はてなキーワード: 歴史問題とは
日本が太平洋戦争を遂行したときの日本のトップは昭和天皇だった。
しかし、昭和天皇本人ではなく、その親族に対して、同じ責任を要求するのは、論理的に筋が通っていないと思う。
女性皇族のI子様は、学校で同級生の意地悪な男子に「税金泥棒」などと悪口を言われてイジメられていた、という話があった。
父親の職業が税金で暮らしている皇族だからと言って、その娘が同様に非難されなければならない理由にはならない。
なぜなら、父と娘は別人だからだ。
もしも親を選んで生まれてきたという人がいたら、その完璧な証明をして欲しい。
なぜ、親を選んだと言えるのか?選ぶ方法を具体的に提示して、客観的に証明すべきである。
I子様だけでなく、M子様やK子様も同様である。
親の職業や、曾祖父の犯罪によって、彼女たちが非難されなければならない理由はない。
なぜなら、彼女たちが開戦を指示したわけではないし、両親を選んで生まれたわけではないからだ。
もしも、この主張に反論があるなら、その完璧な証明を提示しなければならない。
もしも、いたら反論を書いて欲しい。念のためその内容を吟味してみる必要がある。
しかし、現実には、論理と感情が分裂して、別々になってしまっている人が多い。
なぜか?
物事をありのままに見つめて、好き/嫌い/無関心という感情が発生する前に、正/非/未定という論理が先行していれば、論理に基づいた感情の構築ができる。
しかし、思考を停止して、論理の構築ができない場合は、論理とは分離された感情のみが生じてしまう。
その場合は、正しいか間違っているかとは関係なく、好きか嫌いかで物事を見定めてしまう。
などという感情は、確かにそう思ってしまう人がいるのは、心情としては理解できる。
しかし、それは論理として筋が通っているか/否か、正しいか/間違っているかの基軸で再評価した場合、必ずしも正しい言説とはなり得ないのである。
【ソウル時事】韓国の文喜相国会議長は18日付の韓国紙・朝鮮日報に掲載されたインタビューで、慰安婦問題で天皇陛下の謝罪が望ましいと述べたことについて「(発言に関し)謝罪する考えはなく、そのようなことでもない」と断言した。また、「戦争や人倫(人道)に関連した犯罪には時効がない」と主張した。
文氏は聯合ニュースとの会見では「謝罪すべき側(日本)がせずに、私に謝れとは何だ。盗っ人たけだけしい」と非難。慰安婦問題などをめぐる日韓摩擦の背景には、国内政治を意識した「安倍晋三首相の政略的な思考がある」と強調した。
日本政府は謝罪と発言撤回を求めているが、文氏自身が拒否の意向を改めて明確にして反発したことで、早期の幕引きは極めて難しくなった。
文氏は朝鮮日報に対し、日本国内で韓国へのビザ制限など報復措置を求める声が出ていることについても「小利を得て大利を失うことであり、子供のいたずらのような話だ」と批判した。
問題となった自身の発言に関しては「韓日間の歴史問題に関する和解に向け、日本を代表する首相や国王(天皇)の誠意ある措置が必要だという次元からした話だった」と説明。「謝罪の主体としては、現職首相の安倍晋三首相が1位、その次が国王(天皇)になる」と語った。
(2019/02/18-11:22)
※この文章を読んだ日本国民および日本政府関係者は、速やかに韓国語に翻訳して、韓国国民および韓国政府関係者に通知して、正しい説明を求めるべきである。
韓国人および韓国政府の不正を見過ごし、妥協することは許されない。
20年以上前のことです。バックパッカーだった私はタイのサムイ島に着きました。
港から宿までは宿のトラックの荷台に乗り南国の開放感に浸っていました。
途中で東洋風の顔立ちのバックパッカー2人組が同乗してきました。
バックパッカーとして親近感を感じて、私は2人に話しかけましたが、完全に無視されました。二人の持ち物にはハングルで何か書いてありました。
存在すら否定されるような無視のされかたで大変ビックリしましたが、深入りせず、そのまま黙って乗っていました。
そのあと、車がトイレ休憩の時に二人組の一人が車からしばらく離れると残った一人が謝ってきました。
自分たちは韓国の兵役が終わったばかりであること。一緒にいるもう一人は歴史問題で日本が大嫌いであること。
というような内容でした。関係性はよくわかりませんが、もう一人の前では日本人と仲良くできないようでした。
テレビなどで反日感情の存在は知っていましたが、実際に体験したのはその時が初めてでした。
以来、私は彼の国が好きになれません。
その後知り合ったイギリス人のおじさんにその話をしたら、君みたいな若い人がそんなことを気にする必要はないと言ってくれました。
多分五体満足に生まれた存在の中で一番差別やらなんやらで辛い思いをしてるのって
顔と挙動がキモくて無能でコミュ力もないような俺みたいな存在だと思うんだけど、
