はてなキーワード: 末期ガンとは
あらゆる医療行為は自然に背く為に発達して来た訳で、元増田の言い分が正しいとするなら先天性疾患の赤子や未熟児、重度障害者、身体機能の衰えた老人、みんなわざわざ生かしておく価値がない事になっちゃうわな。神様()や遺伝子()が「お前ポンコツだから死ね」って言ってるから弱ってる訳なんだし。
鬱病や統合失調症、てんかんなどの薬で緩解出来る精神疾患の連中だって、本来ならばそのまま狂い死ぬべき所を生かされている不自然な個体に過ぎないしな。
昔々の神様はアスクレピオスという名の神医を雷で撃って殺したそうですよ、医者が本来死ぬべき人間を皆助けるもんで冥界の住人が減って困ったから。
元増田みたいな人間は、医療なんて罰当たりで自然に反した悪魔の果実に一生触れないで欲しいもんだ。病んでも傷ついてもそれが神の思し召しと看做してそのまま死んでくれ。
自分は人間が幸せに生きる為なら、どんな自然に反した行いだってどんどんやるべきだと思う悪魔の子ですからね、さっさと人工子宮が完成すべきだと思うし、遺伝子調整で先天性障害が全部治る日が来たらどんなに素敵かと思うし、自分が末期ガンにかかったら緩和ケアめっちゃしてもらって安らかに死にますわ。自然のまま苦しみ悶えて死ぬなんてまっぴらお断り。
11日の午前に電車の中で突然TLにライターのヤマグチノボル氏が死んだという文字列を見かけた時は心底驚いた、
なぜなら昨日の深夜ちょうどKindle Storeでゼロの使い魔を買って読みなおそうか検討しており同時に作者のWikipediaを漁り、まだ死去のニュースが載っていないことを確認したからだ。
嘘だまさかと思いつつソースとしてメディアファクトリーのURLが貼られていて、やはり末期ガンで死んでしまったのか…と心底では受け入れてしまった、それと同時にゼロの使い魔が残り数巻を残して心ならずも完結しなかったことを悔やむ気持ちがこみあがってきた。
そしてメディアファクトリーの公式サイトが繋がらないのでWikipediaのヤマグチノボルの項目を見てみると、つい数時間前まで見ていたページに "この項目は亡くなったばかりの人物について扱っています。"と記述されていて、そのとき完全に彼の死を認識した。
そして思えば中学生の頃、アニメゼロの使い魔2期最終回では原作を改変してサイトを行方不明にせずルイズがサイトを探しに行く過程をすっ飛ばしたことでアニメの制作陣に憤慨したし、その後原作にちょっとの期間ハマリ著者の刊行ペースが早いこともあってルイズとサイトの恋模様にハラハラドキドキし、次の巻が出ることを心待ちにしたものだった。
ゼロの使い魔が放送していた一時期の2chのν速ではスレタイにゼロが入ると真面目なニュースソースでも、すぐアニメスレに早変わりしたし、ユニオンジャックの変更問題にルイズをコラージュして茶化すなんていうこともあった、有名なあのルイズコピペも生まれたしあの頃はゼロの使い魔というコンテンツは絶頂期だった。
死んだ後になって有名人の作った物が再発見されるということはよくあることだが、それに習って彼が昔書いたWebコンテンツであるバイク便日記と片桐彩子日記というものをアーカイブから読んでみた、昔の日記らしく今と比較するとあまり分量はない、読んでみるとヤマグチノボルが26歳頃(15年前)に書かれた物のようだ、彼は今のようなライター稼業をやる前からインターネットに文章を公開していたようでバイク便をしていたことなどが綴られている。
そしてときめきメモリアルのヒロインの1人である片桐彩子への愛を面白おかしく書いた文章などから、ゼロの使い魔で読むニヤニヤしてしまう文体が当時から見られる。その後どうやってゲームのライターに転職しゼロの使い魔等の作品を生み出したのかはわからないが、ゼロの使い魔がヒットしアニメ化し流行するようになってからは、二次創作や改変も含めてネットのいろんなところで自分が生み出したネタが見られて、本人は面白くて仕方ないのではなかったのだろうか、あくまで想像にすぎないが。
さらにこれはツイッターからの勝手な引用になるが、死ぬ少し前に「生まれ変わったら何になりたいの」という質問に「もう一度自分に生まれたい。すっごく幸せだったから」と答えたらしい、このエピソードから短くともすごく幸せな人生だったのだろうなということを感じ 願わくば自分もこのような生き方をしてみたいと少し願った、しかしファンとして勝手な事を言わせて貰えば。
あともう一年生きてゼロの使い魔をキッチリ完結させて欲しかった…!
