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はてなキーワード: 本質的とは

2024-05-06

いただき女子りりちゃんの話、ホスト大金貢いで癒やされていた人が、同じように大金要求して癒やしを与えていたって構造に見える

そうなるとホスト本質的差異があまり一見感じられないというのをちょっと思ってしま

まあ実際は法的な意味での詐欺性のあれこれで完全に同一視するとよくないんだろうけど

方向性としての類似性は正直に言えば覚えてしまうというか、なんというか

逆になんか自分ホストにエグい搾取されているのに、愚直にある程度の金銭しか求めずに朝から晩までソープで働く、みたいなののがある種良心的に過ぎないかと感じる

実際はみんないただき女子なんだよって言われたほうが個人的には信じられる

anond:20240506022639

AI著作権理解できないから。

いまだにこれ

特定クリエイター作品である著作物のみを学習データとしてファインチューニングを行う場合、当該作品群が、当該クリエイター作風共通して有している場合については、これにとどまらず、表現レベルにおいても、当該作品群には、これに共通する表現上の本質的特徴があると評価できる場合もあると考えられることに配意すべきである

を「狙い打ちLoRAは著作権侵害の可能性があるって見解がでた」と思ってるからな。

前後も含めて読めば「狙い打ちLoRAを使うと本質的特徴の模倣になる生成物ができることもあるよ」って言ってるだけなんだが

誤読して「狙い打ちLoRAを使ってたくさん生成すると本質的特徴の模倣扱いになるんだ」って思ってる。

独身中年男性レジャー

あの増田ブクマ風俗ってかかないんだな、やっぱ本音はてブででも書かないんだな・・・みたいなコメント結構あったけど、実際のところ風俗独身男性レジャーとして恒常化してるひとってどのくらいおるんやろ。

まずさ、基本的に高すぎるじゃん。比較メジャー中年男性向けのものの中でも高いゴルフとかでもあんなしないし、打ちっぱなしとかみたいなコースに出られない時のあなうめ的なものあるけど風俗って基本そういうのないじゃん。

趣味として楽しむ要素みたいなのもあるんかね?ようわからんが。嬢との会話テクニックみたいなのを磨くとか?プレイの技を向上するとか?

あとまあ本質的な話として勃たねえんだよ中年は。俺以外の中年男性ってそんなビンビンバキバキなん?ほんまなあ・・・

2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 2/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193038

大学2回生の頃~

学生時代は、健康づくりのために、鹿渓館(学生棟)という建物の地下2階にある【トレーニングルーム】に通っていた。授業が終わった後に、週に三度くらいかな。

ここでは、体育会部活支配(?)が圧倒的だった。柔道とか空手とか陸上とかラグビーとかウェイトリフティングはもちろん、数多くの部活トレーニングルーム使用していた。めちゃ狭かった思い出がある。

自分のように体育会でない者は、ひたすらにベンチプレスの順番を待つしかなかった。でも、なかなか空かないんだよな。ベンチプレス。あとは、体育会利用者が優先という空気があったし、実際そっちの方があるべき姿だと思っていた。

ただ、自分の番が周ってきて、ベンチ台でバーベルとか持ち上げたりするじゃん。その時にさ、ガーーーンッ!! という大きい音がするのだ。見れば、隣のスペースでアップライト気味に胸~頭上にバーベルを上げていた柔道部の人が、バーベルを放り投げるようにして床に落とすのだ。

あれは、マジでびびったわ。重さが50kg以上もある物体を放り上げるだけの筋力が俺にもあれば、驚かずに済んだのかもしれない。

結局、夕方以降にトレーニングルームを使うのはやめて、早朝にトレーニングする派に転向したんだっけ。朝だったらベンチプレスも、腹筋台も、エアロバイクも、大型鏡の前も空いている。

確か、カブトムシその他の甲虫類が、クヌギコナラの樹液を深夜に吸うのって、スズメバチ回避してるんだよな。日中スズメバチとやり合うと甲虫側がボロ負けするので、彼らは仕方がなく時間帯を変えて樹液を吸うのだ。俺もその仲間だった。正体は甲虫である

