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2021-12-31

世界一好きな男に不幸になってもらいたい

 大晦日にこんな意味不明来年の運気が下がりそうな話はどんな場所を選んでも言えないけど、もういい加減しんどいので増田なら誰かがそんな人もいるのか程度に笑ってくれるかもと思って全て本音で書いてみる。タイトルの通り、なんともひどい話だと思う。それでも興味があれば、いろいろな人がいるなという感じで見てもらえればと思う。増田を見るのは好きだけど、初めて投稿するので何か不手際があったら申し訳ない。

 長くなってしまったが本題に入る。自分は若手芸能人のリアコ(ガチ恋と言ったりもするが、芸能人等に本気で恋してる人のこと)なんだけど、その人に世界に羽ばたいてもらいたい、夢を全て叶えてほしい、と思う反面、なかなかうまくいかずに飛躍できずにいる姿を見るとホッとする。アンチに対して疑問はあるものの、ふとアンチコメが目に入ると安心する。芸能人にリアコの時点で理解に苦しむ人もいるだろうに、さらにややこしいことこの上ない。

 タイトルの通りだけど、正確に言うと不幸になってもらいたいわけじゃなく、積極的大成功を収めてもらいたいわけじゃない、という感じ。とにかく今は、推しが意外とブレイクをしないので、なんとか精神を保って応援(もはや応援なのかわからないけど頑張れという気持ちはある)している。最近は、この前始まったらしい何かの撮影情報公開が怖い。主演映画なんてやろうものなら、鬱になってしまう。周りが、情報解禁楽しみ!と言っていて、そうやって純粋に楽しめたらなと羨ましい。

 その意味不明感情は、どういうわけで来るものなのか、自分で考えてみるんだけど、多分、リアコだから、と言うのが答えな気がする。え、リアコなら幸せを願うものじゃないの?と思うかもしれないが、リアコだから相手がどんどん遠くの存在になるのがつらいのだと思う。

 ただ、やっぱり一般的なリアコは幸せを願っているものなのだろうか?話を聞くと、どうやら自分のリアコのタイプは、巷のリアコとは異なるところがいくつかあるっぽい。

いや、自分みたいなタイプもいるのかもしれないが今のところ聞いたことない。自分もこのタイプだ!と言う人がいたらむしろ色々話してみたいので、書いておく。

 私のリアコのタイプは、"結婚かそれ以外か"。結婚されれば一巻の終わり、結婚以外ならなんら問題ない。婚姻届名前を書いたもん勝ち。私のゴールもここ。うっかり婚姻届サインして入籍してくれないかな〜と思う。(だからなのか、不思議な話だけど付き合う妄想とかはしない)

そんなんだから同担拒否気持ちは全くない。現場で誰かがファンサをもらってても構わない。だって結婚関係ないし。まぁファンサされて結婚なんてことになるならそれは困るけど(そんなことはない)。

 イベントに全通したいという気持ちもない。別に全通しても結婚できるわけじゃないから。グッズ等にもお金ほとんど使わない。むしろファンサもらっても舞台に通っても雑誌を買っても何しても、それはファンである、ということをより一層突きつけられる、という感覚が強い。それはきつい。もちろんファンとしてはお金落とした方がいいとは思いつつ。

 というか、世界一好きだからこそ、全くそコンテンツに触れたくないというのもある。感情が振り回されすぎてしんどい。リアコが、イベントに全通しないと気が済まない、自分の知らない推しがいるのが嫌だ、と言ってるのをみてタフネスと思った。

 SNSアカウントブロックしてるし、ミューワードに入れてる。でもやっぱり好きな男だから、ふとした時に見に行っちゃって、それで病む。今もTikTokファンの女が作ったキュンとするシーン集みたいなの見て意識朦朧とした。世界一好きな男が「俺のことだけ見てろよ」て画面越しに言ってくる。あなたは私のことを見てないのになぁと、本気で落ち込むから救えない。でも、そんな自傷行為がやめられない。どこかで心を痛めつけまくって、ふとふっきれるんじゃないかという感覚があるからかもしれない。今のところ傷を抉られるだけだけど、そのうち屈強なリアコハートになるのだろうか。

 好きすぎるのに、向こうは自分のことを全く知らないというのは、つらい。この、どうしようもない感。やっぱりイベントに行けるリアコはすごいなと思う。それでも、自分10回くらいは行ったことあるけど、肉眼で確認できるところに存在してるぶん、実際こんなに距離があるんだなと実感して、毎回私ここで何してるんだろうと思ってしまう始末。

 芸能人に恋してると言うより、たまたま好きになった男が芸能人だったから困る。だいぶ話が逸れてしまったが、結局、手に入りそうもない男が、さらに手に入らなくなってしまうことが嫌で現状のままから遠くに行って欲しくないということなのだろうか。もはや結婚が遠のく云々は抜きにして、とにかく遠くに行ってほしくないという感覚に違い気がする。やっぱり違う世界人間だなと実感したくない。そもそも、付き合って手を繋いだり、ハグをしたいという気持ちはそこまで考えたことがなく、ただひたすらに結婚したいというのも、対等にありたいという気持ちの表れなのかもしれない。同じ土俵に立ちたい、世界一好きな男と同じところにいたい。ここでふと、自分は、世界一好きな男自身になりたいんじゃないかと思った。推し成功が喜べないのも、自分の現状との開きがつらいからなのかもしれない。なんとなく合点がいった気がするけど、そんなややこしいことがあるか……。

 ところで最後まで読んでくれた人はいるのだろうか?思いついたまま書いた文を読んでくださって、ありがとうございます

いつか、世界一好きな男の名前の隣に自分名前を書いた時、昔こんな増田書いたなと懐かしめるよう日々頑張ります

2021-12-28

anond:20211227221030

朝イチに楽しみを用意しておくのがおすすめ

個人的には、目が覚めたと同時に布団の中でWeb漫画巡回している。それが習慣になると、とりあえず意識朦朧としながらも勝手に手が動き出すし、マンガを読んでいると目が覚めてくる。好きなマンガ更新される日には特に効果的。

あとは好きな飲み物を起きてすぐ飲む習慣をつける。トイレで起きて、寒くて布団に戻りたくなるけど、飲み物を飲む必要があるので何とか戻らなかったり。

2021-12-08

子宮頸がんワクチン

子宮頸がんワクチンの積極推奨が来年4月から再開される。このワクチンは、接種後に全身に強い痛みを感じる副作用が多く見られた故、1997年から2005年の間、積極推奨が一時的ストップされていた。

安全性有効性が確認されている、という事から積極推奨を再開するそうだ。

ということで、積極推奨されていない中このワクチンを打った私の体験談を書こうと思う。娘さんの接種を悩んでいる方に届く事を願って。


結論から言って、私はとても稀な副作用に見舞われる事になった。接種を受けた周囲の子は接種部にちょっと痛みが続いた程度で(これは筋肉注射なので当たり前である)、私と同じ副作用が出た子には会ったことがない。

