はてなキーワード: 権力関係とは
栃木とは全く違う県の公立学校でいっとき事務員やってました。以下感想。
■賛助会員について
・うちの学校では自治会費と一緒に集金してもらってました。会費は地区の班長さんから専用の口座に振込んでいただいてました。
中体連の際旅費の補助や部活に使う道具など。町がすぐには買ってくれないものや却下されたものなど、公費よりは使い勝手の良いお金でした。
旅費別途という仕組み(他の団体から旅費が出る出張)として処理できる気がするんですがどうでしょう?
私はすぐに異動したしそのような事例はなかったので断言し難いです。
ちなみに出張の際は出張しましたという書類を書きます。旅費別途の場合も必ず書きます。これも出勤簿と照らし合わせて定期的に監査を受けます。
監査するのは教育委員会の人です。町だったか県だったかは忘れました。
旅費別途の場合は出どころが公ではないので、公費出張とは別ファイルに綴じて違う扱いをしている学校もあるかもしれません。
出張しましたという書類は必ず書かなければなりません。大昔はサボる先生もいたかもしれませんが、担当した学校では絶対に書いてもらうことを徹底してました。
また、月末には他校の事務担当同士で抜けがないか、費用に間違いがないかを必ず相互確認してました。このあたりも自治体によって違うかもね。
■強制か否か
田舎だと付き合い上拒否しづらいので実質義務になってることはありえます。
担当した学校では自治会長さんが「嫌がって文句を言う人も少なくない」と愚痴ってました。権力関係があるから故にではなく、近所付き合いのため払うような感じです。意志力があれば断ることもできなくなさそう。
転勤族の私が見た感じでは、部活で結果を出すことを誇りに思っている人が地区にある程度いるので成立しているように思いました、
■町の教育委員会について
教育委員会は学校より偉い、権力を持っているという印象をお持ちの方が多いようです。
実際中の人は単なる町役場の職員なので校長先生に高圧的に接することは少なくとも担当した学校ではなかったです。
そもそも教育委員会の中の人は卒業生だったり子どもの父兄だったりするので、学校とはそれなりにウェットな関係でした。
■違和感を持った点
教育委員会は行政組織です。そして今回の場合、問題提起している方は地区住民です。
行政組織はふつう公文書をトラブルになっている住民に見せたりしません。(PTA総会の資料とかなら別ですが文脈上そうではなさそう)
教育委員会と学校って本店と支店みたいな関係ではなく半分は同僚みたいなものなので、今回のような場合学校サイドに立って謝罪なりなんなりするのがフツーです。
■雑感
少なくとも私含め大抵の学校の人はトラブル起こさず平和に日々を過ごしたいです。
一部そうでない人もいますが、公立学校は定期的に転勤があるので、学校のお金を私物化できるような仕組みは持ちにくいと思います。まぁ部費とかは監査なかったりするので絶対ないとも言えませんが…
色々と言われているけど、メディアの取り扱いはともかく、SNSなどで取り上げられる熱量の差は、こっちの方が説明がつくと思う。
ちょっと周りに聞いてみたらいい。「園子温って知ってる?」と。
で、たわわは別にあの作品の話ではなく、「今の萌えアニメってどう?」って聞けば、何かしら答えは返ってくるだろう。
一応、園子温は有名な監督だが、それは映画好きの中で知られている程度で、国民的監督とはいかない。言うて一番知名度があるので「リアル鬼ごっこ」ぐらいか。
監督名を言える人で、作品名を言える人はさらに少数になるぐらいだろう。
邦画界隈では榊英雄や木下ほうかも問題になったが、権力関係上監督の方が話題になりやすいから園子温が取り上げられるだろうが、ぶっちゃけ木下ほうかの方が認知度は高いぐらいじゃないか。
大してたわわは「作品」が取り上げられた。何となくあの手の絵柄ぐらいの認識は誰もが持っているだろうから、調べるまでもない。
特に出回ったのが絵だったのも大きいだろうけど。
