はてなキーワード: 校則とは
を思い出してつらくなったから、ひとしきり書き出して安らかに眠りたい。
マジで俺以外全員がスマホでLINE使ってて、俺だけがガラケーで電話メールしかできなかった。
いやもう何年前だって話だけど。
何年も前の話だ。
ガラケーが電話メールしかできないように設定?契約?されてた。
家族全員PC派で固定回線も引いてたから、わざわざケータイで電話メール以上のことをやろうとは思わなかったんだな。
もちろん俺もその1人だった。
高校も大半がスマホなんてことはなく(そもそもケータイ禁止の校則もあり)コミュニケーション上の問題が発生するなんてこともなかった。
(本当に何年前なんだろうな)
みんなスマホでLINE使ってて何ならつながってて、友人関係どころか大学生活上のあらゆる連絡をLINEでとり合ってるときた。
連絡網がつくられることは予想できてたが、俺の予想だとそれはメーリングリストか何かだった。
実際は何もかもLINEだった。
使ってみたらそれも納得の利便性があったけど、当時の俺は知る由もなく。
当時の俺のケータイの設定じゃ絶対にLINEはできなかったから、そのことをみんなに伝えて、俺には誰かがわざわざメールしてくれることになったと。
めちゃくちゃ絶望した。
俺がいなきゃLINEグループで済んだものを、そいつにはメールの手間をかけさせているわけだ。
使えることは使えるようだったが、肝心のアカウントはケータイで作成しなきゃいけなかった。
めちゃくちゃ絶望した。
しかし、そのままではLINEが使えないから、親に相談しなければならない。
説得はかなり難航した。
親がLINEを嫌っていた理由は、まさにそのLINEアカウントをケータイで作成しなきゃならない点、LINEが電話番号や連絡先(アドレス帳)を知りたがったりする点にあった。
それまでは電話メールしかやらなかったから、電話メールやり放題みたいなプランに入って、他のデータ通信のことは考えてもなかった。
けどLINEにアクセスする(通信料がかかるようなことをする)となると、そのあたりも考慮して契約を見直さなきゃいけない。
俺のために手間をかけさせている相手がいなきゃ、在学中ずっと電話メールのみだったかもしれん。
幸い、1週間くらいで親が折れてくれて、もう1週間くらいでLINEアカウントが用意できる運びとなった。
通信料がかかるからなるべくPCを使うようにと厳命されたが、構内じゃだいたい同期と一緒に行動することになったから、これといった問題はない。
けど、まったくなかったわけじゃなくて、俺は再び絶望することになる。
他にもいろいろなコミュニケーション機能がついていて、たいへん結構なことだった。
長文機能とかだったと思うんだが、結構な頻度で使われる機能がいくつかあって、それがPCにもケータイにも対応してなかったもんだから、結局、誰かに手間をかけさせ続ける日々は終わらなかったのだ。
たいへん絶望した。
一応は相談したが、さすがにスマホにさせろと強く要求するわけにもいかず、迷惑をかける大学生活は続く。
俺はなんかもうずっと心苦しかった。
いたたまれなかった。
罪悪感が半端なかった。
果ては、あまり気にしないようにしていたことまで思い出されてきて、どんどんどんどんつらくなる。
俺が入学式に出たときには、なんか、みんなすでにつながってたんだよな。
なんか入学式の前に集まる機会があったらしくて、そこで同期と知り合って、入学式の後のことについても連絡があったらしい。
入学式が終わってから、途中で教授に止められなかったら、学科で集まることも新歓があることも知らずに帰ってたと思う。
知らずに帰ったのとどっちがよかったんだろうな。
ひとしきり書き出したらすっきり眠れるかなと思ったのに、つらくなる一方だ。
悪いのはケータイなんかじゃなくて俺だって突きつけられるからかな。
ケータイは半年後とかだったかな、親がスマホにかえてくれて、同期にはやっと「今までありがとう」を言うことができた。
大学生活はてんで駄目。
同期とはうまくつき合えず、サークルは会費がかかるってんで入れず、もう何もかもつらくて、大学にも行けなくなって辞めた。
