はてなキーワード: 業態とは
デジタル化したせいで余計な作業が増えているという記事を読んだ。
https://blog.tinect.jp/?p=86085
自分は80年代生まれのオッサンで記事の著者よりも年配なのだが、これっぽっちも共感できなかった。と言うのも社会のデジタル化が進んだ時代でなければ、まともな生活を送れていなかったであろうと断言出来るくらいデジタル技術に助けられているからだ。
子供の頃より発達障害の気があったのか、とにかく紙を使った事務作業的なことができなかった。手書きの文字が汚すぎて第三者が読めない、学校で配布されるプリント類はまともに整理できないわ、授業の板書はただの走り書きになって見返しても意味不明になるわと、とにかく書類が扱えなかった。手帳を買ってもまともに記録できなくて予定管理もダメダメだった。
そんなわけで、高校までの授業態度を加味した学校の成績は壊滅的だったが、勉強自体はそこそこできたので大学進学はできた。大学生になると授業のレポート作成にPCを使えるようになって生活が一変した。壊滅的だと思っていた事務能力が、PCのおかげで飛躍的に向上したのだ。
まず、まともに資料が作れるようになった。手書きのノートと違って、誰でも美しい文字がかけて何度でも修正が効く。メモ帳でテキスト形式の文章を作っておけば、後から内容を検索して見返すことができる。PCのおかげで高校生まで苦手意識のあった資料作成が得意分野に変わったのだ。
次にデータ管理。PCの検索機能やソート機能には本当に助けられた。ファイル整理を一切しなくても、全文検索や拡張子別に並べて日付ソートすれば目当ての資料が見つかるというのは最高すぎた。紙だとそうはいかないので大変だった。
↓
数ヶ月後に別の書類が必要になった時、前回の捜索でひっくり返したせいで資料がぐちゃぐちゃになって見つからずさらにひっくり返して探しまくる
↓
その次、別の書類が必要となった時にはさらに棚が混沌としておりもはや発見困難…
というような悪循環を繰り返していたので、デジタル化によってようやくまともに資料管理ができるようになったのだ。
就職活動のときもデジタル化に助けられた。そもそも手帳が使えない人だったので、PCからでも携帯からでも入力できるGoogleカレンダーがなければスケジュール管理が不可能だった。履歴書だって、手書きで作ると字が汚すぎて門前払い喰らっていたかもしれない。
学生の時点でこうなので、就職してからはなおさらである。紙ベースで仕事する職場だったら、入社直後に社会不適合者のレッテルを貼られてしまい、干されてパワハラ受けて鬱で退職していたかもしれない。今の職場で15年以上働き続けて、いつしか管理職になり、今では部下を持ってそこそこ仕事が出来ているのはデジタル化のおかげとしか言いようがない。
仮に自分が昭和や平成初期に社外人になっていたかと思うとゾッとするので、デジタル化が進んだ時代に生きることができて本当に良かったと思っている。そんなわけで、この手の社会のデジタル化の議論をする時は、効率の面だけでなくて発達障害の気のある人の救済になっているという側面についても、もう少し注目されても良いのではないかと思う。
今0.5秒で思いついたのはー
辺りかな~。
曖昧にしてるおかげで成立しているから残業代出せないってことなんかねー。
つまる所、業態そのものが労働基準法に違反してるってことやな。
子供を育てるなんて仕事、浮世離れしてるぐらいじゃないとストレスで心を病むし、教員は社会から逸脱した存在であるべきなんやな~~
推し活で壊れている人、9割ぐらいは「俺はこんなに金を使ったのに!」と言いながら狂ってる。
金を使っていることによって生じる優位性を利用して自分の願望を叶えてもらうという状態が長く続いた結果として、「金さえ払えば何でも要求していいはずだ」と勘違いするようになる。
「金を払う」という形での関係に慣れきってしまった結果、相手のことがただの商品に見えてくる。
そして、商品に対して金を払ったのだから自分の所有物であると勘違いするわけである。
アイドルオタクが結婚報道を聞くと大量のCDを叩き割った画像をアップロードするのは、「僕はこのオークションでこんなに頑張ったんだ!景品が欲しいならちゃんとオークションに参加しろ!」と主張したいわけである。
別にそんなオークションは行われていなくて、その場限りで金とコミュニケーションの売買が成立ししてるだけだということに気付けない。
そもそもが金でコミュニケーションを売買するということ自体がおかしな話なので、歪んだ市場に長く関わった結果、認知がぶっ壊れてしまうのも仕方がないという気はする。
アイドルの握手会にしろ、Youtubeのスパチャにしろ、ファンクラブのちょっとした特典配信にしろ、LIVEのパフォーマンスで客席にランダムでウィンクを巻く程度にしろ、金を積むことでコミュニケーションの機会が増えるような環境、増えたと錯覚させるような環境にいると客の何%は壊れてしまうのだ。
そういった業態を取る者達は、客を壊しているという自覚を持つべきだ。
これは、居酒屋が「自分たちの商売によってアル中になって壊れてしまった人もいるのではないか」という罪悪感を抱えるべきなのかというような話ではあるのだが。
もしも一度でも休日出勤したら、もう二度とお前に純粋な休日は訪れなくなる。
「休日出勤したほうが良かったのかも知れない」という気持ちをいつだって抱えたまま過ごすことになる。
ライブに行ってても、映画館でも、友人の結婚式の二次会、子どもとの遊園地、なにをやっていても、常にお前の頭の中には「休日出勤しておいた方が良かったのかな」という気持ちが張り付いてくるだろう。
取引先からのメールや電話はほぼ0で、社内チャットもほとんど止まっているし、会議の予定もない。
会議や集会が時間変更されたという連絡が来ないか、新人や上司がなにか言いたげにしてないか、そういったことに対してアンテナを張るのに使っていた意識さえも目の前の仕事に全部使える。
普段の倍近い集中力が発揮され、みるみるうちに仕事は片付くだろう。
だが、それと引き換えに、お前の人生から「本当の休日」は永遠に失われる。
会社っていう組織は従業員に様々な負い目を感じさせることで、「自主的にサービス残業をする」ように仕込んでくる。
そもそもお前が勤務時間中に処理できない量の仕事をもたせた上司の戦略ミスだ。
まして新人なら様々な雑用を捺せられているわけだから、それらを巻き取って少しは余裕の有りそうな中堅にやらせることで時間を作ることだって出来たはずだ。
課員の業務進捗と残業時間を管理し、業務量の調整を行うという責務を果たしてもいない上司が「残業を減らせ」ということほど無責任なことはない。
店で注文だけしまくっておいて「これもっと安くならないの?」と文句をつけるようなものなので、クッソつまらん関西やアメ横のの根切りトークみたいなもんだろうなとスルーしておけ。
残業をするなと命じられて仕方なく返ったのならば、終わってない仕事をぶちまけて「帰れと言われましたので」と開き直ってしまえ。
とはいえ、社会人なんだから与えられた時間は期日までに完成させるのが筋ではある。
そのために何が必要なのか?
