「欧米列強」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 欧米列強とは

2018-11-19

韓国中国の自滅

中国は一対一路の失敗でジリ貧だしアメリカ貿易公益を受けて日本にすり寄っているような惨状だし、韓国なんて反日で自滅して北朝鮮へのすり寄りでアメリカに嫌われTHAAD配備中国にも嫌われて、結局日本いちばんマシなんですよね。中国は明らかにアメリカ軍事力自衛隊軍事力を恐れていますから

ただ、私としてはアメリカ軍に頼らず日本核武装原潜を複数所有して、相手国に致命的なカウンターを確実に与えられる態勢をゆくゆくは整えるべきだとは思いますが。

また、アメリカよりはるか暮らしやす日本という国があり、アメリカでは医療費での破産が極めて多く銃による犠牲も多い中、日本は本当に恵まれている。

歴史を見れば、朝鮮人日本感謝するべきなんですよ。縄文時代のような生活をしていたのを、日本が莫大な投資日本人による指導学問レベル医療レベルインフラレベルも飛躍的に高まったのですからね。韓国人のすべての基礎は日本人が作ったと言っても過言ではない。

それに、日本韓国中国侵略したのではなく、欧米列強から"保護"していた。白人植民地支配した土地黒人黄色人種をおおぜい殺害レイプしていた事実は明らかになっているのですし、イギリスなんて国をあげて中国に大量に麻薬を売りつけるというナチスもびっくりの蛮行をしている。

日本がしてきたことがいかにそれらと比べて穏やかで、むしろ原住民生活レベルを引き上げるポジティブものだったかなど、歴史客観的に見ればすぐにわかることでもある。

本来中国韓国日本感謝して、その恩を返すべきなんですよ。

朝鮮人日本人に恩を感じる筋合いはたくさんあるにも関わらずおかし反日教育洗脳を受けており素行暴力的なので、朝鮮人による放火、略奪、強姦等があったという話はとても現実的

実際、韓国治安日本より遥かに劣悪ですからね。その韓国治安反日洗脳プラスしたらどうなるか? 当時、日本人が暴力的朝鮮人を恐れ、敵視したのは当然のことです。

そしてもう2018年になり、もはや2020年ももうすぐ。中韓日本中韓欧米列強から保護していたことに恩義を感じながら、共に友好的な関係を築いていくのが本来の姿であり、目指すべき環境と言えます

2018-10-05

教育勅語歴史的役割普遍性

教育勅語は、過去歴史的においては、日本近代化一定役割があったと考えられるが、時代を経るについて、その位置けが変わっており、どの視点に立つかによって評価が変わってシマウマ

江戸時代以前、幕藩体制下においては、人々は藩(クニ)というコミュニティへの帰属意識はあったが、日本という統一された国家への帰属意識存在しなかった。しかし、欧米列強アジア進出に直面し、明治国家統一された近代的な「国民」を創出する必要性に駆られた。そこで、井上毅が中心になって起草されたのが教育勅語である

江戸以前の封建社会では、お殿様がいて、家来衆がいて、そのまた家来がいて、農民商人工人がいて・・・と、多層的な社会構成となっていた。欧米を直接視察した当時の指導者たちは、このまま身分により分裂した社会では、我が国近代化を成し遂げて欧米に伍してゆくことは難しいと考えた。そこで、表向きは日本人に馴染みのある儒教的用語を使いつつも、勤勉であれというプロテスタンティズム精神を注入したもの教育勅語である。(米英独における近代資本主義形成プロテスタンティズムが果たした役割についてはマックス・ウェーバーの説に譲る)

教育勅語の登場により、日本人の中にプロテスタンティズム的な精神形成され、曲がりなりにも、なんとか我が国近代国民国家を創りだすことに成功した。また、一番問題になっている「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ・・・」の文言についても、歴史的には欧米の「国民軍」形成の流れと相似をなすものである位置づけられる。(というのも、それ以前は武士階級のみが軍事に専念して、一般市民にとっては軍事は全くの埒外であった。このままの意識が続いていたとしたら、本邦は他のアジア国家と同様に、欧米植民地となっていたであろう)

