はてなキーワード: 死産とは
確率じゃ測れない問題だという視点はもっともなんだけど、確率の話をさせてください。
不審者によって危ない目にあう確率というのは、あくまで不審者のほうが「あなたの子供」または「誰でも良いから子供を」狙っていないと起きえません。その点、ショッピングモールなどと違って、温泉旅館で不審者がずっと張り付いている可能性は極めて低いと言えます。子供を死産してしまった精神的に不安定な女性が、気晴らしにと出かけた温泉旅館でひとりぼっちの子供を見つけて、魔が差す…といった確率は、極めて低いということです。
もちろん、これが誰でも入れるスーパー銭湯だとかになってくると、話は違ってくるでしょう。先ほど例に挙げたような不審者が事前に計画を立てるとして、「ひとりぼっちの子がいるかどうかもわからない温泉旅館」に狙いを付けることは考えられませんが、スーパー銭湯に連日通い詰めようと考えることはありうるかもしれないからです。しかし計画するにしても、ショッピングモールではなくわざわざスーパー銭湯を選ぶでしょうか?
ならアメリカだって基本的に英語が通じて生活できるなら同化おわってるってことにならない?
多様化社会で同化をゴールに置くこと自体どうかしてるしそこは賛同いただけたものとおもってるけど
同化したという認識にあぐらをかいちゃうから新しい多様化なんてものはイカンおさえつけようってなっちゃうわけで
移民はダメとかいってるから裕福な中国留学生に知識だけ持ち逃げされるし
貧乏な研修生を妊娠出産(しかし貧乏ゆえの死産)したというだけで殺人罪逮捕してんだよね、日本人の種でうまれてたらそれ日本国籍取れるんじゃなかったっけ?その母親は追い返して孤児だけゲットしたかったの?あらあら
この国あほだよ
妻が死産したときは、病院の契約している業者が病院から埋葬まで一息に対応してしまって、火葬場で立会することもできなければ灰が戻ってくることもないってところだった。
当然、業者を通さなければ遺体は引き取れるけど、代わりに火葬場へ連れて行くところからすべて自分でやらないといけない。
どちらにせよ火葬許可証は自分で役所に取りに行くから火葬場まで自分達で行くくらいはできるだろうけど、そこから埋葬まではかなり厳しい。妻も入院してるし。一人で方々に連絡をとるのは精神的につらい。
というところを考えて結局その業者に頼んでしまった。かなり経ってから埋葬されていると聞いた寺へお参りに行ったけど見送りすらできなかったつらさを思い出してしまう。
子供を死産した父親がその子を火葬して遺骨と共に自転車に乗る話だ
男は子供が産まれる段階になっても父親となった気がおきず、子供に愛情があまり向かなかったようだ
だがその子供は出産直後に一度だけ産声をあげたきり亡くなってしまった
男は愛情のわかない子供の遺体引き取りや火葬などの行政手続きをするため書類を書くのだが、そこで子供の名前を書けと言われる
一瞬でも声を上げた子供は行政上はこの世に生まれたことになり、名前や戸籍を持つからだ
一度も目を開けず抱きしめてもいないで亡くなった子供の名前を考えるなんて馬鹿げていると男は感じたが、いざ書こうとすると亡くなった子が急に愛おしくなったようできちんとした名を与えたくなった
タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点の体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妻が妊娠すると男性も覚悟を決める。しかし、(過去の自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりとしか想像できない。稚拙ながらも自分の体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。
分娩室。妻につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれて妻のうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値が妻の痛みを表している。全力で妻をサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯瞰映像を想像して立ち振る舞う。男性は手が大きいので、より効果的にさすることができる。胎児の心臓が止まっていると分かったのは、6時間前のことだった。