それが残念でならないといったところです。
改めてお悔やみ申し上げます。
石原伸晃の「年寄り死んでくれ」発言が波紋を呼んでいるが、これって国策だと思う。
NHKで2012年8月29日に放送されたクローズアップ現代でも尊厳死を美化して伝えている。
若干のオカルト色を使って、映画“おくりびと”的な安心感を演出しながら、要は「爺さんども、死んでくれ」と言っている。
「死んだ親父が会いに来た・・・」など、死を間近に体験すると言われる“お迎え”現象についての日本初の学術調査が進んでいる。在宅医療の専門医と東北大の社会学者たちが、文科省の助成を受けて高齢者や遺族500人あまりを調査、自宅で看取られた人の4割が“お迎え”を体験し、そのうちの8割が死への恐れや不安が和らぎ、穏やかに看取られていったことが分かった。その一方で、「生」を追求する過剰な延命治療が、“お迎え”ばかりか、患者が「死」と向き合う妨げになっている現状も浮かび上がった。調査を行った岡部健医師は、「死を受け止める力」に注目した新たな在宅医療を模索している。自らも末期ガンを患う岡部医師の活動を通じて、自然な看取りをいかに実現していくのか考える。
これが国策でなくてなんだと言うのだろう。
公共放送の夜7時のニュースが終わった直後にこの番組は始まる。
ニュースが終わってそのまま見る視聴者を目当てに国や大企業、経団連などが言いたいことを代弁している(かなり露骨に)。
石原も総理候補の踏み絵か何かだと思ってやらかしたのか、そうで無いのか。
どっちにしてもこんな団体(NHK様)に払ってやる金は無い。
そんなあなたに「ドクトルジバコ」。
人生って、そんなに簡単に「運命」なんて言えるほど短くもないよ。
私は大学生のときに付き合ってた彼氏と、25年ぶりに再会した。相手は離婚していた。私は婚姻中だった。1回会ったところで、夫が末期ガンであることが判明し、パニクる私を元彼はメールと電話で励ましてくれた。周りの人間は最後まで笑顔を絶やさず看病を続ける私を見て「よく頑張ったね」と褒めてくれるけど、元彼がいてこそのことだった。
動かないのであれば、まだ時期ではないんだ。次に彼女と会うのは20年後かも知れないが、そのとき「好きだ」と思って初めて「運命」と言えるんじゃないかな。まだまだ、ちょっと、昔が懐かしくなった程度のことだよ。そんなの。
ばーちゃんが亡くなった。
知らせを聞く前になんとなく、今日だなって思った。そしたらやっぱりその日の晩に知らせがきた。
ばーちゃん子の私はひとしきり泣いてばーちゃんがもう居ないことが悲しくて悲しくて仕方なかった。
だけど、時間が経ってこれでよかったと思う。
ばーちゃんは最後は末期ガンで会いに行っても毎日毎日「痛い痛い」と言い続けた。
「痛い」の間で私の名前を呼んだ。
生きていてほしかったけど、ばーちゃんがつらいのもいやだった。
モダンでしゃきっとしておしゃれが大好きで、家族の誰よりフットワーク軽く、
ずい分な年まで一生懸命働いて貯めたお金で旅行へ出かけてたばーちゃんが歩けなくなった時に一気に元気をなくしてしまった。
ガンはあっという間に広がって、だけど内臓のガンじゃなかったからいつまでも心臓は元気でばーちゃんをずいぶん苦しめた。
「もういいんだ私は一人で生きて一人で人知れず静かに死んでゆくんだ」、なんていう話をネットでも現実でも時々耳にするようになったけど
そんなのは運の良い人だけが迎えられる最後だよ。
五体満足のまま、昨日まで元気だったのにぽっくり眠るように、なんて思って発言しているのかもしれないけど現実はとってもむごかった。
自分で歩けなくなって、自分で食べれなくなって、自分で排泄できなくなって。そのうち自分のこと自分で何もできなくなった。
