はてなキーワード: 母の日とは
母の日にはカーネーション欠かさなかったり、家族の誕生日にはちょっといい店に食事に連れてったりしていた。
昔は就職祝いとか結婚祝いくれてたけど、5年前に娘が生まれたときに出産祝いくれてそれっきり。
お年玉も入園祝いもクリスマスも何もなし。去年生まれた息子の出産祝いもなし。
こっちからせがむのもおかしいから我慢して何も言わずにいたんだけど、さすがに失礼だと頭にはきていた。
「お兄ちゃん律儀とか言われてるけど全然そんなことないよね。うちの子のお祝いとか何にもくれないじゃん」と言ったら、兄は冷めた目で「お前覚えてないのかよ」と。
何のことか聞いたら、なんと、娘の出産祝いの半返しを忘れたことを根に持っていたらしい……
出産祝いもらって半年くらいしてから「あんまり言いたくないんだが」みたいに電話してきたから、ようやく思い出して慌てて送ったんだよね。
あの時は私も初めての出産や育児でバタバタしてたから、と返したら、そんな反論はお見通しとばかりに
「それは理解できるし、お返しの順番も会社関係や友人を優先して家族が後回しなのもわかるが、同居してないとはいえ親や婆ちゃんにはちゃんと送ってるのに俺だけ忘れるって頭おかしいだろ」
「お前昔からそうだろ。メールアドレス変えたの俺にだけ言うの忘れたり、修学旅行のお土産家族で俺だけ忘れたり。一つ一つは大したことじゃないにせよ、お前が俺を軽んじてるのがよーくわかったからこっちもそれなりの対応しただけだ」
後で旦那に愚痴ったら「あれはお義兄さんも怒るよ。お互いの家族にはそれぞれで半返し用意してたけど、こうなるんだったら家族の分もきちんと二人で話すべきだったな」と言われた。
確かに悪いことしたとは思うけど、そこまでネチネチすることなのかな。
結局、傍からみたらちゃんとした兄でも、根はネチネチというかDQNというか……
けれど蓋を開けてみれば私が一番の悪者になっているのが本当に解せない。なぜ?
かといって、クソ野郎だというわけではない。
大抵の人間はすべての美徳を兼ね備えているわけではなく、父もそうした不完全な人間の一人であり、父の場合は優しさが感じられない、というだけだ。
(くどいかもしれないが、「優しさが無い」とまで言う気は無く、「俺が優しさを感じた記憶は無い」というだけである。)
そんな父と2人で暮らす母の闘病生活が愉快なものではないだろう、というのは容易に想像がつく。
自分は母に優しくしたい、と思う。
母は母で、他人の優しさに応えるような生き方はしてこなかった。
子供である俺が毎年もっとも苦痛を感じる選択が、母へのプレゼントだ。
母の好みや家族のエピソードに沿ったもの、なんてことは考えない。
そんなものを考えて選んで罵倒されれば、俺の心へのダメージがリカバリ不可能な深刻さになるからだ。
流行や、世間一般の好み、利便性、ブランド、そういった客観的な価値を有するものを送る。
誰だって、たった一人の母親に好意で贈ったプレゼントを酷い扱いされるのは悲しいだろう?
それでも、毎年贈り続けてきた。
産休クッキーもらって不妊や独身に配慮しろって人いるの知って世知辛すぎるし生きにくい世の中だなって思った
あれを批判してる人って、シングルの家庭出身者に親の話したことないのかな?絶対あると思う
それを親がいる自慢でマウント取ってるって言われたらどう思いますか?
そんな気なかったのになんでそんなに悪くとるのって思うんじゃないでしょうか
両親揃ってない人もいるんだから母の日や父の日もやめてとか、おじいちゃん亡くした人に配慮して敬老の日をやめろとかと同じ理屈だと思います
ディズニー土産とかでも、うちは行けないのに自慢されたってって思うのかな?
