はてなキーワード: 河川敷とは
社会人になりクロスバイクを買った。たった20km、計90分の運動だったけど凄く楽しいサイクリングだった。
3時間ぐらい休んでるのにまだ尻が痛いんだ。先駆者の方々はどうやって耐えてるんだ?
オフィスの椅子、お洒落特化なのか知らないけど尻に優しくないんだ。この鈍痛が明日も続くのなら耐えれる気がしない。。。
恨みマシマシの駄文を見て頂き、かつコメント頂いて申し訳ない気分です。
装備品
ショルダーバッグかお弁当入れるやつ探した方がよさそう。
ルート取り
初回:国道の歩道。歩道と歩道の間の縁石が痛い、歩行者に注意する、信号多いで低速運転多め。
後急勾配の橋に挑戦したのが駄目。慣れてから挑戦する。
次回以降:海沿いとか河川敷を目指す。無理そうなら国道から一本それた道を。
調子に乗ってスピードは出さないようにする。熱中症と尻痛対策を兼ねて、30分に一回は日陰で休む。
ハンドル:背筋が前傾姿勢と垂直になるのではどちらが良い?それぞれ試す。
サドルに座らない云々
立ち漕ぎが安定しない(ママチャリと違い、ハンドルが左右にぶれた)ため、座りっぱなしだった。
周りに迷惑かからない道で練習する。立ちきるのではなく、尻浮かせる程度の方が良い?
というか尻にではなく体全体に負荷を分散できるようにする。。。って皆さん武道家か何かなんですかね?どうやるんだ?
トウクリップ
便利そう?使用感調べてみたい。
サイクルパンツ
サドルを変えるかどうか
サドルって各メーカー共通?なんですね。(刺さらないと思ってました)。
10回乗っても痛みが酷ければ(慣れそうに無ければ)専門店で見る、というか店員さんに相談してみます。
尻鍛える方法とかあるんかな・・?桃尻という良く分からんのが検索に出る。
横紋筋融解症
怖い。運動不足なおっさんだし、急に負荷かけない。30km以上は慣れてから(20kmが超余裕になってから)にする。
再追記(2023/07/25)
正直、こういった文章を書くのは批判の的であり、読んで不快になるであろう人間が大多数だということを分かった上で、書きたいから書く。
最初にしっかりと明言しておくが、言い訳したいわけではなく、僕は僕がした罪、行いを許してもらおうとは微塵も思っていない。一生をかけて償わなければならず、一生忘れずに背負い続ける。そうして当然である。
被害者に刺されて死ぬのであれば、当たり前だ。そう覚悟して今生きている。それを分かった上で、吐かせて欲しい。
当方、現在アラサー。祖母が住んでいた家に恋人と二人で暮らしている。僕はフリーターであり、恋人は製菓業界で働いている。養われていると言っても過言ではない。
在り来りと言えば在り来りなカップルなんだろうが、自分には在り来りという言葉では片付けられない過去がある。
そもそも、母親は子育てに向いていなかったらしく、兄には過度の期待を寄せストレスで精神破壊し、僕には殴る蹴るの暴行で罵声を浴びせかけた。らしい。
「らしい」というのは、僕自身は殴られた記憶がない。よく聞く解離とかではなく、シンプルに思い出せないし、そんな思い出が無い。虐待自体の記憶はある。
大人になってから母に聞いたところ、「私は色んな虐待をしていた。だから貴方が人を傷つけてしまったのだと思っている。」と自白している。本当っぽいし、嘘をついてる風でもない。なので事実としてここに書く。
思い出せるものといえば、小学3年生まで床やパンツに放尿し糞をする僕を、家から締め出し、「自分で食ってみろ」とスプーンを渡され、自らの糞を食わされそうになったこと。
家からそう遠くない河川敷に車で連れて行かれ、「もう捨ててやるよ」と置いていかれそうになり、それを兄が泣きながら止めてくれたこと。
母からの虐待の記憶は、これくらいであり、僕自身は、「まぁ時々いるヒステリックな親だよな」くらいにしか思っていない。僕がおかしいのだろうかとも思うが、大して気にしていない。
勘違いしないで欲しいが、これが世の常識みたいに思ってるわけではなく、許されざることであり、もし友人がこんな親になろうものならぶん殴り通報する。僕が僕に大して、どうでも良い記憶として処理してるだけである。
小学3年生までと書いたが、小学3年生になり、僕がトイレで大便小便ができるようになった時、母からの虐待が止まった。
どこが契機だったか定かではないが、確実に母の心へ衝撃を与え、虐待を止めたのであろう出来事がある。僕の作文だ。