いずれにせよ、そもそも映画の監督名なんて、今ではその程度の知名度の監督ぐらいしかいないんだよ。
ついでに、Googleトレンドで比較してみた。たわわは2016年にアニメ化したのでそこからの比較。
まあこんなもんだろう。
https://twitter.com/copywriter___/status/1510993311259312129
「園子温の悪行は有名」だの「今更すぎる」だの映画関係者がわらわらツイートし出してるけど、お前らがこれまでその悪行を知っていながら何もしていなかったから代わりに週刊誌が告発したんじゃないのか
この場末のコピーライターのツイートがバズっていて、はてブでも「報道されてからドヤ顔で有名な話とか言ってる連中はホントに恥を知るべきよな」がトップコメントになってるけど、お前ら本当にバカだな。
こういう噂話は映画界や芸能界なんて山のようにある。時にはものすごく具体的な話も流れてくる。信憑性はとても高く感じられる。
だけどそれを何の証拠もなく公開すればどうなるか、ってそりゃ訴えられるに決まってる。
事実、性的暴行の「証拠」は当事者の証言だけでは結構難しい。 そして証言はだいたい一方的なので、それがどれほど真実なのか分からない。それを業界関係者が、マスコミのように調査して告発することは現実的には不可能だ。噂が出回ってる被害者の事務所に「性的被害を受けたのが本当かどうか確かめたいから女優の連絡先教えてくれ」と連絡したら、事務所が教えてくれるか?なわけねーだろ。
だからみんな何も言わなかったんだよ。
今回は「週刊女性」が告発したけど、それは被害者の証言だけ。内容が非常に具体的だから信憑性があるように見えるが、それ以上の証拠はない。 しかも見出しにはまるで過去の映画出演者に対して「主演にはだいたい手を出した」と書かれている。 2次被害を与えるこの書き方はよくない。
性的被害は事実認定が成立しにくいため、一方の証言だけに依存して話を書くのは危険だ。 他の証拠が必要だ。
今日は、「週刊文春」がプロデューサーの梅川治男を告発した。こっちはメールのスクショがある。 榊英雄もそうだった。ここまでやって初めて公開できる。
だから、園子温に対して場末のコピーライターとやらが正義気分で書いたことに「そうだ! そうだ!」と賛同するやつらとか、最悪まとめて訴えられるのを覚悟しておけよ。
一方で「前からその話は知っていた」とそれとなく話す業界関係者は、「俺はそういう噂を耳にすることがあるくらい業界に食い込んでます」とアピールしているだけ。「業界ゴロ」ってああいう奴らだよ。
そもそも映画や演劇の飲み会で俳優、脚本家、スタッフになりたいと願う若い男女は常に多くいる。 彼らのうち99%は20代だ。
女優志望で事務所にも入ってない子なんかには、演出家やスタッフを寝歩いてお金もらってるようなのもいる。お小遣いもらえるのと、「あの監督や俳優とセックスした」って周囲に言いふらしている。自分より偉い人と関係を持ってそれをステータスにするしか能がない連中って実際に大量にいるんだよ。時には無名のAV女優とかもいた。演出家とかプロデューサーのおっさんはそれを食いものにしてるだけ。8ミリから叩き上げの園子温なんかはそういう気分が続いていただけなんだろうな。
性的加害/被害は権力関係を使ったハラスメントじゃないかぎり立証は難しい。園のケースはそこが微妙。本人が恋愛感情もってると豪語すれば(不倫だけどな)合意って話にもなる。でも、仕事あげるってちらつかせてるのが事実ならアウト。だけど園が法的措置をちらつかせてるのは、ハラスメントにならないなんらかの根拠がある可能性がある。
ほかは、梅川はスクショの証拠があるからアウト。写真撮ってこいとかつくづく恥ずかしいおっさんだ。
榊はスクショも出てるしレイプ行為を複数やっているのが事実だとしたら、完全にアウト。刑事事件で起訴されたら、懲役15年以上の実刑くらうよ。おそらく今被害者と示談しようとしているはず。