クオリティを下げることだ。
「クオリティ×完成度=業務量」という式の中で、完成度と業務量が変えられないならクオリティしか弄れる所はないわけだ。
クオリティは駄目駄目でいいからとにかく完成度100%まで持っていって早めに上司に出し、そこからクオリティの改善を残りの時間でやるのが社会人の基本スタイルだ。
とにかく一度完成形に持っていき、最終着地点において修正ポイントを確認しつつ、逆算して何をやればもともと目指していたものに出来るのかを考えるというのは実際に効率がいい。
プラモだってまずは一度素組してから完成形の絵図を描き直すものだ。
100の時間の内90まで来て提出だと軌道修正が間に合わなくなることが多いし、かといって軌道修正が間に合う時間を逆算して残業しまくってもお前が報われることはまずないので、とにかく半分ぐらいの段階でゴミのような出来の仮組みを叩きつけることに専念しろ。
上司や先輩は仮組み段階のゴミのようなクオリティの完成物に大量の赤ペンを引くだろうが、それは彼らの仕事なので気にしなくていい。
日本企業はOJT(お前が・自分で・トレーニング)を採用し学習コストを全て現場に押し付けているので、現場がお前の学習コストを全額払う羽目になるのは組織を最初からそういう仕組みで運用することにした連中の責任だ。
あとは与えられた赤ペンに合わせて修正していけばいいわけだが、そのとおりに修正したはずなのに再修正を食らうこともままあるだろう。
別に相手が嘘をついていたからではなく、あまりにも大量の修正点があったせいで完成形を見出しきれなかったというだけだ。
こういったことを減らす方法は最初に出す仮組の完成度を上げることなのだが、そのために仮組みの提出を遅らせるのはよくない。
とにかく全体の半分の時間で仮組みを出すことが最優先事項だ。
全体の納期は変わらず、自分の能力が気合で上がるわけもなく、でも早めに形にしたい。
そうなったらもうバリバリに残業をし、それでも足りなければ……となってくる。
これはもう社会人の常と言っていい。
仕事をしていると「あのときにもっと早く休日出勤のカードを切っていればギリギリになってこんなに焦られなくても……」と考えてしまうことが何度も何度もある。
だがそこで負けてはいけない。
最初に書いたが、一度でも休日出勤をすれば、全ての休日が「休日出勤をするべきだったかも知れない日」となってしまう。
こうなったらお前の人生に本当の安息が訪れるのは死んだあとだけだ。
たとえ転職したとしても状況は変わらない。
小売に入ろうと「休日に倉庫の整理を進めておけば平日もっと動きやすいな」と考えがよぎってしまうようになれば、もう本当の休日はやってこないわけだ。
もしも休日出勤をするしかない人生になってきたなら、成果提出型の業態で働いて、そもそも最初から全ての日を「平日にしてもいいし、休日にしてもいい日」として過ごしてしまった方がまだ健康的でさえある。
当時小学生だった。
子供ながらにあの頃は発達障害についての情報がほとんどなかったと思う。インターネットも今より普及していなかった。母親は髪を振り乱しながら、おかしい、普通の子じゃない、普通に出来ないなんて、おかしい、おかしい、変、変、変、どうして出来ないのと毎日叫んでいた。
じゃあどんな小学生だったかと言うと、まず運動音痴だった。リレーはいつもドベだし、逆上がりもできない。跳び箱に挑むとタイミングがわからなくて、そのままぶち当たって箱を破壊する。マット運動で転がると眩暈がして上手く起き上がれない。逆に勉強は自分で言うなって話だけどかなり出来た。字を書くのは上手くはなかったけど、勉強自体は楽しかったしすぐ理解できたので何もしなくても満点だった。
運動会ではお荷物だったしドッヂボールでは毎回泣きたくなるくらい当てられてたけど、体育自体は好きだった。勉強だったら負けなかったし、友達も沢山いた。
子供なんてちょっとしたことでいじめてくる。田舎から来たからとか、身長が高くてのろまだったからとか、服がユニクロだからとか、ゲームを持ってなかったからとか、流行りのドラマを見てなかったからとか、塾に行ってないのにテストで満点取ったからとかであっという間にいじめられるようになった。
教室に入るとささっと4人くらいから囲まれて、色々言われた。メンバーは日替わりだった。半年くらいは我慢してたけどある日急に行く気がすっかり失せてしまって、仮病を使って休むようになった。
それを母親は許してくれなかった。学校に行かないなんて普通じゃない、おかしい、と毎日私を打つようになった。いじめられるから行きたく無いと言えばよかったのかもしれないけど、私が田舎から来たのもユニクロを着てるのも、ゲームを持ってないのも、ドラマを見てないのも、塾に行ってないのも、テストが満点なのも全て紛うことなき事実だし、事実を言われただけだしな…これはイジメではないはず!ただなんか学校に行きたくないだけ!と謎に前向きだった。いじめってバカとか死ねとか言うものだと思っていた。
(あの頃の自分に言いたいけど、階段から突き飛ばされたり、靴の中に土入れられたり、クラスメイトが川に落ちた時お前の責任にして学級裁判もとい糾弾会開くのは立派ないじめだと思うよ!)