道徳の授業だったか忘れたが、「お母さんへの気持ちを書いてみましょう」みたいな授業だった気がする。
僕は虐待されていたにも関わらず、母親のことが大好きだった。ほぼ依存だった。たった一人の親だった。そんな僕が書く作文には、「おかあさん、ぼくのことを、うんでくれて、ありがとう」と書いていた。
心の底から思って書いたわけじゃないことは覚えいている。なんて書いていいのかわからず、「とりあえずみんなに見られて構わないことを書こう」みたいなことを考えて書いたことで、褒められたかったんだと思う。
先生がそれを、家で母に読んで聞かせてこいと言うので、読んで聞かせた。直後、母から抱擁された。
とても、とても力強く抱きしめられたことを覚えてる。苦しかったし、意味がわからなかった。ただ、抱きしめられて嬉しい気持ちはあった。大人になってからあの時のことを聞くと、「自分がどれだけ酷いことをしたのか、心の底から申し訳なく思った。」と言っていた。母自身も、子供とどう接していいか分からなかったが故の虐待だったのだろうか。
それ以降、母は虐待することなく、むしろ僕のことを甘やかし、欲しいものは全て買い、やりたいことを全てやらせてくれた。
結果、どんな子供が出来上がるか。
自己中コミュ障チー牛オタクの誕生である。物心つく前からの虐待により、僕には人との話し方がわからなかった。人の気持ちも理解できなかった。
そうなると人間、居場所や仲間を求めるもので、僕はMMOとネット掲示板に傾倒した。その末のチー牛である。
中学生時代は黒歴史そのもので、学校ではオタク友達とボカロと歌い手について語り、やれ鏡音リンレンが可愛いだの、やれこの歌い手が今アツいだの、自分達だけの世界を堪能し、家に帰れば仮想世界に入り浸り、非現実的な刺激を求めた。
この先の話に大事なことなので書くが、僕の性癖はこの第二次性徴で歪みに歪みまくった。ロリとレイプ物の動画や同人誌にのめり込んだのだ。
後に精神科に罹り、勉強する中で知ったが、幼少から虐待された人間は、自分より弱い立場、弱い存在に大して加虐的になる傾向にあるらしい。性のエネルギーが向くのも想像に容易い。
そんな歪んだ僕は、ネカマと公言している当時高校生の男の子と、マビノギで結婚するくらいには頭がおかしくなっていた。「男でも可愛いじゃん」と。今でもその性癖が残っているというのが、思春期時代での振る舞いの大切さがよく分かる。
あまり詳しく書くと、コミュニティガイドラインに抵触する恐れがある上、人によってはフラッシュバックを誘発する可能性があるので、抽象的に留めるが、僕は性犯罪をした。
時期は中学2年生のとき。13歳だった。相手は当時8歳。更に高校生の時、17歳だった。相手は18歳。どちらも性犯罪。
1度目は13歳ということで犯罪として扱われず、施設に入り、2度目は正式(?)に逮捕され、留置場に入り、少年院に送致された。
結果的に今、再犯せず社会生活をしているわけだが、自分が幸せにした人の数より、不幸にした人の数のほうが圧倒的に上だ。
何故、性犯罪を犯す人は再犯率が高いのか。そもそも何を考えているのか、加害当事者として、考えてることを書こうと思う。不快にする内容であるのは百も承知している。けど、耐えられなくなってしまった。申し訳なく思う。
僕は虐待されていたからか、因果関係は定かではないが、人との関わり方、感情の読み取りが苦手だった。先生が怒っている顔をしていても怒ってるのかわからなかったし、悲しそうな人を見ても何とも思わなかった。
自分の感情を抑える術も知らず、何時しか、自己正当化するようになっていた。
相手はこれこれこうだから、こう言われても仕方なく、自分は正しい。そういう思考が常になり、自分以外が間違えていて、自分が最も正しいと勘違いしていた。
ここまでは、割とある話だと思う。小学生中学生は皆、自分のことを正しいと思っているだろうし、大人でさえ自分が正しいと疑わない人がいる。
だが、性犯罪者、もっと広く言えば、依存症者。これらは「認知の歪み」が生じている。一先ず性犯罪が「依存症」なのかという話だが、以前関東にある、性依存症専門の精神科に通った時の先生の話では、依存症であるらしかった。
もちろん、依存的でない性犯罪もあるとは思う。僕は知らないが。
