はてなキーワード: 民主制とは
・"歴史は韻を踏む"、"類似している"と表現し、共通点も具体的に述べ、その上で今後起こるであろうことを類推したまで。安易な"同一視"ではないことが分かるよう、こうして慎重に言葉を選んで筋道立てて書いたつもりだが、伝わらなくて残念だ。
・面白がっているのではなく、今の政権の言動に危機感を抱きつつも、長い目で見た時の社会の良識や自浄作用のようなものをある程度は信じているんだよ。
・とはいえ、日本ほどの高齢化社会は人類史上初の事態だ。ピラミッドどころか肩の張りだした壺のような形になった人口構成は、日本社会が危機に対応する力、危機から立ち直る力を急速に奪っていく。中国の覇権主義も日本にとって脅威となる。内憂外患は当分晴れそうもない。四半世紀単位で見れば、最悪の場合、日本では財政危機が起きたり、民主制が消滅したり、戦争や内乱で国家が分裂したり消滅したりする事態もあり得ると自分は思っている。もっとマイルドな未来が実現してほしいと願っているが、高度経済成長期のような右肩上がりではなく、最善でもどちらかといえば右肩下がりの時期が続くことはまず間違いない。
日本人が一個人として出来ることは限られていると自覚した上で、個々人は身の振り方をよく考えるべきだろう。ミクロな現象はマクロな現象に対して正面からぶつかったら勝てないのだから。政府の馬鹿げた言動には可能な限り掣肘を入れていく一方で、いざという時にどこでも暮らしていけるような備えと強かさが欲しい。
【同一視】
《名・ス他》差があると考えず、おなじと見なして取り扱うこと。
Oxford Languagesの定義
【類推】
《名・ス他》一方が他方と似る(幾つかの)点に基づいて、(既知の一方から)他方の有様を全体的に推し測ること。類比⑵。アナロジー。
「―解釈」
Oxford Languagesの定義
なんか事あるごとに旧日本軍の失敗事例持ち出すのってどうなんですかね。右も左も日本はあのころから何も変わってないみたいなことばっかり言って、政府批判して面白がってる。インパールがどうのとか言うのって聞き飽きてきたな。安易にあの時代を現在と同一視していいのかな。
コロナ対策に関しては、まずアベ政権もスガ政権も、何をするにも泥縄で戦略性や計画性が無い。
具体的には、法律で強制しなくてもお願いベースでロックダウンに近いレベルの自粛をしてくれる稀有な国民性を活かせず、中途半端な水際対策と中途半端な緊急事態宣言の繰り返し、およびワクチン調達/流通の不手際続きで感染拡大を繰り返した。どさくさにまぎれてオトモダチには利益誘導し、民主制をないがしろにして独裁化を推し進めようとするおまけつきだ。
政府のお願いである緊急事態宣言も三回目くらいまでは国民が聞いてくれたかもしれないが、優柔不断と責任転嫁と嘘と恫喝にまみれた政府への国民の信頼はゼロに近付きつつあり、五回目ともなればその効果が薄れるのは必然だ。スガ政権への不支持率は50%前後、支持率は30%前後と危険水域に達している。
1.党内民主制がない
民主的なプロセスで党代表を選出する仕組みがなく、N国レベルのガバナンスである点
いくら綱領に「民主主義革命を実現すること」と書いていても党内民主主義がないのでは無理がある。
共産党は女性議員を大量に擁立しているが、衆議院では男性幹部が比例単独で上位名簿に乗るなど、年功序列感が強い
3.全体主義
玉木が言ってたけど全体主義。
選挙アンケートで所属議員が全員同じ答えとか、議員から幹部への批判がないとか、党内議論をオープンにしないとか、全体主義的で集権的な党運営をしてる。
他にも外交防衛とか経済とか色々あるけど、結局民主的な政党じゃないから。
いくら「民主主義を大事にする」「中国共産党やソ連とは違う」と言っても無理があると思う。
小選挙区制の辛いとこね、これ。
オトモダチへの利益誘導、隠蔽改竄、国会軽視、閣僚の贈収賄、官僚/メディア/企業に対して人事権等を振りかざした恫喝、検察庁法案etc
それら自民のしているブラックだったりブラックに近いグレーだったりする民主制と法治に対する破壊行為を棚に上げて、こうなったのは野党のせいでもある!って、それ、笑うところだよね。
アメリカ民主党は共和党支持者でも納得する確率が高いバイデンでまとめたぞ。
そしてバイデンはトリプルブルーになっているのに、左派に引きずられることなく共和党支持者にも配慮してバランスを取って政策推進をしている。
分断がこれ以上ひどくならないように努力してるわけだ。
そういうことを野党側がやらないから有権者の選択肢が奪われてると思わないのか?