あとな、こういうのってほとんどは独立系の映画や演劇の話。榊も園も木下ほうかも梅川もみんなそうだろ。東宝とかの大手やテレビでそれやると、一瞬でクビか左遷。
セクハラは権力を使った性的な嫌がらせであって、飲み会で口説いたってレベルだとなかなかセクハラにはならない。たとえ口説かれたほうが嫌だったとしても。
だからこういうmetoo案件見て、「私も!」って調子に乗って口説かれたことをべらべらTwitterで書くようなことしたら、単に訴えられて50万円くらい取られて人生詰むだけ。それがたとえ事実であっても、「口説かれてふった」ってプライベートを公にしたら訴えられて負けるよ。そういう奴も出てくるんだろうな。
niwakano18124 地方議員有志の集まりにすぎない団体を「公権力」と言っちゃうのはなんだかなあ・・・ 社会 行政
pinkyblue 議員の公権力と言うならそれは立法や条例制定であって、これは法案・条例案でも何でもないあくまで抗議声明の域を出ないと思うんだが、フェミ議連の声ってそんなに強制的な影響力あるの?
esbee 自称オタク兼フェミニストとしては、抗議もまた表現のひとつだからね?と。抗議自体を表現規制と言ったら言論の自由に反するわけで、問題は反論せず取り下げた松戸警察だし、採用した責任持って妥協点探れよという
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210910031736
softstone 議員連盟が警察の決定を変更する権力があるとするなら、このオタク議員集団の権力で再度公開するよう圧力をかければ良いのでは。それが出来ないなら、公権力による圧力で削除されたのではない証左になる。
esbee 議員連盟=公的権力と考える側にズレがあるよなー。憲法前文にも『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動』とあって、議員の行動は市民の行動とイコールになると思うのだが…… フェミニズム表現規制興味深い
RRD まず根本から絶望的に間違ってるのは議員=権力、という部分。国語辞典の通り、権力関係とは法的優越性に基づく支配と服従の関係。例の議連にはそれがない。市外の野党議員が警察を支配してるとか爆笑もんの話。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210912075351
Sometako 地方議員による実力組織への抗議をアプリオリに「弾圧」「圧力」とする法文上の優越性ってなんだろ?/追)入管の非人道性を国会議員が批判したら弾圧になるんだろか?/追)あっ!!まんだらけの件は警察による弾圧だろか? 性差別 考え方 フェミニズム
saiyu99sp 毎度面倒な目に遭いたくないから警察も引っ込めたんだよね。そうする力を権力というのかは知らん。おぎの議員は警察に面倒かけるな!という立ち位置なんじゃないの?
RRD 権力とは端的に言えば法的な強制力のこと。こんな当たり前の話すらカルト化したオタクには通じずに、権力権力と大騒ぎして権力の手先になってる。コメディだとしても極めて悲惨。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/matsudosimasuda/status/1439747781795606529
usi4444 地方議員がどういう力を使って警察を従わせたと萌えオタは考えてるの?この手のマスコットはゆるくないと万人受けせず、外部からの指摘でトゲがあることに気付き警察が自身の判断で削除したと考えるのが妥当。 警察増田政治社会
ハラスメントとされる行為の中には「それは一般社会でも犯罪だろ」というものもあれば、「それは別に一般社会では犯罪ではないだろ」というものもある。無断で尻を触るなどは一般社会でも強制わいせつ罪にあたるし、服を破くとか持ち物を壊すとかの嫌がらせをしたら器物損壊罪になる。しかし、では例えば「無視をする」というのはどうか?