「依存症」という病気と「ただの依存」の違いは何かという話では、「依存症は代替が効かない」、「ただの依存は代替が効く」という違いだと言う。人は電車やバスに依存しているが、最悪それが無くとも徒歩や自転車で通学や通勤することができる。
依存症患者は、そうやって代替することができず、依存している対象「のみ」に執着する。故に治し方を知らなければ治せないとのこと。
僕はこの話を聞いて、「あぁそういうことなのか」と納得した。
話を戻す。依存症における「認知の歪み」とは、考えれば当然であることなのに、あたかも当然でないように考え、自分を矯正してしまっていることである。間違った捉え方、考え方とも言える。
道行く美女或いはタイプな女の子に対して、「触りたいな」と思う心を「社会的にダメだろ」と抑制することができることが正しい認知であるが、「認知の歪み」があると、これが変わってくる。
「触りたいな」と思う反面、「ダメだろ」と思うのだが、「でも触りたいし」「でも今触らないと勿体ない」「周りに人いないし叫ばれなければ大丈夫」と、自己正当化する思考が頭の中を占拠する。「自分は間違えてない」と、強烈な自己暗示をしてしまうのである。僕も例外ではなかった。
自分より弱い存在を見つけ、虐げ、凌辱する術を探した。何が何でも自分が正しいと思い込んだ。
よく「何いってんだコイツ」という供述をする犯罪者がニュースになる。「目を合わせてくれたから好きなのかと思った」「露出の多い服を着てるから触って欲しいのかと思った」、こういった供述や発言は、認知が歪んでいないと出てこない。
こういった歪みを正し、矯正することができれば、所謂更生することができる。
僕の通った精神科では、専門の性依存症カリキュラムがあり、ほぼ毎日15時頃から18時頃まで講義のようなものに出席し、運動をし、帰宅するというスケジュールだった。
認知の歪みを直すというのは、簡単なようで難しく、性に関することのみならず、日常生活における思考すらも省みて、全ての視点から自分を見ることを要求される。更に先生や周りの同じ講義を受けてる人間からの第三者視点を交えて、初めて矯正できる。
1人で悩み、1人で解決しようとしても、見ている視点は自分からのみで、そもそも何が歪んで何が間違ってるのかわからないので修正しようがなく、人の力を借りられなかった性犯罪者は、ほぼ必ず再犯すると言っても良い。
ストレスが関係していて、ストレス解消すれば治ると思っている人もいるが、間違いでなくとも正しくはない。例えば性犯罪を犯すことでストレスを発散、より細かく言えばドーパミンを分泌し多幸感を感じているとして、別の方法で同じことをしようとしても、
性犯罪を犯したことのある人間にとって、性犯罪を犯すこと以上にドーパミンを分泌するものが無いのである。ご飯を食べることや寝ること、セックスすることでドーパミンが分泌されるが、比にならないのだ。
だが、禁煙禁酒断薬と同じく、認知の歪みを治し、断てば断つほど欲求は減り、自制心で抑えることが出来るようになる。「認知の歪み」が治せていることが前提である。考え方が変わってなければ結局再発する。
話が逸れたが、結果的に僕は比較的良い方向へ持ち直す事が出来、現在は性犯罪への欲求はほぼ無く、趣味や恋人とのコミュニケーションでストレスを上手く解消している。
ストレスが溜まっていたとしても、溜まっていることを自覚し、自分の感情や欲求に振り回されることは無くなった。
しかし、結局は性犯罪者であり、生きている価値があるかと言われれば、多分ない。
事実、不幸にした人の数を数えれば、両の手じゃ足りない。
ある日、通っていた精神科の先生に、この悩みを打ち明けたら、衝撃的なことを言われた。
「傷つけた被害者のことや、被害者の家族のことを考える必要は無いよ。関係ないから。」
僕は全くそうは思えなかった。僕は加害者であり、加害者は一生を持って償い、幸せに生きることは許されないと。
けど、冷静に、理屈で考えてみれば、確かにそうだとも言える。関係ない。
僕がどれだけ反省してもどれだけお金で償おうと、どれだけ謝罪しようと、被害者が幸せになるか。ならない。 何なら僕の顔、声、文字すら認知したくないだろう。
なら僕が死ねばいいか。死んだら被害者は幸せになるか。ならない。 一時は恨みを晴らした気分になり、今後同じような被害者が増えないことを喜ぶだろう。けど幸せに成るかと言われれば、僕が死ぬことのみで成るとは思えない。