・国家の緊急事態級の災害に関しては自民の対応はクソだ。東日本大震災の時に安倍が政権を担当していなくて良かったと、心の底からそう思っている。コロナ対応でもおそらくは安倍や菅より当時の民主のほうがいくらかマシな対応をしたであろう。
・経済政策については民主より自民のほうがマシ。ただし、ETF買い等の金融緩和頼みの経済政策はそろそろ限界。成長企業/産業育成や少子高齢化対策、また、それに伴う財政改革に注力しないなら自民であろうとその他の政党であろうと、長期的に見れば目くそ鼻くそ。
・民主制と法治の尊重については圧倒的に自民が劣後している。この点で前政権と現政権は腐りきっていると言って過言でない。今のような自民を与党にし続けると、遠くない将来、日本国民は民主制と法治を失う。
・軍事や国際政治は首相の才覚に依る部分が大きいように思う。この10年ほど、まともな国際感覚と外交能力を持った人間が与野党ひっくるめて、少なくとも表舞台にはあまり登場していない。現閣僚の中では強いて言えば河野さんがそこそこ良いかもしれない。菅はこの分野に関しては鳩ぽっぽに辛うじて優る程度。
こうした要素ごとに優劣がある。したがって、どこを支持するかは、何に目をつぶり、何を優先するかだ。
自分の場合は、日本経済の衰退が多少早まろうと、災害で政府がまともな対応を取らないことや、民主制と法治を失うことのほうが怖いので、今の自民を応援するつもりはない。
発想が逆。「なぜ日本のチームは政治に参加しないのか」という問いの立て方が妥当。
欧米に端を発するプロスポーツチームの起源は古代ローマにまで遡る。
そこではスポーツは民主制における人気取り合戦の道具であり、選手団は議員の誰を支持するかを明言することが求められた。
もちろん単純にはパトロンに対して義理立てをするのだが、逆にそういった明確なパトロンが無い選手団も、人気取りのために政治を利用するようにもなる。
政治発言は支持者を作るための有力な手段であり、自分の名望を政治戦に使っていいですよというアピール。
「スポーツ」とはそこまで含んでいるがゆえに単なる趣味より力を持つ。「eスポーツ」入りを目指したいゲーマーがこれを行うのは当たり前。
あるいは、オリンピック続行に反対だが、選手は応援したい、というジレンマ。
全国的に感染が急拡大する中、こうしたジレンマに悩んでいる人、多いと思う。
wikipediaによると以下。
認知的不協和とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。
オリンピックに反対であるがゆえに、応援もしない、さらには選手を軽蔑する、という形で自分自身の内心の一貫性を持たせようとする心的な傾向は、まさに日的不協和の典型例なんじゃないだろうか。
しかし、近代社会というのは、個々人の内心が一貫していることを求めるものでもなく、むしろ個人の好みと社会にとって正しいと思うことがぶつかり合うことを前提とした制度設計がなされている。
例としては、うなぎは大好物だが、乱獲は抑止すべきだ、とか、プラスチックは便利だがプラスチックごみは規制すべき等も思いつく。
自分の欲求と社会のありようが完全に一致しているひとはまずいないだろうし、ありとあらゆる社会問題は、自分のなかに矛盾した形である、個々人の選好と個々人の描く社会の在り方(正しさ、善)を調整する営みなんだろう。
うなぎの例でわかるように、「したいこと」と「よいこと」が矛盾した認知的不協和というのはごく当たり前の心理状態であり、大好物という認知と乱獲防止への政策支持の不一致を解消する必要はない。
うなぎは好きで食べるけれども、乱獲防止政策に賛成という態度はあって当然のこと。むしろこの二重性がなければ、公共的判断は成立しない。
うなぎを食べながら規制に反対する、というのも、認知的不協和の解消方法のひとつといえる。人々が矛盾を抱えたままで「正しいこと」に合意し、公共判断を下せるのは、とても合理的な制度設計だ。
そう考えると、現代の民主政が直接ではなく間接民主制なのか、納得がいく。
個人的には好きではないけど自分が社会の在り方として正しいと思っていることを代表者が討議し、社会として選択する、という場が必要になる。
そうなると、意思決定者にも、討議に参加する代表者にも、欲望だけに囚われない、人間的にも理性的にも分別のあるマトモな人間であってもらいたい。
近代の民主主義を築き上げた初期の人たち、例えばアメリカの建国者のひとりジェファーソンは、
公共的な討議の場を設定するためには、市民としては、そういう矛盾する認知を整理し、公共的課題を自分の欲求から分けて考えることができる分裂症的気質こそ、民主政に必要な市民の資質だと考え、他方、代表者(議員)に必要な資質をアリストクラシー(自然的貴族)と呼んだ。
しかし、一般市民としては、自分のなかの矛盾に耐えられない、というのが当たり前。
社会はこうあってほしい、という思いと、自分はこれが好きだ、という、ふたつの矛盾する認知に直面したとき、