こんな年齢になってまで俺は悪くないって思ってる。
大学生なら人の話は黙って聞けると思ってたのに動物園と変わらなかったし、勉強だけする場所だと思ってたのにそういう場所でもなかったし、みんなが買ってもらえたものを俺だけ買ってもらえなかったし、みんなが見せてもらえたものを俺だけ見せてもらえなかったし、そんなだからみんなと一緒じゃなくていいなんて、みんながいいって言ってるものよりこっちのがいいって、酸っぱいぶどうが好きだって、大学までに価値観を完成させられればよかった。
中途半端な価値観じゃ中途半端に期待して、「みんなと一緒」に振り回されるんだ。
俺が悪い。
俺は悪くない。
俺は悪くない。
俺は悪くない。
実際さ
オナニーで身を持ち崩してるアホ
徹夜でオナニーして眠そうな顔で出社して「昨日徹夜でオナニーしちゃってw」とか言うクズ
校則違反だから没収したら人権侵害だとか言って乗り込んでくるウンコヘッド
と、このエントリで主張したい訳ではありません。本当に容認しているといえるかどうかは、増田を読んでから、ご自身で考えていただきたいと思っています。
どうも、「山道を制限速度でチンタラ走り続けるドライバーは運転が下手」(https://anond.hatelabo.jp/20230912211531)で炎上した増田です。先日は大変お世話になりました。山道の走り方を指南する増田(https://anond.hatelabo.jp/20230913120412)を寄稿していただくなど、大変勉強になりました。
さて、本日は校則違反にまつわる増田(https://anond.hatelabo.jp/20230916165514)が人気エントリに上がっています。炎上した増田に引き続き、ルールを守ることと破ること、そして、その程度と倫理にまつわる話題が、最近の増田では絶えません。ルールを守ることが絶対であるという意見に対し、ある程度柔軟な対応も必要だという意見がぶつかり合っています。
スピード違反に対する警察や企業、そして行政の対応について紹介することを通じ、この問題提起を行うことが、この増田の目的です。
なお、スピード違反の程度や罪の重さについて、この増田で個人的に主張するつもりはありません。私はこの増田で、スピード違反を断罪しないし、擁護もしません。警察、行政、そして自動車やオートバイメーカーの対応をこの増田で紹介しますから、それを踏まえてご自身で考えていただきたいと思います。
なお、コメントやブコメの際は、本文を最後まで、よく読んでからお願いいたします。本文が長く分かりづらい場合は、せめて最後の章だけ読んでほしいです。
スピード違反についてですが、先日炎上した増田(https://anond.hatelabo.jp/20230912211531)でさんざん炎上していたとおり、「1km/hたりともスピード違反をしてはならない」という意見が多く寄せられていました。しかし、炎上していた増田でも触れたとおり、警察は15km/h以下のスピード超過をほとんど取り締まっていません。令和4年の結果では、15〜20km/hの取締が約28万件に対し、〜15km/hの速度超過は200件以下と非常に少ない件数に収まっています。
ちなみに、2017年ごろは100件にも満たない件数でしたが、2020年に入ってから増加傾向にあります。それは、移動式オービスによるゾーン30(通学路などに指定されているような非常に狭い道路で30km/h制限)での取締が行われるようになったからです。おそらく、制限速度40km/h以上の道路では、15km/h未満の速度超過は全く行われていないと思われます。
また、全国の公道では、10km/h程度の速度超過が常態化している道路が非常に多くあります。自動車の運転を少しでもする方なら、この現状をお分かりいただけるのではないかと思います。
スピード違反の話題では、自動で規制速度にリミッターが効かないようにするべき、という意見をネットなどでたびたび目にします。
