はてなキーワード: 汚染物質とは
それは君が世の中を作った訳ではないからです
そして、君が世の中を作ったとしてもやっぱり君は世の中に納得出来なくてクソと呼ぶのです
神が作ったとしても神の作った世の中は完璧とはいえないし、完璧であるかどうかを矮小な人間風情が理解できるはずもないので、やはり矮小な人間は超人たる神が作り出した世の中というものをクソだと認定するのです。
例えそこに無宗教だという愚か者が入ってきたとしてもです、それが先頭を走っていようと最終的にもっと傍若無人な存在がチンパンジーがタイプライターでシェイクスピアの作劇を描くような確率で世の中をまともらしくしたらしめても
やはり、世の中はクソと思うものなのです
大体、クソというものを下に置きすぎなのです
人間はなまじコンクリートや鉄を使いこなせた他人がいたばかりにクソとかいうものが不潔で不要なものだと断じてしまうのです
ですが、クソというのは人間に必要なものです。生物に必要なものです。
肥料もなければ野菜は育たず、異臭がしたりクソの形がわからなければ体調の良し悪しもわかりはしないのです。
そして、仮にクソとかいうものがなくなっても、我々は目ヤニや耳垢、身体から出る垢、瘡蓋に至るまで不要な存在だと認定するのです。
血を封じていたりするから瘡蓋はまだ有用性を認識しやすいのですが、垢に至ってはその新陳代謝が産んでいるものを理解できなければ体から出てくるベタつき、または粉です。
その点、クソというのは捻り出すもので、その苦労の結果出てくるのがあの現代社会での利用価値が汚染にしか無いと思わしき異臭を伴った粘着性の物体です。
それ故にクソというものは不要なもの、目の上のタンコブ、障害、侮蔑の表現として嗜まれているのです
ですが、そうして世の中に対してクソだと言っているとするなら
やっぱり世の中はクソだという言葉は正確ではあるのです
神が齎したもうた異臭を伴う粘着性の汚染物質は、その観点を変えれば利用価値のあるものなのだから
だから、世の中はクソなのです。
そう、世の中というクソはある観測者にとってはとても利用価値のある存在で、もう一方の観測者にとっては現状で手に余る有害な存在なのです。
そうして考えてみるなら、世の中というもの自体は多数の観測者によって成り立ってるものだから、それがクソで無益なものになったり、それがクソで植えた野菜の栄養となったり、それがクソでイカれた武士の傷を塞ぐ存在となることもあるのです。
そうして世の中がクソだと気付けた人はイカれた武士道プレイヤー達が自分達のポジティブライフにクソを塗りたくってる様子を見て発狂するのです
俺はこんなクソを塗りたくるような真似はしないぜ!と言いながら目の前に置かれたクソを前に罵詈雑言を述べることしか出来ないのです
そうしてクソに対して猛弁を奮って唾を飛ばすことでクソを臭くて冷えたビチャビチャにさせるのです
クソを目の前にしてクソだクソだと言うだけで一生を終えるのです。
私はなるべくのこと、このクソを肥料にするか、メタンガスが誘爆を引き起こすまでになんとか利用するかを考えてはいるのですが
まぁ最近では自分のケツに付いたクソを拭くことすらままならなかったりするので、トイレットペーパーに付いたロールシャッハテストを眺めながら
えんがちょと呟くのでした
結婚5年目。
潔癖症と知りながら好きだから結婚したのだし、配偶者を責めるつもりはないのだけれど、近頃ささいなことで私の精神状態が乱れるようになってきた。
家でのルールはだいたい以下のとおり。