ただし、時代を経て昭和の激動期に入ると、明治憲法と同じく、長所よりも欠点が目立ち始める。

欠点第一要因は、明治憲法や教育勅語が、現人神である天皇から臣民に下されたもの(実際は、明治元勲が起草したものだが)という形式を取ったことであろう。明治憲法も、首相権限が明記されておらず、その基盤が弱小である等の問題はらみつつも、「不磨の大典」化してしまったため、政治家軍事官僚を縛ることすらできなくなってしまった。教育勅語時代に即して改定を行う動きもあったものの、やはり天皇から下された「聖典」という位置づけから改定ができなくなり、戦時下においては国民を総動員する装置となってしまった。

以上を踏まえると、教育勅語日本近代化推し進めた功績があり、現代資本主義社会においても引き継がれる価値観を含有するという点では一定の「普遍性」を持つ一方で、戦時下においては国民を動員する装置となったという点で「負の側面」も多く有するという、なんとも白黒つけがたい存在である評価できる。

なお、現代では教育勅語は、その歴史的役割をすっかり終えており、今さら道徳のために引っ張り出してくる必要性は無いという私見最後に付け加えておく。

https://anond.hatelabo.jp/20181004143708

2018-09-28

anond:20180928124309

なんとなく理解できるんだけど、他のアジア人黒人不祥事立場の弱い民族的マイノリティがやったことってなって非対称性無罪になるのに、

白人場合先進欧米列強国の白人様の文化理解できない野蛮な日本人が悪いってなるんだね。

なんか、黒人を守るロジック白人を守るロジックが同時には主張しえないもののように思えるんだけど、全部ダイバーシティ一言で成り立つようになってるのかな。

誤魔化されてる気がしてならないなあ。

2018-08-24

anond:20180824010938

海外権益をすべて失い、300万人が死に、1000万人を殺し、日本のすべての都市空爆され、50万人が外国強制労働させられ、外国に無条件降伏して国民すべての生殺与奪を握られる、ことより悪いことなんて平時には存在しないと思う。

植民地は徐々に放棄じゃないかな。欧米列強20世紀後半に苦しみながらしたように。

2018-07-17

日本戦争アメリカに負けた遠因=公武合体の失敗

戦後レジームに至る日本の原因を分析してみた。

 

敗戦

1945年日本アメリカ戦争して負けた。

アメリカ日本へ2発の原子力爆弾を投下して、日本は無条件降伏した。

無条件降伏だったので、日本アメリカ植民地奴隷にされた。

 

鎖国から開国

江戸幕府鎖国政策を行っていたが、欧米はその間にも技術を発達させ、軍事力も増大させていた。

日本欧米列強に対抗すべく、開国へ向けてシフトし始めた。

江戸幕府は当初「公武合体」によって、新しい日本体制作りを目指した。

 

公武合体

公武合体(こうぶがったい)は、幕末1850年から1860年代)の日本において、朝廷(公)の伝統権威と、幕府及び諸藩(武)を結びつけて幕藩体制の再編強化をはかろうとした政策論、政治運動をいう。

公武合体策、公武合体論、公武合体運動、公武一和(こうぶいちわ)とも呼ばれる。対義語尊皇攘夷である

 

明治維新イギリスによる国家転覆

しかし、公武合体は失敗に終わり、薩長テロリストたちがクーデターを起こした。

イギリス支援された薩長同盟 VS フランス支援された江戸幕府

英仏の代理戦争日本国内で展開されて、イギリスフリーメーソン勝利した。

明治維新によって、天皇ワンマン体制日本樹立された。

 

増長

明治維新以降、日本日露戦争勝利する等、外国戦争して勝つことができた。

日本は、朝鮮中国支配下に置くことができた。

調子に乗ってアメリカにも戦争しかけたら(真珠湾奇襲攻撃)、逆にボコボコにやられてしまった。(原爆投下第二次世界大戦敗北)