結局こういう歴史問題になるような大義名分もなければ救う価値すらないような存在ってポリコレの目には一切入らないんだよね。
最近海外ドラマ見始めたんだが、あいつらって本当にこれでもかってくらいポリコレ配慮用の描写を入れるくせに
無能な存在への当たりは日本より厳しくて、ちょっとでも無能だったら無能を理由に即解雇やら退学させてそれを滑稽なピエロとしてギャグにまでしてしまう。
俺は驚いたよ「あのポリコレ大国ですら運悪く無能に生まれてしまった人間は平気で差別するんだ」ってね。
例えば採用時の実質的な低IQや発達フィルターである筆記試験なんて学習障害の傾向がある人間にとってはこの上ない差別だろうけど、
それは社会合理性のものでその差別は差別とされず『努力で多少はなんとかなる』なんて言い訳をされながらまかり通っている。
そら嫌だよね。無能と一緒に仕事するのは。俺だって嫌だ。無能を淘汰するのは非常に合理的だ。でもポリコレってそういうものだっけ?
俺は気づいたよ。結局ポリコレなんて救って気持ちよくなれるような存在しか救わないんだよ。
差別できる合理的理由と言い訳があれば平気なツラして差別するし、『救う価値がある属性』『救う価値のない属性』を選別して、
本当に救う価値すらないようなゴミカス人間は視界にすら入らない。
なに?だったら声をあげろ?知ってるよ。俺らみたいな透明人間の声なんて誰一人にも届かない。
ただ言わせてほしい、お前らが暇つぶしではあちゅうの童貞いじりをネタにしょーもない議論をしている間に、
何もかも恵まれて生きてきたクソ女どもが公衆便所の棒人間が性差別だとケチつけている間に、
運悪く無能で醜く生まれてしまった俺は毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日差別を受けて死にそうになってるんだよ。
だから救ってくれなんて言わないよ。
カナダ人(移民1〜2世とか以外の)って、多くの社会問題や歴史問題などについて、
自分達はそんなに悪いことはしていない、自分達だけはこの世界できちんと諸問題にも取り組めている、
他の国はどこもひどい、もっとどうにかすべき、みたいなノリの人が多い。
もちろん、カナダも、現時点でも歴史的にも、色々問題はあるわけだが、わりとそういうことは棚上げ、
もしくは、相対的に自分達はマシ、きちんとやることやっている、だから安全なポジションから他人に意見できる、
みたいなノリの人が多くて、話しているとぐぬぬってなる。
(自分がカナダやカナダ国外で接してきて、なおかつ色々と深く話す機会のあった、両手に納まる程度の交友関係においてでしかないが)
何度も蒸し返される慰安婦問題、執拗な韓国の市民団体、無能に見える韓国政府。どうしようもない韓国人たちという風な報道が連日なされているが、本当に韓国の人々はこうまで醜いものなのか。
分断統治という手法がある。支配する側が支配される側の人々の間の対立をあおり、結束できぬようにし、支配者への挑戦を未然に防ごうとするもの。陰湿な話である。起源は古代ローマ帝国にさかのぼる。
アメリカ人ジョージ・フリードマンが「100年予測」の中でこう書いている。示唆に富んだ記述なので引用する。
・“世界中の海洋を支配するという、前例のない偉業を達成したアメリカは、当然ながらその支配を維持したいと考えた。これを最も簡単に行う方法は、他国に海軍を構築させないことだ。つまり海軍を構築する動機や資源を持たせなければよい。“
・“仮想敵国を地上戦を主体とした紛争に釘付けにして、陸軍の兵力や戦車で軍事予算を吸い上げ、海軍に投入できる予算をほとんど残させない。“
・“地域覇権国になりそうな国を手一杯にさせておくために、いくつもの同盟体制を絶えず組み替えた。“
・“アメリカは強国が出現しそうな地域の安定を乱そうとした。アメリカが目指したのは地域を安定させることではなく、不安定に陥れることだったのだ。“
・“韓国はそれ自体でも侮れない強国だが、その真の重要性は、韓国がアメリカにとって強大化する日本への対抗勢力であり、アメリカが日本海で勢力を誇示するための拠点だということにある。“
日韓対立が長期化して一番得をするのは誰なのか?この問題の背後にいて対立をあおり、焚きつけている者はいないのか?この問いは発し続ける価値がある。
単純な陰謀論に与したいとは思わないが、本当の悪人は意外と善人面・友人面をした連中のなかにいるのかもしれない。
要するに、慰安婦問題・日韓対立・北朝鮮の核の脅威という問題に対処する必要に迫られる人々にとって、アメリカ合衆国は悪の帝国のようなものである。
上記のことから、近い将来の出来事について確度高く予測できることは次のとおり。
・米朝衝突はない。危機感が高まっても、実際の衝突、核戦争のシナリオはそこにはない。