そして、何よりも、過去は変えられない。やらなければ良いに越したことはないが、やってしまったものは、どうしようもないのであり、既に過去であり、「今」この瞬間には存在していない。
理屈で考えれば考えるほど、「過去」というのは学びとしての価値はあれど、「今」の自分の持ちうるリソースを割いてまで悩む価値は無いと思えてくる。
性犯罪加害者が、そう考えていいのか? 多分社会は許さないだろう。罪を犯したら、犯した者は同等の傷を負わなければならない。でなければ、傷つけ得な世界になる。
少なくとも僕は、先生のような割り切ったというか、吹っ切れた考え方はできない。やはり僕は犯罪者であり、人を傷つけた者であり、背負い続け苦しみ続けなければならないと思う。
ただ、僕にも曲がりなりにも過保護なバカ親が居て、何故だか出会ってしまった恋人がいて、こんな僕でも見捨てないでいてくれた友人が居る。この人たちは、幸せにしなくてはならないのではないか。
いつ何時でも「今の僕を被害者が見たら」と思う。きっと殺されるだろう。でも、これもまた、起こってもない未来、「今」存在していないものに対する気持ちであって、「今」この瞬間に横にいる恋人には関係ないのである。
だから、最近は人を幸せにすることが、せめてもの責務なのではないかと考えている。フリーターだが、時々ちょっとだけ贅沢できるくらいの生活で、恋人も僕も満足していて、誕生日にはサプライズでケーキを買う。
これで良いのか。これで良いのだろうか。
色々考えるが、やはり「今」は「今」。忘れてはならないが、背負いすぎて不幸にする人を増やす方が、よっぽど社会に迷惑極まりない。
二度と再犯せず、二度と同じ過ちを繰り返さず、二度と母親にあんな顔をさせない。それだけが、僕の最低限守るべきもので、あとはただの我儘だよなと思う。
拙い文章だが、ここまで読んでくれた方が居たならば、ありがとう。非難轟々でも構わない、ただ、耐えられなくなってしまって、思うがまま書いた。人に見られる前提で書いているのが気持ち悪いが。
ちなみに、恋人や友人は僕のしたこと全てを知っている。包み隠さず全て話した。
恋人に関しては、「今の〇〇さんと関係ないし興味ない」と一蹴された。いいのかそれで?いいならいいんだろうけど。
被害者に関しては、捕まった後に賠償金や謝罪文を申し出ても、軒並み断られている。
総じて考えていることは、「二度と私の人生に登場しないでください」ということだと思っている。本当に、申し訳なく思う。
近頃平野君と神宮寺君の、というか脱退ジャニーズ関連のニュースが世間を騒がせている。
ジャニーズが卒業・脱退・解散する、というニュースを聞くたびに、私は手越のことを思い出して苦しくなる。
・
なんでこのタイミングで書き起こそうと思ったかというと、前述のキンプリの騒動をはたから見る中で、そろそろ一度振り返ってみてみてもいいんじゃないかと思ったからだ。
というか、オルタネートを書いた加藤さんではないけれど、あの出来事から3年という長い月日がたって感情的ならずに思出せるようになって、でもこれ以上離れてしまったらきっと気持ちも記憶も色あせてしまうから、「今」が最初で最後のタイミングなんじゃないかと思った。
・
何を話すかといわれると難しいが、結局のところ手越のことをどう思っているかというお気持ちと思い出をたどるための文章である。
・
どこから話そうか迷ったが、時系列順で話すのが一番いいのかもしれない。
・
なんか女子が騒いでるなあという感じで、当時の関心ごとといえばサッカー観戦、ポケモン、イナズマイレブン、受験勉強、ライトノベル、あとはおままごととかだろうか。
でもVS嵐も、イッテQも、地獄先生ぬ~べ~も、鉄腕ダッシュも見ていたし、キスマイの光のシグナル(ドラえもんの主題歌だった)も大好きだった。
・
彼女は歌がうまくて、カラオケが好きで、そして増田担だった。彼女とカラオケに行くと、親友は必ずNEWSの歌を入れる。
当時4+FANの合いの手のリズムがわからなくて苦戦したのをいまだに覚えている。
友達が歌う曲をどうせなら一緒に歌えるようになりたいと思うのがカラオケ好きの性である。
親友に頼んでNEWSのCDを貸してもらい、聞いてみたのが多分2017年。
まずNEWSの歌にはまった。
アルバムを4つくらい借りたのでそりゃ一曲くらい好きな曲もできるし、テゴマスは当時から歌がうまかった。
歌番組の時に親友からアナウンスがあったので、時間が合えば見ていた。
