はてなキーワード: 気遣いとは
あの事件はエグかったねー
はてな界隈の民度落ちてるとは思ってたけど、まさかあそこまでとは
考えてみると、一番星はてのが平均的ブクマカより人間らしい気遣いなのグロテスクやわ
やる場合は最低限、法律とか公的機関の判定とか社会全体が責任を持つ状況じゃなきゃ
対人論法という詭弁に落ちいらず、いつも言ってる「男女関係なく」を貫くべきだった
でも、トランスジェンダー本出版で「トランスジェンダーかも」と訴えてきた子供に向かって
「違う」と言ってもいい、みたいなコメントがちらほらあったのを見て
あーーー
首尾一貫してるじゃんダブスタじゃなくてよかったぁ(棒
ってなった(白目)
おっ増田にようやく来たかって感じだけどこういう奴本当に害悪だわ
ミリアニとシャニアニ両方見たら同じアイドルアニメで3Dで脚本同じで先行上映もやってる上に商業作品なんて比べられるに決まってるだろ
12月まで遡ってるけど直近の火種のOPシャニ下げミリ上げツイートは普通にデレPだし、U149見てミリアニ見てシャニアニ見たら何Pとか関係なく思うだろ
なのに両方見た人ら殆どの人が口を濁すか良い所もあったよねぐらいで真正面から比較してる奴全然居なかっただろ(覚えてないが一人だけ流れてきたか?インターネットでこの辺話すのも無意味なんだが)
恐山noteら辺から続いた批判noteも殆どがミリアニとの比較避けてたしな
そんな中ついに本放送されてミリPでもシャニPでも無い人がミリアニとシャニアニ見たら比較して叩かれてるの見てミリPがどうのシャニPがどうのってさぁ!もうどこのPが叩いてるとか本当にアホらしいわ
まぁどれもこれもバンナムが面白いアニメ作れなかったのが悪いんだけどな
「さっきまでゴキブリでも死んでたの?」って思うほど陰キャの両脇の席は誰も座りたがらないからぽっかり空く。
それでも無理して心優しい人が座ってくれて、気をつかって話題を振っても、大人と話せる話のタネを持ってないから十数秒で会話が終わってなんか気まずくなる。
誰も幸せにならないよね。
歓迎会シーズンの週末のこの時間にこんな場所でこんなクソみたいなこと垂れ流してる程度には陰キャな俺が言うから間違いない。
「いやぁ~ほんとは参加したいんですけどこう見えていろいろと立て込んでてww スィヤセンッッ デュフフフwww」とニチャとした笑顔で断ること。
わざわざ「行く意義がない」 「コスパが悪い」とか言わない。
三大ジャージとプリン頭が似合う細かいことを気にしない性格で友達が多くてツレと集まって何かするのが好きな明るい女性が、
分け隔てない一般的な普通の特別でない優しさ(気遣い)を僕に向けてくれて、
相手も丁度その時都合の良い相手がいなかったし、従順な様が笑えて面白いので恋人らしき関係になるんだけど、
経済的にも自立しているし、他の候補もいる旨を毎日のように伝えてくるから、
僕の自己肯定感はどんどん下がっていき、どんどん従順にヘコヘコするようになって、
その様を面白がってくれるうちは一緒にいれるんだと必死になるときあるある。
「僕がエッチしたくて誘うも『うっせえなあこれでシコってろよ!』と3日ぐらい履きっぱなしの下着を投げつけられる」
「普通に振られる」
日頃から妻を楽しませようと思い、他愛のないことをネタに話しかけていた
それに対する妻は、気分がよければ会話を楽しむし、Instagramを見たければそんな気遣いなんてどうでもいいという態度を取る
3月上旬に体調を崩したのをきっかけに、今も倦怠感や軽い頭痛を引きずっていることもあり、ここ数日間は気を遣わずに無理に話しかけることをやめてみたら、会話の頻度が驚くほど減った
最初こそムズムズとした違和感があったが、もともと口数が少ない性格だからか、なんだかとても気が楽になった
ただ、妻の方が不機嫌な態度を滲ませるようになり、きっと話しかけてこないことが不愉快なのだろうと察した
無理をしてでも以前のように他愛のないことを話しかけるべきなのかと考えあぐねていたが、そこでふと「妻は話しかけてもらえることが前提となっている」ということに気づいた
妻から話しかけられることは「報告」と「相談」が主で、「雑談」が妻から始まることはとても稀だ
その稀な機会も大抵はInstagramで見たリール動画を見せてくるという流ればかりで、興味のないダイエットに効く運動5選を見せられても何も感じない
その時間があれば筋トレをしたいし、多忙で手放した趣味を取り戻す算段にでも充てたいのだが、反応が薄いとそれはそれで機嫌を損ねる
障害者雇用への言及で思い出したけど、あれって新規雇用のみが対象なんだっけ?
