はてなキーワード: 歯列矯正とは
「メガネをかけた出っ歯の顔」とされ、はっきり言って差別的な意図を含んだ絵文字である。
Google(Android)、WhatsApp、Facebookでは、この絵文字の差別性に気付いているのか、オリジナルの定義から外れて出っ歯ではないデザインとしており、「眼鏡をかけた笑顔」となっている。
また、Windowsではいまだに「出っ歯」が残っているものの、Windows11からは出っ歯を控えめにしたデザイン変更が行われている。
Apple(iOS)やTwitterは、依然として従来のデザインが使用され続けている。
また、Joypixelsでは、出っ歯ではないものの、歯に歯列矯正の金具がつけられたデザインが使用されている。
お元気ですか。
今はお互い実家を離れて暮らしているので、会う機会は全く無くなってしまいましたね。
はるかちゃんが隣に引っ越してきたのは、私が小学2年生の頃でした。
一つ年上だったはるかちゃんは、私より身長が高かったのもあるせいかとても大人びて見え、白い肌に映えるそばかすがとても可愛らしい女の子でした。
覚えていますか。
玄関から入るのが面倒になって、真向かいにある窓からお互いの家に行き来していたこと。
はるかちゃんの家ではちびポケハウス、私の家ではリカちゃん人形でよく遊んでいましたね。
はるかちゃんの家で見た、寝る時に着ける歯列矯正のヘッドギアは今でもトラウマです。
覚えていますか。
はるかちゃんは、私の足の爪にマニキュアを塗ってくれたこともありましたね。
古本屋で見かけた少しエッチな漫画の話をしたこともありましたね。
幼かった私たちは「あんなの何がいいんだろうね?」と笑い話にしていました。
覚えていますか。
私はまだまだ幼児体型でしたが、はるかちゃんのわずかに膨らみかけた胸を見て、いくら女同士とはいえ、なんだかいけないことをしている気分になり、少しドキドキしていました。
湯船に浸かり、学校での出来事など他愛もない話をした後、またエッチな漫画の話題になりました。
「こういうの、漫画で見たんだぁ」
そういって、ボディータオルを使って『透けた服ごっこ』を始めた私たちは、お互いの身体にタオルを張りつけ合いましたね。
胸元の少しの勾配に乗せた、薄水色のタオルから透ける乳頭は、とても魅惑的でした。
「お互いのお股を触り合いっこしてみない?」
私は驚ました。
大人がお股を触り合いっこするのは知っていましたが、女同士で触るのは、古本屋で見たエッチな漫画には描かれていなかったからです。
「え〜。できるかな?」
そう言いつつ、ためらいよりも好奇心が勝ってしまった私は、「やってみるね」と言い、あなたの素肌に触れる決意をしました。
湯船の中で、脚を肩幅に開いて立つあなたの脚の間に腕を伸ばし、そのままゆっくりと上げて、肘と手首の真ん中ら辺をそっとお股に沿わせました。
そしてそのままゆっくりと腕を引き抜きました。
手のひらで感じたあなたのお股は、お湯で濡れていました。
「どう?どんな感じ?」
「なんだかお股がくすぐったい」
あなたは笑い、「私も触ってあげるね」と言いました。
私は静かに頷き、ゆっくり立ち上がると、あなたと同じように脚を開きました。
あなたの細く白い腕が私のお股に触れた時、私は衝撃が走りました。
なぜなら、とても変な感じだったからです。
もちろん、トイレで用を足したときに拭くときや、お風呂で身体を洗うときなど、自分で自分のお股に触れたことはありましたが、それとは全く違う感覚になりました。
「どうだった?」
「ほんとだ。くすぐったいね」
あの時、私はそう言いましたが、本当はくすぐったくはなかったのです。
くすぐったいとは少し違うと思いましたが、それ以外にその感覚を説明する言葉が分からなかったのです。
「そうだね」
幼かった私たちは、そう言って笑い、あまり長風呂するとお母さんに怒られるからとお風呂を上がりました。
それからは、私の家族が転勤になりしばらく地元を離れて暮らしたこともあり、地元に戻ってからは学校も違ったので遊ぶ機会もなくなり、現在にまで疎遠になってしまいましたね。
20歳になって初めての彼氏ができるまで、私に触れたのははるかちゃんただ一人でした。
ストンと性欲も、食欲(グルメ欲と言い換えたほうが良いかもしれない)が湧かなくなってしまった。
原因はわからない。
それまでは、この年にして恥ずかしながら毎日1~2回は自慰行為をしていた。
FANZAで買ったAVは1000本を超える。風俗を利用する頻度も多い。
同じように自分はグルメ欲も強く、美味しいものを食べるのが大好きだった。
女の子と、友人と、一人でもいっぱい食べた。
そういった欲望を満たすために今まで猛烈に働いてきたようなものである。
それがどういうわけか、ストンとその欲がいきなりなくなってしまった。
仕事の結果に対して「まあなんでも良いんじゃないの」と投げやりな感情が芽生えつつある。
承認欲求にまみれた投稿をしていたSNSも触る気になれなくなった。
2年ぐらい、週一でパーソナルトレーナーと筋トレに励み、
歯列矯正を始めて、口内環境が常に少し不快なのはあるかもしれない。
どうすれば性欲と食欲を取り戻せるだろうか???