一般社会において、私が誰かから何度か声をかけられて無視したとしても、それ自体はなんの犯罪にもならない(それが犯罪になるならこの世はナンパ師の天下になってしまう)。しかし、若く健康で聴覚障害を持たない大学教員が、自分が指導している学生からの再三の礼儀にかなった問いかけをガン無視したとしたらどうか。これはハラスメントではないか。
一般社会において、二人きりで食事をしようと持ちかけることや他者に愛を告げること、あるいは「セックスしよう」と誘うことは完全に自由である(それがダメなら親友に「おい、今度サシ飲みしようぜ」というのもダメになってしまう)。しかし、たとえば上司が(とりわけ異性の)部下にこれらを持ちかけたら紛れもないハラスメントということになる。
つまり、「一般社会では自由だが、職場などの特殊な環境では処罰の対象となる行為」というのがあるわけだ。それらは本来自由な行為であるのだが、一定の条件下では処罰の対象になってしまう。ということは、その範囲はなるべく厳密に設定されなきゃいけないということになる。だって、本来自由であるはずのものを罰するんですよ? その条件はきちんと決めておく必要があるでしょう。
アカデミックハラスメントは、「研究・教育機関、および学会等の学術組織において、立場が優越的な者から下位の者に対して行われるもの」と定義されるのが一般的だ。
たとえばある人物の公表された論文に「くだらん論文だ」「こんなのなんの価値もない」「こんな非生産的な研究にカネと労力が注がれているのは嘆かわしい」ということはまったく自由である。公開された論文については誰もが言及する権利を持っているからだ(表現の自由)。しかしそれを指導教授が受け持ちの院生に言ったらアカデミックハラスメントになる。
もしこの定義を崩せば、たとえば大学教授であるナンパ師が見ず知らずの女子大生に声をかけるのもアカデミックハラスメントということになってしまう。それはどう考えてもおかしいだろう。アカデミックハラスメントというのは、あくまで学術的機関・組織での権力関係に基づいて設定されるべきものだ。
では、大学でも学会でも縁がない非常勤講師やテニュアトラックの助教に誹謗中傷された任期なし准教授は「アカデミックハラスメント」の被害者なのか?
誹謗中傷の被害者ではあるだろう。それは正々堂々裁判に訴えて賠償金をもぎ取ればよろしい。それについてはなんの異存もない。しかし、同じ大学の同僚ではなく、学会で顔を合わせているわけでもなく、直接の権力関係があるわけでもない(むしろ被害者の方が立場が強い)場合には、それはアカデミックハラスメントとみなされるべきではない。
そしてアカデミックハラスメントではないのなら、自ずと罰されるべき発言の範囲も違ってくる。上に挙げた「くだらん論文」の例を考えてほしい。これを指導教授が院生に対して執拗に言ったら学内でお叱りを受け、場合によっては戒告などの処分に発展するだろう。だがもし、これを評論家が大学教授に向けて言ったのだとしたら、地裁から最高裁までのすべてで「単なる論評であり誹謗中傷とはいえない」との判決が出るはずだ。論文を読み、それをどう評価するかは自由だからだ。「こいつは無能な研究者だ」というのはどうか。指導教授が院生に言ったら一発でハラスメントだろうが、評論家が具体的に論文を引いてこいつの言ってることはおかしいと指摘した上での話なら、自由な論評の範疇ではないか。「彼女はどうしようもないバカな極右だ」「彼は救いようがない愚かなフェミニストだ」というのはどうだろう。「某教授のやってることはニセ科学だ」「某教授のジェンダー研究なんてまともな学問じゃない」はどうか。さすがにこのへんになると裁判でも危ういかもしれない。しかし、これを評論家が言うことすら許されないのだとしたら、言論の自由とは、表現の自由とはいったい何なのか。
血の繋がった男女間では、元々他人同士だった男女のケースとは異なり、二人の間に不思議な権力関係が働く。
兄と妹。
父と娘。
叔父と姪。
あるいは、姉と弟、母と息子、叔母と甥の間柄ですら、男系親族が性的に暴走し、圧力をかけながら手に負えなくなる。
あと親族間で障害の遺伝子があると遺伝しやすくなって劣等な子孫の生まれる確率が通常より高まり、生まれた子が生きづらくなり、リベラルではなくなり、下手をすれば優生主義社会の到来を助長する。