 

ワンマン体制欠点

日本がWW2で開戦するとき、御前会議が開かれた。

天皇が「勝つ見込みはありますか?」と尋ねたら、軍部は「短期決戦で勝ってみせます」と応えた。それならOK戦争を開始した。

しかし、アメリカは粘って長期戦に持ち込んだ。

軍部は「アメリカから買っていた石油がなくなったので、これ以上戦争継続できない」と判断した。(そりゃ戦争やってる相手石油を売る馬鹿はおらんわなw)

 

松谷誠

松谷誠のように、早期講和検討した者もいたが、軍部に握りつぶされた。

日本が2年程度で戦争を止めていれば、満州を失うだけで済み、日本本土まで取られることはなかった。

結果的に、天皇軍部判断を誤り、早期の損切りができなかった。

松谷 誠(まつたに せい、1903年明治36年1月13日 - 1998年平成10年10月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人陸上自衛官

主戦派が主流の陸軍の中で、1943年3月陸軍参謀本部戦争指導課長となり、早期講和模索

鈴木貫太郎首相秘書官であった1945年4月、「終戦処理案」をまとめ、ソ連の和平仲介による早期講和を主張した。

 

天皇悲劇は、周りにイエスマンしかおらず、適切な判断材料となる反対意見を言う者がいなかったこと。

天皇一人が悪いのではなく、取り巻きの連中が使えなかった。)

 

もしも、松谷誠らが天皇に直接提案する機会があれば、完全敗北を避けることもできただろう。

歴史を振り返ると、ワンマンリーダー判断ミスすることによって、国が滅ぶ例が多々ある。

日本とて、例外ではなかった。

 

ターニングポイント

日本近代史を振り返ると、日本の岐路は、「公武合体」にあった。

もしも日本が、天皇将軍のツートップ体制だったら、どちらか一方が判断ミスをしても、リカバリーできる可能性があった。

しかし、ワンマン体制だと、一人のリーダー判断ミスすることによって、ドミノ式に全体がミスに巻き込まれる。

これが日本第二次世界大戦の完全敗北の原因だった。

 

公武合体成功していたら、日本は今とは違う歴史を歩んでいただろう。

負け惜しみで、明治維新賞賛する向きもあるが、敗戦の結果を見れば、明治維新天皇制は失敗だったことに気付く。

残念だ。

 

anond:20180717162244

2018-04-07

anond:20180407012453

※詳細版

神話時代天照大神岩戸に隠れて真っ暗!!この世の終わりだ!

7世紀白村江の戦いに負けてしまった!唐の大軍が攻めてくるぞ!!

10世紀平将門藤原純友の反乱で日本オワタ!!

11世紀末法の到来だ!!平安京では疫病が流行してる!

13世紀蒙古が攻めてくるぞ!日本は滅亡だ!

15世紀応仁の乱で京の都オワタ!!乱世で世も末だ!

19世紀黒船キター!!日本欧米列強植民地にされるぞ!!

1904年日露戦争に負けたら日本滅亡だー!!

1920年代不況で娘は身売りせんとあかん昭和維新せな日本は滅亡や!

--

1945年大東亜戦争が敗北に終わるなんて!日本はもう滅亡だぁああああ

1950年日本でも共産革命が起きるぞ!ヤバイヤバイヤバイ

1960年:米ソ核戦争が起きて日本も巻き込まれるぞ!ヤバイヤバイヤバイ

第2次ベビーブーム:このままじゃ人口増加で資源と食料がヤバイヤバイヤバイ

1973年石油ショック高度経済成長が終わった!日本はもうおしまいだ!

1980年代ソ連アカが攻めてくるぞ!!攻めてくるぞ!!

1989年:今のバブル景気まやかしだ!道徳的堕落した日本は滅亡する!

1991年:そら見ろバブル崩壊した!!驕った日本人に罰が当たったんだ!!