真剣に悩んでいる。
10代と変わらない鬱屈とした欲望で自分は前に進んできたのに。
「性欲は下賤な感情だ」「グルメは意地汚い」「その年なら父親であるのが通常だから普通の話だ」のような説教はいらない。
自分でも充分わかっている。
母はとても努力家で、田舎の農家の三女として生まれてから今日に至るまでずっと向上心を持って行動してきた。
大学に行けないなりに専門学校で国家資格を取って、東大卒の父との結婚にこぎつけて、兄と私を育てて、専業主婦を経て復職しフルタイム正社員、定年後もまだ働いて…
料理上手で健康に気を使い、女性らしい趣味があり美人でもあり、還暦を過ぎてもまだ仕事のために勉強している。家族を大切にしているとも思う。今日は同棲を始めた部屋を見に来てくれた。手土産をいっぱい持って。「ランチは私にご馳走させて」と予め宣言して。
私は何不自由なく育ててもらい、大学を出て、同世代の平均年収も母の年収も超えた。受けさせてもらった教育のおかげだと思う。母の選んだ中高一貫の女子校と、実家を出たくて選んだ地方国立大学のおかげ。男女は平等だと考え家事も家計も分担できるパートナーがいる。
大人になって満ち足りて、母に会いたくなくなった。
それはたとえば、彼がご飯を作ってくれた話をしたら「なんて良い人なの!」と感激するところ、兄がわりと凝った料理をすると会うたびに話すところ、でも私の料理については「実家にいた頃は全然しなかったよね」と言うところ。
兄は今も実家にいて、母と当番制で料理を、月に4回ほどするらしい。ふたりともフルタイムで働いていて、月に4回。他の日は母。最近は母の教育の結果、洗い物もするようになったらしい。
ぜんぜん平等じゃない、と思った。でもまぁいい。
やっぱりよくない。
私は兄より稼いでいて、毎日のように料理をしていて、ひとり立ちしていて、と思ってしまう。兄こそ不幸だとも思う。なぜ兄については良いところに注目して、私については過去の不出来に言及するんだろう。
子供の頃、BMI21くらいだった頃は「お母さんが若い頃はもうちょっと痩せてた」「痩せたらもう少し可愛くなるかな」でも「もっと食べなさい」と言われていた。
今はBMI18くらいで、母曰く「この子みたいに痩せている体型を私は良しとしていない」らしい。18.5(標準体重の下限)を目指して4kg増量したのに、ジムに通い始めて健康に気をつかっていると話しているのに、良い方に向けて変わっている途中でも「理想に比べてよくない」という言い方をされる。歯列矯正は「ちょっとはマシになった?まだちょっと出っ歯かな」。
親戚の集まりで叔父にお酒を注いだら、「滅多にしないんで」と母が横から口を出す。確かにそうだけど、兄はなにもせずテレビを見ていて、私はさっきからキッチンとリビングを行ったりきたり。
心底うんざりして、私は実家も親戚の集まりも好きではないし、子供もほしくない。「お母さん専業主婦のときは社会に認められてないって感じてた」と繰り返し繰り返し聞かされたし。
専業主婦になるのは社会に認められない(と母から思われる)行いで、家事はして当然、仕事もして当然、立ち働いて酌をして当然で、当然のことをしても褒められず「滅多にしない」と言われ、できていなかった過去についていつまでも指摘され、やってられるか、と思う。
