はてなキーワード: 殺人教唆とは
自分で調べたわ
原作版:
融資課のエース滝野は詐欺師石本に脅され5億の架空融資を通してしまう。
そのことがお客様窓口課の西木にバレた滝野は石本に相談。その後、西木と石本が失踪。
石本が西木を殺害したとして滝野は詐欺と殺人教唆の容疑で逮捕されてしまう。
不審に思った銀行員が調べたところ、石本と最初に取引を始めたのは西木だったことが発覚。
西木の遺体は見つかっておらず、架空融資の5億も影も形もなくなっており、
という疑惑を残して話が終わる。
映画版:
融資課のエース滝野は詐欺師石本に脅され10億の架空融資を通してしまう。
お客様窓口課の西木はその件を不審に思い調査をはじめ、石本と銀行店長九条のつながりを見つける。
石本と九条が共謀して滝野をハメたことに気づいた西木は自身の顧客の負債物件を石本に10億円で売りつける。
負債物件の闇が暴かれ価値は暴落、滝野が自首して九条と石本は逮捕されるのであった。
全然違う話じゃねーか!
池井戸、よくこんなクソ改変通したな。
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3) 格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題は Permalink | 記事への反応(1) | 18:32
いいよって言うと殺人教唆になるのでだめです
「娘名義死亡保険契約を一括払いで作れば、満期払戻しのとき非課税になり、娘に知られることもない」
「序章」
https://twitter.com/7QAJlk4GwYbw9NI/status/1618205072013553665?s=20&t=mSe2GXvlwerdBVFSpY7YfA
今回は5年前から毎日追わせていただいている明石六郎先生の最新コミカライズ「絶対に勝てない魔王と戦うとかやってられないので、一緒に召喚されたクラスメイトを皆殺しにすることにした」のPRツイート(上のURL)がかなり拡散されていて、これがめっちゃ嬉しいので明石六郎先生のオススメ作品を紹介していくぞ。
まずは明石六郎先生を知らない人が大多数だろうからプロフィールから紹介していく。
代表作は「地味な剣聖はそれでも最強です」「絶対に勝てない魔王と戦うとかやってられないので、一緒に召喚されたクラスメイトを皆殺しにすることにした」のコミカライズがある。
多くの作品の特徴としては、ファンタジーをファンタジーで終わらせない、異世界であってもそこに住む人々の性格や行動規範にリアルを追求、そして納得できる展開で常に読者の予想を上回り続けてくるのでめちゃめちゃ面白い
まずは処女作である「勇者を切実なほど必要としている世界」から。
この作品は、異世界召喚された一人の少年が王様から平和を乱す魔王を討ってほしいと頼まれる作品だ。
第1話から、「これは日本の健全な男子中学生への、敵国の王への殺害依頼、殺人教唆である」というリアルを読者に突き付けてくる。
普通、王様に魔王を討ってくれと言われて「これは殺人教唆だ!」と思うだろうか。言われてみて初めて「確かにそうだな」と増田は思った。
続いて第2話では魔王を倒す勇者を支える4人のヒロインが出てくる。
彼女たちの登場シーンも痛烈だ。
「ひゅるるるるるる……」
「ここここ」
「ぬぅううううう」
「あああああああああ!」
そこに並んでいた四人の乙女。彼女たちは皆、明らかに火属性やら水属性やらの気配を漂わせているが、そんなことは些細なことだった。全員が身長2m以上、体重が100Kg以上ありそうな筋骨隆々の肉体。女神の加護云々を抜きにしても、熊ぐらいなら首をもぎそうである。
勇者を守り、世界を救うために、彼女たちはいかにして国家に鍛えられたのか、具体的には洗脳付き拘束具とドーピングで最大まで強化されたヒロインたちが出てくる。
世界存亡の前では個人の人権など尊重されないだろうという嫌なリアルが描かれている。
さて第3話ではついに魔王が出てくる。
具体的には、国家によって人体実験されまくって原型をほとんど留めていない魔王が出てくる。
社会のために、世界のために、庶民のために、それらを理由に異世界の勇者へ迷惑をかけないために、彼らはその威信をかけて魔王を滅ぼすか、封じるか、試行錯誤を繰り替えした。
ちなみにこの話のタイトルは「勇者を切実なほど必要としている魔王」である。
残り2話あるけど作品のオチに関わるのでぜひ自分の目で確かめてほしい、5話しかないからすぐ読み終わるし。
明石六郎先生の代表作ともいえるだろう。現在493話で連載ストップ中だけどいつか再開されるらしい、僕は10年でも20年でも待ってます。
あらすじは、「日本の学生だった主人公が神様のミスで死んでしまい異世界へ転移。最強になりたいということで神様から仙人への紹介状をもらって、そこで五百年間の修行を受けた」というなろう異世界系作品にありがちな導入となっている。
なんでも切れる剣を持つ者が最強か?
