はてなキーワード: 歴史教育とは
http://www.ikedahayato.com/20140602/7276724.html
これを読んでふと思ったけど、
ほら北朝鮮の人はみんなとても人がよさそう
http://image.news.livedoor.com/newsimage/4/2/42b33_1524_a004949b4587fa5dd6639dfe5ac9cff7.jpg
北朝鮮のほうが絶対安そう。そのうち慣れてくるから美味しくなる。
http://www.ryoko.info/Temperature/northkorea/northkorea.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%A3%8C%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF
歴史教育に重点が置かれているから高知の比じゃなく洗脳レベルで歴史に対するリスペクトがあるよ!
坂本龍馬に負けないくらいの偉人、金委員長のDNAが全員に受け継がれているよ!
北朝鮮にだって『アツいビール』大同江ビールがあるから負けてないよ!
この結果から、東京→高知に移住するよりも日本→北朝鮮に移住したほうが断然いい。
というわけで、”まだ日本で消耗してるの?”
お亡くなりになった元自衛官の今井雅之さん脚本のthe Winds of Godっていう舞台が高校の演劇教室であって見たのだけど(演じていたのがどこの劇団なのか調べてなかったし、数年後同じ舞台を見た時に内容がちょっと変わっていた)、
結構うちの高校の人たち感動してて(他の学校の高校生に聞いたらそうでもなかったって言ってた)、
いやー良かった、って一番お世話になってた世界史の先生に軽く言ったんだけど、
その後だったと思うんだけど、経緯はよくわからないのだけど、小林よしのりの戦争論が教室内で流行って、勧められたんだけど、
最初の数ページ読んでこれはやめた方がいいって思ってすぐ閉じた。
世界史の先生が微妙な顔をしていたのはどういう理由からなんだろうとも思った。
うーん、教師に政治的中立性とか言わないで、最初から自分にはバイアスがあるって表明した状態で、授業した方がいいんじゃないかと思った。
あと、戦争の話をマンガで知るのはストレートに入ってきすぎるし、疑問を差し挟む暇がないし、インパクト強すぎると個人的には思っているが。
無意識な部分に入り込むし。
少なくとも、戦争には色んな局面があるし、一冊の本で十把一絡げにして語るのは難しい。
関係者がいなくなることで語りやすくなる部分もあるのかもしれないけど、
関係者がいなくなる前に語るべきことはたくさんあるとも思う。
高校までの歴史学って倫理学が絡む部分があって、大学でやる歴史学とは全然違うよ、とは言っとく。
過去の教訓とかそういうのを歴史学でやるは高校までな感じ。あれは歴史研究ではないと思う。研究の動機にはなり得るが。
日本の高校までの歴史教育は長らく国内国民の被害に終始していたし、市民の視点(主に被害)が大きかったと思う。
そのことが日本人のいい人感を生み出すという功を奏した部分があったという印象を受ける。
なので、近現代史拡充が日本の人の精神性をどう変えるかちょっと気になっている。
頻繁に海外を行き来する国家という単位についての感覚は違うなって。
でもネットでよくわからない情報を元に勝手に思考形成されるよりはいいかなと。
武家は、統治のために中国の儒教に倣ったからで、そしてそもそも儒教は社会構造を維持するための宗教だ。日本史の教科書には儒学とか朱子学とかさらっとしか書かれていないけれど、徳川治世は政教一致で、儒教は社会の本質を担う物凄く重要なものだった。
そして例えば、長幼の序(年功序列)とか、男尊女卑とか、御先祖様がどうだとか、上座下座とか、家父長制(天皇制が典型)とか、未だにある。そしてそれは道徳と称され、確信的に(加害者に悪の自覚が無く)差別が行われている。
さらにそれがとりわけタチが悪いことに、儒教の教義を信奉している当人に儒教徒であることの自覚が無い。それで、「日本人は無宗教」という言説が定説になっている。
日中戦争や太平洋戦争をした原因にも、儒教がある。儒教は身分差別・階級差別の宗教なので、どちらが親分か、どちらが兄貴か、優劣(序列)がある。そうして、他者を蔑んだり、権威にひれ伏したりする。「大東亜共栄圏」という概念は、日本が東アジアの盟主(親分)たらんとしたものだ。