妻がついに妊娠した。待望の我が子で、出産月のコントロールなどとうに諦めていた。妊娠後の検査は全て正常、胎児の推定体重は発育曲線のど真ん中。妊娠週数を横軸としたグラフに推定体重を書き込み、発育曲線なる2本の曲線の間にあれば正常とされる。何も定量的な説明はなかったが、胎児の体重はおそらく正規分布に従うので、上下の発育曲線は平均±数σを表しているのだろう。曲線の離れ具合から、発育が進むにつれて分散が大きくなると読み取れる。ちょうどそのど真ん中で、初めての我が子は順調に育っていた。早々に名前をつけて、膨れ上がった妻のお腹に毎日のように話しかけた。
無痛分娩に興味があった。背骨と脊髄の間にあるわずかな空間に麻酔薬を注入して分娩にともなう母体の苦痛を軽減する。一定のリスクはあるが、メリットが大きく上回る。無痛分娩のためには麻酔科医の予定を抑える必要がある(※後で知ったがこれは産院によるらしい)。出産予定日は3月末だった。つまり、無痛分娩を選択することで子の早生まれが確定する。ひょっとしたら4月生まれになる可能性もある。そんな淡い期待を胸に、私たちは自然分娩を選択した。
私は3月生まれであることがずっとコンプレックスだった。早産の早生まれ、背の順は常に先頭、鬼ごっこではいつも鬼、50m走のタイムは肥満児より遅く、ドッジボールではただの的、組体操のピラミッドでは頂上から落ちて何度も死ぬ思い。身体的・精神的な発達の遅れに由来する傾向は「相対年齢効果」と呼ばれ、特に男子の場合は生涯賃金の観点で一生の足枷となる。これは歴然たる統計的事実として知られている(ちなみに、女子もしくは学力上位の男子ならばこの呪いの例外となる。興味があればGoogle Scholarで検索してみてほしい)。子の幸せを願う親として、自分と同じ思いをさせてはならないという使命感が、自然分娩の選択を後押しした。
出産予定日に陣痛が起こり、病院に着いてから胎児の心臓が止まっていると分かった。1週間前の検診では何も異常がなかったため、その間のどこかで突然死したことになる。我が子の突然死。目の前の現実を受け入れられず、ただただ夫婦二人でむせび泣いた。
分娩室。妻から我が子が押し出されてきて、一瞬の静寂が広がる。子はすぐに医師がどこかに連れて行ってしまった。分娩室は静まりかえっている。蘇生の可能性はゼロ。突然、遠くから赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。我が子の声ではない。不快な、怒りに近い感情が湧き上がる。元気な泣き声がナイフのように心に突き刺さる。どうしてうちの子は。心に深い闇が広がる。妻の一言で、自分が強い嫉妬の感情を抱いていることに気づかされた。「向こうの子は無事に生まれて良かったね」妻はいつの間にか、すべてを受け入れていた。
妻と私、そして布で丁寧に包まれた我が子。一晩を一緒に過ごすことになった。「かわいいお顔を見せてくれてありがとう」口ではそう言いつつ、顔が明らかに赤黒く変色し、傷ついた皮膚から血が流れているのに言葉を失った。病室に来る助産師達はしきりにスキンシップや沐浴を勧めてくる。私はこれが全く理解できなかった。腐敗防止のために徹底的に冷やされている我が子を触り、その金属的な冷たさを感じるだけで心が締め付けられる。おくるみの下にはきっとドライアイスがあるのだろう。定期的に交換してくれている。なぜ進んで苦しい思いをする必要があるのか。言語化できない恐怖感があった。あまりにも触らないためか、助産師が手形と足形を取ってくださった。このとき抱いていたのは恐怖感ではなく、エゴ由来のただの現実逃避であったと後に気づく。
役所での手続きは事務的には簡単で、精神的には苦痛でしかない。病院で受け取った死産届に記入し、役所に提出すると火葬許可証が発行される。予め出生届の記入方法を調べていた。死産届の様式が出生届とほぼ同じであるのに気づき、スムーズに記入できたが、子の名前を書く欄はない。様式からも現実を突き付けられた。火葬業者によっては、代理で届けを出してくれるらしい。
火葬場では地獄のような時間を過ごした。大人と違って赤ちゃんの棺はとても小さい。100サイズの段ボール箱とちょうど同じくらいの大きさだ。棺は私が運んだ。今でも100サイズの同じくらいの重さの段ボール箱を持つと当時の記憶がフラッシュバックして涙が出る。火葬後のお骨上げはただただ拷問のようだった。赤ちゃんの骨は割り箸のように細く脆い。頭蓋骨は割れたプラスチックの破片のようだ。「産道を通るために赤ちゃんの頭は形が変わるようになっている」という知識が目の前の現実と急に結びつく。赤ちゃん用の骨壺はすぐには入手できない。仕方なく、急ぎホームセンターで入れ物を購入した。「こんなのでごめんね」
