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2024-01-08

オオワライタケさんは食べられる?毒性は?危険性は?調べてみました

ハローきのこ増田だよ!久しぶりだね!みんな元気にしてたかな?

いま話題オオワライタケさんについて、増田なりに調べてみました!

オオワライタケとは

ヒメノガステル科チャツムタケ属(Gymnopilus)のキノコです!と言われてもなんのこっちゃって感じですね。

増田的には、散歩しているとめちゃくちゃよく見る(朽木とか、朽ちた木のベンチとか切り株とかでよく見ます公園かに普通にある)割には、分類がよくわかっていない(未記載種がいろいろある)マニアックグループという印象です。

大概は苦くて食用に適さないとされているのでスルーしてますが、中でもオオワライタケは湿気さえあれば冬以外は年中生えてるし、デカくて立派に株立するので栄えます。嘘かまこと幻覚物質を含むとされていたり、名前キャッチーなので、Gymnopilus界のアイドル存在ですね。

https://www.hokto-kinoko.co.jp/kinokolabo/album/41991/

国内においては、同グループ内で明確に毒成分が明らかになったものはないと認識してますが、wikipediaによれば、世界中でおおよそ200種以上が記載されている内14種類でマジックマッシュルーム同様の幻覚成分(Psilocybin)を含むことがわかっているらしいです。

https://en.wikipedia.org/wiki/Gymnopilus

話題のまとめでも言及されていましたが、そもそも「お前のオオワライタケ、本当にそれオオワライタケか?」状態でして。少し解説すると、海外の標本をもとにこれまでオオワライタケとされていた種類が、実は日本存在しないきのこである可能性が高く、それとよく似た種類が少なくとも5種類は存在すると。まあ、業界的にはあるあるなわけですが。この辺りの事情については詳しい方が分かりやすくまとめていらっしゃるので以下を参照してください。

https://kinokobito.com/archives/8643

というわけで増田的には、よくわからないし不味いし毒ありそうだし食べることはないかなーという感じです。ちなみに増田過去にGymnopilusの一種エノキタケ勘違いして佃煮にして食ったことがありますが、美味しくも特別不味くもなくあまり印象に残っておりません。いやあ食欲って恐ろしい。

オオワライタケの毒性

いろいろ調べてみましたがわかりませんでした!

毒成分は判明していないものの、どうやら毒性はあるらしいとの報告が各所であがっておりまして、この辺りはネットでは詳しい症例までは出てこないので、増田秘蔵のきのこ文庫からかいつまんで引用します。(参照元:毒きのこ今昔 中毒症例を中心にして -思文閣出版

昭和32年9月16日新潟県の1家族5人がきのこを夕食に摂食摂食約5分後に、長男が発病。視力色覚異常発症し、全てが赤く見えた。障子の骨、その他直立するもの全て動き、蛇のようなものが多数上昇するように見えた。また女子は耳に異様な音楽を聞き胸騒ぎがした。夫は意識不明となり、精神の異常興奮を認めたが、笑い興ずる様子はなく医師注射により回復

その他図鑑によれば、

食後5〜10分で、ふるえ、寒気、めまいなどの表情が出る。多量に食べると、幻覚幻聴とともなう精神の異常興奮、狂騒状態になる。

とあったりします。怖いですね。

とはいえ、よく見るきのこの割にはオオワライタケとされるきのこと断定できる症例自体がごくごく少数で、記述も断片的なところから、あまり毒性は強く、少なくとも致命的なものでは無いんじゃないかと思ったりもします。こんなことを書くといろんな人から怒られそうですが。

実態として、めちゃくちゃ見かけるし立派でいかにも食えそうな体をしている上、一部地域では食用とされてきた(※後述)割には、症例が極めて少ないことがその証左ではなかろうかと。

食べられるの?

無論、推奨はされません。ただ、多くの図鑑などに記載されている通り、一部地域では食べられてきた歴史があるようです。『新潟県キノコ 松田一郎著 -新潟日報事業者』(絶版)によれば、

食用法としては、苦味が強いので、一度茹でて黄色の汁を捨て、塩漬けにするか流水で2〜3回さらすと良い。肉はしまって美味である

増田きのこ仲間にもオオワライタケとされるきのこを食ったという変人がおり、曰く「苦味は感じるが、流水にさらせば食えないということは無い。すこぶる歯切れがよく、旨味も感じた。」とのことです。

