はてなキーワード: 木鐸とは
ワクチン「副反応としては発熱や倦怠感その他諸々あるし、各国でも確認されているから驚くべきことではありません」と報道してほしいのだが、まあそういう見識を報道が持ち合わせてないことは、コロナウィルスではわかりきってしまった。
とりあえず煽る。
とりあえず煽る。
とりあえず煽る。
そうして、うそ、おおげさ、まぎらわしい、という報道で世論を煽ることがもう習性になってしまってるんだよな。
なんで、こんな危機的状況で、とりあえず煽るという選択肢を一旦封印できないんだろう。
報道は社会の木鐸で、おかしな方向に世論が行ったら警鐘を鳴らすのが役割なのだが、これじゃオオカミ少年だ。
きちんと世論を煽らずに冷静に対処してするように木鐸を鳴らしてほしいわけだが、むしろ世論を誤誘導するために心血を注いでる。
これじゃあダメだ。
https://youtu.be/f_4Vw3QhKII?t=52m55s
「木鐸」。
過去に行われた、漢字の読みを当てるクイズで、所属アイドルが「木鐸」が読めなくて「睾丸に似てる」と発言してしまったらしい。
事もあろうにそのシーンを公式が切り抜いて、あの時なんと言ったか?って問題にして、再び本人と別のアイドル二人の前に晒した。答えが文字になって表示されたとき、空気は凍りついた。
これはセクハラだ。
コメントにも、公式がこれをやっていいのかと疑問視する声が散見された。
動画はおよそ半年前に公開されて以来、30万人程度の視聴者の目に晒されている。
確かに「睾丸」自体は口にしてもいい単語ではあるし、言ってしまった本人もほとんど気にしていないかもしれない。だけど、ワザワザふたたび文字にしてアイドルを恥ずかしがらせるネタにする態度は、邪悪だろう。
時々、彼女たちの掛け合いのなかで、イジリに度が過ぎてみえたり、ギスギスした雰囲気になってしまうことはある。でも、それをゼロにするのはムリだろうし、むしろそういう飾らないありのままの人間同士のやりとりが、彼女たちの魅力になっていると思う。
コメントも過熱することはあって、個人的には正直、アイドルの年齢自虐への視聴者の「きっつ」みたいなツッコミは… 観ていて悲しいんだけど、コメントとの自由な交流を妨げない寛容さは厚いファン層を育んできた主要因ではあるでしょう。
だからせめて公式は… 会社側は、アイドルたちを大切にしてあげてほしい。性的なイジリなどなくとも彼女たちは十分楽しいのだから。みんなのアイドルを誰よりも真剣に守る、そんな“推せる公式”になってほしい。
かつては、オタクの道を生きる人々の憩いの場であった日本のサブカルチャー。
無理もありません。
私たちは、子供の頃、子供にこんなケシカランものは見せないべきという声も聴かされ、「常に苦しんでいた」と涙ながらに訴える彼らによって、その無垢な心に羞恥の杭を打ち込まれてきました。
それがどうでしょうか?
アニオタ害悪説は、とある雑誌のゴシップによって広められた作り話でした…。
差別も何も、もともと彼らは社会的地位を持っていませんでした…。
サブカルチャー層のほとんどは、はじめからその道での生活を望んでいた人々であり、そんな彼らに日本は殆ど口出しをしませんでした。にも関わらず、ゴシップによってその偏見が植え付けられたのです。
それだけではありません。
そして、その文化を支えてきたのは左翼であり、かつての作家の多くは、左翼出身者が大半であった事…。
サブカルチャーに対する誹謗の多くが、右巻きによって引き起こされていた事…。
1990年代の新興宗教の暴徒化は、左派や右派による宗教団体の操縦に端を発していた事…。
彼らは、日陰者を演じる事によって不都合な歴史を隠蔽し、「文化性」を掲げる事によって、自らの現実を否定してきたのです。
私たちは、彼らの都合の為にサブカルチャーに金をつぎ込み、あたかもそれが日本の大衆文化であるようにさせてきたのです…。
この事実が明らかになるに連れ、SNSの雰囲気は変わり始めました。
「俺たちは知らなかった!」という驚嘆の声が上がり、サブカルチャーは大衆社会からのへの中傷と罵倒で満ち始めました。
手駒の様に人材や精神性を使い捨てる彼ら。その彼らの戦略には、一つの大きな誤算がありました。
それは、世界の大衆が事実に気づいた時、サブカルチャーに対してどんな感情を抱くようになるか、計算に入れていなかったという点です。実に、彼らの誤算が、若者をサブカルチャー市民から非市民へと一変させてしまったのです。
このような経緯を承知している為、私は、サブカルチャーのわかり辛さを理解する事はできます。
自らの正体を“一般人”というマントを羽織ることによっておおい隠し、自らの立場を“リア充”という盾を掲げる事で守り、自らの行動を“木鐸”という装飾を施す事で正当化してきた人々に、誹謗発言を浴びせて何の効果があるのでしょう?
例え誹謗する側に理があろうとも、誹謗発言を行えば、第三者には精神障害者が一方的に迫害しているようにしか見えません。
これでは、彼らの正体をおおい隠す“一般人”のマントが、より厚みを増してしまうだけです。
“リア充”の盾を構え、“木鐸”の剣を奮う者に、中傷の弾丸や罵倒の投石を浴びせた所で、
「サブカルチャーの精神異常ぶりは、かくの如き酷きもの」と、その盾をより強固に、その剣をより鋭利にする口実を与えてしまうだけです。
放った無数の弾丸は、彼らの盾を貫く所か、盾を補強する鋲にしかなりえません。
投げ付けた投石は、彼らの剣をへし折る所か、刃を磨き上げる砥石にしかなりえません。
サブカルチャーの過激ぶりが進行するほど、彼らの「一般人」という名の武装は強化されてしまうのです。
事実、彼らは右派を味方に付け、サブカルチャーの居場所を潰す事に成功しつつあるのです。
今後、サブカルチャーが“現実を省みない行動によって”彼らを助け続ける限り、
我々は、世界から精神異常者という汚名を受けながら、既に蝕まれた社会の中で、未来の自分たちに奴隷としての道を歩ませる事になるでしょう。
もし、それを憂うならば、どうか暴走を止めて下さい!