はてなキーワード: 歓迎ムードとは
学生時代に仲が良かった連中と、週末に集まって草野球をやっていたことがある。
チーム創設当初は昔の仲間が中心だったんだけど、人伝てだったりブログ経由だったりで徐々に大所帯になっていった。
そうやって少しずつ人数を増やしながらワイワイ楽しくやっていたら、あるとき外国人の青年がやってきた。
私たちが盛り上がっているのをブログで知って、仲間に入れてほしいとメールをくれたのだ。
監督も兼任していた私は、とりあえず見学に来てくれないかと提案した。
チームとしてはそこそこの規模だったけど、外国人が入ってくるのは初めてだったので、みんな彼には興味津々だった。
もちろん事前に彼のプロフィールは知ってたんだけど、それでも見学当日はチーム全体がソワソワしていた。
もちろん、みんなが歓迎ムードだったことや彼の人柄や優れていたことも大きかった。
でもそれと同時に、彼の技量がずば抜けていたことも大きかった。
彼は184センチ、92キロというピッチャーとしては申し分のない体格だった。
母国にいたころは、高校生の全国大会でベスト8に輝いた実績もあるという。
体格と実績のとおり、彼の投球は本当に素晴らしいものだった。
まず、カーブ、シュート、スライダー、シンカー、チェンジアップという豊富な球種を扱えた。
加えて、100球以上投げてもコントロールがほぼ一定であり、集中力が乱れることがなかった。
球速自体はそこまでではなかったけど、それは問題にならなかった。
ピンチの場面でも出せばキッチリ抑えてくれたし、先発させても7回まで1~2失点という具合だった。
彼のお陰で草野球大会では常にベスト4以上に食い込むようになった。
本当に、うちのチームを選んでくれてありがとうという感謝の気持ちでいっぱいだった。
そんなことがあったんだけど、あるとき仕事の都合で、私は海外赴任をすることになった。
偶然にも、助っ人外国人である彼の母国に赴任することになったのだ。
どこぞの知らない国であれば辞退しようと思っていた私だったが、彼の母国に行けると知って嬉しくてたまらなかった。
彼からその国でのルールやマナー、野球事情などを教えてもらい、早く行きたいと思いながら過ごしていたのを覚えている。
それがだいたい7年ぐらい前の話。
現在の私はというと、甲子園というものにすっかり夢中になってしまった。
このぐらいの時期になると、どうしようもなくソワソワするぐらいハマっている。
毎年のことながら、高校球児たちの活躍の姿が見られるのが楽しみでしょうがない。
初めて観たときは日本の高校生のレベルの高さにビックリしたものだ。
それと同時に、彼のような人材が育ったのも頷けた。
ただ、甲子園を見ていると時々すこし辛くなる。
高校生だった彼と一緒に、甲子園でプレーができなかったことが悔やまれるからだ。
国が違うからしょうがないのはわかっているんだけど、どうしてもそんな事を考えずにはいられない。
彼と同じチームに入って、彼と喜びを分かち合いたかったと考えるたびに辛くなる。
http://hamusoku.com/archives/8067863.html
DQNネームの歴史を塗り替える衝撃のDQNネームが爆誕wwwwwwwwwwwwwww
TLに流れてきたので何気なく覗いたらすごいことになってた。
なんというか、なんにもいえないこの感じ。伝わってますか?
ねらーの方々の反応が正常な反応だと思いました。釣りだと良いんですが。
こういうDQNネーム(巷ではキラキラネームとオブラートに包まれてますが)は、
一体全体どういう流れで生まれて、どうして無くならないのでしょうか。
いつの時代から生まれたのかは定かではないですし特定もできないですが、
社会問題として取り上げられた「悪魔ちゃん」の頃から顕著に表れてきたんでしょうか?
正直いつごろなの分からないですけど、結局悪魔ちゃんってどうなったんですかね?
まあそういう「悪魔ちゃん」みたいな「他にはない」という点で名前が決められてるように感じます。
そういう意味ではゆとり世代が親になり始めた頃から増加し始めたと言えるかもしれません。
まあ上記の「オンリーワン」感でつける親も少なからず居ると思うのですが、
「かわいい」「かっこいい」という単純な(わかりやすい)理由でつける親も多いのではないでしょうか。
ファッション性というか、まあいわゆる親の自己満足の世界の話ですが。
そういう事を考えていくとDQNネームをつけてしまう親も得てしてDQNだと思いますが、
そのヤンキー性で、自分の子どもを私有化しようという気持ちがあるように感じます。
マーキングというか、ヤンキーの縄張り争いなどと似たようなものですね。
「我が子」だから「自分」の子どもだからと言って「親の勝手だ」というのはカンタンです。
ヤンキーというのは基本的に世襲制ですので、よほどのことがない限り周りの親族や友人も
DQNネーム歓迎ムードだから「さすがにその名前はヤバくねwwww」という風に止める人物は皆無かと推測できます。
いや「さすがにその名前はヤバくねwwww」と賛成する人のほうが多いかもしれませんが。
子どもの立場に立って考えてみると「たまったもんじゃない」というのが本音でしょうが、
子どもというのはつまり、自分な訳です。世襲してきて次世代に受け継ぐまさにその瞬間な訳です。
その時に脳裏をよぎるのは「俺と同じように生きて欲しい」というような親心で
似たようなDQNネームをつけてしまうというサイクルが出来上がってしまっているのかもしれません。
ブラック企業であるような「俺にも出来るんだからお前らにも出来る」のような恐ろしい考えと言えますが、
そこに愛情がある分劣悪な環境に落ちていくスパイラルではないので安心出来るでしょう。