ただやはり、体育会の人たちはバックグラウンドが違うこともあって、正直無理なことがあった。特に野球部柔道部といった上意下達イメージがある部活は、当時の自分からするとヤベーことばかりしていた。

3.柔道部とそれ以外の部活の人

 夕方以降にキャンパスから下宿に帰ろうとする時、北側キャンパス中庭付近で、体育会の人たちがバイオレンスなことをしていた。例えば、誰かのTシャツの胸あたりを両手で掴んで、ブンブン振り回していた。後は、後輩にエレベータートイレの前のタイル貼りのところで、床オナをさせていた。あれは振りだったと信じたい。通りすがりの人は普通にスルーしていた。

 基本的に、体育会人達はやりたい放題だった。2024年現在と比べれば、あの頃の世界は「実績があれば何でもよかろう」の世界だった。実際、彼らはある程度の実績を出している。

 例えば、先ほどの鹿渓館の中にある部室棟について、2階とか3階の日当たり良好なスペースは体育会が占めていた。部室の出入口は中がいつでも見えるように、目線の高さの0.5㎡ほどがガラス張りになっているのだが、彼らはそれすら張り紙で覆い隠していた。たまに、男性女性の怒声や、うめき声や、金切り声が聞こえていた。一体、中で何が行われていたのだろうか……。

 ちなみに、【文化系部活】は地下1~2階に生息していた。ジメジメとした暗い空間である。そこで毎日部活動をしていた。最新の大学キャンパスを見る限りは、おそらく今でも其処に彼ら彼女らは生きているのだろう。



まあ、でもこの頃って、だいたい20才くらいだったからだろうか。なんでも楽しかった記憶がある。

大学の構内だと、学食でごく稀にだけど、同じゼミの人と一緒にご飯を食べることがあった。京都山間部にフィールドワークに行く関係で、事前に同じチームで親睦を深めるのだ。半強制イベントだったけど、ああい体験って、あの時分じゃないとできない。

大学近くでも、例えば喫茶店がふたつあったんだけど、社会福祉カフェの方に割と行っていた記憶がある。お値段が安いからだけじゃなくて、なんか、どんな人でも受け入れるというか。そういう感覚がよかった。

教授が言うには、昔は大学に接している市道の上に、お昼時にたくさんの屋台が出店していたらしい。むかし、食中毒みたいな事件があってからは締め出しにあったみたいだけど、人生で一度は観てみたかったな。

大学の構外だと、ちょっと北の方にはおいしいラーメン屋とか、南の方にはカフェとか、中華料理のお店とか、いろいろあったな。文芸サークルの皆でよく利用していた。



4.野球部の人たち

 今はどうか知らないが、大学の授業の出席確認に際しては、出席カードを提出する形式だった。時代の先を行っている大学だと、学生証をピッとやれば出席したことになるらしい。

 どうでもいいけど、今って授業は15回中10回以上出ないと単位をもらえないらしい。厳しいんだな。あと、年間に取得できる上限単位は42らしい。ちょっとなすぎるよ。俺の時だと、大学3回生の前期終了時点で最低110単位は取っていたはずだ。

 さて、あれは大教室での授業の時だったか。秋だったと思う。佛大の若き学生がこの日記を見ている可能性はほぼゼロかと思うが、5号館の101という大きい教室(余談だが同志社講義室に似てる)で、中国明朝歴史の授業中だった。当時の日記によると、倭寇とか康熙帝とか足利義満とか、そのあたりの絡みがある回だったとある。もちろん全く覚えていない。

 授業が始まると、出席カードが前の席から回ってくるのかな~と思いきや、一番前の人が一番後ろの席まで配り切る形式だった。自分が出席カードを受け取ると、すぐ後ろには野球部と思しき人達がいた。彼らは、「すんません、出席カード追加で5枚くれる?」と発言していた。