叩くものが母親の手から布団叩きに変わる頃、ようやくクラスの子からダサいとか謝れって言われるから行きたくない!と泣いて吐き出した。それくらいがなんだ戦え!やり返せ!と言われた。
ブランド物の服を着たあの小柄なクラスメイトたちが、私には小鬼に見えた。そんな小鬼と戦えない。
普通はどんなことがあっても行ってるはずなのに、どうしてこの子は行かないのか、普通じゃないのか、こんなのおかしいと母親はノイローゼになっていた。父親は俺は知らないの一点張りで、他の女性たちに夢中だったし、もう少ししたら私にも手を出すようになってきた。我が家は完全におかしくなっていた。
真冬に寝巻きのまま裸足で外に出されたり、どこかの川沿いや公園や児童養護施設の前に置いていかれるようになった。この頃になると、うちの親は話が通じないからおまわりさんに助けてもらおうと交番に行くようになった。毎回家に送ってもらってお宅の娘さんが…とインターホンを押すや否や両親は飛び出して私を抱きしめていた。涙を流して、ほんの些細な喧嘩なんです、私たちが悪いんです、厳しくしすぎました、本当に帰ってきてくれてよかった、この子は私たちの宝物、ご迷惑をおかけして申し訳ありません…と泣いてぺこぺこしながらおまわりさんたちにお礼を言っていた。そういう両親を見ておまわりさんたちもすっかり態度を軟化させて、ご両親に迷惑をかけちゃ駄目だよ、と私に説教をして帰っていく。外面はめちゃくちゃいいのと隠すのが上手いので、今でも両親は周りからは、上品で優しいお母さんと思慮深く手先が器用でなんでも作れるお父さん、こんな素敵なご両親なんてあなたは幸せだよと言われている。嘘だろ。
子供ながらに何もかもがもうだめかもしれない、と思うようになったある日、機嫌の良い母親ならお出かけしよう、と連れ出された。狂言自殺を繰り返していた母親を前に心中という単語がチラッと頭をよぎった。長い長い時間電車に揺られ、着いたのは病院だった。そこでまた長い時間、ゲームのような、簡単なテストのようなものを受けた。今まで何度か精神病院に引きずられて行ったことはあったけど、あそことは全然ちがうな、と思った。
アスペルガー症候群の傾向が出ています、みたいなことを言われた。
なにそれ?頭の病気?治らない?一生?と一瞬ショックを受けたものの、治らないなら仕方ないと諦めた。
それから母親は激しい浮き沈みはあるものの私の不登校を基本的には許すようになった。この子はアスペルガーだから、頭の病気だから仕方ないと。反面で私に天才になれと言うようになった。エジソンだってアスペルガーだった。学校にも行かなかった。同じアスペルガーだから絶対になれると当然のように言った。少しでも逆らうと怒り狂って、お前は人殺しになってお母さんのことも殺すんだろうと怒鳴ってきた。当時話題になっていた事件の犯人が、発達障害だったからだそうだ。
私が中学の頃に父は単身赴任となり、私たち母子だけで暮らすようになってから、だいぶん楽になった。ちゃんと「学校」と呼ばれる場所に通えるようになったのは高校からだった。そこの高校は名前を漢字で書くことができれば受かると言われているくらいのレベルだった。一番最初の数学の授業は2桁の足し算のプリントをひたすら解けと言われた(後ろの席の男子からこれわかんねぇから答え教えてくれと言われた時はびびった)。長い期間のストレスからか、自分の名前の漢字と平仮名カタカナ以外ほとんど書けなくなっていたのでとにかく早く、どうにか楽しつつ巻き返せないかと試行錯誤した。相変わらず短距離走や球技は酷いものだったけど、長距離ならそれなりにできるとわかった。家にいたくなくてボランティアやら勉強会やらに積極的に参加した。授業態度は良かったので(そもそも周りが最悪なのもあった)先生からは良くしてもらえた。先輩達は挨拶もろくにできねぇのかと凄んできて恐ろしかったけど、お陰で誰にでも大きな声で挨拶ができるようになったし、怒らせなければ面倒見の良い人達だった。ヤンキーばかりかと思ったクラスメイトも親切で、今でも何人かとは親しい付き合いがある。頑張れたお陰か無事大学にも通えた。
途中就職に失敗して鬱になりかけたりニートになったりして、心療内科から貰った全然効かない薬を飲みながらカウンセリングを受けたけど、結局一番効果があったのは、気晴らしに始めたバイトの給料を使っても良いと言われた時だった。現金を使える自由が私には何より効いた。
今本屋に行くと発達障害に関する本がズラッと並んでいる。少し前までは発達障害の人とどう付き合うかという内容ばかりだったのに(それでも最初は本屋にあった時点で衝撃を受けた)、発達障害の自分がどうやって生きていくかのライフハックが書かれた本たちが並んでいるのを見ると、昔に比べて良い時代になったのかもしれないとしみじみ思う。
ところで、私が子供の頃貰った「アスペルガーのお友達どう付き合うか」の本を読んでみると、症状が全然当てはまらない。肌触りに敏感でもないし、誰か(この本で言うとクラスメイト)が泣いていたらどうしたのかと心配になる。怒らせてしまったら私のあの言葉や態度が悪かったのかと気付くし、これじゃないと駄目みたいな強いこだわりも特にない。社会復帰してからは遅刻も寝坊もした事がない。作業にのめり込むこともないし、無くし物もしない。特に親しい友人や夫に、もしかしたら発達障害かもしれないから当てはまるなら正直に教えてほしいと頼んでみたけれど、特にない、別に普通だと言ってもらえた。私を含めた全員素人だからなんとも言えないけども…。
最近気になる話を聞いた。子供のうちに猛烈なストレスを受けると、発達障害によく似た症状が出るらしい。それに関する論文をしっかり読んだわけでもないので、あくまでそうかもしれないの粋だけど、もしかしたら、と思ってしまう。もう一度あのテストでも受ければ良い話なんだけれどめんどくさい。
その一 https://anond.hatelabo.jp/20240318182037
東口の地下に何やら変な駐輪場があるのだが、実はこれは1990年までは地下街であったのだ。出来たのは1960年代のはず。
天井低くてしょぼいし店舗も狭いし店も昭和中期っぽくて古いしで、テコ入れされないままに90年に廃止。
というのも、90年にそごうが出来る事になったので、橋上駅の高さのままにデパートに入れるペデストリアンデッキを築造し、地下じゃなくて上の方で発展させる方向になったのやね。
で、駅の真ん前のデッキの基礎を建てるには地下街通路が邪魔。って事で、通路を閉鎖してデッキ基礎が貫通する形になった。残りの部分は店舗仕切りなどを取っ払って駐輪場へ。
なので一部閉鎖区画があって鉄板や木の板で塞がれているのだ。増田はここにどうにかして侵入できないかを昔から考えているのであった。
ちょっとあるよ。
本来、東アジア反日武装戦線「狼」はお召列車爆破と昭和天皇暗殺を狙っていた。場所は東北本線貨物線荒川鉄橋。
1968年まで赤羽以北の東北本線は貨客混合の複線だったが、輸送力増強の為に複々線化されて貨客分離された。これでお召列車は貨物線を走るようになった。原宿駅のお召列車ホーム自体が山手貨物線に接続されているから。
そうすると、貨物線橋梁爆破しても一般人に危害は与えないという事になる。そこで一味は爆弾設置の為に電線を設置しにいくが、人影があり、付近を徘徊しているので恐れて中止した。
そこで目標を変更して三菱重工爆破事件に至ったというワケ。元の一般人への危害回避はどこに行ったんだ。川口の乗越線はやっぱりこの貨客分離が元だから関係があると言えば関係がある。
wikipediaの虹作戦の項には「爆弾を仕掛けようとしたのは旅客線」と書いてあるが、これは間違いじゃないかと思う。そこは間違えんだろうし、増田が聞いていた話と違う。
東口駅前のそごうはそごう西武グループが売却してゴーストビルのままになってるが、三井が取得する見通しと、去年市議会で報告があった。三井という事はララガーデンとかららなんとかとかららクロフトとかになるのかと思われる。
