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はてなキーワード: 法律学とは

2020-09-10

anond:20200909232833

反社に入ってからプログラムを学んだんやろ。サツにパクられない為に法律学んだり、ヤクを売るために医学薬学を学んだりと反社インテリやで。

2020-07-20

anond:20200614134746

正直それはタイトル通り幻想を抱きすぎだろうって思った

「誰と誰が付き合ってる」みたいなゴシップで盛り上がるのは低学歴文化だと思ってたけど、高学歴でも結構割合飲み会話題の中心になってたりする。他人必要以上に首を突っ込むのは低学歴イメージだった。

そういうの関係ない高潔な人たちはそもそもコミュニティを作ろうとしないか観測されにくい

自主的コミュニティを作ったうえ、継続している=元田が嫌悪しているコミュニティ人間関係のごちゃごちゃを運営することに関心があることになる)

競馬麻雀に金を賭けて盛り上がるのは低学歴文化だと思ってたけど、高学歴でも熱中してる人が結構いた。競馬場っていかにも底辺そうな小汚いおっさんイメージじゃん。

人を馬鹿にして笑いを取るのは低学歴文化だと思ってたけど、高学歴でもちょっと浮いてる人をネタにしている人が結構いた。イジメに近いことなんて高学歴世界では無縁だと思ってた。

この二文の時点で元田は自分の興味のない分野に対して偏見を持っているにも関わらず、それを偏見と気づかず正しいことだと思っているんだろうなと想像できる

かに集団で誰かの悪口を言っているわけではないかもしれないが、それはたまたま集団じゃなかったからであって、そういうコミュニティを見つけたら嬉々としてその中で一緒になって「低俗な人たち」を見下すんだろうなあと。違ったら謝ります

高学歴政治経済について考えを持ってると思ってたけど、総理大臣名前すら怪しい人もいた。専門に関してはかなり優秀な人なんだけど。

これは確実に幻想というか、知らないことは知らなくて当然だと思う。

少なくとも京大入試に置いて政治経済が必修でない限りはそういう人がいるのは当然。

というか法学部ですら入学後に法律学ぶのに、大学生が持ってる政治論なんて「自分の考え」でもなんでもないネトウヨ新聞受け売り程度で、大した意味を持たないでしょ。

ただ、個人的なこれまでの経験上、いわゆる高学歴な人っていうのは、新しいことを覚えるときインプットが早いから、

からでも興味を持ったとき政治経済について覚えるスピードはとても早いと思う。

高学歴TPOをわきまえて他人迷惑にならない行動を心掛けてると思ってたけど、自己中心的な人も目立つ。自転車をそこに停めたら邪魔だろって場所に平気で停めたり、本屋とかで普通の音量で会話したり。

自転車撤去されたこと無い京大生ってどれくらいいるんだろう…?

結局TPOとかマナーって気づくか気づかないか、知ってるか知らないか世界からなあ。政治経済の話の繰り返しなとこもある

大学入ってすぐにテーブルマナー講習とか生協から案内されてなかったっけ?

高学歴になれば争いが減るっていうのは幻想というか

田舎ヒエラルキーを決定づけるものが「家」とか「暴力」とか「外見」だったのが

高学歴世界になると「学力」「権力」になるっていうだけであって、何も変わらないんじゃない?