日本では、少なくとも戦時中までは公然とアイヌ人や沖縄人(「沖縄県民」)を差別してきたし、韓国人や中国人は未だに事実上の差別を受けている。戦前の政府は日本社会のシステムを押し付けて、創氏改名を行わせた。それは韓国人に対してだけではなく、アイヌ人にも行われた。侵略され植民地化されたからには、日本の論理を受け入れるしかなく、多くのアイヌ人は和人と同化せざるをえなくなった。
「国家神道」とかいうけれど、それも、神道の皮をかぶった儒教だ。天皇を家父長にした、身分差別、階級差別の宗教だ。
日本人は、正しい歴史認識をしていないし、戦争を反省もしていない。なにせ、儒教徒である自覚が無いのだから戦争の原因を認識していない。だから、謝罪をしても反省はしていない。しかも困ったことに、中国人や韓国人も儒教徒だから、問題の本質が解決する可能性がない。
最後に
ちょっと前にキャバクラでライトなネトウヨみたいな若い女の子が付いた。地方から出てきた高卒で二十歳間もない女だ。
ちょうど北条かや似でキャバにしてはめずらしいヲタに好まれそうな清楚風メイクの子だった。
俺は酒席で政治関係の話をするのは好きではないのだが、どうもオッサンは政治ネタに食いついてくると思い込んでいるのか、
自己紹介から早々に国際政治の話をふってきた。「お客さん最近の中国どう思いますか?」と。
ネトウヨっぽいと書いたとおり、近年の中国の政治動向について批判まじりにしきりと話し続ける。
俺は辟易としつつも話に付き合っていたが、しばらく会話を続けいてると、彼女がどうも奇妙な誤解に基いて話をしていることに気づいた。
彼女は第二次世界大戦で日本は中国と戦い(それ自体は事実だが)、米国と一緒に中国を打ち負かしたと思っていたのだ。
俺は少し意地悪な気持ちで歴史の事実を伝えた。日本は(統治下の朝鮮と共に)米中と戦い、そして負けたのだ、と。
この点に関しては左右を問わずに是とする事実だろう。太平洋戦争は、決して日米と中韓の戦いではない。
だが、彼女は食い下がった。日米は同盟国で中韓は反日だ。それに日本が米国と戦うはずがない。米中が仲がいい訳がない、と。
不思議と「日中戦争」や「上海事変」といった言葉だけは知っているらしい。また、思った通り南京事件は捏造だとも語った。
俺は更に突っ込んで、だったら広島と長崎に原爆を落としたのはどの国だ、と訊いた。すると、彼女は北朝鮮だという。
この答えにはさすがに閉口させられ、俺はそれ以上突っ込むことはやめた。議論する価値もない人物だと思ったからだ。
さきほどネトウヨと書いたが、これは実際のネトウヨ連中に失礼な物言いだったかもしれない。
ネトウヨを自認する連中が太平洋戦争の顛末と、原爆投下に関してそこまで誤った認識を持っているとは信じがたい。
彼らは歴史の事実というより、事実の解釈をめぐって闘争しているのだと思う。
他方、キャバクラ嬢はそうした珍妙な歴史観を家族や友人から教わったという。
(驚くべきことに)北朝鮮から原爆攻撃されながらも、辛くも勝利を収めた話として認識しているようだ。
(ちなみに、天皇はイエス・キリストとブッダの血を引いているとも主張していた。天照大神を知らないらしい)
なるほど、それならば北朝鮮に対して激烈な怒りを持つのも理解できるし、中韓を見下すのもよく分かる。
彼らにしてみれば、北朝鮮は国家の怨敵、中韓は敗戦国にも関わらず日米に楯突く負け犬といったところだろう。
最近のテレビで大流行の日本礼賛は、こうした層を狙い撃ちにしているのだろうか。
彼らが戦時中の主要敵国は米国であり、原爆は米国によるものだと知ったらどう思うだろうか。
そもそも、日本こそが敗戦国であり、天皇は(一時期を除いて)日本土着の宗教共同体の首長に過ぎない。
それとも、現状を鑑みてアナクロニズムから、それは中韓による捏造、宣伝工作の類だと思うのだろうか。
どちらにしろ、この国には予想を遥かに超える誤った歴史認識を持った層が存在することは確からしい。
ていうか、日本という国の歴史を教えようと思ったら絶対に宗教への言及って必要なんだよね
昔の偉い人が仏像や寺院を作ったっていうどうでもいい話から、出家して名前が変わるとか、寺を焼き討ちした結果とか、
キリスト教を弾圧して鎖国したとか、天皇を神格化して戦争したとか
世界史でも、文明の成立から始まって、ヨーロッパの中世から、イスラム教の成立まで言及が及ぶ
これがアメリカの歴史の授業だったら、宗教の話出てくると思う? イギリスの歴史でキリスト教以外の話出てきそう?
