はてなキーワード: 格差婚とは
マッチングアプリって普通に知り合うよりも遥かに最初期に得る情報量が多くて、
かつ男女が最も気にするであろう「容姿」「収入」でフィルタリングが容易で、
しかも空き時間に、普通に対面する何倍もの候補を見ることができる。
そうすると何が起きるか、より多くの標本を、より多くの精度で見ることができるんだから、
必然的に自分にマッチングする相手の確率上の分散が小さくなる。相手にしてもそう。
要するに「お互い落ち着くところに落ち着く」ようになるのである。
結局いくらアプリに課金しても無課金低課金のハイスペックには勝てないし、
自分のスコアはどれだけで、それに釣り合う相手はどれくらいなのか、
ということを理解して受け入れないといけないわけだ。
最終的には、ハイスペック同士でつながる、
自分の身の丈に合った者同士でつながる一方で、
うまく行かないのは女の見栄もあるんだけど、男のプライドのせいでもある。自分より格上の学歴や職歴の女を相手にしてると、卑屈になって、自分から駄目になっていく男が多い。自分の仕事がうまく行っている間はまだよいが、よくないときに、恵まれた環境で働いてる女が隣にいると、どんどん悪い方向に嵌っていく。自分より稼ぎがよい女を身近に置いて平気でいられるというのもまた、稀有な才能が要るのだ。そういった男のプライドをさっさと捨てて自由になればいいのに、と外野としては思うが、それが男の最後の踏ん張りどころを作り出す源泉でもあるので難しいと思う。
くだんのコメント、男側から「自分より稼ぐ女なんて(女としての)魅力がない。」と書いてあっても、自分は全く驚かないな。本音レベルでは、男の大多数はそうだと思うよ。それこそ稀有な例外を除いて(そして、その例外層は、技術的な天才肌だったり、破綻した芸術家だったりして、世の価値観の外にいることが多いから、逆格差婚に貢献しない)。
夫とはそこで知り合って3年後に結婚したが、私の頭が悪いせいだろう。
彼の言っていることが理解できないことが多い。
例えばこんな感じ。
指さきがお湯につかると必ず「あぴゃぴゃぴゃー」と言う。
もちろん、お湯の温度は彼が正確に40度になるよう管理している。
「いぐど!こらっ!おいっ!ほいっ!!おまえ、、、ちきしょ、こら」
っと何故かなまり気味でどなりながら、水を流しつづけている。
極めつけは、就寝後、夜中にむくりと起きだして、
「がりっ、がりっ、がりっ」とぼそぼそと喋っている。
一度、『がりじゃなくって、おろしじゃない?』
って聞いてみたが無視されたので、それいらい一緒にがりっと言ってあげている。
頭がいい人はこういうものらしい。
少し安心した。
俺たびたび目にするんだけど、何か文学とか映画、各種高尚なエンタメに詳しいだけで
やたらと教養人ぶる人たちって何なの?
いつも思うのは、それって教養じゃなくて 雑学 ていうんだよってこと。
源氏物語のエピソードを引用してみたり、怪獣映画の批判性を指摘したりとか、
まあ好きなら好きにしてって感じだけどそれをもってして、
ほら俺って教養人だろ!一目置けよ!みたいなオーラが気持ち悪すぎ
どんなに濃い思想性があるが、伝統的なものだろうが所詮はエンタメ。エンタメなんだよ。
お前らだって俺が金持ち男&貧乏女の格差恋愛ばっかり描く韓国ドラマをもってして
「これは文豪バルザックの描く極端な上昇婚指向が見られた19世紀フランス的現実そのものである」
「格差婚への渇望は 労働市場の歪みによって貧困に陥る若年女性の韓国社会への絶望を色濃く反映している」
とか批評的に書いたら ウッザー! クッサー! メンドクサー! って拒否反応示すだろ。
長く長く付き合ってきた相手と結婚することになった。
私も相手も結婚願望は特になかったからこそこんなに長くダラダラと付き合ってきたわけだけど、諸事情あって今更入籍を決意。
長い年月を経て相手への愛情は対恋人というよりは対家族に近い物へと変化したが、実際家族になるのだからそこは逆に良い事だと思う。
特段喧嘩らしい喧嘩も無いし、性格が真逆な分出来ない事を補い合う事も自然に出来るようになっていると思う。
この相手と一生一緒に居ることに何の異論も無い。
むしろ望む所だ。
まぁ、ここまでは良かった。
問題はこの後、つまりよく言う「結婚は2人だけの問題じゃない」と言うやつ。
田舎者で都会に住んだ事は一度たりともない。
礼儀やマナーにも欠ける部分が多く、そのくせ元は小さな店を営む自営業者だったからヘタにプライドが高い。
方や相手方の親御さんは都会に住み一流の企業を退職後、立派な持ち家に住んでいる。
当然ひと通りのマナーも身につけているし、趣味だって品のある物だ。
何度かお会いした時に、あまりの上品さに驚いて「こりゃあ結婚なんて到底できないな」と思った記憶がある。
この両家が顔合わせをしたらいったいどうなってしまうのか、考えただけでも胃やら頭やらが痛んでしょうがない。
更にその先、親族間の付き合いの事まで考え出したら夜も眠れなくなってくる。
避けられないであろうそのイベントを思う度、比喩では無く本当にめまいがして動悸が早まってきてしまう。
相手はテンプレのように「そんなの気にすることない」と言うが、それを鵜呑みにしてあっけらかんと対応できる程自分はポジティブではない。
どれだけ心の中で焦って泣いて暴れてみても、日にちは刻一刻と迫ってくる。
逃げ出したいと思ってもここまで来た以上それも出来ない。
格差婚がこんなにも精神的に追い詰められる物だとは、と、今更ながら戸惑っている。
隣で結婚情報誌を眺める相手を見ていると何故だか酷く申し訳無い気持ちになってくる。
必死に新居の事を調べている相手を見ていると何故だか酷く残酷な気持ちになってくる。
結婚しようと決めた日から暫くは、それでも妙なワクワク感があった。
本当の家族になるのだ。
一緒の苗字になり、一緒の家に住み、一緒に食事をし、これから先の人生を共有できると思えば幸せな気持ちが自然湧き出てくる。
しかし日が経つにつれその感情は徐々に現象し、ただただ焦燥感だけが募ってきた。
うわー!と叫んでどこかへ逃げてしまいたいと思う。
これはもしかすると世間一般で言われるマリッジブルーなのかもしれない。
なるようになるしか無いのだから、この苦しい時間を耐えたら案外ケロリとラクになるのかもしれない。
そう言い聞かせて毎日を送っている。