既に雇ってた明らかに常軌を逸した凡ミスを繰り返す、発達障害なんだろうなぁって奴が、
社内での鼻つまみモノ扱いと、上司の叱責に耐えきれずうつになったんだけど、
そいつに対しての扱いは一切改善されず、相変わらず凡ミスを繰り返しては、同僚から舌打ちされ、
そうかと思うと、郵便物やゴミの仕分け、簡単で機密のない書類整理と言った既存社員が片手間にやってたような雑務を、
支援学校出身の軽度知的障害者を雇い入れて専用の仕事して振り分けて、蝶よ花よと過保護に扱ってたし、よく分からんね。
生まれ育ちは都内で社会人になって数年を経て地方に転勤となった。
ここでの生活は本当に怖い。
総合病院、小児科併設の内科クリニック、眼科クリニック、耳鼻科クリニック。
これしかない。
県庁所在地まで行けば大学病院もあり、ここよりはクリニックも多いがそれでも地元に比べれば少ない。
選択肢がないのだ。
俺は既に都内にて人生初の胃カメラと大腸カメラと胆、膵、肝、腎のエコーをしており異常はなかったため消化器についてしばらくは問題ないが、大学病院やがん連携拠点病院にて10年以上研鑽した医師が検査を行う消化器内視鏡クリニックなんてここには存在しない。
総合病院の消化器内科も医師が少なく経歴も載っておらずこちらから選ぶことはできないようだ。きっと内視鏡にAIも搭載していない。
耳鼻科はファイバースコープの設備を持っていない。総合病院への紹介が必要らしい。これでは20代、30代の若者がなる咽頭がんを早期に発見することができない。都内にいた時は定期的にかかりつけの耳鼻科にて鼻炎や喉の痛みを訴えてファイバースコープをしてもらっていたがここでは気軽にできない。
内科クリニックはおじいちゃん先生と小児科担当のおばあちゃん先生のみ。人柄は良いようで評判も良い。
しかし、熱を出して通院した際に血液検査をせず喉を視診してリンパを軽く触診しただけで「喉かぜだね〜」と診断した。地元の病院では不安症な俺を気遣い、熱がある時にはいつも血液検査をしてヘモグロビンや白血球、CRPの数値を見てくれた。ここではそのように親切な病院はない。
そう。
「気になる症状があれば病院に」とは言うが、ここにいる医師たちは「何かおかしい」という症状がなければしっかり診ない。
若ければ尚更である。
「何かおかしい」という症状が出た際には既にリンパ節転移や肝転移を起こしているため確実に死ぬ。
しばらく移動はないため数年はここで暮らす必要がある。
俺は一人っ子で他に兄弟はいないため、絶対に親より先に癌で死ぬことは許されていない。
以上のことから、待遇も良く人間関係にも恵まれているが、仕事を辞めて都内に戻ろうかと考えている。
ここはアフリカと一緒。
子持ちは私だけ。
私の周りが特に少ないのか、パッと思い浮かぶメンバーで、早くに結婚しても子供を作ってない夫婦が3組、そもそも結婚する気がない人が5人、子持ちが2人の割合。
子供を作らない夫婦は共働き3組専業主婦1組。物理的に子供ができないのが1組、物理的に夫婦関係がないのが1組、不明が1組。
子供のいない人生が想像できないのでなんで作らないんだろうなぁとは思うがもちろん軽々しくは言わない。人生のステージが変わらないのは怖くないのかな?出産せずに人生を終えることは怖くないのかな?