そんな状態になったとき、手を貸してくれるのは家族かお金だけだったよ。
なんとかなるさ。は無い。
結局、問題は「いかに(比較的)健全な逃げ道を用意してやるか」に尽きるんじゃねーのと思ってる。ただホメオパシー叩いてりゃいいってもんじゃない。はてな村民にはそこが足りない。
ホメオパシーとか今すぐ地球上から滅びればいいと思ってやまないんだけど、でもそういうのに縋る人の気持ちもわかんないでもないんだよね。
自分の家族がそうで、タイムリーなことについ最近ホメオパシー関連の団体に入会した(ついでに入会書に勝手に俺の名前書いてたので死ねと思った)んだけど、その直接的な理由がどうも、妹のアトピーが皮膚科でくれる薬を塗ってもちっともよくならない、それどころか数年来悪化する一方(であるように本人たちの目には見える)なのが原因らしい。
その話を聞いて正直アホかと思ったんだけど、同時にその心理はわからなくはないわけで。
一般化すれば末期ガンの患者が拝み屋だの黒酢だのに手を出すような。
はてな村民なんかはバリバリの科学的世界観に生きていて、俺も今のところはそうなんだけど、だから疑似科学をボッコボコにしてもなんともないわけですよ。新大陸行ったら現地人がわけのわからん偶像拝んでた、みたいなもんで、打ち滅ぼすべき悪と確信してやまず、あまつさえ教化の使命に身を震わせてたり。
でも日本人のほとんどはまだまだ呪術的世界観に生きてるわけで(この前どっかの大学の社会学の先生がブログでそんなこと書いてた)、彼らが病院でもうダメだ、となったときにどうするのか。縋るものが必要なわけでしょ。
終末医療におけるホスピスのように、そういう適度な精神安定剤は当然必要なわけ(このへん、日本では宗教がうまく役目を果たしてないからよけいに悪徳宗教とか疑似科学が流行るって話もあったりするわけで)。
これからのこの社会の課題として、そういう「逃げ道」として(比較的)健全さを保った、(比喩としての)プラシーヴォ効果を一定程度供給してくる疑似科学なり宗教なりをいかに確保し、かつ100万円の壷買わせる拝み屋、みたいのをいかに排除していくか、について科学的世界観の持ち主、社会の善導者たるエリート様におかれましては向きあう必要があるのではないでしょうか(そういう意味では、現状での温泉とか鍼灸がヒントになる気もする)。せめてもの妥協として。
少数派は批判されればされるほど、その事実こそが自らの正しさを証明しているのだと思うようになる(って心理学実験の論文が出たってGIGAZINEかどっかにも書いてあった)わけだし、叩くのではなく「仕分け」た方が効率がいいはず。
もちろん同時に、義務教育課程においていかに科学的な思考法を浸透させていくかも問題になるわけだけど、まあ所詮限度があるだろうし、そもそも世代交代には時代がかかるわけだから、当面は上に書いたことを推し進めていくしかないと思う。
A「うわああああ,嫌だ,俺はもう死ぬんだあああああああああああああああああああ」
B「自殺なんて馬鹿な真似はやめなさい!たとえ末期ガンでも、最期まで家族の側にいてあげるんだ!!」
A「な,何を言っているんだ。俺が生きていれば入院費も、治療費も、バカにならないじゃないか、バカああああああああああああ」
B「おい、早まるな!」
C「ちょっと待って欲しい。」
B「何だ!今忙しいんだ!」
C「彼が死にたいというのなら、死なせてやればいいのでは?」
B「は?何言ってるんだ?アンタに構ってる暇はないんだ。あっちいっててくれ!」
C「いえいえ、多様性を尊重する観点から、彼には自殺という選択もあってしかるべきだ、と申し上げているのです。ああ、安楽死施設がないことが悔やまれる」
B「じゃまだ」
A「あのー」
見たつってもざっとしか見てないけど。