当時日テレっ子だった私は、イッテQで手越を、everyで小山さんを知っていた。
気づけば親友からはテレビドラマやバラエティの番組情報のアナウンスも入るようになり、私はNEWSをしっかり好きになっていた。
親が厳しかったためにファンクラブは入れず、ライブも行けなかったが、私は私なりの最大風速でNEWSのことが好きだった。
・
それから2020年まで、のんびりと、自分なりの距離感ではあったが「好き」を貫いていた。
2020年2月、NEWS LIVE TOUR 2020 STORYの当落発表があった。
2017年のNEVERLAND、2018年EPCOTIA、2019年のWORLDISTA、最後に2020年STORY。
4つのライブの頭文字をつなげると「NEWS」になるこの4作品は、通称「4部作」と言われるもので、NEWSにとっても、ファンにとっても思い入れの深い、大事な大事なライブだった。
「STORY(アルバム)」にはファンの将来の夢が収録された楽曲や、メンバーからファンに向けてつづられた思いのこもった楽曲、9人時代からの気持ちに言及するような楽曲、インタビューなどがふんだんに盛り込まれていた。
チームNEWS全員にとって本当に大切なアルバムで、私たちはSTORYのライブの成功を心から願っていたし、心から信じていた。
・
・
様々なイベントの中止が決まっていった。
「来月にはこのパンデミックが収まる」と信じて駆けずり回ってくれた方がどれだけいたのだろう。
大きな会場を抑えてファンのために準備してくれていた。
ライブ直前のラジオ内で行われたマジカルバナナ的なゲームでは、「準備万端といえば?」「「「「STORY!!!」」」」と4人で口をそろえて言ってくれていた。
河川敷をランニング中、桜の舞う中で聞いたその言葉を今でも覚えている。
しかし準備万端だったはずのライブは一公演一公演丁寧に中止を重ねていき、結局全公演中止になってしまった。
実はあの当時、ファンの間でうっすら「STORYが終わったらNEWSは解散or 何かしら節目を迎えるのでは?」という空気があった。
実際どうだったのかは本人たちに聞かないとわからない。
それでも、STORYに込められた気持ちはそれだけ大きかったのだ。
「この作品が最後なのかもしれない。そんなことはあってほしくないけれど、もしそうであれば、悲しいけれどきっとどうにか受け入れることができると思う。」
時が来れば必ず報われると思っていた努力が、世界規模の不幸によってぶち壊されてしまう気持ちは痛いほどわかる。
この辺は一回全員back number 『水平線』と 「入学から、この世界だった僕たちへ。」を聞いてきてほしい。
当時高校生だった私も何度も泣いた。
当時仲の悪かった母親に背中をさすられながら、夜中に号泣したこともある。
高校生活の中で最も大事な思い出になるはずだった最後の合宿が、文化祭が、体育祭が、すべてがなくなってしまうやるせなさに、どれだけ頑張っても結局行われなかったそれらにたいして、声をあげて泣くことしかできなかった。
・
彼らは底抜けに明るかった。
少なくとも明るくあろうとしてくれた。
まあ彼らに救われたことに関して詳しく書こうとすると長くなるので割愛するが、ジャニーズWESTと出会ったことで私のジャニーズの世界は大きく広がっていた。
NEWSはびっくりするぐらいジャニーズ内での縦のつながりがない。
気がする。
あったらごめん。
小山さんと手越からちらほら後輩の名前が挙がっていたくらいで、残りの二人に関しては正直ほとんど思い出せない。
加藤さんは正門君と如恵留くんがまあ居るか?と思ったが、名前が出始めたのはコロナ後かもしれない。
少なくともグループ全体でかかわりの深い後輩グループみたいなのはなかったと思う。
NEWSしか見ていなかった時代、全員顔と名前が一致していたのは正直NEWSと嵐とTOKIOだけだった。
ジャニーズWESTはそこが大きく違った。
関西での縦の結びつきは、とんでもなく強かった。
WESTと仲のいいだれだれが出ているなら、時間もあるし見てみよう、という感覚で、芋づる式に「顔と名前とざっくり性格くらいまでなら把握している」程度のジャニーズが増えていった。
・
とまあそんな時期、手越が飲んでた。
外で、女の子呼びつけて。
「ねーわ」って思った。
でもまあ手越だし。
そういうやつだし。
そりゃ謹慎くらいするべきやろうけど。