・外から帰ったらシャワーを浴びるまでは汚染エリア(ソファーとテーブルの一部)以外の清潔エリアのものに触れない。
→シャワーを済ませないと休めないし、済ませるとその日は一歩も外に出られない。
・外から持ち帰ったもの(携帯など)はウェットティッシュで拭くまで清潔エリアに持ち込まない。
→携帯を使っていると毎日「それ拭いた?」と聞かれる。会社のPCを家で使うのも面倒。
・清潔エリア内でも汚染物質とみなされるものに極力手を触れず、触れたらすぐに手を洗う。
→何が汚染物質か決めるのは配偶者なので知らずに触ると(多くの場合ため息とともに)指摘される。
・外出先でトイレを使う場合はウェットティッシュで便座を拭き、手洗い後はドアに直接手を触れずに出る。
→行く前にウェットティッシュを持たされ、出たら毎回「ドアに触れた?」と聞かれる。
・旅行で使った靴は汚染されているのでしばらく履かない。買ったばかりの靴も他人の試着等で汚染されているのでしばらく履かない。
→忘れて履いてしまうと怒られる。
・粘膜に触れる前には手を洗い、その後携帯(菌が多いらしい)には触れない。
→セックスの前に毎回手洗いを要求されるので雰囲気も何もない。
最近までは夫婦仲は良く、喧嘩してもお互い引きずることはなかったし、ストレスを感じても趣味や運動で発散できていたのだけど、昨年の暮れに子供が生まれてからはそんな余裕もなくなり、自分の感情を上手くコントロールできなくなってしまった。
上に挙げたような日々のことが少しずつストレスとなり、ささいなきっかけで怒りのスイッチが入り、やがて倦怠感に襲われる。今のところ物を壊したり他人に暴力を振るうことはなく、自分の体を叩いたり、髪を引っ張ったり、息を止めたり、歯を噛み締めたりして抑えているが、傍からみれば十分に狂人かもしれない。
子供はとてもかわいく、愛情も責任も感じているけど、昨日腕に抱いてミルクを与えながら、それが遠い世界の出来事のような感覚を覚えた。いつか自分の精神が壊れてこの子に危害を加えるようになってしまったらと考えると怖い。
配偶者は神経質な親の影響で潔癖症になってしまったらしく、子供が将来同じように苦しむことは何としても避けたいのだけれど、どうすれば良いかわからない。
離婚は考えていない。
いや~ほんと子供向けだねぇ
たまたまAmazonプライムで新造人間キャシャーン配信してたんで見たけど
うーん
初っ端から人間が自然環境回復のために作ったアンドロイドが雷に打たれて暴走とかさ
それなのに都合よく電子頭脳も破壊されずに、おかしな挙動するだけって
いやそもそもロボットに汚染された自然環境を回復させるって何やらせるんでしょうね
砂漠に木でも植えるのか?
んなことより汚染された環境で育つ植物でも作ったほうが良いんじゃないの?
汚染物質を吸収して無害化する植物…完全に風の谷のナウシカになっちゃうな
で
どういう原理なんだよ。
ドクター・ゲロの人造人間だって全くの無から作った方が強かったわけだし
人間をロボットにするならコピーしたロボットを作るほうが良いのでは?
それとももしかして、ホンモノの鉄也は冷凍睡眠かなんかで眠らされてて、キャシャーンは鉄也の記憶を移植されたロボットだったってオチなの?
普通に人間とロボット融合させたとしても人間の部分が弱点になると思うんだけど?
ていうか、ブライキングボスはよくあんな短時間であんなに大量のロボット作り出せたな。
それとも単にブライキングボスがロボット作ってる間人間は手をこまねいてただけなの?
