はてなキーワード: 東日本大地震とは
2000年ごろ雨後の筍のように生まれた「社会福祉学部」を持つ大学(すでに学部名から社会福祉を消した大学も多い)から脱出した教員たちの証言を集めてみました! 特定されないよう適宜改変しています。
・学園の理念に「優しい」「明るい」「素直」「従順」が入っている。
・福祉専門職に必要なものとして「思いやり」「やさしさ」を謳う。
・学生相談室の設置案に「教員が自分の仕事を押し付けるつもりか」と理事が却下。
・心理学、経営学の授業が大量にある一方、社会学系の授業がほとんどない。
・国家試験受験勉強のため、卒論が選択科目となっているおり、ほとんどの学生が書かない。
・人権、労働、差別、エスニシティ、ジェンダーなどのテーマの授業が皆無。
・専攻に関係なく、宗教家だから宗教学、教職免許を持っているから教育実習、子持ちだからから家族支援論という謎基準で事務が授業担当教員を決める。
・「経済学」と「政治学」、「心理学」と「社会学」、「日本史」と「宗教学」など、異なる分野の科目を一人の教員が教えている。
・雑誌コーナーに『世界』『思想』『現代思想』がなく、『正論』『WILL』『HANADA』がある。
・障害学生はできる限り受け入れないよう画策。
・エレベーターは車椅子1台分のスペースしかなく介助者が入れない。
・2000年代には研究禁止の御達しがなされていたため、開学の際にいた研究志向の教員が他出、残ったのは病人か「けんきゅうってなに?食べられる?」という人ばかり。
・研究してる人には散々辞められているからか、募集停止校からヘッド(?)ハンティングしてくる。
・研究や本に対して敵対心を示す人が多い(例えば、授業公開に行ったら、教員が「著作権料で食ってる人」というのをdisっていたのを聞いた、とか)
・理事が「公募では人物がわからないので絶対しない」と宣言している割に、直接、大学に履歴書を送りつけて採用された人が多数いる。
・入試問題の現代国語を併設高の教員に外注しているらしいのだが、常に昭和の文章。
・卒業式で理事が「ジェンダーフリーが家族を滅ぼす」とか「人間にはそれぞれ分というものがある」とかネトウヨっぽい言葉を熱弁。
・式典では日の丸君が代はもちろんのこと、日の丸に敬礼させられる。
・東日本大地震は地震兵器論者、中国脅威論、Qアノン信者など、教員に陰謀論が蔓延。
・北欧は高齢者の安楽死をしているから「寝たきり老人」がいないと講義で解説する教員がいる。
・家業で保育士を雇っていることから保育士の給料が高すぎると言及する教員がいる。
・事務の女性が若く、皆美人(併設短大で卒業時に声をかけ採用している)。
・卒業パーティで男性理事たちが女子学生を膝の上に座らせている。
・有志で実施した教職員対象のハラスメント実態調査が握りつぶされた。
・朝礼がある。
・オプキャンや入試で土曜の時間外手当をつけないために週休1日制。
・部活担当で年間労働時間推定4000時間越えの教員(!)がいる。
・部活顧問柄全国大会へのバスの運転まで全部やらされており椎間板ヘルニアを発症した。
・引っ張ってきた部活顧問(授業担当なしで教授)が体罰を多用し、退学、休学が相次ぐ。
「福祉の時代だ!」と言われて福祉マインドもないのに儲かるからと学部を作って、梯子を外されたんだな。
(追記)ちなみに私(旧帝大卒博士号持ち)の場合、就任当時は真面目で伸び代がある学生に恵まれており、そこには不服はなかったことは付け加えておく。
私はSNS依存症でした。
東日本大地震で実家がある地域が大変になって情報集めたり発信したりしながら使ってきたが、私は人間関係を作るのが下手くそである。いつもトラブルを起こしてしまう。まぁ現実でもそう…うつ病になってから感情がコントロール出来なくて薬飲んでても、失礼なこと言ったり女性ユーザー口説いたり、喧嘩したり…
そんなこんなでここにきてうつ病再悪化。2年前に死にたいと思うことが増えて主治医に相談して一か月入院した。今のその状態に近い。
6月に遺書書いて思い出の地を周り首吊りするためにロープまで買ってさてこれからと言う時に捜索願いが出ていたため警察に捕まり自宅へ帰される。
地元の知人にも6月末に数名と食事した他はほぼ会わず、週に2回行ってるお手伝い先と自宅、昼食を買いにコンビニに行くぐらいかな?