ただ、母は全てをした。
全てをして、今も努力していて、きっとここに書いたことを伝えたら謝ってくれる。落ち込んで反省して、それでも今まで同様に私を愛し続けてくれる。だから母を、単に毒親だとは言えない。男尊女卑の根付く田舎で生まれて、生まれる前から女だと言う理由でがっかりされ、それでも努力してきた人で、環境やその価値観は選べなかった。だからこそ私には教育を受けさせてくれて、男女は平等なのだ、人生は自由なのだと学校を通じて教えてくれた。母も男女は平等だと、意見としては言う。価値観として身に染み付いてはいなくても、それは母の責任ではない。生まれた環境がそうで、思春期をそこで過ごすしかなく、母は最善を尽くした。
感謝している。でも疲れる。距離を置きたいけれど、母は会おうとしてくれる。娘との関係を良好に保つことも、母の努力の対象になる。
ハンーッス
本日は国際子どもの本の日、世界自閉症啓発デー、日本においては図書館開設記念日、週刊誌の日、歯列矯正の日、シャンプーの日となっております。
本の中の表現と現実での表現に違いが発生してちょっとしんどくなることもありますが
まぁそこはあえてそんなもんだよなぁと思いながら受け入れて、こういう表現もある、と思っておけばなんだかんだ受け入れられそうな気がします。
受け手側がどう考えるかを思案した上で表現をしていくのが大事なのかもしれません。
まぁ一番参考になる感想は自分自身の感情ですね、何とも思ってないを冷静に分析するのも面白いかもしれません。
ということで本日は【受け取り方よいか】でいきたいと思います。
受け取り方よいか!受け取り方ヨシ!
いつか開けたいとは思ってたけど、痛いのが苦手で今まで避けてきた!
でも若いうちに開けたほうがいいよなあって考えたとき、じゃあ今が一番若いんだから今開けるべきだって思った!
まずアマゾンで800円くらいの片耳用ピアッサーを2つ買った!てっきり1個の機械を使って何回も開けられるのかと思ってたわ!基本は使い捨てなんだね!
Youtubeで開け方調べた!開けたいところに黒ペンで丸ポチョ書くとやりやすいらしい!
「3、2、1」って言いながら開けると覚悟が出来やすいらしい!
耳たぶに開けた人たち、皆「全然痛くない!」って言うからちょっと安心した!
耳たぶの真ん中に油性ペンでポチョっと印をつけて、ピアッサーの針の先端を印に合わせて…イイ感じに器具で耳を挟みこんで…
強めにデコピンされた感じ!多分耳たぶが少し厚めだからだと思う!!普通に両耳痛かった!
今もちょっとジンジンする!まあ肉に針貫通してるからそりゃ痛いよね!でも歯列矯正したときのほうが全然痛いから平気!
いい感じにファーストピアスを付けられた!かっこいい!やったー!!
安定するまで半年くらいはつけっぱなしにする!人によっては4~8週くらいでいいらしいけど、念には念を!
今から付けたいピアスのページ眺めまくってる!楽しい!これから会う人に「ピアス開けたの!?」って言われるかな!言われないかな!
アラサーで今更開けるのもなあって思ってたけど新しいことやっちゃったって感じで楽しい!
次は髪を変な色にしたい!