持病などはないが、昔から一家でお世話になっている病院がある。そこで子宮頸がんワクチンの話をしたところ、扱っていないと言われた為、仕方なく家から一番近いクリニックで予約をした。2013年3月半ばだったと思う。

子宮頸がんワクチンは、計3回摂取する事になる。例えばサーバリックスなら、中学1年生になる年に1回目の接種を行い、その1か月後に2回目の摂取を受け、その6か月後に3回目の接種をする。

かくいう私も、3回しっかり受けた。1回目、2回目は副作用なし。それで安心しきっていた事もあるのだろう。

3回目を受ける日、クリニックに到着後、受付時に体温を計かる。どんなワクチンでもそうだが、熱があるとワクチンを打てないからだ。

その日、体温が37.1だった。

から10分ほどの距離を歩いてクリニックに向かった事と、私の体温はいつでも36.7度近くであるという事から、そこまで熱があるとはいえなかった。しかも、2回もうって副作用がなかったのだ。クリニック側と少し話し合いをして、10分ほど様子を見てから再度熱を計り、そこで決める事になった。

10分後に計った体温は、36.9だった。これならば打てるとなり、私は3回目の摂取を受けた。

摂取を受けたその日は一日中安静にしていた事もあり、何事もなかった。

しかし、問題は次の日の朝だ。

一階から起こしてくる母の声がかすかに聞こえるが、目が開かない。体も重い。熱い。頭もひどく痛かった。

動きにくい体を無理矢理起こして立ち上がると、強い目眩を感じて床に倒れ込んだ。音で気付いてくれた父と母が部屋へすぐに来てくれた。

体温計で熱を計ると、39度近くあった。目眩もすごく、黒い粒みたいなものがいくつも視界を漂っていて、歩く事もままならなかった。

父に抱えられて車に乗せられ、ワクチンを打ったクリニックに向かう。クリニックに着いた頃には、何故か体温が急速に上がり、私は春先だというのに汗だくになっていた。

処置室にそのまま運ばれ、脇、首、足首に氷の入った袋を当てられる。冷たくて気持ちが良かったが、熱はそのままどんどん上がっていく。下がる様子がないのを見た医師が、市営の大きな病院紹介状を書いてくれた。

目眩で体を動かせないので、また抱えながら車に乗せられて、すぐ病院に向かった。病院に着いてからは、連絡が行っていたらしく用意してもらった車椅子に乗せられた。

熱は41度を超えていた。人は42度が10時間続くと命が保たないらしく、本来内科にかかるところを、待合が誰もいないからと小児内科で見てくれることになった。

正直病院に連れて行かれる前からずっと意識朦朧としていたが、車椅子に抑えられて採血される時だけは意識がはっきりした事を覚えている。嫌だったんだと思う。

そのまま採血を受け、検査をする間に解熱剤を入れた点滴を受けた。人生初の高熱&採血に思いっきダメージをくらった私は、車椅子に座りながら、点滴が終わるまでの3時間弱、ぐっすり眠った。

点滴をはずすからと起こされたとき、驚いた。目眩も黒い粒もなければ、体はややだるいが熱くない。体温は37度弱まで下がっていた。

血液検査の結果は、特に異常なしとの事。ワクチンとの因果関係も見られないと言われた。

まりにも熱が高かったので後遺症が残る可能性があるから、気になったらまた来てくれと言われたが、その後は今に至るまで何もない。

以上が、稀にある副作用の一例だ。もしあのまま点滴で熱が下がらなかったら、多分死んでいたと思う。

これから子宮頸がんワクチンを打とうと思っている人、娘に打たせるか悩んでいる人は、一度よく考えてみる事をおすすめする。

これは稀な例だから自分は/自分の娘は大丈夫に決まっていると思うだろうか。そうだろう。私も、自分がこうなるまでは大丈夫だと思っていた。

ここに書いた話は病院に付き添ってくれた父と母の話を元にしている。正直この日は、クリニックに連れて行かれてから熱が下がるまでの間、採血をされた時以外の記憶ほとんどないのだ(意識朦朧としていたから当たり前)。

それでも、死んじゃうのかと思った、と本気で心配していた父の、熱が下がった私を見て号泣していた母の顔だけは、鮮明に覚えている。

2021-11-25

昨日の夕飯思い出して笑ってる

寝不足意識朦朧とするなかレンチン解凍したブロッコリーレモン汁だけかけて食ってた。

2021-11-14

短期入院体験

3泊4日の超短期入院をしてきたのでその記録。

  • 症状

腫物の切除。神経通ってる部分に繋がってるかもというので要全身麻酔短期入院となった。

日程決めるのが大変。1週間前にはPCR検査。手術日の前日から入院しなくてはならない。

書類多い。費用現金払いだと要保証人クレジットカード払いだと保証人不要。5000円で保証会社契約するのもある。

賃貸住宅家賃保証会社は増えているけど、入院費にも導入されてるのかと驚き。

  • 手術前日

全身麻酔説明。気管を確保するので管を通すので「あー」とかで喉奥見られる。骨の形を見てるのか「アイーンみたいにしてください」がツボに入って笑ってしまう。麻酔科医は真剣

16時までにシャワーを浴びる。手術当日、翌日は浴びれない。

前日21時以降は水、お茶のみ。当日6時以降は水もダメ

  • 手術

手術前にT字帯という紙のふんどしみたいのをつける。付け方がわからないのでググる。あってよかったインターネット

8時に手術室へ。手術室は病室と違って、冷たくて無機的な部屋のつくり。

手術用のストレッチャーに乗せられ移動。動きながら天井を見るって不思議気持ち。もう自力では何もできない場所に来ている。そのまま手術台へ。

医師あいさつ。上から顔を覗かれるのも最近なかったな。甘い酸素を吸い込み、「眠くなりますよ〜」で記憶がない。

「◯◯さん、終わりましたよ」名前を呼ばれて目覚める。夢を見ていた気がする。予定より30分延長したらしい。うまく処置できたらしい。気管の確保もできたらしい。ちょっと朦朧としている。

そのまま病室へ戻る。

  • 術後

自分の後の人の手術が長引いて、同じ日に手術した同室の人は夕方スタートとなっていた。新しい患者入院してきていた。

点滴?の管をいっぱいつけられている。指先で酸素測るやつ、足にエコノミー症候群防止するやつ、いろいろついている。ひたすらうなされながら寝ていた。微熱が続いて、麻酔の影響か吐き気がする。

一度だけ胃液のようなものを専用の容器に吐いてしまう。二日酔いしかいたことないのに。すごく辛くて心細い。

同室の患者が夜に戻ってきて、自分の比ではない辛さのようだった。自分も出ていたのかもだけど、夜は呻き声がすごかった。

看護師にはトイレに行きたくなったらナースコールをと言われる。「今日、水一滴も飲んでないんで出ませんよ(キリッ)」って返したら、「点滴打ってるからますよ……」「えっ!」ってなった。その説明を呻いてる彼にもして去っていく。常識