いやぶっちゃけ戦車持ってきてだめなら航空機から爆弾でも何でも落としてあの城ごと破壊すりゃええやん
そもそも軍隊出動って時点でブライキングボスの脅威度は分かってただろうし
そこであえて、地形変わるぐらいの爆弾使うのをためらう必要性がわからんわ。
あともう突っ込んじゃだめなんだろうけど、あの犬型ロボット。
川崎市宮前区有馬に味の素の独身寮、テニスコートとクラブハウスがありました。
本は味の素の工場があったそうで、何年か前に隣接地から水銀が検出され新聞記事にもなり、その小さな区画は味の素が買い上げて更地になっていました。
タカラレーベンは50戸を超える戸建て住宅を作って販売する計画が発表されました。
土壌調査を行ったところ、予定している区画のいくつかで基準値を超える水銀と六価クロムが検出された、と住民に説明がありました。
公平を期していえば、いちど説明会はあり、汚染度合いや地下の汚染物質が飛散しないような建設計画の書類は配布されました。
それでも住民には不安は残るし、既存施設の取り壊しの揺れ方も激しいです。
追加情報を求めてタカラレーベンの担当者に誰がメールをしても、返事が来ません。
ある人が味の素に電話をしたところ、別の番号を教えられ、かけたところクレーム対応の部署だったそうで。
工場跡の汚染物質の除去や対策は味の素ではなく買ったタカラレーベンのほうにあるのでしょう。
契約にもとづきそうなっている、とタカラさんも説明しています。
しかし、追加で行われると言っていた説明会はないし、どこがちゃんと回答してくれる窓口なのかも明示されません。
何かと取り上げられる原発関連問題についてですが、「エネルギー資源の点から原発再開・高速炉建設は現状止むを得ない選択肢である」というのが今の私の考え方です。
「石油はもって40年」と自分も子供の頃からそう言われていて、いまいち危機感が持てなくなっているけれど、少なくとも自分が子供のころはレギュラー90円切るようなのが当たり前だったと思うし、確かに昨今の不景気が影響で価格が高騰しているということもあると思いますが、客観的な事実として、天井のある資源を使い続ければいずれ枯渇することは当たり前だと思います。
エネルギー資源の枯渇が引き起こすのは奪い合いであるといったことは、歴史的に見ればある程度自明だと思います。
今の時代、簡単に資源を巡ってすぐさまに戦争が引き起こされる、といったことは想像しにくいですが、少なくとも産業や経済に制限がかけられることと思います。
そのような情勢において「原子力」というエネルギー源の選択は、再利用技術の確立が為されればかなり明るいと思います。(しかし3.11のような経済的コストや、使用済み燃料やそれに付随して出る汚染物質の処理のような将来的課題もまだまだあります。)
これらを踏まえ私が感じているのは「戦争への抑止力は、資源の生産・確保であり、原子力はその点で抑止力と成り得る」ということです。
某漫画の1コマに「戦争は始めるものじゃない。出来る限りの外交の手段を尽くした上で結果的に起こるものだ」とありますが、この「出来る限りの外交手段」を選択肢として存在させることが重要であり、エネルギー資源はそこに深く関わっていると思うのです。
一方で原子力の利用は、今の日本の風潮ではかなりシビアなものだという感覚をみんな持っていると思います。私は原子力関連においても最もネックなのはその感覚自体と、“安全”を砦に原子力を危険なものとただただ批判する人間がいることだと思います。
将来のエネルギー安定性と現在の安全なエネルギー供給を秤にかけることは、個人個人で優先すべき事柄が異なるのでどちらが重きとなるかは一概には言えません。ですが、私は原子力というものに“危険なもの”という偏見(バイアス)がかかっているために、秤にかけるまでもなく忌避しているような点があるのではないかと思うのです。そしてそのようなバイアスを布教・助長している各メディアなどのコメンテーターや評論家を見ると、嫌気がさします。「原子力=原子爆弾」という偏見さえも未だに存在するような気もします。
一般に「多少原油輸入にお金はかかっても現在日本の電力は間に合っているんだからいいじゃないか」という意見もありますが、私はこれが対外的には一種の侵略(エネルギー侵略)のようなものではないかと感じています。