 出席カードを配ってる人が「すいませんね~」と言って去ろうとすると、「おいお前、待てやコラ!!」と野球部人達が彼に絡み始めた。出席カードを配ってる彼も引かず、収まる気配がなかった。

 これはいかん、と思って俺は、「ちょっとちょっと~」と騒いでいた。やがて中年ほどの先生がやってきて、彼らをひと睨みすると、何事もなかったように騒ぎは収まった。

後輩に「当たり屋やれ」 佛教大野部員、無期停学に

(以下は個人ブログURL長大のため短縮化)

https://x.gd/2hdl3

 上記ニュースは私が入学する前の出来事だが、大学体育会というのは、どこもこんな感じだろうと思う。佛大野球部も、京滋リーグという枠ではほぼ無敵だった。その線でいくと、日本大学もそういう感じだったのだろう。結果だけは出していた。

 結果を出しているうちはいいのだが、佛教大学だって、やりすぎるといずれは日本大学福山大学のように、不祥事(大麻とか)>実績となってしまい、とんでもない結末を迎える。

教職員に対する懲戒処分について(令和6年2月13日

https://www.bukkyo-u.ac.jp/news/info/20240213-26933.html

 上記のように、今でも事件はあるといえばあるが、こういうのはいいよ。間違った人材(臨時雇いの研究者)を雇ってしまったんだろう。大学はいわば騙されてしまったわけだ。次から気を付ければいい。

 ただ、卒業生の一人としては、学生という本質的存在についてはキッチリ管理して、自分のように不愉快な思いをする学生を無くしてほしいと感じている。

不満ばかりを書いてる気がする。

大学生活、楽しいことはいっぱいあった。例えば部活がそうだ。文芸部とか文芸サークルである

文章を書くのが好きだった。それこそ子どもの時分から中学でも高校でも、そういう系の部活がよかったけど、運に恵まれなかった。大学生になって、ようやく文字作品創造する喜びを得ることができた。

あとは、学園祭だ。その名も鷹稜祭(おうりょうさい)というイベントなのだが、年に一度の楽しみだった。一度だけ実行委員になったことがある。みんなで何かひとつのものを作る、といったら大げさだけど、最初は何をしたらいいか全くわからない……という段階から、次第にステップを踏んでいって、尻上がりにイベントづくりが面白くなっていく。

最初の一歩を踏み出すのが早ければ早いほど、ドンドンと楽しくハイになっていって、最終日を迎える頃には、自らがイベントと一体になっている。自分仕事ひとつになっていく感覚

こういう感覚は、仕事はもちろん、趣味活動だってある。精神的な意味で、自分とナニカが溶け合ってひとつになっている感覚である。そのナニカは、人によって違う。パートナーや仲間だったり、参加してる社会のものだったり、取り組んでいる事柄だったり、特定空間だったりもする。

ひとつ、少なくともひとつ大学に進学してよかったと思えるのは――これまでの人生で一番、没頭できるものを見つけられたことだ。これだけで大学に進んでよかったって、そう思える。

あとは、アニメがそうだな。それまでのアニメって、安っぽい作画が多かった。特に子ども向けアニメはそうだ。ポケモンはまだいいけど、デジモンとかはひどいものだった。この頃から、なぜかはわからないが綺麗な作画が増えていった。

どのアニメかは忘れたけど、女の子ドンパチやる系の朝のアニメで、必殺技ダンスバンクがあったのだ。サンバを踊ってたんだけど、最後に「ウー!マンボ」ってやるんだよな。「サンバなのかマンボなのかどっちなんだよwwwwww」と、当時は大笑いした記憶がある。

