はてなキーワード: 民主的とは
その中でも個人的に注目している思想を“テキトー”に列挙する。
・EA(Effective Altruism)(効果的利他主義)
世界で最も差し迫った問題とそれに対する最善の解決策を特定することを目的とする。
https://forum.effectivealtruism.org/handbook
リスク:難しい、遅い
・E/Acc(Effective Accelerationism)(効果的加速主義)
X(旧Twitter)上で2人の匿名アカウント(ベフジェゾス等)によりEAの対抗して創立されたミーム。
リスク:危うい
・d/acc(Defensive or decentralization, differential acceleration)(防御、分散化、民主的、差別化、加速主義)
Ethereum創設者のヴィタリックブテリンにより提唱された。
https://vitalik.eth.limo/general/2023/11/27/techno_optimism.html
AIやCrypto等様々なテクノロジーを使ってEAとE/Acc両者のリスクをバランス良く防ぎ、非央集権的で民主的に未来を維持する!!
(2023.11.1 決議)
何年も通らなかった住民監査請求が通る程度の不備が認められ、表3と言う裏帳簿により請求人の要求は退けると言う体裁を保ちつつ、それでもがっつり表3の不備を勧告された事を意味がないと取るのはおかしいでしょ。
これは総合的に言って、暇空の指摘通り会計に不備があり、全てデマと言う指摘こそ覆された事になる。
これは十分に大きな事で、左派メディアや共産党やらが逆の立場だったら間違いなく執拗に突っ込んでモリカケ問題よろしく大問題にする話だぞ。
あと、暇空の最大の公益と言えば困難女性支援法有識者会議の解散だろうね。
レス増田が知ってるかどうか知らないけど、暇空の言う公金チューチューはここから産まれたようなもんだ。
誰もColaboに突っ込まず、困難女性支援法の有識者の中心メンバーとして仁藤さんが居続けて、その意見がそのまま通り、困難女性支援法が正式に稼働していたら…今日の様子を見るに日本共産党を初め左派メディアも党派性からその中身には触れなかったろうし、ガチで公金チューチューが完成していた、なんて事態になってたかもね。
まあ、常識的に考えたら流石に行政に弾かれるほどに酷い内容だったのだけど。それでも有識者として集められた面々だからその中で民主的なルールに則って決めましたなんて体裁を整えられていたら、どんな内容であれ通っていたかもしれない。
知らなかったらググってみてね。困難女性支援法有識者会議 仁藤構成員とかで出てくるんじゃないかな。
ざっくり言えばスタッフ含め個人情報保護の観点からあらゆる事業内容はブラックボックス化するけど行政は金を出せと言う話だよ。
困難女性支援法に携わる事業者はColabo等有識者が認めた女性代表の業者に限りますとかね。自分たちの王国でも作る気だったんだろうか。もしそんなものが全国展開してたらと思うとゾッとする。正確な公金の流れが益々わからなくなりそうな話だった。
また他にも、これまでオンブズマンや共産党、マスコミが使役していた情報開示請求や住民監査請求と言った市民の権利を本当に一個人で使って動いたと言う事の意味も大きかったろうね。
一般人がネットの出現で情報発信力を持つのと同じように、個人が行政の公金事業やらを監視できる流れを後押しする事の意味は、これも本来なら左派こそ迎合する流れに他ならないと思うんだけどな。
暇空には非公益的な個人への過失も広く知られてる通り十分にあり、それはそれで暇空の責任なのでしっかり裁かれれば良いとして、見る角度を変えれば公益性は十分ある。
仁藤さんにも色々と挙げたように何やかんや公益に反する過失がありながらも見る角度を変えれば女性支援者のエキスパートとして実績があり、それで救われた人も居るんだろう。困っている人物を救っていると言う公益性は簡単に否定して良いものではない。
要は公益性が全くないなんて見る角度が悪いだけの話でしょう。
詭弁で草ァ!
国連で採択されたら先祖代々暮らしてきた土地奪われても受け入れろって?
んなアホな話あるかい!