元田が戦いたくない人ならそもそもそういう世界じゃなくて宗教哲学的領域に行くべきだし

自分が勝てないことが嫌なら自分が勝てそうな領域に行くべきだと思った

2020-03-06

法律のことを勉強してみたい!」と少しでも思ったあなたへ

法学をかじった者として,法律に興味を持ってくれる人が増えるのは嬉しい。

ただ,独学での法律勉強は,険しい道である

ささやかながら,勉強に関するアドバイスをしたい。

どの法律を学ぶか

日本には,現在有効ものだけでも,約1万の法令がある。

初めて法律に興味を持った人は,その中でどの法令から学ぶべきか。

答えは,「上三法(うえさんぽう)」だ。

六法」という言葉を聞いたことはあると思う。

六法全書の「六法」だ。

六法」とは,憲法民法刑法商法会社法)・刑事訴訟法民事訴訟法を指す。

これらが基礎的な法律である

また,この六法のうち,憲法民法刑法は,まとめて上三法(うえさんぽう)と呼ばれる。

学者は,この上三法のどれかから勉強するのがとっつきやすいと思う。

では,憲法民法刑法のうち,どれから勉強すればよいか

それは,各自の興味や相性によって選べばよい。

参考までに,それぞれの印象を書いていこう。

憲法

押しも押されもせぬ「最高法規」。

学者にとってうれしいところは,時事問題との関連性だ。

性的ポスター表現の自由ヘイトスピーチ憲法9条,同性婚夫婦別姓緊急事態条項

などなど,憲法に関する時事問題はあふれている。

こうした時事ネタがとっかかりになるので興味を持ちやすいだろう。

デメリットは,条文の文言とはあまり関係ないところで解釈論が展開されるところ。

憲法だけ勉強して「法解釈ってこういうものか」と思うのは,ちょっと誤解を生むかもしれない。

民法

学者にとってうれしいところは,日常生活の関連性。

物を買うのも,部屋や金を借りるのも,民法上の契約だ。

交通事故やご近所トラブル民法問題になりえるし,親権相続民法の話である

暮らしの中で法律を生かすなら民法が一番良い。

また,民法債権法)は,制定以来120年振りの大改正がされており,改正後の民法は,2020年4月1日から効力を生じる。

そういう意味でも注目度が高いといえるだろう。

学者に厳しいところは,条文数や学習内容の多さだろうか。

親族相続を抜くとしても,なかなかに多い。

興味あるとこから勉強していっても良いかもしれない。

刑法

学者にとって良いところは,捜査公判ニュースへの理解が深まるところ。

どんなとき犯罪が成立して,どんなときに成立しないかを学ぶことが出来る。

学者に厳しいところとして,刑法総論は理論的側面が強く,最初は分りづらいかもしれない。

どんな本を読むか

大きく分けて,予備校系の本,学者系の本,その他の本がある。

これもどれしも一長一短がある。

予備校系の本

なんといっても分りやすい。

学者の独学は,何より挫折する可能性が高い。

その点,予備校には,初学者がどういうところでつまずきやすいか?どう教えればわかりやすいか?というノウハウが蓄積されており,それが本にも反映されている

例えば,伊藤真の入門シリーズオススメ

より深く学びたければ,その後,試験対策講座シリーズシケタイ)に進むのも良い。

予備校本の難点として

最先端議論カバーされていない

学説の良いところどりをして全体の整合性がとれていない場合がある

などがあるが,初学者は気にしなくてよいと思う

学者系の本

理論的に緻密(人にもよるが)。

参考文献からどんどんほかの本を読み進めていくこともできる。

難点は,難解で読みづらいところ。

最近は読みやすものも増えたが,それでもやはり予備校本などにはかなわない。

オススメは,以下のとおり。

芦部信喜憲法

高橋和之立憲主義日本憲法

内田貴民法Ⅰ」「民法Ⅱ」「民法Ⅲ」

佐久間毅「民法の基礎1」「民法の基礎2」

裁判所職員総合研修所「刑法総論講義案」

西田典之刑法各論」

山下純司ほか「法解釈入門」

・弥永真生「法律学習マニュアル

その他

読売新聞社会部「ドキュメント弁護士

久保利英明磯山友幸破天荒弁護士クボリ伝」

大岡昇平事件

横山秀夫半落ち

中嶋博行検察捜査

黒木亮「法服の王国 小説裁判官

・フェルディナント・フォン・シーラッハ「コリー事件

ジョン・グリシャム法律事務所」「ペリカン文書」ほか

法学が取り扱うは「○○法の解釈」だけではない。

興味があれば,個別法の解釈論とは違う側面から勉強するのも良い。

マイケル・サンデルハーバード白熱教室講義録+東大特別授業」

小林秀之 編「交渉作法 法交渉学入門」

福井秀夫「ケースからはじめよう 法と経済学 法の隠れた機能を知る」

森村進自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門」

漫画で学ぶ

本を読むのが辛いという人は,漫画雰囲気をつかむのも良い。

オススメは以下のとおり。

ナニワ金融道

そこをなんとか

弁護士のくず

家栽の人

今度イブニングで連載が始まる「リーガルエッグ」も期待している。

傍聴に行く

百聞は一見に如かず。

実際に裁判の傍聴に行ってみるのも良い。

傍聴は誰でもできるし,予約なども必要ない。

ニュースで大きく報道されるような事件は,傍聴希望者がたくさん来て抽選になったりするが,それ以外の普通事件は,ふらっと行って自由にみられる。

ただし,事件の選び方などちょっとしたコツはあるので,あらかじめ下調べをしていったほうが有意義だろう。

傍聴マニアの人が本を出していたりするので,それで予習するのも良い。

おわりに

色々と書いてきたが,学校試験資格試験を受けるのでなければ,細かい条文や判例を覚えることにあまり意味はないと思う。

法律法学の考え方全体の根底にある基礎的な考え方や発想(大げさに言うと「リーガルマインド」)を身に着けることができれば素晴らしいと思う。

私自身も法曹にはなったものの,まだまだ勉強することだらけだ。

一緒に楽しく頑張りましょう。

anond:20200226015326


追記

特別法の方が興味持てるなら、たしか特別から勉強しても良いか

(ただ、理想はやっぱり一般法から

・憲民刑は広義の法令という意味では同一カテゴリでは?

リーガルクエストシリーズも好き

・誤字脱字を修正しました

2020-02-27

anond:20200226015326

これはわかりやすい例えがあって、

クスリだと知らずに」クスリを運んでいた場合は罪にならないけど、

クスリを運ぶ(所持する)のが違法だと知らずに」運んでいた場合は罪になるんだよね。

だったら少なくとも捕まらいくらいには法律学しか無いじゃん?