しかしデパートというのはハイコスト、ハイリターンの業態に合わせた建物で、コストがメチャクチャかかるんだな。それは冷暖房費やエレベーター、エスカレータなどもそうだし、搬入口が狭くて外部の納品代行業者経由で整理して混載で搬入するのでないとパンクするっていうのもある。
だから巨大ダイソー一棟貸しみたいなのなら行けるが、色んなテナントが入って納品代行は使わないっていうのは無理など、難点が多いのだ。
そもそもデパートの損益分岐点って日商4000万円とかそういうレベルなんでショッピングモールなんかに入るテナントと業態が合わないのだ。
だからどうなんのかなと様子見。結局開店が流れちゃう可能性もあるね。
SLあおば通りって道があって、ファミマのSLあおば通り店っていうのもありhttps://maps.app.goo.gl/fWvvCmGbAjvhLPZw6 、道筋にはSLのオブジェとかもある。
でもこれインチキなんだよね。ここに線路があった事ってないんだ。
アリオは元はビール工場で、そこと川口貨物駅の間にユニオンビール専用線という貨物線があった。でもその専用線は現線路に平行していてJRが保線基地に使ってる。
そこでビール工場跡を再開発するにあたり、専用線跡を記念するオブジェを配置したい、でも専用線跡はJRが使ってる…って事で隣の道を指定しちゃったと思われるのね。こういうのは混乱の元だから止めて欲しいですな。
あるね。https://maps.app.goo.gl/dGPVNnEXP6hMg3n26
植物の繁茂で全然読めないが、実は同じものが陸橋の西詰にあるよ。https://maps.app.goo.gl/GNdf7d4UP3eT9aYj7
石碑の内容は、整圃事業の謝辞だよ。戦争中にまだ農地ばかりだった駅付近一帯を碁盤目状に土地の区画整理をして、その協力した地主達を名上げして感謝している。川口は江戸から離れ鋳鉄で栄え舟運で製品を出荷してやがて鉄道が来て~という事を漢文で書いてある。
この区画整理を戦前にやっておいたせいで、戦後に鉄の民需が爆上がりした時に鋳鉄工場が大量に出来て鉄の街となったのだな。
また、最初の碑がある場所というのは実は大踏切があった場所だ。駅の方から来た道が斜めに線路群を渡り、対面の斜めの道に踏切で抜けていた。
でもこれは当然危ないわけで、昭和30年代に埼玉県は荒川~大宮間の踏切を全部立体交差にする工事をしたのだ。それでこの大踏切も廃止になって代わりにこの北の川口陸橋が掛けられた。
因みにこの陸橋の開通セレモニーでは神主が来てお清めしてから神主が渡り初めをしているのが写真に残っている。
だから王子から赤羽には踏切が幾つか残っているのにその北の大宮には踏切が無いのだ。
多分西詰の石碑は元は大踏切の反対側にあったのがこの時に移動されたのではと思う。
タワマンというのは住宅地には建てられないの。日影規制もあるし、日照権も主張できるからあとから訴訟になる。
でも商業地や工業地ではそれらは主張できない。だから工業地帯から転換した地域はタワマンに最適というか、それ以外では建築が難しいの。
更にタワマンには建物の周りに公開空地を設けないとイケないのだが、「大規模な町工場」というのはこれで必要とされる広さに丁度いいのだ。
そういう訳で、川口にある〇〇製鉄、○○鋳造なんて名前の会社は、多くがもう工場を持ってないか縮小して他所に移転していて、不動産業メインの会社ばかりになってる。
日本初のタワマンは川口元郷のエルザタワー32なんだけど、ここは日本ピストンリングというエンジン部品を造っていた会社の工場だったところ。
因みにピストンリングは昔は鋳鉄を丸く繰り抜いたものが使われていた。鋳鉄には細かな穴が沢山あるのでここにオイルを保持して焼付き防止になっていたのだ。って事でやはり川口なので鋳鉄なのだ。
その丸井が閉店になって共同所有になり、ビるの愛称を決めた。もとが0101だから1110って訳でシャレや。
駅西口から徒歩7分くらいの所に飯塚氷川神社という神社がある。https://maps.app.goo.gl/fKh6qXTZGCNTYGRE9
ここだが、境内に結構古い社務所があるのだが、なんとこの社務所、選挙の投票所に指定されている。中は畳と板張りなんだが、そこに土足で入れるようにシートを敷いて投票箱と記帳所を置いて公職選挙が行われる。
すげえ田舎や離島で神社が投票所というのはあるだろうが、東京都境から徒歩10分、駅で一駅のタワマン林立地帯でこんな投票所があるというのは珍しいんじゃないか?
好事家の皆さんは選挙の日に覗きに来てはどうだろうか?
何?じゃなくて教習所や。元々地産グループの教習所だったが、グループ首魁が逮捕された影響で元会社が倒産、売りに出されて飛鳥ドライビングカレッジとなっている。
ここだが、ちさん時代から教習料が安いのが特長。都心から近いのに首都圏で一番安いという穴場なんだな。免許取りたい人はイイゾーここ。
因みに2019年台風19号の増水ではコースが7mの泥水の底になって、後にはコースも見えない泥の沼が残り、教員たち総出で泣き泣き泥かきをしたそうだ。
これ
https://nou-yunyun.hatenablog.com/entry/2024/03/04/170000
また例によって差別商売のアイツが何やら言ってるのに対して電脳塵芥氏はガソリンスタンドだったのはとうの昔で違うんじゃね?と疑問を呈しているが、増田はこの建物はガソスタの躯体のままだったと考える。
なお、増田がガソスタ勤務だったのは20年前で、その後は危険物取扱者の更新研修を受けていないから20年前より後の消防法の改正については追いかけられていない。
勤務時は危険物保安監督者に任命されていた。(役職手当無し!)
で、火災の危険があるので基本的に給油所の上に建物を建ててはならないし、敷地内に事務所や整備所以外の用途の建造物は建ててはならなかった。
いつかは判らんが、自社の事務所用途のみなら給油所の上に建物を建てても良いという事になった。つまり給油所の上に本社などが建てられる。
90年代の規制緩和の波に合わせて自社以外でも事務所としてなら使用可になった。但し住居としての使用は絶対に不可。
というわけなので〇〇モータースKKが本社社屋兼ガソスタとして建築→廃業して建物を改造してディーラー化というのは平仄があう。
給油所は火災や土壌、排水汚染の危険性があるので設備や形状に特徴がある。そのいくつかが合致する。
・上階の窓は壁面から後退させるか下に庇をつける
前面から見ると2階はファサードで覆われ、3階の窓は後退しているhttps://maps.app.goo.gl/ruJd61cgMcRoPGDj7
裏から見るともっと特徴的だ。https://maps.app.goo.gl/kQsHnn3hNptBMpVX7
2階の窓の下には大きな庇がある。3階、4階とも窓が大きく後退している。こういう建て方をすると雨漏りしやすく防水工事に金が掛かる。
・扉は防火で外開き
建物裏参照。風で扉が開いた時に危険物扱所から屋内に空気が入らようにするない為
・外側に向かって比較的大きな床勾配
給油所の床には水勾配よりも大きい勾配を外に向かって付けねばならない。ガソリン蒸気は重いので隅の方に溜まって引火することがある為。
・鉄線入りガラス
前と裏面にある。まぁこれは車屋でも必要か。こぼれた油脂を下水に流さない為。
なのでガソスタを廃業して、給油スペースを巨大ガラスで仕切る改造をしたものと思われる。
例を挙げると秋葉原のリビナヤマギワの駅と反対側もガソリンスタンドとその本社だった。https://maps.app.goo.gl/j43sSStAaXZKDRVD9
リビナヤマギワは元々駅側のあきばおーとかに近い方だけだった。
上階の窓が引っ込んでいるという特徴と1階天井が高くてシャッターが付いているという特徴があるのが判るだろうか?