ふつうの人々は、自分の内面を整理するために、どちらかの認知に一貫性を持たせるよう、知らず知らずに認知を修正してゆくことになる。
今回のオリンピックの例でいえば、特に運営側の闇の側面をいやというほど見せつけれられてきたので、人々のオリンピック嫌いが加速し、中止または延期の世論は7割以上になった。さらに、自分のなかでの論理的一貫性を保つために、選手にも賛同しない、という考えすら生まれてきたのは周知のとおり。
オリンピック選手に対するある種の攻撃的な感情は、こうして醸成されてゆく。
社会の規範に合わせて自分に対して一貫性を要求しがちな日本人は特に、自分の欲求を我慢するのはストレスなので、場合によっては、自分だけではなく、他人にも一貫性を強く要求するようになるからだ。
別の例を挙げれば、60年代にセクト化が加速したサヨクの動きが典型例。
また、原発反対するなら電気使うな、オリンピック反対するなら、テレビをみるな、といったよくある論法も、同じ認知の一貫性を他人に求める一例。
サヨクのみなさんは、極端に走り勝ちで、じゃあ電気をつかわない、といって原始人のような生活を始めたりもしてしまう。
自分のなかで一貫性を持たせようとして、あえてオリンピックをみない、応援しないといった姿勢を貫こうとする人も少なくないようだ。
党派性それ自体は、個々人の選好が異なれば自然発生的なものだろうが、
それが過激化するのは、認知的不協和へのストレスのほかに、もうひとつ社会的な原因がありそうだ。
ますます両極化が進んでいき、相手方の一貫性のなさを批判し合うようになるまでには、認知的不協和を解消しやすい立場の人とと
そうではない人たちとの分断が背景としてあるのかもしれない。
コロナ対策では人流の抑制が課題なので、パンデミックが始まった一年前、ステイホームが大きく取り上げられた。
しかし、ステイホームできない、したくない人たちの現実、そして経済再開を望む多くの圧力を前に、
次第に言葉の力は失われ、今では行政も政治家も口にしなくなってしまった。
もっとも同時に、自粛警察もあんまり姿をみなくなったのは喜ばしいこと。
ステイホームができる人と、できない人の立場の差。それを声高に叫べば叫ぶほど、軋轢を生み、社会の分断が加速する。
思い出すのはベトナム反戦運動。ベトナム反戦真っ盛りの60年代のアメリカでブルーカラーと呼ばれる労働者階層が、ベトナム反戦に熱を上げる若者たちに
反感を抱いたのは、自らは徴兵されず、安全な場所から口だけ反戦を叫ぶやり方が気に食わなかったからだ。
コロナ禍でのステイホームのムーブメントでも、それと似たような分断が生じたように思う。
自粛、在宅など社会に貢献できる人々と、ステイホームという形では絶対に貢献できず、むしろ足を引っ張ってしまうようにも見られてしまう業界。
それが特に浮き彫りになったのが、エッセンシャルワーカーというカテゴリからこぼれ落ちた飲食業界だ。
オリンピック選手もまた、一般人以上に、社会の安全と自己実現との間の認知的不協和に引き裂かれ、なおかつ、オリンピック反対派の標的にされるという意味では、深刻な犠牲者だろう。
以上の話は、人々のジレンマを構造的にとらえたらどうかな、という試みだけど、
自分自身が考えた正しさは、オリンピック賛成であれ、反対であれ、現在の自分の社会的立場のなかで認知的不協和を解消しやすい形で論理化されたものであり、
知らず知らずに自分の都合のいいように、正しさの論理的一貫性がアピールされているに過ぎない。
しかし、そんなふうにと口でいうのは簡単だが、ふつうはそんな悟りを開いたようなことはいえないし、そんなもの誰とも共有されない。
重要なのは、こんなふうに構造化して達観する、というか、悟りを開け、ということじゃなくて、
オリンピック観戦は選手の思いを知る絶好の機会。オリンピック反対がトーンダウンした、という論調もあるようだけど、
そうではなくて、自分的には反対は反対だけど、選手たちの置かれている立場もわかって、攻撃性が選手に向きにくくなったということだろう。
飲食でも、これまではタレコミにも怯え、苦しめられてきたけれど、最近は、ある意味、腹を括ったお店も多い。
タレコミも減ってきたという声もきかれる。
こうした寛容さは、行政の飲食業界への不十分な手当が報道されたり、飲食の場で実感することで、人々の認知が再修正された結果だと思う。
人々の認知には多様性が生じるものの、異なる立場の姿が可視化されることによって、自分のなかで矛盾する二つの認知をよりクリアに整理することにつながる。
こうして考えてみると、自粛要請をベースとした日本流の政策は、人々の認知が多様になるとかえって不都合なのがわかる。だからこそ政権与党は、人々が同じ方向を向きやすいタイミングを狙って、オリンピック直後の選挙を好機とみたりするのだろう。