どうか参考にしないでください。

それでも食べたい方へ

様々な批判を拝見しましたが、自分は「食いたい者は勝手に食えばいい。願わくば正しい知識と手順をふまえ、詳細に記録をつけてほしい。」というスタンスです。注目浴びたさにたいして知識もなく安易食レポを公にすることについては批判されて然るべきと感じますが、それでもなお食ってみたいという人の興味を止めることはできないんじゃないかなあと。

正しい知識があれば公にしていいのかというと、それも正直分かりません。線引きが難しいですね。オオワライタケよりはるか危険性が高いとされるベニテングタケ食レポyoutubeにたくさんあがっていますが、増田は楽しく視聴しています。もし仮にそういったコンテンツの影響で、医療機関にお世話になる人が増えたら迷惑かかるだろという意見もありますが、個人的には新たな事例が蓄積されて検証が進むのなら、喜んで健康保険料を払いたいという気持ちです。さすがにカエンタケ食いたいとかいう人が現れたら止めると思いますが。

ぶっちゃけオオワライタケ程度でたいしたことにはならないだろうし、それを食レポしたいバカもいるだろうし、特に止めません。それが批判されるのも当然だし、よくわからないきのこを食べることに関してはやめた方がいいんじゃない?とも思うけど、毒きのこ危険だしよくわからいか絶対に食べないようにしましょう!とか安易に毒きのこを食べる検証を公開するのはやめましょう!と正論一辺倒なのもどうかなあと思ってモヤっとしたのが執筆モチベーションになっていたりもします。増田自身ほとんどチャレンジしませんが、界隈には積極的に自らの肉体で人体実験を企む変人もそれなりにいます

最後

本稿にはオオワライタケとされるキノコやその他毒キノコを食べて検証することを推奨する意図はありません。あたりまえですね。

安易に見知らぬキノコを食うなよ!絶対だぞ!!きのこ増田お兄さんとの約束だぞ🍄

2022-06-20

着古した羽織を着ている豊国をみて、家康は「物持ちが良いと言っても限度がある」と窘めたところ、「これは足利義晴様にいただいたいものでございます」と答えた。これを聞いた家康は「豊国は古い恩義に背かない律義者だ」と賞した。

ある時、「粗忽者と言うのは朽木卜斎(牧斎)殿のようなお方の事を言うのでしょうな」と徳川家康に語ると、家康は「なるほど、卜斎が粗忽であるというのは皆が知ることであるが、御身(豊国)の粗忽さは卜斎以上であると私は思う」と答えた。周囲の者がこれを訝しむと、家康は「卜斎は粗忽であるが、先祖伝来の朽木谷を今でも保っている。それに比べては御身はどうか。昔から山名家といえば六十余州の内の十一州を治めた大族で、六分の一殿と称えられた家である。それが今では所領を全く失い、こうして寄寓の身となっている。これはまさしく天下の粗忽と言えるもので、これを超える粗忽は無いと思う」と語った。これに対して豊国はさして恥じ入った様子もなく「全く仰る通りです。私も六分の一殿とまでの贅沢は言いませんから、せめて百分の一殿ぐらいには呼ばれたいものです」と答え、これには流石の家康も苦笑するしかなかったという。

天正年間に、徳川家康とともに斯波義銀津川三松)の屋敷訪問した際、豊国の義銀への応対があまりにも慇懃過ぎるほどであったらしく、後に家康より「義銀は管領の家の生まれと言えども足利分家に過ぎない。お前(豊国)は新田家嫡流にして、そう遠くない昔までは数ヶ国を治める太守であったではないか。何故、足利分家に(新田のお前が)そのように卑屈になるのだ」と苦言を呈されている。家康新田氏の分家自称していた。

関ヶ原の戦いの後、豊国はかつて自らを追放した武田高信の遺児・助信を捜し出して召抱え、200石を与えた。以後、助信の子孫は代々山名氏に仕えた。

征夷大将軍就任した家康に謁見した際、室町幕府10代将軍・足利義稙から山名当主に贈られた羽織を着用して賞された。

有職故実和歌連歌・茶湯・将棋などの文化教養面に精通していた。室町時代名族山名氏一門の生き残りとして、戦国時代から豊臣時代を巧みに生き残り自らの子孫を江戸幕府上級旗本として存続させた。

2022-06-16

きのこマニアが「なめこ」の起源について解説するよ

やあ(´・ω・`)

きのこ増田だよ。

日頃ホッテントリ入りしたきのこ関連の記事を、気まぐれで解説しているよ。

なめこ」の起源 “60年前に福島県採取の野生の菌に由来”