90年代前半にガソスタとその本社として開業したが、実は神田秋葉原近辺はガソスタが多い上に設備も少なくて余り儲からなかったのか、数年で閉業してシャッターが掛かったままになった。それをヤマギワが買収して大工事を行い、オフィスを店舗と駐車場に、スタンド部は空調置き場に、本店の裏の壁をぶち抜いて両建物を連結したのだった。
2.地下タンクの油脂だけを抜いて売り、別業態で営業する。給油取扱所のままだがポンプや給油機は撤去する。タンク残量の記録などの義務は残る。
3.タンクを洗浄して水で埋めて封止する。
嘗ては認められなかった方法だがいつだかの規制緩和で可能になった。
タンクを中和剤で洗い、水で埋める。水質検査して汚れが無ければok。パイプ類は切断して厳重に封止する。点検口などの穴は水が溜まるのでモルタルで埋める。これなら他の用途に使えるようになるので給油所部分に建物を建てて会社にしたり、スーパーになっている所もある。上階部分もテナントとして貸せる。住居として貸せるかは不明。
件のHonda Carsの裏側には床に四角いモルタルがある。タンク直上の点検口を埋めたものと思われる。
ガソスタの解体でヤバいのはやはり地下タンクだ。ガスで切断したりユンボでゴツンと叩いて破壊すると中のガソリン蒸気に引火して大爆発する。それ故、一度水で満たしてからガスで切断するというような慎重な作業が必要になる。
但しそれは営業していたままのものだ。建物転用している場合は上記の3.で、タンクと配管は既に洗浄、水で埋まっているから危険はないはずだ。また土壌汚染も起こらないはず。
解体時にテキトウやれば油脂が漏洩して土壌が汚染される。だけど油脂を抜いてあるからその量は大した事ない。
問題は配管やタンクにクラックがあって長年漏洩していた場合だ。ガソリンの主成分は揮発してなくなるがベンゼンが残留する。ガソリンの匂いで気持ち悪くなるのはこのベンゼンが血中に回る為だ。
またハイオク剤も残留する。ガソリンを放置すると沈殿したり固まったりしてキャブレターが詰まったりするが、これがハイオク剤が重合したものだ。長年漏洩していた場合はかなりの量になり、それが広範囲の土壌に浸透している。
そういう場合は土壌の入れ替えをせねばならないが、これがとんでもない額になる。小さなガソスタでも5000万とか7000万とか行ってしまうのだ。だから売主は土壌汚染についてはピリピリしている。
地主は上記のように土壌汚染問題にはヒリついているものだ。そしてそれは多くは営業中の漏洩で引き起こされる。
更に土地の権利はカタギの商売人じゃなくて、訳アリ土地扱いますっていうスジもの業者に売られて転がされてる事もある。
それなのに2chまとめブログ農園のキャベツとか、アルファブロガ時代には日本のネットで隆盛だった2chの影響が無いブロゴスフィアを作ると銘打っていた主幹が作ったのに、年喰って背伸びしたい2chねら上がりみてえなのしか読者が居ない上に寄稿者もそんなのばっかなのに古代ギリシャの広場を名乗ってて当人らだけが日経新聞と比肩するとか思ってるようなサイト農園のレタスとかから生まれた、社会の仕組み判ってないような妖精のチンクルみたいなおっさんが「クルド♪土壌汚染♪」とか歌いながら地雷原の方に行ったらそれを優しく見守ってあげる方がいいのではないだろうか?
ゆえ無き批判で破廉恥な売文業を生業にしているのを見て糺したくなる気持ちは判るが、地雷原の近くで自転車の練習してる場合には応援してあげる方が良い場合もある。
なんかテレビで人材がみんなTSMC関連に取られてしまって、ビジネスホテルに入社する人材がいないとか嘆いてたけど、
どう考えてもビジネスホテルの給与を上げないのが問題なだけなわけで、
今、給与を上げてホテルの人材を増やさないと、これからやってくるであろうTSMC関連の客を逃がしてしまうことになる
結局、TSMCに合わせて、周辺も給与を上げていかないと、相乗効果が得られない
というか、ビジネスホテルはまだいい、TSMC特需の客がホテル業なら客として来るわけで相乗効果になる
問題なのはTSMCと相乗効果を得られない、例えば農業とかそういう業態だろう
ビジネスホテルとかタクシーとかの人手不足なら、今のうちに給与を上げて、これからのTSMC関連の客に備えるべきだ
そのための先行投資だ、給与を上げないで人手不足に嘆いている場合ではない
TSMCのような特需がないとしても、スエズ運河だの様々な要因で物価は高騰していってる
経営者だって人なので、物価が上がれば自分の給与を上げざるを得ない
今、給与が上がってないとしても、大手企業ならそのうち上昇するだろうし、
うちの中小は絶対上昇しないというなら、そんな会社は今回こそ本当に危機的状況になると思う
給与を上げない経営者の方が自らを危機におとしいれる、そういう本当の意味での好景気、インフレ路線が来てる
俺もそれ系の代表選手としてよく挙がるシュタゲとか色々やってきたけどさ。
俺は昔からその「記憶消してやり直したい」って発想にならないし、意義がよくわからんのよね。
物語の背景を走っていた葉脈を知り、作品を理解するということは、一プレイヤーとしての進歩だろ?
なぜ巻き戻して同じことを繰り返し、同じ感動を得ることに意義があると思うんだ?