・日韓対立はなくならない。領土問題、歴史問題は、名を変え品を変えて対立を再燃させ続ける。双方の国のリーダーたちがどんなに努力しても、完全解決はなされない。領土問題、歴史問題は、ひどいいいがかりとしか思えなくとも、現状のアメリカが海洋覇権を維持しようとし続ける限り、消えることはない。現状を理解し、上手に付き合っていくより他ない。
外国人が日本社会の民度の高さを称賛し、そして日本人の少数派がそれを受け入れた一方で、多数派がそのような現実を後悔する声があった。とある左翼思想家は、"日本人の右派の満足した社会意識"を、市民社会に合意を受入れるよう要請した事で糾弾した。ある大学生は、左派系SNSに "我々は、道徳的な社会観の象徴である安倍政権、現代版のファシズム風潮を変えなければならない"と、激昂して述べた。通常は自公政権を支持しているいくつかの若者や高齢者ですら、道徳的社会に対しては不満だと感じると述べた。ネット上での批判は日々加熱している。
ヒステリックな道徳社会への反応は、日本がどのように非寛容社会を形成し続けているかを示している。あらゆる種類の政治家および空論家達は、単に自らの課題を推進するため、長きに渡って道徳感情を煽ってきた。彼らは、過去から今日まで続いているのこの強迫観念が日本国を停滞させている事を、気にかけるようには見えない。
第二次世界大戦敗戦後のアメリカの保護国化のもと日本は先進国になったが、中高年世代の多くは、1990年代以降の急速な非寛容社会化を体験している。日本が古くから抱える被差別階層などのような内部の実体が、通常、社会の病いの原因だと非難されてきた。しかし、障碍者および在日外国人への感情は、より複雑だ;しかし、彼らとの友好感情はほとんど全員に共有され、社会の物語とされている:日本社会の栄光は、自由な価値観とは反する道徳思想に妨害された。
日本に蔓延する暴走する道徳感情は、社会がきちんと回らない原因になっている(例えばモリ・カケ騒動や不倫なんかがそう)。特定の日本権力主義者たちが、確立された普遍的事実に疑問を呈し、大衆を触発する一方で、彼らから見ての敵はより重要な問題を無視するための、便利な弁解を提供している。
道徳感情はまた、教育や文化の問題を凌駕している。1990年代~2010年代前半の長期不況からの増大する経済改革への要望にも拘わらず、日本は、今日までに経済成長への道を選択できなかった。
未成年あるいは高齢化する貧困や公共インフラの破綻など、その他の国内問題は、脇に追いやられている。政権および野党は、歴史問題などへの政府の懸念を "解決する"と申し出る事で、政府が本当に意味した事について口論している。
アメリカの保護国下による72年間の成長一辺倒の日本社会の影にある犠牲者達は、彼らの主張を押し続けなければならず、そして日本社会とその保護者たるアメリカはより良く謝罪をしてみるべきだ。システムの見直しと検証必要であるという、十分な証拠が有る。しかし、無数の問題のために悪人(と決め付けた人たち)を非難してきた政治階級下の数十年の後、道徳感情は独自の生命を持ってしまっている。日本は、昂ぶった感情を持続的に保持している。その構成員達は、その他全てを犠牲にしようともそうするように見えるが、絶えずこれらの感情に応えようとする。その全ての嫉妬のブーメランが日本社会を傷つけている。
たとえば、アメリカのアマゾンで「takeshima」で検索しても英語で日本の立場を主張した本は見つかりません。
https://www.amazon.com/s/ref=nb_sb_noss_2?url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=takeshima
一方、「dokdo」で検索すると多数の英語の本が見つかります。
アメリカのエド・ロイス米国下院外交委員長が慰安婦問題だけでなく、「独島は韓国領土」と発言しましたが
韓国系ロビーももちろんあるでしょうが、そもそも日本の立場を詳細に説明するような書籍がないのです。
これは、慰安婦問題でも同様です。
また他の歴史問題もそうです。(中国や韓国の主張が載った本が山ほど見つかる)
尖閣諸島は竹島ほどではありませんが、中国の主張のものが翻訳されて売られています。
日本と違い、米国は人種差別に厳しいためいわゆるヘイト本は絶対に売ってはいけませんが。
「竹島 ―もうひとつの日韓関係史 (中公新書)」「竹島は日韓どちらのものか」「竹島問題とは何か」
また、慰安婦であれば
「朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実―文化人類学者が読み解く『慰安所日記』」「従軍慰安婦 (岩波新書) 」など良書があります。
「韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか―「中立派」文化人類学者による告発と弁明」
「韓国の大量虐殺事件を告発する―ベトナム戦争「参戦韓国軍」の真実」