夜中に点滴の管がついたまま、付き添ってもらいトイレへ。

  • 手術の次の日

きのうは何も食べなかった。朝食を貪るように食べる。なぜだかエヴァ食事シーンを思い出していた。

朝は給食みたい。パン牛乳チーズジャムスープフルーツ栄養バランス

病院食は味がとにかく薄い。わー卵焼きだ→味うっす、ネギだー→味うっす。普段塩分摂りすぎなのか。まー好き嫌いないので全部食べる。

食べたら寝るを繰り返した一日。点滴ついてると動きづらいのもあるし、病室って眠くなるようにできてる気もする。

微熱続く。汗めっちゃかいて、そのあと急に寒くなって。温度調整が難しい。

スマホを触っては寝る。点滴の針が刺さってて、文字が打ちにくい。Wi-Fiがないので、7ギガあったのに退院時には2ギガになってた。

手術を甘く見ていたので、仕事パソコン、読みたい本数冊持ち込んだけど、メールは数通返したのみ。本は寝るために読んでた感じ。そういう作業をする場所、できる場所ではない。

4人部屋で3人入室。なんていうか、いきなり共同生活を強いられる感じが落ち着かない。シャワートイレ、洗面台……。他人配慮しながら使う。プライベート空間のありがたみをめっちゃ感じる。

一方で医師看護師献身的姿勢には感謝しかない。数値異常だと駆けつけるし、夜中に点滴とかチェックしてくれるし。自分がそういうことをできない人間というのもあるけど、本当にすごい仕事だと思う。

最後の夜だけ寝付けなかった。天井を眺めてミスチルを聴いた。「365日」「口笛」「Sign」……。桜井さんの声が沁みる。病室のミスチルはいいぞ。

荷物をまとめて、今日タクシーで帰る。

帰宅して2日ぶりにシャンプーした。超気持ちいい!

すごく丁寧な対応をしてもらったけど、できることならもう行きたくない、かな。

健康普通に暮らせることの大切さがわかったよ。

2021-10-24

母親が死んだ日のこと

昨年秋の夕方5時、仕事中に突然姉から電話がかかってきた。

「お母さんが1週間前から具合が悪くて、今朝電話したら床で寝てるらしい。さっき電話したけど繋がらない。明日の朝救急車を呼ぼうとお兄ちゃんとお昼に話しした」

姉は結婚地元を離れており、私は実家から歩いて5分のアパート暮らしていたので何か知っているのではと

電話をかけたらしい。

が、私は母親が具合が悪いことすら知らなかった。

私は基本的LINEとか電話の類が嫌いだし、当時仕事パンク状態で参っており、会社アパートを往復する以外は何も出来ないような生活を送っていて、

休みも歩いてすぐの実家に帰る気力もなかった。

それ以前にそもそも母親のことが好きじゃなかったので接触を避けていた部分がある。

母親と同居している兄にも連絡を取っているが携帯は繋がらないし、勤務先の番号も知らないと。

母親電話をしたところやはり繋がらない。

おそらく急を要する状況だ。なんで姉と兄が今日じゃなくて明日救急車を呼ぼうなんて言ってお互い納得したんだろう?と思いつつ、

2人とも私と色んな部分が合わない事はこれまでの人生で散々あったのは分かってる、それはいいか自分が出来ることをしようと思った。

私は会議キャンセルし、実家救急車を呼び、電車で1時間かけて搬送先の病院にに向かった。

救急から電話朦朧としているが意識はあるとのことだった。

隣町の搬送先の病院検査したところ、発熱があるためコロナ危険もありその病院で受け入れられないので、発熱外来のある大きな病院に行ってくれと言われ、救急車に母と一緒に乗り、そこに向かった。

久しぶりに会った母は全く意識が無かった。

9時すぎぐらいに発熱外来のある病院に到着し、母にコロナの恐れがあり、私も接触してる可能性あるので発熱外来専用のプレハブ小屋隔離され、待っていてくれと言われた。

私はテンパって会社を出たためコートを忘れており、二十畳ぐらいあるプレハブで、部屋にいるのが私ひとりで暖房を全開にしても寒くてしょうがなく、スマホバッテリーも切れてしまい、パイプ椅子にへたり込みながらつまらないテレビを見ていた。

11時ぐらいに兄がやって来たが、「頭痛いから帰っていい?」と言われた。

私も上司取引からストレスで色んなところが具合悪いんだけどと思いつつ、兄と同じ空間で息を吸うのもイヤだったのでいいよと言って返した。

夜の3時、ようやく医師から母親の状況が敗血症性ショックで相当まずい状況、コロナが原因か他の病気が原因かわからないということを告げられ、すぐ集中治療室うつすと言われた。

頭がぼーっとなり、誰かに話をしなきゃと思ったが、スマホバッテリーが切れていたので出来なかった。

なぜかよくわからないがプレハブからICU家族用控室に移動していいよと言われ移動した。

ICUの控室はテレビはないがソファーフカフカパイプ椅子とは雲泥の差だった。暖房もしっかり効いて快適だった。

朝になりとりあえず一旦帰っていいですよと言われて少し眠った。

10時すぎ兄から電話が来て病院から電話が来たので一緒に来てほしいと言われた。

タクシー病院に向かい、一緒に医師から死亡した旨を伝えられた。

姉はどうしても抜けられない仕事があり病院に来るのが昼以降になるとのことだった。

11時頃、PCR検査の結果が出てコロナ陰性だと分かったので母親と面会できることになった。

ただ寝てるだけにしか見えず、死んでいるのが信じられなかった。

ずっと母親のことは好きで無かったし、今もそれは変わらないんだけど、こんなに泣いたのは生まれて初めてというぐらい泣いた。

2021-10-18

anond:20211018220136

唐突自分語り申し訳ないが

自分人生で虚しいと考えている時は

漠然と苦しい時だったような。

昔 服薬で自殺を図ったことがあって、

幸か不幸か、未遂で終わったんだけど

胃がとにかく苦しくて、信じられない量の胃液を吐いた。

吐いていた時は、自殺を決行する前の1番苦しい時では無かった。

だけど胃が焼けるように熱くて、オーバードーズした薬の味が気持ち悪くて苦しかった。

そういう朦朧とした意識の中で、自分人生の虚しさを1番濃厚に考えていたから、

ここまで長文自分語りしていて申し訳ないけど、

あんまりむりしないでね。じぶんだいじ。

2021-10-07

anond:20211007175328

救済ではないだろ…

こめかみ焦げるまでヘッドギア電流流したり包帯飲ませて鼻から出したり水槽で息止めたり熱湯風呂で火傷させたり薬物で朦朧とさせて性交させたり過酷虐待を行ってたと書かれているのに「平和」は事実誤認を招くだろ