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220615/k10013672561000.html

今回はみんな大好き「なめこ」の起源について解説するよ。

起源の誤解を解くよ

ブコメで散々指摘されているとおり、あくま日本栽培されているなめこの99%は、

引用:60年前に福島県喜多方市採取された野生のなめこの菌に由来する

ってことだよ。無論、日本中でごく普通にみられる野生のナメコ起源が全て福島県産というわけではないよ。記事にもしっかり

引用野生の菌では遺伝的な多様性がみられた一方、菌床栽培の菌は1つの系統に分類され、それぞれが遺伝的に極めて近い関係だと明らかになった

と書いてあるよ。まあ、見出し誤読を誘っている感は否定できないけど。

じゃあ結局野生のナメコ起源はどこなの?って疑問が当然生まれると思う。

結論から言うと、実はよくわかっていないんだ。というのもナメコに限らず、菌類全般ほぼ化石に残らないので、どの種類がどの時代に分かれたのかって細かいとこまで、今のところ把握のしょうが無いというのが実情なんだ。

ソースとなる論文を読むよ

ニュースソースとなった論文の冒頭から引用するよ。

どんな自然科学記事にも言えることだけど、せっかく論文が公開されているのにソースリンクがないのは不親切だよね。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/mycosci/63/3/63_MYC570/_html/-char/en

DeepLの力を借りるよ

なめこは、特に日本で人気の高い食用きのこの一つである。本種は白色腐朽菌の一種で、ヒマラヤ中国から日本までの東アジアの冷温帯落葉樹林の枯木や朽木に生育する。記録によると、ナメコ1921年東北地方で初めて人工的に原木栽培され、伝統的にこのきのこを食してきたという。近代的なナメコのおがくず栽培は、食用きのこのおがくず栽培パイオニアである森本彦三郎によって1930年確立された。その後、1960年代から1970年代にかけて木製トレー栽培が開発され、日本における選抜菌株の商業生産が拡大した。1980年代以降は、空調を伴うオガクズ栽培で通年生産可能となり、日本での生産量の99.7%を占める主流となった。その後、1970年代半ばに中国遼寧省南部ナメコ栽培が導入された。それ以来、中国はその最大の生産国となった。最終的に、2012年には中国が70万トン以上、日本が2万トン以上のなめこ生産し、現在アジア各地、北米ヨーロッパへの栽培の広がりを引き起こしている。

もともと日本しか栽培されてこなかったのに、今となってはほとんどが中国産なんだね。

そのため、食用きのこ栽培歴史は、作物植物家畜に比べて比較的浅いことが報告されている。例えば、最も古くから栽培されているきのこの一つである椎茸栽培は、約800年前に中国で行われたようであるしかし、ナメコ栽培は約100年前から行われている。1929年山形県採取された野生子実体から初めてナメコ家畜化株が分離されたが、戦後の混乱期に消失したとする説が唱えられている。ナメコ家畜過程に関する記録はほとんどない。しかし、現在オガクズ栽培に用いられている株は、1962年10月16日福島県山都町市で採集された単一の野生株F27に由来すると考えられる。したがって、市販ナメコの大部分はこの厳しいボトルネック現象に由来すると推定され、その結果、遺伝変異が非常に少なくなっている。栽培種と野生系統遺伝多様性比較は行われていない。したがって、家畜化された種の遺伝資源を利用し、さら品種改良を進めるためには、その進化史を正しく理解することが必要である。そのためには、家畜自然集団遺伝多様性集団構造に関する知識必要である

断片的な資料口伝などでF27という株が起源ということは推測されていたものの、きちんと裏付けがなかったみたい。今後品種改良を進めて継続利用していくためには、そもそも今出回っている株がどこに由来しているのか、また多様性はどうなっているのかを調べることが大切なんだね。

研究により、日本産オガクズ栽培株は自家繁殖または家族内交配に由来していることが示された。これらの結果は、日本のオガクズ栽培生産される商業ナメコ単一祖先の子であるとする単一祖先仮説と一致する。したがって、日本商業ナメコ単一家畜事象に由来するため、遺伝多様性が著しく低いと結論づけられる。

日本全国から収集されたナメコ野生株の中程度の遺伝多様性レベルは、他の木材腐朽菌の野生株と同等かそれ以下であると報告されてきた。また、他のきのこ栽培はいずれも複数家畜起源を持つことが研究で示されており、ナメコ自然集団は、おがくず栽培有効な菌株を開発するための新たな遺伝資源となり得ることを提案する。