ちなみにこれ投票結果な
賛成国33
ウルグアイ、エクアドル、グアテマラ、コスタリカ、ドミニカ共和国、ニカラグア、ハイチ、パナマ、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラ、ペルー、ボリビア、アイスランド、アメリカ合衆国、オーストラリア、オランダ、カナダ、スウェーデン、デンマーク、ニュージーランド、ノルウェー、フランス、ベルギー、ルクセンブルク、ウクライナSSR、ソビエト連邦、チェコスロバキア、白ロシアSSR、ポーランド、リベリア、南アフリカ共和国、フィリピン
反対13
アフガニスタン、イエメン、イラク、イラン、インド、サウジアラビア、シリア、トルコ、パキスタン、レバノン、ギリシャ、エジプト、キューバ
アルゼンチン、エルサルバドル、コロンビア、チリ、ホンジュラス、メキシコ、中華民国、エチオピア、イギリス、ユーゴスラビア
えっえっ賛成国みんな遠くて草ァ!
お前ら関係なくね😂
「アラブさんアラブさん、世界の嫌われ者押し付けていい?いいよね?民主的に投票したからね?はい、決まり!じゃ、土地もらっちゃうね〜」
草ァ!そらキレるだろ😂
日本の男性をとりまく環境のレベルが3(男性の主観的生活のしやすさは15〜30くらい。搾取で成り立ってるなど民度のレベルが3。下位+高齢男性の民度は3だが、上位/若い賢い男女の民度水準は15〜30に近づいていると思う)、
日本の女性をとりまく環境のレベルが-15だとすると(特に性の扱いや妊娠出産において地獄)、
日本のフェミニストが参考にして取り入れようとしてるアイディアというのは民度20とかなんだよね。もちろん、自ら望み行動し勝ち得るのが民主社会なので、当たり前の権利の行使でしかないから何の問題もない。
ただまあそうすると日本の高齢男性が自ら作り上げてきたバカ国家の民度3世界を民度や教養という水準で大きく上回る。生活のしやすさが高いだけに変わる気にならないのだろう。これも、自ら望まず変化を実現しない自分たちの民主的選択であって悪いことでも何でもないのだが、民主主義を理解できない知能や教養に乏しい男や下位男性は自らの低い民度のせいで民度3世界に住んでるわけだから変に見えるのかもな。側から見ると自業自得で自分らで作った地獄を自ら喜んで維持存続してるだけなのだが。フェミニズムへの当てこすりみたいなアホ願望を実現させようとする輩もいるが、とにかく思想の民度が低い。経済でもそうだが、人を喜ばせない民度低いビジョンや変化は反対に合うので実現しない。
まあ、このまま、女性たちが高い民度20生きやすさ20くらいの社会を作り上げると、日本全体の教養や常識や考え方を大きくレベル上げすることに繋がって民度自体が高まることができるんじゃないかなと思ってる。今の日本はアホすぎて生活保護叩きとかしてる民度3多すぎだからね
フェミニズムの実現によって、日本社会の多数派が生活保護の意味などの現代人類の常識を理解できるようになり民度が高まったら、そこから男性社会の民度も底上げされていくかなと未来予想している。
とりあえず、日本がマトモ国家になるためには、戦う相手は多すぎるのだが、そのほとんどは老害男性なのだが、フェミニズムを進める男女や有識者が、フェミニズム普及のプロセスを経るうちにいかにして有識者が社会に貢献すべきだったのか、今から何をするべきなのか、民主主義はどうすればよかったのか、に気付いてくれて他の分野の問題解決にもつながる可能性に期待している。
民主主義のために必要な前提条件とは、国民が自由に意見を表明し、政治に参加できることです。また、国家権力が法によって制限され、人権が尊重されることも重要です。
民主主義は古代ギリシャで生まれた政治思想で、多数者の支配を意味します。しかし、その後は衆愚政治や権力の乱用といった問題が起こりました。近代になって、自由主義や社会主義などの思想が民主主義に影響を与えました。
民主主義にはさまざまな形態があります。直接民主制は国民が直接政治に参加する制度です。間接民主制は国民が代表者を選び、その代表者が政治を行う制度です。自由民主主義は個人の自由や市場経済を重視する思想です。社会主義は経済的平等や社会的正義を重視する思想です。
民主主義は世界中で広く受け入れられている政治理念ですが、実際に民主的な国家は少数派です。人口比では3割に過ぎません。民主主義の実現には多くの困難や課題があります。例えば、政治的不安定さや暴力的な紛争、経済的格差や貧困、社会的差別や偏見、教育や情報の不足などです。
民主主義は人間の尊厳や平和を守るための価値ある理念ですが、それを実現するためには国民の意識や行動が必要です。また、国際社会の協力や支援も重要です。民主主義は決して完成したものではなく、常に改善や発展が求められるものです。