自粛要請は、政策決定(ルール)に従う形で自分自身の好みという認知的不協和を解消しようとする日本人のメンタリティと、同じ社会の構成員にも同じ一貫性を要求したがる相互監視のムラ社会的なメンタリティが合わさって発揮して初めて効果的だといえるけれど、昨今のオリンピック運営のゴタゴタにみられるように、公共的なルールや判断への人々の不信感が強まると、必ずしも政策決定者に都合のいいような仕方で人々が一丸となって、認知的不協和を解消してくれるとは限らなくなる。
などと、都合のいい解釈で認知的不協和の解消を政策決定者自らが行うとなれば、
人々は、ルールへ従うことの意味が不明瞭になり、ああ、結局、好きなようにやっていいんだな、という思いを強め、相互監視は機能せず、自分の生活を変えることなくコロナへの懸念も自分の認知のなかで両立させてゆくだけだ。
しかし、現実には、2020年4月に実現した日本人一丸となったステイホームは夢のまた夢だし、飲食業界は我慢の限界をとっくに超えているしで、
人々はデルタ株猛威の現実にピンときておらず、人によって温度差のある、かなり適当な自粛をしつつ、コロナから目を背けられる絶好の機会とばかりにオリンピックに夢中になっている。
自粛に頼った政策は、結局のところ、オリンピックへの賛否が開催とともに揺れ動いてきたことに典型的に表れているように、認知的不協和の解消の仕方に多様性が出てきた瞬間、崩れ去ってゆく。「コロナは心配、、、」といいつつ普段通りに暮らす人々であふれかえるだけだ。
本来の政策というのは、そんな人々の認知(世論)など無関係に、討議されるべきであるし、人々は討議の結果に対して法的な拘束力を受け入れるべきだ。
例えば、自分の考えと相反していても、オリンピックは応援しているし、これからもしたいが、もし中止という政策決定がなされるならやむを得ない、
あるいは、オリンピックは懸念しているが、もし続行という政策決定がなされるならやむを得ないという態度でいられるほどに、政策決定者への信頼が重要になる。
「ほらみろ五輪楽しんでいる奴らが増えただろ」などという次元で政策を決めるべきではない。
むしろ「個人としては五輪は楽しんでいるけれども、政府には感染対策として中止するなら、中止を決定してもらいたい」という、ジェファーソン流にいえば分裂症的な市民の判断を見極めたほうがいい。
しかし残念ながら、いまの政権にはそうした信頼が全くといっていいほどない。
いつどんな判断をするか、全くわからない。データは出さない。モニタリングもしない。事実に基づかず楽観論でしか答えない。
将来シナリオを示さない。予測や分析を共有しないから、いつも唐突に首相が何かを決心したかのように物事が決まって、人々がついていけなくなる。
池江選手に対して五輪出場の辞退を促すようなSNS上の問題が取り沙汰されたり,
強硬開催がコンコルドと同じ轍を踏むことに当たるのか否かが議論されたりしているが,あまり本質的でない気がする.
アスリートに五輪開催に関する意図を問うことはお門違いに他ならないし,
かといってそういう論理を飛び越えたSNS上の暴走を非難したところで,もともと論理を飛び越えているんだから意味がない.
五輪のサンクコストを議論している人たちにしても,たしかに損切りした際のコストは見積もりが立つ.
しかし,継続した際の展望に関しては感染リスクや人命のみならまだしも,
国際的な信用,国民の医療に対する信頼感,医療従事者のモチベーションなど計上しがたい要素が多すぎて単純な比較もままならない.
こうやって議論が無遠慮に飛び火したり拡大したりしていくのは,開催するのかしないのかがいまだに不透明であるからで,問題の本質はそこ以外にないだろう.
一年延期してからの東京オリンピックは開催するにしろしないにしろ,血が流れることに違いはない.
ただ間違いなく言えることは,決断が遅いと流れる血が増えるということだ.
”多少国民を犠牲にしてでも開催による一部権益者への利益を優先する” とも
"自身の政治基盤や一部の権益との関係を損ねても,国民の命を優先する"とも表明しない.
メディア等に対する国民の一時的感情,有名人の意見表明や企業のアピール,そしてなにより開催日というある種の締め切りにより,
自身が主体的に決断することなく,国民全体の空気感で舵を切った形にするという,卑劣な責任逃れをしている.
間接民主制は代表者が代表者としての矜持と責任感をもって決断してこそ機能する.
愚策であろうと,裏で官僚が絵を描いていようと,決断することが代表者には枢要な職務だ.
そういった意味で,現在の政権,政治家は不健全と言わざるを得ないし,
問われるべきは,SNS上の倫理でも,アスリートの個人的な意見でも,コストバランスでもなく,政治制度を冒涜している代表者の怠慢だ.
とはいえ,じゃあ一国民としてはなにができるのか...それがわからない.
次の選挙に懸ければいいのか?
でも,五輪開催の決断には間に合わないだろうし,リーダーシップをとって俎上にのる人物がいるようにも思えない.
うーん.
法律が採決される時に行われる、出席議員による多数決の結果はどこでみれますか?