まぁ話はそれたけどまたやらかしました。女性フォロワーさんに口説いて写真交換して薬が効いてる夜中に下ネタ下品の言葉を送り、そしたらそのフォロワーさんの息子も頭おかしい(多分同じ部類の精神系のヤバいやつだと思われて)人でそこから俺の個人アカウントに嫌がらせの日々で私のフォロワーさんにも絡んで嫌がらせをしたのでもうこっちも限界感じてアカウント削除した。
ばいばいTwitter。
コロちゃん、こんだけやってたった500万人しか死んでないのか
いやそりゃ、500万人ってすげえ多いぞ!と言われたらそうっちゃそうなんだが、しかし、人類って70億とかいるもんなあ
70億円持ってたら、500万の出費はやや痛いくらいで済むもんな
世界が変わったとか言われてんのに、数で言うと1%も死んでないわけじゃん
ゲームやってて、ボス敵のHPを1%減らす前に負けたら、それはもうメチャクチャな絶望感じゃん
到底殺せねえな、ってなるじゃん
いまの人類、それなんだよな
隕石落ちてもなんやかんやで2000万人死亡とかで済んでそうな感じある
俺はもっとこう、40億くらい死んでほしいんだよな
まあ、できたら、この雰囲気だと40億くらい死ぬぞ!ってことには気づいてから死にたくはあるけど……
東日本大地震ですら3万人も死んでないんだもんな
まあ、俺の親戚は死んだけどな
しかし、親戚死ぬならせめて70万人くらい死んで欲しかったんだよな
ハデにいこうぜ、ハデに…
この映画は2016年……つまり5年前に放映されて爆発的ヒットを記録した。もちろん、当時の私も観に行った。
面白かった。
昔観ていたゴジラの記憶がチラついたが、「災害(ゴジラ) vs 日本人」というわかりやすい構図は、東日本大地震を乗り越えた日本人にとって心に響くことも多かっただろう。
だが、面白くなかった。
映像や内容自体は何も変わらない。変わったことはただ一つ……いまがコロナ禍だということだ。
コロナウイルスの流行によって世界が一変したことは当然のことながら、皆さんもご存知であろう。
その「コロナ世界」の私にとっては、シンゴジラは全く面白くなかったのである。
劇中では、少し頭が固いけど責任は取れる政治家たちと、有能で頭脳明晰な官僚たちが頑張りまくってゴジラを退治する。
そしてゴジラによって破壊された街を前にして「日本人は何度だって復興してきたんだ」的なことを言って終わる。
保身と欲望に塗れた後手後手の対応、全く追いつかない旧式のシステム、税金に群がるシロアリたち、不透明な意思決定プロセス、「雰囲気」で全てを決める無能な政治、硬直的で汚職に塗れた無能な官僚たち。
これが私たちが実際に目の当たりにした「災害に対応する日本人」の姿である。
この現実を見てしまえば、劇中で一致団結して災害(ゴジラ)に立ち向かう姿が滑稽に見えてしまう。
いちいちシーンごとに「いや、この官僚は左遷させられるんだろうな」「いやこの作戦は中抜きされてうまくいかないんだろうな」とか思ってしまう。
東日本大地震で考えを改めて、ローカルのバックアップも一応取りつつ、ArqでAmazon Glacierに生ファイル上げて、Google Photos無料枠にもバックアップしてる。
北海道なんて冬の寒さが厳しい土地を何故選択するのか。と関東から北海道に越していった知人に問い掛けたい。
彼ら、彼女らは原発事故で住み慣れた土地が侵された時、易々と故郷を捨てた。放射能汚染からも逃れ、子供の為と言って不要な人間関係を断ち、北へ赴いた。だから、正直わざわざ北へ行き被災した人達の事など知ったこっちゃない。日本は狭い国だ。どこに居ようといずれ震災にはまみえる。そういう時引っ越すのも逃げるのも手段の一つだと心得ている。
ただし、そういう自己都合で移動した人達が住みやすさを求めて環境を思いのままに変化させるのは間違っている。北ではなく西にも、沖縄にも暮らしやすい環境は有ったはずだ。北海道は資源に恵まれた大事な土地だ。それは理解している。小樽は素晴らしい所だったし、何十年後もあの観光地が栄えていて欲しいと願っている。
