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はてなキーワード: 梅雨とは

2024-06-17

もう蝉鳴いてる?

まだ梅雨おわってないよね?

今年の梅雨はこんなもんか〜〜

したことなかったし気温もそこまで上がんないかな。今年は冷夏かも。よかった〜〜

とか思ってたらYahoo天気の週間予報で「本物の梅雨」を目の当たりにするやつ毎年やってる気がする。

2024-06-16

⭕️初夏→梅雨→夏 ❌梅雨→初夏→夏

今は初夏です!

知らんかった!!!

2024-06-15

そういえば今年に梅雨はないんか

2024-06-14

そいや梅雨来ないな。

水不足集中豪雨災害か…どっちかなぁ

2024-06-13

梅雨前の夏の日は良い

夕方、それも田舎だとなお良い。

真夏のように暑かった昼の熱気も和らぎ、しんと静まりかえっている時。

夏なのに蝉の鳴き声がなく、そして長い黄昏

なんとなく時が止まった感じがして好きだ。

それ以上に暑いのは嫌いだけど。

2024-06-10

バリ七輪

今年はバリオリンピックがあるので、バリ五輪あやかってバリ七輪というしちりんをアウトドア焼肉用に売り出しているのだが、まだ出足が芳しくない状況

ハイコンテクストすぎるという指摘もあったが、まだ梅雨も明けていないので判断は早急だろう

2024-06-09

ひょっとしたらYoutube海外からロマンス詐欺が入り込んでるかもしれない

こちらの勘違いだったらコメントくれた海外の人には申し訳ないのだが。

自分英語オンラインレッスンで会話のネタにするために、街の桜の風景動画Youtubeに公開したことがある。

また、動画編集ちょっとだけやってみたくて、台湾料理レシピ動画もアップした。

「できるならやってみよう」程度のもので、どちらも5年以上前のもので200再生ほどしかされていない。

なのだが、ある日、桜の動画海外の人からコメントがあった。

これはどこか、どこで桜を見られるのか、日本は今梅雨なのか、というような話で、自分としては「最近日本に来る外国人増えたしな。英語のやり取りに慣れることができるかもしれない。まあ都合もいい」という理由コメントに答えていて、「今度日本に行きたいけどどこがいいだろうか」くらいはまあ気分よく答えていたが、続くコメントに「日本について知りたいので友達になってほしい」ときて「ん?動画コメのやり取りでありがとうで十分じゃね?」となり、「Lineを使っているか」と続いて「いや、怖いよ」となった。

コメントしている人のアカウントを見に行くと、中国的な名前美女で、一応パラグライダーをしている半年ほど前の動画などもあって「普通の人なのかな」と思ったが、その他の動画最近アップされた再生回数2桁のものばかり。

「これ明らかに変だ」と確信したのは、その他のレシピ動画や他の桜の動画にも別の美女コメントを立て続けにしたこと

アカウントを見てみるとショート動画を1本とか2歩投げてるだけだし、それも「これAI生成かスーパー加工じゃねえの?」というツルツルしたお顔の美女

Lineについて聞いたきた人(?)に「Xのアカウントなら持ってるよ」と返答したらレスは途切れた。

変すぎる話だったので、Xなんかで似たようなことがなかったか検索してみたが、見つからず。

一応、こういったことがあったよ、ということで記録に残しておく。

梅雨っぽい曲を知りたい

春夏秋冬はあるけど、この短い雨の時期を歌ってる曲ってあまりない気がする。

大江千里(秦くんがカバーした)の「Rain」は都会の雨を感じるけど、梅雨なんだろうか。

あとは雨を歌うとバラードに寄りがちな印象。

明るめの曲あったら教えてください。

2024-06-08

やはり、人口の半分ぐらいは家政婦をやるべきじゃないだろうか?