2019-09-22

anond:20190922010507

女が法律学んではてサガールみたくなるなら、高卒地元役人になるか、看護師になったほうが100倍マシ

2019-04-24

anond:20190424205015

これって同じ増田だよな?

https://anond.hatelabo.jp/20190415223848


ネット中毒デブで、幼少より発達障害の気あり

東大法律学部(法律学部ってあるの?)を2000年代ごろ卒業

28歳で黒羽刑務所に入り廃人化、現在に至るってところか

ありとあらゆる悪事をやったってのはまあ口だけだろうな

どうせコロッケ食べながらネットやってたぐらいだろ

ネット詐欺か何かで捕まったのかな

2019-04-13

anond:20190413143316

法律学からしたらそうなんだろうけど、ジェンダー社会学者とか別分野の研究者から批判の声がどんどん出てるよ

2019-04-07

anond:20190407191652

法律学部なんていう学部はないし、文一じゃなくても法学部入れるし、文一の偏差値は文二以下だし、最近東大生法曹官僚よりベンチャー外資で、稼げない法曹官僚ロンダ組の天下になってるし、情報が30年古い

2019-03-14

判決文を読むのって難しいことだ

‪よく裁判所判断批判されてるのを見るから思った。

ニュースブログを読んで説明されているところを読むと、確かに感覚的になんだか変だなぁと思うことも、結果は良いんじゃないと思うこともある。

でもその感覚を持つの判決文の全文を法律学作法に則って読んでる人はどれくらいいるのだろう。

その上でどの部分におかしい部分を見分けているのだろうか。

判決文ってなまじ日本語から読めそうな気がするけど、書かれてるのは法律ロジックからなんの知識もなく読むのは難しいと思う。

それをしないと正確に内容を捉えたとは言えない。

でもそれが難しい…

2019-02-13

anond:20190213113340

これに関しては法律学者もうすうす変だとは思っていて、

自殺日本法律では合法ということになってる」という学派がいたり、

自殺違法行為だけど死んだら罰せない(可罰的でない)のでわざわざ刑罰規定してない」という学派がいたり

いろんな解釈がある

2019-01-02

客観性って必須か?

愚痴

なんか客観的じゃないか法律学学問じゃないとか言われて納得できねーーーーーー

そりゃ厳密に現実世界とか実態記述を行うことを目的とするなら(目的の一部とするなら)、客体と主体は分離されざるを得ないだろうし、数学みてーな解釈余地がない言語でそれを記述するのが一番だー!って話になるだろうな。そういう目的においては、あるいはそういう前提においては、たしか客観性大事だろう。というよりも、そういう客観性が保たれる手法を取らなきゃ、そういう出来るだけ実態に近い実態を把握しようなんて試み自体が成立しない。だからこそ、そういう分野においては客観的エビデンス大事だ。めちゃ分かる。理解できる。

でも、別にそれだけが学問目的じゃあないし、そうではない目標を掲げた分野が存在したっていいだろ?例えば俺の思う限りでは法律国家の道具だし、その道具でどうやって社会を良くするか考えるのが法律学だろう。仮に法律学目的がそうであるとしたら、必ずしも極めて厳密で客観的手法要求されるとは限らないだろ?だってそもそも目的がちげーんだから客観性大事なのも結局なんらかの目的客観性要請してるだけなんだから学問客観的でなければならないなんて定義してしまった時点で数学的な言語記述できない分野は学問足り得なくなってしまう。でも学問がそうであるべきと決め打つ必然性なんてどこにもねー。ただある目的においてそういう手法が極めて有効だってだけ。百歩譲って法律が仮に学問たり得ないとしても、まさかそれで法律がいらないなんて言うわけじゃないよな???

結局、客観的じゃなければならない、っていう宗教を信じるなら、そりゃ客観的じゃないものは全部だめなものに映るんだろう。そしてそういう宗教信者になるのは、ある目的においてはすごく大事なことだ。とてもとても大事すぎてそれが本質だと言ってもいいぐらい、大事なことだ。でも、そういう手法がとれない分野とか、そういう手法親和的じゃない目的もあって、そういうもの必要ないとか学問足り得ないとか言われるとムカつく。その宗教教義があらゆるとき妥当するって本気で思ってのんかよばーーーーか

でもそういう思い込みこそが彼の原動力の一つかもしれなくて、そういうもの恩恵絶対自分あやかってるから、でもけどでもうーん

正月から何を書いてるのか

2018-11-22

脳内文字を書けば暗記が楽になるんじゃないか

世の中には色んな記憶術があるが、「頭の中で文字を書く」という方法は聞いたことがない。

それを実際にやってみると、目の前にぼんやり文字が浮かび上がるような感じで思い出せるようになる。

やり方は簡単で、覚えたいもの綴りをそのまま頭の中で書くだけ。

手は使いたければ使ってもいいのだろうが、私は使わない。文字通り頭の中だけで文字を書くのだ。

例えば、「jurisprudence 法律学」を覚えたければ

目をつぶって「jurisprudence 法律学」と頭の中で何度か書く。

私の場合、一度にイメージできる文字数は3文字までなので

「ju ris pru den ce 法律学」というふうに分割して書いている。

最近は面倒くさくなって文字を順番にイメージするだけにしているが、それでも効果はあるようだ。

もちろん、1日やっただけではすぐに忘れてしまうので復習は必須だが

まるで頭に刻み込むように覚えられるので、知識がどんどん増える感じがしてやる気が出る。

私はこれを「脳内筆写法」と名付けた。

我ながらいい方法を思いついたと思う。

2018-10-11

文系査読ってどこまで正しいの

大学教育なんてうけてない完全な門外漢から教えて欲しい。

まず論文査読ってのは、文理問わず、ある程度の有識者によって

「明らかな誤りを含んでいない(であろう)こと」が担保される制度って理解でいいのか?