我が国における年間の自然死産数は約8000程度で推移している。その他、新生児死亡や乳児死亡も含めると、毎年約1万人を超える赤ちゃんが旅立っている。これほどまでにつらく悲しいことがあるのかと、絶望に打ちひしがれていたが、同様の絶望は人知れずそこら中で起こり、大きな悲しみを背負っている人達がたくさんいることを知った。死産を繰り返した人、出産で妻と子を同時に失った人。つらい経験をした家族達が集まって語り合う自助グループが数多くあり、「グリーフケア」という名称で様々な取り組みやビジネスがなされている。関連書籍も多く(「産声のない天使たち」「誕生死」等)、図書館には必ずあるだろう。供養の方法は複数あり、水子供養の場合はずらりと並んだ小さな骨壷を目にすることになる。「天国で友達たくさんできるかな?」
ポジティブに捉えると、妻と一緒に同じ苦難を乗り越えたことで、お互いの心の結びつきが一層強くなったように思う。妻との関係性が、これまでにない、かけがえのないものに変化した。妻の人柄や屈強なメンタルに、改めて敬意を抱いた。
後悔は二つある。
第一に、無痛分娩を選ぶべきだった。出産が遅れるほど分娩リスクは高くなる。無痛分娩であれば、出産予定日よりも前に強制的に分娩させられるため、リスクが相対的に低いのではないか(正確には医師に相談されたい)。本事例では、出産予定日の1週間前には無事であったため、無痛分娩であれば死産を避けられていた可能性がある。「4月生まれになるかも」などという勝手なわがままで我が子を間接的に殺したのでは、という自責の念に駆られている。
第二に、我が子ともっと向き合うべきだった。完全に冷え切った子に触れるのには勇気がいる。スキンシップや沐浴を勧めてくる助産師がサイコパスのようにさえ思えた。これは完全に誤りである。夫婦水入らずで、最後の姿をまともに見られるのは、このタイミングしか残されていない。火葬したら骨になってしまう。家族写真・手形・足形・遺骨だけでいいのか。せめてスキンシップだけでも、精一杯向き合って、家族の思い出を作るべきだった。
皆さん、心優しいコメントをどうもありがとうございます。お察しのとおり、子が旅立ったのはコロナ禍前です。ちゃんと言葉にできるようになるまで、事実を客観視できるようになるまで約2年半かかり、同時に、受容が進むにつれて記憶が薄れるのに気づき、一気に書き出しました。的確なご指摘が多く、勉強になると同時に、自分自身の認知の歪みにも気づかされ、励まされました。
本記事へのトップコメントはこちらからご覧になれます。つらい思いをしている方が、少しでも前向きに、励まされることを願っています。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221225220743
俺と妻は高校時代から付き合ってるんだけど、2人とも奥手かつ流され屋かつ恥ずかしがり屋が重なり、結婚して妹にせっつかれるまでセックスはおろかキスもしたことなかった。大学時代には毎週末、手を繋いで科学博物館に行き、近くで夜ご飯を食べて解散していた。
初夜を経て約10年。4回の流産と1回の死産を経た子なし夫婦なんだけど、妻が生理の時以外は毎晩セックスしている。これはお盛んなのではなく、10年間を経て「毎晩セックスして辛くないか、そのことについてどう思っているのか」ということを聞けないし言い出せないから。俺はそうだし、向こうもそうだと思う。
時間も行為も完全にルーティン化していて最早ルイ14世のように「時計が有れば俺たち夫婦が何しているかわかる」状態。
布団に入る→俺の前戯→妻の前戯→挿入→正常位→騎乗位→正常位→終了。その後俺が妻に服を着せて、俺が服を着ている間妻は水風船のように縛ったゴムを指でペチペチ弾いている。その後アイテムか何かが復活した通知が妻のスマホに鳴って、妻はゲームに興じる。俺はキニ速と増田を見る。そしてしばらく経つと寝る。この間ほぼ無言である。
会話もなく、イベントもなく、惰性のセックスだけが毎晩繰り返される俺らの夫婦生活をウィリアム・フォークナーが知ったら確実に小説にしていると思う。俺は南部軍の軍人でサトウキビ農家、妻はサトウキビ農家の娘。何がなんでも税金は納めないし、郵便受けの設置は拒むし、黒人には絶対道を譲らない南北戦争に置き去りにされた孤独な南部夫婦として描かれる気がする。お互いが死んだら何も残らない夫婦だけど、こんな2人がいるということを記憶の片隅に置いておいてくれ。
これを見ると高齢出産のダウン症は運良く流産になる事も多いから、現れてる数字ほどには心配しなくてもいいらしいよ
https://president.jp/articles/-/33577?page=2
いま35歳におけるダウン症候群の児の出生頻度を300分の1と述べましたが、実はこの数字には注意が必要です。インターネットなどで調べるといろいろな数字が出てきます。高いものでは250分の1、低いものでは450分の1という頻度が出てきて、倍近くも違うので一般の人はしばしば混乱します。
これほどの差が出てくるのは、妊娠中のダウン症候群の胎児の流死産率が高く、妊娠のどの時期か、あるいは出産時かによって、その頻度が大きく変わってくるためです。
いま35歳におけるダウン症候群の児の出生頻度を300分の1と述べましたが、実はこの数字には注意が必要です。インターネットなどで調べるといろいろな数字が出てきます。高いものでは250分の1、低いものでは450分の1という頻度が出てきて、倍近くも違うので一般の人はしばしば混乱します。
これほどの差が出てくるのは、妊娠中のダウン症候群の胎児の流死産率が高く、妊娠のどの時期か、あるいは出産時かによって、その頻度が大きく変わってくるためです。
胎児の染色体の病気というのは実はめずらしいものではありません。受精したときには受精卵の10~20パーセントの割合で存在していて、その多くはその後の妊娠の進行とともに流産したり死産となったりします。
ダウン症候群の子どもは一般に800~1000人に1人の割合で生まれ、この数字は人種や子どもの性別にかかわらずほぼ一定ですが、やはり受精した当初はこれよりもくらべものにならないほど高い割合で存在するといわれていて、その後の妊娠の経過でそのなかの80パーセント以上が流死産で失われるといわれています。
受精時には存在したダウン症候群の胎児のなかで、妊娠の10カ月間をとおして順調に発育し、臨月(妊娠満期)で生まれてくることのできた20パーセント近くの子どもは、ダウン症候群のなかでもとくに選ばれた強い生命力をもっているといえるのかもしれません。
ですからダウン症候群の子どもといっても、妊娠16週くらいにおこなわれる羊水検査であきらかになる頻度にくらべると、妊娠満期まで生存して生まれてくる頻度は30パーセントくらい低くなります。
来世はうんち(=死産)になりそう。
妊娠12週=死産届が必要→人の形になる(臓器などが一通り揃う)
妊娠22週=日本で中絶できる上限→救命できる限界だった(肺サーファクタントの産生が始まる=呼吸させられる)
出産時=法律上の権利が発生する→新生児に直接的に危害を加えられる(人権保護の対象となる)
中絶が合法化されてる胎児と中絶禁止週数を過ぎた胎児と生まれた赤ん坊の何が違うかって、あえて線を引くなら「胎児の生存が母親の人権とコンフリクトするか否か」が最大の違いなんじゃないの。
だから中絶を部分的に禁止している国や自治体でも、適切な医療措置さえ施されていれば胎児の単独生存が可能な週数(本邦では22週)を過ぎていれば中絶を犯罪とするし、週数を問わず禁止としている国でも、妊娠の継続が母体の生命や人権を脅かす場合(妊娠継続により母体に健康上の死の危険がある、性犯罪被害によって起きた妊娠であるなど)だけは例外として認められるのが一般的になっている。現在アメリカの保守州で次々通ってる禁止法はこの例外条項すら認めず、妊娠したのが子供だろうが性犯罪被害者だろうが一律に禁止して裁くような条文になってるから大きな非難を受けているわけだが。
人工子宮など、望まない妊娠をした女の胎内から医者がいつでも胎児を取り出して育てることができる技術がもし実現すれば、中絶も産まれた赤子を遺棄したり、中絶可能週数を過ぎた胎児を中絶?/死産?したのと同じだけの罪に問われるような法改正が行われる可能性はある。
ただ今のところはそれが技術的に不可能なので、コンフリクトした人権のうち既に生きている母体の人権を優先する運用がやむなくとられているだけと自分は解釈している。
この先超少子高齢化で子供が生まれず年寄りだらけになって日本が滅ぶのがわかりきっているとしても、今いる年寄りを全員ある一定の年齢で殺処分したり、年金を打ち切って年寄りを見殺しにし、社会保障費を減らすわけにいかないのと同じだ。今いる年寄りの生存権を守る為に社会保障費を爆増させ、その結果若者が経済的困窮で子供を作れなくなっても(いうなれば国に強要された社会的堕胎の犠牲者となっても)誰も罪に問われることがないのと同じだ。