はてなキーワード: 殺傷とは
前編→https://anond.hatelabo.jp/20230613182451
土中に埋められたり海中に沈んでいたりする宝箱。天蓋が丸いがあれは宝箱の特徴ではなく、昔のトランク全ての特徴。
船や馬車で運ぶとき、トランクは室内ではなく馬車の上や甲板に置かれた。雨に塗れるので天蓋に水が溜まらないように丸く加工した。重ねる事を考えるようになったのは室内に入れる 鉄道旅行が流行してからで、その時天蓋は平たくなった。
ボンネットは車の部品の事ではなく、つばが無い帽子全般のこと。冬に被るニット帽もインディアンの羽根のやつもつばがなきゃ何でもボンネット。
最初期の車のエンジンフードは逆U字型の鉄板を上から被せる形式ですっぽりと「帽子を被せる」ものだった。google:image:Mercedes-Benz SSK engine
パソコンのHDDやメモリーを安く買える簡易梱包品と思われているが、大量注文の事である。対するリテールは小売りの事。
部品メーカーは末端消費者に部品を売らない。取引相手は法人だけであり、数か月先に100トレイ、総個数4000個などの単位でしか取引しない。単価も数量に応じて変化する。
一方PCユーザーはHDD増設等で部品単位で買いたいがメーカーを通すと猛烈な上乗せされ不要なサービスが付いてくる。修理増設の自由がない。
そこでオンラインや書類だけで取引してくれるオープンな海外メーカー相手にバルク(大量)注文して売り捌く問屋や小売店が現れた。
だがシーゲート社はこの流通経路で買った消費者も故障保証が受けられる国際ダイレクトRMAのサービスを始めた。バルク品の小売りが認められたのだ。
これに他社も追随するようになった。PCの世界では一般化しているが通常の流通から見たらかなり珍しい形式だ。
うぐいすパンとか山手線の色はうぐいす色、などの。抹茶色を差すが、抹茶色をしているのはメジロである。うぐいすは一般的な野鳥の茶色である。
最近のアパレル界では暗緑色を指すことが多いが、もともとチノパンの薄いベージュの色。軍服や作業服の乾いた土色を指していたが、軍服のオリーブドラブをも指すようになり混乱が始まった。
20年前のファッション誌には暗緑色をカーキという用法は無かったのだが、いつの間にか軍服関係の混乱が持ち込まれたようである。今ではアパレルでカーキと言えば殆どが緑系を指す。
GAPが昔「Gap - Khaki」ってキャンペーンをやってたよな、と思って検索してみると確かに1999年ではカーキは土色だった。
カーキの暗緑色化は世界的な現象のようだが、なぜこうなったのかは不明である。
ラブソングだと思って披露宴で謳ってしまう人がいるが、歌詞をよく見ろ。失恋の歌だ。歌ってはならぬ。
釵と書く。真ん中の棒が50cmくらいでつばにあたる部分が三つ又になってる武器だ。両手に片手持ちする。海外では忍者の武器と言ったらこれか苦無だ。
だがサイは琉球武術の武器だ。殺傷力も低い。本土の忍者が使う訳がないものだ。
この誤解の犯人はニンジャ・タートルズだ。これ以降の忍者ブームで誤解がブーストした。モタコンのミレーナもサイで相手バラバラにしたりしてるが、そんな事にはならない。
「あの娘にほの字」のような、何でも最後に「の字」「文字」を付ける姐さん言葉の一つでしゃくがしゃもじと言われていたが、独立した単語と認識されるに至った。
パープーパープーというちょっと間延びしたようなサイレン音が特徴的だが、これは元々はそういう音を狙って作ったのではない。
車のホーンは軽トラなど最低グレード以外は和音にするために高音と低音の電磁ホーンが二つ付いている。
この二つを交互に鳴らしていた。
タイプライターのリターンレバー操作時にチーンとなると思われているが、設定したマージンまであと5文字くらいで鳴る。
あとは単語の末尾か、5文字じゃ末尾が来ない長い単語の場合は分節でハイフネーションして改行せよというサイン。
タイプライターの音を入れるのが特徴的なルロイ・アンダーソンの曲「タイプライター」の演奏ではこういう理由でチーンの音を合わせるのが難しい。大抵は別のベルを用意してお茶を濁している。
エンダァは『ボディガード』主題歌、ホイットニー・ヒューストン『I Will Always Love You』であってタイタニックの主題歌はセリーヌ・ディオン『My Heart Will Go On」である。混同されやすい。
子供みたいな天使が笛を吹きながら降りてくるシーンが絵や映画などで見られる。愛の歌を奏でているような感じで。
しかし天使が笛吹いて降りてくるのは世界が終わって最後の審判が始まる時である。異教徒は全て地獄行きだ。笛も恐ろしい音のはずである。形からしてブブゼラやアメリカの機関車のようなけたたましい音だろう。
天使は中性/両性具有の青年か子供、上位天使は威厳のある青年の姿で描かれることがある。