そうすると、普遍的ルール存在する自然科学領域ならわかる。

ただ、法律学なんかの分野で、A説とB説のどちらの法解釈妥当かみたいな考証をした場合

何が正しくて何が間違っているか判断する基準はどうなってるんだ?

論理の飛躍なんかは明確に批判もできようが、

いずれの説もそれなりに筋が通り妥当といえるから両説が対立してるとかあるんだろ。

査読ってのをした担当者(?)の支持派閥によって判断が分かれることになるんじゃないのか。

しろ突飛なものも含めて色々な説を世に出すことの方が有意義に思える。

話題増田査読誌も沢山あるって話だったから気になった。

2018-08-27

https://anond.hatelabo.jp/20180826220500

理系学問特に数学統計学念頭に)は数式をポンと書けば一応格好がつくからさなコスト解説できる。

他方、文系学問特に法律学歴史学人類学)は検証のために色んな事由を並べないといけないか解説にかかるコストが大きくなりやすい。

俺が知ってる中では民事訴訟法についての栗田隆先生サイトが一番かな。市販されてるどの教科書より詳しくて圧巻。(民訴とか知ったこっちゃねーよって感じだろうけど・・・。)

http://civilpro.law.kansai-u.ac.jp/kurita/procedure/lecture/index.html

あ、あと哲学勉強するときによくこのサイトは参照してた。ブログ結構面白い

https://philosophy.hix05.com/

2018-07-10

思ってることを述べることについて

死刑について、沢山の投稿がなされている。

自分法律を専門にして生きていているけど、刑事事件とはあまり関係がないから、そこまで詳しいわけでもない。

自分死刑についての投稿とか、それに限らずとも法律関係する投稿を見て、新たな観点だな、と思うことは殆どないと言っていい。既存議論を上手にまとめて紹介しているものとか、自分立場を適切に述べているものはもちろんあるけど、とりわけ断言調で書かれたもので、なるほどなあと唸るようなものはない。大抵の場合、すでに、それに対しての反論議論されているものばかりだな、と思う。

死刑刑罰に関する議論でよく出るものだと、例えば刑罰は何のためにあるのか、というようなものがある。

これについて既存議論簡単にまとめれば、割と最近までは、応報刑論と目的刑論との二つの考え方が対立していたと説明されていて、前者は犯した罪に対して罰を与えるのが刑罰本質であり、後者はもう2度と犯罪を犯さないように矯正したり、社会に対して犯罪を犯すとこういう辛い思いをするからやめたほうがいいよと伝達したり、あるいは犯罪を犯すような人を社会から隔離することで新たな犯罪が発生することを予防することを目的として与えるのが刑罰だというもの

前者はカントヘーゲルに遡るようなクラシックものだけど、罪に対して罰を与えるっていうけど、それは何のためになされるのか、本質というのは何なのかよくわからないよねという批判がある。

後者については、再犯可能性が非常に高い人だと、どんなに軽い犯罪でも、犯罪者なら終身刑にすることになるよね、とか、さらにその考えを進めて、犯罪を犯しそうな(けどまだ犯罪を犯していない)人を刑務所に入れようとかそういう話ななってしまうけど、それでは流石に良くないよね、といった批判がなされている。

それを踏まえて近年では、社会的な規範回復するためになされるのが刑罰である、というような学説も有力で、結局、応報刑論と目的刑論ってそんなに違わないのかも?みたいな話になっているとのことでした。

(この辺の学説的なことは刑事ジャーナルの54号に最近議論がまとまっている。)

で、そういう刑罰本質についての議論自体はどうでも良くて、自分が思っているのは、自分が考えついたことは、誰かすでに考えているだろう、更には批判も尽くされてそれに対する再批判がなされて、という風に議論は進んでいる、という風には思わないのだろうか、ということ。

自分は一応、専門と言えるものがあって、様々な学者が一生を懸けて知恵を絞って、あるいは、実際の社会の中で様々な人たちが工夫を凝らしていろんなことを考えてきてることを感じてきたから、そんなに簡単に新しいものは生まれないということを強く思っている。あるいは逆に、自分の思いつきについては、既に前向きな批判がなされていることが大半で、自分の考えをブラッシュアップするのはその意味では容易だと感じている。だからこそ、自分の専門外のことでも、自分が何か感じたことや思いついたことがあったら、調べてみることは大事だし、軽率発言するのは意味がないことだなとも思う。