そんなポルノのようにゲームを消費しようと思うことは、醜悪な懐古主義か、知的ボーダーじみた仕草でしかない。
俺だったら、むしろ逆。
「完結までやったあとに、全部理解してる状態で一からやりたい」。
そう思えるくらいに、細部まで伏線が張り巡らされ凝った世界観で作られたゲームをやりたい。
買い切りのゲームだと単に2周目に突入すればよく、容易に実現可能だから、この「やり直したい」ネタにはならない。
必然、こういう感想を持つべきなのは、非常によく作られ長年続いてきた運営型ゲーム、ということになる。
サービス初期からあった設定が何年越しで解説されて衝撃が走ったり、はじめは意味が分からなくて適当に読み飛ばしていたり。
そういったものを、年月を越えてやり直すことでより高い解像度で味わい直すことができるのは、有意義だろう。
例えば7年くらいかけて第一部が完結した暁には、新規サブ垢で半年くらいかけて駆け抜ける、みたいな感じになるはずだ。
ただ、俺はオンラインゲームは月額が主流だった00年代頭頃から、あらゆるオンラインゲームをやってきたが、
そういう欲求が湧くくらい精緻に作られていると感じた運営型ゲームはほとんど出会わなかった。
物語が素晴らしいと感じるネトゲ・スマホゲに出会っても、まず完結することがなく、売り逃げのような業態が常だった。
99%の運営型ゲームは、収益を得続けることが至上命題になってしまうから、挑戦的で刺激的な物語を定期的にアップデートしていく、ということは二の次になる。
質を求めるほど更新頻度は下がり、代わりに課金欲を煽るようなものや、物語の展開にあわせた実質上位レアリティのキャラや装備の追加、そして膨大な反復作業コンテンツ……
そういったもので物語の空白を繋ぎ止めることが常態化しており、いずれ「慣れた」ゲーマーの大半は物語をスキップし、数字を増やす遊びしか気にしなくなる……
そうしてスカスカな作りになるのが運営型ゲームの限界だと思っていた。
ところが最近になって、運営型ゲーム業界にイレギュラーが現れた。
原神やスターレイルなら、この調子でいけば、「完結までやったあとに一からやりたい」運営型ゲームになる予感がある。
一応同社の崩壊3rdもサービス開始当初からやっていたが、ローカライズに不満がありブランクを空けていた時期が俺は数年あったため、理解も半端だ。
7年を経て到達した第一部・第1.5部の完結に立ち会って、いたく感動こそしたものの、それでも「一から振り返ろう」という領域には個人的には一歩及ばなかった。
この作品はSF的なテイストと難解な設定で雰囲気は非常によく作れているものの、話の脈絡としての精緻さはあまり重視されておらず、
ご都合主義とまではいかないまでも、どちらかというとノリで強引に納得させられている印象が日本語版ユーザーとしては強かった。
こういったノリに頼りがちになるのも、柔軟に作って継続させていかなければならない運営型ゲームの「縛り」要素ではある。
この「縛り」を目立たなくするために、物語を実装地域ごとに完結するオムニバスのように細かく区切ることもできる。
実際MMORPGなどではそうした形態で作られるものがほとんどだ。だが、それでは物語を貫く背景を掘り下げていく部分がどうしても手薄になり、深みが出せない。
膨大でカッチリした物語的構造をあらかじめ練って、10年くらいのスパンを見据えて確実に開発運営していける大資本でなければ、
おそらく物語の面で品質と誠実さを備えたコンテンツ開発ができる段階には至らないのだろう。
例えば、物語は優れていたのにサ終で打ち切って、クラファン小説とグッズ製作のファン商売だけで4年近くIP展開を続けている、ららマジのようなやり方さえ、ゲーム発のIPビジネスとしては一つの正解なのかもしれない。
ただ、このWFSのやり方は俺は誠実だとは思えない。ちゃんとゲームとして続きを作ってほしいし、初出のゲームの作りが古くなってきたなら、グラブルリリンクのように立派に別の形で作り直すのが誠実だと俺は思う。
結局のところ資金力の問題なのだろうが、そういった難しい問題を抱えるからこそ、「優れた物語の運営型ゲーム」は青いバラのように求める価値があることだと思う。
何の話だ。しらんけど。
俺もそれ系の代表選手としてよく挙がるシュタゲとか色々やってきたけどさ。
俺は昔からその「記憶消してやり直したい」って発想にならないし、意義がよくわからんのよね。
物語の背景を走っていた葉脈を知り、作品を理解するということは、一プレイヤーとしての進歩だろ?
なぜ巻き戻して同じことを繰り返し、同じ感動を得ることに意義があると思うんだ?
そんなポルノのようにゲームを消費しようと思うことは、醜悪な懐古主義か、知的ボーダーじみた仕草でしかない。
俺だったら、むしろ逆。
「完結までやったあとに、全部理解してる状態で一からやりたい」。
そう思えるくらいに、細部まで伏線が張り巡らされ凝った世界観で作られたゲームをやりたい。
買い切りのゲームだと単に2周目に突入すればよく、容易に実現可能だから、この「やり直したい」ネタにはならない。
必然、こういう感想を持つべきなのは、非常によく作られ長年続いてきた運営型ゲーム、ということになる。
サービス初期からあった設定が何年越しで解説されて衝撃が走ったり、はじめは意味が分からなくて適当に読み飛ばしていたり。
そういったものを、年月を越えてやり直すことでより高い解像度で味わい直すことができるのは、有意義だろう。
例えば7年くらいかけて第一部が完結した暁には、新規サブ垢で半年くらいかけてメインシナリオを駆け抜ける、みたいな感じになるはずだ。
ただ、俺はオンラインゲームは月額が主流だった00年代頭頃から、あらゆる運営型ゲームをやってきたが、
そういう欲求が湧くくらい精緻に作られていると感じた運営型ゲームはほとんど出会わなかった。
物語が素晴らしいと感じるネトゲ・スマホゲに出会っても、まず完結することがなく、売り逃げのような業態が常だった。
99%の運営型ゲームは、収益を得続けることが至上命題になってしまうから、挑戦的で刺激的な物語を定期的にアップデートしていく、ということは二の次になる。
質を求めるほど更新頻度は下がり、代わりに課金欲を煽るようなもの、物語の展開にあわせた実質上位レアリティのキャラや装備の追加、そして膨大な反復作業コンテンツ……
そういったもので物語の空白を繋ぎ止めることが常態化しており、いずれ「慣れた」ゲーマーの大半は物語をスキップし、数字を増やす遊びしか気にしなくなる……
そうしてスカスカな作りになるのが運営型ゲームの限界だと思っていた。
ところが最近になって、運営型ゲーム業界にイレギュラーが現れた。
原神やスターレイルなら、この調子でいけば、「完結までやったあとに一からやりたい」運営型ゲームになる予感がある。