話は変わりますが、2000年代に大きく話題になった「地球温暖化問題」というのがあります。温室効果ガスである二酸化炭素が増えることで、地球の保温効果が高まり、平均気温が上昇するという話のものです。(反対論として、地球の平均気温は常に上下を繰り返しており、その周期がいま暖かくなっているだけだとの説はありますが、自分は少なくともCO2の影響で温室効果があるのなら、地球の周期があるにせよ、減らす努力はするべきだと考えています。すみません関係ありません。)
この地球温暖化問題に関して、一部ですが「日本が温暖化問題を加速させている」という説があったように記憶しています。日本という国は自国には森林がたくさんあるにも関わらず、安価であるという経済性の理由から他国の木材を多く輸入しており、その木材はアマゾンなどで森林を伐採して得られているため、日本が温暖化を加速させている原因になっているのではないかというお話です。つまりエネルギー資源においても、自国で生産しない代わりに他国から輸入しますがそれは他国の資源を侵略していることに等しいのではないか、と感じるのです。(確かに資源を輸出するのもその国の自由ですし、対価を払っているのですから問題は無いというのもありますが、自分はあまりこのような動向が良いとは感じません。)
自分はこの地球温暖化問題の点と、化石燃料を輸入してでも国内の電力供給を支えている現在の日本の状況に、類似点を感じます。
原発を停止し化石燃料を輸入することで国内需要を満たすことは、地球全体の資源をより早く消化してしまうことになっていると考えます。この点で、確かにこれも輸入された燃料ではありますが、再利用することが可能である原子燃料を利用することは、これからの将来を考えて資源的に選択することは仕方が無い、むしろ必要なのではないかと考えています。
1国がこの広い世界での資源枯渇を心配する必要があるのかと思われますが、その広い世界で資源が枯渇した場合に行われるのは、「その資源を持つものが高い対価で取引を要求すること」か、「他国が略奪を行う」か、「新技術によって新たな資源を生産する」か、のどれかだと思います。
少なくともこの中で一番良いのは「3つ目の資源の生産」で、いわゆる「核融合」技術が現状あてはまると思います。しかし、現段階で研究ベースの技術が商用化され、多くの人に利用されるようになるのはいつ頃かもわからない状態で、「いずれ新技術ができるから化石燃料を使い果たしても問題ない」というのは楽観的すぎると思います。
再三になりますが原発関連に関して思うことは、原子力という技術や将来性について議論することをせず、消費者が被害者意識だけで言葉を揃えて「安全じゃないものは使えない」「間に合っている」と言うのが、個人的にはあまり好きじゃありません。
そして原子力に技術者として関わっている多くの人々や、また原子力を使うことを決めた政治家や多くの人々を責め立てることも好きじゃありません。
福島第一の事故は確かに人の作り出したものが災いしたものですが、想定されていなかった規模(過去数百年の津波高さの統計による)の津波という自然災害によって起きたという部分が色濃いと思います。事故は結果論でしか語ることはできませんが、これまで原子力を扱ってきた人々が事故を防ぐべく尽力していたこと、またこれからも努力なさるだろうことも忘れるべきではないと思います。
最後になりますが私は、何か意見をもって議論することが大切だと、EU離脱の時のイギリスを見ていて思いました。その点で思うのは、自分の意見を言うことでレッテルを張られる、もしくは感情論で批判されるような風潮・雰囲気を壊していくことがいまの日本には大切なんじゃないかなと思います。
武力はもってても、国民も、兵士もそこまで士気が高くないんだろう。
命かけて自爆してくる奴らとやりあったらそりゃ簡単には勝てないわ。
汚染物質とか残らなければ原発とか化学兵器50発ほどお見舞いして、
更地にして難民をそこにすませたらいいのになとか妄想するけど。
アラブの産油国が第三局として暗躍して、不安定な状態は続くんだろうけど。
武器を遠隔で爆破するとか、ネット遮断して外部の反応はぜんぶおとりにするとか、なんか出来ないかね。
難民名義のパスポートってのは対立をあおるためにわざと残したんだろうけど、
正直もともとフランスのイスラム系の人が中心ではないようで、悪いけど少しほっとした。