これが成人間の同性婚を異性婚に連ねて称揚しつつ、異類婚・少年婚並びに近親婚、多数婚を忌避する人権主義自由派の論理なのだが、同意していただけるか。
日本の刑法で刑罰として死刑が課されているのは以下だ(刑法以外での死刑も少しあるが割愛)。
罪名 | 刑法 | 保護法益 |
---|---|---|
内乱 | 77条 | 国家の対内的存立 |
外患誘致 | 81条 | 国家の対外的存立 |
外患援助 | 82条 | 国家の対外的存立 |
現住建造物等放火(致死の結果を生じた場合) | 108条 | 不特定又は多数の者の生命、身体及び財産 |
激発物破裂(致死の結果を生じた場合) | 117条 | 公共の安全、人の生命 |
現住建造物等浸害(致死の結果を生じた場合) | 119条 | 公共の安全、人の生命 |
汽車転覆等致死 | 126条 | 交通の安全、人の生命 |
水道毒物等混入致死 | 146条 | 公共の安全、人の生命 |
殺人 | 199条 | 人の生命 |
強盗致死・強盗殺人(故意殺の場合) | 240条 | 人の生命・身体 |
強盗・強制性行等及び同致死 | 241条 | 人の生命・身体 |
人の生命は、刑法における個人的保護法益のうち最重要の法益で、国家的法益(国家の存立)と同じぐらい重視されている。しかし、死刑はその「人の生命」を奪う刑罰である。「人を殺したら、その犯人を殺す」という報復原理(同害復讐の原理)は一見わかりやすいが、そもそも刑法が「人の生命」を至上の保護法益としていることとは矛盾した関係にある。死刑は、すでに有罪判決を受け、拘置所に収監され、これ以上他者の生命を危険にさらす懸念がなくなっている人間から、刑法自体が最大限に尊重し保護しようとしているはずの人の生命を奪う刑だからだ。
これは憲法36条(公務員による拷問や残虐刑の禁止)に反しており違憲であるという観点から、1948年の死刑制度合憲判決事件において最高裁大法廷で違憲審査がなされたこともある。当時の判決文は次の通りだ。
生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。…憲法第十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規定している。しかし、同時に…もし、公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民の権利といえども、立法上制限ないし剥奪されることを当然予想しているといわねばならぬ。そしてさらに憲法第三十一条によれば、国民個人の生命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によって、これを奪う刑罰を科せられることが、明らかに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである…社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性は承認されている。
「全地球より重い価値がある、尊貴なもの」を奪う刑罰が、「社会公共の福祉のために」正当化される。こういうインチキくさいレトリックは、この後も死刑肯定論の随所に顔を覗かせる。こういうインチキで辻褄を合わせざるを得なくなってしまうのは、結局は「人の生命」が個人的法益として最大限に尊重・保護されるべき尊い権利なのか、国家に従属する劣位の法益なのかが、刑法条文の自己矛盾によって曖昧になってしまっているからだ。
(いっそ死刑を存続する国家は「国家には生殺与奪権がある。国家の円滑な運営と社会秩序の維持のために、国家は施政権の及ぶ範囲に住む国民や住民の生命を恣(ほしいまま)にしてよい」と明言したほうがいいと思う。そのほうがずっとわかりやすいし、現実に即してると思う)