しかしながら、それにも大変問題があって、網羅的に見れない、大変手間である、そしてそれ以上に「起立多数」の記述のみの場合は、単にわからないです。
(そもそも起立採決なんて古めかしい方法が続いている理由は、個々の議員の賛否を隠すためではないか)
間接民主制で国民の意思を反映するには、政治家がどういった法律に賛成否定していたのかはハッキリ分かる必要がある。
(現在、マニュフェストがあてにならない以上、政治家の選出までしか国民の影響はなく、法律の制定への影響が薄い)
政治家の法採決における賛否がデータベース化されていれば、政治家の監視に役立つだけでなく、選挙の投票の際に大変役に立ちます。
長すぎて分割になったわ。しかもまだ続く。
el-condor 国会議員の「議席」にクォータ制を適用しているところは然程多くない(世界で見ても2011年で17)。議員クォータ即議席割当というのは短絡で候補者クォータが多数派。制度の実装は多様なのよ。
上にも書いたが、候補者クォータでも同じだろ。
haha64 じゃ、フェミニストへの「カウンター」とやらが最優先で、自分の置かれた状況に関する主張は何もないのか。こういうフェミ叩きに夢中なだけのバカを「弱者男性」諸氏は同類と見なしていいの? 何も救われないけど。
「弱者男性論はフェミニストへのカウンタとして生まれた」を「フェミニストへのカウンターが最優先」って読むやつ、日本語力おかしいよ。
具体的には「弱者男性論は」という主語をどっかに飛ばしてる。論外。
「なにも救われない」というのはその通りだが、フェミニストを野放しにしていると犠牲になる文化やそれを愛する人がいる。
「救うため」じゃなく、「犠牲を減らすため」にフェミニストは叩く。徹底的に。
murishinai 個人的ピンポイント意見だけど「Quota制(あるいは女性専用車両)みたいな施策は不平等な措置」だと思うけど「それを超える権利侵害が生じているので解決されるまで一時的に導入されること」はあり得ると感じています。
1.「それを超える権利侵害」など生じてない。女性は今も入れたい候補に入れている。
2.「一時的に導入」で済むわけない。一度設定されたクォータが解除された例があるか?御茶ノ水大はまだあるぞ。
zyzy 女を議席と同じ地位という道具扱いする時点で「自称弱者男性は女性差別主義者の逆ギレ」と証明していくスタイル。というかまんま「女はトロフィー」というド直球差別思想がないとこんな事言えないよね。
「地位」ではなく、「人権」の話をしてると読み取れない(書いてあるぞ)時点で論外。
frantic87 自分の頭で考えろと言いつつ自分の中の正解しか認めないタイプに思える。少なくとも対話するつもりはないよね。これには返信不要です。
どうしてそう思ったのか知らんけど、全くブーメランになってると書いてて気づかんのか。
他のブコメであっさり指摘されてるぞ。論外をくれてやる。
grdgs 人間と権利を同一視するとは蒙昧がすぎるな。まともに反論できてないだけを「論外」でうまく誤魔化した気になって精神的勝利を図るとは愚昧がすぎるな / 「フェミは口が悪い」とよくいう方々は身内の口調には超優しい
人間と権利を同一視?人間が人間として尊重されるその根拠を「人権」というんだぞ?論外。
「精神的勝利」という、具体性ゼロの精神的勝利ワードに乾杯。ダブル論外。
paper7802 再反論した。文句があるならかかってこい、と言わせてもらおう。/「正論」鵜呑み勢が多すぎ。ちょっとは自分の頭を使いなさい。/「論外」の理由も一々書いてやったろ。ワンセンテンス同じ罵倒二回は語彙がpoorすぎ
これは俺だ。論外。じゃなかった、次。
mobile_neko クオーター制に関するフェミニストの主な活動は「政治分野の男女共同参画推進法」で定められた候補者の男女比を適正する努力を政党に求める事だろ。議席数制限は憲法上日本では無理だし改正案でも議論されてない
それにアンタは見えないのかもしれないが、「議席をあてがえ」論を公然と口にするフェミニストは五万といる。
もっとよく見ろ。
fourddoor あっ、やっぱりただのカウンター概念なんだ。了解です。/「弱者男性」全般がそうだとは思ってないけど、この増田的にはね。
「弱者男性論」はカウンター概念だが、「弱者男性」は現実に存在する。
この違いは覚えておいてもらいたいな。
msukasuka 完璧な男社会を作り上げられてしまった政界に女がのし上がるのは恐ろしく高く厚い壁が立ちはだかってるのはわかるでしょう?そこをこじ開けるのに我々はその利権に絡め取られた男共が死に絶えるまで我慢せよと?
「KKO」とまで言われた非モテが彼女作ったり承認を得るよりは低い壁だろ。現に超えた女性はいる。
我慢なんかしなくていいんだよ、立候補すれば。同性の指示を100パーセント集めるだけで勝てるよ?
mogmognya ”氷河期世代の雇用促進?努力じゃなんともならなかったろ、世代丸ごと男女問わず” 確認。氷河期世代の雇用促進の施策は肯定するってことでOK?
