はてなキーワード: 機会の平等とは
そもそもサンデルの主張は尊厳の回復であってどのような立場であれ他人からの承認、敬意を得られる社会を目指すべきということであって、経済的に機会の平等/結果の平等を測ることではないからなあ。
機会の平等は機会があるんだから努力しろよという能力主義的な言説に繋がるし、結果の平等に関しても労せずして結果を得られる層に向けられる目が敬意などではあり得ないことは例えば日本で生活保護者に向けられている目がどのようなものか思い出せば問題があるのは自明だろう。
平たくいうと差がつくのはしゃーないけどお互い敬意を払えるといいよねって主張なんだよ。
ちょっと前に話題になったツイートで現ハーバードの研究員が学生時代に大工のおっさんから話しかけられて三角比の大切さを説かれたみたいな話あったじゃん。
コミュニティカレッジの充実だとかを通してインテリのみならずあらゆる労働者に教養があって互いに敬意を払われ、例えば「あいつはバカだから肉体労働をしている」などと見下されることがない、そういうものを目指してる。
「学力が足りないのは本人の自己研鑽不足のせい”だけでない”」なのも当然だ。100% なんてものはそうそうあり得ないからな。
流石にそこは理解してるみたいでよかったよ。
ただ現状のアメリカの機会の平等を実現する仕組みを実施した上で、「学力が足りないのは本人の自己研鑽不足のせい」と「学力が足りないのは本人の自己研鑽不足のせいでない」のどちらかで言ったら、圧倒的に「学力が足りないのは本人の自己研鑽不足のせい」だ。
グラデーションのある問題を二元論でどちらかで言ったらとか言い出すのはマジでバカ過ぎるw
ハーバードに限らず上位大学の入学者の親は高収入の方が圧倒的に多いことや、「知能指数より親の収入のほうが学歴との関係が強い」って統計からしても「学力が足りないのは本人の自己研鑽不足のせいでない」ってことが明らかなんだが
貧困の世代間継承が周知され研究や議論が日本の数十倍積み重ねられてるんだが、アメリカは機会の平等が実現されているかのような言い草だなw
お前の見てるアメリカはオレの見てるアメリカとは違うみたいだからここで終わりにしよう
ちなみにオレの知ってるアメリカでは「学力が足りないのは本人の自己研鑽不足のせい”だけでない”」ことはpoverty trapという概念や、学歴と親の社会階層の相関なんかで統計的にも明確になってるぞ
「学力が足りないのは本人の自己研鑽不足のせい」ってのがバカっぽいってだけの話なんだが
あと、アメリカは機会の平等に恵まれてないぞ、ここ数年で機会格差がメチャクチャ広がってるのって色んな所で語られてるでしょ
正気かよ
知能が低くて相応に倫理も道徳もないようなカス中小の経営者や秋葉原のラブライバーみたいな他害性ギリ健キモオタみたいな意識高い系IT男とかに「理想の法体系」なんか聞いたって
「雇った雑魚どもを奴隷のようにこき使って、壊れたら自己責任なので放り捨てて、若くて可愛いレースクイーンやコスプレイヤーのようなギャルを愛人秘書にして毎日窓におっぱい押し付けてエロコスでハメハメしてるだけで利益がガッポガッポ入るようなことができてTVとかに敏腕営業者って出られる会社」としか答えねーだろ
そんでその通りに1%でも考えなしにできるようにした結果がこの失われた30年じゃねーか
そんなアカンやつが起業して市場に出てきた時点で悪影響及ぼすようになってくんだよ
そもそも本来であれば起業するに値しないどころか起業なんかできないようになってたやつに機会の平等だなんだとかいってできるように補助が出るようにした時点で経済理論なんかでは想定してないから予測できない異常事態だろーがよ
いやいや、1200ドル程度を投資に回せないほどの無産階級という意味ではなくて、ましてや投資機会にアクセスできない程の赤貧プロレタリアートという意味でもなくて、そういう意志も意欲も知識もない連中が物凄い数いるってこと。
馬鹿が「件の闘争は」プロレタリアートによってじゃない」みたいなこと言い出すからそれに合わせただけで、プロレタリアートかどうかだなんてかび臭い定義の話なんてどうでもいいよw
「投資をするという意志も意欲も知識もない連中」も含めた現代の労働者階級によってBLMにしてもウォール街占拠にしてもGAMESTOPの株価吊り上げにしても起きてるんだから、階級闘争が成立しないとかいう馬鹿げた主張が間違ってるって言ってるだけ。
アメリカで起きてる白人至上主義者による攻撃的な諸々の活動なんてのは、現代の階級闘争そのものだろ。
彼らは開かれたグローバルな社会から排斥された「労働者」そのものだろ、かれらの活動は「階級闘争」の側面が強いことはわかるよな?