もはやくれた人の問題じゃなくて、受け取り側の性格の問題でしょう
父親の年収はおれが高校の時単身赴任手当が出て最高で1000万、母親はおれが小4まで月8万くらいのパート、俺が大学出るまでは月18万くらいで契約社員してた
姉が1人、小学校の時はおれは水泳、書道、姉はピアノと書道、おれは小学校4年から塾通い(月謝1.7万とかだったと思う、中学はもう少し高いと思うけど忘れた)2人とも私立大学だけど実家通い、学費は全部出してくれた、あと免許取るお金も出してくれた
小学校の小遣いは学年×100円、中学は学年×1000円、高校は5000〜7000円
社会人になってからは一人暮らしで特に家にお金は入れてない、父の日、母の日には5000円、誕生日は1万円くらいのプレゼントあげてる
あと還暦とかそう言う節目は姉と10万ずつくらい出して温泉旅館とかで祝ってる
実家は俺が小学校1年の時に買った郊外の1戸建て、車は国産の普通のセダンだった
外食はほとんどなくて、ブランド物とか高いものもあんまりない家だった
中学までは年1回くらい国内の家族旅行、盆正月はそれぞれの実家に帰ってた
家が金持ちと感じたことは全然なかったけど、不自由もなかった、まさに昭和の中流家庭だと思うけど、これでも太いって言う?親ガチャで言ったらBくらいだよな
世の中の輝いている人々を見ると、皆友達の誕生日を全て覚えてその日の0時にお祝いを送るし、旅行に行ったら必ずお土産を配るし、友人間のトラブルをなあなあにせず、母の日や父の日には心のこもったプレゼントをする。
それらは全くもって素晴らしいことだ。しかしそれを踏まえて自分の行動を見てみると少しばかり心が痛む。友達の誕生日の8割をそもそも知らず、知っている人のうち半分はその日の22時に気づく。お土産は安価なのを買うだけ買って結局タイミングを逃して配るのを諦める。母の日も父の日も定型文のメッセージ1通でおしまい。なんて薄情な奴だ。
言い訳をすると、いや、情は人並み程度には持っているはずなのだ。恥(とも言えない、自分でも何かわからないもの)や忘れっぽい性格が城壁となって、その情を僕の心の中に閉じ込めているだけなのだ。どちらも物心のついた時から存在しているのでいくら危機感を持とうが治しようがない。これを「薄情」や「怠惰」等々にごく自然に繋げられてしまう世界サイドにも責任があるのではないか。しっかり気持ちを伝えなきゃ、今度は忘れないようにしよう、と1番思っているのは自分なのに。
イギリスのBBCの例の放送から半年が経ち、ジャニーズ事務所は瓦解しつつある。夏前の雰囲気では「噂では聞いた」「当人は故人」「証拠がない」「ごめんなさい」で寸志を渡して逃げ切りそうな空気だったが、再発防止特別チームの予想以上の報告書で潮目が変わった。
国体護持の立場から、新社長は東山紀之となったが、相変わらず「噂では聞いた」としか言わず、社名は変わらず、株主も変わらず、方向性も見えず、期限も示さずではまともな商取引をしづらいのは正直なところ。
そして、東山社長が今から40年近く前に、当時のジャニーズJrに『俺のソーセージを食え』と言い放ったことが話題となった。2005年の『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』という本の一節をネットニュースが取り上げ、それが拡散した形なる。
ところで、この本を書いたのは元ジャニーズJr.の木山将吾である。現役時点は山崎正人と名乗っていた。ただ、木山は、18年前にジャニーズ喜多川からの性被害について赤裸々な著作を書いていたにもかかわらず、この半年間のムーブメントでは特にコメントらしいものを発していない。彼はどこへ行ったのだろうか。
と、ずーっと謎に思っていたのだけど、実は、木山が滋賀県に住んでいることが判明した。
https://www.city.kusatsu.shiga.jp/citysales/ouen/boosters/list/ginrara.html
この写真の右側が、GIN山崎ぎんこと、山崎正人、すなわち木山将吾だ。
山崎は1970年生まれで、15歳~18歳まで山崎正人名義でジャニーズ事務所に所属。光GENJIの候補メンバーだったが、性被害を受けて退所していく。1988年に北公次(フォーリーブス)の『光GENJIへ』などのジャニー喜多川暴露本が出版された後、山崎は1989年、山崎銀名義でアイドルグループ「新・光GENJI」に参加し、それが「SHADOW」となる。SHADOWは、アンチジャニーズを標榜していた地下アイドルグループで、北公次が印税を注ぎ込み運営し、後に被害者の会代表となる平本淳也らも参加していた。ただ、きっかけが不純だったからか、すぐに解散している。