残念ながらその方は亡くなったらしい(弟さんが代わりに書き込んでた)
本当になんとも言えないどうしようもない気分だ。
私の叔父も去年末期ガンで死んだ。
現代日本じゃ死ぬにはまだまだ早すぎる歳だった。
かなり短期間で発病して亡くなった。
亡くなる一年前は私の母がガンの疑いがあって叔父が見舞いに来てくれたくらいだったのに。
思えば叔父の元気な姿を見たのはそれが最後だったと思う(ちなみに母はガンではなかった)
そんで結構最近独身だった叔父の友人に生前叔父が書いてたブログを教えてもらった。
その時も本当にどうしようもない気分になった。はっきり言って不愉快だった。
何がとははっきり言えないけど、「この文章を書いた人がこの世に居ないなんて」
「もうこのブログが更新される事は永遠にないんだな」みたいな感傷を無意識に感じてる自分が嫌だった。
誰かが死ぬ事の何が辛いかって、その人は居なくなるのにその人が使ってた物なんかが残る事だと思う。
それを見ていちいち悲しくなるのも辛くなるのも嫌だ。自分が死ぬのが怖くなるのも嫌だ。
やだなあ死ぬのって。
わがままを聞いてはいけなかったろうか?
1年前、夫は肺ガンで亡くなった。健康診断を受診したときは、もう手遅れで「あと半年の命」と宣言された。夫自身には期限は知らせず、末期ガンなので苦しい治療になるとだけ伝えた。
個室に入れてもらったこともあって、家族の面会は自由に近かった。私は昼前に病院に行き、食事を共にし体を拭き洗濯ものを回収し、日常の買い物などをした。
抗ガン剤の投与で病状が回復すれば、1週間くらい帰宅し、また具合が悪くなって再入院。それを4回繰り返したころ、とうとう抗ガン剤投与で体調が悪化した。もう抗ガン剤は使えない。死を待つばかりの状態になった。主治医の先生が「残念ですが、もう手がありません」と夫に告げた。
そのときから、夫のわがままがひどくなった。
まず、私に帰るなと言い出した。一人で夜を過ごすのが寂しいのだと言う。家には高1と高3の子供がいる。心配だけれど2人で生活できない歳でもない。「今は、自分たちの面倒を自分できちんとやってくれることが、一番の協力だから、2人で力を合わせて乗り切ってね」と、言い渡し、私は病院に泊まらせてもらった。
次に「どこかに連れて行け」と言うようになった。骨に転移していて手足は骨折寸前なので歩かせるわけにはいかない。私が車椅子を押して行くことになる。大きな総合病院だったが、それでも毎日散歩していれば、あっと言う間に行くところは無くなる。「他の病棟を見たい」「リハビリ室に行きたい」と、看護士さんの指示がなければ通常患者が行かないところに行きたがりだした。「他の人だって病気療養中なんだから、そんな見物気分でよその病棟に行ったりしたらダメだよ」と諭したのだが「聞いてもみないでなんでわかる? やりたいことはなんでも『やりたい』って言えばいいんだ。ダメなことは『ダメ』と言われるから、そしたら諦めればいい」と言い張る。
3交替勤務で無茶苦茶忙しそうな看護士さんをつかまえて、「よその病棟に行きたい」なんて、どう考えてもまずいだろうということを言い出すわけにはいかないと私はためらっていた。すると、夫は自分でナースセンターまで歩いていき「よその病棟はダメだけど、リハビリ室は好きに行っていいってさ」と返事をもらってきた。「ほらみろ。やりたいことはなんでも聞けばいいんだ」と胸を張った。
その次は「素人の介護はもういらない。お前はいらないから、看護士を一人つけろ」と言い出した。痛み止めが頻繁に必要な状態になっていた。ナースコールを押してもすぐに来てもらえるとは限らない。自分専用の看護士さんが欲しいと思うのはもっともだが、ここは病院だ。看護士さんを独り占めなど出来るわけがない。「看護士さんはそんなにヒマじゃないわよ」と答えると「だから、ダメかどうか聞けって言ってるだろ」と怒る。
