はてなキーワード: 根比べとは
でも地下茎が地中に5cmでも残ってるだけで復活する、みたいな話にはまたまた……と思ってた。
抜いた草を突っ込んだゴミ袋が蒸れてるんでかき回してた時、真っ白い新鮮な根っこがニョロニョロと生えてるのに気がついた。
まさかな……と思って調べたらドクダミの地下茎で、小さい葉っぱまで生えていた。根っこも結構伸びてた。他の雑草は腐葉土と化してんのに。
今年の夏は結構気合い入れて草むしりをした。更地になれば新たに生えてくる雑草も目立つもので、せっかく綺麗になったんだからとマメに手入れをしてた。
質量保存の法則というものがあるんだから、ドクダミの成長だって無限じゃない。葉っぱがなきゃ光合成は出来ないだろうし、光合成が出来なきゃ地下茎だって減る一方に違いない。
根比べじゃいと思って少しでも葉っぱが出たらむしったし、根本の地下茎も毎回結構な所までほじくり返した。
でもゴミ袋の中で逞しく生きる生命力を目の当たりにして、なんかもう面倒臭くなってきて液体タイプと粒剤のネコソギをポチった。葉と根で挟み打ちだ。
ビッグモーター御用達の除草王が話題になってたけど、除草剤の効き目をこの目で見てみたいという思いも無意識的にあったのかもしれない。
緑一つない庭を見てると気持ちが良くなる。
心なしかヤブ蚊も少なくなった気がする。
土を掘り返して乾かしまくって砂漠化させたらとても気持ち良いんじゃないかって妄想を膨らませる。建物への害がなかったのなら塩を撒くやつも試してたと思う。
ガーデンニングとは真逆を行っている気がするがガーデンニングの楽しみのエッセンスに触れている気もする。理想の支配の願望を形にしていく感じというか。
タイトルを失念したし細部は間違えているかもしれないが、アメリカのSF作家ロバート・シェクリイの短編小説で、こんな話があった。
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ある日、主人公は、街中の交差点で歩行者信号が青色になったので横断歩道を渡ろうとしたところ、背後の誰かから「危ない!」と声を掛けられたお陰で、信号無視の車に撥ねられずに済む。
声を掛けて助けてくれた誰かにお礼を言おうと、主人公は背後を振り返ったが、それらしき人間は見当たらない。
その代わり、目に見えない何者かの声がして、主人公との会話が始まる。
その声の主は、謂わば異次元の存在だから、大多数の人間は、見ることも声を聞くこともできない。しかし、稀に主人公のように声を聞くことが出来る人間がいる。
そして、声の主は災難に遭う可能性が有る運命の人間を見分けることができるので、今回のように忠告の声を掛けて時折り助けているのだと言う。
声の主が「君さえ良ければ私がアドバイスをすることで、君が将来的に遭うかもしれない危険な目を避けられる。別に見返りを求めたりもしない」と言うので、主人公は謎の声の主をアドバイザーとして受け入れ、二人の関係が始まることになる。
声の主が予め危険を忠告してくれるので、主人公は危険を避けることができるようになる。例えば「明日の出勤は違うルートにしろ。いつものルートではガス爆発が起こるから」と言われて従ったところ、翌日の新聞にガス爆発事故の記事が載り、普段の通勤に使っているバスが巻き込まれたことを知るといった具合いである。
最初は主人公も「これは助かる」と重宝するが、二人の関係が続くうちに、危険を避けるために与えられる忠告の頻度がどんどん多くなる。
不思議に感じた主人公が、声の主に質問すると、次のような答えが返ってくる。「人間の運は、全体的にバランスが取れるようになっている。自力で未来の危険を察知したり避けたりすることができない人間は、大きな危険に遭遇する可能性が小さくなるようになっている。しかし、君は私の忠告によって危険を避ける能力が普通の人間よりも上がっているので、その分のバランスを取るために大きな危険に遭遇する可能性も上がっている」と。ちょうど、ヤジロベエの片腕を押し下げているようなものである。ヤジロベエが落ちないようにするには、反対側の腕も押し下げねばならない。
「冗談じゃない!」と思った主人公は、声の主との関係を解消しようと「私のところから立ち去ってくれ」と言う。しかし、声の主は言う。「君の傍から私が居なくなっても、運のバランスが直ぐに回復するわけではなくタイムラグがある。私の忠告は受けられなくなるが、君が危険に遭遇する可能性は暫くの間は高いままになる。私の忠告も無しに、それらの危険を君は避けることが出来るのか?」と。ヤジロベエの両腕を押し下げている力の片方が、急に消えるようなものである。声の主が消えれば、反対の腕を押し下げる力だけが残る。もし、そうなると……。
声の主は、主人公に対して「心配はいらない。私の忠告さえ守れば、君は安全だから」と言う。実際にその言葉どおり、主人公は様々な事故や事件を未然に避け続ける日々を送る。
やがて月日が経つと、声の主による忠告に変化が生じ始める。「主人公の住居であるアパートの玄関に✕✕を掛けておけ」とか「✕✕を肌見離さず持ち歩け」という具合いに。
まるで魔除けじゃないかと思った主人公が、声の主に尋ねると、やはり運のバランスの問題であることが判明する。声の主は言う。「異次元の存在にも、私のように人間を助けるのが好きな者もいれば、逆に人間に危害を加えるのが好きな者もいる。私からの忠告を受けられることで、君の運は相対的に良くなったから、その代わりに人間に危害を加えるのが好きな存在にも目を付けられるようになった。これらの新しいタイプの忠告は、それらの危険な存在を避けるためのものである」と。もちろん、声の主が居なくなったとしても、主人公が異次元の危険な存在に狙われる可能性は暫く高いままである。したがって、主人公に拒否権は無い。