それ以外にどう読めるんだ。次。
mukudori69 まあなんつうかそれであなたが幸せになれるならそうしていればいいよ。/一応伝えておくと、仮にクオータ制の導入が可決された場合、それを裏打ちするのもあなた以外の人の参政権=人権とそれを代弁する代議士だよ。
「人権の自殺」論は長くなるからあんまりやりたくないが、言いたいことはわかる。
そうなった暁には、大手を振って「女をあてがえ」論を唱えられる社会が来るだろうな。
何せ、「特定属性の特権のために他人の人権を奪ってよい」という実例ができてしまうのだから。
誰だよ。俺はおなじIDでTwitterもやってるから、どんな人か知りたきゃ身にこい。
あと対人論証は論外だ。
white_rose 氷河期世代の雇用促進は努力ではどうにもならなかったからOKで、議員枠と女をあてがうのは努力が足りないせいor人権に抵触するから駄目?よくわからない。
氷河期世代に決定権はなかった。
「議席をあてがえ」論での女性に関しては「過半数の票を持っている」という、客観的な「決定権」が存在する。あと犠牲になる人権がデカすぎる。
「女をあてがえ」論での弱者男性については決定権はないものの、犠牲になる人権がデカすぎる。
hammondb3 民主主義を絶対視すると少数派の弱者男性は今以上に切り捨てられる。だから憲法の価値序列を認めるのが通説/非正規雇用の待遇改善は弱者全体に利益。クオータ制かはともかく弱者の声を政治に届ける何らかの仕組み要
「今以上」があるとすれば、それはフェミニストが天下を取ったときだろうよ。
非正規雇用の待遇改善は別に議席をあてがわなくても実現できる。
そもそも過半数の票を持っている属性が「弱者」なわけないだろ。
xorzx あてがえ論だって弱者同士で結婚しても生活出来るように制度で補完する事で弱者男性も救われるって話であって、嫌がる女性を無理やり結婚させる話ではないよね?
フェミニストが藁人形にしてる「女をあてがえ」論は後者なんだ。
anmin7 それでもやっぱり議員が大体半々にならないのはおかしいと考えるけどな。その上でパートナーがいない男性を異常とする考え方を左翼的な人達が持っているのもまたその通りだと思うね。あてがえ論には断固反対するが。
率直に言うが、あんたの「おかしいと考える」なんかどうでもいいんだよ。
後、右とか左とかどうでもいいよ。フェミニストが右であろうが左であろうが、有害なことに変わりなし。「議席をあてがえ」論は言うに及ばず。
REV 「地域の代表」という側面から莫大な一票の格差を容認したくらいだから、「性別の代表」という側面からクォータ制を導入してもいいと思うんだけどね。でも、「履歴書の性別欄」とか廃止傾向じゃなかったっけ?
今時、性別での分断を起こすようなこと言ってるなよ。
cdijopvw 「自分のは雑な攻撃へのカウンターだ」ってのはみんな思ってて、でもそのカウンターも雑で誰かに流れ弾食らわしたら本末転倒だろ。ただ自分も弱者男性を雑に罵ってる人見たら腹立つし増田だけを責めるつもりはない
今のところ流れ弾は出てないみたいだね。次。
interferobserver やっぱり噛み合わんなーという感想。賛同するかは別として、一般的にクオータ制がどういう理屈で正当化されてるか理解されていないのでは。いいテキストがあった→ http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10310077_po_20170207.pdf
「書誌が見つかりません」。次。
spark7 男女格差が根付いた社会下で議席数に差が出てるのは努力不足じゃないと思うけどな。増田は統計的差別とかに足元掬われるタイプぽい。「氷河期世代の雇用促進?努力じゃなんともならなかったろ」
同性の票さえ集めれば勝てるのに、そのための努力はおろか戦場に上がることすらほぼしない。「努力不足」でも優しく言ってる方だよ。
論外。
kunitaka クオーター制はエエと思うで。上位が排除される訳ではない。性別で優位になっとるだけのカスが排除されるだけよ。男女が入れ替わっても継続されるべき、非常にロジカルな制度やと思うで。違うかね?