文春では退所報道とかもあった。
正直なところ不安も大きかった。
Johnny’s world HAPPY LIVE with YOUが発表され、NEWSが3人で出演すると知ったときは動揺した。
見るのが怖かった。
それでもNEWSが好きだったから、あとこれは余談だけど、同じ日の出演者がジャニーズWEST(推し)とHey! Say! JUMP(当時好きだった女の子の推し)だったのでその日の配信チケットを買わない選択肢はどちらにしろ無かった。
・
・
泣いた。
それはもうボロボロ泣いた。
・
「クローバー」:NEWSからファンへのメッセージソング、4人それぞれが自分のパートの歌詞を書いた。手越のソロパート前半は歌わず、後半は3人で向かい合って歌った。
「weeeek」:6人時代からずっと歌っているライブの定番曲であり、代表曲。
「UR not alone」:4人の代表曲。ライブの最後やアンコールで必ずうたわれる名曲。ラスラビの手越のソロパートはこちらも歌唱ナシ
・
手越のソロパート部分を歌わないという選択をした三人を見て、三人は手越の帰る場所を守ってくれているのだと思った。
ほかの2グループがアイドルらしいきらびやかな衣装で華やかな曲を歌っていて、言い方を変えれば自分たちのファン以外の子たちにも楽しんでもらえるような、それでいて自分たちのファンにも愛を届けられるような、そんなバランスの取れたセトリを組んできたのに対して、NEWSははなからNEWSのファンと、それから手越のことしか見ていなかった。
状況が複雑な中、語ることを選ばなかったのかもしれない。
当然だろう。
でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う。
私は手越の部分の空席をあえて作るその演出を「3人は手越が返ってくると考えている、これはその表明である。何も案ずることはない。もう少ししたらまた4人のNEWSになる」と受け取った。
・
・
違った。ダメだった。彼は帰ってこなかった。
・
・
3人での配信ライブが行われた次の日、「18時半に手越に関する重大ニュースがある。おそらく退所報道である」という情報がリークされた。
昨日の配信ライブで得た確信なんてものはいつの間にか崩れ去っていた。
どうしてもその事実を受け入れたくなくて、夕方17時に布団に入った。
ただの現実逃避だ。
知るタイミングを遅らせたからと言って事実が変わるわけではないのに。
・
朝起きて、ニュースを見た。
不思議とこの日の朝からの記憶はあいまいで、もしかしたら無意識で封じ込めてしまっているのかもしれない。
泣いた気がする。
気がするだけだ。
3人の側があれだけお前の居場所を作って待っていてくれたのに、なんて不義理なんだ。
あれだけ一生懸命準備してきたものを放りだして「今」退所しなきゃいけない理由があるのか。
事務所じゃできないことって何なんだ。
・
でも結局彼がわからない。
今書いている恨みつらみが、どの時点で私の中に生まれた感情なのかも正直わからない。
「やめたくなかった」「まだ続けたかった」という発言も散見されていた時、「じゃあやめなきゃよかったじゃん」「今ならまだ間に合うから、戻らせてくださいって頭下げて戻ってきてよ」と思っていた。
それと同時に、私たちを、四部作を、3人を、すべてを放りだして知らない人たちと知らないところへ行ってしまったことに激しく怒っていた。
暴露にもならないような浅い内容の暴露本を出したことにはぶちぎれていた。
それでも、彼が好きな気持ちもまだあった。
心のどこかで彼を信じていた。
彼を嫌いになることで、彼がいた時代の楽しかった思い出たちまで嫌いになるのは嫌だった。
気持ちの整理がつかなくても手越は勝手にズンドコ進んでいっちゃうし、NEWSの3人も少しずつ動き始めていた。
少しずつ「3人のNEWS」が当たり前になっていって、人数が少なくなっていった自虐もたまに挟まるようになっていって。
あといつの間にかNEWSがKinKi Kidsに次いで上から二番目になっていたことにびっくりした。
ずっと中堅くらいの意識だった。
そういえばもう嵐もTOKIOもV6もSMAPもタキツバもいねえや。
あとたまに忘れちゃうけど、エイトのほうが一年デビュー遅いですよ、これは増田さんへ。
・
・
脱退後のインタビューで、「多くの人は、アイドルや事務所という“魔法”にかかっている」と手越が話していた。