中国におけるナメコ生産は、日本からの始祖株F27の子孫が一部寄与しているものの、少なくとも一部の中国品種は異なる家畜過程を経たことが示唆された。日本以外での栽培履歴を明らかにするためには、中国における栽培ナメコの全体的な遺伝多様性に関するさらなる調査必要である

他の栽培きのこには複数起源があるのに、菌床栽培なめこ単一から遺伝多様性が極めて低いという評価なんだ。栽培の持続可能性や新たな品種を生み出すためには、野生株や世界中栽培されている株の追加調査必要なんだね。

なめこ栽培歴史

現在国産なめこ種菌を牛耳っている種菌メーカー大手キノックス」のサイトに詳しいよ。

http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/hakase/ha-nameko_04.html

品種改良以前に、そもそも種菌の性能維持にもすごく神経を使っているんだね。

http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/hakase/ha-nameko_05.html

きのこの分類にはまだまだ謎が多いよ。しいたけなめこ級のメージャーきのこですらコロコロ変わってる。

http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/mame/mame02-3.html

その後、引用した論文にもあるとおり、Pholiota microspora (Berk.) Sacc. (synonym P. nameko)というシノニムにnamekoという文字が残ったよ。

菌床栽培原木栽培について

なんだかんだでwikipediaがそれなりに情報量も多くてまとまっているよ。

菌床栽培 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8C%E5%BA%8A%E6%A0%BD%E5%9F%B9

原木栽培 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%9C%A8%E6%A0%BD%E5%9F%B9

もしあなたなめこ栽培たかったら、すでに植菌済みのブロック菌床(なめこ栽培キット的なやつ)を買うと1週間くらいはニョキニョキ生えるなめこを楽しめるよ。

原木栽培も、適当雑木と、種駒(今の時期ならホームセンターにたいてい置いてある)と、ジメジメしたちょっとした林があれば簡単にできるよ。

http://www.kinokkusu.co.jp/saibai/sa-g-name.html

自分過去に短木栽培、長木栽培いずれもチャレンジしたことがあるけど、シイタケよりもずっと簡単で収量も確実だよ。長木なら、駒打って日陰に埋めるか腐葉土たっぷりのジメジメした完全日陰に転がしとけばいいよ。シイタケでよく使われるナラクヌギみたいな硬い木よりも、ブナ、シデ、サクラみたいな柔らかい木の方が菌の周りが早くて確実なんじゃないかなあ。

まだまだいろいろ書きたかったけど、夜も遅いしこの辺でやめておくよ。

またどこかで会えたらよろしくね。

追記だよ

ここまで読んでくれた聡明あなたもしかして「なんか物足りねーな」って思ったかな?

実はそうなんだ。業界的にはたぶん、正直そこまでニュースバリューのある話ではないんだよね。

というのも、おそらくごくごく一部の人たちの中では知られていたであろう「新しい品種作りたいけど、クローンみたいなのしかなくて掛け合わせできねー」「正確な記録は残ってないけど、たぶん全部F27が起源なんじゃねーの」ってことの遺伝的な裏付けが取れたってだけだからね。無論、優良株を持続生産するために必要研究が一歩前進したってニュース自体は大変喜ばしいけども。

きのこニュースになるのは嬉しいけれど、見出しにつられて勘違いした人が大量発生するのは嬉しくないし、だから私たちのようなきのこ好きが発信する必要があると思うのね。

当たり前だけど、今流通しているなめこ遺伝的に同じ(中国産については一部国産とは異なる可能性あり)と言ってもいいし、(福島を下げる意図は無いのだけど)特別福島県産のなめこが美味しいなんてことはないので、安心してなめこライフを楽しむと良いよ。

ちなみに、いまだに福島県産のきのこ放射性物質残留しているんじゃないか、なんてことを心配する人がごくごく少数いるけれど、菌床栽培物については全国どこでも似たような産地の原料使っているので変わりないよ。

一方で原木しいたけやホダ木の生産は、まだまだ一部の市町村で出荷制限がなされていたりするんだ。

https://www.rinya.maff.go.jp/j/tokuyou/kinoko/qa/seigenfukusima.html

特にホダ木については事故以前に一大産地だった福島県産ホダ木がほとんど壊滅して、他県に流れてしまったという悲しい事態が起こってしまった。ホダ木の栽培は、20年サイクルくらいで林を皆伐しながら管理するので、一度生産を止めてしまうと再開するには膨大なコストがかかってしまうんだ。福島県のホダ木生産者の方の気持ちを思うと本当にやるせない。