を翻訳すればよいでしょう。
天安門事件等、中国内部では中国人も共産党に殺されており、多くの人が共産党に不満を持っています。
非難するときは必ず「共産党を非難し、人民の人権は擁護する」という立場をとれば、共感する人は増えるはず。
また、香港の親中国派、民主派、自決派。台湾の統一派、独立派。あとは、日本やアメリカに住む在外華人で利害関係が大きく異なります。
日本でも横浜中華街は、中華人民共和国支持者と中華民国支持者に別れます。
http://blog.livedoor.jp/tomtoms2004/archives/51211269.html
また、中国国内に住む人はVPNを通さないとインターネットが海外に接続できないため、多くの人が共産党にとって都合の良い情報しか知らず洗脳されています。
そして、ウイグルやチベット、南モンゴルなど独立を主張する民族もいますし、独立を主張しなくてもチワン族や満族は漢族優先に不満を持っています。
また、中国国内においても「北京愛国、上海出国、広東売国」と言われるほど文化が異なります。映画十年の「方言」で書かれたように、北京語以外の言語が消されていることにも不満を持っている漢族がいます。
他にも、海外には民主活動家や独立運動家などが多数亡命しています。
https://twitter.com/red4tg3ge34tg4
https://twitter.com/biopolymath
こちらは、香港独立派と在外華人の人のtwitterですが中国語で書かれていますが、中国語がわからなくても漢字を見ればtwitterでのやりとりの会話の意味がなんとなく分かると思います。
同じ中国語を使っていても利害関係が異なり、なかなか団結しないのがわかると思います。
【尖閣や第二次大戦の歴史問題でまとまる時】がありますが、基本的にはまとまらないので【利害関係を分析】したうえで海外の民主活動家や独立運動家や、
香港、台湾の反中民主派など日本の主張に近い人たちを味方につけていく必要があると思います。
また、ボイスオブアメリカやRFAなどのメディアは、人権の観点から共産党を非難するため華人の人にものすごく人気があります。
https://twitter.com/VOAChinese
あとは、中国国内の内臓刈りの問題を知らせるNTVも人気がありますね。
https://twitter.com/ntdjp/status/923133626874658817
日本の主張を少しつづ、浸透させていくためにもこのようなものが必要だと思います。
特に現在は香港が大変な状況になっており、こちらもご参照ください。
https://matome.naver.jp/odai/2150491884694812201
また、イギリスやアメリカのように日本も声を出すとよいでしょう。
日本は東アジアにおける自由と民主の擁護者であることを前面に出さなければならないのです。
言葉が通じる為、ビジネスでは華人ネットワークは強い。一方、政治では利害が合わず協同できない。これは認識しておくといいでしょう。
最近、ニセ科批判とネトウヨの結びつき、みたいなのについてツイッターでよく見るので、思うところを書いてみることにする。
先に、俺の立場について書いておくと、もともとニセ科学批判クラスタにいる(た)人間である。以下、いろいろと書き連ねたような事情もあって、最近はニセ科学批判クラスタを批判的に言及することが多くなってきたが、やっぱり世界は科学だろう、という思いは変らない。
余談だが、ニセ科学批判クラスタを批判する人、というのがニセ科学勢力とか、トンデモ勢力というのは意外に成り立たない。そういう連中を自分が積極的にフォローしてないというのもあるかもしれないが、その手合いはまず自分たちに批判的な人がいることについて詳しく言及すること自体が不都合なので、あんまり触れないのではないかとも思う。クラスタの言説に詳しく触れながら批判する人というのは、何だかんだいって「ニセ科学は嫌い」寄りの人間が多いようだ。
あらかじめ書いておくと、自分の見解は、「ニセ科学批判とネトウヨは本来、つながらない」である。しかし、そう言い出す人がけっこういる、というのも理解できないではない。まして、「またネトウヨ連呼厨ガァー!」などと言い出す気にはなれない。なので、どうしてそう思われるようになってしまったのか、といういくつかの自分の思っている理由について書いてみようと思う。
なお、あくまで自分の観測範囲ベースなので、それ以上のエビデンスや統計的な根拠はない。ほしかったら基盤Bでも持って出直してきたら調べてやらんでもない。