死刑制度を存置する国家では、「個人が他者の生命を奪うこと」と「国家が他者の生命を奪うこと」の倫理的な違いはぼんやりしたものになり、逆に両者の権力・執行力の違いが決定的な差として立ち上がってくる。国家というシステムは、国民と住民に対して法的な権力・執行力を持っているから、人を殺すことができる。個々の国民と住民は、国家の権力・執行力に従属しているから、人を殺して捕まったら国家に殺される(こともある)。このような制度は、「人を殺すこと」の意味と是非を、価値ではなく制度の問題、倫理ではなく力の問題に還元する。
死刑制度を存置する国家では、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いにきちんと答えることができない。「国が『人を殺すな、殺したらお前を殺すぞ』と決めているからだよ」「人を殺して捕まったら自分も死ぬから損だよ」という風に権力関係や因果関係を説くことはできても、それは「人を殺してはいけない」というモラルの根拠にはならないし、むしろ「一定の条件では人を殺すことが許される」ことを追認してしまうからだ。
死刑制度を廃止(または執行停止)しない国家に住み、その現状を受け入れている自分は、「なぜ人を殺してはいけないのか」という子どもの問いかけに「人を殺すと殺されるから」という損得勘定以外の答を返すことができない。それが嫌なこともあって、自分は死刑を廃止すべきだと思ってる。
いやさ、まだまだ燃えてるフェミニスト議連だけど、そのフェミニスト議連を擁護するつもりか知らんが
フェミニスト議連に「権力」はないから無問題理論展開してる人いるじゃん
権力とは端的に言えば法的な強制力のこと。こんな当たり前の話すらカルト化したオタクには通じずに、権力権力と大騒ぎして権力の手先になってる。コメディだとしても極めて悲惨。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708588008160812322/comment/RRD
まず根本から絶望的に間違ってるのは議員=権力、という部分。国語辞典の通り、権力関係とは法的優越性に基づく支配と服従の関係。例の議連にはそれがない。市外の野党議員が警察を支配してるとか爆笑もんの話。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708333555390434370/comment/RRD
法的根拠がないと権力じゃないって初めて聞いた…どこの定義だろう…でもさ、その理屈だとフェミニズムの否定にならん?
だってよ、法的根拠がない社会規範や私生活にまで及ぶ、男女の権力関係とか家長制度の権力を批判してきたのがフェミニズムじゃねえの
こうしてラディカル・フェミニズムが理論的に構築され、これまで「女の幸せ」と思い込まされていた主婦的生活における権力関係を、次々に暴いていくのです
ミレットによれば、生まれながらにして有利な位置に置かれた男性が、不利な位置に置かれた女性を支配する仕組みこそが「性の政治」です。それは私たちが個人的に日々従う「男らしさ」や「女らしさ」という文化にまでイデオロギーとして深くいきわたり、男性に権力を握らせるシステムなのです。
このリンク先でもさあ「権力」って単語がゴロゴロ出てくるけど、これ全部間違ってるの?
男女の権力関係?家長制度の権力?それって法的根拠あるの?ないよね?じゃあ権力じゃありませーん!変な言いがかりしないでくださーい!ってフェミニストに対して言うの?
望んだ結論に分かりやすく誘導されると理路に見えるという。ゆっくりとは?とか、法学をさしおいて「俺たちは定義のプロだ!」とか、お理工さんのオタクにしか通じないもので、これは理路ではなくてノリだよな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708562230828801250/comment/RRD
善悪の基準を法律に求め、その法律を教わらなければ善悪の判断ができない衆は、法律が禁じなければなんでもやるだろうし、法律がやれっていったら人殺しだってやれる衆だよ。マジ怖い。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708474378304495010/comment/RRD
なんかさぁ、この辺りの言葉が自分に返ってくるブーメランになってない?善悪の基準を法律に求める「定義のプロ」を気取ってない?
