はてなキーワード: 求道者とは
勝利に対してガチすぎてこえ~って思う 初心者もランクで通じる環境を叩き込まれないといけない。
それが見応えあっておもろいのもわかるけど。
たまにキャリープレイヤーの一撃に目ん玉飛び出るくらい驚いて、
あ~負けたけど面白かったな~で終わる空気感が許されていない。
サッカーボールを蹴ってパス出して下手くそなシュート打つだけで楽しいのに
「上位勢の楽しさ」を無理やり詰め込まれてる感じ。
「も~!ちょっと~!」チャンチャン が無く、
「は?お前のせいで負けたよ今の?反省と改善を次マッチまでにしろよ?わかってるよな?」
という空気が常に蔓延しやすいフィールドになっている。敗北試合は常にお葬式。
でもそういう求道者のスタンスが根っから面白い、というタイプの人もいたりして、
「ゲーム好き」で括れば同じだけど姿勢が全然違うよね、っていう所もあって、
チーム内で亀裂が走ったり、チーム間での温度差で視聴者が冷えたり、なんか難しいなと思う。
ガチで勝利をもぎ取るのが楽しい人からしたら「勝つ気の無い、ゲームとチームをナメてる面白くない愚図」になるわけで。
eスポーツ広報も兼ねて行われると考えると、自然と空気はガチ寄りにもなっていく。試合としての完成度が高いと、見応えもある。
もし努力を神聖視するのが、恵まれた環境にあるお貴族様、無自覚・確信犯どちらであれ負のインフルエンサーだけに限られていれば、救いはある
だが、深刻なことに、社会的に弱い立場にある人たちこそ、トンチキな努力教の教義に共感し、強く主張する傾向にある
これは、自分が困難な状況にあることに対する正当な理由を求めているからなんだよな
例えば、『自分が苦しんでいるのは、必要な "キーアイテム" を持っていないからだ』みたいな感じでね
確かに、深刻な人種差別のような個人が抗うのが難しい状況では、"キーアイテム" が無いことが困難の原因となることもある。でも、多くの場合、単なる不運が理由だ
先進国に生まれなかったり、内戦が続く国に生まれたりした人々のように、ただただひたすらに残酷に運が悪かっただけ。世界は公平になんか出来ちゃいないのだ
"キーアイテム"を持っていても持っていなくても、苦難や不幸は不公平に訪れる。そこに正当性なんかひとつもない
努力を神聖視する努力教の信徒が、勝ち目のない不利なレースに挑むことまでは・・・・・まぁいいよね
だって、なにが吉と出るかはわからないし、自分のことを問題を解決できる人間だと信じることは非常に大切で素晴らしいことだから
ただ、努力教の信徒の多くは結局ズタボロになり、自分の無能を周囲に証明する取り組みをせっせとはじめるのよ
『努力の方法が分からない』、『努力にも才能が必要だ』、『自分には何もできないから周囲は自分を見捨てるべきだ』とかね
これらの考えや状態に陥ると、メンタルヘルスの専門家の助けが必要になる。本来出来るはずのことも出来ないとか言い出すようになる
でも、努力の仕方もなにも、そもそも、みんな、自分が好きなこと、できることだけに取り組んでいて、自分が乗り越えられるハードルしか超えていねーのよ
するべきは、自分が不利なレースに挑むことじゃなくて、勝てるレースを見つけて挑むこと、もしくはそもそもレースなんかしないでハイキングでもしながら人生を楽しむこと
あるいは、開拓者・求道者として、誰に笑われようとも、明後日な結果に終わることを恐れずに、続けられる楽しみを見つけること
令和で努力教は滅ぼそう
見損なったよ、さっきグッズは全部捨てた
俺だけは最後まで「松ちゃんは日本のデビッド・リンチだ」って言い続けようと思っていたのに
『大日本人』はラスト10分を切ったら傑作だったって今でも信じてるよ
90年代後半の松ちゃんは「なにかすごいものを作ってくれるはず」という空気がすごかったし、実際すごいものを作っていた
だから映画を撮ってると発表されたときは「ついに」という感じだった
第一作となった『大日本人』はモキュメンタリー形式で独特の雰囲気を作っていた
そうか、これが2作、3作とつづけば……と期待した
だけど実際は独特の雰囲気はなくなり、笑いどころのわからないコメディ風の映像に成り下がっていったね
なんで『頭頭』や『ヴィジュアルバム』の世界観を追求しなかったんだい?
奇妙さの向こう側にあるおかしみがあなたの作品の持ち味だったはずだ
なんでザコシの一発ギャグを二時間に引き伸ばしたようなものを撮り始めたんだい?