え、そんなもの面白いのかって? 当時はまだ20代前半である。箸が転んでも面白い年頃なのだ

https://anond.hatelabo.jp/20240502193040

私は、夜型の人をほとんど知らない。かなり少ないと思います私自身はまったくの朝型です。夜明けとともに起きます

皆さんも文章で身を立てていこうと思うのでしたら、朝型でやってください。

人間は昼行性の動物ですから、夜より昼の方が頭がよく回転するに決まってるんですよ。

夜型の人というのは、それまでの自分生活習慣を引きずっている。

深夜のテレビ番組ばかり見て育ったとか、夜遊びしてきたとか、そういう生活習慣があるから夜に頭が冴えるだけであって、本質的にはやっぱり昼間です。

2024-05-01

増田ブクマカマルハラをバカにする側

だけど、マルハラに怯えるのと同レベルの「文章が堅い」という印象だけで「批判的な印象の増田」を過剰に叩いたりする。

マルハラ」ってわかりやす名前解説がつくと、最初から自分も駄目さがわかってたように錯覚するような、そういう阿Qなだけ。

本質的に同じこと」を類推して避けるほどの抽象理解力批判的思考力はない。

2024-04-27

anond:20240427085427

女の人生っていかにして男から金を搾り取るか、やからなぁ。

結婚だって本質的には男の金で人生を生きるためやし。

りりちゃん非合法なやり方でやってただけで本質的にはそこらの女も同じことやってるわけやからりりちゃん擁護したくなるんやろなぁ。

2024-04-26

anond:20240426083938

でも王道ファンタジーの型って勇者が仲間を集めながら旅して魔王しますっていうだけで本質的には桃太郎と大差ないし、いくら若くても知らないってことはなかなかないんじゃね?

anond:20240426172224

少子化問題本質は「子育てという無償労働拠出不足」だから

本来なら国民の(ほぼ)全員に子育て労働拠出させなければならないという話なので、

他の誰かの労働代替させるということは本質的に意味がない。

子育てロボットが実現したら子供の頭数の問題になるが、それにはまだ200年くらい遠いだろう。

2024-04-25

スタグフレーション

物価インフレしても給料も上がっていけば問題ない(貯金が目減りするから問題なのだけど)みたいな論調を聞くけど、

いくら内需経済活性化させようったって、

日本なんてエネルギー資源、食料ほとんど全部輸入してるんだから

円安でその値段がつり上がってるんだから給料が上がるわけ無いんだよなあ。

日本って3次産業がメインでしょ?

介護とか医療とかサービス業とか、いくら働いても外貨を稼げなくちゃ意味ないじゃん!

ヒキニートいくら頑張って推しアイドルのためにネット空間で戦いを繰り広げたところで、一円も稼げないのと同じように。

日本グローバル企業排出して貿易バンバン稼いでたのなんて過去の話で、

パイほとんど中韓台に取られちゃってるんだから

円安なんてなんのメリットもないと思うけどなあ。

本質的問題は、

世界がどんどん成長していくのに、日本けが取り残されていること。

今までは1日1ドル以下で生活していたような人たちが豊かになって、

バンバン先進国並みにエネルギーを使うようになってる。

資源は有限だから、モノの値段がどんどん上がっていて、

成長していない日本相対的にどんどん貧しくなっている。

から構造的にスタグフレーションはずっと続くと思う。

賃金据え置きで物価けが上がってく。

2024-04-24

科学政治一般市民は関わらないほうがいい

前例のない措置として、権威ある科学出版物サイエンティフィック・アメリカンは、ドナルド・トランプ大統領に対する痛烈な攻撃を開始し、次期米国選挙での対抗馬である民主党ジョー・バイデン候補を支持した。

科学政治である科学本質的政府資金調達状況と社会問題問題によって形作られている。

これは科学がどのように組織され、資金提供されているかに影響を与えるためには、科学者および科学コミュニケーターとして、政治の分野で行動しなければならないことを意味する。

サイエンティフィック・アメリカン編集者が明確に述べているように、世界危機について実際に知識がある人々が、その知識(または「集合知」)を公の場で、大声で、名前を出して発言し、代表することが過剰に重要視されている。