トラックの場合、大型トラックと一部の中型トラックで90km/hのスピードメーターの装着が法的に義務付けられています。しかし、乗用車やオートバイは、法的な規制はなく、メーカーの自主規制として規制が行われているのが現状です。ただし、自主規制は行政側からの要請で始まる場合が多く、メーカー独自の規制というより、行政とメーカーが一体となった規制であると言えるでしょう。
さて、その自主規制の内容ですが、普通自動車は180km/h、軽自動車は140km/hのスピードリミッターが自主規制で装着されています。現在、制限速度の最高速度は新東名などの120km/h区間なので、スピードリミッターは制限速度に対しかなり余裕がある値となっています。なお、改造によりリミッターを解除することは合法です。
一方、スピード違反につながる過剰なパワーを抑えるための規制については、23年9月現在、軽自動車以外には行われていません。しかし、過去には自動車とオートバイの両方で、自主規制による馬力制限が掛けられていました。
自動車の場合、馬力競争の激化を受け、1989年ごろから280馬力に出力を抑える規制が行われました。オートバイの場合は80年代の走り屋ブームが問題視され、排気量により細かく馬力規制が敷かれました。オートバイの3ない運動もこの頃です。
しかし、自動車は2004年ごろに、オートバイは2007年ごろに規制が撤廃され、現在は軽自動車以外に馬力規制は存在しない状況になっています。
また、オートバイに関しては1996年に、免許制度の規制緩和が行われています。大型二輪免許を教習所で取得できるようになり、取得難易度が大幅に易しくなりました。その結果、大型二輪免許の保有率が急増し、高性能な大型バイクの販売台数が大きく増加しました。
最後に、自動車メーカーや、オートバイメーカーの対応についてお話したいと思います。前述の自主規制を各メーカーは行っていますが、実際にどのような製品を作っているのか見てみましょう。
スピード違反を助長すると批判されがちなスポーツカーですが、最近はスポーツカーのラインナップが充実しています。トヨタはスポーツカーを5車種ラインナップしているほか、日産は「フェアレディZ」を、ホンダは「シビックタイプR」を新たに発表したことが記憶に新しいですね。いずれも、かつての馬力規制(280馬力)に近い、もしくはそれを越える性能を誇ります。
さらに、高出力化はスポーツカー以外の場合でも最近のトレンドになっています。
例えば、今年発表された新型のトヨタ・プリウスはのPHEVモデルの場合、最高出力は223馬力、0→100km/h加速は6.7秒です。これはスポーツカーである、先代のトヨタ・86/スバル・BRZを上回るスペックです。日産スカイラインの特別グレードである「スカイライン400R」に関しては最高出力405馬力を誇り、これはランボルギーニ・カウンタック(4.8Lモデル、377馬力)を優に越える出力です。スーパーカーでもなんでも無いオヤジセダンなのにですよ。
さらに、オートバイに関してはこういった点がさらに顕著になります。
1990年代、ヤマハ発動機は「ツイスティーロード(=峠)最速」のキャッチコピーを引っさげ150馬力のスーパースポーツバイク「YZF-R1」を発売。カワサキとスズキは市販車最高速バイクの名をほしいままにするべく、熾烈な性能争いを繰り広げました。スズキが送り出した「GSX1300R Hayabusa」のスピードメータは350km/hまで刻まれていましたが欧州で問題視され、300km/h以上出せないようにすることと、スピードメーターは300km/hまで、という自主規制が敷かれることに。ホンダも似たようなもので、「CBR900RR FireBrade」や、「CBR1100XX SuperBlackbird」など、前述のヤマハ・YZF-R1やスズキ・ハヤブサと同じようなコンセプト、性能のオートバイを販売していました。
しかし、こういった出来事はあくまで90年代で昔の出来事。企業の社会的責任が重く問われる令和の時代になり、だいぶ様相が変わりました。オートバイメーカー各社は、「高性能なスポーツバイクは、サーキットを走るために買ってね」という方針にシフトし、カタログにはサーキットを走行するイメージ写真ばかりが並びます。しかし、サーキットを走るためのオートバイにも関わらず、依然としてナンバーを取得し公道を走行できる仕様で販売されています。