2021-09-17

同意があったのに後からなかった事にされるって理屈さあ。

同意があったのに後からなかった事にされるって理屈さあ。

男性の側が「セックスしよう」「うん、しよう」という会話があったと主張し、

女性側が「そんな事は言っていない」と主張しているような事例ならばまだ分かるよ。

でも問題にされる事例はそういう「言った、言わない」の話ですらないじゃん。

口頭の同意がないのに男性側が一方的に「同意があったと主張していしている」事案ばかり。

泥酔して意識朦朧としていたのに目が合ったからとか、男性側が勝手に「抵抗しないか同意があると『思った』」とか

それは主観の違い以前の問題だろうがよ。


本当に言った言わないの話で、女性側が嘘をついているんだったら裁判官も分かるよ。

世の中にはいちいち契約書を作らない行為なんて沢山あるし、それで世の中上手く回っているし裁判になっても負けてないのになんで性交の時だけ極端な事を言い出すのか不思議


普通に生きてたら、友達から契約書無しで物をもらう事くらい当たり前に経験してると思うんだが…

ジュース缶コーヒーを奢ってもらったとか誕生日プレゼントゲームソフトをもらったとか。

そういうのにもいちいち冤罪ガーっていうのかね。

窃盗罪の法定刑は10年以下の懲役または50万円以下の罰金からかなり重いし。

2021-09-14

亡くなってしまったわんこ

獣医の「1日様子見て」という言葉よりも、目の前のあなたを信じて早く連れていけばよかった。

結局のところ原因不明から助かったかは分からないけど、もっと早くに点滴受けていたら、せめて脱水を軽減させてあげることはできたはずだ。身体がつらいときに様子見てしまってごめんね。

苦しいのに見当違いの薬飲ませようとしてごめんね。あのせいで、せっかくちょっとずつ飲んでいた水も吐いちゃったね。

最後に連れて行った時は目も合わないくら朦朧としてたね。

おかしいと思って獣医電話した1回目の時に連れて行っていたら、なにか変わっていたかもしれないと思うと耐えられない。飼い主のわたしが、判断を何度も間違えたんだ。

朝はお散歩できていたのにね。朝一の病院自分で元気に歩いて帰ってきたのにね。

病院下痢した直後の朝一じゃなくて、様子見てから症状が悪化した午後に連れて行っていたら、診察ももときちんとしてもらえたね。

もう何を後悔してもあなたは帰ってこれないけど、今しかいから全部書き残しておくね。

こんな日が来るのは10年以上先のことだと思っていたよ。反抗期がきたあなたイライラする時もあったけど、こんな形で唐突に終わると思っていなかったよ。本当にごめんね。助けてあげられなくてごめんね。あなたを苦しめたものの原因すらみつけられなくてごめんね。

しかしたらあの日齧っちゃった布切れのせいなのかもしれないとか、あの日散歩で泥だらけにしたからかもしれないとか、草むらで何か食べたのを見逃したのかとか、いま考えても遅いね

せめて1日前に戻って、早く点滴受けさせて家に返してあげたい。最後そばにいられなくてごめんね。

ひっぱり癖もだんだん直ってきていたし、座っておかないとドアが開かないことも覚えてきてたね。一回転がうまくできなくてロールが覚えられていなかったけど、仰向けのゴロンは得意だったね。

まだまだこれから教えたいことがたくさんあったんだよ。家と公園しか知らないと思うけど、あなたに見せたい世界もっとたくさんあったんだよ。

半年間、家族になってくれてありがとう。思い出も後悔も全部忘れないようにするね。

2021-09-06

生理コロナワクチン副反応同時に食らった感想書く

29歳女で生理は軽い。

どのくらい軽いって木槌で毎秒叩かれる程度の腰痛と朝の濃いめのコーヒーでも撃退できない眠気とトイレギリギリ引きこもらないで済む下痢程度のもん。あと無駄な性欲増強。軽くて気力で乗りきれるし生活に支障はないから薬飲んだことはない。

からなんも役に立たん備忘録です。

この度最悪なことに生理コロナワクチン二回目の接種が完全にブッキングしたので感想文を書きたい。

まず刺された瞬間は一回目と同じ。押しピン刺された時くらいの痛み。押しピンを靴や鞄の中に入れられた経験ある人ならわかるでしょ?あれだよあれ。

その後病院待機中にちょっと人差し指に突き指みたいな症状が出たら看護士が蒼白になって酸素濃度計りに来たけど問題なし。この時点では体温36.2。

なんとこの時頓服処方してくれなかった。政府方針がかわって発熱しないと処方しちゃダメ!になったらしい。審議は定かではないが。

摂取して一時間くらいは注射されたところをつまようじでツンツンされてるような痛みが続く。あと腫れてない?ってくらい二の腕が熱い。家族に見てもらうが変化無し。

摂取して三時間くらいで微熱。37.2。

二の腕の痛みがチクチクから筋肉痛のようなじくじくした痛みに変わってくる。一回目と同じ痛みでちょっとほっとした。

そここら進展あったのは摂取から10時間くらいかな。手足の冷たさ、しびれで目覚める。体温は37.8。

手足のしびれは水分補給で解消する。

摂取から15時間。体温38.5

飯は普通に食ったけど何食っても味が濃い。本当に驚くくらい濃くてインスタントやお惣菜一口でやめた。冷えたプチトマトがうめえ……ってずっと食ってた。

摂取2024時間くらいが一番ひどくて記憶がおぼろげ。体温39.2。

実はこの時腕は全く痛くなくて着替えもできるし腕あげて冷蔵庫も漁れるしペットボトル自力で開けれた。強いて言うなら筋肉痛みたいなのは残ってるから後ろに引くとひきつる感じだけ。髪の毛も自分で結えてた。

でも頭痛腰痛マッハ。いやマジで意識朦朧とするレベルで襲ってくる。鼓動に合わせて頭も腰もズッキズッキン言ってる。控えめに言うて地獄。そしていつも通り下痢なのでトイレにいくけどトイレで何度かしんどすぎて手足冷えて動かすのも億劫になって動けなくて泣くかと思った。もしこれウォシュレットついてなかったら絶対泣いてると思う。

冷えピタを導入するが気休めにすらならん。でも頓服はない。もらってないから。でもしんどくて病院行けるかよクソが。

最初は歩き回ってると頭痛腰痛が紛れてたけどそれも一時間くらいで効果なくなってきてついに今の床に突っ伏して寝た。ここから4時間くらい記憶がない。

目覚めたら38.5まで熱は下がってた。

頭痛腰痛もひどいけどかなりまし。意識保てるレベル。相変わらず味は濃い。

摂取から40時間くらいで37.2まで下がった。頭痛もなくなって腕の痛みもほぼなくなったので終了。

結論

生理関係なくキツいけど生理あるから余計キツい。しんどさは2倍じゃなくて20倍で来るよ……

あと性欲は死に絶えました。たぶんこれは男女共通だと思うので。

2021-08-30

ワクチン打ってマスクもしていたのに感染した。


ワクチン打ってマスクもしていたのに感染した。

会社でどうしても対面で会議する必要があったのでひさびさに7人で集まった。マスクも着けていたし、警戒ゼロだった。

帰る段になって1人が「あ、家族発熱したらしい。牛乳とか買って帰らなきゃ。」といったのが始まりだった。

それを聞いた上司備蓄してある民間PCR検査キットをいくつか持たせてあげていた。

翌日、上司からの鬼電が来て「本人も無症状スーパースプレッダーだった、そしてさっき発熱したという報告を受けた」ということを教えてくれた。1mlの唾液に数千万匹のウイルスがいるCt20を切るデルタ株らしい。それと、こういうのは確率で起きることだから恨むなと強く言われた。このへんのことは前々からよくいわれてた。