ニセ科学批判とウヨの親和性、という問題が語られるようになったのは、やっぱり3.11以後が決定的である。いちおう、3.11以降について、特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、ニセ科学批判派がおおむね正しかった(細かいとこで間違いや軽口があったのは否定しない)というのは間違いないので、これはどんどん認めていくべきである。そして、その上で、致命的なレッテルを引き寄せる結果となったことについてもそろそろ考えるべきだと思う。
3.11直後にデマ批判をする人が、今となってはかなり信じがたい形で「ウヨ」と手を結んでいたのは確かだ。これはひとえに、デマの流布をほっておくことが人権問題になりかねない状況だったことによる。一例としては、ゴリゴリの左派な左巻健男が石井孝明をRTしていたことがあるくらいである。それは、個人的にそこはRTしなくてよかったんじゃないかと思うツイートだったが(別にどうしてもしなきゃいけないRTでもなかった)、しかし当時はそれでも連帯できるところは連帯しないといけない事情だったのも確か。とはいえ、そのRTを見てニセ科学批判派の中にいる自分でも嫌悪感を覚えたので、その外にいて、かつ左派寄りの人がどうとらえたかは想像に難くない。
元々、デマ批判を発信していた人には政治的には左派が多く、その中には、事態が落ち着いた今は左派クラスタのなかへと帰っていった人も少なくない。今となっては、「福島差別」について関心が高いアカウントというのの少なからず割合がただのウヨアカウントであり、人権問題に危機感を抱いて近づいてきたというよりは単に「ダシにしにきた」ことも明らかになりつつあるのだから、この時期のことについては、ちゃんと後処理をしておくべきではないかと思う。一方で、安易にウヨレッテルを張った側も、そのレッテルについて再検討する必要がある。
ニセ科学批判というのは多層的に発信される。最初の発信者、つまり、積極的に資料をあたったり文献をあたって、情報を発信していた人はもちろんいるにしろ、その人たちの話がどう広まっていったかといえば、メディアが広めた場合ももちろんあろうが、ツイッターなどネットではそれを再発信する人によって広まったわけだ。この人たちの中にも濃度がいろいろあって、「なんとなくRTした人」「そういう話を見たら積極的にRTする人」「RTして、自分でもそれをベースに意見をいったりする人」「それがさらにバズって積極的にニセ科学情報を集める人」とまあ、いろいろだ。
こうなると、ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は流通する情報の割合的にはごくわずかということになる。
俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分である。デマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、しかし、ネトウヨとニセ科学批判がむすびつけて論じられることに責任があるのはこの層ではないかとも思う。
この層、とひとくちにいっても、いくつかある。
まあこれは文字通りの「ウヨ」層だ。前述の石井孝明とか、池田信夫なんてのもそうだろう。この亜種(1A)としては、ウヨというよりは「左派が憎い」というイデオロギーをかぶせていくケースもある。佐々木俊尚とか、伊藤剛あたりがそうだろうか。そうそう、伊藤剛と昔仲良し今は犬猿の仲の唐沢俊一も忘れてはいけない。君たちお仲間だよおめでとう。あるいは、こうやって膨らんだ層を客層にあてこんだ「御用文化人」というケースも亜種(1B)の一つだろう。いちえふの作者なんてのはそうだと思う。最初はけっこうまじめな信念を持って作業員のルポを始めたんじゃないかなー、とは思うのだが。
言っちゃあ何だが、科学は正義である。しかも、ある程度実証が積み重なれば、相対化しようがない正義だ。本当は正義とか正しさなんて一ミリも興味はないのかもしれないが、とにかく人を叩く根拠がほしいならず者にとって、こんな都合のいいものはない。しかも、人権問題としての問題意識までくっついている。人権なんて一ミリも興味がないのかもしれないが、以下同文。
正義の暴走がデンデンという人はネットによく転がっているが、あまりこの点には言及しない、どころかこの正義だけは振りかざすのが大好きだったりもする。彼らの心情は、よくわからない。
一昔前のメディアに流れる文章には、理系に対する嘲笑や偏見がいりまじったものというのが結構あった。それを見た理系人が、お前ら哲学で作った飛行機に乗れるのかよ、というような反発を持つのは想像に難くない。俺も昔はそうだったし。それは仕方ないところもあると思う。
ところが、ネットは理系の研究者がどっぷりつかっていたり、エンジニアがどっぷりつかっていたりする場なので、そういう人が意外にマスをもてる世界である。それはいいことでもあるんだけど、結果、「理系カルト」のようなものが出来てしまうという面もある。その結果、「文系」をバカにするようなアカウントが出来上がる。昔、科学ネタやアニメ談義が話が合うという理由で高専生や理系大学生をけっこうフォローしていたのだが、どうもこういう方向に流れていく人が多く、非難がましいツイートが増えた結果リムられたりリムったりブロックされたりが増えた残念な記憶もある。