フランスでの黄色いベスト運動や、アメリカの公立学校の先生による賃上げ運動なんかをみても、資本主義先進国において現代もわかりやすい階級闘争が行われてることは明らか。
黄色いベスト運動があったのに、「階級闘争は起きない」とかいってるのは流石にニュース見て無さ過ぎ、馬鹿は自分の頭で考えるより世の中の情報をとりあえず沢山詰め込んだほうが良いぞ。
「ブルーカラーだろうと猫も杓子も株式やFXやビットコインにアクセスできる現代」であっても、そんなもん何のことかわからんとか、そんな怖いものには手も出せないとか、そういう連中はごまんといるわけで、機会の点ではより平等になった一方で、むしろそのことを言い訳にした巧妙な搾取が堂々と行われているのが現代なわけでしょ。無知無能は自己責任なので貧乏になって当然と言わんばかりでね。
だから、現代文明の落ちこぼれ達は、自分にはどういう機会があるのかロクに気づかず、また自分たちがどういう巧妙な搾取をされているかすらわからずに、反抗と異議申し立ての対象が何なのか見定められないまま、搾取をされて格差が拡大しているのが現状なのでは? (19世紀と違ってね)
ここらへんは論点ずれすぎ、「機会の平等によって結果の平等が得られてる」とか、「貧者は自己責任」みたいな話ししてないからw
・能力を得る機会が平等ではないから問題(どの家で生まれるかによって、受ける教育が変わってくるなど)
・能力を正しく公平に測れないから問題(仕事の成果を上司が評価してくれないなど)
というように、能力による差別を肯定した上で、能力を得る機会やその評価が正しくないから問題なのだと読み直す人が多い。
能力主義に対する批判については、障害者に関わる福祉の分野や教育の分野などで昔から言われていることで、
そこでの論点は、
・能力が高い者が富を独占してもいいのか?
ということだ。
たしかに教育の機会均等とか、仕事の成果に対する公正な評価とかは、それ自体としては大切ではあるが、
じゃあ、機会や評価が公正・公平なら、
・能力の高い者がより富み、能力の低い者がいっそう貧しくなる社会でいいのか?