一応同社の崩壊3rdもサービス開始当初からやっていたが、ローカライズに不満がありブランクを空けていた時期が俺は数年あったため、理解も半端だ。
7年を経て到達した第一部・第1.5部の完結に立ち会って、いたく感動こそしたものの、それでも「一から振り返ろう」という領域には個人的には一歩及ばなかった。
この作品はSF的なテイストと難解な設定で雰囲気は非常によく作れているものの、話の脈絡としての精緻さはあまり重視されておらず、
ご都合主義とまではいかないまでも、どちらかというとノリで強引に納得させられている印象が日本語版ユーザーとしては強かった。
こういったノリに頼りがちになるのも、柔軟に作って継続させていかなければならない運営型ゲーム特有の「縛り」要素ではある。
この「縛り」を目立たなくするために、物語を実装地域ごとに完結するオムニバスのように細かく区切ることもできる。
実際MMORPGではそうした形式で作られるものがほとんどだ。だが、それでは物語を貫く背景を掘り下げていく部分がどうしても手薄になり、深みが出せない。
膨大でカッチリした物語的構造をあらかじめ練って、10年くらいのスパンを見据えて確実に開発運営していける大資本でなければ、
おそらく物語の面で品質と誠実さを備えたコンテンツ開発ができる段階には至らないのだろう。
例えば、物語は優れていたのにサ終で打ち切って、クラファン小説とグッズ製作のファン商売だけで4年近くIP展開を続けている、ららマジのようなやり方さえ、ゲーム発のIPビジネスとしては一つの正解なのかもしれない。
ただ、このWFSのやり方は俺は誠実だとは思えない。ちゃんとゲームとして続きを作ってほしいし、初出のゲームの作りが古くなってきたなら、グラブルリリンクのように立派に別の形で作り直すのが誠実だと俺は思う。
結局のところ資金力の問題なのだろうが、そういった難しい問題を抱えるからこそ、「優れた物語の運営型ゲーム」は青いバラのように求める価値があることだと思う。
何の話だ。しらんけど。
『セクシー田中さん』見てなかったし、原作も未読。でもあの一件以降、原作者やクリエーターたちが同じような経験をしてるという話をポストしているのを見て対岸の火事ではないと感じた。みんな同じことを経験してるんだ。
私も制作する立場にいる(偉い人じゃないです)。どちらかというと原作側。
とにかく短期制作、大量生産、コミュニケーション不足。複数の現場を経験したけどどこも同じ。
基本的に原作側と制作側、そこの末端の制作者、顔を突き合わせる機会は少ないと思う。
とにかく時間がないし、脚本はわからないけど単価も労力に追いついてないと思う。
その中で私たちはどうにか軌道修正しなきゃいけなくて、それが本当に辛い、めっちゃストレス。
みんなひとりひとり、人格のある人間なので我が出てきてしまうけど、複数人でひとつのものを作る時は作品を一番に考えて、原作者がいる場合は原作が目指すところを一番に考えてやらなきゃいけない。我を出してくる人を止めなきゃいけない。
プロデューサーにはその手腕が必要だけど、制作時間の短さに対するそれに見合わない物量のせいで『妥協』が発生する。
本当は作ってる側は完璧にやりたいけど、直す時間がない。結果妥協するしかなくなる。理想から程遠いものを作られた時、それを直すのに同じくらいの時間がかかるので。
消費者が思ってるよりも一つの作品を作るのには時間と労力(そして資金)が必要なんだよね。日本だけじゃないかもしれないけど、それをあまりにもケチってる現場が多いように思う。本当に余裕がない。
昔、知り合いのドラマ制作に関わっていた人は過労死してしまった。
だいぶ前の話だけどそのときからあまり現場は改善されてないのではないか。
何を望んでいるかというと、もっと余裕をもって妥協せずに制作できる業態になってほしいということ。
労働者の身を削らないとクオリティの高いもの、理想とするものが作れないのなら、いったん全てを見直さなきゃいけないと思う。
それができているところもあれば、できていないところもあるし、現状ではそれが主流ではないと感じている。
年末からVtuber見始めちゃったって言ってた増田ですけど、年明けても相変わらずVtuber見続けてますよ
ブコメでも、「コラボ動画見たらだんだん見る対象が広がっていくよ」みたいなことが言われてたけど、予言通り見事にちらほら見始めちゃいました
お勧めされていた順当な後継者っぽい子は、なんか授業みたいでちょっと聴きにくかったけど、昨日ちょっと、昔から仲良さそうな関西の女子高生とか、なんか国持ってる王女様っぽい子とか聴いたらけっこう楽しかったです
というかすごいね!
企業Vtuberの事務所って、こんなにしゃべりが達者で、キャラが立っている人が何十人どころか100人以上所属してるの?やばいじゃんまじで
多くの古参からしたら5年遅れの感想だろって感じなんでしょうけど、こんな上質な話芸のエンターテイメントが無料で、無限にyoutubeに存在していたということに衝撃を受けている状態です
正直、他人が遊んでいるところ見るくらいなら自分が遊ぶわ!ってゲーム配信とか絶対に見なかったんですけど、これ、ゲームを見るっていうかお気に入りのアイドルのリアクションを見ている自分がいることに気付いてまたなんか価値観が揺らいでますよ
あとお気に入りの声をイヤホンで、ずっと聴いてるとね、なんか恋人、とは言わないまでも、すごく親しい友人みたいな気分がしてくるんだよね
語りかける口調も多いじゃん、ラジオDJとかテレビのMCよりずっと個人に語り掛ける感じがあるじゃん
なんか毎日ずっと電話してる相手みたいな気持ちになってこない?
幸いまだコメントとか全然つけてないし、youtubeのアカウントとかもないからチャンネル登録すらしてないけど、やりはじめたら厄介ファンになりそうな自分がすごく怖いね
もう片方の方にもいつか手を出す日が来るんだろうと思うと、なんというか、とても恐ろしいねこれ
マンガやアニメのキャラにすら熱烈なファンがついていることを思うとさ、Vtuberって将来性やばくないか?
俳優とか芸人とかは本業があるから、ファンサ100%みたいな活動はまず無理なのに、Vtuberって存在そのものと本業がそのままファンサじゃん
こんな業態他にある?
こう、誰しもお気に入りの推しポケモンがいるように、推しVtuberが普通にいるのが当たり前の時代がくるんじゃないのこれ
そしてガワを作ったり配信に関する技術開発は必要だろうけど、それ以上の元手ってほとんど必要ないことを思うと、営利企業としても将来性すごそう
Vtuberになりたい人は事務所の看板と、すぐれたアバターが欲しいので、今の二大看板が有望な新人を集められる構造はすでにできているでしょう?