聞かなくてもわかる。ダメに決まってる。それでまたケンカになり、夫は自分で聞いてきた。ダメだ。当たり前だ。すると、夫は戦術を変えてきた。ナースコールを押して、看護士さんがきたら出来るだけ引き止めるのだ。「どう痛いのか、うまく説明できない」「何度薬の説明を聞いても覚えられない。こんな症状のときには何がいいんだっけ?」「頭洗って欲しいな」などなど、とにかく一秒でも長く看護士さんに居てもらおうとする。そもそもナースコールというのは緊急時に押すものだと私は思っている。気分が悪いのなんのと、いちいち押していたら看護士さんの仕事の流れに差し支える。だから、ナースコールを押す前に夫に「何をして欲しいのか」を明確にさせるようにした。それでも、2時間に1回くらいは押していたから頻繁だったのだけれど、本当は30分に1回押したがるのを必死で止めていたのだ。
ナースコールを押すときには何をしてもらいたいのか決めているので、押してから言うことは「赤い痛み止めをください」「睡眠薬の2段階目のをください」と具体的になる。これが一部のナースさんの反感を買った。入院患者にどの薬を使うかは、ドクターの指示によって看護士が判断するものだ。患者の側から薬の種類を特定するのは越権行為と思われたのだろう。
具体的には私の入浴中(10分入ってる)に点滴の針を抜きに来て、大声で夫を怒鳴ったり、入院してから一度も頼んだことがないのに「体を拭きましょう」と言ってきて熱いタオルを夫に押し当てたり、呼吸器が顔に当たって痛いと言えば「みんな我慢しているんだから我慢しなさい」と言われたり(もう、24時間以内に死ぬとわかっている患者に)、モルヒネの注射を始めたらシップタイプの痛み止めを剥がされたり、モルヒネを始めた日の夜中、何か騒がしいので起きようとしたら看護士さんに「奥さんは寝ててください」と止められたり、そのあと夫が完全に死んでから「亡くなりそうです」と起こされたり。
死に目に会えなくて、私は助かった。
とにかく最後の一カ月はわがままの言いどおしで、最期の最後に何を言われるかと、私はビクビクしていたのだ。夫の要望に応えて病院に泊めてもらったのに「素人の介護はいらない」と言える人だ。もう、死ぬとなったら、何を言い出すかわからない。夜中についウトウトしてしまい、起きたら夫が死んでいてホッとした。看護士さんに起こさないでくれてありがとうと言いそうになった。死に目に会いたがるのが普通なのに、会えなくて喜ぶのも変だから言わなかったが。
と、いろいろと気持ちが混乱した。
夫が亡くなってから1年と3カ月が過ぎて、ようやくいろいろなことが落ち着き、生活も以前のように戻りつつある。
そして、ふと「モラルハラスメント」という言葉を知った。自分のプライドを傷つけた人間に、まるで相手が悪いかのように思わせるような嫌がらせをするというものだ。
いろいろな兆候が夫に当てはまった。
ああ、しまったと思った。夫が妙なわがままを連発したのは、自分が死んでしまうという自分の尊厳への傷を回復させたかったからだったんだと思った。
じゃあ、わがままにいちいち付き合うのではなく、単純に「あなたのおかげで、私幸せでした。ありがとう」とそう言えば良いだけのことだったんじゃないかと。
そしたら、夫も落ち着いて、もっと、穏やかで感謝に満ちた最期を迎えさせてやれたんじゃないだろうか。
コメントをくださったみなさま、ありがとうございました。
ずっと心に閉じ込められていた何かを言葉にしてみたら、こうなりました。
一部の看護士さんの対応については不満はありません。夫はもちろん私も自分のことでいっぱいいっぱいで、自分では意識しておらず、また、よく思い出せないのですが、そういう扱いをされるほど傍若無人な態度を取り続けていたのだろうと思います。