2021-06-06

ティ

中野区中央は狭い敷地に同じような家が同じように建ち、みっしりと並んだ区画が続く。歩いているうちに自分がどこへ向かっているのかわからなくなる。東京住宅地はそんなものだといえばそうだが、中央と名乗るからには、もうすこし街らしい華やかさがあってもよさそうなものではないか? 中野区中央は、その種のにぎわいとは無縁な場所だった。

べつに好き好んで中央まで歩いて来たわけではない。職場の寺元さんがこの1週間ほど出勤せず、連絡もとれない。社長に渡された住所のメモ住宅地図のコピーを頼りに寺元さんの居所を探し、様子を探るよう、依頼を受けて来た。他に社員は私しかいなかったからそうなったわけだ。

ファート商会という会社私たち職場だった。本社中野にあり、放屁の気体用保存容器を製造販売している。このシリンダー状の容器に放屁を閉じこめておくと、どれほど時間が経っても、栓を開けさえすれば、気体が肛門を通って出てきた瞬間のフレッシュ臭気を嗅ぐことができる。このような器具にどれほどの需要があるものかと、最初私は半信半疑だった。が、細々と着実に注文が入り、会社は今まで生き延びてきた。

中野では誰もがその日を生き延びるのに精一杯だった。いちど中野駅で電車が止まれば、もう中野を出て行くことはできなかったからだ。

もう何年も前の話だ。夕方、私は仕事を終えて秋葉原から総武線に乗り、荻窪アパートへ帰ろうとしていた。電車中野で停まり、ドアが開いた。もともと中野での停車時間は不自然に長かった。新たに乗り込んでくる人はおらず、車内に放置された乗客は、列車が再び動き出すまで忍耐強く黙っているのが常だった。だがその日の停車時間は長すぎた。15分を過ぎた頃から、いらいらと外の様子をうかがったり、ホームへ降りたりする乗客が出はじめた。それでも列車は動く気配がなかった。30分が経過した頃、当駅で列車運行を終了する旨のアナウンスが流れ、乗客は全員が外に出された。それ以来、私たち中野暮らしている。

中野は孤絶している。東京の他の区からも、日本の他の地域から隔離されたままだ。新宿よりも西に向かう列車選択的にブロックするよう、政府からJR東日本命令があったとかいう噂だ。感染症拡散を防ぎ、テレワークの普及を急ぐためらしかった。通勤を控えるようにこれまでさんざん忠告したのだから都心通勤した輩はもう帰宅させなくてもよろしいというわけだ。だが噂は噂で、なぜ中野以西への鉄道運行が突然終了したのか、本当のことを知る人はいない。少なくとも中野はいないと思う。

中野で足止めされたら、人生中野でやり直すしかなかった(生き続けていくのであれば)。テレワークをしていなかった乗客は一瞬で路頭に迷った。中野で住みかを見つけ、仕事を見つけ、生活の糧を得ていくしかなかった。

練馬杉並新宿中野境界には有刺鉄線を張ったバリケードが設置され、高いコンクリート壁の建設が始まっていた。20小銃を抱えた警備隊が昼も夜もバリケードの前を行き来していた。こうした措置に抗議したり、やけを起こしたりして境界突入する人はときどきいたが、その場で「管理」され、戻ってくることはなかった。「管理」されたくなければ、望んで降りたわけでもない中野で生きていく他はなかった。

ファート商会は、中野へ流れ着いた人間で始めた会社だった。偶然に同じ場所居合わせた三人、空き家になっていた蔦だらけの木造家屋を見つけて寝泊まりしていた三人だった。私たちは手持ちの金を出し合って米を炊き、駅前広場で獲った鳩を焼いて共同生活を送った。放屁を保存するシリンダー型容器というアイディアを出したのは、社長の鬼澤さんだった。本人の話では、食品品質検査に使う精密機器会社に勤めていたそうで、その方面知識豊富だった。最初中国から大量に取り寄せたシリンダー小箱に詰め替えて転売していた(中野から移動はできなかったが郵便物は届いた)。仕入元と取引を重ねるうちに、小ロットでも自社ロゴマーク入りの製品を作ってもらえるようになった。

その頃には空き家相続人を名乗る人物から弁護士経由で文書が届いて、私たちは追い出された(急激な人口増加のため中野地価は上がったらしい)。駅近くの雑居ビルたまたま空きがあったのでそこに移り、事務所で共同生活をしながら放屁の保存容器を日本中に送り続けた。事務所とは名ばかりで、中国から届いた段ボール箱が積み重なる室内には洗濯物が下がり、夕食の豚肉を焼くにおいが漂っていた。