という問題がある。
障害者に対する偏見が一切なくなった社会においても、存在しうる。
知的障害者は、どれだけ教育の機会が均等になり、障害者への偏見がなくなったとしても、
よって、低賃金の仕事に就くのがせいぜいで、貧しい生活を強いられる。
なぜなら、障害者を雇うと、健常者を雇った場合にはかからなかったコストが発生するから、
障害者に対する偏見がゼロの企業であっても、わざわざ障害者を雇うメリットがないからだ。
障害者という例を出さなくても、人間は能力が高い人から低い人までいろいろあり、
・いや、良くない、社会から発生した富は、能力の高低によらずに、なるべく平等に分配しましょう。
共産主義や社会主義のリアリティがあった世界においては、結果の平等を求めることはそんなに変なことではなかったが、
資本主義オンリーの世界においては、機会の平等だけが重要であり、結果の平等は悪、低脳が貧しいのは自己責任。
そんな考えをナチュラルに持っている人が多い。
だから、能力主義批判について、そもそも何を言っているか理解できないし、
今度出るサンデルの本についても、
・能力の測定に関わる不公正
このツリーの論点って、ジェンダーギャップ指数で機会の平等を測れるのか?になると思うんですよね(もちろん1個で完璧に!とは言わないが)
そういえないのであればやっぱジェンダーギャップ指数ってクソだよね、っていう最初の話になる
で、少なくとも私はジェンダーギャップ指数は結果の平等を示す指標だと思う
これに対して客観的な機会の平等を示し、ジェンダーギャップ指数で十分説明できる、というならわかる
でも最初の増田が言う通り女性が女性に投票すりゃ女性内閣だって女性総理だって誕生させられる
「議席あてがえ論」の重大性に気付いてる者もいれば、相も変わらず教科書通りの問答をしようとする愚か者も多い。
議席とは人権である(正確には、そこに懸ってる人権がある)ということから目を逸らしてる奴はこの際論外として、
もう一点指摘をしておこう。
男女平等を信条とする俺には全く関係ない話だが、ブコメやらフェミニストには「女性の人権」とやらを殊更重要視する差別主義者がいるようだ。
そういった連中に向けてのヒントだが、「議席あてがえ」論は女性の人権すら奪うということを肝に銘じておけ。
それともまたお決まりの、「名誉男性」と言って切り捨てるのだろうかね?
plagmaticjam あてがえがあらそえに見えてきた
「権利の主張」が実現したら即、「加害」なので実現する前に批判する。「暴力的」?俺は字を打ってるだけだ。
あてがわれる議席の裏には立候補者と多くの有権者がおり、議席にはその人たちの意思が込められている。
cleome088 フェミニストは世の中を良くするために「ルール」を変える話をしているが自称弱者男性はルールに乗っかって勝ちたい話しかしてないから。勝つことは大事だけど勝つ人間が固定化したら腐るんだよ。
議席をあてがったら、その分「勝つ人間が固定化」されるだけだろうが。
「議席あてがえ論」は確かに「ルールを変える話」だが、それは「世の中をよくするために」じゃない。「自分たちが勝つため」に過ぎない。
違うとは言わせない。「世の中をよくするため」なら、女性にだけ「議席あてがえ論」を唱えたりはしない。世に遍く有象無象あらゆる属性にあてがうことを言い出すだろうよ。
あと、「女をあてがえ論」も結局は「そういうルールを作れ」=「ルールを変える話」。同じだよ。全く。
oakbow 個人的には今は反対だが、クォータ制は政治の世界に多様性を半ば強制的にもたらすためのものだよ。もちろん女性の権利拡大効果が大きいだろうが恩恵を受けるのは男女とも。女性あてがえとは次元が違うと思う。
1.政治の世界は今も多様性を担保できる機会の平等がある。その現状、選挙で選ばれている以上の「多様性」を無理やりもたらそうとするのはタダのエゴでしかない。
2.男女とも?男性の受ける恩恵とは?フェミニストはいつも「フェミニズムは男性も救う」っていうけど、具体的な話は全くないよね。
mobile_neko いま日本において議論されているのは「政治分野の男女共同参画推進法」を改正して政党が立候補者数の男女比を努力目標ではなくルール化する事だし「議席」をあてがえと主張しているのは非主流派じゃないか?