夫がどんなわがままを言い出そうと「病気がそうさせるのだから」と、主治医の先生もほかの看護士さんも理解を示してくださっていました。私がうまく相談出来なかっただけなのだと思います。
闘病に付き合っている間、ずっと、夫が死んだら、せいせいするだろうと思っていました(こういう本音を書きたいから、増田でしか書けないのです)。
夫はここ10年ほどは、ずっと決まった日課で生活していました。朝起きる時間、夜帰宅する時間は、ほぽ毎日同じ時間でした。毎日、その時間になると扉を見つめます。夫が帰って来ないということがどうしても納得いかないのです。
今日、夫の仏壇を食卓の近くに据えました。よく見えるところに遺影を飾りました。これからは、仏壇と遺影を見つめようと思います。
10年くらい会ってなかった親父がなんか末期がんなんだと。
いつ死んでもおかしくないんだって。
なんか手術するとは聞いてたけど。なに末期がんって。
最後に会ったのは大学はいる時だったか。
お袋から「あなたの父さんはもう長くないそうです、私の代わりに会ってあげて」みたいなメールがきた。
「あなたにとってはひとりの父親」とか書いてあんの。そんなの知ってるっつの。
今更 何話せってんだよ なんも言葉なんかでねーよ
親父の、その末期な感じの親父の姿なんて想像できねーよ まじで。
んで、なんか俺が喪主とかいってんの。
親父まだ死んでねーから。そんな話できねーから。
親父の事、ほんとはすげー好きだったんだな。
だからさ,未だに勝手に出てったこと許せてねーの。なんで一言言ってくんねーんだよって。
いつか言ってやるとか思ってたけど。でももう聞けねーの。もうなんかモルヒネとかで会話できねんだって。何だそれ。
今から面会に行く。病院ついたら絶対泣かない。
自分がアダルトチルドレンだとやっと分かった
http://anond.hatelabo.jp/20080623013003
うわ??、ひどいカマってちゃん。恥ずかしい。コメントの「子供はもう寝ろ」とか頷ける。
現状で一番最後の優しいコメントはうれしかった。あなたも同じACですか?と。
でもね、あたし、誰にも虐待を打ち明けたことなかったから、あえてこういうネットでカマってちゃんとか子供みたいなことしてるのかなとも思う。
そういえば褒められたり、ありがとうって言われたことなった。今は言われるとどうしていいか分からず逃げたしたくなる。
ACの同じタイプの人は同じ悩みを抱えるらしいが、なんせ生まれて始めて会った人間が親である。
その親に褒められたりありがとうって感謝されたことがなければ、成人した今でも褒められると逆に狼狽しちゃうんだ。そんなもんだ。
あんたら育ちのいい人間には分からない感覚だろうが、本当にそうなんだ、素直になれないんだ。
本気で喜ぶことを抑制されたガキって、大人になっても本気で、本音で体当たりできないんだよ。
かーちゃんは末期がん見つかって、今日また入院した。奇跡が起きない限り、まだ寿命がきてない限り長くはないだろう。
うつ病ひどくてさすがの低脳親も気がついて、実家に帰ってきて、はや3年。
うつが治ってから(ちなみに今は一切薬いらず)、「なんでうつ病になんてなったんだ?!」と責められ、そんな迷惑な病気になってごめんなさいと思ってた。
寝たきりになってごめんなさいって思ってた、親孝行できなくてごめん、だから今から親孝行するね、かーちゃんガンだし・・・・みたいな、悲劇のヒロインみたいなそんな寒い感じで暮らしてた。
ところが!!違った。
自活していたとき、趣味と自活を両立したいがために、風俗で働いてた。
当時ヒモ彼氏やニートヒッピーとかの彼氏と生活してて、大黒柱はいつもあたしだった。