とはいえ総合職?で妊娠してても変わらず働いて今も働きながら子育てしている身からすると、仕事しながら子供作るって、なかなかの覚悟が必要だとは思うが。
手鶏足取り教えて貰うんじゃなくて自分で気付くことこそが大切なんです!って誇らしげに言う奴らね
ムカつくわ
完全否定はできないけどさ
なんか
頑なに導こうとしないんだよなアイツら
手取り足取り教えないのと意地悪に教えないのとではまるで違うだろ
親切さがないんよ
気遣いもない
それでアレだよ、「わからないです」って言ったら
それをさ
「何がわからないのか言ってくれないと教えられないよ」ですって
ヤな奴!
それが教育のためになってると思ってるんだ
ためになるのは付いて来れる人だけなんだよ
優秀な人はそれでいいのかもしれないよ?
でもみんながみんなそうじゃないんだよ
人の気持ちを分かってくれない人だな、気遣いができない人だなって思う
なんて言ったら「いや自分以外の人間の気持ちなんてわかるはずないでしょ」って正論を叩きつけてくるの
「直接知ることが出来るのは自分の内面だけ。それ以外はわからないんだから」って
ヤな奴!
くやしいよ私は
家は代々商売をやっていて、都会の一等地に大きなビルを持ち、恵まれて暮らしていたと思う
しかし、その財産に頼らせることなく生きていかせるためか、うちの両親の教育方針は、「何も残してやらないかわりに、何も背負わせない。1人で生きていけるようになれ」だった
自分はそれをとてもいい方針と信じていたし、親と自分は関係ないものとして、ちゃんと親の財産に頼ることはせずに生きようと思っていた
おかげで今はひとりで生きていける社会人になり、実家からは遠く離れてしまったけど、結婚もできて子供も生まれた
祖父母が亡くなった時、色々な後処理も大変そうだったが、全部父が片付けた
色々残されたものが大変になるので、当時父は墓じまいをしようとしたが、父の弟などの反対により結局墓はそのまま残っている
負担は誰にもかけたくないから、こんなものいらないのにね、と言っていたし、その気遣いを自分はとてもありがたいと思っていた
親は70を過ぎたので、余生を考えるとあと10年は生きるとしても、20年は自信はないだろう
そんな年になって最近、親が土地建物を継いでほしいと言うようになってきた
えええ、今まで言ってきた教育方針と全然違うじゃん、全く違うじゃんと思って戸惑っている
そして継がす=その次の代までつなぐ、だと思うので、これを受けると自分の息子も縛ることになりかねない
自分は「何も残してやらないかわりに、何も背負わせない。1人で生きていけるようになれ」と教育されたし、それをとてもいい教育方針と思っていたので、そんな自分が息子の人生に背負わせるものを作るのはめちゃくちゃ抵抗がある
そして墓じまいをしたいと言っていた父も、最近は親の墓に参り、俺にも先祖供養は大事なこと、だなんて言い出す
でも、あの親父が今更それを言い出すと戸惑う
親が自分が死んだ後のことをリアルに想像し始めているんだと思うし、その変化も仕方ないと思う
でもなあ、あなたたちの立派な教育方針のおかげで、今のあなたたちに抵抗があるのも本心なんだわ
息子、宇宙飛行士になりたいなんてキラキラ言っているのに、もちろんそれが実現するかは置いておくとしても、土地のために生きる人になって欲しくはないと思っている
車椅子をはじめとした障害者の人って、健常者よりも一生で言うお礼の数が多いわけで、気遣いを辟易する気持ちもわかるんだ。
だって、本当なら人に声を掛けなくてもできたかもしれないことが、他人ありきでしか動けなくて感謝が義務になる。
機嫌悪くても、本当は人が嫌いでも、自分の力だけでは動けない。その上「ありがとう」と言わないと手を貸した他人はイラッとするでしょ?