私がこのエントリを書いた理由は、速度超過を容認しろ、と主張したいからではありません。スピード違反というルールを破る行為について、それを取り締まるべき警察や行政、そして社会的責任を負うべき企業が、なぜある程度ルーズな対応をしているのか。それを考えてほしいのです。
「ルールは厳しく守るべきだ」と考える人にとって、警察や行政、メーカーの対応は生ぬるいと言わざるおえないでしょう。警察は15km/h以下のスピード違反もバンバン取り締まるべきだし、自主規制のスピードリミッターは義務化して規制速度を下げるべきだし、メーカーは高出力で過激な製品を作るべきではない。そう思うのではないかと思います。
では、なぜ警察は15km/h以下の速度取締を行わないのでしょうか。自動車メーカーやオートバイメーカーは、なぜ過激な製品を作り続けるのでしょうか。そして、それに対して行政は規制をかけるどころか、なぜ規制緩和を行うのでしょうか。
なぜ、世の中ではルールを軽視するかのようなルーズな対応が取られているのか。それを考えることは、盲目的にルールを守ること以上に価値があることだと私は考えます。ルールを守ることこそが絶対の正しさだと考える方が一定数いらっしゃると思いますが、なぜ世の中は、その絶対的な正しさにまっすぐ向かっていかないのか。その理由を考えた先に、ルールと倫理の本質が見えてくるのではないでしょうか。
だからさ、元増田が言う「ちょっとした校則違反をする」って話とあなたがいう「隙あらばルールを破る」って話には大きな論理的飛躍があるの
それを「一緒の話だ!」と思い込めてしまう所にあなたの頭の残念さがあらわれているんだよ
その「能力と態度」論で繰り広げれている理屈は一応筋が通っているし論理的破綻はない
でもね
それは元増田の話と全くかみ合っていないのよ
あなたはあなたがしたい話をしているだけで、元増田の話の反論にも補足にも批評にもならない話をずっとしている
確かに「隙あらば」ルールを破る人間は問題だしそんな人間は信頼もされないし自己正当化に長けた面倒くさいやつだろうね
能力的にルールを守れない・課題を達成することが出来ないのは、能力の問題だから仕方がないことだけど、
じゃあ、守るために達成するために、どうしたら良いかを考えるのではなく、
隙あらばルールを破って良い(ドヤァ
破っていいルールと破ってはいけないルールの違いはわかる(ドヤァ
こういう態度なのが現実のB層・生きづらいちゃんくんDQNだからな
【その見本】
ちょっとした校則違反をするような子どもに育ってほしい
https://anond.hatelabo.jp/20230916165514
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230916165514
ちょっとしたルール違反は違うんだー
知的な困難のある子どもを育てる意識の高い親は下記のことを意識している
人から好かれる子どもは、自分の意見や気持ちを伝えやすくなり、自分で決める力が育まれやすくなるし、人と仲良く過ごせることで、ストレスが減り、心穏やかに過ごせる
そのため、意識の高い親は子どもの性格よりも、人から好かれるスキルを重視して教える
これは、知的な困難のある子どもの可能性と自由を広げるために重要なことだからね
でも、B層・生きづらいちゃんくんDQNの親や当人がやっているのは、真逆のことだから
能力やお金があれば、嫌われたって、信用されなくたって、ある程度はなんとかなるけれど、
そのどちらもなきゃ詰みますよね?
どんな能力を持って生まれるかも、どんな親の元に生まれるかも、100%運だから、
すべてを当人の責めに帰すのは公平ではない
だから、凶悪犯罪者や直近でそのような犯罪をしそうな状態のひとじゃなきゃ、
出来る範囲で力になりたいなとはずっとぼんやり思ってるけど (ホームレス、行き場のない子ども、就職チャレンジ)
とりあえず生活はできていて直近で家や職を失う心配のない人なら同情はしないかな