同じだよ。
各政党の立候補枠はいわば議席予選。そこに出る権利を奪うってのはやはり機会の平等及び参政権を損う。
kagecage 女性を"もの"として見てるんだなぁと悲しくなるな。自分はいちフェミとして弱者男性ももっと性役割に縛られず自由に生きられるようになればいいと願っているよ。
論外。
最初から最後まで俺の増田には「権利」の話しかしていない。本文と関係ない綺麗ごとは自分の増田で書け。
misomico なぜ分断するのか
俺が分断してるんじゃないし、「弱者男性」論が分断するのでもない。
もう分断されてるんだよ。フェミニストによって。
フェミニストが最初に「男性」を主語にしたとき、分断は起こった。
kunitaka 笑う資格は全ての人にある。俺なんかド底辺のドクズやけど、トランプもバイデンもプーチンも習近平も金正恩もメルケルもボリスも皆お笑いの対象やで。バーカ、参ったかw
うん、まぁ、笑えばいいと思うよ。
kutabirehateko だからインセルと弱者男性を一緒くたにするなよ。そしてインセルを批判するのはフェミニストだけだと思うなよ。
論外。
自分にとって都合のいい選別をしてるんじゃないよ。
「インセル」の本義(彼らが名乗った意味)から外れた用法で濫用しすぎなんだよ。
違わない。論外。
反人権派と一緒にするな。
kyo_ju 公選の候補者や非公選役職に占める割合を一定割合(しかも、人口比と同等かより低い割合)まで引き上げよという主張は特権の主張ではないので、"弱者男性にも男性特権を分かち与えよ"な御仁達とは全く同視できない。
そもそも公選の結果に「人口比と同等であるべし」などという要件はない。女性が半分以上の票を握っていて、それで今の結果だ。
ここから「女性だけ」人口比と同等を保証する、というのは「特権」以外の何物でもない。
「同視できない」のは偏見の為せる業ですね。
yuichi0613 自分は男性でフェミニストじゃないけど、多様な社会をつくる以上、意思決定の場に女性を増やすことは賛成で、こういう単純な当てはめは反対かなあ
「多様な社会」と言いつつ、ステレオタイプな「男性」「女性」二元論に支配されてる自覚はあるのだろうか?
「男性は女性の代弁をしえない」(逆も)というのはその典型だ。
論外。
lawikakog 「努力が足りない」とか内容がジェンダーバイアスに塗れていてひどい。格差が広がるほど金持ちがどんどん金持ちになるのと一緒で男性優位になった階級は男性で固定されるんだよ。それを構造的に見直すという取り組み
「努力が足りない」はフェミニストが弱者男性に言い放っていた内容と全く同一。
そして金と違って票は3年/6年ごとに稼ぎなおさなきゃならず、固定はされてない。
そもそも「女性じゃなきゃ」「議席をあてがえ」と言ってる奴が「ジェンダーバイアス」?あんまり笑わせんな。
論外。
unnmo 女性・弱者男性→本人に責はない。女をあてがえ→人権侵害。クオータ制→社会構造的に元来女性側が侵害されてきた参政権の回復手段。「女を〜」論は弱者男性救済案策として低レベルな為クオータ制の鏡像足りえない。
女性の参政権は普通選挙権の実装後、一切侵害されてない。今でも女性は入れたい候補に入れている。
「女をあてがえ」論は「議席をあてがえ」論と同じく、「特定属性への利益の最大化」という点にのみおいては素晴らしくハイレベル。社会全体でみるとクソ。
理由は「特定属性」以外の人権を損ねるから。「議席をあてがえ」論も同じ。両方クソ。
つづく
その上で機会の平等が達成されないと、ジェンダーフリーと呼べるわけないよね。「女性が女性に投票するという強い制約下でようやく実現する平等」なんて無意味だよね。
えっ
この点で機会の平等はとっくに実現済みだと思うけど
「女性の選択」って何?集団としての女性に一つの意思があるわけないよね。あるのは個々人の意思で、それは個人の性別だけで決まるモノではない/決めることを求められるべきではないのは当たり前だよね。その上で機会の平等が達成されないと、ジェンダーフリーと呼べるわけないよね。「女性が女性に投票するという強い制約下でようやく実現する平等」なんて無意味だよね。そもそもその場合になんで男性有権者は女性に投票しないの?分断が進んでるだけじゃん。
ジェンダーギャップ指数については、既に「あくまで指標であって絶対的な尺度ではないというのは常識的な話」というようなことを言ったと思う。話が戻ったり、議論を混ぜ返したりすると論点がよくわからない。