殺しても死なない者が最強か?
この作品は全てを否定する、493話とかなり長いがどうかご賞味あれ。
今回コミカライズされた作品「絶対に勝てない魔王と戦うとかやってられないので、一緒に召喚されたクラスメイトを皆殺しにすることにした」ももちろんお勧めできる。
この作品は1クラス30人ごと異世界召喚された中で主人公一人だけが魔王に忠誠を誓い、クラスメイト全員を殺していく物語だ。
第一章では、主人公がクラスメイトを殺すためにひたすら魔王に鍛えらえる。
恐らく魔王は主人公を簡単にパワーアップさせられるだろうが、主人公が苦しんだうえでクラスメイトと殺しあう姿を見たいために努力パートが挟まれている。
最初はただ死にたくなかっただけだった主人公は、なぜ苦しんでまで生きるのかを考えることになる。
彼が最終的に見つけたクラスメイトを殺すに足る理由はひどく凡百なものであるが、覚悟を決めるまでの過程はきっと心を動かしてくれる、話数もそんなに多くないのでぜひ読んでほしい。
タイトルは「虎の威を借る狐太郎~パラダイスから来た最弱一般人、モンスターの力『だけ』でAランクハンターに~」
今作の主人公は、モンスターパラダイスというゲームの世界に飛ばされてしまった悲しい一般人だ。
ゲームの世界は非常に過酷であり、簡単に主人公は死にそうになる。具体的に言えば仲間のモンスターたちが敵と戦った余波で心臓の鼓動が止まる。
そんな主人公は最弱でありながら異世界最大国家の英雄として出世していく、本人にとってははた迷惑なことに。
なぜ彼は最弱のまま英雄として祭り上げられるのか。彼の英雄性を象徴するセリフの中で特に好きなものを紹介しよう。
「……俺達は何もしてない。いいや、俺は何もしてない。だったらまあ……命を賭けるぐらいはしよう」
「俺達は怖いし、命を賭けている。でもあそこで戦っている人たちは、怖くて命がけで、しかも疲れて苦しくて痛いんだ。だったら、せめて怖い思いは一緒にしよう」
虎の群れの中にあって、主として居ることを認められた狐。
彼の生きざまをぜひ追ってほしい。
マーダーミステリーとは、ミステリとTRPGを融合させた全く新しい体験型ボードゲーム。
ゲームによって与えられた役を演じ勝利条件を満たすためにお互いを出し抜きあう最新型のロールプレイングゲーム。
逃げ切りたい殺人犯・真犯人を探す探偵・探偵を出し抜かねばならない警察・どさくさに紛れたい盗人・時効が迫った過去の事件の犯人黒幕とも言える殺人教唆犯・特ダネ目当てのジャーナリスト、そして盤面の管理者ゲームマスター、それぞれの役割が与えられそれぞれが目標を目指す。
与えられたトリック、埋め込まれたギミック、プレイヤーはみなエゴイスティック、それぞれの結末がドラマチック。
紙で読んで探偵に先を越されて、犯人と作者だけが知っている情報に踊らされる時代はもう終わり。
テレビ画面の向こうで続けられる推理「わかったぞ。謎はすべて解けた」解答編で突然出てくる最後の証拠、そんな馬鹿げた謎解きが有るか。
全ての手札は与えられている。
目の前の犯人との知恵比べがそこにある!