しかし、だからこそ再稼働は絶対に許せない。住み慣れた故郷の公園は、放射能汚染で今も汚染度が看板に表示されている。震災直後は最も物々しく、黄色いロープが張られていた。今だって北海道民は身に染みて感じている事だろう。震災は海外からの観光客をも途絶えさせてしまう。そんな時原発事故がもし起こっていたらどうなるか。日本の安全性は失墜し、海外からも大きく批難される。今まで寂れた村として紹介されていた限界集落に益々人が訪れなくなる。二日間停電が起きていたとしても、それで死者が出たとしても、津波による被害の比ではない。我々は、東日本大地震を通じて学んだはずだ。原発は今の日本には荷が勝ちすぎる。国民の大半はその機構をよく知らないまま恩恵に預かっていた。リスクを考慮しないまま、安全神話にもたれかかって居た。誰に何を言われようが、北海道の未来を奪って欲しくない。
都内某SIer(とは名ばかりの人材派遣業)を退職しました。見る人が見れば特定できるかもしれないけど、↓のような会社。多少フェイクもあるし、答え言う気もないから特定されても良いや。ちなみに職種はバックオフィス。
■会社が酷い点
・リーマンショックで貸し剥がしと受注減に合い、借金が返せなくなって銀行にリスケ(返済条件の見直し)。その承認が下りるまで借金返済を優先したため最大2ヶ月半の給与遅配。運転資金確保しておくか、多少なりとも社長から貸付しろよ。
・その結果、ボーナスは1万円を現金で社長が社員に手渡す。しかも社員から社長に支給してもらってありがとう、と半強制的に言わせる。これで求人情報を「ボーナス支給 有り」とする酷さ。
・9時〜18時勤務を9時〜17時勤務に変更して、一方的に基本給を12.5%カット。なお17時〜18時は休憩時間となり、居ても居なくても給与は発生しない。あと翌年、祝日が出勤日に変わった。カットされた基本給はなぜかそのまま。
・最近話題のみなし残業制度。もちろん超過分は未支給(というか、プロジェクト原価管理システムが二重帳簿になっており、対外的には超過していないことになっている)。
・リスケ以降は、銀行の格付引き下げによる一括返済を求められることを恐れ、ほぼ恒常的に数千万円単位の粉飾決算を行う。過去に経理が疑問を感じてコンプラに調査を依頼したら、コンプラから社長に情報が上がり、経理社員はその日のうちに懲戒解雇になった(不当解雇が認められて賠償金払う羽目になった)。
■社長が酷い点
・当初の役員報酬は月給800万。リスケの条件として銀行に指摘されてしぶしぶ月300万まで減らすも、実は役員報酬以外に月200万はP/Lの社員給与に紛れ込ませて支払い済み。年収証明出せって言われたらバレるだろ(税金とか社会保障どうなってるんだろう?)。
・交際費の締め付けを図ると宣言したものの、自身は変わらず毎月100万近く飲み歩く。そのくせ、営業担当役員が顧客(大手企業の現場部長級)との接待をセッティングすると理由をつけて逃げる。聞いた話だと、社長就任前の接待で顧客を怒らせたことがあるらしい。
・よく分からんNPO(お局さんに聞いたら社長の妻が関与しているっぽい。少なくとも理事に1人名字が同じ人がいた)に毎月50万払ってる。また最近、社長の息子が新卒で入社した。主任待遇で月給35万。彼もある意味犠牲者か。
・11時に出勤して15時に帰っている。ちなみに昼食は2時間弱。仕事ができる社長なら労働時間に文句を言う気は無いが、周りの士気を落とすのは止めて欲しい。それでいて残業している社員を働きすぎだと茶化す(人が辞めて少人数で売上立てるため、120%の稼働が目標なんですが…)。
・役員の親が亡くなった時に参列した通夜の精進落としの場で泥酔。数日経って、香典の出金伝票(さすがに領収書を請求するほど馬鹿では無かったらしい)と馬鹿高いタクシー代(役員の親は千葉、社長は横浜在住)が回ってきた時は、本気で全社員にメールを流してやろうと思ったけど上司に諌められた。