違う。
多分違うと思う。
“ただの手越祐也”ではなく、“ジャニーズ事務所のNEWSのアイドル手越祐也”だったから、私たちはあなたの素行を、すべてひっくるめて、「アイドルの個性」と思って愛することができた。
むろん愛すべきところがたくさんある人だ。
花が開いたようにパッと明るく咲く笑顔が大好きだった。
周りを巻き込んで笑わせてしまうような、自分の信じているものに対する絶対の自信からくるあの笑顔が大好きだった。
人の心に直接刺さるような、それでいて華やかで、のびやかで、何にも縛られないような歌声も好きだった。
いつだかジャニーズみんなでTOKIOの『宙船』を歌ったとき、一人きりで上ハモを担当していた。
あの時の誇り高さは、あれだけの大人数でも埋もれない美しい歌声は、きっと一生忘れない。
運動能力の高さと、周りの空気を作り上げてどんな難題だってこなしてしまうところは、天性のアイドルだと思っていた。
彼以上に「アイドル」という言葉が似合う人間はいないんじゃないかとすら思っていた。
どこにも行かないとは思っていなかった。
それでも、あなたの安住の地が、優しいあなたの探してた場所が、僕らの愛したここであればいいと思っていた。
・
・
今でも正解がわからない。
「NEWSにいたころの手越が大好きだ」「2020年以降のことに関しては絶対に許せない、許さない」という、相容れない感情がいつまでもぐるぐる渦巻いている。
カラオケでSUMMER TIMEのMVなんか見ちゃうとやばい。
あのMV全員ビジュ良いけどその中でも手越さん可愛すぎないか?
気づいた人がいるかどうかはわからないけれど、私いままでこの文章の中で二回だけ「手越さん」呼びをした。
この段落での一回と、3人での配信ライブの内容に言及したときの「でもそれと同じくらい、手越さんが一番輝くステージで、ライブという空間で、歌を歌うことで、私たちに、彼に、語りかけようとしてくれたんじゃないかと思う」という文章の中。
この三年間、私は手越を恨み続けてきた。
コロナ前までは「手越さん」と呼ぶことも少なくなかったが、退所後はかたくなに「手越」と呼び続けてきた。
ちなみに残りのメンバーはずっと「小山さん」「増田さん」「加藤さん」「山P」「錦戸君」呼びだし、ほかのグループの人のことも呼び捨てをすることはめったにない。
これはささやかな反抗だった。
私は、「私はあなたを許さない」という気持ちを込めて「手越」と呼んできた。それでも、彼のことを愛おしいと思うときには思わず「手越さん」と呼んでしまうのだ。
・
結局私は彼に対するこの矛盾した気持ちを抱えたまま生きていくしかないのだ。
退所前後の一連の行動は許していない。
きっと一生許せないけれど、彼が健康で、幸せでいてくれるといいなと思う。
今の彼のことを応援しているファンのことを盲目だとも思わない。
彼にはそれだけの魅力もある、訴求力がある。
あの奔放さを、考えなしな一面を、どうしようもない自我の強さを、許すことができるのであれば私だって今の彼の活動を応援したい。
もう一度あの伸びあがる歌声を聞きに行きたいし、はちゃめちゃさで成り立ってしまう天才的なバラエティ感覚を享受したい。
でもだめだ。
許せないのだ。
何一つ。
愛していたからこそ。
信じていたからこそ許せないのだ。
それでも愛しているのだ。
・
結局この話に結論なんてない。
せっかくなのではてなに挙げてみるが、誰かに届くかどうかなんて考えてない。
ただ、こういう折り合いのつけ方をした人間もいる。
・
色々な感想。距離は片道10kmで平坦な道。クロスバイクに乗ってる。だいたい40分くらいで付く。
まずそんなに痩せない。20km/hで走って消費カロリは400キロカロリーくらい消費してるらしいけど、体感としてそんなに無い。
ペダルをずっと漕いでるわけではなくて、流してる区間もあるからだろうと思う。
最初の二か月で77kgから73kgまで痩せたけどそれ以上は体重落ちない。明確にダイエットしようと食事制限していないからだろうけど運動による消費カロリはあまりあてにならない。
痩せたいなら食わないことだ。
次にそれなりに危ない。
都市部を走る数キロ区間は朝はそれなりに車もバイクも多い。車道を走ると横すれすれをトラックに追い抜かされるし、歩道は人が多くて危ない。
急いでる車が曲がってきて巻き込まれそうになったりする。