Shin Hori氏の「なんとなく社会福祉だけはあってほしいアナーキスト」というパワーワードが話題になっている。
ttps://twitter.com/ShinHori1/status/1686574496952758272
個人的な仮説だがこのパワーワードの起源は、旧社会党の綱領的文書であった『日本における社会主義への道』(以下、単に『道』と略す)にあるのではないかと思う。
『日本における社会主義への道』第一章第一節(3)福祉国家論批判
ttp://roudousyaundou.que.jp/syakaitou_015.htm
(中略)
もとよりわれわれは彼ら(引用者注:資本家側)に譲歩を要求し、西欧先進諸国に比しいちじるしく立遅れているわが国の社会保障等をさらに前進させなければならないが、その彼らの譲歩にも「利潤の枠内」という厳然たる限界のあることを明確にし、またこれらの分配における部分的譲歩によって、基本的な生産関係における労働者の民主的要求を眠らせたり、勤労諸階層の革命的エネルギーを後退させたりすることのないようにしなければならない。
上記の引用文の「彼らに譲歩を要求し...」が、「社会福祉だけはあってほしい....」の起源ではないかと個人的には睨んでいる。但し『道』においては、この後に続く言葉は「アナーキスト」ではない。では何なのか。
同(3)
したがって、福祉国家論に対する闘いは、資本家の譲歩を一層拡大し、国民の要求と民主主義的進歩をかちとっていくなかで、資本主義の下では真の意昧での福祉国家は実現されないことを明らかにし、さらに革命を通じていわゆる福祉国家の限界を突破した社会主義にむかって前進しなければならないのである。
つまり、「社会福祉だけはあってほしい....」の後に続く言葉は、「資本主義。但し、その資本主義は社会主義化のつなぎに過ぎない」ということになる。
ちなみに『道』でいう社会主義とは、ソ連や中国とは異なる社会主義だそうである(詳細は同第二節「社会主義の原則と基本目標」を参照)。
『道』が示唆している考え方は平たくいえば、「福祉を拡充できるだけ拡充しろ。でも、給付と税負担の関係などトレードオフは考えない。だって、資本主義はどの道、社会主義に取って代わられるのだから」というものである。これは一見すると荒唐無稽な無責任に見えるが、実は筋が通った無責任である。例えば、3か月後に取り壊す予定の家に対して丁寧にメンテンナンスする必要はなく、好き放題して改造したり掃除をサボったりしても問題は起きないだろう。『道』の起草者たちにとっては、資本主義は3か月後に取り壊す予定の家のような仮初めのものであり、その維持に注意を払う必要性を感じなかったはずである。
『道』が旧社会党で承認を受けたのは1964年であり、まだこの時期の日本では社会主義化がリアリティーある構想であったことに注意する必要がある(日本が世界第2位の経済大国になるのは1968年)。問題は、資本主義が仮初めのものではなく、将来的にも社会主義化をしないのならば『道』の考え方はどうなるのか、である。
『道』を読むと、資本主義下での議会制民主主義に対するネガティブな評価が目につく。
http://roudousyaundou.que.jp/syakaitou_019.htm
したがって、現存するブルジョア民主主義としての議会制民主主義を、勤労大衆は、形式にとらわれて、すべてがそのまま、価値あるものとして考えてはならないのであって、そこに資本家階級の支配が貫徹している支配機構としての側面を見抜かなければ、基本的な誤りをおかすことになる。
先の「筋が通った無責任」と相まって、これが左派知識人に無責任体質の種をまいたのではないかと、個人的には推測している。
『道』策定時は社会主義化がリアリティーある構想であったが、時代が下るにつれてそれは荒唐無稽になっていったと思われる。そのため、おそらく1970年代末以降は「但し、その資本主義は社会主義化のつなぎに過ぎない」の部分が忘れ去られた一方で、議会制民主主義に対するネガティブな評価は雰囲気として後世の左派知識人に継承され、「なんとなく社会福祉だけはあってほしいアナーキスト」を誕生させたのではないか。「但し、その資本主義は...」を忘却し、議会制民主主義に対するネガティブな評価を雰囲気として継承された点が、「なんとなく」の部分として凝縮されているように思う。
『道』に通底する時代精神あるいは社会認識が、「貧困の文化」ならぬいわば「無責任の文化」を日本の左派知識人の間に醸成させてしまったように感じられるのである。