違うも違う、大間違いよ。
「議席をあてがえ」論で性別枠を理由に排除される者というのは、投票者全体でみれば上位なんだよ。少なくとも拾われる奴よりは票を取ってる。
そいつが「性別で優位になっとるだけのカス」と決めつけてるのは完全にアンタの偏見であり、ロジカルな要素は微塵もない。
大論外、だ。
worris 弱者+男性という語義矛盾の概念が、フェミニストへのカウンターでしかなく、権力勾配を無効化するための嘘で藁人形だと白状してしまっている。権力勾配という用語が嫌いな人も多いけど、権力に勾配はあるよね。
「権力勾配」などという存在しないものを前提にしてる時点で論外。
一票の重さは男女等しい。
フェミニストが建てた藁人形こと「女をあてがえ論」とは違うのだよ。
elusin いやお前が一番論外だ。
俺が論外?だとしても日本じゃ二番目だ。
お前こそナンバーワン論外だ。
具体性ゼロ。
kazuau 社会構造的に分断があるなら、クオータ制は有効。少数民族枠や宗教枠がないと全く議会に声が届けられない場合など。男女枠を新たに設けなければならないような状況ならば、結構深刻かもしれないね
フェミニストが分断を作り、フェミニストが「議席をあてがえ」論を唱える。人、それを「マッチポンプ」という。
そしてフェミニストが唱えてるのは「少数民族枠」でも「宗教枠」でもない。本邦第一の有権者数を保有する巨大な属性だ。
「全員が」じゃないだろ。次。
B2igwzEE 「はっきり言おう。それが現実だ。もし違うなら、もっと切実なら、自分で動くはずだ。立候補してな。」女性の議員も障害者の議員も存在しない世界線の人だった
一体何を読んだんだ?
女性に「議席をあてがえ」といわなきゃならんような切実さなら、もっと立候補するだろ。その危機感の持ち主だ。
ところがフェミニストはどうだ?
oakbow さすがに参政権と自由権を同じ尺度で考えるのは厳しいと思うんだよな。参政権は現時点でも年齢や供託金などの制限があり、選挙制度による不平等も起こりうるものだし。
参政権がないと、自由権を定義している「法」や「憲法」へのアクセスが失われる。
Betty999 「弱者男性」の一部には、理想(理想なのに標準・普通と認識)とする男性像に縛られている層があり、さらに理想とする社会像があり、そこからのズレを頑なに認められないから勝手に不幸になっている人がいるように思う
関係ない話はヨソでやってくれ。別に否定も肯定もここではしない。
いや、しょう。そのフェミニスト的「解脱論」はクソだ。脳下垂体を切り取って、空腹感を感じなくしても人は餓死するんだぞ。
vkara 議員は任期あっていずれまた選挙するわけだから追い出すってのも違う気がするし、定員制に変わると思えば。現状金と後ろ盾ある人達の声を届ける政治になってるし。
任期あっていずれまた選挙するから公平なわけだが、「議席をあてがえ」論はそこに手を加えるからevil。
「定員制に変わると思えば」って言いかえにもなっとらんわ。論外。
didididigda 私が選挙で投票した人が通らなくても、私の意見や人権も加味して政策を決めるのが民主主義であり人権主義なのではないかと思います。選挙は人権の大きな部分ですが、この論でのクォータ制批判は同意できない。
あなたが投票した人が通らなくても民主主義だが、多くの人が投票した人が通らないのは民主主義とは言わんのだ。
そして「人が通らなくても意見や人権も加味して政策を決めるのが民主主義」なんだったら、別に議席をあてがわんでもいいってことになるだろ。
deztecjp 拡大された「あてがえ」論なら、私は支持に回る。例えば私的団体である個々の政党が立候補者数にクォータ制を導入する……なんてのは全然OKと考える。議席数自体を縛るのも、比例代表制限定なら反対しない。
cleome088 女性専用車もクオータ制も社会通念の変革やルール変更の為の基本的には一時的なものであるべきのもの。今のルールだと勝った人が公共にとって相応しくないことをするからルールを変えるの。
「一時的」で済んだためしがない。お茶の水女子大はまだあるぞ。フェミニストのバイブル「ジェンダーギャップ指数」でも教育はほぼ等しいのにな。
「公共にとってふさわしい」かどうかの判断も投票によって行われるのが民主主義。
そこに介入する「議席をあてがえ」論を擁護するために「公共にとってふさわしくないことをするからルールを変える」?