これらの人が、放射能デマ批判、さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。どれもこれもあまり近づきたくないタイプである。
しかし、本来の意味でのウヨはこの中では(1)か、せいぜい(1A)までに限られる。それが全体のうちどれくらいの割合を占めるかというと、あんまり高くないと思われる。おそらく、悪印象のかなりの部分は(2)(3)に起因しているのではないか。(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、ネットイナゴといわれる集団に近い。そういう人が、ネトウヨ思想に親和性を持つのはまあ時間の問題である。(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、確かに自分の観測範囲では重なる人が多い。理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには陥らない、みたいな雑な印象がある。
そうすると、本来は関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで観測されるということが大量発生する。しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、できればブロックしておきたいタイプだ。どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。しかも、こういうアカウントに限って、やけにRTされる数が多く、ダメな方向にネットへ広がっていく。
(この部分追記)「冷笑系」と呼ばれるような集団がともかなり重なっている、というのもいくつかの反応で見かけた。これはもっともだと思う。特に(1A)や(3)あたり。
後出しじゃんけん承知で言うと、推敲前は言及していたのだけど、定義にやかましい人の怒りが二乗になりそうなのと、話がとりとめもなくなったのでなんとなく端折ってしまった。けれど、ニセ科学批判との関係について考える場合には、「いわゆるネトウヨ」より重要なカテゴリーかもしれない。
ネトウヨの定義というのは曖昧である。むしろ、厳密に定義したところで境界線附近の人間が大手をふって歩き出すだけなので、ある程度曖昧でいいと思う。ライトノベルの定義みたいなものだ。物語シリーズはラノベかとか三毛猫ホームズはラノベかと言ってる分には意味もあろうが、そこにかこつけて「聖書はラノベでは」とか言い出す奴はつまみ出せばよい。
しかし、世の中には問題児がいる。自分たちはつまらない理由でネトウヨ扱いされた、だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!と言わんばかりの連中である。いまどき子供でももう少ししつけられていると思うのだが、そんないい大人がネットにはたくさんいる。被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間は京大生でなければ狂人である。京大生でも狂人かもしれない。
菊池誠氏があんなふうになったのは、一つのきっかけはここにあると思う。しかし、年齢的にも知性的にも社会的立場的にも、責任能力を逃れられる人ではなかろう。自分の不始末は自分でつけていただきたい。きっかけのもう一つの原因(と俺が思ってること)は、次の項で述べる。
ジャンルは違うけれど、所謂「キモくて金のないおっさん」を名乗りたがるネット住民、についても似たようなことが言える。
ツイッターにはRTとかふぁぼという機能がある。ふぁぼはまあいいとして(最近はこれもTLに流れてくるようになったが)、RTは誰が何をRTはしたかが、ある程度分かる。
RTの基準は人によっていろいろだろうが、まあ第ゼロ近似としては「それに共感するんですね」だろう。直後のツイートで批判的に言及でもしておかないと、そう思われないほうがおかしい、と思う。
ここでめんどくさいのは、「それに共感するんですね」の「それ」はツイートの文章そのものであるかツイートしてる本人であるか、である。直感的には、前者だろう。後者は雑な見方に映る。ただ、発言を属人的に見ない、というのはけっこうなことに見えるが、発言主と合わせて文意を判断しない、ただの無責任な態度となることもある。見てる側が、いつも「こいつはどうしようもない奴だな」と認識していれば、それをRTする方も同類とみなされることもある。そんなのおかしい、という人もいようが、そういうものだ。