他人からしたら「たまたま貸した人」だから、助けるのが当たり前のような態度されたら嫌だ。でも当事者は何十何百回と貸され慣れたうちの一つだから、完璧な対応が取れないときもある。
「助けてくれた人には一言お礼ぐらい言う」というのは正論だが、そもそもそれは「自力で完結させる」という選択をできる人の理屈な気もする。
自力でできるのに人の手を借りたということと、できないから借りるしかなかった、は似ているけど後者のほうが苦しいのではないだろうか。行動をするたびに、他人の影が付いて回る。
その苦しさを他人にぶつけずに生きている人のほうが案外貴重だったりしないか?ただ、健常者同士であれば関わることが少ないだけで。
一人で生きたくても他人の手を借りないという選択が取れないというのも、障害の一つなのかもしれない。
自分は接客業なのに、客を前にすると「ありがとうございます」の言葉が喉をつっかえて出てこないときがあった。
何度も口内炎を作り、家とは違い滑舌が回らない10文字には憎しみしかなかった。それでも客は聞きたかったのだろうか。
なら、もう「ありがとう」の価値を落として、ボタン一つでお礼言ってくれる機械でも普及させようよ。
「いらっしゃいませ」と声を出すたびに「これこそ機械でいいじゃん」とずっと思っていた。
そっちのほうがお互い楽だ。
20代も後半に差し掛かったある日、そもそも異性にモテても仕方ないよなと思い至り、女らしさを捨てることにした
と言っても不潔なのは嫌なので、お風呂には毎日入るし、最低限のスキンケアもしている
ただ、化粧のために早起きしたり、わざわざ高いお金を出して脱毛に通ったりとか、そういうのから降りることにした
ダイエットとかもそうで、健康のために栄養素には気をつけるけれど、痩せるために過剰な努力はしないようにした
髪もその辺の1000円カットで済ませるようにした
その結果、日々の細々としたケアから解放されて、圧倒的に楽になった
平日の朝にも、30分くらいは長く寝られるようになったし、お風呂の時間も短くなった気がする
あんまり意識してなかったけど、美容への課金額が思ったより凄かったみたいで、毎月の貯金額も増えてうれしい
重そうな資料を持ってくれたりとか、タスクが重なった時にちょっと引き取ってくれたりとか、そういう気遣いがなくなった
これは気のせいとかではなく、確実になんか見て見ぬふりをされるようになったなと思う
結局、女らしさを維持することで享受できるメリットって、日常の些細な手助けくらいで、
そのために月に何万もかけて、欲しくもない好意を向けられたりするのは割に合わないなと思う
タイトルの通り。
現在33歳になって、いよいよ友人との関係が終わりを迎えつつある。
似たような内容の増田を数日前に見かけて、俺も少し書いてみたくなった。
元々高校の同級生で、同じ部活の4人でかなり仲良くしていた友人たちがいた。
仲のいい4人ではあったものの、成績は俺だけが学年でも下位30%程度で、残りの3人は上位10%に入るような成績だった。
結局俺は関関同立に進み、残り2人は京大に2人と国立の医学部に1人が進学した。
ただ、思えばその時点で軽いコンプレックスを抱くようになっていたと思う。
明らかに俺だけ大学のレベルが違ったし、会う都度、彼らの大学生活の話に出てくる同級生や先輩の質みたいなものが、俺の周りとは違うような感覚があって、表現し難い疎外感のようなものがあったと思う。
もう一つ、他の3人と俺との間の隔たりとして、実家の太さの違いがあった。
俺以外の3人はかなり実家が太く、いわゆる高級住宅街に住んでおり、それこそ家の床が大理石だったり、よくわからんけど高そうなステンドグラスがあったりした。
初めて友人の家にお邪魔した時にケーキとコーヒーが出てきて、心底驚いたのを今でも覚えている。友人を家に招く時は、ポテチや煎餅に、ファンタなんかを出すのが俺の中の常識だった。
俺はというと、地元でもあまり平均所得が高くない地域に住んでおり、2LDKで築年数もかなり経過したボロマンション住まいだった。家には呼べなかった。