30代後半の既婚。子供は2人。小柄でイケメンでもなく、コミュ力がある訳でもなく小中高大と非モテ。社会人になってから初めて出来た彼女とすぐに結婚した。
妻には結婚前も今も不満は一切ないが(むしろ結婚してくれてありがとうございます位の気持ち)、第一子が生まれた20代終わり頃に取り返しのつかない虚しさを抱えた。せめて娘が将来自慢できるようなカッコいい父親になろうと筋トレ、歯列矯正、脱毛を始めた。人生で初めて床屋スポーツ刈りを卒業し美容院でミディアムヘアになったのもこの頃。
見た目を変えたら意図せず職場や居酒屋での女性からの印象が良くなり、こっちから挨拶や世間話が出来るようになっただけで新卒の女の子と不倫が出来た。それ以来、入院した病院の看護師、娘の幼稚園の先生、マッチングアプリで知り合った会社員の女性と継続的に肉体関係を持つことに成功した。仕事や家のことなど時間的な問題もあるため今はそのうちの1人だけと関係を継続している。
家庭外での女性関係が上手くいけばいく程夫婦関係は冷めていった。そのうち離婚して家庭崩壊するだろう。それでも別に構わないと思ってるので、やっぱり非モテは病気。冷え切った家庭で育つ子供が可哀想なので、高校生の時に制服着て手繋いで町を歩いたり、大学生の時にアパートでセックスしまくったりしなかった俺みたいな奴は結婚すべきじゃないと思う。
現在26歳。今年27歳になる女だ
フォークダンスで手を繋いでくれなかった大半の男子の中で「オエーーwww」と吐く真似をした同級生に娘が産まれた
地元の友人と他愛のない話をしていた時、その話を聞いた瞬間この記憶が蘇ったものの誰にも言えないからここに残しておく
うちの中学校は中学3年生になると体育祭は全員参加科目でフォークダンスに参加しなければいけなかった
当時私は女友達には恵まれたものの、見事なデブス(160cm/70kg)でオタクだったので男子からは見事に嫌われておりフォークダンスの事を考えるととにかく憂鬱だった
他の生徒も皆思春期からか「ダンスカバーにしよう」「恥ずかしい」といった声も少なくはなかったが先生が「小学生じゃないんだし、案外毎年皆普通に手を繋いで踊って楽しんでるよ」と言って続行となった
私はその先生の発言を聞いた時、めちゃくちゃ安心した…が、いざ練習をした時ほぼ全員の男子が私と手を繋ぐ事を拒否した
30人前後×4クラス120人、そして男女比が半々だったので男子数は約60名。その中で6人の男子以外は私と手を繋ぐ事を拒否し、繋ぐフリで空中でそれっぽく踊っていった
たまに手が触れると舌打ちをされたり露骨に睨まれたりして、多少の人数の拒否は覚悟をしていたけど流石にここまで大多数にしっかり拒否されるとショックで少し傷ついた
逆に手を繋いでくれた子は名前は忘れちゃったけど、今でもぼんやり覚えている
クラス委員2人、医者を目指していた賢い人、PSPとかAKBの話をたまにしていた人、誰にでも優しいニコニコした人、後ヤンキーでたまに学校をさぼっていた人
この6人は当時デブでブスな私とちゃんと踊ってくれてありがとう。今も元気に暮らしているといいな
話が逸れてきたのでここで一旦話を戻す
ある日フォークダンスの練習で先生に私とある男子が手を繋いでいない事がバレてしまい、きちんと手を繋いでるか監視が強化されてしまった
私は数回の練習と度重なる拒否で「お互いの為だし、もう無理に手を繋がず適当に踊って過ごしたい…」と思っていたが、大人(教師)が怖いのでその日は指導が入った途中から全員を手を繋いで踊った
授業終了後、ヤンキー気味のやんちゃな子が「オエーーーwww増田の手握ったんやけどwww」って吐く真似をやった
仲間の子も「増田菌で手が腐り落ちそうwww」「握った手でオ〇ニーしたりしてwww」と仲間も便乗して男子は大爆笑
私は気づいていないふりをして友達と制服に着替える為校舎に戻ったが、流石にトラウマになりしばらく夜泣いて過ごした
監視の目が光っていたのはその日だけで、その後の練習や本番はまたほとんどの人と手を繋がずなんとか乗り切った
それから高校生、成人と成長するにつれダイエットやメイクを覚えたり、歯列矯正やほくろ除去、二重整形等自分の給料で美容整形施術を行ったことで昔よりはマシな見た目になった
地元を出て働き、縁もあり人(整形カミングアウト済)と半同棲をして自由に暮らして個人的には大満足、むしろもったいない暮らしをしているがやはりこの出来事はたまにに思い出す(10年以上たってさすがに頻度は減ってきたが)
年末年始地元に戻った際、その吐く真似をした男子が子供が産まれたと友達に教えてもらった