トランプ政権下では、科学は単に無視されているわけではない。特に気候変動やコロナウイルスパンデミックなどの問題に関して、独自意見を持っている。

過去には政治を掘り下げて特定の狭い範囲を超えてコメントする科学者は、その信頼性を傷つけおそらくは非倫理的行為をしていると示唆されてきた。

しかパンデミック気候変動の問題については、科学者が政治的に過激意見を持つようになってきた。

2017年ネイチャー誌は、「気候変動とゲノム編集をめぐる議論は、研究者が自らの快適ゾーンを超えて市民と関わる必要性を示している」と政治的な意見を主張した。

2012年初めネイチャー民主党大統領候補バラク・オバマを明確に支持した。

科学者たちは謙虚さを忘れ、助成金目当てに政治活動をするだけの集団格下げされたようだ。

個人主義社会女性差別

自分で稼いで自衛して生きていく難易度どう考えても女性の方が高いのに男女平等にして自己責任にされたら女性が生きづらいの当たり前じゃん

個人主義社会自由は素晴らしいけどベーシックインカム導入して働かない自由も選べないんだったら本質的女性差別なんだわ

anond:20240424004337

フランスのように真に男女平等社会では話は違ってくるだろう。

いか価値観が変わってオレがモテそうなときじゃないぜ?