・泥酔ネタまだあったわ。東日本大地震の時、帰れない社員を集めた上で、バックオフィスの社員に酒を買って来させて宴会開始。その後、次々と電車が動き帰る社員を「危ないから!」と無理矢理引き止めるも、自分は22時頃にバックオフィスの社員に探させた近くのホテルの空きが見つかると「じゃあ俺は行くわ」と早々にそちらに移動(聞いた話だと元請けの大手企業が、都内に100室単位で抑えている1室を無理言って回してもらったらしい)。震災明けには、社員を置いて帰るなんて管理職としての意識に欠けているとお説教&役職手当の減俸(寄付するんだとさ)。
・頑張っている現場を報いたいと言って年度末で納品近いのに飲みに誘い、散々自慢話と相手の話を否定しまくった上で、精算時に堂々と領収書を請求した精神的貧しさ。忙しい中、1円でも利益を出すために頑張ってくれている&部下にら動員かけてくれた現場の課長に土下座したかった。
・社員が過労死した際に遺族からの報復をビビったのか、弁護士とボディガードを同伴させて通夜と葬儀に参加(弁護士事務所から、顧問契約以外のオプション費用の請求が回ってきて気がついた)。これでも最初は行きたく無いと散々ゴネていた。
・会議では人格攻撃や批判しかしない。他者を批判することで自分の格が上がると思っている。
・結局、能力と人格の無い2代目のボンボン。親から会社を引き継ぐも、貯金も無いのかまだ株は創業者である親のもの。今まで稼いだ額面10億の金、どこに消えんだろ。
書いていたら、またイライラしてきたわ。ネタじゃ無いんですよ。ホントに。このボンボン、もうすぐ50ぐらいだけど会社潰れた上で、粉飾で刑事罰とか喰らわないかな。残りの人生惨めに歩んで欲しいわ。
先代からの番頭してた役員も役員で、もう出世できないためチマチマとした横領とか業者からのキックバックで小遣い稼いでるし(やけに多額な勘定科目があるんだよなぁ。数百人の会社だと保険料とかバックオフィス管轄の予算だけでもそこそこ大きな金額だし)、ずっと社長の下にいた人事は権威を傘に来て、現場の社員に対してパワハラまがいのことしてるし(これがあるからバックオフィスは現場から嫌われているんだと思う)。
ちなみにこれだけ放蕩経営でも、日本有数企業の一次請けで、20億ぐらい売上てるんだぜ。まぁ、リーマンショック前は40億近くあったけど。昔は派遣と請負五分五分だったけど、人が辞めて技術力落ちたことを見抜かれたせいか、今じゃ派遣(準委任含む)が8割近いし。そんな中でも、日々長時間労働してくれてる現場社員に申し訳が立たないよ。
だって、あそこの社員は東日本大地震の時、本社はおろか支社の許可も上司の許可も取らずに、社用車でボランティアを始めたくらいだ。
自分もサラリーマンだが、ペーペーの自分が自分判断で行政と話をつけ、会社の財産を勝手に使ってボランティアを始めるなんて、極限状況とはいえ出来ない。
会社側が全面的に現場を信頼し、社員を信頼してることの、社員一人一人が社会のためを思って仕事をしてることのあらわれだと思う。
あんな社員たちだと、仕事が終わらなかったら、36協定にかかるから残業しないなんて選択肢はないだろう。
訴えられたわけではなく、会社側から未払いを調査するというこの事態、私には美談に聞こえる。
お客様は神様、そんなことをいう会社は数多くあれ、ヤマト運輸にとってのお客様はちょっと変わってる。
お金を払ってくれる依頼主はもちろん、荷物を受け取る人のためを思ってくれる。
それを、ヤマト運輸は誇りに思ってる。
だから、ほとんど空のトラックだろうと、深夜だろうと、コスト度外視で走らせてた。
あの頃よくあったいろんな会社の値上げぶんを寄付ではなく、運賃は1円も上げずに、身を削って寄付した。
142億円、もう一度言うけど、142億円。
熊本地震にも3億円。
どんなに値上げしても、私はヤマトを使いたい。
値上げ、してもいいよ。
人を増員して、トラックを増やして。
めでたく、先月末で25歳になりまして、今日も曇天の空のもとcoffeeを飲みながら、みなさんの他愛ないお話に耳を傾けております。
男
私立大学文学部中退(就活決まらない、ストレスで卒論手に付かない、資金難のため留年不可)
容姿は悪くないけど良くもない 顔貌は整ってて適当に筋肉がついてお腹も出てないし髪もフサフサ(就活時は10円ハゲが二箇所できてたけど治った)