声の主は言う。「心配はいらない。私の忠告さえ守れば、君は安全だから」と。ここに来て、ようやく主人公は悟る。声の主は、善意から主人公を助けていたのではない。単に、主人公を駒にしてゲームを楽しんでいるだけなのだと。しかし、関係を絶とうにも既に手遅れである。声の主が居なくなれば、主人公を待つのは破滅だけなのだから。
そんな或る日、またも声の主が忠告をしてくる。
この頃になると主人公も慣れてきていたので「今度は何だ?墓場の土を掘ってくるか?それともヒイラギやニンニクを玄関のドアにぶら下げておくか?」と、声の主にジョークを返す。しかし、声の主は言う。「いや、今回の戦術は『何かしろ』ではなく『ある禁止事項をしないようにしろ』という形になる。何しろ今度の敵は手強い。獲物にしようと狙いを定めた人間をずっと見張り続けて、そいつがミスを犯したところを餌食にするんだ。だから長期戦になるのを覚悟しろ。根比べで敵が音を上げて、君の傍を立ち去るのを待つしかない」と。
「いいか。絶対に『レスネライズ』するなよ」と声の主は言うが、主人公は理解できない。声の主が「あ、そうか。これは人間の言葉で言えば……」と説明しようとしたその時、突如として、アパートの部屋の中に獣臭い匂いが立ち込め、凶暴な唸り声が聞こえ始める。
「くそ!予想よりも早く現れた!」と声の主が言うのが聞こえると、目に見えない存在同士が格闘していると思しき物音が主人公にも聞こえ始めるが、その末に声の主の断末魔の悲鳴が響き渡る。
「おい!大丈夫か?」と安否を尋ねる主人公に対して、声の主は弱々しい声で「いいか……絶対に……するんじゃないぞ……」と言い残し、それっきり声も聞こえなくなる。
主人公は恐怖に震えながら、部屋の片隅にうずくまり、まんじりともせずに一夜を過ごす。
眠気に負けた主人公は少し居眠りして目を覚ますが、何事も無かった。だから、睡眠をとることはレスネライズではない。
催した主人公はトイレに行って用を足したが、何事も無かった。だから、これもレスネライズではない。
主人公は、喉が乾いたから水道の水を飲んだし、腹が減ったから冷蔵庫の中に有るものを食べたが、何事も無かった。だから、これらもレスネライズではない。
脅威の元である異次元の存在は、人間の目には見えないから、それが立ち去ったかどうかを主人公が確かめる術は無い。しかし、用心深く過ごしていれば、いずれ敵も根負けして立ち去ることだろう。それまでは気をつけるしかない。
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甘いなあ。甘い甘い。しつけは根比べよ
反省なんてしてないですよw後悔もしていないですし。私が一方的に騙し搾取しているわけではないので、奪ってしまったという表現は違うかなと思います。夫も誰に強制されるわけでもなく自分の意思で結婚を決めたので、お互い自己責任でしょう。
話し合いはよくしますが、価値観が違う点については平行線になってしまいます。みかんとりんごとどっちが美味しいかを議論するようなもので、もはやどちらかが折れるまでの根比べです。
そんな不毛なことをするくらいなら、無理に合わせずお互い好きにすればいいやという結論になることもありますが、時折、あれ、何の為に結婚したんだっけとよくわからなくなります。
→の記事なんだけどかなり醜い状況になってる。 http://d.hatena.ne.jp/font-da/20150526/1432612495
当事者である弱者男性不在でフェミがいつもの手口で中傷的な人物像を作り問題を書き換えて、しかもフェミ仲間がケアとか処方とか言ってホルホルしとる。
あのなあ、お前らのやってることはカルト宗教が救済と言って信仰を押して付けるのと変わらんからな。
いや、カルト宗教を悪く言いすぎか。救済を目的とした宗教なら少なくともネット上で見えない相手を糾弾するようなことはしない。リアルに会って悩みを聞いたりする。
そもそも弱者男性がはてなにいる可能性は低いだろうに、そこで論じても被疑者不在で魔女裁判してるという状況にしかならない。
それから、間違ってほしくないんで言うけど、フェミは弱者男性を救えると思わない方が良い。
フェミは女性の救済のために男性社会と戦う教義とか理論武装を磨いてきたんだから、それに侵された頭で弱者男性の問題を扱えばどうなることか。
弱者像がフェミの教義によって陳腐化されたり別の物へすり替えられたり存在しないことにされる。フェミ脳では弱者男性を救えない。
そして今回のように無自覚に傲慢な正義を振り回して反感を買う。
差別問題界隈にも言えることなんだけど、自分たちの教義を振りかざして精神分析まがいのことまでして対象を裁いても意味ないどころか逆効果だと思うよ。
ファンには痛快だと喜ばれるだろうが、同時に醜いリンチを見せられた多くの人の信頼を失うことになる。
それとジェンダーフリーの理想に共感してフェミを応援してきた男は可哀想だけど残念ながら騙されたいうことで、他の方法を考えるしかないね。
反論の機会のためのコール→元記事著者id:font-da 、ケアの人id:c_shiika 、処方の人id:sofa220
この記事の存在を教えたものの、自分は文章書くのが苦手だし根比べをする気もないんで、反論書かれてもよほどのことじゃない限り放置すると思ってほしい。