しかしミカエルより上の上位天使は人の姿をしていない。もの凄い数の目玉がついた多数のリングに大量の翼が付いた姿、目玉に多数の翼が生えてその翼に目玉が大量についている姿、人や動物の顔が沢山ついた頭があり多数の翼があって高温で燃えている姿などだ。エゼキエル書にそう書かれている。
これはエゼキエルがキ印だった可能性が高いと言われているが神の国に入れなくなるのでこれ以上の評価はしない。
いずれにしても人の姿ではない。google:image:biblically accurate angels
おしゃれなボーカル入りアコースティック寄り電子音楽がシカゴ由来のハウスと呼ばれているが、シカゴのハウスはもっとハードなテクノ寄りの音だった。
ボーカルハウスはNYのパラダイスガラージ発のガラージュに由来する。だが今はガラージュというとダブステップの事を言うので、、
以上三つお届けした
I see that among men all things depend upon three wants and desires, of which the end is virtue, if they are rightly led by them, or the opposite if wrongly. Now these are eating and drinking, which begin at birth—every animal has a natural desire for them, and is violently excited, and rebels against him who says that he must not satisfy all his pleasures and appetites, and get rid of all the corresponding pains—and the third and greatest and sharpest want and desire breaks out last, and is the fire of sexual lust, which kindles in men every species of wantonness and madness.
私は、人間のあいだではすべてのことが三つの欲望に依拠していると見ています。それらは、正しく導かれれば徳であり、誤って導かれればその反対となります。まずは「食欲」と「飲欲」であり、これらは生まれたときから始まります。あらゆる動物が自然とその二つの欲望を備え、激しく興奮させられ、己の快楽や食欲を満たしてはいけないと言う者に逆らい、付随する苦痛からは逃れようとします。そして第三の、最も強く鋭い欲望が、最後に噴き出します。それは人々のあらゆる種類の淫気と狂気を燃え上がらせる「性欲」の炎です。
今のところこれが最古である。さすが西洋哲学の祖。「食」と「飲」が分かれているのが特徴。プラトンの著作は明治時代に翻訳されていて日本人にも知られていたと思われる。
欲界三欲
(一)飲食欲,即凡夫於種種美味之飲食,多生貪愛之心。(二)睡眠欲,即凡夫之心多暗塞,耽著於睡眠而不能勤修道業。(三)淫欲,即一切男女由互相之貪染,而起造諸種欲事。
欲界三欲
1. 飲食欲、すなわち凡夫はさまざまな美味の飲食において、多くは貪愛な心を生む。2. 睡眠欲、すなわち凡夫の心は暗く塞がり、惰眠に耽って修業に励むことができない。3. 淫欲、すなわちすべての男女は互いに貪欲に染まり、それがさまざまな欲事の原因となる。
『翻訳名義集』は中国・南宋時代に編纂された仏教系の書物。もちろん日本にも伝わっている。というかこの組み合わせが現在のスタンダードである。
いにしへの人三慾を忍ぶ事をいへり。三慾とは、飲食の欲、色の欲、睡の欲なり。
『養生訓』は江戸時代の大ベストセラー。貝原益軒は儒学者だが、この組み合わせは仏教の「三欲」と同じなので、「いにしへの人」というのは僧侶のことなのか。三欲を「抑えるべきもの」と捉えているのも仏教的である。「睡眠を減らすと健康になる」みたいなことも言っている。
『歌学提要』は幕末の歌人・香川景樹の理論をその弟子の内山真弓がまとめたものだという。
人間の根源の欲望を、食欲・性欲・表現欲に三大別して言うそのことは、江戸末期の巨匠香川景樹以来、歌界ではならいとなっている。
ということで「食欲」「性欲」「表現欲」を表しているらしい。
これはイギリス科学振興協会の当時の会長であったライアン・プレイフェアのスピーチが翻訳されたもののようだ。原文を当たると「かつての錬金術師は黄金・健康・不死のために賢者の石を研究していた」…みたいな内容だったらしい。
they hoped to attain the three sensuous conditions of human enjoyment -- gold, health, and immortality.