三人がそれぞれに部屋を借りて事務所から引越したのは、それからさら一年ほど経ってからだ。そうするだけの資金がようやくできた、そろそろ仕事プライベートを分けたい、当面は中野から出られる見込みがなさそうだ、といった思惑や妥協が交差した結果、私たちはそろって職住同一から職住近接の体制へ移行したのだった。

鬼澤さんに渡された地図コピーを見ても、寺元さんの住みかはさっぱりわからない。どの角を曲がっても同じような家並みばかりで、ときおり家の塀に貼ってある番地表示板だけが現在地を知る手がかりだった。ひと昔前までは、スマートフォン地図アプリを見れば迷わずにいろいろなところへ行けた。中野に閉じこめられてから、その類のアプリはなぜかいっさい起動しなくなった。だから中野住宅地図は貴重品になっていた。

何度も同じ所を行ったり来たりして、ようやく見つけた寺元さんの居宅は、路地の奥にあった。旗竿地というのか、家と家の間を通って行くと不意に現れる隙間がある。そこへはまりこむようにして古アパートが建っていた。鉄柵にかかるプラ板に、かすれた文字で「シャトーひまわり」と書いてある。柵のペンキはささくれ立った指の皮のように、いたるところから剥けて、露出した地金から赤錆が吹き出していた。一階の通路には落ち葉が吹き溜まり、繰り返し人が通った箇所では砕けて粉になっていた。各戸の前に置かれた洗濯機のカバーは、もとは水色だったらしいが、雨と埃をかぶり続けて黒くなっていた。

103号室には表札も呼び鈴もついていない。寺元さんの居所はここらしいが、本当にそうであることを示す手がかりはない。ドアをノックしたら全く無関係他人が出てきて、警戒心に満ちた視線を向けてくるかもしれない。そういう可能性を考えると、ドアをコツコツとやる力が自然に弱々しくなる。返事はない。中に人の気配があるのかどうかも分からない。洗濯機の上にはすりガラスの小窓がついているが、その奥で人影が動く様子もない。小声で名前を呼びながら再びノックしてもやはり返事はなかった。

寺元さんは出かけているのだろうか。あるいは先週あたりに部屋の中で倒れて誰にも気づかれず……不意にそんな想念にとりつかれたが、辺りは埃っぽい臭いがするだけだ。やはり出かけているのだろう。

その場を離れようとして歩き始めた瞬間、背後で音がした。振り返ると、寺元さんがドアの隙間から半分だけ身を乗り出し、こちらを見ていた。禿げ上がった丸顔はいつもより青白く、無精ひげの生えた頬がこけて見えた。「田村さん、なんで……ああ、そうか……まあ、ここじゃなんなので、どうぞ……」

「散らかってるけど」

といいながら寺元さんは私を部屋に招き入れたが、中は私の部屋よりもきれいに片づいていた。ローテーブルの上にはA4サイズポスターみたいなものが散らばっていた。猫の写真の下に黄色い枠が印刷してあり、「さがしています」という文字が見えた。

「先週から急にいなくなっちゃってね、ずっと探してたんだけど……」

猫を飼いはじめたと寺元さんが言ったのは半年ぐらい前だったかランチの時に写真を見せてきたのを覚えている。たしか、ニティンとかい名前だった。額の毛が富士山のような形に、白と黒に分かれている猫だ。

「この近所では、見つからない感じ?」

毎日そこらじゅうの路地に入って見て、電柱ポスターも貼ったんだけどね。今のところ手がかりはなくて……」

寺元さんは俯いたままTVリモコンをいじくり回していた。目の下にできた隈が濃かった。

中野では孤独死が増えているらしい。突然にそれまでの生活人間関係から切り離され、中野に閉じこめられた人々が、生き残りをかけてあがき続け、一息ついたあとに待っていたものは、容赦のない孤絶だったというわけだ。

職場への連絡も忘れ、一週間にわたって捜索を続けていた寺元さんと猫との個人的な結びつきは、どれほどのものだったのだろう。そして突然に去られたと知ったときの衝撃は……いや、仕事を忘れていたのではなくて、猫を探すために休むと言えなかったから、連絡できなかったのかもしれない。猫の存在が、どれほど寺元さんの柔らかいところに入り込んでいたか、誰にも知られたくなかったから、中野ではそれなりに気心が知れているはずの私たちにも、失踪事件とそれがもたらした内面緊急事態について、口を閉ざしていたのではないだろうか……

