はてなキーワード: 歌謡とは
クソどうでも良いんだけど、芸能って、
「映画・演劇・歌謡・舞踊・落語など、大衆的娯楽の総称。演芸。」だとか、
「学問・芸術・技能などについての(優れた)能力。」ってGoogleで調べても出てくるように、
しかも、文字から語義の成り立ちを考えれば、芸術や技術の総称と考えるのが筋だよね。
つまり元々は「自分の持つ芸術や能力を売りにする」人が居て、そういう人が芸能人と言われてた訳で。
それが転じて大衆娯楽という意味に捉えられるようになったワケで。
今のTVに出てる人ってのは、あくまで「お笑いの芸能」を売ってる人に過ぎないんだよね。
だから、言うなればYouTuberとかも一種の芸能人だし、学者とか技術者だって一種の芸能人。
ましてや琵琶なんて昔からの娯楽であり芸術、古来日本から江戸時代まで二重の意味で芸能として使われてたワケで。
それを何も知らない素人さんが笑うのって、二重の意味でダメだよね。
んで、琵琶を作る人なんて先輩の先輩……それこそ吉本なんかの興行が出来る前から昔の、大々先輩がお世話になった偉大な人物なんじゃないの?
ビートたけしとかさんまとか志村けんより更に上の先輩が世話になったかもしれないとは思わないのかな?
お笑いの世界は、先達に敬意を払わない芸能人でも出世できる、そんなチョロい業界だったっけ?
そりゃ逆に、学者やら芸術家が素人をバカにするのも御法度だよ?
そんな学者や芸術家はdisられても仕方ない……ていうか、何様ってなるでしょ?
でも、だからと言って他の業種を軽視したりして良いワケじゃないよねぇ…………
ま、どうでも良いんだけどね。
自分にあってないと思うなら辞めなよ。辞めてリフレッシュしてからじゃないとまともなこと考えられないんじゃね?
辞めたらどうなるかって? そりゃ知らねえ。
一念発起してプログラミングスクール歌謡とかは辞めとけ、あれはかもにされるだけだからな。
学がないなら今から勉強するしかないよ。ていうか勉強しなくていい仕事なんてないよ。
俺はうつ病になって仕事辞めたけど、その後まあなんとか生きてはいるよ。
ただ、そもそも俺もまともな生活送れてねえ。ババアどもがもらってる年金以下の収入で四苦八苦だよ。
そのくせ介護だなんだと世話させられるとかやってらんねえ。
って俺のぐちになったな。
現状のままでいくというなら、溜め込むのは良くないからどこでもいいから気持ちを吐き出せばいいよ。
正直なところ、そうやって悩んで溜め込んでる時点でうつ病の傾向はあると思うよ。
別に気軽に心療内科行ってみて、いろいろ吐き出してみればいいじゃん。
行ってるのがバレるとまずいとかだと無理だけど。
やってるのか知らないけど、教会行って懺悔室で思いの丈をとりあえずぶちまけるとかもありなんじゃね?
キャバクラ行ってねえちゃんに愚痴こぼしまくるとかでも何でもいいんじゃね?
とにかくうじうじ溜め込まずに気持ちは吐き出しちゃえよ。
品田悦一「緊急寄稿「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」https://t.co/pJ5h6OzBpYhttps://t.co/alM7GI002L
すげぇ、品田先生ガチだな pic.twitter.com/CJ3ZW9tZvj— GEISTE (@J_geiste) April 5, 2019
品田 悦一(しなだ よしかず、1959年1月30日[1] - )は日本の日本文学研究者。東京大学総合文化研究科言語情報科学専攻教授。専門は日本古代文学(歌謡・和歌特に『万葉集』の東歌)。
群馬県出身。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。聖心女子大学文学部教授などを経て、2004東京大学准教授、2011年10月教授。初の単著『万葉集の発明』では、『万葉集』が近代国民国家の文化装置として「国民歌集」の地位を与えられるようになり、「創られた伝統」として成立していくことになった過程を研究。同著は中国語訳もなされた。斎藤茂吉の万葉集享受の研究でも知られる。
19世紀中盤以前の歌謡や、和歌漢詩の類は多すぎるので除外して、成立年の古い順に
Arma uirumque cano
Gallia est omnis divisa in partis tres.