から、いろんな社会的なトピックに対して、いろんな人から条件反射的に自分の思っていることを述べて、しかもそれが間違っていたり批判があるということに想いを致さない様子を見ると、心が痛む。人類が協力して分担して、何世代にもわたって知恵を絞ってきて、それを上手にまとめて教えてくれる人すらいるのに、酒の肴にしてるならまだしも、大真面目に自分議論絶対正しいかのように自信満々に理論を展開している人を見るのは辛い。

こういうことを言うと、学問市民感覚はずれがある、学者象牙の塔しょうもない、みたいな意見も出るかもしれないけれど、少なくとも法律学の領域で、市民感覚のようなもの議論全然反映されてない、ということはあり得ないと思う。もちろん、立法対応学会対応が遅い、ということはあるだろうけれど、市民感覚なんてどうでもいいか無視しよう、なんということはなくて、市民感覚がどのように醸成されてきて、今後どうなっていくかということも、議論されているのが普通だと思う。

こんなような感覚は、法律を専門にしてるからまれもので、他の分野を専門にする人は感じないのだろうか?

とにかく何でもいいから自信満々に意見を言うのが良いのだろうか?

2018-02-20

「(民事訴訟を起こされたという体験」第四話

これまでの話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」序話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第一話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第二話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」第三話

この増田を読んでる皆さんへ
第一話についているコメントに対して

登場人物紹介
「(民事)訴訟を起こされたという体験」登場人物紹介

さて、前回の話の続きとなるが「プライバシー権」とはどういう物かについてもう少し掘り下げた話をしておこう。
「住所」や「本名」を本人の承諾無く投稿される事は、民事法では「プライバシー権侵害」に該当するのだが…。
Aは、そこまで説明してから大きく一呼吸入れ、説明を続けた。
プライバシー(privacy)」という言葉の由来には諸説有るが、その一つとして「プライドpride)」から来ているとする説があり、
法律学上は「プライバシー」は「プライドから来た物であるとする説が有力視され、「プライバシー権侵害」というのは平たく言えば
「住所や本名許可無く公開された事で俺のプライドが傷付いたので訴えてやる」という意味合い訴訟なんですよ。
...という事だそうだ。

それを聞いて私もOもNも笑ってしまった。
自分プライドが傷付いたからという理由訴訟を起こす馬鹿が世の中にどれだけ居るだろうか?
Kが想像以上の馬鹿だったという事が説明を聞いて良く解った。
しかも、二人相手訴訟を起こすという事は合計で200万近い金をKは支払っている可能性が考えられるのだそうだ。

Aは、説明を続けた。
一般的には訴訟を起こされたら驚いたり相手を恐れたりする事が多いが「名誉棄損」や「プライバシー権侵害」での訴訟は恐れる必要は無い。
訴訟を起こしたい程相手ダメージが入っている証拠であり、何よりこういう仕返しの様な形でしてくる訴訟
弁護士をしている人達の間では「SLAPPスラップ訴訟」というのだそうだ。

SLAPP嫌がらせ、つまり嫌がらせ訴訟なのだと。

突き詰めた言い方をすると、Kが起こした訴訟は「住所や本名許可なく書かれた事でプライドが傷付いたので書いた奴に嫌がらせしてやる」になる。
そして、Aは言った。
大丈夫ですよ。私がついた以上、こういう法律嫌がらせに使う様な人には絶対に負けませんから。」
法律を悪い事に使おうとする人は絶対に許さない所が、昔からAの良い所だよね。」
とNは笑っていた。

次回に続く。

2018-02-01

anond:20180201214443

法学部法律学をやってるなら、法律系の予備校を頼るのも良いのでは?

予備校という環境高校ときにあってたというのなら特に

2017-11-01

https://anond.hatelabo.jp/20171101111939

まーでもどうなんだろうね。

俺は法律畑の人間で、割と法律学教授ってテレビ需要高いと思うんだけど、実際出てくるのは微妙先生が多いわ。

2017-10-10

https://anond.hatelabo.jp/20171010002131

その人の人生経験とかで何が刺さるか変わってくるから社会科学は。

から一概には言えんが、やっぱマルクス入り口として良い。最近入門書が山ほどあるし(池上彰、ハーヴェイ、不破)、何より単純に面白い

そっからケインズとか読んでも良いし、現代思想に進んでも良いし、キリスト教に行っても良い(マルクス主義キリスト教異端なので)。

ヘーゲルなんかに行っても良いけど趣味

哲学ならサルトルニーチェ辺りがやっぱ分かりやすい。マルクスと合わせて読むとジブリ映画意味が良く分かる。

でもやっぱ行き詰まるので、結局ここでもキリスト教勉強せざるを得なくなるが。

法律学は暇な理系大学生がなぜか勉強してたりするんだけどお勧めしない。

本を読むだと理解できないし、法律根底にある原理内面化して人格が歪む。簡単に言えば橋下徹みたいになる。

あとはもし増田北大生なら内村鑑三でも読んでおくといい。

2017-09-02

政治的発言」とは何か?