いわゆる転勤族の家系であり、学生時代に何度か転校した。6年に進級する際にも引越しして以来交友関係は冷淡になったと思う。転校先ではたいていすぐ仲良くなれるけど、本音ベースで付き合ってきた自信はない。
中学一年でいじめデビュー。 とはいうものの、陰口や嘲笑の類で暴力やモノ隠しなど、報道されるほど深刻ではない。十分我慢できる範囲だったと思っていたが抜毛症になり、これも嘲笑の的になる。このあたりで教師が感づき、「いじめ」とはっきり口にして以来すべてが収まった。決定的だったのはクラス替えだとは思うが。とはいえ良い教師でした。離任式を経て他の学校行っちゃったけど。
高校受験は失敗。地方住まいなので公立が強い。ろくに勉強しなかったので当然だけど(たぶん10時間もしてないと思う) そんな背景もあるけど、翌年には他学区の受験生が不当に不合格にされているという報道が受験先の高校を筆頭に問題となった。中学の成績は評定、内申点共に優秀だったようで、不合格は担任も残念そうだった。 ちなみに私がその受験校で、実際どうだったかは問い質していない。親は不満そうだったが。 ちなみに私立で一番評判のいい附属高等に進学。
高校でコミケデビュー。しかし、人ごみが苦手なので二回で引退。部活動に打ち込む。勉強との両立ができずに成績が落ち込み、やむなくエスカレーターに頼る。とはいうが、ハードルを下げればMARCH入れるよというレベルではあったので、たんに背伸びしすぎたのかもしれない。少しめんどくさい話になるが、エスカレーター先はMARCHより偏差値は低い。要はMARCHを狙える成績だったが、ホームページや実際に足を運んで見て、面白そうだとは思えなかったので、これならランク下げてもこっちのがよさそうだ、とエスカレーターを頼った次第。ここの選択は正しかったと今でも思っている。
大学デビュー。友達の毛色がこれまでと違い、ぼっち気味になる。が、似たような変態はいたもので、そういう変態とは最終学年までよくつるんでいた。教員にも恵まれ、心からおもしろいと思えることがいろいろあった。が、遅刻気味になり成績は凡。遅刻を気にしない授業では一番の評価は多かった。
そんなこんなで就活を迎えたわけだが、実際面接に進めたのは10社程度だった。私の頃にはもうテストセンターがあり、その成績は特に対策しなくても使いまわせる程度に良い点数だったと思う。そんなわけで面接にはほぼ確実に進めたのだが、どうもやはり態度がよろしくないというか性格がひねくれているというか鼻につくというか、まあ何かしらあって面接はてんでダメだった。それ以降は先述の通り。
大学を中退してからは一年ほどニートだった。少し頭を冷やせと親が面倒見てくれた。中退して今更何を頭を冷やすのか。ちょうど一年に差し掛かろうかというあたりで東日本大地震が直撃。無傷。それ以降は仕送りで貯めた額でとりあえず半年ほど生きて、バイトを始め、それからまた半年ほど経って慣れてきたのが今。
ない。あるわけないだろう。
バイトの分際で仕事はなかなかできるらしく上司からの評価もまずまずらしい(評価は面談で見せられる)。もしかしたら正社員になれるかもしれないが、周りのバイトのおっさんたちを見ると厳しそう。「バイトから社員になる動きが強くなっている」とはいうが、それは「私が正社員になれる」ことを何も保証しないし、「他人を蹴落として椅子が開くのを待たないとムリ」と別な上司からも言われている。バイトしながら就活をするにせよ、ここあたりの選択はかなり響きそうだ。
何が恐ろしいって、バイト一つで親に依存せず生活できているということだ。しかし切り詰めている。本来なら、普通に生活してなお将来のために貯金できていなければならない。今年から減免とはいえ奨学金の返済を始めようと思う(昨年は猶予)。これが加わるともう貯金なんてできない。じゃあもうひとつ掛け持ちしようか?日雇い短時間アルバイトをはさみながらならば、他のスケジュールを圧迫しないだろう。まあ、どんな生活しても無様な死に方しかしないだろう。親より先に死にさえしそうだ。