「鬼澤さんには、寺元さんが体調崩して寝込んでたとか言っておくので、ニティンの捜索、続けてください」

「気遣わせちゃって、ごめん。僕の方からも、後で連絡入れておこうと思うから……」

寺元さんはアルミサッシを静かに開け、冷蔵庫から麦茶を出した。梅雨時の空気で蒸し暑くなり始めた部屋にかすかな風が入ってきた。窓の外に見えるのは隣家の壁ばかりで、申し訳程度についたコンクリート製のバルコニーの下には、古い落ち葉が厚く積もっていた。その隙間に何か、木の根か、古い革製品のような、黒に近い焦げ茶色のものが突き出ている。表面には緑の苔か黴のようなものが吹いて、時折、びくり、びくりと脈動しているように見える。

「寺元さん、そこに、何かいるみたいなんだけど」

「ああ、それ、引っ越してきたときからずっとそこにあって……え、動いてる?」

その「何か」の動きはしだいに大きくなり、周辺の落ち葉がめくれて露出した土には蚯蚓や百足が這っていた。そこに埋まっていた朽木のようなものは、地表面に見えていた一部分よりもはるかに大きかった。それは蛹のように蠕動しながら室内へどたりと入ってきた。麦茶のグラスが倒れ、中身がフローリングの上に広がった。

その「何か」は動き続けるうちに表皮が剥がれて、琥珀色をしたカブトムシの蛹的なものが姿を現した。痙攣的な動きはしだいにゆっくりと、動物らしい所作が読みとれるようなものになってきた。やがて内側から被膜が裂け、現れたのは肌だった。真白なその表面へしだいに赤みが差してきた。寝袋のように床へ残された被膜から、人型をしたものが起きあがる。

それは姉だった。間違いなく姉だった。17歳の夏の夕方高校の帰り道、自転車ごと、農道のどこかで消えた姉。警察が公開捜査に踏み切り、全国の交番写真が貼り出されても、けっして戻ってくることのなかった姉。落ち着いたピンク色のフレンチスリーブワンピースを着て、薔薇色の頬に薄い唇と切れ長の眼が微笑み、当時の面影はそのままに、だが記憶の中の姉よりもはるか大人びた姉が私を見ていた。

「背、伸びたじゃん」

といいながら姉が私の腕に触れた瞬間、思わず涙がこぼれた。

「そうか、田村さんのお姉さんだったのか。だからずっとそこに……」

寺元さんは何か遠く、眩しいものを見るような目で、姉と私を見ていた。

「ニティンくん、きっと戻ってきますよ」

姉は寺元さんに微笑みかけながらも決然と言った。寺元さんは照れくささと寂しさの入り交じったような顔で笑った。が、不意に真顔に戻った。

「待って。聞こえる……ニティン、ニティン!」

というが早いか、寺元さんは部屋から駆けだしていった。

かすかに、猫の鳴き声のような音が聞こえる。涼しい夕方空気が窓から入ってくる。

「もうすぐディオニュソスお祭りだね」

どこか遠いところを見ながら姉が言う。

「もうそんな季節か」

中野ディオニューシアまつりは毎年初夏に行われる。今年もたくさんの供物を捧げた行列が、狂乱状態の男女が、鍋屋横町を練り歩くのだろう。中野で過ごす何度目の夏になるだろう。いつの間にか、夏の風物詩を繰り返す季節の一部として、中野で受け入れつつある私がいた。

2020-09-02

anond:20200902164439

げんしけんブサメンモテる

げんしけん、言うほどブサメンモテたか

男連中の中で最下層の久我山朽木は結局そういうイベントが無いまま終わってたが……

2018-01-26

柔道教室なのにマウントを取られる話

小学生の息子を小さな柔道教室に通わせています

小学生の子供たちが十人くらいいて、先生が教えてくれているのですが、僕自身柔道経験がありません。

柔道漫画は好きで読んでいますが、朽木倒し、諸手刈り、カニばさみなどは禁止技に指定されているので、逆に今はどんな技が使用可能かもよく知らない程度です。

先生は、たぶん僕より十歳くらい上の40代半ばでしょうが、胸板厚く、いかにも柔道をやってきたというような風貌をしています

からまあ、全然、僕より強いし、柔道なら話にもならないわけです。

ところが、この先生は僕にマウントを取りに来るのです。

原因として、僕が総合格闘技経験者というのがあり、アマチュアはい試合に出ていたことが先生の「俺のほうが強いんだ脳」を刺激してしまうのだろうとおもいます

しかし、全然強くはなかったし、十年は運動から遠ざかっています故障も多くていろいろメスも入れています

からまあ、主観的にも客観的にも先生の方が強いわけです。

寝技練習の時などに、先生が教え子と少し崩れた寝技状態で止め、どうすれば脱出できるかを問うことがあります

寝技パズルのような面もあるので、それは非常にいいと思うのですが、突然「お父さんならどう逃げますか」と僕に振ってくることがあります

正直、ルールによって違うだろうと。

僕もグラップラーだったとはいえ、レスリング系の、早く言えばタックルで転がし、嫌がらせグラウンドパンチを織り交ぜながらマウントチョークを狙うのがスタイルだったので、柔道でできることはほとんど何もしらない。