1995年阪神大震災地下鉄サリン事件日本滅亡が始まったぞ!!

1998年北朝鮮弾道ミサイルを開発した!今すぐ戦争になるぞ!!

1999年ノストラダムスの大予言ガー

2001年911テロガー

2003年イラク戦争が第3次世界大戦のはじまりだー!!

2011年福島原発事故ガー

2017年4月4月中に北朝鮮戦争が始まる!!

2017年5月5月中に北朝鮮戦争が始まる!!

2017年6月以降:年内に北朝鮮戦争が始まる!!

2017年12月以降:来年北朝鮮戦争が始まる!!

2020年:○○で日本は滅亡する!!

2033年:××で日本は滅亡する!!

2050年:△△で日本はもうおしまいだー!!

2100年:■■が起きた!今度こそ日本は滅亡だ!!

3000年:◇◇で今度こそ日本オワタ!!

無限に続く予定

2017-05-19

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

2016-11-27

ヨナラニッポン(※フィクションです)

2016年日本で働いていた。

日本に行けばお金が稼げる。そのうえ先進国技能技術知識を身に着け、故郷凱旋して自国の発展に貢献できる」

そう聞いて、幼い頃からの憧れだった日本に行けるならと、あまり深く考えずに多額の借金をして日本へ飛び込んだ。アジアのなかで欧米列強に肩を並べるほどの豊かな国を築くほど優秀で、かつ、未曾有の天災が起きても一致団結できるモラルの高い日本の人びとに、最親日国の友として色んなことを学びたいと思っていた。

そんな思いでやってきた自分が置かれた状況は、予想だにしなかったものだった。

彼ら日本人は、私達のパスポートを取り上げて「言うことを聞かないと強制送還だ」と言い、技能技術知識のまったく身につかないキツい労働を半ば強制的押し付け最低賃金を下回る報酬しか払おうとせず(未払いやサービス残業も横行)、「外泊は直ちに強制帰国、違約金50万円」や「恋愛は警告。聞き入れない場合は違約金20万円」などという独自ルールを作り、私達の人としての権利を縛った。

この状況に愕然とした。日本の人びとは日本人同士で助け合うものの、外国人途上国限定)を人として扱ってくれなかった。彼らを友だと思っていたのは自分だけで、彼らからすれば農耕馬かなにかと同じ感覚だったのだ。

騙された。

いや、正直安い労働力として期待されていることは承知していたが、人として接してもらえないとはゆめゆめ思わなかった。

もちろんなかに制度趣旨理解して高い技能を伝播してくださった企業や、友として接してくれた人びともいたようだが、それはほんの一握りで、日本国際社会国連国際労働機関から再三の是正勧告を受けてもなおこの人権侵害労働強制を続けていった。

知っていたら絶対にこんなところに来なかった。

そんな過酷環境に耐えきれず、失踪する者があとを絶たなかった。失踪者たちはパスポート労働許可もないまま窃盗などの犯罪グループに加わった。かばうつもりはないが、彼らには借金があり、もはやそこしか逃げ場がなかったのだ(※日本に来るためにブローカーなどに借金をするが、その額は母国で何十年働いても返せる額ではない)。

年々我が同胞犯罪検挙数が増えていくとともに、日本人の私達に対する態度や扱いはますます厳しいものになり、ますます失踪が増え・・、という憎しみのスパイラルに陥っていった(※2016年国籍別で中国を抜いてトップ犯罪検挙数・検挙率となった)。

そんな両国関係悪化していく状況のなか、犯罪に走ること無く三年間の労働期間を終えて母国に帰った自分に残されていたのは、人を罵る日本語「バカヤロー、オマエナンカ死ンジマエ」、それだけ。結局、金も技能もなにも残らなかった。朝から晩まで会話を必要としない農作業で、宿舎と言う名のブタ小屋共同生活同胞だけの暮らしだったので語学を学ぶ機会はなかった。それに、好きになれない国の言葉積極的には覚えようとはしないだろう。