SNSを見せてもらったが会社(板金屋)を立ち上げ、去年秋娘が産まれたと人生が順風満帆そうだった
本人や友人の写真、車の写真しか載せていなかったけど、恐らくかわいいギャルの子を嫁にしているので子供の顔もかわいらしいだろう
ふと「もし娘がもう少し成長して私に似た不細工な子供だったら手を繋ぐのだろうか」と悪い事を思ってしまった
私は幼少期も顔が不細工だったので父親から「お前は顔がなぁ」「金使いたいとは思えない顔なんだよ」としょっちゅう言われたり、理不尽に怒鳴られる等いい記憶がほぼない。父親そっくりの顔なのに。
(母親や両祖父母にはきちんと愛情を注いでもらったからなんとか成人し、今もこうやって生きてます)
家賃と奨学金の支払が呪いのようにつきまとっていて、自分は常に金欠だと思っていたがそうでもないように思えた。
物心ついたころには両親が離婚しており、母子家庭となった。すぐに生活保護の受給が始まった。
中学はいじめが原因で不登校になってしまった。離婚した父親はこの頃に死んでしまったらしい。
中学卒業後は少なくとも高卒の資格が欲しいと考え、どうにか定時制高校に進学した。
低所得者向けの公営住宅に住んでることを知られたくなかったため、年賀状のやり取りなどは控えていた。
自分の歯並びが悪いことを気にしており、口を開けて笑うことに抵抗があった。
当時は生活保護へのバッシングが特に強く、自分が生活保護受給世帯であることを周りに知られたくなかった。
理由は覚えていないが担任には生活保護の件を知られており、内心どう思われているかいつも気にしていた。
自分の進路が不安であり、一生落ちこぼれとして、底辺として生きていくのだろうとかと自問していた。
彼女ができても上記の怯えが原因だったのか、惨めな結果に終わった。
自分の羞恥心と怒りのエネルギーを良い方向に発揮した結果、そこそこの大学に進学できた。
貸与型奨学金に抵抗はあったが、人生を変えるため、退路を断つために借りることにした。
いろいろとあって、大学院に進んだ。
就活は推薦であっさり終わり、いわゆる大企業から内定をもらった。
社会人として働き始めて数年が経過した。
リモート勤務が許可されているので本来の通勤時間は好きにできる。
夜更かしして始業直前に起きても誰からも何も言われないのが素晴らしい。
上司からの評価はよく、毎年基本給が増えている。今年の4月は大きく給料が増えるらしい。
そして冒頭に戻る。
最近スーパーに行って買い物をするときに値段をみないことが増えた。
欲しいから、必要だから買うのであって、値段は常識の範囲内ならどうでもよいのである。
歯列矯正のブラケットがついに外れたので口を大きく開けて笑うことに抵抗がなくなった。
バナナやクッキーを噛んだ跡の歯列が見事で、まじまじと見てしまうことがある。
住所を知られても何も気にならなくなった。
一人暮らしなのでド深夜にdiscordで通話しても何も言われなくなった。
ドラム式洗濯機を買ったので雨でも気軽に洗濯ができるようになった。
以前よりも人と話すのが楽しくなった。
野心が芽生えてきたため転職を考えるようになった。
常に感じていた後ろめたさが気にならなくなってきた。
しかし、「あの」自分がスーパーで値段を気にせずに買い物をするという事実が異様に感じた結果、この文書を書いている。
今、この文章を書いているがとにかく奇妙な感じがする。
普段自分についての文章を書くことはない。なぜ自分がこの文章を書いているのかわからないが、これもきっと良い意味での変化の1つなのだと思う。
重たい一重瞼にガチャ歯で顔中ホクロだらけだったので、目頭切開して眼瞼下垂手術して歯列矯正してレーザーでほくろを全部取って転職した。
転職先で女性にモテたかといえばモテはしないものの、人間として扱ってもらえる事が増えた。(今まではあくまで業務上必要最低限の会話しか無かったが、気さくに雑談をふられたり、連絡先を向こうから聞いてくるフレンドリー対応になった)
意外だった一番の大きな効果は、同性に舐められなくなった事だ。今までは同期内で築かれる目に見えないカーストの最下層にいて蔑ろにされることが多かった。(雑ないじりや、悪い意味での引き合いに俺の名前が出たりしてた)
しかし、転職先では普通に人間扱いしてもらえた。転職先の人間の人格が優れてるかといえばそうでもなくて、整形前の俺みたいな男の同僚の前ではあえて飲みの話はしないなど、不遇な扱いをしていた。変わったのは俺の顔だけだった。
男が同性に対してもルッキズムが働くのは意外だったし、悲しかったので、俺は整形前の俺みたいな人に対しても、人として接している。