「あたしさえ、我慢すれば・・・」をひきずってたんだろう。当時は全く気がつかなかった。最低のカマってちゃん。
そのうち音楽活動が軌道にのって、あたしがあたしが我慢する、睡眠時間もいらない・・・みたいなバカみたいなノリで脳がオーバーヒート。うつ病に倒れた。
寝たきりだしロレツも回らない廃人だった。その後もすごく辛かった。リストカットから自殺未遂。自分を不幸に追いやることが人生、そんな日々。我慢する日々。まだまだカマってちゃん王道行ってたな。
最後はくだらない事故で愛する人の死ぬ瞬間を見てしまったし、自分も臨死体験した。
まあ、今は治ったし、いろんな経験ができたから、うつ病で辛かったことも楽しい思いをしたことも同等と考えてる。
実家に帰ってから、ずっと家賃タダだしね。
あたしが小学校のときに「広い家に住んで、いい会社に就職してこの家のローンはあたしが半分払う」って言ったから親父はこの家を建てたらしいし。だったらあたしはここにまだ住むよ。
収入は全然実現してないけど。っていうか小学生の言うことを真に受けて家を建てたのか・・・。
で、今、親のせいにしてまで自分を大事にしろっていう発想になれたのは、彼氏?いやかーちゃんの末期ガンのせいかな。
かーちゃんはそこまでして何かをあたしに教えてくれるのかな。だったら感謝だな。
でもそういう親の洗脳から抜けでれたのは今の彼氏のお陰だよな。
あれ?あたしはまた人に感謝している?
感謝ってもしかしてすごいことなのかな。感謝されたことないから、どういうのが感謝なのか分からないけど
そしていとうせいこうも言ってるけど
「暗示の外へ出ろ 俺たちには未来がある」
これを世の中のACの人へ伝えたいな
長くなったけど読んでくれて「ありがとう」
仲良しだった表面的には。
ただ,その人はとても『承認欲求が強い』のだ。しかし昨今,そのようなタイプの人間はごまんといる。それこそ某巨大掲示板でニラニラされているような人らをみても然り。自分だってそうだ。こんな風に書き連ねているのだから。
さて,その人のブログは,いかに自分が他者より優れているかを主張するためのツールとして機能している。それは別に特筆するような事柄ではない。またそれ自体を否定したいということでもない。
ある時のその人のブログに『わたしがおうえんするひと』なることに言及していた。
その相手とは末期ガンを患っている方についてである。がんばってほしいという気持ちから,その病と闘う人の姿に自分も励まされているという趣旨を否定する気持ちはない。その人のブログは全編『正しいことをしているのだ』という意識が苦手だ。
そして,それをブログに書かれると,なんだか公開自慰行為を見せられてしまうようなイヤな感じがしてしまうのだ。
だから,もうほとんど読んでいない。
その人の私生活を垂れ流すのは勝手にしていることだし構わないだろう。勿論,そのブログを書いている重病人の方も世界に向けて発信しているかぎり,そういったことは承知の上であろう。
誰を責めるとか非難したいとかではないのだ。
ただ,なんだろう。このずきずきするような嫌悪感。単純にその人が嫌いだからだろうか。仲良しなのに。
病気や障害に戦うというスタンスが受け入れられないのだろうか。
がんばらないでほしいのだろうか,自分は?
だとしたらなんて傲慢な人間なんだろう,自分。
後日,その重病人は亡くなられた。その人のブログではそれについてのコメントは全くない。
なんだかあんまりじゃないかと思ったりした。その件について言及したのなら,その終わりについても書いてほしかったよ。
そのときだけの感情だったのだろうか。他者の生存までも自己の承認欲求を満たすためのものだったのだろうか。
正しいことがわからない。
亡くなられた方のご冥福を心より祈念いたします。