ルート上にバス停と地下鉄の駅があるからエスケープルートとして利用できるけど、時間のロスは発生するから自転車で通勤するときは早めに出て余裕がないと、パンクや雨で遅刻の可能性がある。
最後になにより飽きる。
もう一つはあえて遠回りして河川敷を走るルートがあるけど、朝は向かい風が凄まじい。一度走ったけど普段40分で着くところを1時間かかった。
帰り道に夜に走ろうとすると無灯火の自転車が突っ込んできたり、全身真っ黒な服のランナーが飛び出して着たり危険すぎた。
100日程度ずっと同じ道を同じ時間帯に走ると飽きてくる。
ここで全力で濃いでもここで信号につかまって止まるんだろうなーとか完全に理解した。
たぶん自転車通勤をする理由として「運動不足解消」というのを挙げるひとがいるだろうけど、安全と効率を考えるなら電車で通勤してジムで走るなり筋トレしたほうが良いと思う。
小学生編
掃除の時間に寺島君から人生で初めて「サボる」という選択肢を教わる
塾をサボりチャリで片道10kmほど走りイオンモールで時間を潰す
中学生編
部活をサボり駅前のマックでアイスコーヒー一杯で半日読書に耽る
高校生編
海を目指して立川辺りから多摩川沿いをチャリであてもなく下るも世田谷辺りで諦める
高尾山に登る
大学編
講義をサボり終電で江ノ島や上野公園へ行って夜通し歩き回ったり、ミッドナイトショーをハシゴしたりして始発で帰る たまにサウナに泊まる
夜な夜な多摩川の河川敷へ出掛けてトランペットを吹くか夜釣りをする
聖蹟のゆうひの丘で音楽を聴きながら一晩中ボーっと多摩の夜景を眺める
こんな事ばっかしてたから菊次郎の夏とかスタンド・バイ・ミーみたいなロードムービーが滅茶苦茶突き刺さるし、思春期やモラトリアムを描いた作品が好きで好きでたまらない
需要ありそう?
送料込み1500えん
(追記)
反応をみるに需要ありそうでなさそうでちょっとありそうな感じやな(なさそう)
ブコメでもあったけど廃棄する宝石のサブスクってのがあるらしくてそれ見て思いついたんよ
ただイイ石を見つけるのはそんな簡単な作業じゃないしワイの求めるクオリティだと月に10個が限界やな。
そもそもクライアントもワイと「石観」を共有できる顧客でないとダメだからな
応募フォームに石の画像を並べてイイと思った石を選んでもらってこちらが入会審査させてもらう予定やで。
ずっと非モテだった。
彼女いない歴=年齢をずっと守り抜いてきた。
合コンも一杯やった。数えたことないが150回ぐらいはやったんじゃないか。それでも彼女はできなかった。
BBQも何回も開いて頑張ってた。BBQは店に行くよりお金がかからないが、はっきりいって男は大変である。女性は完全にお客様。買い出しも、調理もドリンクの用意も全部男がやっていた。BBQも何回も開いたけど彼女はできなかった。
BBQは河川敷でやってたが、ホテルの近くの場所でもやってて、初対面の人に「酔わせてホテルに連れ込んで襲うんでしょ。最低!」と言われて苦笑いしかできなかった。ああ、こんな非モテなのにそういう風に見えてんのか?とか、このあとバイトだな。とか思ったりしながら苦笑いしてた。その人は周りの人から止められてたけど何回も言ってたわ。
合コンもBBQも、そのあと仲良くなった人も一回デートしたらその次は無いぐらいの感じたった。その横で、一緒に合コン言ってたひとは、彼女できてそして別れても何回もやってた。
そのあとも結局大学で彼女はできず、社会人になってから、何回か合コンはあったものの、これといって何もなく、年を取るにつれてそういう機会もなくなり、ただただ非モテなだけだった。俺の人生何なんだろうな。
令和5年1月30日午後4時00分ころ、東淀川区大道南1丁目32番付近の淀川河川敷において、胸部や下半身を露出した状態で歩く女性が目撃されました。
女性は、年齢不詳、黒っぽいダウンコートのみを着用し、ボタン等は閉めておらず、20から30歳くらいの男(マスク無し、黒色短髪)と歩いていたとのことです。
不審者を見かけたら、すぐに110番してください。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-1012330
https://www.gaccom.jp/img/safety_avatar/1012/1012330/1012330_avatar_detail_1675070200531.png