デルタ株だからうつっていれば早くて明日からあなたウイルスをばらまき始めます。いますぐに、1週間引きこもる準備をしてください。うつっていたとしてもまだ感染性はないはずです。とはいえワクチン打っているから、発症しても入院まではしにくいとは思うけれども。あと、キットを送るのでできれば毎日検査してください。デルタ株にかかった場合、だいたい5日後までに陽性になるらしいので、5日過ぎたらおそらくうつってなかったってことでしょう。なので特に最後検査大事です。」

状況を聞くと、同居している人がいる人は慌てて空き家に移ったとか聞いた。

正直このときは大したことないと思っていた。

いわれたとおりに検体を提出していたら、会議から3日後、TMSクリニックというところの女医さんから電話がかかってきて陽性でしたよ、といわれた。その前日の検体では出ていなかったけれども、数十万匹のウイルスがいて十分な感染性のある状態で、ワクチン打ったのに、って思いました。保健所に連絡して対応もしてくれたけれども、保健所はいまの東京の状況だと自宅療養ということでした。

一番恐ろしかったのが、その翌日辺りから嗅覚がなくなってきて、食べ物の味がしなくなったこと。これ、このまま治らないんじゃないか、一生味がしなくなったらどうしよう。熱もその後出てきて、とてもきついインフルエンザみたいだった。めちゃくちゃ辛い。その後も自宅療養で、ときどき検査していたら、ずっと陽性で一番濃いときにはスーパースプレッダーと同じCt20くらいになって、ウイルス濃度が数千万匹/1mlと、とても濃い状態で、人にめちゃくちゃうつる状態だといわれました。デルタ株はとても濃いらしく、ワクチン打っていてもこうなるのね。

結局、その後1週間くらいで徐々に味覚は戻ってきて本当にうれしかった。いまは、まだPCR陽性だけど、もう感染性がない状態といわれていて後遺症らしき後遺症はないです。これでも運が良かったってことかなと思います

デルタ株の判別技術的にも手間的にも大変だから、するところはほとんどないみたいだけど、今回お願いしたところは、オプションなしで変異をいろいろ調べてくれて技術にこだわる職人ぽかった。デルタ株じゃないときは陽性になるのが遅い場合があるからさらにもう数日引きこもれと上司は言っていた。

それから、7人のうち4人はワクチン2回接種2週間経過済み、3人は未接種だったらしい。

接種していなかった3人は、全員発症、うち2人は自宅療養から重症化で入院救急車を呼んだけれどもそのまま帰っていったこともあったり、入院先がなかなか見つからず、相当悪化して意識朦朧酸素飽和度90でようやく入れたみたい。ウイルス濃度もずっと濃かったみたいだし、一時期は本当に悪くて本人に可能性の告知がされたが、なんとか回復傾向になってきたらしい。けれども、どれくらい元通りに戻れるかは不明。接種済みの残りの3人はPCRがずっと陰性で仕事復帰が早かった。ただ、この3人、1人は翌日発熱したけれどもすぐ下がっていたり、2人は感染すると上がる抗体定量検査の値がかすかに上がっていたりで、ウイルスをばらまきはしなかったみたいだけれども、ウイルスが体内に入り込んで戦ったのかもしれない。やっぱりワクチン大事だ。

正直、新型コロナウイルスなめてた。とくにデルタ株は、これ、もう別の病気といっていいくらやばいマスクワクチンも打ち破ってくるなんて。

2021-08-29

anond:20210828123651

今までインフルエンザでも人死んでたでしょ

多臓器不全になるインフルエンザでなんで医療崩壊起きなかったかって言えば

死ぬぎりぎりまで自宅療養が基本」だったか

例えば老人ホームインフルクラスターが出ても、意識朦朧とするまで病院に運ばなかったか

コロナは老人が死ぬだけだけど、インフル子供も殺す。特に乳幼児は脳症を起こして池沼になったりすることもあった

でも世間は騒がなかったよね。「自宅で様子を見ましょう」が基本だったのに

コロナになって老人だけ狙い撃ちってわかった瞬間「ちょっとヤバくても入院」が基本

結果的若い人が他の病気入院出来たり拒否される。これってどうなの?