すんごいね
電子マネーサービスを「 ミャクぺ!」、ポイントサービスは「ミャクポ!」、NFTサービスを「ミャクーン!」と呼ぶらしい。まず香ばしいのは、2025年に開催される万博に既にオワコンとされているNFTを売りにしていることだ。
万博のNFTにはPLT(Palette Token)というNFT等のデジタルアイテムに強いとされるコンソーシアム型のProof of Authorityブロックチェーンが採用されている。イーサリアムのガス代が高いので安価にNFTを流通させることを目指してるらしい。NFTの流通にはガス代がかからないが、NFTの発行にガス代が取られるモデルになっているらしい。
ブロックチェーンで決済用の電子マネーを実現するとなると、取引所はどうするのだろうかとか、円ペッグするのだろうか、業態やライセンスはどうするのだろうかとか色々気になることがあるのだか、Palette Tokenにはそのような要素が見当たらない。色々調べてみたところ、この資料に答えがあった。
https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/uploads/230704_image.pdf
どうやら電子マネーとポイントはオフチェーンらしい。ブロックチェーン関係ない普通の電子マネーを作ることを意味する。2025年に特に新しい技術要素もない、(おそらく)日本国民しか利用できない電子マネーを新規開発するということになる。
インバウンドを考慮するのであればクレジットカードと銀聯、アリペイに対応しておけば十分だろう 。もちろん万博内ではこれらを利用できるようにするらしい。これはAirPay等の決済代行サービスがあれば実現できること。万博の売りにするような要素はない。入札でより安く導入できる事業者を探せばいいだけの話なのだが、なぜか新規電子マネーを作ろうと思ってしまったのだ。理解できない。
さて、ここで気になるのはPalette Tokenの使い道だ。先の資料を見ると、NFTプレゼントや外部事業者との連携に活用するようだ。
実は既に大変素晴らしい分野で活用されているので、その事例をご覧いただきたい。
https://expo2025-wallet.com/events/otoshidama.html
専用アプリをダウンロード・登録した上で、リンクの受け取りボタンを押すと、Palette Tokenがもらえる。
謳い文句の通り、トークンが貰えるだけである。画像が一緒に表示されるが、上のリンクと同じ画像であり、コンテンツ自体に価値があるわけでも所持権利があるわけでもない。
謎度: 星3つ🌟🌟🌟
2. NFT駅スタンプラリー
https://www.jr-odekake.net/navi/nft-stamprally/
駅に置いてある2次元コードを読み取ると(以下同様)
謎度:星3つ🌟🌟🌟
3. おトクなクーポンNFTをゲットして大阪の食を楽しもう!
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000072.000046288.html
お食事割引クーポンが貰える大変お得な活用事例。店舗にある2次元コードを読み込むと、NFTを取得することができ、そのNFTを店員に提示すると割引を受けることができるらしい。
NFTとクーポンに何の関連性があるのかはよくわからないが、主催者曰く改竄がしにくいというメリットがあるようだ。
仮に目の前の人が NFTを所有していると自己主張しているとして、店舗の人間はどのようにNFTを所持していることを確認すれば良いのだろうか。トークンIDやコントラクトアドレスがわかればウォレットアドレスがわかるから、所持していることは確認できるんじゃないかって?ウォレットアドレスが何のNFTを所持しているかは確かにわかる。では、目の前の人間がウォレットアドレスの所有者であることはどうやって確認するのだろうか?ウォレットアドレスや所持しているNFTトークンはグローバルに公開されているため、誰でも正しい情報を知ることができる。これは誰でもなりすましができてしまうことを意味する。NFTは提示しただけでは所持確認をすることがでないため、改竄を防ぐためにはトランザクションで店舗のウォレットにNFTを移動する必要があるが、現状そのようにはなっていないようだ。
謎度: 星5つ🌟🌟🌟🌟🌟
まとめ
2024-01-10
電子マネーサービスを「 ミャクぺ!」、ポイントサービスは「ミャクポ!」、NFTサービスを「ミャクーン!」と呼ぶらしい。まず香ばしいのは、2025年に開催される万博に既にオワコンとされているNFTを売りにしていることだ。
万博のNFTにはPLT(Palette Token)というNFT等のデジタルアイテムに強いとされるコンソーシアム型のProof of Authorityブロックチェーンが採用されている。イーサリアムのガス代が高いので安価にNFTを流通させることを目指してるらしい。NFTの流通にはガス代がかからないが、NFTの発行にガス代が取られるモデルになっているらしい。
ブロックチェーンで決済用の電子マネーを実現するとなると、取引所はどうするのだろうかとか、円ペッグするのだろうか、業態やライセンスはどうするのだろうかとか色々気になることがあるのだか、Palette Tokenにはそのような要素が見当たらない。色々調べてみたところ、この資料に答えがあった。
https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/uploads/230704_image.pdf
どうやら電子マネーとポイントはオフチェーンらしい。ブロックチェーン関係ない普通の電子マネーを作ることを意味する。2025年に特に新しい技術要素もない、(おそらく)日本国民しか利用できない電子マネーを新規開発するということになる。
インバウンドを考慮するのであればクレジットカードと銀聯、アリペイに対応しておけば十分だろう 。もちろん万博内ではこれらを利用できるようにするらしい。これはAirPay等の決済代行サービスがあれば実現できること。万博の売りにするような要素はない。入札でより安く導入できる事業者を探せばいいだけの話なのだが、なぜか新規電子マネーを作ろうと思ってしまったのだ。理解できない。
さて、ここで気になるのはPalette Tokenの使い道だ。先の資料を見ると、NFTプレゼントや外部事業者との連携に活用するようだ。
実は既に大変素晴らしい分野で活用されているので、その事例をご覧いただきたい。
https://expo2025-wallet.com/events/otoshidama.html
専用アプリをダウンロード・登録した上で、リンクの受け取りボタンを押すと、Palette Tokenがもらえる。
謳い文句の通り、トークンが貰えるだけである。画像が一緒に表示されるが、上のリンクと同じ画像であり、コンテンツ自体に価値があるわけでも所持権利があるわけでもない。
謎度: 星3つ🌟🌟🌟
2. NFT駅スタンプラリー
https://www.jr-odekake.net/navi/nft-stamprally/
駅に置いてある2次元コードを読み取ると(以下同様)
謎度:星3つ🌟🌟🌟
3. おトクなクーポンNFTをゲットして大阪の食を楽しもう!
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000072.000046288.html
お食事割引クーポンが貰える大変お得な活用事例。店舗にある2次元コードを読み込むと、NFTを取得することができ、そのNFTを店員に提示すると割引を受けることができるらしい。
NFTとクーポンに何の関連性があるのかはよくわからないが、主催者曰く改竄がしにくいというメリットがあるようだ。
仮に目の前の人が NFTを所有していると自己主張しているとして、店舗の人間はどのようにNFTを所持していることを確認すれば良いのだろうか。トークンIDやコントラクトアドレスがわかればウォレットアドレスがわかるから、所持していることは確認できるんじゃないかって?ウォレットアドレスが何のNFTを所持しているかは確かにわかる。では、目の前の人間がウォレットアドレスの所有者であることはどうやって確認するのだろうか?ウォレットアドレスや所持しているNFTトークンはグローバルに公開されているため、誰でも正しい情報を知ることができる。これは誰でもなりすましができてしまうことを意味する。NFTは提示しただけでは所持確認をすることがでないため、改竄を防ぐためにはトランザクションで店舗のウォレットにNFTを移動する必要があるが、現状そのようにはなっていないようだ。
謎度: 星5つ🌟🌟🌟🌟🌟
まとめ