ガリア戦記の冒頭文。日本で言う平家物語のノリで昔の欧州のラテン語学習者は暗記してるっぽい。これも教科書に載ってた。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。驕れる者は久しからず。ただ春の世の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ。ひとへに風の前の塵と同じ。
遠く異国を訪らへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱異、唐の禄山。これらは皆、旧主先皇の政に従はず、楽を極め、諌めをも思ひ入れず、天下の乱れん事を悟らずにして、民間の愁える事を知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり
リアル中二だったので、冒頭のちょっと先まで、わざわざ図書館で書籍を探して覚えた
In principio creavit Deus cælum et terram.
in principio erat Verbum
これらも教科書に載ってた
Freude, shcoenell goetterfunken, Tochter aus Elysium.wir betretn Feuertrunken himmlishce dein heinligtum.
Deine Zauber binden wider was die Mode streng geteil.Alle Menshcen werden Brueder,wo dein sanfter Fluegel weilt.
一応読んでるけど、覚えたのはアニメかも
ラノベだとこれくらいかな。「東中出身、涼宮ハルヒ。だたの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしの所に来なさい。以上」は冒頭ではないしなー
こうやって見るとやっぱり教科書は強いな
平成に入ってからだと思うけれど、以前島唄という沖縄民謡の作法に則って作られた歌があって、結構売れた。
内容はよくよむと反戦、侵略された側のための内容だ。同じシングルのB面もそんな感じ。
でもまあ、本来の沖縄歌謡の人からは最初、沖縄出身でもないし本来の沖縄民謡でもないから受け入れがたいと嫌がられたんだけどね。
島唄はネットの幼いおばかさんたちに分類させればサヨクの歌、愛国心がない歌と分類されるんだとおもう。
同じく、こないだのあれも愛国心のある歌、ありすぎる軍国的なウヨクの歌と分類されるだろう。
歌にできる個人の思いなんてその場限りのもの、揺れ動いて当たり前のものなんだ。
「みんなの思い」なんてものは幻想にすぎない。あるのは「思惑」くらいだ。
歌を政治的主張(自衛隊をどうするかとか憲法をどうするかとか)で
自説補強につかえる(けどそんなことはさせないゾ)というのがそもそもウヨク、サヨクの思い込みにすぎないよ。
愛国心なんてものはそのときのレッテルにすぎない。(それをうまく歌に落とし込めてないならそれは歌としての問題にすぎない)
逆に目立つから自分のもやもやイライラした気持ちのぶつけ先に利用できると考える、本来の右翼でも左翼でもない人たちならたくさんいるけど。
(もしなるというのなら災害救助を受けている人はみんなせっせと歌うだろうね)
自衛隊なり警察なり救急車なり、国や人を守る制度を動かすのは国会で決まった予算だ。
バカバカしい話だ。
つまり本当の愛国心はお金だ。税金を払う人は愛国心がある、なら言ってもいい。
歌を歌ったところで「愛国心」で救われた人や村や田んぼなんかビタイチ増えないよ。
ただ歌で気持ちよくなってCDを買う人がたくさんいればアーティストが所得税をおさめて「愛国心」を証明できる、てのはあるだろう。
そのためにアーティストはだれかをなるべく気持ちよくさせるような歌をつくる。
それだけのことだ。
1000年経ったら島唄もあれも平成百人一首の中に同時期の歌の例としてならべられてる程度のものだよ。
まあ、歌としてできがよければ、の話。
