はてなキーワード: 朝鮮系とは
「思想もなにもない」「金だけ」ってところに朝鮮人というより中国人ぽさを感じる。
顔は朝鮮系だよね。
https://megalodon.jp/2022-0724-2146-17/https://anond.hatelabo.jp:443/20220721075434
2022-07-21
こいつ右も左も関係なく「こどもに悪影響になりそうなもの」や「少子化対策」に関して異常なまでに熱心なんだよね。
それらに関しては筋が悪かろうが、屁理屈で失笑されようが持論を展開し続ける。最近の事例を見ても、
こども産んだら1000万円
他のトピックは割とすぐ飽きるんだが(F爺とラテン語さんにボコボコにされた時は数日かけてたが)、こどもが絡むと拍車がかかるというか。
ちなみに所々、浅薄さや軽薄さを感じずにはいられない論理もあるから、ひろゆきを評価したいわけでは全くないことを付け加えておく。
対談した人が「思想もなにもない」っていう感想を持つことが多いが、なるほど。
https://megalodon.jp/2022-0708-1245-37/https://anond.hatelabo.jp:443/20220708121559
まあこれは左翼に生まれた思想もなにもない女性だと思うんで無視してよし
■安倍暗殺は成功した。これは得難い成功体験だ。政敵はキチガイを煽って殺させる。
https://megalodon.jp/2022-0708-1830-35/https://anond.hatelabo.jp:443/20220708182818
中国人。文章が硬いんでバレる。絶対に分かり合えないので無視してよしw
■安倍晋三の死体に無駄に血液流し込んだせいで近畿が血液不足に
https://megalodon.jp/2022-0709-1601-56/https://anond.hatelabo.jp:443/20220709155429
これは完全にアウト。中国人ともいいきれないような感じだが翻訳口調なので別の外人の可能性もある。
改めて見てみると、日本人でこういう書き込みの人は一人もいないと確認できて安心した。
アウトっぽいのは全部外人。
ロシア問題について、ロシアの今回の行動は言語道断で、政府や軍の上層部に対する各種制裁はおおいにやるべきだと思っているけど、そうじゃない戦争支持をしてない様な一般人に対して、例えば下記の様な対応はやりすぎじゃないか?と思う。
第2次世界対戦中の日系人の強制収容所送りとか、日北朝鮮の拉致問題が大きく報道された後の韓国/朝鮮系の人に対するヘイトクライムとか、911の後に発生した中東系へのヘイトクライムとか、新型コロナウイルス蔓延後に発生した中国人やアジア系へのヘイトクライムとか、ああいうのと同じで事象への責任がない一般人にまで憎悪の対象を向けるのは違うんじゃね?って思う。
俺は細目で汚い顔のデブが嫌い
タレントで男女ともにそれで思い浮かぶ人間が1人ずついるのだが両方とも痩せたそうだ
でも女の方は痩せようがずっとキモいし男の方も画像まだ見てないけど朝鮮系の細目は絶対に変わらないので恐らくキモいままだ
俺自身も昔デブと罵られ高校で減量に成功するが、骨格が悪く顔のバランスが悪くなるし骨太なので体重があまり減らせなくなった
高3のときミスタードーナツの食べすぎでリバウンドしたが割と太った後の下ぶくれの方がちょうどよい感じ
それを知っているので俺はそんな強迫観念があろうとも断固として痩せないようにしている
その朝鮮系の顔の男女2人は関西出身かつ元いじめられっ子だから恐らくブスブス云われてきたと思う
効いてて草!w
https://anond.hatelabo.jp/20210312203939
本文がどうしても途中で消えるため、追加部分として分けた。
部落問題は、根が深い。かといって、そこまで複雑なものではない。
各時代の政権が正しく対処していれば、部落解放同盟といった組織が存在することはなかったし、また存在しているべきでもなかった。
被差別部落は、歴史が積み重なったエリア(代表的なものとして京都。あるいは「府中」が付く地域など)に多く存在する。
平安時代以前に、そのエリアに特定の民族(土着系、中国系、朝鮮系、マレー系ほか)が住み着いて生活を営んでいたものの――何らかの原因によって、とある民族一派が生活圏を追われた結果として生まれたのが、伝統的な意味での部落だ。
すなわち、戦争や政変で自民族が敗北する、ある者が重大な罪を犯す、心身に何らかの異常があるなどにより、生活しやすい都市部を追われた者たちは、山地や川べりなどに住まわざるを得なくなり――そこから、普通の人間が忌避する穢れを含む多くの仕事(食肉、葬送、処刑、皮革加工や汚物処理)を行うようになり、やがては専門的、特権的職業に分化していった。
明治以前は、そうまで貧しくはなかったようだ。彼らが町人の生活に必須な物を売ったり、公共サービスを提供していたこと、税金が免除されていたのも大きい。
だが、維新によって明治政府が生まれ、西欧に倣った近代的な理念や法律が社会に浸透すると、四民平等の名の元に、彼らにも課税がされるようになった。加えて、近代産業が伝統的な部落民の仕事を奪うようになっていき、彼らは貧困にあえぐようになった。
当時の政府は何らかの手を打っておけばよかった。しかし、何も手を打たなかったので、部落に住む人々は貧しい時を生き残るために集団の結束を高めた。家族間や親族間での助け合いはもちろんのこと、その地域に住んでいる全員が全員を認識できるほどに。そして、彼らの結束は、やがて一般社会への怨嗟を募らせる方向へと動いていった。
昭和の中期になり、国民の人権意識も向上していき、部落解放運動が盛んになるなかで――部落に生まれた人々の恨みが爆発した。彼らは、一般社会への恨みを持ち続けていた。復讐したいと考える者が多数いた。だから、あそこまで過激な、暴力を伴う運動に発展した。
令和の時代に、その人が部落出身かどうかを気にする人間は少ないだろう。部落に生まれようと、生まれまいと、その人の人生に何らの影響もないからである。現代の都市環境においては、その場所が被差別部落だったかどうか、一見ではわからなくなっている。※道幅や道路改良の跡でわかることもある。山地や川べりにあるタイプの部落も、分かる人間であれば判別がつく。
部落というのは、文化的な意味では、もうほとんど存在しないといっていい。しかし、人はタブーに惹かれる性質を持っている。「穢れ」という概念は、今の時代を生きる人間も持ち合わせている感覚である(人が触ったパンや米粒は食べたくないはずだ。安全性が保障されていたとしても)。だから、インターネットなどでは、若い人達も部落について語り合うことができる。彼らは、昔の人々がどのような「穢れ」を持っていたのか気になるらしい。
被差別部落に生まれた一個人として、現代人の意識から、この「部落」という言葉がいつの日か消えることを祈っている。いずれは完全なる死語となり、教科書の中だけの言葉になることだろう。子どもの時分から解放運動に携わってきた者として、そんな未来を望んでいる。