keytracker 民主主義の制度自体が不完全で、多数に支持された人が代表で政治を行えば皆の参政権が反映されるとするのが間違いだから、そこを弄る事でより良い形って存在すると思うが?婚姻は両姓の合意だから、絶対侵害になる
「制度自体が不完全で」なんて言い出したら、「婚姻は両性の合意という制度自体が不完全で」と言い出して「女をあてがえ論」を唱えることすらできる。
じゃあその「制度自体の不完全」をどうやって決めるのか?民主主義の国家ではそれを投票で決めている。正確には投票で選んだ代理人が。
そこに介入することは「不完全」の定義を握ることであり、絶対侵害になる。
何度目かの論外
hedgehogx 結局さ、生意気な女を黙らせるカウンター以外で弱者男性は存在しないってことで増田的にはいいわけ?正直彼らがここまで徹底して自分の問題自分のこととして語れないと思わなかった。
「生意気な女」じゃなくて「反人権派であるフェミニスト」な。生意気でも筋が通ってりゃいいんだよ。
そしてフェミニストの加害はもはや「自分事」。身を守らねばならないひどさ。
goadbin そもそもクォータ制自体が民主制との相性が良くない。よく言われるガラスの天井論もじゃあ来年マリーヌルペンが仏大統領になったらどう評されるか?結局都合のいい女性議員が欲しいという本音が見えちゃっている。
丸川珠代議員とか、小池百合子知事への反応を見れば顕著だな。俺は両方嫌いだが。
unnmo 喧嘩したいだけの人かな。弱者男性への救済策が「女をあてがえ」でベストと思う?より良い手段も沢山提示されてる(探せ)。お前も考えろ。クオータ制が既存参政権の侵害?その既存が疑われてるんだよ。
ベストかどうか決めるのは俺じゃない、弱者男性たち一人一人だ。
私見だが、フェミニストが「より良い手段」を挙げているところは一度も見たことない。使い古しの解脱論が関の山。
「既存が疑われている」?大多数の人間が疑ってるなら、議席をあてがわなくても選挙で勝てるだろ。
疑ってるのはお前とわずかなお仲間だけってことだ
俺は反自民、反立憲、反共産。右でもなければ左でもない。論外。
今からでも遅くない。来な。
つづく
全部が無駄ではないのはわかっているが、気になった。
間接民主制を取っていたが、昨今のネットでは直接民主主義となっている。
旧メディア(新聞、テレビ、雑誌)の代わりにネットが置き換わっていると言われるが、1次情報は急メディアがネットに流しているものだ。
動画だと、テレビからネットへと言われいるが、昔のテレビ的なものがYouTubeに変わったり、放送できないような過激な表現がNetflixで流れたり、
海外発の物やサービスを買うのが普通になったが、それによって振り回されることが多くなった。
AppleやGoogleが仕様のアップデートや変更に常に追いつかないといけない。
ソフト工学的には正しいが、経済構造まで考えると正しいのかがわからない。
意地悪いことをいえば、お金や人のリソースを相手に使わすために変更が出来てしまう。
最近はネットの普及前にもう少しマシな設計ができなかったのかと思うことがある。
書いているこれについても、別に発信でできなければ、それはそれでよかった。
毎日、ニュースを見て誰かがコメントを出して荒れたりしている。
思想が違う人がいることもわかっていたはずだが、延々と議論している。
議論が進んでいればいいが、残らないので毎回同じスタート地点から開始している。
結論を出すために議論しているのではないという意見もあるだろう。だったら発信する必要はあっただろうか。
新聞なりテレビなりの従来のメディアが取材をし、普段それにフリーライドしている状態になっている。
丸々同じ内容を話したYouTubeで稼いでいる人もいる。
政府批判の意見も封じるのかという話もあるだろうが、ネット空間に書き込むよりも、
政府機関の窓口があるのだから、そちらに連絡を取った方がいい。
顔を出して発信するのが一般的になり、気に入らない人はブロックするようになった。
その行きつく先は、顔見知りの人だけで集団を作り、気に入らない人物は排除する。
都市は、街中を歩いていても匿名で過ごせ、過度な干渉を互いにしないで過ごせるのが魅力じゃなかったのだろうか。
個別に見ていけば、ネットの広告費やアフィリエイトで稼げるようになったのも事実だろう。
なんでこれが分からんのかね
【追記】
・greenT そうじゃねえ、まず良い政策があってそこに支持率がついていくんだ
↑君がいいと思ってる政党支持率ついてきてないでしょ。君の論理なら悪い政策掲げてるから支持率ついてきてないことになるねw
↑選挙で成果出せない無能政党を手放しで支持するって政党に信仰心かなんかあるの?w
・tokatongtongtokatongtong ひたすらおまかせ政治。まさにこういうセンスの連中がかっての「水戸黄門」人気を支えてたわけで、このての面倒くさがり屋連中に「自治」「民主制」ってシステムは、まさに豚に真珠/猫に小判/馬の耳に念
↑典型的な負け犬の遠吠え。文句言ってるのに周りが変わってくれなくて切れてるだけの老害クレーマーレベルw
・hdwdgfva どうして良い政策を掲げることすらできない政党が、政権を取ったら良い政策が実行できると思ってるんですか?
↑民主主義人民共和国を自称する国家が良い政策実行してるか?自称すること掲げることに意味なんてない。良い政策があるなら政権とって実行すればいいんだよ。政権取らないこと前提で言うだけの野党に価値はない。
・namisk 「とにかく政権とって勝手に社会を良くしてくれ」君の意思はどこにあるんだ?思考放棄か?それでも人間か? https://www.amazon.co.jp/dp/4480081569 力を正義と誤解すると全体主義が生まれるんだよ。正義は議論から生まれるんだ
↑議論相手に「人間か?」なんて言うやつが議論語るなよw対抗勢力になって発言力がなければ単なる独り言。そんなことも分からんとかお前人間じゃないのか?w
・yetch どっかの誰がが勝手に良い感じにしてくれへんかなって、松本人志がキンチョールのCMで言ってた。
↑言うだけで何かやってる気になってるやつも相当無能で滑稽だろうがw