なんで急に笑いのレベルが小学生並みに後退してしまったんだい?
映画が評価されないとともに、松ちゃんはタレントの比重を増やしていったね
松ちゃんのコントも大喜利も知らない今の若い子には単なる偉そうな人にしか見えてないんじゃないかな?
笑いらしいことといったらスタジオで映像見てメタ視点でつぶやくだけなんだもの
ぜんぜん笑いの求道者じゃなくなったよね?
きみにはその才能があったはずだ
松ちゃん、ほんとうに悲しいよ
金田正一400勝とか神様仏様稲生様とか言われても、その時代知らねーし昔はレベル低かったから突出する選手がいただけでしょって思ってた。
でも現代に大谷翔平という人類史上最高最強の野球選手が現れてしまい、反省した。
大谷さんほどではないかもしれないけど、金田さんもとんでもない怪物だったんだろうな。
大谷さんは、次元の違う実績、体格、体力、ストイックさなのに、怪物とかゴジラとか侍とかじゃなくてユニコーンなのが面白いよね。
ストイックって、イチローとか王さんみたいな求道者的な怖い感じのイメージだったけど、大谷さんは同じストイックでも芸能で言うさんまさん的な。努力と思ったら努力ではないみたいな。好きで仕方がないだけっていう感じで、そこもまた次元が違うよね。我慢しているわけではなくて、好きなことをやっているだけっていう。藤井聡太竜王名人もそんな感じなのかしら。
そう見えるってだけで本人の思いは違うのかもしれないけれど、そう見えるだけで凄いよね。
最近の凄い人は怖い感じがしないのよ。
「お客様は神様です」について
https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html
「三波春夫」といえば、『お客様は神様です』というフレーズがすぐに思い浮かぶ方が少なくないようです。印象強くご記憶いただいていることを有難く存じます。
ですが、このフレーズが真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございますので、ここにちょっとお伝えさせて頂きます。
三波本人が生前にインタビューなどでこのフレーズの意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』
歌手として歌を歌う、「セリフ入り歌謡曲」や「長編歌謡浪曲」で歴史上の人物や物語を歌い語る、その折の三波春夫の心構えを表現した言葉であり、お客様に歓んでいただくことを歌手人生の第一義として追及して生きた、三波春夫らしい心情を表したものでした。
また、三波春夫の舞台をお客様が楽しみにお越しになり、三波も一所懸命に舞台をつとめるといった、楽しさや高揚感がいっぱいの、歓び合う場での思いを表したものでした。
そしてその始めは、「お客様は神様です」という型にはまった言い方ではありませんでした。いきさつについての本人の著述を最後にご紹介いたしますが、“お客様を神様とみる”という心構えであることを舞台の上で話したことが始まりで、それは芸能生活としては22年目、歌手デビューから数えると4年目の1961(昭和36)年のことでした。
その後、漫才トリオのレツゴー三匹さんが「三波春夫でございます。お客様は神様です」という表現を流行させて、「お客様は神様です」という言い方が世の中に定着したというのが経緯です。
三波にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。また、「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。
しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、「お客様」は商店、飲食店、乗り物のお客さん、営業先のクライアントなどになり、「お客様イコール神」となります。
例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」という風になり、クレームをつけるときなどには恰好の言い分となってしまっているようです。店員さん側は「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」と嘆かれています。
また、クレーマーやカスタマーハラスメント問題を取り上げている番組などでは「“お客様は神様です”というのがありますからね」と、真意を紹介することなく引き合いに出されることもあります。
このようなフレーズへの誤解は三波春夫の生前から有りましたが、言葉や文章などでの短い説明ではこと足りないと思うのは、生前の三波春夫も、現在の私もです。説明となるものを挙げるとしましたら、三波春夫のライブをご覧いただいて心意気を感じ取っていただくことだったのかもしれません。
“雑念を払って澄み切った心で歌う”というような心構えに至ったのには、三波春夫のそれまでの人生経験が土台としてありました。
16歳で初舞台を踏んだ浪曲の世界は、芸がまずければ「下手くそ! 聴いてられないぞ!」と、お客様が舞台に上がって来てサッサと幕を引いてしまわれるような、目や耳の肥えたお客様ばかりでした。幸いに途中で「やめろ!」と言われたことはなかったそうですが、舞台に立つ時は常にお客様との真剣勝負でした。
20歳では応召して陸軍に入隊することとなり、戦場を駆け巡り、終戦後はシベリアで捕虜となり、4年間の抑留生活を送りました。