2021-08-20

最後酸素

 静かな夜だった。

 幼い娘が電気を消して欲しいと言うからわたしは寝室の常夜灯を消して、ベッドに横たわる彼女の隣に寄り添った。

ママ、苦しくない?」

 娘はそう言うと、チューブ自分の鼻から外して差し出した。わたしはそれを受け取らず、代わりに小さな手を握り返した。

「お母さんは大丈夫、もう少し吸っていなさい」

 そう言うや否や、自分の肺の底から咳が込み上げてきた。身体を反転させ、娘に背を向けて咳き込んだ。

 同じ病気にかかっているから、こうすることにたいした意味はないのに。

 娘は小さな手で背中をさすってくれた。

 わたしは枕元のチェストに置いたティッシュペーパーをとって痰を吐き出した。

 薄闇の中で、それはどす黒い血のようにも見えたが、さすがに気のせいだろう。

 くずかごには丸めティッシュがうずたかく積まれていた。

 娘は健気にわたし背中をさすり続けた。その柔らかな皮膚と荒いスウェット生地が擦れる音は、世界で一番優しい音だと思った。


「もう、大丈夫だよ、ありがとう

 今度は娘が咳き込んだ。ケンケンケンケン

 幼な子の咳は軽やかで愛らしいけれど、自分が重たい咳を吐き出すときよりもよほど強くわたしの胸をしめつけた。

 ......あのとき帰省しなければこんなことにはなっていなかったかもしれない。ワクチンだってまだ打ってなかった。

 そのことを娘に詫びると、彼女はこう言ったのだ。

いなかの山、星、きれいだったね」

「そうだね、流れ星も見れたね」

 あの夜、星が天球の上を一筋に流れたとき、とっさに願ったのはこの子幸せだった。

「ねえ、ママ、お水が飲みたい」

「待ってて」と言って、わたし橙色ルームランプをつけ、スリッパを履き、ベッドから立ち上がった。


 足元には、フローリングを埋め尽くすほどたくさんの観葉植物が並べられていた。

 わたしたちの感染がクリニックの外来証明されて、だけれども入院できる施設がどこにもないと知ったとき、帰りに立ち寄ったドラッグストアで買ったものだ。

酸素在庫はありません。供給が追いついていないそうです」

 髪の薄い男性店員が、眉を八の字にして申し訳なさそうに宣告した。

 だったらどうしたらいいのよ! といつものわたしだったら食い下がっていた場面だろう。

 もうそんな元気がなかったのもあるし、何より社会全体が何かを諦めてしまたかのようなムードに包まれていたから、わたしは何も言えなかった。

 調剤室の前のベンチにはたくさんの人が座っていた。

 みんな、まるで負けることを知った試合を消化するチームメイトのように、うつむいて、冴えない顔つきをしていた。


 結局、わたしたちは酸素ボンベの代わりに、たくさんの鉢植えを買ってきた。

 植物光合成をしてくれたら、部屋の酸素濃度が上がるかもしれないという、浅はかな考えだった。

「ねぇ、フラワーパークビニールハウスみたいね

 ドラッグストアからの帰路、緑を満載した赤いコンパクトカーの後部座席で娘は咳き込みながら笑った。

「また行きたい、フラワーパーク

「うん、行こうね、必ず連れていくよ」

 返事はなかった。

 白いマスクと、冷えピタシートに挟まれ可愛い目を細めて、彼女はそのまま寝てしまったのだ。すーすーと穏やかな寝息を立てながら。

 わたしは安堵して、赤信号が青に変わったのにしばらく気がつかなかった。発進を急かすクラクションがやけに遠くから聞こえた。


 あれからまだ三日しか経っていない。いや、二日だったか? すでに、寝室とダイニングキッチンを往復するだけでも身体が重く、息苦しい。

 昔は、クロールだってバタフライだって延々と泳げたのに。

 洗っていないコップに水を注いで、一口飲む。

 水はもとより味がないから助かる。

 昼間に食べた卵がゆは、まるで湿地から採取した粘土のようだった。まだ喉の奥にひっかかっている気がする。

 味が濃いはずのものを口にして、その風味を感じられないことがあんなに不愉快なこととは知らなかった。

 シンクには、その食べ残しの茶碗が重ねて置かれていた。

 昼間に洗って水切りかごに伏せておいた子ども用のプラスチックのコップに水を注いで、寝室に戻った。

 ルームランプに照らされた黄色いコップには、アニメキャラクタープリントされていて、屈託のない笑顔永久に固定していた。

ありがとうママ

 娘はマットレスに手をついて起き上がると、壁にもたれかかって、コップの水をゆっくり飲んだ。

 彼女は、肩を大きく上下させて呼吸していた。

 枕元に転がっている酸素ボンベをちらりと見る。これが最後ボンベだった。

 フリマアプリで、とんでもない高額で取引されていたものだ(たぶん違法だ)。だから何本も買えなかった。


 配送を待っていられなかったから、車で片道二時間かけて取りに行った。古い戸建てに住む、中年男性だった。

 まいどあり、と言ったあの笑顔が、がたがたした歯が、家の臭いが、忘れられない。

 ......彼は一体どうやってあんなにたくさんのボンベを手に入れたのだろう……どうだっていい!

 帰りの高速では意識朦朧として、事故を起こしそうになったっけ。


 黒光りする筒の頭の部分におもちゃみたいなメーターが付けられていた。針は、かなり傾いていた。

 パルスオキシメーターで測定したわたしたちの酸素飽和度は、故郷の山の、空気の薄い山頂にいるくらい低い。

 どうりで頭がぼおっとするわけだ。

 N-95マスクをつけた医師に、少なくとも一分間に五リットル以上の酸素必要と言われたが、もったいないからもっと絞って使っている。

 酸素に味はないけれど、吸えば少し楽になるのがわかる。

「美味しかった」

 娘がコップを差し出した。まだ水は半分も残っていた。

 もういいの? うん、もういい。

 チェストにコップを置くと、ランプを消して二人で横になった。それから娘の体を抱きしめて、小さくて丸い頭を撫でた。

 髪の毛は柔らかく、少し湿っていて、甘い匂いがするような気がした。

ママ、それ、ほっとする」

 腕の中で彼女はそう言った。子守唄を歌ってあげたかったが、もう声を出すのもしんどくなっていた。

ママ寒いの?」

 確かにわたし身体は震えていた。でもそれは寒さから来るものではなかった。

大丈夫、咳を、こらえて、いる、だけ」

 声がなるべく震えないように、切れ切れに言って(あるいは本当に息が続かなかったのかもしれない)、わたしは頬を伝う一筋の涙が彼女に落ちないように頭を上の方に向けた。

 それにつられて、娘も顔を上げた。


 ベッドサイドのチェストの上に窓があった。正方形の小さな窓だ。

 すりガラスがはめ込まれていて、外の景色は見えない。

 ただ今が真っ暗な夜ということだけがわかる。

 娘が、ママ、とささやいた。

 どうしたの? と尋ねると、彼女は目をつむってこう答えた。

「星が、きれいだね」

 わたしは頷いて、

「ねえ、あのとき流れ星を見て、何をお願いした?」と聞いてみた。


 返事はなかった。



2021-08-18

保健所は頑張っちゃいない

例の567ウイルス1月に近親者を亡くした。

1月なのでまだ今ほどひどくは無い頃だ。

その頃、メディアは「保健所は逼迫している。頑張っている。」みたいな論調だった。

だが、亡くなったあとに色々話をきいているうちに、少なくとも管轄保健所はそんなのは微塵もなかった。

保健所の連中は、「本人が大丈夫と言っている限り、何もしません」と言い放ったそうだ。

要するに自分で元気だと頑張る年寄りには冷たく、弱音ばかり吐く年寄りには手厚くするらしい。

まあ、後者に対しても割と冷たかったそうではあるが、入院調整ぐらいは片手間レベルでやってくれたらしい。

最終的には意識朦朧とした頃に同居人救急隊を呼び、同居人必死に説得してやっと乗ることにしたそうだ。

結局、設備が整っていない広域病院に運ばれたが、数週間でこの世を去った。

本人は人一倍健康に気を使い、主治医にもまだまだ長生きすると自信を持って言われていたぐらいだ。

だが、逆にそれが本人自身過大評価につながり、このような結果になったのかもしれない。

ちなみにわざわざだったので最初に書かなかったが、民間病院の連中は他人事であり、一切の信用はおけなくなった。

発熱するだけで門前払いだったらしい。亡くなったことをつげたら、門前で「残念です」と言われたらしいが、

方便しかないだろう。

増田普段見ていないし、今の社会もっとひどい有様なので、いまさらすぎる内容だと思うし、別に共感批判もされることも期待していない。

ただ、もしこれを見ていて、まだ間に合う状況だけど同じような性格の人が居た人にだけ一言言いたかった。

保健所の連中は信用するな。」

いまさら?すまんないまさらで。

2021-08-17

野球が嫌い

久々に野球の延長のせいで見たい番組の録画に失敗するという経験をした。

アニメ自体は別の媒体でも見れるのでそこまでショックでもないが、問題はその後。

 

録画されていたのは高校野球

野球憎悪するレベルで嫌いな僕にとって最高の煽りだった。

 

なんでこんなに野球が嫌いなのか、改めて自分の中でまとめてみたくなったので匿名で書く。

 

プロ野球放送で見たい番組が潰れた、録画がズレたりそもそも録画されなかった、という安易理由も当然ある。

高校野球優遇っぷりや、野球に関わっている人たちの傲慢発言や態度が気に食わない、という個人的嫌悪感もある。

でもそれ以上のキッカケがあったな、と。

 

僕が小学校時代地区のこども会で強制で参加させられたソフトボールという競技である

30年以上たった今でも鮮明に覚えているあたり根が深い出来事だったな。

 