そんなことを気にする様子もなく、3人とも本当にフラットに接してくれたが、その邪気の無さがかえって妙な居心地の悪さに繋がっていたような気がする。
卑屈なだけと言われればそうなんだろうが、それでもなんとなく恥ずかしいような情けないような気持ちは心のどこかにあったと思う。
大学に入学して以来も定期的に会っていた。卒業後の進路として、俺は公務員を目指しており、大学4年の夏に試験に合格し、無事公務員として就職した。
俺以外の3人だが、1人が司法試験の受験勉強に励み、1人はそのまま院進し、1人は医学部のため卒業時期が違うといった形で、俺だけが少し早く社会人になった。
定期的に飲みに行ってはいたが、やはり俺以外の3人の方が学生で時間が取りやすく、俺だけが参加できない会も増えていった。
参加しても、俺だけが仕事の話をしている中でみんなはまだ学生として話しているので、なんとなく噛み合わない感覚も抱いていたと思う。
それでも一緒に過ごした時間も長い大切な友人たちだったので、話を合わせながらみんなで学生レベルの安居酒屋でワイワイ楽しんでいた。と思う。
なんか当時は本当に楽しかったはずなのに、今思い返せばそうじゃなかったような気がしてきてしまうのが本当に悲しい。
俺と3人の差が顕著に現れ始めたのは、25歳になったあたりだと思う。
みんなそれぞれ社会人になり、それぞれ医師・弁護士・一流企業勤めと、同い年だというのに、俺が40代になってようやく辿り着けるかどうかというレベルの金を稼ぐようになっていた。
もちろんみんな良い友人ではあったので、年収の話になることは少なかったが、最近した買い物の話や住んでいる場所の話でなんとなく、経済的な格差を感じることが増えたように思う。みんなで行く店も、俺にとってはけっこう背伸びしたお店へといつの間にか変わっていた。
思えば年収の話なんかは、明らかに俺だけ水準が違うことを気遣って、あえて避けてくれていたのかもしれないな。なんかそうやって、友人同士なのに、薄ら弱者として気遣いを受けている状況が本当に耐えられないと感じてしまった。
年に数回会うような関係がずっと続いていたが、最近になって、旅行に行かないか?という話題が出た。
普通に近場の温泉なんかに行くイメージでいたが、話を聞くとシンガポールに行くとかいう話になっていた(たまたま2人で話していたらしい)。
旅費なんかも密に調べてくれていた。言っても目玉が飛び出るような金額ではないものの、妻子もいる中で、正直シンガポールに行くだけの金銭的な余裕は全くない。
が、妻子持ちなのは俺以外の3人も同じだし、おそらくお金のことを気にしているのは俺だけなんだろうなと思う。
なんとなくだが、今回の旅行を断ってしまったら、いよいよ3人と俺との関係はもう終わってしまうような気がする。
もう明らかに属している社会の階層が違うということは気づいているのに、それでも背伸びしてしがみつくべきなのか、正直言ってわからなくなっている。
ただただ一緒にいて楽しかったはずの4人なのに、どこで間違えたんだろうな。
こういう人がいます
例「モップで野菜切っておいてもらえる?」「なんでモップなの?」「モップって野菜切れますよね? 知らないんですか?」「野菜を切るのに使うのは包丁では。モップってお掃除に使うものじゃない?」「あ、すみません包丁だ」みたいな(実際もっと要領を得ないことを言うのでこれより時間かかる)(あと上から目線が途中よく入るので結構頭にくる)
今度打ち上げやるんだけど、この人も出ようとしてくる(しょうがないけどさ)
もうすでに場の雰囲気も悪いし、なんとかしてこの人が参加しないようにするいい方法はないかな ないよね
長文ごめんね 読んでくれてありがとう
===
お昼食べてたらコメントいっぱいきてた。ありがとね
そうだよね それはわかるなあって思った
不具合と聞かれると問いとはズレるかもだけど、他人の成果や頑張りを軽々しくウエメセで批判するようなことを飲み会のノリで言うのかな〜という不安な気持ちがあるってだけで(まあ気苦労でしかないんだけど)それでもみんないい大人なんだから楽しく飲みたいのにねえって感じ。