さてここで上のニセ科学批判情報の発信の話になる。発信者する側も、自分が発信した情報を受けて賛同し、意見を述べたり非難したりするツイートを自分のRTという形で放流するということをよくやる。別に発信者じゃなくてもやると思うから、ニセ科学批判に集まった人も、さらにそれをやるわけだ。
ところが、その放流元が「札付き」であった場合、それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで読んでくれる人は、あんまりいない。ごくふつうのアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。ところがそうじゃない場合は問題だ。そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい。
でもまあ、そういうことが一度や二度あった、というだけなら、まあどうということもないかもしれない。しかし、これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。
「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。
それもそうかもしれない。でもそれが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、濃縮されてだんだん汚染されていく。そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。
2012年か2013年くらいまでは、きくまこ先生もそこまで変ではなかったが、その後加速するようにヘンな発言が連発されていくのは、こんな感じだったのではないかと考えている。
ニセ科学批判そのものを凶器として振り回す層というのが出来た結果、その印象がネットイナゴ、あるいはネトウヨと非常に近いものになってしまう。あとは災害が広がるのみだ。子宮がんワクチン、水素水、EM菌。本来ならネトウヨと関連付けられる要素なんてないものも、そのスジのアカウントが言及してはバズる、という光景は、「そこ」がイニシアチブを握っている、と認識されることになる。そうなれば、ウヨに批判的な人は近寄りがたくなる。もちろん、もともと発信元として活動していたような人は、自分が左派であろうと発信を続けるだろう。でもそこまで中心にいない人は、距離を置くか、あるいはニセ科学批判派の語り口に疑問を持つようになる。
このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来の意味も、日本で独自に派生した意味もどっちも含まれる)との溝が深まっていくことになる。めんどくさいことに、これらの集団は原発や巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合は放射能デマに一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。
よく、ニセ科学批判クラスタはこれらのニセ社会科学・ニセ人文科学の問題には無関心だと言われる。発信する側については実際には必ずしもそうではないアカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心…… どころか敵意を持っている人が少なくない。理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのはなくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。歴史問題や法律あたりに目をつけて観察していると、「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々としてトンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、という光景を目にして頭を抱えることになる。
「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」はほっといてくれというのは分からないでもない。ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、けっこう一概には言いにくい論点である。状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタだけが受けるものではなく、左派がいちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。