自分が住んでいた町では5月8月末まで、小学3年生~小学6年生の男子ソフトボール女子ドッジボール強制参加させられた。

各学区ごとの予選があり夏休み終盤には町大会が開催される。子供たちに拒否権は無い。

ちなみに僕は参加させられるまでソフトボール正式ルールなんて知らず、せいぜいピッチャーが投げたボールバッターが打つ、程度の認識だった。

 

僕の住んでいた学区は人数が多くA,B,Cチームに分けられ、僕はCチームにアサインされた。

均等に分けたという建前はあったがAチームには少年野球をやっている子が多く集められ、Bチームはサッカーなどのクラブチームに入っている子が多かった。

Cチームは別競技を習っている子が多少はいたが、どちらかといえばインドアの子が多かった。

また、A,Bチームは過去野球をやっていたという親御さんが監督/コーチとして指導していたが、Cチームはただ野球が好きなだけというPTA会長おっさん監督だったのも色々察せられる。

 

小学3年生になり参加した初日、いきなり守備審査が行われた。

まずはピッチャーを決めるらしく、全員がマウンドからキャッチャーに向かって投げろと言われたので上手投げしたらめちゃくちゃ怒られ、その時に初めて「ソフトボールは下手投げ」ということを知った。

まれて初めて自分意志で下手投げをしたが当然上手く行くはずもなく、狙いは定まらキャッチャーの頭上を大きく超えた。

「この下手糞がぁ!!」と怒鳴られ、当然ピッチャー候補からは外された。

 

キャッチャーファーストセカンドサードショート、レフト、センターライト審査が進んでいったがそもそも運動が苦手なのと、今まで感じたことのないスピードで飛んでくるボールビビッてエラーを連発、どの守備位置にするにも難しかったと思う。

そもそも子供の人数が多いため初日から補欠扱い、正式メンバーと交代でレフト、センターライト練習といった感じだった。

 

2日目、攻撃練習が始まったがそもそもルール説明されていない。

1打席目はとりあえず打って1塁に走ったがどうやら守備側がボールを先に塁に送るとアウトらしい。

いつまでも1塁に留まっていたら「何やってんだ!!さっさと戻れグズがぁ!!」と怒鳴られた。

2打席目は当たり所が良かったのか1塁に出れた。

次の打者が大きく上に打ち上げたので2塁に走ったが、守備側がそのボールを上手くキャッチし1塁に投げたのを見ていたらアウトだから戻れと言われた。

えっ・・・?なんで・・・?と思っていたら監督バットで小突かれ、「子供のくせに野球ルールも知らねえのか!お前の親は何を教えてきたんだ!!」と怒鳴られた。

こんなことで親をバカにされた悔しさと申し訳なさで初めて泣いたので記憶に残っている。

 

3日目からは友人に聞きながらルールを少しずつ覚えていったが、多少ルールを覚えたところで競技が上手くなるわけもなくエラー三振、凡ヒットなどを繰り返しながら練習だけは参加し続けた。

なおここまでもこれから監督からソフトボールという競技ルール説明は一切ない。

 

下手糞ながらも練習を続けていたある日、そろそろA,Bチームと練習試合をするということになった。

僕は正式に補欠ということになり誰かがケガでもしない限り出ることはないはずだったが、レフトの子がケガをしてしまったのと別の補欠の子休みだったため急遽レフトをやることになった。

地区で一番強いAチームは打力もあり、レフトが弱そうと知ると集中的に狙ってきた。

当然エラーを連発、そもそも球に追いつけない、捕球して返す球はヘロヘロといいとこなしでボロ負けしたのを覚えている。

練習試合後の反省会は誰が戦犯か吊るし上げるまでもなく、激怒している監督バットで僕の顔面に向かってスイングし乳歯が折れ流血沙汰になった。

僕の両親と監督指導に疑問を持つ一部の親が暴力事件として町と教育委員会に話を出したが、「本人にも聞き取りを行ったが、あくまでも指導の一環で本人のやる気のなさを自覚させるために仕方ない行為でケガをさせる気はなかった」と結論づけられ大事にはならず謝罪もなく、田舎PTA会長という肩書の強さを思い知った瞬間だった。

また、監督金魚のフンのおばちゃんには「こういうのは勝つためじゃなくて、チームでやるということの意味と本人のやる気が全員の力になるっていう事を教えるためにやってるの」って諭すように言われたのも記憶に残っている。

 

流血事件が起きてからも何とか練習には通っていたが、失敗すれば「下手糞!」と怒鳴られ、たまに成功すれば「たまたま上手く行っただけでお前の実力じゃない!調子に乗るんじゃない!」と怒鳴られ、挙句に「お前みたいなチームの足を引っ張るやつは来なくていい!」と言われのをキッカケに練習サボるようになった。

久々に17からアニメを見れたのがとても嬉しかったのを覚えている。

そして2日サボったところで監督が「お前みたいなグズが練習サボるとはどういうことだ!それを良しとしている親も親だ!!」と怒鳴り込んできて、また親へ申し訳ない気持ちになり、親には言い訳しつつ渋々練習に参加するようになった。

 

夏休みも中盤になり地区予選が始まる1週間前、補欠を含めた全員にユニフォームが渡されることになった。

最初スタメンから順に渡されていき、監督テンションが上がっているのか「頑張ってな」「他のチームは強いけど気合い入れていけよ」と声をかけていた。

交代要員あたりになると「交代時はお前が支えるんだ」「ピンチの時は頼むぞ」と声をかけていた。

そして僕を含む補欠メンバーになるとそもそも手渡しではなく、砂にまみれた地面にボフッと置かれ「これ」とだけ。

なかなか屈辱的な経験を早めにさせてくれてありがとうございましたとでも言うべきだったな。

 

なおこの年の地区予選では見事にCチームは破れ、Aチームが町大会へと進出していた。

監督スタメン以外のメンバーに切れ散らかしていたのが思い出深い。

 

小学4年生、小学5年生の間は下級生より下手糞な僕に監督から辛辣言葉が増えた程度で扱いも地区予選での敗退も変わらなかった。

 

そして小学6年生の夏、Cチームは地区予選を優勝して町大会へ行けることなった。

これが決まった直後になかなか衝撃的なことが起こった。

Cチームのメンバーでは町大会では勝てなさそう、ということでAチームとBチームから少年野球をやっている子を引っ張ってきて加入させていた。

さっきまでAチームピッチャーという花形を務め、敗退して泣いていたS君がCチームのピッチャーになった。

さっきまでBチームでホームランを2回打ち、ヒット率も高いT君がCチームの代打要員になった。

大会ルールでは他チームからトレードや引き抜きは禁止とあったのに、それを平然とやっていた。

今までチームメンバー表を提出しなかったのもこういう時のためらしかったし、大急ぎで書き換えているのを大人子供も何人もが見ていた。

「勝つためにやってるんじゃない」という発言の軽さと、こんな汚いことしても許されるのがスポーツなのか、と思った瞬間でもあった。

 