ツイッターでよく「政治的発言をする人はブロックする」という宣言をする人がいて、

FF外で関わったことのない人相手にも先制ブロックをしているという事がある。

それ自体はまあ、あえてフォローしてきて文句を大量に飛ばしてくる人達と違って穏やかなやり方だからまあ良いことなのかもしれないが

じゃあ「政治的発言」ってなんなんだ?と疑問に思った。

個人的には(政治の界隈?のことをよくわかってない人間勝手感想からすると)、

政治的発言というのは所謂ネトウヨとかパヨクとか呼ばれたりよんだりしてる人達がやってる

政治に関して深い議論?を沢山やってるとかそういうのかと思ってた。

しかし、政治的発言を嫌っていると公言する人の挙動を見ていると、その認識では甘いということがわかった。


勿論、自分政治に疎いからいろいろわかっていないのだろうし、それ自体不快に思われている可能性も十分にあるが、

実際問題「どこからが『政治的発言』として、一般的には忌避すべき」と扱われるんだろう

と思った。

ネット上に限らず、「政治宗教野球」は居酒屋でだべるときあんまり話題にしたら駄目だと言われてるのはよくある話だし

トラブルを避けるためにも敢えてわざわざ話題にしようとは思えない。そのためにも、なにか基準というものがほしい。


例えば、自分日常生活での話題の一貫として、以下のような発言をすることがある

・鉄オタなので、鉄道に関連して、この延伸計画実現しないかな~とぼやく

・上記のノリで、この道路狭いの困るとかなんとか言う

大学で履修している法律学政治学学問的なワードをだして、これよくわかんなかった~だとかほざく

政治家不倫したニュース連携ツイートして、「不倫はいかん!」と発言する。

選挙にいったことを報告する


例を上げるとこんな感じだ。

政治というのは日常生活にも深く関わるものであり、どう分別をつけるのかは政治とか政策とかよくわかってない人間にはわかりづらい。

道路鉄道計画は、政治的なアレが絡むことがよくあるし、最近では北陸新幹線計画とかそんな調子で、多くの鉄オタが話題にしている。

鉄オタ関係なくても、近所の路線の素朴な感想として北陸の人が行ったりしている。

自分の専門は政治学ではないが、専門が政治学大学生院生研究者などは、高校生数学英語話題にするような感じで

そういうことを話題にするし、専門外の人も教養で受けた科目の内容を発言することがある。

選挙に行くことも、単に日常話題として言う。特に自分は昨年の参議院選挙が初めての選挙だったし

まあ18歳になって色々出来るようになったぜ!とイキる一貫として発言したりもした。(そういう態度自体嫌われやすいのは自覚している)


こういうのは、はたして「忌避されるべき『政治的発言なのだろうか?」

当てはまるのだとしたらどこまで政治要素を弱めるべきなのか、

当てはまらないのだとしたらどこまで政治要素が強まるとアウトなのか。

このあたりみなさんの意見を聞きたい。

2017-05-31

理系から○○には疎くて」って言う人がいる

○○には哲学とか文学とか宗教が入ることが多いんだけど。

最初何言ってんのかよく分かんなかったんだけど、よくよく話を聞いてみると実験観測によって検証できない学問に対してめちゃくちゃ懐疑的勉強しない)ということらしい。

いやけど世の中って実験検証解決できない問題の方が多いわけで、それでもその問題を何とかしないと社会人生がうまく回らないか社会科学とか宗教というものがあるわけで。

この辺のところを頭の中でどう処理してんのかが分からない。たとえば法律学とかが無いと社会回らないっしょ。

2017-04-26

オタク表現規制

 オタク自由放任主義右翼親和性が高く、いろいろと口うるさい左翼とは親和性が悪い。

 左翼は、その攻撃性でオタクを敵に回した自らの愚かさを悔いるべきと言う言説を最近良く見かける。

 その言説について思うところを描いていく。

 左翼による攻撃があった事は事実である

 ヘイトスピーチ所謂言葉狩り」については、間違いなく左翼と呼ばれる人たちが中心になっている。これらについては、人権の基本である他人人権侵害しない」という原則問題でもあるが、チャタレイ裁判に関する憲法学界隈から反論(1)や、大日本帝国時代児童文学新聞規制言論統制のものに変化していった前例が示すように、原則否定するべき物ではない。

 また、宇宙の戦士に対して、ファシズム的と言う評価(2)や、さらば宇宙戦艦ヤマトラストシーンに対しては、それぞれ「軍国主義的」について言及があったことは確からしい(3)。

 漫画関係表現規制で真っ先にやり玉に挙げられる「悪書追放運動」では「軍国主義への回帰」と言う表現が使われてきた(4)。

 これらの理由からオタク左翼的言説を嫌うことには一定理由があることがわかる。

 その上で、右翼放任主義という主張は疑わしい。

 チャタレイ婦人事件からずっと、右翼はむしろ表現規制側に回っていた。猥褻物公序良俗使用した最高裁判決に対しては、保守派批判する側の法律学者の方からこそ強力な批判が行われていたことを思えば、左翼表現の自由不寛容と言うのは、この手の表現の自由に関連する議論の実状からかけ離れているように思える。

 悪書追放運動以来漫画規制では政府与党応援してきた。悪書追放運動主体の一つである主婦層の応援をしていたのは、逆コースまっさかりだった当時の政権与党である

 所謂「左」が表に出ていたのは事実だが、思いっきり「右」がそれに乗っかっていることもまた事実なのだ

 84年の衆議院予算委員会で、マンガ規制するための法律の導入を求めたのは自民党の政調副会長だった三塚博氏だし、中曽根総理もそれに大いに賛同していた。

 漫画関係でも、保守派麻生議員とかは、漫画規制積極的な人だし、東京都でのマンガ規制が著しく深刻化したのは石原慎太郎都知事だった期間だ(5)。

 漫画に対して公序良俗に関するとして出版禁止のための法整備を実際に行ったのは自民党だ(6)。

 つーか、なぜかよく言われる「左翼の側が、オタク趣味ポルノ呼ばわりして規制している」と言う言説とは裏腹に、実際にオタク趣味ポルノ扱いして規制しようとしているのは保守政権側のほうが明らかに多い。ってか、実際何度か規制に踏み切っている。

 ついでに、戦前でも児童文学表現に著しい規制が付けられていた。

 表現規制問題を見ていると右も左もオタクとは親和性が悪そう。

 それどころか、この10年の間は、マンガ表現規制保守の側から行われている。

 だと言うのに、どう言うわけか保守層放任主義と誤解している意見が不自然なほど目立つ。

 幾度か、マンガ規制法制化がされるときに反対に回ってきた共産党立場がない。いや、共産党もちょくちょくマンガ規制するよう求めてはいたか濡れ衣ではないのだが(7)、法制化を阻止するために動いた(8)という一点においては、力が及んでいたかはさておき、むしろ表現の自由については無理解というわけではない。

 にもかかわらず、左翼教条的で何でも規制する頭の固い連中で、保守派は様々な価値観を認めてくれる懐の深い存在という、表現規制法制化の歴史を紐解くと真逆しか思えない、訳の分からない言説が結構広まっている。

 ……本当に、どう言うことなの?

 理由を考えてみると、実際の活動兎に角左翼系の攻撃の方がオタクの方に印象に残りやすかったのが問題なのではないだろうか。悪書追放運動発言や、ウルトラセブン12話、ジャングル黒べぇの封印や、さらば宇宙戦艦ヤマト宇宙の戦士への批判小説批評批判自体はまっとうな活動なのだけど)等、人気作品への影響が大きいこと為、実際の活動量以上に目に付く機会が多かった。

 特にウルトラセブンの「第12話は欠番とする」と言う趣旨文言は、兎に角目立つ。簡単に閲覧可能な人気シリーズに、「抗議による封印」の痕跡がポツンと残されているのは、イヤでも目立つ。

 また、政府肝いり団体でも、悪書追放運動の折りは基本的に「左翼」に同調する言動をとっていた。

 恐らく、「左翼」の認識が悪くなったのは、ここら編が原因だろう。

 で、そこから反対の陣営自分たちに寛容と勘違いした。

 その上で、90年代後半から2000年代初頭の「サヨク人権を御旗に自由侵害しようとしている連中」とか言う、自由主義史観発のいい加減な認識が、雑な認識化学反応を起こして、いい加減な認識を加速させたと言うのが実状ではないだろうか。

 00年代前半から10年、警察保守政権の側からによる表現規制が著しく深刻化していた時期に、そちら側からの影響が殆ど省みられていない現状を鑑みるに、自由主義史観発と言うか、小林よしのり発の「人権を美旗に世界の均質を試みている」と言う趣旨認識の影響は少なくない気がする。

 余談だが、戦前表現規制に対する反省と言うことで使われた「言葉表現問題ではなく、実際に差別をなくすことこそが重要だ」と言う考えが、この保守派への契合に対する触媒になっている節があるのは中々興味深い。

 左翼表現規制……所謂言葉狩りにも一片の理がある。

 実質的に、差別助長していたり、差別に根ざしている表現を使い続けることによる、現状の肯定差別の強化自体問題にされてしかるべきだ。

 キチガイと言う言葉が使われなくなったために、統合失調症の人の気持ちが幾分か楽になったと言う証言もある。言葉を狩っただけで問題解決されるわけではないが、差別に使われるメインウェポンを使用禁止にすること事態を無価値と断定することも、非常に問題がある考えのように思える。

 一方で、一片の理が合っても問題があるのは事実。だからこそ、チャタレイ裁判以降、多くの憲法学者表現規制のもの問題にしてきたし、前例がある以上、この手の批判積極的に行われてよい。

 兎に角、「表現規制する要理も、現状の改善の方が重要」と言う言説が「表現問題ではないのだから、どんな差別的表現を使い続けたってかまわない」と言う理屈正当化に使われ、惹いては、差別語を平然と使い続ける側の心強い理論武装になってしまっているのではないか