その時代基準で「男らしくない」とされる男性が、モテるような日が、もし来たら。

フェミニズムが浸透しつつある日本だが、まだまだ女性社会進出は十分とは言えない。

私的感触ではポジションだけ先行して、価値観アップデートが追いついていない感じだ。

本質的男性女性の脳は変わらない、モザイクのように男性女性脳が個人の中に入り混じってる。

女性らしい活躍とか性格を期待するんじゃあ無く、性別を削ぎ落としたプレーン相手として

対等なヒトとして扱われるようになったとき、男らしくない男性モテるようになるかも知れない。

2024-04-22

歴史的な収蔵物の保存と、若者文化の発展はバーターだということを忘れてはいけない

収蔵物が博物館キャパティを超えて保存され、その扱いに困っているという新聞社Web記事を見ていて、改めてそう思った。

昔、「正しい日本語」という概念流行り、それが何なのかという議論が多数交わされたが、それらは結局のところ、世代対立に過ぎなかった。

そして、この収蔵物もそうなのだと思う。

若者でない世代が、自分たち大事だと感じる資料を、「歴史的」というあたか価値のありそうな形容詞で装飾して、

キャパティ無視してでも、それに親しむものよりは若者だろう管理者に、たくさん押しつけようとした結果に見える。

どちらかいえば老人世代に近い自分だが、個人的には、キャパティを超えた分はすっぱりと処分すべきに思う。

若者もきっと、歴史的呼称した老人世代の未練に興味はないのだ。私たち世代のもの私たち世代で諦めるしかない。

そもそも、収蔵物の保存にはコストがかかるので、若者文化の発展はその分遅れてしまうし、

歴史的事物の保存という行為自体も、若者文化の発展には抑圧的に働くので、収蔵物の保存というのは若者たちに本質的に好まれない。

そして、誰も明言しないが、歴史的資料は「古いものは尊ぶべきだ」という価値観を無言で内包している。

歴史的資料は「文化『財』」という名称で、あたか自然財産然としているが、その実は若者にとってコストというか、若者文化を発露する際の重荷でしかない。

そして、歴史的資料は「歴史」という教科となって、あたかも覚えるべき知識であるかのように振る舞い、若者キャパティまで削ってしまう。

個人的には、若者認知未来に向かって注がれるべきと思われ、合理的でも道徳的でもない偶然の連なりである歴史」などに充てられるべきではないように感じる。

そもそもなんで、偶然でしかない、未来に決して通用することもない老人たちの教訓を、若者たちに記憶させないといけないのか。

そういった保守的歴史のがんじがらめが、地元流れる人間関係の重さと相まって、若者たちを都心部に押し出す格好になっている気がする。

すると文化財は、その費用からもその思想からも、若者たちを都市部に押し出すのを助けてしまっているとさえ思えてしまう。

掘れば遺跡が出てしまい、その保存で開発が全く進まない「文化財」だらけの地方自治体に、どんな若者が残り続けたいと思うのか。

思春期の子供が両親に反抗するように、若者たちはきっと、古い文化象徴である歴史的資料など捨てたい、

その保存コストを、古い文化の代わりに自分たち享受したいと思っているはずなのだ

まりは、歴史的資料は非明示的ながら、そしておそらく無意図的ながら、古い者たちの権力となってしまっていると思うのだ。

から一部の人たちにとっては無意識的に、歴史的資料コストをかけてでも博物館占有していないといけないのだろう。

でも、歴史的資料をとるか、若者主体文化としていくかは択一であり、どちらが本当に重要かってことを、今一度考えてほしいと、この老いぼれはひそかに思う。

偉い学者が、日本人口回復のためには、面倒みるべき親を早く捨てろと言ったらしく、それは耳が痛いことでもあるが、

同様に、若者文化の隆盛のためには、キャパティを越えてまでも保存され続ける「歴史」は捨てるべきではないのかと、

老いたる人々には若者未来のために考えてほしいと思う。若者迷惑をかけないでおきたく思う。

anond:20240422102755

順番が逆で

人は皆、生まれながらに生きづらい

もちろん個人差はある、それぞれの環境適応できれば「そんなに生きづらくない」という人もいるだろう

しか本質的に一個人にとってこの世はままならない場所で、生きづらさは一種の基本姿勢

生きづらさの理由を、人はそれぞれ求めたがる

性別に、性志向に、身体的特徴に、親兄弟に…

そして共感や同情、連帯を得たいと思うのだ

「生きづらさがわからない」と言われる人がいるとしたら、それがすでに生きづらい理由だとも言える

雇われることは、本質的には労働力を売る商売である

決して義務道徳ではなく、ましてや経営者による社会福祉でもない。

しかしながら、そういうものである勘違いしている人間が多々見受けられる。

なぜなのか。

2024-04-21

コロナワクチン被害者救済は完全に不要である

コロナワクチン被害救済金が 4500万円からその1/6の780万円に減額されることになった。

これに対して批判があるようである。 確かに、減額する根拠不明であることは間違いない。

しかしおれは、ワクチン被害救済金はそもそも必要ないと思っている。 それどころか、ワクチン後遺症治療は自費で行うべきだと思っているし、 ワクチンで免ファされた人間が癌になった場合なども当然自費で治療すべきだと思っている。 なぜならば、ワクチン接種は完全に自己責任からであるワクチン自殺は、本質的にそう変わりないのだ。 今、国民の8割が自殺しました。 ただ、それだけの話である

世の中にはおかしなことを言う人がいて、 政府ワクチンの毒性を知っていたのだから 国民を騙したということになる、 だから責任をとれというのだが、 これも間違っている。 なぜならば、 ここにれっきとした反例が存在するからである。 おれがワクチンを打たなかったのは偶然ではない。 明確な理論意志を持ってワクチンを拒絶したことは、 このブログを読んできた人ならばわかるだろう。 だから、 明確な理論意志を持ってワクチンを拒絶することは可能だったわけであり、 騙されたというのはただの他責思考しかない。

では、中学生高校生はどうだろうか。 彼らは親や学校に騙されてワクチン強制されたという人がいる。 しかしこの意見にも同意しない。 なぜならば、 中学生にもなれば自分の頭で調査してワクチンを拒絶することは可能からだ。 おれが麻布中学一年生の時であれば、余裕でワクチンの毒性を看破していたと思う。 そのくらいの思考力を持たぬ人間は生きていても無駄からワクチンして死んだ方がいい。

というわけで、 真にかわいそうだと思うのは小学生やそれ以下の子供たちだけということになる。 彼らについては、親が打つといえばそれを拒否する術はなかっただろう。 結果として、日本では小学生以下の子供に対しても20%は2回まで打ち、 10%は3回まで打ってしまった。 境界知能人間割合がちょうど14%程度と言われるが、 この数値と近いのは何かの偶然だろうか、あるいは必然だろうか。