教授ー学生という権力関係から、教授の告白を問題視するのは分かるけど、
元増田のエントリはエイジズムとルッキズムに塗れたただの悪口でしかないよね。
ブコメもそこを切り離せてない。
ー ー ー ー
id:frq440 セクハラ被害を「訴える当事者」と「声を受け取る側」は別で、前者の暴言を諌めるのはトーンポリシングだが後者は違う。年齢差「だけを」取り上げるブコメは「ブスに告られたwキッショw」で盛り上がるのと同じ。
元増田をもう一度読んでみよう。
そんなド直球のエイジズムとルッキズムを諌める行為が、「トーンポリシング」になるはずがないでしょ。
で、それとは別に教授のアカハラは十分批判に値すると、それだけの話。
フェミニズムにそうやってラベリングして憂さを晴らしても、弱者男性当事者のおかれてる立場や抱えてる課題は何も良くならないでしょ。
個人のもつ色々な属性の複合的効果によって社会的な強さ/弱さの立場(スタンドポイント)が決まるというインターセクショナリティ論は、フェミニズムの内側から出てきたものだよ。そもそもフェミの内部にも人種問題とか経済階級問題とかがあって、フェミニズム自身もそれと向き合う理論的必要性があった。さまざまな権力関係のなかで相対的に他の男性や女性より弱い立場にいる男性は当然いるし、そのことを否定するフェミニストはほぼいない。いるとしたら、それは背景となる理論的裏付けを持たずに男性への憎悪を募らせたミサンドリストで、そういう人はフェミではないし、フェミの代表として語ってほしくもない。
多くのフェミニストは「弱者男性なんかいない」なんて思っていない。でも「男性は(学歴や所得やコミュニケーション能力や身体的属性や容姿ではなく)『男性であること』自体によって、女性よりも相対的に弱者だ」ということに同意するフェミニストもほとんどいないだろう。
構造的にみれば、我々が暮らしている社会はまだまだ男性優位だけど、とはいえ男女雇用均等法とか他のさまざまな社会的前進によって、過去に比べれば、平均的男性像を超える所得や実績を得るような女性も出てきやすくなった。
そのいっぽうで、1980年代後半からの格差社会化の進行によって「一億総中流階層」という幻想は崩れ去り、男性内部の格差は広がっている。正規/非正規という雇用形態の違いは以前はきれいに性別ごとに割り当てられていたけど、今は男性の非正規雇用層、男性の低所得者層が以前よりずっと拡大している。
そういう男性のなかで社会に対する被収奪感、「誰かに何かを奪われているから幸せになれない」という感情が生まれるのは当たり前のことだと思うけど、それを女性に向けるのは間違っている。それは女性非正規就労者の減小数と男性非正規就労者の増加数を比べてみればわかる。「何か」を奪ったのは女性ではなくて資本主義だ。正規雇用の人件費・法定福利費・社会保険料など労働コストの重さに耐えられない企業が非正規雇用化を進めていったからだ。
そういう弱者男性がいること自体は認識していても、それを救うことまでが自分のやるべき役目だと思ってるフェミニストは少数だ。フェミニストは何よりも男性-女性という軸における不均衡・不公正を是正することを意識してる。所得という観点で弱者の立場にある男性が、同様に経済的弱者である女性と連帯して社会福祉制度の拡充や最低賃金のアップを求めるなら、それを歓迎するフェミニスト達はいるだろうけど、それは女性の境遇を改善することに繋がる限りにおいてだ。フェミニストは弱者男性のママではない。みんな自分のことで忙しいのだ。
弱者男性論者は自分たちよりも相対的に強い立場にある「強者男性」との対立関係をちゃんと見据えるべきだ。自分が貧しいから弱者だと思ってる人の敵は労働者から収奪してる高額所得者(ほとんどは男性)だろうし、自分がモテないから弱者だと思ってる人の敵は、自分に振り向かない女性じゃなくてモテてる男性だろう(女性に認められたいならまず自分が女性を認めるべきで、女性を叩いたらどんどんモテから遠ざかるに決まってる)。強者男性と直接戦えないやつが、その恨みを女性にぶつけるのは虚しい。ママに泣きごとを言う前に、弱者男性は「強いパパ」を直視すべきだ。