B3%80%E5%AE%8F
---------------
司法制度改革を担い司法試験委員のトップを努める高橋教授の発言。
問題の捉え方がそもそも間違っている。
食べていけるかどうかを法律家が考えるというのが間違っているのである。
何のために法律家を志したのか。私の知り合いの医師が言ったことがある。
世の中の人々のお役に立つ仕事をしている限り、世の中の人々の方が自分達を飢えさせることをしない、と。
人々のお役に立つ仕事をしていれば、法律家も飢え死にすることはないであろう。
飢え死にさえしなければ、人間、まずはそれでよいのではないか。
現在、司法試験に合格し弁護士登録しても事務所に就職できず、実務経験を積めない弁護士が大勢出ている。
また、司法試験に合格せず、弁護士以上に就職が厳しい卒業生が3000人/年以上のペースで量産されている。
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/student/1239032730/l50より
53 名前: 学籍番号:774 氏名:_____ [sage] 投稿日: 2009/04/08(水) 21:31:56 ID:???
租税法の中里先生が経済学を馬鹿にする発言をしたので他学部聴講の経済学部生とバトルが発生、
経済学部生がこんな授業は受けないと言って帰ってしまったと聞いたんですが、中里先生は
どんな発言をしたんですか?
58 名前: 学籍番号:774 氏名:_____ [sage] 投稿日: 2009/04/08(水) 22:26:25 ID:???
「哲学に由来する経済学と違って法学は役に立つ。経済学の由来の哲学というの
は暇な人がひたすら議論してるだけ。経済学者は法学は学問じゃないなどと言う
が、そんなこと文Ⅱなんかに言われたくない(笑)」
「判決は公開されるから法学は誰でもできるが、経済学のもとになるデータは国
が独占してるから国にごまをすらないとできない。経済の人はかわいそう」
↓
経済学部生が質問「経済学が哲学とはどういうことですか。法学の根底にも哲学
はあるんじゃないですか?経済学をばかにしないで下さい。国にごまをすらない
とできないというのはすべての学者がそうではないのに全部の学者が国にごまを
すってるような言い方をしないでください」
↓
「経済学の由来の哲学はギリシア哲学。法学はローマに由来するから違う。事実
を述べてるだけですよ。本当のことを言ってるだけなのに何が悪いんですか。馬
鹿になんかしてません。ただ経済と法学は違うと言ってるだけです。授業妨害はやめてください」
↓
経済学部生がこんな授業もう受けないと言って退出
↓
「経済学者には法律学に対するコンプレックスがある。だからああいうことを
言う。諮問会議などでも私が発言すると必ず経済学者が彼みたいに何か文句を
つけてくる。彼も法科大学院にでも来たら法学の意義がよく分かるのに」
法学部生でも、さすがにこれは引く。
元東大法学部客員教授にして現ハーバード・ロースクール教授が書いた日本法の解説書!岡目八目、そんじょそこらのへなちょこ日本人学者が書いた本より100倍ためになります!日本の法律学の特質を経済学的観点も加味して鋭く分析した好著!サントリー学芸賞受賞作!法律学を学ぶすべての人に!本屋さんに無ければぜひ図書館で借りて読もう!!!
元東大教授で学会の大権威が憲法をわかりやすく解説!国民主権、天皇制、戦争放棄、基本的人権、内閣と司法権、地方自治などの幅広い論点をカバー!「芦部憲法」を読む前に本書で基礎知識を!憲法を考える現代人のための必読の入門書!!!
東大理学部卒の切れ者元裁判官が、裁判の仕組みをわかりやすく解説! 「裁判の意味」「裁判官の独立」「上告と控訴の違い」といった基礎知識から応用論点までを親しみやすい語り口で説明!新書なので値段も手ごろ!お勧め!!!