知り合いに高専卒の低学歴がいるが、 この男について本当に最悪だと思っていることは、 3人の子供に対してコロナワクチンを打たせたこであるしかもやっつけ仕事のような感じで、何の疑いもせずに作業的に打たせていた。 そういった精神性が高専野郎本質であり、それが コードにも表れているのだ。 とにかく言われたことを黙ってやる、それが高専野郎生き方である。 そうして今後もどこかで、ゴミのようなコードを書いて荒らして回るのだろうか。 彼自身3回は打ってるから、早くファされてくれることを願うばかりである

生成AIを巡るイデオロギー

自己紹介

最初私自身について述べると、クリエイターとして飯を食っている人間である

口幅ったいがプロ自称しても差し支えないぐらいの稼ぎと仕事だと自認している。

話題の生成AIについて、今後私達の社会生活のあらゆる場面に普及していくと考えており

私自身いつかは仕事フローに生成AIにまつわる技術意識的に組み込む時が来るのだろうと考えている。

その流れは是認しつつ、かといって生成AIを取り巻く現状を良しとするわけでもない。

何らかの法的規制あるいは運用上のガイドライン必要だという立場にいる。

大別すればAI規制であるが、スタンス総論賛成各論反対、ぐらいの温度感事態を静観していると思って欲しい。

危機感

昨今の反AIと呼ばれる先鋭化したアンチ画像生成AIの人々について

一人のクリエイターとして、かなりの危機感をもって眺めている。

重ねて言っておくと、私は決して”反”反AIではないし、規制を望む立場にある。

私自身、作品AI学習に使われているし、その漠然とした忌避感や嫌悪感体験し、理解している。

おそらく反AI、と言った時点でその界隈の人々からは「反AIという蔑称を使うなんて話にならない!勉強不足だ!」と一蹴されてしまうのだが

皮相的な党派性にとらわれて本質的議論を進めようとしない時点で、その未熟さ・幼稚さを露呈してしまっている。

勿論、所謂推進派と呼ばれる人々、AI使用者の非倫理的冷笑的な振る舞いについても承知しているし、問題視している。

現在、互いに互いの粗を探して吊し上げていることは大変残念に思う。

しかし現状、私がより不安視しているのは反AIの人々の振る舞いの方だ。

AI言動過激化すればするほど、現実的な落とし所を決める意思決定の場で

規制を求める人々の声は届かなくなり、立場を危うしてしまうのでは…という懸念を抱かざるを得ない。

AIの人々が認識するべき事実

生成AIに関する問題意識を持っている人はどうか以下の項目について調べ、自分なりに咀嚼し十分に理解して欲しい。

現在主流である拡散モデル学習・生成機序理解すること。生成物は学習した画像切り貼りコラージュではない。何十億という画像データを数GB圧縮することはできない。

学習データ画像にほぼ近いもの再現することがある、という海外論文引用する人もいるが、プロンプトで狙い撃ちにしても再現されるのは天文学的確率の低さである

著作権法・隣接権の概念文化庁及び政府見解理解すること。人・AIを問わず学習行為規制されていない。「無断学習」という概念自体が現状では不当である

・開発企業使用者に対する非現実的要求をしても事態解決しない。

成果物類似性依拠性(LoRAなど)については肖像権著作権に関わる現行法で争う余地があり、対処可能である。これは手描きでもAIでも同様である

・これまでに観測された諸問題は、厳密には使用者自身モラル問題であり、より正確に言えばSNS問題である

誹謗中傷やLoRAによる嫌がらせラフをi2iで勝手に清書された、自分の絵柄で性的コンテンツを生成され誤認される…といった問題は、原理的にはAIがなくとも可能である

