はてなキーワード: 民主集中制とは
https://twitter.com/EriHirakawa/status/1623609723651260416
一般の人には「党内では自由に議論できるが党外に向けて言うのはNG」という共産党の理論は受け入れづらいと思うけど、共産党は巨大な官僚組織であることを理解すれば腑に落ちると思う。
これに好意的なブコメやリプライが付いているが、これは共産党を好意的に見すぎている。
確かに一般論として、官僚機構は上位の決定には従わなければならないとされている(例:国家公務員法98条。但し法令の範囲内)。そして、内部的には自由な議論が許されているのはこの方の御指摘の通りだ。
ただ共産党内における自由な議論というのは一般的な意味の自由な議論と全く意味が違うので、この方の結論は誤っている。その理由を日本共産党規約から見ていこう。
第三条 党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主集中制を組織の原則とする。その基本は、つぎのとおりである。
(一) 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
なるほど、確かに(一)で自由な議論が許されているように見える。ただ、ここで重要なものは(四)の分派の禁止だ。
(一)で自由な議論をしても、それが党の意見として採用されるためにはその意見が党内で主流か、少なくとも有力なものとならなければならないのは自明だろう。
その過程の中では、当然、はじめは少数意見だったとしても、その意見に賛同する人が出てくる。
ただ、共産党の場合はこの多数派形成を分派として否定してるので、党内における自由な議論というのが全く意味をなさないものになっているのだ。
党内における自由な議論とは、自由な議論の結果、誰もが党中央の意見に同意することを指しており、それ以上でもそれ以下でもない。
これは、特に課長補佐以下からのボトムアップが特徴的な日本政府の官僚機構とは対称的である。
つまり、以下のようにまとめられる。
○一般論として、官僚組織は外向けには一枚岩であるが、内向けには自由な議論がある、というのは正しい。
○ただし、共産党の場合、内部でも党中央と異なる意見を言うと、分派と見られ排除される。
○よって、共産党内部での自由な議論とは党中央に全面服従することに他ならない。
○なお、これを民主集中制という。
素直に「ごめんなさいやっぱ公選がいいですね」とは言えない状況でしょ
組織が硬直しすぎて何をするにしてもなんらかのドラマがいる状態。
本人たちは大真面目なんだろうからヤラセではないけど周辺を含めた流れはある種の目的に沿った動きをしているように思える。
志位本人はもうすでに党勢拡大する能力が無いのは明らかだけどそれを本人が認めた時点で党内の事実として確定してしまう。
民主集中制でやってきた党の上層部全体の責任でもあるので上層部側としてもそれは望んでなく自発的に志位下ろしをやる空気ではない。
志位が辞めることに「ポジティブな意味」を持たせられるじゃん。
共産党は変われる!みたいな。やってきたことの責任、それの総括といったことよりも「代わる」ことそのものに意味を持たせられる。
すでに共産党のコアな支持層は自分で考える能力を失ってるので赤旗に適当なストーリーを載せておけば満足するしそれ以上の行動には出ない(そういう脳はもう退化してる)
党外のぼんやりした支持層も、「共産党の本質的なヤバイ部分」を志位が下りるという三文芝居みたいなドラマで塗り替えて、昔どっかでみたような「劇場型」でとりあえず留飲を下げるだろうという狙いなのでは?