いま思えば、人生いちばん伸び盛りの時期に、なんて無駄時間を過ごしてしまったのだろう。どうしてあのとき日本になんか行ってしまったんだろう、そう深く後悔したものだ。

それから10年、我が国経済成長5〜7%前後を毎年キープし、安定的な発展を遂げた。多くの人々が一家に一台自家用車を持ち、家電嗜好品を買い求めるようになった。運良くこの成長の波に上手く乗った私は、不動産で財を成して国内トップ20に入る資産を築いた。政府関係者とも太いパイプを持つことができ、国政にも多少の影響力を持つようになった。

この一億総中流の消費市場で躍動しているのは、中国韓国、そして欧米各国の企業だ。クールジャパン実態はただの冷徹日本人だったことがわかり、ASEAN諸国からの「憧れ」を失った日本ブランドは各国で輝きを失い、次第にシェアを落としていった。

日本企業自国市場が縮小していくなか、アジアの成長する市場でモノを売っていくしか生き残る道がないことを誰もが分かっていたはずなのに、あのとき私達を隷属させた代償として自らのブランド毀損し、その機会を逸してしまったのかもしれない。

新聞でチラッと読んだが、高齢化がより一層進んだ日本では社会保障やら国防やら国政の課題もさることながら、屋台骨だった自動車産業米国IT関連企業に食われるなど、経済もいろいろ大変らしいがそんなのどうでもいい。

日本と聞いただけで、あの奴隷主のように振る舞う日本人を思い出して気分が悪くなる。もう二度と行くこともないし、とにかく日本にも日本人にも関わりたくない。日本プロダクトは一生買わない。

ヨナラニッポン。

バカヤロー、オマエナンカ死ンジマエ。

2016-07-08

anond:20160707234517

日本戦争に向かっていった経緯を知らんアホが「戦争反対」って叫ぶだけ。

何で日本戦争するようになったかというのには産業革命によって自国庶民が皆貴族化することになりそうなると人手が足りなくなり弱小国植民地として貴族による低賃金労働者を得るために欧米列強はこぞって植民地支配をしていたので、日本もビックウェーブに乗ってアジア諸国植民地化し豊かになろうとした、が第二次世界大戦ではナチスドイツ大日本帝国植民地を増やそうと戦争拡大して多くの人間死ぬ結果になったので植民地支配は止めよう、ということで今は戦争による植民地獲得は禁止になったことだし日本戦争放棄した。

けれども今はテロ国家による犯罪は多かった上に日本では過去韓国北朝鮮によるテロが何度もあったんだから韓国北朝鮮に対しては行使すべきだったかもね、両国とも未だ謝罪無いし。

2016-05-07

日本韓国植民地支配していないって言ってる人って

欧米列強アジアアフリカ植民地支配したことは否定しないよね。

でもヨーロッパの人たちだって自分たちお金で現地に鉄道病院学校も作ってるよね。同じ理屈で言ったらヨーロッパも現地の人々の近代化を助けたことになると思うんだけどどんな説明してくれるんだろう。

チベットウイグル中国政府お金出して労働者派遣して鉄道作ってインフラ整備したおかげで人口収入も何倍にもなってるからいいことだよね。それなのに外国亡命して独立叫んだり政府庁舎爆破したりする人たちってただの単細胞テロリストだよね。

そもそも植民地経営なんて油田鉱山ない限り儲かるもんじゃないからね。基本赤字

2016-05-03

「新しい憲法を制定する推進大会」の記事を読んだ。

https://www.buzzfeed.com/satoruishido/kaiken-genjitsu

壇上のいちばん右に「日本の歴史文化伝統香り高い憲法をつくろう」と書かれていることで、もうお里が知れているようなものだ。彼らが言う「日本の伝統」とは、たかだか100年ちょっと前の明治時代を指しているにすぎない。

実際、渡部昇一は「基本は明治憲法かえること」と言って、その意図を隠していない。しかしそんな短期間(それも欧米列強に追いつこうと蒼白になっていた一時代)を取り戻そうなんて、イヤなこったというしかない。