もう辞めた会社の話だが、俺は生活指導をやらされていた。(NDAとまではいかんくとも、念の為に若干はぼかす)

職場にいくつかの「◯◯委員」のようなものがあり、たとえば「オヤ部長」とか「宴会部長」的なヤツのもうちょい面倒なバージョンだ。

たとえば、健康診断の成績が悪いと「スポーツ委員」が昼の体操ちゃんやらせてるのか運動習慣はつけているのか談話室バランスボールを買ってやったが使っているのかと詰められるわけだな。

俺の担当生活習慣だったが、仕事の大部分は「臭い指導員」だったと思う。

普通の神経ではなかなか指摘できないし、された側もイラっとくるような臭いについての話を「組織がね、やれって言うんだ。君もあと10年したら課長係長ポストと一緒にこういう役目がついてくると思ってくれ」みたいなオーラを出しつつやらされていた。

臭い指導過酷だ。

いい大人がいい大人に「柔軟剤匂いかな?エイトフォーちょっとキツいぞ。洗剤の量をちゃんと守ったり、無香料の物を使ったほうがいいかな」と指摘する権利なんてあるのかといつも疑問だった。

梅雨の季節に生乾き臭のする奴に部屋干しなら扇風機を使えと言ったり、オキシクリーンの回し者になったりするわけだ。

ワキガがキツい奴のためにデオドラント商品の選び方を調べたり、食生活についていくつかの頼み事をしたりだよ。

あんまり臭いとね。やっぱ職場全体の雰囲気がね。そうなるとね、仕事を頑張っても評価かにね」とわざわざ俺の口を通して言わされるわけだよ。

しんどかった。

なんで「体臭キツイのに深夜ラーメンニンニクシマシしてんじゃねーよ」をやんわりオブラートに包んで社会人に指摘させられとるねんと。

思うんだがな、やっぱ専業主婦専業主夫というのが必要なんじゃないだろうか。

仕事拘束時間が長すぎてみんな家事が疎かになってる。

家事を専門でやってくれる人が必要だ。

共働きの家庭ならハウスメイド的なのを雇うようにするべきじゃないだろうか。

なまじっか専業主婦一般化したせいで日本という国から家政婦の文化が失われているように思う。

パワーカップル年収2000万円あっても家事は全部自分たちでやるという人達インターネットで見かけるがあれは非効率じゃないだろうか?(本当にいるのか?時給5000円の人間洗濯掃除を?と思うけどこの話題には便利なので乗っておく)

専業主婦専業主夫というシステム夫婦の力関係的に歪になりやすいのは分かる。

家電が発展してハウスサービス需要介護にばかり集中しているのも分かる。

プライベート意識が強くなって赤の他人に家の中弄られたくない人、伴侶であっても趣味の部屋を触られたくない人、色々いるのも分かる。

だが、現代社会で求められるレベル家事を働きながら両立するのはしんどいだろ。

家電の力でなんでも自動化されたと言っても、洗濯機や乾燥機ちゃんと使おうとすればどうしても人間管理必要になるし、何の知識もない人間やらせれば漂白剤か洗剤の片方しか入れずにやってハンガー吊るしでめちゃ臭になる。

つうかなんで皆こんなに働いてるんだ?

全然仕事が減らないの不思議すぎるだろ。

どうなってるんだ?

2024-06-07

布団乾燥機が壊れた

だいぶ前に買ってほぼ毎日のように使っている象印の布団乾燥機が壊れた

電源ボタンを押しても反応がない

いろいろいじるついでに本体を見たら15年製のシールが貼ってあった

2015年より前から使っているのは間違いないので、2015年ではなく平成15年なのだろう

20年も使っていたのか……

後継機種をネットで観たら、1.6Kくらいする

どうする、すぐ買うか、ボーナスまで待つか

でも、これから梅雨で湿気は増すし、寝汗もかく

やはりここはすぐに買うべきか

なやましい

2024-06-06

毎年、梅雨の時期には京都に行く

ちょっと狂気じみたこルートは、どうも飽きないフルーツ

雨に濡れる祇園のブーツ、湿っぽい空気に浸る古都ルーツ

だが、観光客の傘のブーツ、渋滞する道は真のブース

それでも惹かれるこのムース梅雨京都はやっぱりクール、まるで詩のようなシュール

からまた行くんだ、梅雨の風情に身を寄せて、ルーツ

何度も繰り返すこのシュール、ああ、梅雨京都は最高のフルーツ

2024-06-04

もうすぐ梅雨になるらしい

うざい雨で風邪ひくぜ、ほら見てよこの不快な気

湿気が増えて、家はカビだらけ

外はジメジメ、道は滑るばかり

こんな天気じゃ心もズタズタ、もううんざり

でもまぁ、これもまた季節の一部か

そう思うと、少しは楽になるかもね

2024-05-30

ボサノバQOLを高める…特に梅雨から夏の時期にかけて。

ボサノバは何から聴いたら良いかからない、そんな人にはコンピレーション版。

去年何気なく聴いて良かった「summer samba 2023」というやつをおすすめしておく。

 

https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_niw2y8ROLvCSrqhdl2CF7mtI49ORsG7e0&si=iGdr9ZjQo59Q1019