日本人は教育課程で、宗教はひとつだけじゃないってこと、絶対的なものじゃないってこと、客観的な見方を教えられる
★子供の社会科教科書を見ると、堂々と「吉野ヶ里遺跡」と「三内丸山遺跡」が載っていて、
激しく「ジェネレーションギャップ」を感じてしまった。
というのも、われわれ世代(40歳代)にとっては、吉野ヶ里や三内丸山は「ニュースの事象」であり、
吉野ヶ里の「発見」が1989、三内丸山の「発見」が1992。
当時自分は大学生ないし社会人で、これら遺跡は「ニュースで知った」ものであり、「教科書で知った」ものではない。
たぶん、今の40代より上の世代は、教科書でこの2つは習っていないはず。
なので、今の40代とか50代では、吉野ヶ里や三内丸山は「そもそも知らない」という人の方が多数派なんじゃないか?
これら世代で吉野ヶ里等を知っているのは、地元民または観光業界人または歴史マニア。
という訳で、
「遺跡が見つかるキッカケは、公共工事や商工業開発が多い」という「生きた授業」を子供相手に展開してやった。
★我々の世代は、せいぜい「登呂遺跡」を覚えておけば、事足りたと思う。
一方、今の子供の世代は、登呂遺跡以外にも吉野ヶ里とか三内丸山とか、覚えることが増えて大変だなあと同情してしまう。
吉野ヶ里とか、工業団地開発を計画しなかったら、遺跡は見つからなかった=教科書の記載も減ったわけでして。
・・・と書こうと思ったら、「登呂遺跡は、教科書によっては、記載を外しているケースもある」らしい。
子供の記憶容量は有限だから、教科書記載事項を巡る「競争」は激しく、スクラップ&ビルドも激しいらしい
・・・となると、おじいちゃんおばあちゃんが、孫を連れて静岡に行って、「これが有名な登呂遺跡だよ」と案内しても、
孫が「何それ?習ってないよ」という世代間すれ違いの悲劇が発生してしまう危険性がある。
※というか、実際静岡の人のブログを見ると「子供の教科書に載ってなくて会話すれ違い」報告有
★「一番歴史学習が大変だった」世代は、「1999頃に歴史を学習していた世代」じゃないか、という気がする。
あの頃は三内丸山も教科書に掲載されたうえ、旧石器時代の記載も「充実」していた。
→その後、毎日新聞のスクープで、旧石器時代の殆どが教科書から削除された
吉野ヶ里や三内丸山クラスの遺跡発掘のニュースが、この20年間聞こえてこない、
そのこと自体が「失われた20年」を象徴している。(公共工事激減と比例)
・・・或いはアベノミクスで、再び吉野ヶ里クラスのが見つかるか?