彼らにとって明治時代が「日本」であって欲しい理由は、それがオッサンたちが大いばりできた時代であったからであり、さらに言えばお国のために有用人材になれと励ましてくれた母親へのノスタルジーだ(偉大なるマザコン評論家江藤淳イデオロギーを信じ込んでいる人もいる)。

自民党改憲PR誌に「この70年で女性地位は向上した。でも個人の自由が強調されすぎて…」と書かれているように、改憲=オッサン権力闘争という側面は否定できないだろう。

本当に「日本の歴史文化伝統」を学んだうえで言うのであれば、周りを海に囲まれ地理的条件を踏まえ、海外からの「舶来物」を換骨奪胎して取り込む融通無碍日本を、その本来的な姿と考えるべきではないのか。

そういう節操のなさを日本本質だと考えれば、アメリカから押し付けられた憲法をいつの間にか自分の都合のいいように玉虫色解釈して使っている現状こそ、日本お家芸披露しているようなものだろう。

もしこの部分の矛盾放置するのが難しいとしても、基本コンセプトとして「明治にかえれ」は戦略的にもお粗末だ。明治とはモーレツ社員以外を排除して成立したブラック企業であり、社畜天国である。それは現代日本にも脈々と引き継がれているが、いずれ超克すべきものだ。

江戸以前に遡れば、混浴だの男色だのが謳歌されていた伝統日本にはあり、LGBTどころの騒ぎではない多様なアジア世界が展開されていた。そういう歴史文化を学んだ上で、「伝統」という言葉を使ってもらいたいものだ。

2016-01-15

anond:20160113194003

秦:中央集権化による兵力削減と法律厳罰化により各地で反乱勃発

魏:皇帝親族暴政に有力貴族クーデター皇帝から貴族権力移行

明:暗君と国の財政破綻により崩壊異民族に乗っ取られる

清:欧米列強による植民地侵略で弱体化、各地で反政府勢力が立ち上がる

2015-12-13

anond:20151212140630

欧米列強戦争してたのって産業革命人口が増えて領土が狭くなったので途上国戦争吹っかけて支配して領土を与えた。

クローンなんて細胞分裂レベルのを作るのが無理だけど、もし作れたとしたら砂漠化した土地の緑化をさせるしかない。

2015-07-20

徴兵とか徴用される順番

現在兵器は、パソコンサーバーや高速通信機器総合体なので、北関東ヤンキー風の体力派のあんちゃんよりも、SEとか運用の人とかプログラマとかが真っ先に軍に取られていくと考えられる。

兵器オペレーション以外にもサイバー戦争要員としても利用価値が高い。

海を渡った戦地へ赴く必要がないとしたら、企業ごと徴用されるかもしれない。

運輸関係は、真っ先に徴用されるだろう。日通とかクロネコとか佐川とか日本郵政とか軍需輸送受託するようになる。

次に建機メーカー。造船メーカー自動車メーカーも準国策企業になるように法改正されるかもしれない。

この法改正というのがポイントで、日中戦争日米戦争当時の日本法律に基づいて国家運営されており、あの「国家総動員法」ですら国会議決によって施行されている。

戦前日本軍事国家ではなく、立憲君主制に基づく民主主義国家だった。なのに戦争を止めることはできなかった。

世界恐慌に端を発する不景気対策をどうするのか、食い扶持がない人々をどうするのか、エネルギー政策をどうするのか、欧米列強植民地をとして屈するのかといろいろな要因が重なって、誰も責任を取らない体制ができてしまってあのようになってしまったのだろう。

戦争に敗れた原因の研究とそれを補っていく国家目標必要だ。

戦争をしないという決意は、大切だろうけど、周りのいじめっ子が隙あらばけんかを仕掛けている状態で己を守るにはどうすればいいのかという問いに対しては常に考えを深めて、実力行使にならない道を探ってしかなくてはならない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん