はてなキーワード: 法定通貨とは
確かにひどい。
仮想通貨交換所というのは、大層なものではなくて、パチンコの景品換金所みたいなものだと分かった。
仮想通貨というかっこいい名前の「景品」を法定通貨(日本円)に交換するビジネス。
その換金率も取引所次第。
(1)既存の金融商品であれば一発で違法退場になるところを、実効的な法律がないことをついて実行してしまう悪質業者
(2)「頭の切れる人が一生懸命説明するもの」を理解して、参加していた俺スゲー組(単にだまされたおめでたい客)
昨今の事案を受けて、「仮想通貨をつぶすな」という主張が良く見られる。
多くの場合、法律の目がとどかない博打をこれからも続けさせろ、ボロ儲けの手段を維持しろ、という主張としか思えないが、「日本におけるイノベーションをつぶすな」という理性(?)からの主張も多い。
よくある主張は次のような形をとる。
今起きている事案は、あくまで仮想通貨取引所の問題であって、仮想通貨そのものの問題ではない。特に非中央管理性の理念やブロックチェーンの技術的価値が棄損されたわけではない。
ビットコインの創始者とされるサトシ・ナカモトが論文で語った高尚な理念やそこで提示された優れた不正防止手法をもってそれ以外の仮想通貨まで擁護しようとする向きがあるが、極めて不自然に感じる。
例えばリップルは非中央集権通貨であるし、ブロックチェーンは仮想通貨ごとに別物として存在しうる。これらの観点から自らの社会的存在意義を説明できていない仮想通貨はいくらでもある。本当にイノベーションがそこにあるか疑わしいものもある。
取引所と当該の仮想通貨の元締めが同一だったり、共通である場合、「取引所側の問題であって仮想通貨側の問題ではない」という主張は無理がある。
「設計は正しかったが、実装がまずかった」とし、取引所にのみ責を帰することができるのは、両者のメンバーが完全に分離している場合のみである。
Tetherの場合は、特定の取引所が実質的にすべてを握っている。
Nem財団の重要メンバーが取引所Aに籍を置いていると仮定して、そしてその取引所Aの実装がまずく事故が発生した場合、財団は善であり、あくまで取引所Aの過失という説明は、詳細な事情を勘案することができる内部の人間のみに通用する論理であって、詳細が分からない外部の人間にとっては通用しない。
仮想通貨は技術面では追跡可能で透明化されているかもしれないが、関係者による人為的判断が入りうる以上、技術面の透明性のみを主張しても一般の人間には説得力を欠く。
非中央集権な管理手法やブロックチェーン技術は仮想通貨専用のものではないので、これを機に通貨以外での適用をという主張でもよいと思われる。ことさら仮想通貨のみがイノベーションの担い手というわけではない。
ここではあくまでよく見られる「イノベーション(テクノロジー)無罪論」に焦点をしぼった。
本当に仮想通貨が必要なのか、法定通貨のデジタル化ではだめなのか、その辺の議論も見てみたい。
熱くなって擁護論を唱えている人は初期の理想の技術論に「天才って実際にいるんだ」と感激し、その後の幻滅を見た自分のような人でなければ、その幻滅を見なかったことにして信仰を持ち続けたい人か、最近この世界を知って誰かのポジショントークをそのまま受け入れている人だろう。
なお、テクノロジーの問題とは別に、先行の類似取引システムでの規律に相当するものか、あるいはそれを代替するものがいまの仮想通貨取引所に存在しないことについては議論があるべきだろう。
仮に仮想通貨世界の内部では問題がないとしても、現実世界(法定通貨の世界)との境界をまたいだところで問題が起きる以上、両方の世界に所属する取引所に対しては、現実世界において先行する各種金融取引システムの規律の準用を求めるべきだった。
日本の取引所から韓国の取引所に送金し、そこで現金化し、金貨を購入して日本に持ち込むというマネーロンダリングが行われるに至っては、それすらも無力だったのだとは思うし、後からなら、このように何とでも言えるが、カネにまつわることがらでは性善説の採用ほど無力なものはないと、技術者のはしくれとして痛感した。
別段仮想通貨が悪いとは思わないし、21世紀の新しい通貨体型であるとすれば私の考えは旧時代的で、遅れているものなのかもしれない。それならば、この投稿は滑稽極まりないものだろう。けれども、SNS(特にTwitter)上で見かける仮想通貨とその取り巻きの言行を見ていて、心底薄気味悪い感情を抱かずに、それを吐露せずにはいられなかった。
仮想通貨とは、国家の(法的な)保証がある法定通貨とは違い、それらがなく、国家に依存しない自由な通貨であるとされている。しかし、現状は決済手段としての通貨、というよりも資産運用のための、投機商品としての「通貨」という面が強いのではないだろうか。
普通の、法定通貨は国家がその価値を保証することによって、使用者である国民が信用し通用してしているわけだが、国家の保証を持たない仮想通貨の価値は、その当該仮想通貨に対する利用者の信用・信頼に依存しており、それゆえに仮想通貨の価値イコール仮想通貨への信用度ないしは期待値である。よって、期待値が上がれば高騰(騰貴)するが、今般の取引所の取り付け騒ぎのように、仮想通貨全体の信用を揺るがすようなことがあれば、また仮想通貨そのものに対する期待が下がれば、当然暴落(下落)する。
期待を集めれば、利用者が増えれば価値が上がる「通貨」の構造上、囲い込みが日夜繰り広げられており、その様相はさながら陣取りゲームのようである。通貨名については伏せるが、コミュニティ内において(抽選等によって)参加した数名に対して時には100万単位(日本円換算では10万円前後)でコインをばら撒く、「通貨」を手放さないようにコミュニティメンバーに対してホールドするように呼びかける、「通貨」が上場予定だからこの先も騰貴する可能性が高いと主張する、自己が所有する「通貨」の優位性(数ヶ月で10倍、100倍になったなど)をアピールする、などがコインをばら撒いているような大量保有者のみならず、少量の、始めたばかりと思しき人も行っており、陣営の上層部から末端に至るまで、「通貨」に対する勧誘、そして陣営の維持拡大がなされている。
傍から見る限りでは、宗教または連鎖販売取引の勧誘のように見えて仕方がない。この「通貨」を信じれば(ホールドして上場を待てば)貴方にはこんなにも利益が得られる、などとのたまうのは完全に新興宗教の勧誘そのものではないのか。それらをSNS上で目撃する度に、薄気味悪い感情を抱かずにはいられないのである。
勿論、「通貨」が上場してもっと多くの利用者が集まれば、利益そのものは出るかもしれない。嘘は言っていないのかもしれない。けれども、大幅に利益が出るのは初期に所有し始めたような大量保有者である。末端の利用者はたとえ数倍に騰貴したとしても自身が所有する――少量の――分しか利益は当然に出ないのである。
仮想通貨を持たない、参加しない人間の僻みやっかみであると認識されても結構であるのだが、少し仮想通貨に熱を上げ過ぎて、日々の生活が蝕まれていないのか、生活が仮想通貨と一体化していないか、仮想通貨で生活(人生)を賭けて半丁博打をなされている人間がとても心配である。
ビットコインは仮想通貨。仮想通貨っていうのは法定通貨と違ってどこの国家からも保証されていなくて、中央銀行にあたるものがないっていうのが前提。
仮想通貨は24時間世界中で取引ができるのがその魅力。どこの国家の保証も受けていないってことは、規制の権力の影響を受けないってことだから、国家の体制に不安があるって人とか、国に不満がある人には魅力的ってこと。
仮想通貨を使えば今よりずっとスムーズに取引ができるようになるから、仮想通貨は将来的に世界通貨として世界中から認定されることになると予想できる。
これによって起こること。
それはまず、通貨間の格差がなくなるから通貨戦争が起こらなくなる。経済政策などの効果もあまり上がらず、経済への国家の介入がしにくくなる。っていうこと。
それから、どこの国の保証も受けてないから、最終責任を誰が負うのか分からない。つまりこれは、有事の際にパニックを引き起こす可能性がある。どこかの国での有事のたびに、世界で暴騰暴落があり得る。国家だけじゃなくて、私たちの生活にも影響があるっていうことね。
もう一つ、私たちの生活っていうことに目を向ける。同じ通貨を同じレートで、っていうことになっても、物価はその国による。つまり、賃金や物の値段が安い地域にお金がどんどん流れていくっていう現象が少なくとも導入されだした頃には発生する。とすると、高価格高賃金の国は没落するという可能性も出てくる。これは日本も例外ではなく、ね。
こんな感じだろうか。
http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2017/12/14/000000
ここ十年で世界に一番インパクトを起こしたアプリケーションがビットコインだった。
ビットコインは通貨を再発明したが、実際はそれ以上のことをした。
ただしコピーすることが出来ないし記録を改ざんすることも出来ない電子クズだ。
重要なことは電子クズに価値がついて通貨が再発明されたということだ。
言葉遊びをもう少し続けさせてもらう。
じゃあ砂漠の真ん中で喉が渇いて死にそうな人に金塊(1kg)といろはすどっちがほしいかと聞いたらどうだろう。
そりゃいろはすが選ばれるよね?
言わずもがなのことだけど。
価値はどこまで行っても相対的なもので、それは受け取り手つまり「市場」が決めるのだ。
ベネズエラ人にとっては自国の通貨の価値は暴落しているかもしれない。
「価値」ってなんなのかよく考えてみてほしい。
あのさあ、巨大グローバル企業が資本を集めて資本主義に最適化しているところに、企業でも国でも銀行でもないP2Pのビットコインが生まれたのが一番面白いところなんだよ。
分かってないよ……。
明らかにビットコインは資本主義の仕組みの一部を作り変えられることを示した。
そのひとつは通貨発行権を中央銀行の独占から奪うという誰も想像出来なかったことをやってのけたこと。
もうひとつは、それを企業体という形ではなくP2Pでやってのけたこと。
明らかに国家規模の事業を、個々人の欲望をプロトコルとコードによって制御することで成し遂げられることを示した。
そしてそれが国家によって容易に潰せないことも示し続けている。