★登呂遺跡の件、もう少し調べてみたら、実は「登呂遺跡の教科書記載」そのものに「政治的な意義」があったらしい。
登呂遺跡発見の「政治的意義」とは、「日本書紀記載の年代以前に、東日本に稲作が伝わったこと」の立証。つまり「日本書紀の否定」
まあ、実際の学問レベルでは、日本書紀を否定する研究もされていたのかもしれないが、それが義務教育教科書に掲載されることがなかった。
義務教育には日本書紀や古事記が掲載され、子供は歴代天皇の暗記を強要された
つまり、「日本書紀・古事記・歴代天皇暗証の「偽歴史」を教育する」、そういうナンセンスな歴史教育は終了した、
そういう「歴史教育民主化・自由化」「もはや戦前ではない」のシンボルとして登呂遺跡が存在した。天皇の人間宣言と同趣旨
となると、直近の「登呂遺跡の教科書引退」の政治的意義は、歴史教育において「もはや戦後ではない」とアピールする効果。
登呂遺跡の「政治的役割」は、歴史的意義を終えた、ということなのかもしれない。
※GHQが必要以上に登呂遺跡の「意義」を強調するよう、教育介入したような気もする
★縄文時代、旧石器時代の存在は、日本書紀や古事記と真っ向対立。
多分、戦前の教育では縄文や旧石器時代は存在しないことになってた
だから、最大70万年前の旧石器時代の遺跡を発掘した「ゴッドハンド藤村某」などは、世が世なれば不敬罪になってたんじゃないかと心配する。
そもそも日本書紀や古事記の世界では、神がイザナギ・イザナミを作って、それから世界が出来た。
→多分、戦前は「恐竜の存在」は義務教育では認められなかったのではないか?
そう考えると、恐竜をモチーフとした「映画ゴジラ」は、イザナミ・イザナギの世界観を否定する恐竜をモチーフにした、ということで、極めて戦後的な気がする。
個人では購入するのを躊躇してしまうような高価な学術書や専門書、
貴重な文献や資料を保管するという意味では、図書館は大いに存在意義があると思う。
歴史教育や文化理解、研究活動の役に立つのだから、そのために税金を使うのは構わない。
それが図書館の使命だろう。
けれど、ただの流行の娯楽本(主に純文学やら一般文芸やらライトノベルのことだ)を
無料で貸し出すというのは、何か間違っている気がする。
しかも人気作家の新刊だとたくさん入荷したりする。庶民の人気でも集めようとしているのだろうか?
読書というのはマイナーな趣味だ。読書をする人よりも、読書をしない人のほうが圧倒的に多い。
そんな一部のマイナーな趣味を持つ人のために、図書館が娯楽本を無料で貸し出すのはおかしい。
娯楽に対して税金を投入するのは間違っている。明らかに税金の無駄遣いだ。
「図書館が買い支えているおかげ出版社や零細作家が助かっている」と反論する人がいるかもしれないが、
そんなことは娯楽本を読まない人にとっては関係ないだろうし、
そもそも図書館が娯楽本を仕入れなくなっただけで経営が危うくなるような出版社など、遠からず倒産してしまうのではないか。
増田にも書いてあったが、あれは「北斗の拳」と同じような扱い。あるいは「るろうに剣心」や「銀魂」と同じような扱い。一部史実を元につくったファンタジー、フィクション、でしかない。それをやれ戦争の悲劇を描いただの、歴史教育がどうだのというからおかしくなる。戦争と原爆を使った単なる娯楽作品であり、歴史教育に使えるようなシロモノではない。
閉架問題に関して言えば、図書館にいったいどれだけ閉架の書籍があると思っているのだろうか。この本の閉架を問題にするのであれば、全ての閉架図書を開架する運動をすべきだ。この一作品にだけ目くじらをたてて閉架拒否するのは、思想的な思惑以外になにがあるというか。
グロテスク、性的表現について。世の中はそういう表現について日増しに厳しい規制をしいている。ならばこの作品も、18禁のラベルを付けてきちんと規制すべきではないだろうか。歴史的作品の皮をかぶっているから規制はスルー、というのはあまりにも卑怯だ。