山崎は京都などで活動を単発的にしていたが、2005年に木山名義で『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』(鹿砦社)を刊行した。週刊文春の報道があり、2004年の最高裁でジャニーの犯罪が確定した翌年になる。
当時、鹿砦社は、ジャニーズ本を多数出していた。ただ、その多くがタレントの住所暴露本でさすがに褒められたものではなかった。社長は同年別件で逮捕されている。2007年には同じ内容でタイトルを変えて「KAT-TUNへ - 赤西仁がやめた本当の理由」と再編集本を出したあたり、同社に胡散臭さがあるのは否めない。週刊文春もこの時期は報道を控えていたこともあり、1988年の北公次のときほど話題にはならなかった。
その後、木山こと山崎ぎんは滋賀県草津市に移住し、2010年頃から滋賀ローカルタレントとして活躍している。GINLALAとして地元女性タレントとコンビを組み、地元コミュニティーFM「えふえむ草津」の出演、イベントやコンサートの司会などをしている。滋賀県のBBCには出演したこともある。
増田も以前に滋賀県に住んでいたことがあるんで、彼の顔は何度か見かけたことがある。平和堂の催しや、町内会の夏祭りの司会などもしていたからだ。名前はうっすらと記憶しているが、その顔や姿、声、話している内容は特に記憶がない。無名のセミプロタレントの一人だと思っていた。
本人は、別に過去を隠しているわけではないようだ。えふえむ草津のパーソナリティー紹介では
とある。ご本人としては「SHADOW」は黒歴史ではない模様だ。
ただ、イギリスのBBC以降のムーブメントがあるにもかかわらず、木山将吾こと山崎ぎんは、何も発言はしていない。2005年の本はかなり赤裸々にジャニー喜多川の加害を表現していたが、それを改めて言及するのは精神的にかなりしんどいものになるのだろう。コロナ禍で大変だったタレント業もようやく回復しつつある。それを台無しにしかねない。山崎はGINLALAのgooブログに登場するが、作成は相方のLALA氏が担当しているようなので、ジャニー喜多川問題への言及はない。
https://blog.goo.ne.jp/ginlala785kusatsu
思えば、ジャニー喜多川の暴露本の先鞭をつけた北公次にしても、再婚してワイドショーに登場した1994年以降、ジャニーズ事務所への言及を避けている。1999年10月から始まった「週刊文春」のジャニーズ事務所の連載。第1回目は、同じフォーリーブスの青山孝史だった。読者としては、続いて北公次も登場するだろうと思ったが、最後まで何も発言しなかった。後の裁判にも参加していない。
北としても、芸能界復帰への思惑がある中、言わずが花、という考え方があるのは理解できる。村西とおるらに煽られ暴露本を書いたものの莫大な印税はあっという間に消えた。反ジャニーズの連中が必ずしも自分の味方ではないというのも悟ったのだろう。
2002年、北は青山、おりも政夫、江木俊夫らとフォーリーブスを再結成している。当時、メリー喜多川は「北と青山はジャニーズ事務所の敷居を跨がせない」と激怒していたという。暴露本に参加したからだ。でも、フォーリーブスの名前を使うことができたのは、事務所とフォーリーブス4名で何かの手打ちをしたのではと指摘されている。タレント活動するなら、もう反ジャニーズに言及しないと腹を決めたのだろう。北は2012年に若くして亡くなっている。
おりもは今年5月のインタビューで「コーちゃんは、亡くなる直前まで『ジャニーさんに謝りに行きたい』と言っていました」と指摘したうえで、「僕も含めて被害に遭ってない人たちも多くいるわけで、ジャニーズのOBや現役を変な目で見ないでほしいです」とジャニーズ事務所擁護の発言をし、一部のファンの喝采を浴びた。おりもは解散後も長くジャニーズの世話になってきたし、北公次の発言を打ち消したい気持ちはあったのだろう。死人に口なしだ。
今年の母の日である5月14日、山崎は地元草津市のホールで「ファミリーコンサート」の司会をする一方、ジュリー藤島は東京で「知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした。」と述べ、批判を浴びた。
木山将吾こと山崎ぎんは、遠く琵琶湖のほとりで、この半年のムーブメントをどう見ているのだろうか。本日水曜日は13時から「えふえむ草津」のレギュラー番組「GINLALA 午後は大銀醸」が生放送である。クルマで移動するタイミングなので一度聞いてみよう。
スーパーの似顔絵というと大体母の日父の日敬老の日に親や祖父母の絵描いてるやつだと思うが、そこでエセピカチュウがずらっと並ぶって??
親をピカチュウだと思ってる子供が山ほどいる地域なの?どんな異世界だそれ??