 いい加減話を終わらせるために、まとめに入る。

 「どんな表現にも寛容な保守と、教条的表現規制を押し進めようとする左翼」と言う、表現規制歴史に多少なりとも興味が有れば噴飯もの理屈ネットの世まかり押し通ってしまうのは

60年代悪書追補運動の折りに、法制化を進める活動家よりも、直接行動を行う「左翼」側の活動の方が目立った

・「セブン12話」や「宇宙の戦士批判など、容易な「左翼の抗議による作品封印」の戦果に容易にアクセス可能

00年代前半、個人サイト全盛期に自由主義史観初の雑な政治認識流行した

・「表現だけではなく、現状を変える事こそ重要」と言う、それ自体はまっとうな言説の悪用

 と言った要素が、悪魔融合を果たした結果ではないだろうか。

(1)浦辺法穂「全訂 憲法学教室」161~163ページ、岡田信弘「憲法エチュード86~91ページ

(2)ロバート・A・ハインライン宇宙の戦士」483~484ページ

(3)牧村康正・山田哲久「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展狂気」第4章栄光は我にあり、広がりゆく波紋、第10段落

(4)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」100~102ページ

(5)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」177~180、196ページ

(6)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」143~144ページ

(7)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」139ページ

(8)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」129~130、143~144ページ

2017-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20170203162721

法律学世界だと名文家が多くて、エッセイ賞をもらったりする研究者結構いたりするんだけど、理系世界だとどうなんだろう。

2016-12-15

[]

前回、民法の偉い先生が、自身キリスト教信仰民法研究無関係であると言った講演について書きました(http://anond.hatelabo.jp/20161127222341)。

が、どうもこれが頭に引っかかってしまって思考が進まなくなってしまったので、とりあえず混乱したまま吐き出すことにします。

まず問題になるのが以下の2つの命題です。

(1) 民法研究キリスト教無関係だよ

「〔私にとってキリスト教信仰民法研究とは〕全く関係ありません。キリスト教は私の人間としての生き方の指針。民法学は私が民法研究者として、民法上の諸問題を一解釈学者として精一杯明らかにしようと務めているだけのことです。両者はその存在次元を異にしていますから、直接関わることはありません。」

「そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、既にあなたがたの負けです。なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです」(コリント前書6-7)

「人を裁くな」(ルカ伝6-37)


(2) キリスト教における真理はイエスその人だよ

イエスは言われた。わたしは道であり、真理であり、命であるわたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ伝14-6)



一方で「民法研究キリスト教無関係である」と言い、他方で「キリストを通らなければ真理はない」と言われると、つまるところ法律学研究には真理はないということになるのでは?というのが今の疑問。

ぜんぜん関係文脈も違う2つの命題を繋げて何を言っているんだ、という感じなんですが、これ実感として「そうかもしれない・・・」と思えてしまうのが不安を持つ原因。

どういうことかというと、民法ちょっとややこしい(資本主義の影響が~とかになりそう)ので刑法を例にとると、刑法の事案を処理する際、法律家は(事実認定を除くと)大体以下のような作業します。

(1) 事案をよく見る。

(2) 適用条文を探す。

(3) 条文の要件を切り出し、解釈を通じてさらに具体化する。

(4) 過去判例裁判から重要と思しき事実ピックアップしてマトリクスを作る。

(5) マトリクスを作る過程過去裁判所判断を分けた重要事実が炙り出される。

(6) 本件に戻ってその重要事実の有無・相違を確かめる(自然結論も出る)。

(7) 上手くいかなければ(1)に戻る。

さらに学究肌の人であれば、以下の作業も行います

(8) ①罪刑法定主義、②結果無価値論、③責任主義観点から以上の作業特に(3))に問題がないか検証する。

ただこの作業、やってる最中は真理というものを全く意識しません。

(1)~(7)の作業が担っている機能は、よく考えてみると過去判例裁判例の結論平仄を合わせるものしかありません。

また、こうして出された結論が「国民常識」にかなっていることが多いと評価されることが多いのですが、よく考えてみるとそこでいう「国民」のほとんどは無神論者資本主義者です。また「常識」にかなっていたから何だ、という話もあります

他方、(8)の作業はいかにも真理っぽい作業なのですが、①②③の原則というのも、治安悪化の程度や警察捜査能力などによってその要請の強度が変わってきます

たとえば警察捜査能力がぜんぜんない国で、責任主義を徹底し、故意認定を厳格にするよう求めても、土台無理な話でしょう。

他にも、イスラエルのようにテロが頻発する国で予防拘禁を止めろというのもなかなか難しい話だと思います

真理というもの普遍的ものだと仮定するなら、やはりここでも真理というものは現れないように思えるのです。

そしてさらにこういう作業を綿密に経たところで、刑務所の中受刑者が思うことの多くは安部譲二塀の中の懲りない面々』や堀江貴文刑務所わず。』で描かれてるようなことでしょう。

そうなると上の作業には、やはり真理はないと思われるのです。せいぜい国の治安維持政策としての意味しかないのではないか、と思われてならない。

これっていったい何なのだろう。キリスト教圏の法律家はどう考えているのだろう。

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