>OSS
エンジニアの人かな? 自分も某ライブラリに参加したことがあるよ、お疲れ様です OSS活動楽しいよね
確かにおっしゃる通りで、能力も協調性もない人はさようならってやれたらよかったなあって思いました
(全員出身が一緒なので、そういった同郷ゆえというか、身内の情があったとは思う。甘かったね)
TBでもコメントしておいたけど、最初から喧嘩腰で他の人にも口汚く書くのはやめてほしい
>出禁
そうなんだよねえ もうこれきりのモノづくりだろうし、他の人とも話してて「もう気の合うメンバーだけで仕切り直しでもいいかも」といったことも言われてて悩んでる
簡単な内容だが読みにくい文章。それは客観視の弱さを示唆する。読者の視点が無いからだ。
そして客観視の弱さは、
ひいてはコミュニケーション能力の弱さに繋がる。
以下無断校閲。
中学生くらいの頃まで怒り以外でどうやって自分の感情を示せばいいかわからなかったし自室でものにあたっては最終的に涙が出てくる、みたいな感じだったし
一文が長すぎ。「わからなかった」で区切るべき。
なぜか?この部分の主語がないからだ。読者は補完する必要に迫られる。それは読みづらさに繋がる。
また、最後の「みたいな感じだったし」は不要。なくても伝わる。
自分の補完に基づき、以下のように直すことができる。
"中学生くらいの頃まで、怒ること以外でどうやって自分の感情を示せばいいか分からなかった。
その怒ったときでさえ、自室でものにあたり散らし、最終的に涙が出てくる始末。"
読点を入れ、表現を一部変更した。だいぶ整理されたのではないか。
他:
基本的に文章を書くとき、一文のうちに出来事や事実を何個も盛り込むと読みづらくなる。1個もしくは2個にとどめると読みやすい。
これは人と話すときもそう。
そして、これを実践するためには「自分が今何を考え、何を伝えようとしているか」を言語的に認識する必要がある。
まず、自分をよくよく観察し、言語的に認識することが必要である。
以上の内容は、昔読んだ「シンプルに書く!伝わる文章術」と、「新しい文章力の教室」の受け売りなので、興味があればどうぞ。
ちなみにこの文書は書いては見直し、いらんところを削り、分かりづらいところを書き直し、長すぎたら分割改行……を繰り返して書いてます。
つまり、一発でばばっと書いたわけではないです。
それじゃあ、頑張ってください。
https://dic.pixiv.net/a/%E6%B1%9A%E3%81%84%E5%BF%8D%E8%80%85
ネ実板にきょうきょ現れた現人神。独特な言語センスで絶大な影響力を誇っている(リアル話)。
汚い事をする忍者とネガネガする侍がぶん殴りたくなるぐらい嫌い。
グラットンソードという思考の剣を持つ最強のナイト(グラットンは尖った部分が多く間隔が長いから遠くまで届く。色も黒いからダークパワーが宿ってそうで強い)。
FFではナイトだが、リアルでは光属性のモンクタイプなのでパンチングマシンで100とか普通に出す。
非モテの友人の為に合コンをセッティングしてやるしがないエリートリーマンでもある。
東方Projectとクロスオーバーしている場合もあるようだが両方とも二次創作話であり、拒否反応を示す人も稀によくいるらしい(してはいけないと言っているわけではない)。
不用意に話題に出すと相手は「ウザいなお前ケンカ売ってるのか?」と怒りが有頂天になることが決まっている。
是非ともブロントさんの謙虚さと気遣いを尊敬して、空気を分かっているところで振舞うのが真のブロンティストだろうな(この辺りの気遣いが人気の秘訣)。
この文章、名詞だけ入れ替えたら暇空さんの説明文作れそうだなって思った
Xにきょうきょ現れた現人神。独特な言語センスで絶大な影響力を誇っている(リアル話)。
汚い事をするColaboとネガネガするカルピスがぶん殴りたくなるぐらい嫌い。
認知プロファイリングという至高の剣を持つ最強の探偵(尖った部分が多く間隔が長いから遠くまで届く。色も黒いからダークパワーが宿ってそうで強い)。