> たまにテレビで昔のヒット曲を振り返る番組とかやってるの見ると、80年代辺りはいい曲だなって思うのが多い。
http://anond.hatelabo.jp/20160523225722
ひとつは、生存者バイアス。長年残って今でも紹介される曲は、優れた作品だけ。
ちなみに、80年代歌謡の流れを汲むアーティストもたくさんいるし、いい曲もたくさん書かれてるけど、テレビやオリコンチャートなどの表舞台に登場しない。
つまり売れてない。誰もがCDを買う時代じゃなくなったので、少数派が聞く音楽が、市場価値を持たなくなっている。
アイドルとかアニメソングとか演歌とかの固定客がいる音楽のほかは、マイルドヤンキー層に好まれる、誰にでもわかる簡単な歌(EXILE、西野カナみたいな)しか売れなくなってるから。
逆に、今80年代のニュアンスを徹底的に研究して曲を作っている人は、ゲーム業界とかアニメ業界とかの音楽担当に多い。
あとは、K-POPとか台湾とかタイとか、アジアの各国も日本の過去のアイドル歌謡を徹底的に研究し尽くして、取り入れてるよね。
歌い方がキャラじゃなくなってる人も多いが元曲もなのかどうかは分からない。
個人的に日高愛が好きだから戸松遥の登場は嬉しかったが、戸松の歌やセリフも愛ちゃん感が弱まっていた。忘れてても仕方ないか。
ミリオンライブの楽曲は作曲陣がラブ×イブと被っているせいか、メロディアスな楽曲が多い印象を受けたし、良いかもしれないと思った。
(ラブ×イブ、初期の楽曲の質は高かった。アニメ化でキャラも曲も多様性も卓越性も消えて段々と死んでいった。)
対して765やシンデレラガールズの楽曲は楽曲として軽さがあって、音楽としての個人的な評価は低くなってしまう。
M@STER PIECEあたりはその典型で、劇場版の主題歌で必殺の楽曲のつもりなのだろうということは分かるし多くのPも絶賛しているようだが、
その点ラ初期の楽曲は好みだったのだが主にアニメ2期以降楽曲の方向性がアイマスに近付いていって唯一の長所も死んでしまった。
2期や劇場版の劇中歌は総じてなんとなく良い曲っぽいだけで刺さるものがない。こちらもライバーの多くが絶賛していたが以下略。
アイマスもラも途中まで好きだったのに失望させられる出来事があって距離を置くことになってしまったのだが、(アイマスは今も嫌いではないがラはほぼ嫌い)
アイマスは好きだった頃も特に楽曲の質については評価してなかった。
恐らく作品性の問題もあるのだが、アイ×ツ、プリ×ラ、ラブ×イブ(アニメ)、W×Gはアイドルが主人公ということもあってファンもアイドル目線。
あとアイドルが作詞作曲や自己プロデュースを自ら行ったり、楽曲の内容と作中ストーリーの間の関連性が強かったりする。
そのために、キャラクターソングとしてもアイドルソングとしてもただの挿入歌ではない味が出ている。
アイマスは原作であり核となる作品であるゲームで基本的にプロデューサーがプレイヤーで主人公という目線だったり、最初から用意されている楽曲を選んで歌わせる形式なため楽曲とアイドルとのマッチングの意味合いは捏造的な想像しかしにくい。
アイドル自身が主人公でそれぞれが主体的に動かざるを得ない状態の4作品と比べると、アイマスはアイドルがP含む大人の操り人形のように与えられた機会で与えられた楽曲を歌うという感が強いので楽曲やライブシーンが作品やキャラから乖離した挿入歌っぽくなる。
一方、アイドルマスターDSはアイマス作品の中では異例のアイドル達が主人公の作品で、オリジナル楽曲とアイドル自身のストーリーとの関連性も強いのだが、楽曲自体は軽さがある。
しかし、ゲームをプレイすると作品のストーリーと相乗効果で心に染み入るものがあった。
その他、アイマスライブはどうも作品ライブというより声優ライブとしての色が濃いしファンもキャストを声優として見ている点も大きい。
声優に興味や愛着がないとライブへの感動が半減どころではない。
その点でいえばラやWなどはキャラクターと同様にフォーメーションを用いたダンスパフォーマンスを行うためによく分からない人が見ても凄さや良さを察するものがあるが、ラはその影響で故障者が出たりしているのでダンスを専門としない人がやるにはハードすぎる部分もあるのかもしれない。
声優の身の丈に合った範囲で理想のイベントを行うとしたらアイドル作品ではないがサクラ大戦の歌謡ショウが究極的な理想だ。
映像でしか見たことがないが何故ほかの作品はあれをやれない、もといやろうともしないんだろうか。
豪華声優陣が声優としてではなく最初から最後までキャラクターとして演じ通し、観客もキャストをキャラとしてのみ扱い持て囃す。キャラクター作品イベントとして完全に完成されたイベントだと思う。
昨今はアイドル作品が増えているが、どちらかといえばアイドル声優がアイドルを演じるアニメ作品が増えている。
ライブイベントもキャラクターを片手間として演じつつ主にはアイドル声優としての私(たち)をチヤホヤしてほしいというスタイルで、売り方もそうなっている。
そんな状態だから、一度声優ライブの人気がついてくると作品の出来が悪くてもバレないし影響もあまり出ない。声優ライブやっとけば売れるから…。
「……ああ、みゅーず、ね」
「……声優だから。世代も色々あるから。AKBとかE-Girlsとかと一緒にしてあげるなよ」
「アイドルをテーマにしたアニメの歌が売れて、それが今年の紅白に出たわけ」
「太い! どうしたあのふともも! どうした!」
「(画面から眼を逸らす)」
(数時間後)
「ねえ! Twitterのμ'sの感想、褒め言葉ばっかだよ! ナンデ!?」
「……ああ、そうだろうね、それは『ラブライブ!』を応援している層だね」
(2015/01/03)
「……え、何で『ラブライブ』みてんの」
「紅白でわかんなかったからさー、見ようかと思って、これ録ったのはNHKなんだけど、元々NHKの番組?」
「……紅白が出る前後にNHKが買い取っただけで、元はNHKとは関係ないんだな、これが」
「アンタ『ラブライブ!』みてたの?」
「それが見てないんだ。断片的にしか。アニメの顔も相変わらず識別できない。マジで」
「アンタ『ラブライブ!』みてたの?」
「見てないつってるだろ、アイドルものは二次元も三次元もわかんねえんだよ」
「へぇー。そう。あ、最初に流れてたアニメってこの娘たちなのね。廃校?」
「アンタ本当に『ラブライブ!』見てなかったんだね」
「だから見てないっつっただろ」
「学校ごとにアイドルがいる、スクールアイドルっていうのが存在する世界観みたいよ」
「いるわけねえだろがッ」
「だよね〜。はあー、ふーん、(ぽちっ)」
「ああ、早送りするね。まあそうだよね、俺でもそうする。ところで何で見ようと思ったの? つらくないこれ?」
「あったねえ。20年近く前だねえ。今はルフィであるところの田中真弓が大男の桐島カンナをかなり強引に演じてたりしてたねえ」
「でも私は『サクラ大戦』歌謡ショーの声優のひとたちを見てちゃんと感動出来てたのを覚えてるのよ」
「そうだよね」
「だからきっと紅白2015のμ'sに感動しているネットの人たちとかも同じ気持ちで、『ラブライブ!』がわかったら『サクラ大戦』歌謡ショーみたいに楽しめるのかなって思ったわけ」
「……あんた正しい人だよ、素晴らしいよ、むしろ俺が間違ってたよ」
「そお?」
(数分後)
「……あ、ただ終盤、止めて」
「なんで?」
「アンタ『ラブライブ!』みてたの?」
「見てない。でもこういう褒め所だけは散々言われてるから覚えてる。これおおよそ2年前の作品だけど、ほら、全身絵とアップ絵で切り替わってるでしょ」
「そうだね、なんか全身絵の方は顔が能面だね」
「この頃はまだアニメ風の3D演出を動かす技術が発展途上で、ラブライブはこの当時としてはかなり先駆的なやり方をしてた」
「ふーん(あまり聞いてない)で、紅白の録画を……ああー、こういうことだったのねー」
「そうね」
「あ、ただ、AKBとかにいてもおかしくないような子たちも結構いるね」
「ああ、そういうことになるのかな、アイドルと同じくらい声優アイドルも知らんけど」
「知らないの?」
「あー、日高のり子さんいるじゃーん」
「その世代はね、わかるよね」