こんなことが続いていくうちに、ニセ科学批判クラスタは「身内」に甘い、というような見方もされてくる。そんなことないよ、と言いたいところだが、最近たまにはてブあたりに上がってくるニセ科学批判批判へのブクマコメントなど見ると、妙にニセ科学批判サイドへの批判を矮小化しようとする「ニセ科学批判者」のコメントが見受けられたりして「ああこの人もかあ」という気分になってくる。
先日ツイッターで問題になっていたのは、これのようだ。mika_berry氏というツイッタラーがリフレとニセ科学批判とネトウヨのつながりについて言い始めてそれにニセ科学批判派やネトウヨの定義が気になるタイプが反発して少し炎上のようになったらしい。
経済には明るくないので、具体的なところには踏み込まない。が、ニセ科学批判クラスタ、あるいはもしかしたら理系クラスタまで枠を広げてもいいのかもしれないが、けっこうな割合がいわゆる「リフレ」に近づいたのは確かにそうだなと思う。
ただしここも距離の違いはけっこうあって、単に「反緊縮」に近づいた人もいれば、はっきり「リフレ」に近づいた人もいる。俺も反緊縮については多分同意すべきなんだろうな、と思う。
なぜこういう動きが起きたかは分からない。単に、時代的に緊縮はもういい、という風潮だったのかもしれない。反緊縮は数字を勘定してイメージしやすい「ロジカル」なものだからという、もっともらしい理由がつけられるのかもしれない。それはわからないのだが、しかしこの「リフレに近づいた側」の少なからぬ人が、その後決定的にウヨに近づいていくことになる。
これも理由は分からない。反緊縮には賛同する、という程度の人は、あまりそっちへ動かなかったからだ。アベノミクスなるものがあったからといって、他の論点がいっぱいあるのだから、ウヨに近づく理由にはならないのである。むしろ経済で結果を継続して出せるように安定させるためにこそ、おかしな動きは徹底的に批判すべき、と思うのだが、なぜかそうならない人というのがいた。ニセ科学批判クラスタの外にもそういう人がやはり「なぜか」いて、新たな集団を作るようになる。リフレで経済的に豊かになることを期待するクラスタ、というよりは「政権を応援しマスコミを憎み野党のアラ探しをする」クラスタとなる。経済には明るくないのでよくわからないのだが、アベノミクスのような政策はほっとくだけだと企業が潤うだけだと聞く。こういう人が「再分配を求めるべき」「企業は給料をあげよ」というような動きをしたという話を寡聞にして聞かない。本当に経済が大事だと思っていたのか、いまいちよくわからないところがある。
昔ながらのニセ科学批判は、党派性から距離を置いているつもりの人が多い。これは「左派が多い」という、上で書いた話とも別に矛盾しない。もちろん、ノンポリもいる。俺だって党派がかるのは大嫌いだ。
それはいいんだけど、そうありたいと思うこととか、自分たちはそうだと思い込むことは、あんまり何かを担保してくれることではない。
ここ10年くらいのインターネットの歴史は、ノンポリが政治的な層、特にウヨに振り回される歴史だった。
1970年ごろの学生運動家だって、多くは本質的にはノンポリだったという話はよく聞く。でも、左翼運動の迷走についての責任を問われないかといえば、そんなことはないだろう。
俺が思うのは要するにそういうことだ。ニセ科学批判=ネトウヨというくくりは、なるほど雑だ。だけど、それを一笑に付せる無邪気さは、ちょっと俺には持てない。
彼らの認識では、"自称"被害者女性が虚偽の証言で男性たちを陥れ
おおむねこんなところだろう。
こういう発想をどっかで見たことないだろうか、そうです歴史修正主義者のロジックです。
有りもしない歴史問題をでっち上げ日本の国際的信頼を失墜させたがる反日勢力の
なんたらかんたら~(書いててうんざりしてきたので以下略)といった歴史修正主義者
のロジックと丸っきり一緒ですね。
被害者を嘘つき呼ばわりし、自分たちが無辜の民であると言い張る態度はネトウヨそのもの。
問題の構造的に被害者を疑うことが歴史修正主義と繋がってしまう以上、フェミニストたちが
俺が、ネトウヨ文化に触れたのは、まとめサイトが流行りはじめたころだと思う。ただ、それよりも前に反日の方が先にメディアに登場していた。
おなじみの日韓ワールドカップで、日韓共済に賛成か反対かのアンケートとインタビューをテレビでとっていた時のことだった。日本では共済賛成が7割くらいだったのに対し韓国はその逆だったと記憶している。韓国では単独開催の方がよかったと7割近い人が答えていた。その理由としてあげられたのが歴史問題だった。
子供ながらに、スポーツと歴史関係ないやんけと憤りを感じた記憶がある。それが反日との出会いだ。嫌韓には触れていたなかったので韓国の試合の問題もスポーツは結果が全てだからと別に気にしていなかった。むしろ、外国の試合結果に文句をたれているのが子供じみたことのように見えた。
そして、のちにネトウヨ文化に触れややネトウヨになり、大学に入って図書館で事実関係を調べる為に本を読むようになった結果、完全なネトウヨとなった。