逆に「ピカチュウを描くコンテスト」だとしたら(そんなのやってるの見た事ないが)それは任天堂の許可取った上でやってるだろうし…
でなきゃ塗り絵か?子供向けの暇つぶし用として塗り絵用意してて塗ったものを飾ってる店ってあるけど、
それもその店の公式のものならそれを作った時点で当然許可取ってるはず
市販のものを勝手に使ってるんだったら普通に著作権違反だけど(田舎の個人店とかなら見逃されてるような所はあるだろうが、本来は違反)
2年付き合ってきた彼女がいて、先月そろそろちゃんとしようかみたいな話をした。
彼女は披露宴とか結婚指輪とか、そういうものにはあまり興味がないようなことは前々から言っており
俺としては彼女が望む方向でどちらでもいける振り幅は用意していたんだけど、
それはさておき当然の礼儀として、まず「ご両親に挨拶に行きたいんだけど」って言ったら、
「もう令和の時代なんだし、そんな堅苦しいことは別に良いんじゃない?」って返事が返ってきた。
「いやでも、俺も親にきちんと婚約者として紹介したいし、ご両親に挨拶をしておきたい」って言ったら
「少し考えさせて」って言われた。
一体何を考える事があるのかと思ったけど、その時点で嫌な予感はあった。
先週末に久々にデートの誘いがあって、彼女から話があったんだけど、結果を先に言うと別れることになった。
以下は彼女の話。
・自分は毒親育ちで高校を出てからずっと親とは縁を切ってきたと。
→俺には大卒って言ってたから「え?大卒って言ってなかった?」って聞いたら、嘘ついてたこと忘れてたみたい。
・地元のFランで名乗れるような大学じゃないって言われており、大学名も一応聞いたが確かに聞いたことないような大学名でそれ以降話題にしなかった。
・婚約したからって親に報告するつもりもないし、式とか披露宴とかもしたくない。
・結婚しても私の実家と関わりを持ってほしくないし、俺君の実家への帰省もできればひとりで行って欲しい。
→そこで「俺の両親とも一回も会ったりして関わる気が無いって事?」って聞いたら、ハッキリと肯定された。二人だけの家庭を築きたいと。
以上の事を言われて「俺は普通に夫婦で帰省とかしたいけどな」って言ってしまったら、その普通と言う言葉に彼女が激怒した。
「普通って何?俺君はたまたまいい親に生まれただけでしょ?それって幸運なんだよ。普通じゃない!」って。
しばらく話にならなかったので一通り宥めて何とか落ち着かせたあと、疑問に思ったことを色々聞いた。
ずっと実家と疎遠にしてたって、年末には毎年帰省してたのはなんだったの?って聞いたら
詮索されるのが嫌だったから年末年始は毎年ビジホに連泊してたんだって。
正月中?一切外にも出ず?ってビックリして聞いたら「のんびりできて結構いいもんよ」ってしれっと言う。
「だって実家からってメールとか電話とかしてたのは?」って聞いたら笑いながら「ビジホからw」って。
母の日にプレゼント送ってたじゃない?あれはなに?って聞いたら、自分が欲しいものを自分宛に送ってたって。
彼女が嘘をついていたが故に俺には彼女が毒親育ちってイメージは全くなかった訳なんだけど
こうも嘘を吐いてまで俺を騙していた事、親共一切交流したく無い事も含めて結婚するってなったら
飲み込んで許容してくれるだろうと彼女に思われていたのだと思うと、俺は彼女に心底チョロい男だと
思われて見下されていたんだなと心底凹んだ。そして彼女と結婚するのは無理だなと思った。
2年付き合ってる間、ずっと誤魔化されていた事をま、ず最初に申し訳ないとでもいった態度だったらまだ違ってたかもしれないけど
開き直りとも見える態度でこられたら、無理だよね。
思ったことを正直にそのまんま言って別れを告げたら、大号泣して激怒。
その後は婚約破棄だから慰謝料請求とか言われて揉めている。婚約とかした覚えは無いんだけど実質婚約だからみたいな理由で。
心底うんざりする。
それでいて周りには「親離れ出来ていないマザコンでガッカリ。時間を無駄にした。今度は実家依存じゃないまともな男探す」って言い回っているらしい。
最初からそういう男探せよアホらしいって思った。俺からすれば時間無駄にしたのはこっちだし、元彼女こそ「まともじゃない」って思わされたよ。
20代後半の男。周りが結婚をチラつかせたり、結婚していったりの日々。
中高時代に異性に容姿とか挙動とかを馬鹿にされたのがトラウマで、未だに女性と上手く関われない。
男友達がいれば結婚しなくても楽しい!と20代前半は思っていた。
でも、どうやらそういう訳にはいかないらしい。
1人、また1人と週末に気軽に誘える友人が減ってきた。
俺は20代後半、稼ぎは悪くないし結婚相談所とかで相手を選ばなければ結婚できると思う。
結婚したくないけど。
けどさあ、会社のお偉いさんとか見てると皆結婚してるんだよな。
イオンで父の日の江口寿史のイラストあったけど悲しい所に飾ってあった
母の日は華やかな所にあったのに pic.twitter.com/pnT1LSxd0K— seed ベビメタおじさん (@taneda7802) May 31, 2023
これか
@oxibaraxo
@sietti
@sitara_sin
@bomesodays
@bunchoudou
@tacco_0318
@shima_tntn
みんな病んでるなあ
@REDDRM_CampGS
コレはイカンですよ・・・。
勿論男の娘、何だよね・・・?