ので、愛想笑いごまかすわけだけど、一回くらい、的外れなことを言ったほうが聞かれなくなるのだろうか。

2017-10-08

げんしけん朽木っていたじゃん?

あれこそイキリオタクのものだな

2016-09-14

日本に有利なルール改正

あるスポーツ日本人活躍すると、ルール日本人に不利になるように改正されることがよくあるという話を聞いた

水泳鈴木大地活躍し、バサロのできる距離が短くなった

スキージャンプの板の長さが、背の低い日本人は短くなってしまった、など

スキー板についてはこんな記事もあった

http://www.ismac.co.jp/archives/kiji/2002/msn020123.html

ただ、たとえば柔道では両手刈りや朽木倒しなどいきなり足を取りに行くのを反則とした

そういうプレーをしていたのは主に外国人選手で、このルール改正日本人選手には基本的には良い方向へ向いている

このように日本人にとって有利にルールが変わったこともいくらでもあると思う

日本人に有利になるように変えたかたまたま有利になったかは置いといて)

にかほかにそういうルール改正があれば知りたいです

2016-04-15

LIGブログ終焉

LIGブログマジで終わってる。オウンドメディアの先駆けだったのに。LIGブログだけ終わるのか、オウンドメディアブームが終わるのか。

http://liginc.co.jp/262307

Webメディアの中ではある程度知名度と実績があるさえりさんの退職

 Twitterフォロワーが多いことでも有名。

http://liginc.co.jp/256666

LIGおもしろっぽいコンテンツ(スベってるけど)を作っていた3人がまとめて退職

 しかYahoo!ネタりかに。

まあこれは最近出来事だけど、だいたい去年の夏編集長だった朽木が辞めたところから始まってるらしい。


http://liginc.co.jp/213017

ちょい前にHagexさんとか出してはてなに媚売ってたけど、このスライドの中に朽木に対して言及してるやつがある。

LIGは完全に無視。あからますぎるだろ。

この件なんだけど、それまで自由にやってたか面白かったLIGブログ利益出す形に変えようとして相当揉めたらしい。

毎日pvとかアフィのクリック数でめちゃくちゃ詰められたとか。金儲けしたいもんな。

まあ社長のやつは中卒だし、パワハラしまくりで社内は社長ビビって面白いことなんて考えられない状況らしい。そりゃ面白い人は辞めていく。

http://liginc.co.jp/262432

で、その中卒ともう一人が2人で社長だったのに4月からは中卒1人になったと。

その中卒がLIGほとんどの株式所有してるから誰も何も言えないんだって

LIGブログに関して言えば、編集長だった朽木が実質全部の記事チェックしてたからある程度クオリティも高かったらしくて、辞めた途端ひどい有様。

その後のLIGブログでバズった記事なんて、世界一即戦力菊池記事かさえりさんの記事しか知らないし。結局いまWebメディアバズる記事ってライターの知名度だけでしょ? 

あとTwitterフォロワー数か。

社長挨拶Twitterでバズってたけど今見てみたらクッソつまんねえのに変わってて笑った。

http://liginc.co.jp/company/message

どんだけ自己顕示欲強いんだよこの中卒。

まじで残ったやつカスしか居ないでしょ。

LIGブログ終わったんだなあって思うと悲しいわ。

2013-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20130429032026

誰かが前に指摘してたけど、「げんしけん」のメンバーたちはバイトしてる様子もないのに(バイトしてるのはオタクじゃない春日部さんだけ)仕送り一人暮らししながらオタグッズを買い漁っていて、皆裕福な家の子息じゃないかって言われてた。久我山君なんか車まで持ってたし。

それなのに就職では皆苦労してて(苦労してないのは朽木君だけ)不思議な感じだった。起業した春日部さんと銀行コネ内定朽木くん以外は、皆決して高給とは思えないような仕事してるし。漫画家デビューしたオギーですら駆け出しで、金銭的に余裕があるとは思えないし。

 
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