アンダーウェアこだわったほうがいいぞ

なんか勝手ユニクロのやつとかでいいんだろって思ってたんだけど

野球で使ってたらアンダーウェアが余ってたか普段着で使ってみたら、圧倒的に快適だった

これからの時期梅雨から夏にかけて絶対快適だからユニクロのは捨ててスポーツブランドアンダーウェア使え

2024-05-29

anond:20240528201844

高校から美術系のルート歩んできたけど

スカートはいてる男性そこそこおったし普通に似合ってた(モード系とかパンクファッションの長いやつ)

  

そもそも和服の袴も見た目はほぼスカートだし、着流しならほぼワンピースなわけで

だって全周覆うソムリエエプロンギャルソンエプロンとかおかしくないやん?

梅雨から夏にかけて高温多湿の気候にあってるんだから着アドのはずなんやがな

雨の日に窓を開けるなという話

 何度言っても、母が雨の日に家中の窓を開けることをやめない。

 窓から雨が入ってくる、という話ではない。——まあ、そういうこともあった。増田若い頃は、母が梅雨時期、勝手に部屋の窓を開けていて(そしていつもすぐに開けたことを忘れるのだ)、帰ると何故か部屋が水浸し、という事件が一度ならず起きた。

 それは何度も注意するうちに流石に無くなったが、それでも雨の日に「風通し」をするくせは抜けていないようだ。

 母は、湿気の多い時期に窓を開けないと部屋がカビると信じている。

 しかし逆なのである。少なくとも、我が家では。

 

気密性と湿度関係

 というのも、実家マンションからである国道16号沿いに建つ、築20年ほどの、普通郊外型のマンションだ。

 基本的に気密性の高い鉄筋コンクリートづくりのマンション場合梅雨時のように外気の湿度が高いときに「風通し」に意味はない。どころか、逆効果だ。

 この場合、閉め切っていた方が、内装建材の調湿効果木材や布地は天然の調湿効果がある)で、室内の方が湿度は下がるのだ。

 (余談だが、エアコンをつけたあとはなおさらだ。よく夏場にエアコンを消してすぐ窓を開ける人がいるが、除湿エネルギー無駄いである。)

 これは増田自身経験則でなんとなくそんな気がしていたが、家を建てたとき勉強したらやっぱりそうなのだと知った。

 

 それ以来また何度も注意しているのだが、今度は増田自身の部屋でないこともあって、何度言ってもやめてくれない。

 母が生まれ育った、古い木造平屋の昔の家屋では、そうしなければいけなかったという恐怖から逃れられないのだ。

 

マンション木造は違う。木造でも、断熱性や気密性で違う。

 日本の「家」に関する話には、こういう、対象が違えば原理も違うという話が整理できず、ごちゃ混ぜになったものが少なくない。

 例えば「気密性が低い方が湿気が籠らず良い」というようなことを言う自称専門家」がいるが、こういう人はもちろんマンション木造の違いなんて理解してないし、さら木造でも昔の家と今の家では壁の中の構造が違うから、一概に「気密性が低ければ風通しが良い」なんて言えないことも、正確に理解していない。

 

 今の家では「気流止め」という施工が壁内に施されている。(https://www.dannetsu-takumi.com/contents/column/kiryudome/

 昔の日本の家では、床下、壁内、天井に至る全体が通気口役割果たしていた。空気が壁の中を自由自在流れることで、湿気やカビを防いでいたのだ。

 しかし、それでは当然、寒い日は寒く暑い日は暑い。外気そのままの環境を家でも我慢しなければいけないことになる。まさにあばら屋だ。

 だから現代住宅では、基本的にすべての床、壁、天井に「断熱」をする。そして「断熱」をするためには、逆に「気流止め」を施して、壁内を空気が動かないようにした方が良いのだ。