村上専精は僧侶だが仏教の「三欲」とは異なるのか。「生存欲」は戦時中の文章で「日本人は三大欲求の生存欲を抑えて国家に殉じるからすごい!」というふうに使われているのを見かけて面白かった。
人間の三大慾望たる衣食住
個人的に「衣食住」は欲望というより「基本的なもの」「必要なもの」というニュアンスで捉えていたのだが、井原西鶴の『世間胸算用』でも「分際相応に人間衣食住の三つの楽の外なし」と書かれているそうなので、あながち「欲望」的な捉え方でも間違いではないのか。似たようなパターンだと三大欲求を「福・禄・寿」に割り当てることもある。
美術評論家が三大欲求に「美欲」を入れるのは、歌人が「言語表現欲」を入れるのと似通っているか。
明治以降は経済発展もあってか「金銭欲(利欲・財欲)」や「名誉欲(出世欲)」を挙げることがかなり多い気がする。
もとはアメリカで1948年に刊行された小説だが、原文だと「three main pastimes」なので「三大娯楽」かな。
といった記述がある。
食欲、性欲、排泄欲の根源的意味に比べたら、人間の他の欲望である出世欲とか名誉欲とか権力欲とか支配欲とか金欲とか知識欲など、それこそ屁以下の価値しかない。
いわゆる「生理的欲求」のひとつとして食欲や睡眠欲と並べて語られる「排泄欲」だが、「三大欲求」として挙げられていることは少ない印象を受ける。ただ「性欲(射精欲)」を排泄欲の一種とみなすこともあるようだ。
本来、仲間と一緒にいたい、集団の中で自分の安定した位置を占めたいという欲求――集団欲は、食欲、性欲と並んで三大欲と言われる程のものである。
この「集団欲」を三大欲求とみなすのは戦後にかなり広まった感じがする。近年の書籍でも睡眠欲に代えて集団欲が挙がることがあるようだ。
貞潔・清貧・従順の修道三誓願は人間共通の三大欲求(肉欲・所有欲・支配欲)にかかわるものとして、生涯の一大試練と誘惑になりうる。
これはつまりカトリックの修道士が守る三誓願の対義語となるような欲望(貞潔↔肉欲 清貧↔所有欲 従順↔支配欲)を「三大欲求」と見なしているらしい。カトリックのあいだでポピュラーな解釈なのかは知らないが、三誓願そのものは3世紀末くらいまで遡るらしいので、当時からそうした発想があったとしたら面白い。
現在の一般的な認識。「金銭欲」「名誉欲」「集団欲」あたりを含めて「諸説あり」と言われていてもおかしくなかったと思うが、最終的にほとんど「食欲・睡眠欲・性欲」で固定されてしまったのは面白い現象である。
核兵器が使われることで世界が終わるかは誰にも分からないと言うべきだろう。だが少なくとも、我々はその可能性を真剣に考えておくべきだとは言える。
自己保存と心中は核抑止戦略では表裏一体の概念だ。冷戦末期の確証破壊戦略などはまさにそれである。
自分が先制核攻撃を受けても反撃によって相手国を完全に破壊(心中)できる能力を保有し、その事実を相手に確実に認識させることで安全を確保している。
核兵器が使われたら世界の終わりだ! みたいなのは妄想に過ぎない。
核兵器による世界の終わりの典型的なシナリオは、相手国を完全に破壊できる能力を保有した二国間の紛争のエスカレーションが制御不能となり、最終的に全面的な核攻撃に突入するといった展開だろう。そういった事態が発生する可能性はむしろ高まっていると考えるべきだ。
米国の軍事的なプレゼンスの低下に呼応して、核の力を背景に現状変更を図る国家が現れている。これは核を持った大国間の軍事的な衝突のリスクが増大することを意味している。
ロシアはウクライナ侵攻において核使用の可能性を繰り返し示唆している。仮に核が使用された場合、NATOによるリアクションがさらなる核使用を招く可能性については(お花畑ではなく)軍事畑の核コミュニティの中でも真剣に議論されてきた。
中国は急ピッチで核戦力の増強を進めており、2030年中盤にアメリカとの相互確証破壊を達成すると予想されている。両国の政治的な対立の構造は根深く、戦略的不安定性を解消できるかは未だに見通せない。
エスカレーションの管理は本質的にチキンレースの構造であり、リソースの限られた少数の人間の決断に依存している。それが予測不能な帰結をもたらす可能性は常に存在する。
自立型兵器などの新たなファクターを軽視すべきではないのは当然だが、だからといって核兵器の持つ破壊力が低下するわけではない。
繰り返しになるが、核兵器が使われることで世界が終わるかは分からない。誰にも。
それは核のボタンを握っている当事者にすら分からないことだ。だからこそ、私達自身がその可能性を真剣に考えておくべきなのだ。
動物愛護法の精神を誤解している。 批判しているほうも擁護しているほうも。
動物愛護法は動物を管理・保全することによって人間社会に害をなさぬように、生態系を壊さぬようにすることが目的。
「気持ち」を中心にして動物愛護法を考えるなら気持ちでやっていい範囲を制限している法律だといってもいい。
可愛い動物だからといって害獣の駆除を怠ってよいわけではないし、害を被って憎いからといって滅ぼして良いわけでもない。
だから「みだりに」殺傷することは禁じているが、逆に言えば保全のために必要なら殺せという意味でもある。
外道!祖母の死を有料記事にして稼ぐクズw #炎上 #もこう #コレコレ 暴露系YouTuber必至w - 玖足手帖-アニメブログ-
自分の親族の死をコンテンツにするグダちんってやつ。端的に言って気持ち悪い
はてブから姿を消したid:nekoraさん、今度はグダちんに粘着する。
かねてよりネトウヨ的中傷コメントをあちこちで乱発していたid:nekoraさんが、通報の甲斐あって強制プライベートモード措置となり、はてなブックマーク上から姿を見なくなって幾年月。
もはや「あの人は今」的なid:nekoraさんは何してたかというと、富野信者ブロガーのグダちん氏にブログで粘着してました。
id:nekoraさんと言えば有村悠にも同じような調子で一挙手一投足をネチネチネチネチと長年絡んでおり、有村に親でも殺されたのかと言わんばかりの粘着ぶりを見せていたが
グダちん氏と言えば親や同人仲間を自殺で失っている事で有名なんだが
幾らメンヘラでもそのグダちん氏に対して執拗な追い込みをかけるid:nekoraは端的に言ってヤバいんじゃないでしょうかと。
別に私が特別人望厚い訳ではなく結婚式は通常そんな感じだ。未婚中年の彼には縁のない話と思うなかれ。自称鬱の40代パラサイトシングルフリーター中年男と結婚する女性など居ないと考えるのは浅はかというもの。世の中にはイカレた変わった好みの女性は意外に居て、小学生無差別殺傷事件の犯人、宅間守ですら獄中結婚しているのである。さすがに殺人鬼の死刑囚に比べれば人糞製造機などまだまだ無害で可愛げがあると言えなくも無くも無いのではないかと思わないでもない。希望はある。
よくこんな事書けるなこいつ。
id:nekora さんははてなブログからライブドラブログに移ったけど、
紙の新聞を購読している。
未だに?と嗤う人もいるかもしれないが、多様な情報がキュレーションして提供されるのは価値があると思っている。
ネットのエコーチェンバーに籠るより世の中のことを広く把握しやすい。
家族をYouTubeで陰謀論に染まらせるよりマシ、ぐらいに考えてもいい。
速報性に劣ると言われるが、速報が必要なニュースなんてほとんどない
(共同通信の1行ニュースに対してああだこうだ言うアレ、何の意味があるのだろう)。
紙面の広さを活かして構成されているのでネット記事より分かりやすく理解も早い。
「日本が『殺す側の国』に変わっていいのか」
だ。
防衛費増額の話題からこっち東京新聞では日本が他国を侵略するかのような脅迫的な言葉が並ぶ。
東京新聞のスタンスはご存知だと思うが、さすがに話が飛躍しすぎだろうと思う。
活動家を焚き付けて自分たちの主張を通すためにひたすら過激な言葉で煽り続けている。
こういうやり方はどうなのか。
ずっと読まされ続けて気も滅入ってくる。
神宮外苑の樹木伐採問題も紙面だとしょっちゅう1面トップを飾るネタでうんざりしてしまう。
この件で都知事に手紙を送ったという坂本龍一は破格のスター扱いで紙面が割かれる。
さすがに他にもっと伝えるべきことがあるのではと言いたくなる。
反対する団体とほとんど一体化しているのだろうし、これを成功させて成果にしたい思惑も透けて見える。
穿ち過ぎだろうか?
定期的に大きく取り上げる「子供や若者の素晴らしい活動を紹介」みたいな記事もきつい。
平等や多様性を訴え自発的に活動する若者、と書くといかにも良さそうだが自分たちの思想に沿うものだけを称揚する内容だ。
だんだん購読層が気持ち良くなるためのポルノに感じられてきた。
東京新聞は偏っているぞとも聞いていた。
でもここまでとは思わなかったよ…。
余談だが、そもそも中日新聞社なのに東京新聞というネーミングは何故?
調べてみると元は東京新聞社が発行していて戦後中日新聞社に買われたらしい。
へえ。
ナイフは距離を取れば、銃との比較が前提とはなるが、安心出来るため、攻撃力は銃の方がナイフよりも高いと考えられる
銃は狩猟、射撃,有害鳥獣駆除などに用いられるらしく、別にそれらは必須では無いような印象を受ける
要するに銃規制をすれば加害者側の攻撃力が単純に落ちるため、被害者が減るだろうというのが銃規制推奨の考え方
銃を持って身を守るという考え方は日常的に銃を所持・持ち歩けない時点で破綻している
極端に考えれば国民全員に銃の所持を義務付けた上で、相応の訓練が必要である
ただし、それは犯人の攻撃力の質の向上を意味する (人数が多い場合、防衛側の方が恩恵が大きいと考える)
また、小学生や中学生に銃を持たせて良いかという点には疑問が残る
で、そんな単純な問題ならとっくに銃規制は行われているため、何か別の理由がある
仮に銃を全部取り上げて警察等のみに持たせるとしても100年はかかるだろう
まず、先程破綻したと言った理由に戻るが、単純に護身用の銃などで守られている人がいる…はず
また、政府が独裁的になった際に反発する力としての側面がある (二条)
田舎だと警察がくるまでに時間がかかるため、その対応にも銃は必要だとのこと
都会の銃所持率は低いが被害者が多く、田舎の銃所持率は高いが、被害者が少ないらしい
また、銃所持率が高まるにつれて、直感的には分からないが、抑制となるのか、銃の被害者が減るらしい
銃を使った人間が悪いという考え方もある
個人的には取り敢えず現状に不満があるんだから銃規制してみた方が良いんじゃね?という感じ
全員で銃の所持を義務付ける方でも良い (明らかに子供が持てないので中途半端になる)
なんとなく語ったが、調べただけの頭でっかちなので、あくまで参考程度にして欲しい
というのも、こういう理論は机上で成立しようと、現実的に不可能であるケースが多い
新卒から一人暮らししてたけど、実家に帰ることにした。親はとりあえず地元に帰ってから転職探せばって言ってくれてる。たぶん帰ったらニートになる。働きたくなさすぎる。
親とあらゆる好みが合わなくて実家に住むのは抵抗があったけど、あまりにお金が無くて一人暮らしのコスパが悪すぎるから帰ることにした。帰るメリット本当にお金のことだけかも。
今まで帰らなかった理由は、近くに友だちが沢山いて、実家帰ると遊べなくなると思って一人暮らし続けてた。でも最近ソシャゲにハマって、友だちと通話しながら遊べるからそれで満足できてる。今のうちに引越ししちゃった方がいい。
実家に帰ると祖父母の介護をする必要があるらしく、介護なんてした事ないからすぐに参っちゃうんだろうな。今は親が面倒みてて、大変だから帰ってきて欲しいって言われたけど、多分私の面倒も見ることになると思う。可哀想に。
実家に帰れば無職になっても親が生かしてくれるだろってものすごく楽観的に考えてる。
親は自分が全て正しいと思って生きてるタイプで私とは真逆だし話してると疲れるけど、なんかもう全部そうやって私の人生決めてくれないかなと思ってる。産んだのそっちだし。無職が家に居座ってて腹立って殺してくれないかな。死ぬとこまで面倒みてくれ。
生きてるだけで死にたすぎて困るけど、一人暮らしだと死にそうなイベント何も起こらない。田舎に住んで人と関わってる方がなんかトラブルとかで死ねそう。これも楽観的すぎる。
全然生きてたくないから一人暮らし面倒すぎて親に面倒みてもらうために帰るつもりでいる。親可哀想すぎる。でももうどうにもならん。引越しの手続き全部だるいけど、これが終わったら無職になれると思ってがんばる。本当に生きてたくないな。はやく人生終わってくれ。
寒すぎてしにたさが増してて困るな。何もしたくないから今すぐ私の上に隕石等の巨大で殺傷力の高い物が落ちてほしい。即死がいいです。