抑留中、絶望の中にある仲間を励ますために、また自分自身が希望を持って生きるためにも、時間を見つけては一所懸命に浪曲を語って聞かせ、皆で演劇も創りました。藝で、いかに人に喜んでいただけるかを徹底的に追及し始めたのは、このときからでした。
戦後は浪曲の世界に戻り、33歳で歌謡界に転向して歌手となったのですが、プロとして藝を向上させるには自分自身の心を磨き、鍛えてゆかなければならないと思い、“求道者”と言われるほど真面目に生きました。男性歌手初の和服の歌手であり、歌手が座長の芝居と歌謡ショーの大劇場の1ヶ月公演の一番手であったことを始め、前例が無いなどということは恐れずに、「常に新しい藝を、新しい作品を」をモットーにしておりました。
永六輔さんは三波春夫のことを「歌う学者」と呼んでくださいましたが、酒タバコは嗜まず、空き時間は本を読み、作詞やエッセイ、歴史本を書くために原稿用紙に向かっている人でした。
笑顔がトレードマークのようでしたが、いつも人に笑顔を向けられる自分であるようにと、心がけていました。日常、腹の立つこともありますし、不愉快な思いもしますが、そのまま仕事に入ってしまっては良い舞台はつとめられません。ですから、心の持ち方のスイッチをいつでも切り替えて笑顔が出来るように、と努力していました。
これらは、若い時に先輩から「普段の暮らし方が舞台に出るんだよ」と教えられたことを心におき、より良い舞台をつとめられるように、お客様に歓んでいただける歌手であるために、の切磋琢磨でした。
三波春夫が藝一筋に生きた姿勢は、DVDなどでお目にかける舞台などに表れているかと存じます。ご興味がおありになりましたら、どうぞご高覧くださいませ。
最後に、三波春夫自身が「お客様は神様です」について著述している文章をご紹介させていただきます。
三波春夫著『歌藝の天地』
(1984年初刊 2001年文庫化 いずれもPHP研究所)より
「お客様は神様です」の発端
お客様は神様です」という言葉が流行ったのには、びっくりした。よく、この言葉の真意はどこにあるのかと聞かれるが、私も、その答えに困ることがある。テレビなどで、短い時間で喋るには、うまく説明が付かない。
皆さんのほうでは、面白がって、「お客様は仏様」だの「うちのカミサンは神様です」とか、「選挙民は神様じゃ」などといった言葉になって広まっていった。いやはやどうにも賑やかなこと。
そのあげくに、「こんなふうに言われるのは、どう思います?」とくる。
しかし、振り返って思うのは、人間尊重の心が薄れたこと、そうした背景があったからこそ、この言葉が流行ったのではないだろうか?
私が舞台に立つとき、敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝は出来ない―――と私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったらならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物の世界を経てきたからではないだろうか。
つまり、浪花節の台詞の部分は「瞬時のうちに一人で何人もの登場人物を的確に表現」しなくてはならない。そうしなければ、決してドラマは語れないのである。
われわれはいかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、そしてお客様をいかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。
お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは「神」であると私は教えられている。
あれはたしか、昭和三十六年の春ころ、ある地方都市の学校の体育館だった。
司会の宮尾たかし君と対談の際にこんなやりとりがあった。
「!?」
「こんないいところへ、何故もっと早く来なかったんたろう、と」
ここで、お客様はどっと笑ってくれる。ここまでは、昨日通りの対談内容。
すると、宮尾君はたたみかけて、
ウワーッと客席が歓声の津波!私ははっとしたが、宮尾君もびっくり。客席と私の顔を見比べて、
「カミサマですか」
「そうです」
「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃる。ナスやキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神・・・・・・」
客席はいっそうの笑いの渦。その翌日から、毎日このパターンが続いて、どこもかしこも受けまくった。宮尾君は、お父さんが落語家であり、本人も研究熱心だから、司会者としても一流。漫談もうまい。
こうして、このやりとりを続けて全国を廻るうちに、レッツゴー三匹が舞台を見て、おおいに流行らせたのである。
追記:
“翌日から、毎日このパターンが続いて…”とありますが、三波と宮尾さんが自発的にしたのではなかったのです。山陰地方を廻るツアー中のこの出来事でしたが、”三波春夫が、お客様を神様だと言う面白い場面があるよ”という評判がすぐに広まり、各地の主催者さんから「あの場面、必ずやって下さいね。お客様も待っていらっしゃいますから」と言われ、連日この2人のトークの場面をやらなければならなくなった、というのが真相です。