 これ以上の理論的な説明はここに書くには専門的すぎることと、検索すれば専門家のページがいくつも出てくるから割愛するが、この「気流止め」を理解していないと、風通しが良くなってカビないどころか、北海道で起きた「ナミダタケ事件」のような凄惨な結果が待っている、ということだけは書いておく(検索してみよう)。

 マンション場合、壁はコンクリートの完全な一枚板なのだから、はなから通気なんかしないのは言うまでもない。

 

 このように、現代の家はより過ごしやすくするために、見た目は同じでも、昔の日本家屋とは壁の中の構造がまったく変わっているのである。当然、その根拠には(ナミダタケ事件以来)半世紀以上に渡る科学研究がある。

 「カビない家」に対して現代科学の出した答えは「気密」し「断熱」し、空気の籠るところは「換気扇で換気する」だ。

 まかり間違っても、すきま風のする粗悪な家を作ることや、無駄な「風通し」で外気からわざわざ湿気を取り入れることではない。

 

母はもう仕方ない

 母のようになるともう仕方ない。本当は老体にも悪いからやめて欲しいが、まあそれも本人の人生だろう。

 しかし、素人の母のレベル認識が止まった自称専門家いつまでも嘘をまき散らし、若い人がまだそれに騙されるという現状はいくらなんでも忍びない。

 少なくともそろそろ、無根拠な「通気」信仰はなんとかしてくれと思う。

 確かに通気は必要だ、しかし、それは「どこに空気を通すのか」をキチンと理解した上ででなければならない。

 なんとなく「通気してるから」良いなどと信じていると、ナミダタケ事件のような逆効果なことはいくらでも起こってしまうのだ。

 

 室内の温度湿度コントロールに関する科学的な研究というものは、もう半世紀も実績がある。

 というのも半世紀前、オイルショックを景気に、世界中暖房エネルギー削減の研究を始めたからだ。

 現代は、アテカンや習慣で家をつくる時代ではない。

 もう少し、科学言葉に耳を貸そうよと言いたい。

 

2024-05-26

いやほんと毎日イライラする

梅雨が終わると山や海へのレジャーでみんな楽しい思い出作るんだろ

クソがボケ・・・

全員死ねよほんとガチ

殺せるだけの武器とかあれば俺の手で直接全員殺したいわ

ほんまイライラする

2024-05-23

6月の人気がなさすぎる

やれ梅雨だ、

やれ紫陽花だ、

やれジューン・ブライドなんて言ってもジメジメしてる、

やれ蟹座だ、

やれ祝日がない、などど。

うっせーよ。

 

あ、おれは誕生月で特別休暇もらえるので祝日なくても平気です。

2024-05-22

冬が好きなんですよね

なーんかいつのまにか、俺の許可もとらねえで、夏っぽくなってきてやがるじゃないですか

気がついたら日が長い、もう19時なのにまだ明るい、よく考えたらずっと半袖を着ている、夜の野外に涼を求めている自分に気がつく、クーラーをかける夢を見る、社員食堂梅雨入りニュースが流れていて、向かいに座ったよその部署オッサンが「梅雨かあ…」と呟く

そういう季節になりつつある

夏は嫌なんだよ

なんせ暑いから嫌だ

暑さっていうのはどうしようもない つまり、暑くなくなろうと思ってどうあがいても、あがけばあがくだけ身体が動いて、その分体温が上がって、まったくの無駄、暑さが増すばかり

その点寒さっていうのは良くて、頑張って身体を動かせば身体が温まってステキだ 布団をかぶれば熱が保てるし、服をきりゃああったかいし、カイロ湯たんぽ電気毛布コタツ、いろんな仲間たちと一緒に冬を越そうと素直に思える

夏はもう、クーラーしかねえわけじゃん

ウチワなんて気休めに過ぎねえし、冷てえ飲み物ほとんど瞬間的にぬるくなり、扇風機は結局クーラーのある部屋にくらいしか置けねえんだからクーラー付属品みたいなもんで、服は着れば着るほど暑いだけ、夏を乗り切るにはものごとを切り捨てていかないといけないということだ