Cチームのスタメンの半分が入れ替わり、交代要員にされた元スタメンの不満を押さえつけ、元交代要員は準補欠という謎要員にされ、補欠組はいよいよ試合に出る機会はなくなった。

それでも町大会には応援するためだけに来いと言っていた。

両親は反発してたけど、行かないと今後こども会の行事への参加は禁止するって言ってたのが聞こえていたし、応援するだけで面倒事を避けられるならいいかと思って渋々行った。

 

大会は町の大きめの運動場で行われたが、そこまでの移動はスタメン、交代要員は地区で用意したバス、それ以下のメンツ自力で、とのことだった。

現地について試合会場に入ると思ったよりもベンチが小さく全員が入りきらないので試合絶対に出ない補欠組は地面に座るように言われた。

 

優勝決定までは3試合くらい必要らしく1日かける町大会だったが、この日は当時にしては日差しが強く気温も高かった。

運動中に水を飲むのは厳禁、という当時の思想があったり、Cチームとして大きなタンク氷水を準備して持ってきていたらしいが監督が「補欠組はこの水を飲むことは禁止だ!優先度というのがある!!」と宣言したので補欠組は水タンクに近づくことも許されなかった。

2試合目あたりで限界に達してぶっ倒れて意識朦朧となったが監督は「町大会まで来て迷惑かけるような軟弱なやつに構うな!」と言って放置されていて、観客席で気付いた母親があわてて救急車を呼んだことで監督とその囲いから散々嫌味を言われた。

 

僕は病院に運ばれたので伝聞でしか知らないけど、Cチームは町大会でも準優勝まで勝ち進んで監督はご満悦。

閉会式での監督インタビューで「野球というもの精神と頑張る力を成長させチームワークを芽生えさせる素晴らしいスポーツ、そのキッカケとなるこども会でのソフトボール大会は残すべき文化です」とか語ってたらしい。

 

メンバーを入れ替えたこと、倒れた子供放置していたことなどを町と教育委員会に話すも、「同区から複数同じ話を聞いているが全て終わった事だから今更蒸し返して結果を弄りたくない、それで反感買って住みづらくなりたくないでしょ?(要約)」的な返事がきてたのも子供心に「クソだな」と感じた。

 

 

まとめてみると野球というより野球好きのPTA会長のクソさが元凶だな?

 

スポーツ全般に対していい印象なんてないけど、それでも野球に対して特にそう感じるのはソフトボールという競技に関わってしまったために受けた嫌な気持ち野球という競技にやられた理不尽な行いで間違いないと思う。

野球は素晴らしい、野球というスポーツルールは全員知っていて当然、野球は他のスポーツひいては文化系より優遇されてもいいとかいう風潮が鼻につくのかな。

教育の一環といいつつ流血沙汰が肯定され、下手糞はゴミのように扱っても問題なし、勝つためにはルールを破ってもいい、それがスポーツ!という現場を見て、体験してしまたからかな。 

これが他のスポーツだったら、そのスポーツが嫌いになってたんだろうな。

 

野球好きな人は好きでいいと思うし、楽しんでる人に対してあーだこーだいう気もないからどうぞご自由にって感じ。

ただ、自分野球のせいで割を食うのが我慢ならないんだよな。

 

なんか上手くまとめられなかったのでこの辺で。

2021-08-04

風邪程度って言うけど風邪きついよね

毎回風邪引くと38-39くらいの熱出て意識朦朧として、まともに出歩くこともできなくなる

なんか世間一般イメージしてる風邪って引き始めの数日だけじゃない?

喉がー鼻水がーw

いやいや、熱で脳や体の節々がやられてまともに動くのキツいんだが

2021-07-31

anond:20210731203448

肥満はヒットする。

高脂血症のケがあって脳がアレする可能性が常人よりは高い。二親等以内に脳やって亡くなった身内がいるし。別の持病で薬飲んでてその副作用血圧常時高めだし。

何より、一人暮らしで高熱出して意識朦朧レベルまで行ったら素で衣食に困るし、最悪救急車も呼べなくなって死ぬだろ。

今だと呼んでも搬送先がないとか言って自宅に戻される可能性も高いが。

2021-07-28

ダイジェスト

入院してした病室の、または入院できずに自室のテレビで、高熱や咳にうなされながら見オリンピックの実況が、自分を通り越して室内を満たして。たまに朦朧とする意識の中で、あぁ、あのとき飲み会行かなきゃ良かったな、とか、警戒を怠りすぎたかな、とか沸き出る後悔と対面して。最悪の場合、このまま死んでしまうんだろうかという怖れ、このオリンピックダイジェストのように人生を振り返ることもなく、単純な意識消滅として訪れる自分の結末、それを何より怖れる気持ちが消せなくて。朝、浅い眠りから、蝉の耳障りな鳴き声で引き戻されたとき、あの虫たちのようにせめて鳴きわめきたい、自分の生きた証、最期の輝き、怒りや悲しみの放出それからドアの前に倒れ込みたいと。そう思っている人がいま、いるかもしれない、2021年の夏。

2021-07-23

コロナワクチンを接種して副作用から生還する方法

看病してくれる人がいないと衰弱死するリスクインフルエンザ程度には高そうなので対策を考える。

あくま個人意見です内容の正否はすべて自己責任判断してください。

## 問題

## 対策

2021-07-05

今はちょっとだけ大丈夫になったと思う

足の遅い小学生だった。

マラソン大会など苦痛で仕方がないものの極地で、練習で校庭を10周すべきところ何周走ったかなんて片手を過ぎないうちにもうわからなくなっていた。

酸欠で朦朧とし始めた頃、視界の端にゴールとそこに向かう同級生が見えて、苦しさから解放されたい一心でそちらにフラフラと吸い寄せられた。ゴールの向こうに座って並んでいるのは一人だけだった。足が人一倍遅い自分が二着の札を受けとっているのはどう考えてもおかしいのだが、一周足りなかったと気づくのにしばらくかかった。

学年で一番脚の早い一着の彼女に「すごいね!頑張ったね。」って言われて、数え間違ったことを言えなくなってしまった。それを言えなかった自分よりも、誰からも「一周足りなかったでしょwww」って言ってもらえないことを呪った。

授業が終わるまでの十数分が永遠のようだった。

2021-06-28

「ドカ食い下痢部」創設のお知らせ

ドカ食い気絶部の姉妹部として

「ドカ食い下痢部」を創設する事にしました。

活動内容

昼食にカップ焼きそばおよびクッキー5枚、またはそれと同等の脂質・糖質いただきます

6時間後、激しい嘔吐下痢が起き、意識朦朧します。それが3時間程度続きます

それを増田に報告します。



みなさん奮ってご参加ください。

以 上

2021-06-26

したたかに酔っ払って増田を書くのは面白い

朦朧としながら書いたようなので書いたことを結構忘れてる。

それでいて自分が書いたことだから機微や経緯が手にとるようにわかる。

自分言葉他人が書いたもののように読めるのは実に新鮮な体験だ。

金曜か土曜の夜でへべれけになったらまた今度もやってみたい。

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