公的に開示されている資料を読めば、概ね同じようなことは書いてある。

現状における事実或いは公的見解であり、これらを推進派や技術者のレトリック断じて耳を塞いではいけない。

彼らと同じ前提を共有し、同じ言語で会話しなければ、交渉テーブルにつくことすらできない。

実際に手を動かすのは法を整備する政府であり、AIに携わる技術者だからだ。

戦う相手を間違えてはいけない。

規制を求めるのであれば、彼らの認識を正すのではなく、事実解釈で争うべきだ。

どうか建設的な議論の場に立って欲しい。

お気持ち”で戦える段階はとうに終わっている。

現実的な落とし所を探っていくしかないのだ。

おそらく、私のこうした声もポジショントークとされて届かないのかもしれないが。

anond:20240421015208

「傍から見て残酷に見える」ならそれは本質的残酷なんだよ。本人が自覚できてないだけで。

何言ってるんだこいつは。

イケメンが多いかオリックスが好き」と言ったら叩かれるのに、「地元関西からオリックスが好き」と言っても叩かれないのは謎。本質的には同じじゃね?

2024-04-20

言わないという事を知らないのと同義だと思っているのか、そんなんは当然織り込み済みで話してんねんって感じの一前提でしかないような事をちょっと偉そうに提示してくる奴がいるとイラッとする。

まあ人間エスパーじゃないので言わない部分で何を考えてるかなんて知りようもない訳だし、別に偉そうじゃなきゃまあ許せる。でも大体ちょっと偉そうにしてる。他人の思慮をナメてんのか知らんけど、本質的な指摘をしてやったぜみたいな雰囲気を漂わせている。

そういうのが非常に嫌いだけど、事細かく先回りして牽制しようとしても話が無限に長くなる。おれは別に長々と話すのは全く嫌ではないけど、手短な話を好む人間は多い。

おれは謙虚から自分がその場で考えついた程度の事は相手も既に考えているだろうと思うようにしている。自分の思った理屈通りにならないような、それなりの理由があるのだろうと考える。

コミュニケーション上の楽しみに発展しないであろう場合には、思いつきを口に出す事は控える。例えばこんな記述も省いて良いものなのだけど、コイツ必要なことしか喋らないコミュ障だ!と勝手に思い込んで、それを重要な指摘だと思って口に出すような人間がいて困る。

その点おれのなんと社会性の高いことか。世の中の人間にもそうあって欲しい。

anond:20240420215813

身だしなみ至上主義みたいなものは、障害者排除したり、女性排除したり、黒人排除したり、デブハゲメガネ排除するのと、本質的に変わりがない。

俺はコンピュータスペシャリストだが、PCスマホがどういう原理で動いてるか語れないような危なっかしい低ITリテラシー民はスマホ使用禁止!って言ったらお前らは文句垂れるだろ。

それと同じように、自分たまたま優れている部分を、他人押し付けちゃいけない。

社会においては、どんな人にも門戸は開かれてないといけない。

どんな門戸を通ってきたにせよ、社会を上へ登っていく人間なら、自然と身につけるべきものは身につけていく。

から気にしなくていいんだよ。

下の方にとどまるやつが身につけてないのは当たり前のこと。

それが多様性ダイナミズムをそなえた社会を維持するための寛容という美徳なの。

2024-04-19

anond:20240419134224

増田さん、お話しいただいた内容を真剣に受け止めています私たちのやり取りからも、お互いにとって最善の解を見つけるためには、さらなる理解必要だと感じていますAIに対する見方には個人差があり、その使用方法についても一様ではありません。しかし、皮肉を交えてしまうと、本質的問題解決につながらないことが多いです。

私たちがここで話しているのは、AIをどのように活用するかという具体的な技術的な問題です。あなたが指摘する「違う使い方」が具体的にどのようなものか、もしそれがAI機能目的にそぐわないものであれば、その指摘は大変重要です。ですが、それを共有し理解し合うためには、具体的な例や根拠を基に議論することが不可欠です。

AI技術を適切に評価し、適用するためには、開かれた議論技術的な詳細への正確な理解が求められますあなたが感じている違和感問題点を、もう少し具体的に教えていただけないでしょうか?それによって、私たちはより良い理解に基づいた対話ができるはずです。

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