嫌んなっちゃうよ

俺は早くあの、アレっ16時なのになんか陽の光が弱まってきてるぞ?!と思った瞬間の焦りとか、キンモクセイ香りに胸がギュッとなる感じとか、秋空がメチャクチャ晴れ渡っていてちょっと息が吸えなくなる感じとか、そういうのを味わいてえの

朝起きてセミが鳴いてたりするともう、心がゲッソリするわけですよ クソあちいなか歩いて出社したくないんだ あるいはそれが夏の良さなのかもしれねえが、俺としては勘弁願いたい

俺は早く、9月のよく晴れた日に、外涼しくね?と思ってエアコンを消す瞬間の高揚だったり、街路樹から落ちた葉っぱが風に吹かれてアスファルトの上をクルクル回ってるのを見たときのあの喜びだったり、そういうもの体験したいわけ

2月あたりのクソぶあっつい雲に空が覆われて全面白色みたいな天気とか、脱衣所の寒さとか、ベンチの冷たさ、一瞬降って積もらずじまいの雪、そういうことだ

11月くらいの天気いい日にその辺の野外でやってる謎の催事マルシェとかフリーマーケットとかそういうのにキッチンカーが来ていて、なんなのかよく分からないがいい匂いがする、空気は冷たく澄んでいる感じがする一方で日差しがほどよく暖かくて、空には雲ひとつない…ってことはないんだけど、それでもかなり晴れ渡ってはいて、ああいいじゃないですか、いい日っていうのはこういうことだよなあ!と思う、そういう場が必要なわけ

夏はダメなんだ 過剰なんだよ

そして何より暑い

早く冬になってくれ この時期になると毎年思う

2024-05-18

食パン素手で触るのは止めろ!!

これから梅雨の時期が訪れる。湿気の影響でパンに黴が生える、または気づいたときには黴が生えていたという経験を持つ人は多いだろう。

だがちょっと待ってほしい。確かに湿気によって黴が生じ易くなるのは事実だが、大抵の場合パンに黴を生やす原因は湿気じゃない。

お前の手だよ!!

おおよその人間自分の手の汚さに無自覚だ。

より正確にいえば、手のひらに所持する菌の種類について。

お前のその手のひらにいる菌は清潔なパンを腐らせる。これは事実だ。だからこそ重要なのはパンの取り出し方だ。六枚きり、八枚きり、何枚切りでもいいが袋食パンから食パンを取り出すとき、どういう風に取り出している?

手づかみ!?アウトだ。

そのときお前の手に潜む菌が袋の中へと移り、その菌が他の食パンに黴を生やす

取り出し方の正解は、袋自体をつかみ、逆さにしてパンを取り出す。これならパンに触れることもなく、また袋の中に手を入れずにも済む。

これまでの話を嘘だと思うのなら、実際に試してみるといい。直接手を入れて取り出した食パンの袋と、逆さにして直接触らずにパンを出した食パンの袋とで。

断言するが、確実に手を入れた方の食パン袋の方から黴が生じ始める。理由は述べたように、手が汚いからだよ!!

これと同じ理由で、たまに市販食パンで「賞味期限よりも早く黴が生じた!」というクレームがあるんだが、この場合の原因はたいてい購入先の方に問題があり、開封後の環境の悪さが原因であることが多い。ひとつ、はっきり言えることは製造現場はお前らが思っている以上に清潔であり、お前らの家庭はお前らが思っている以上に不衛生ということだ。

これからパンが黴易くなる季節になるからこそ、衛生観念をしっかり認識してほしい。

2024-05-13

しとしとぴっちゃん

秋の台風シーズンより梅雨の大雨の方が被害ひどくない?

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

クリスマスから始まるリア充イベントGWで一旦終了したので少しほっとしてる

コロナももう影響がなくなって出かけたらあちこちカップルが出没し俺たちみたいな孤独高齢独身男性を哀れな目で見たり犯罪者だとみなして避けて通ったりいきなり目の前で迷惑から出てくんなと罵倒されてしま

梅雨になり雨であまり人が出歩かなくなる時がようやくチャンス

街に出て自分の目で現物確認して買い物ができる数少ないチャンス

夏になるとまた幸せを見せつける人格障害者共が湧いて出るので隠れて暮らさなくてはいけない

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