はてなキーワード: 有理数とは
https://www.youtube.com/watch?v=kX_LmAXYB2I
マイナー電子音系ですけど落ちついたしっとりさもある曲です。心の手の届かないところを撫でられる感じ。
https://www.youtube.com/watch?v=hg4yM6dF1XI
https://www.youtube.com/watch?v=XGZkRbQSMms
上とは逆にこのリスト多数派のキュンキュンピリピリスピード電子音系。
少し離れていたので薄めですf(^_^; ボカロムーヴメント自体はだいぶ落ちついて、ある意味パターンが出切っちゃった感がありますが、一時の低迷から最近は抜け出して作者や再生が戻ってきてるみたいです。
https://www.youtube.com/watch?v=URl7NLO95BI
https://www.youtube.com/watch?v=XogSflwXgpw
https://www.youtube.com/watch?v=bn_1jPIJEaM
15年はあまりボカロ聞いていなかったのですが、これはリズムが気持ちよくて好き
0.999…が1と等しい事がわからん中学生がいる、っていう増田のエントリ[1]があって、
それに対してわっと氏が「等しいのは公理だから」って返答[2]している。
[1] http://anond.hatelabo.jp/20161024040352
[2] http://watto.hatenablog.com/entry/2016/10/25/133000
ちなみに私は[1]の増田とは別人。
わっと氏の主張のどこが間違っているか述べる前に、
じゃぁ、0.999…=1となる本当の理由は何か、というのを先に書いておく。
そもそもなんとなくごまかして「0.999…」と書くことで9が無限に続いている事を表現しているが、
実際には人間の有限の寿命で無限個の数字を書けるわけもない(ヒルベルトの「有限の立場」)。
なんで、実際には有限個数であるn個の9を書いて、そのnをどんどん大きくしているのである。
で、nを大きくするたびに、0.999…が1に近づくというのが、「0.999…=1」の正しい数学的意味である。
高校数学をわかってる人向けに書くと、ようするにnを無限大に飛ばしたときの極限を考えているわけ。
で、わっと氏の何が間違っているのか。
おめー、0.999…=1が実数体の公理だってんなら、有理数体や複素数体の上では「0.999…=1」は
成り立たないってのか!?
当然そんなわけない。
つまり実数体の公理の中でもっとも重要な公理であるデデキントの切断公理が満たされないケース(有理数体)や
順序の公理が満たされないケース(複素数体)でも「0.999…=1」は成り立っているわけで、
「0.999…=1は実数体の公理」という主張はおかしい(注)。
じゃぁ何が重要なのか。
答えは実数体の「距離構造」である(更に弱く「位相構造」でも良い)。
先に極限の話をしたとき、0.999…の桁数nを大きくすると、1に「近づく」って述べた。
「近づく」ってのは「距離が小さくなる」ってことなんで、距離が関係しているわけだ。
わっと氏が触れているε-N0式の極限の定義でも、
0.999…は1に近づくとは限らない。
d(x,y) = 0 if x=y
d(x,y) = 1 if x≠y
0.999…は1に収束しない。
(注)もちろん、実数に関する性質を導くには必ず実数の公理を使うわけだから、
そういう意味では「0.999…=1」の証明に実数の公理を使うことにはなるんだけど、
そんなこと言い出したら「πは超越数」とか「5次方程式は解の公式を持たない」とか
実数に関する全ての定理は実数の公理を使っていることになるでしょ。
★追記
わっと氏の新しい記事を見て、わっと氏が何を勘違いしているのかわかった。
例えば
0.123456789101112131415....
という小数を考えたとき、この小数の桁数を無限に飛ばした極限の
実数(チャンパーノウン定数)が存在する事を示すには切断公理が必要となる。
しかし0.999...の場合は収束先の実数である1が存在することは
新記事の「これはデデキントを遠目で見てます」という記述を見る限り、
わっと氏は無限絡みで実数直線を2つにぶった切るときは常に切断公理が
必要になると思っているようだが、これは正しくない。
上述したようにこのケースはデデキント切断公理は必要ではないので。
デデキント切断公理は「実数直線を2つにぶった切るとどちらかに必ず端点が
まあこれだよね。もう少し数学っぽくいうと「解は a+bπ(a,bは有理数)として(一意に)表されるが, 解答としては a+3.14b の値を提示せよ」とかそんな感じかな
まあ自転車置き場の議論感はあるけど, 自転車置き場の議論は楽しいので許してほしい, と言い訳をした上で書く. くだくだしくどうでもいいことを書くのでお暇な方だけどうぞ. 私自身は円周率3.14で教えるべきか否か, というのには特に意見がない. それはそれとして, の話.
http://anond.hatelabo.jp/20160223212129
明確に間違いです。例えば円周率を3と近似した場合に、真値で半径11の円の面積は363.00000になってしまいます。
πには適用されません。同意します。それは、πが定数だからです。
しかし、3.14は違います。これは近似値です。近似値には有効数字、有効桁数は適用可能です。
(というか、適用しないといけません。)
ちなみに、ブコメで「有効数字が適用できるのは測定値のみ」と言っている人がいましたが、
それは違うと思います。(数学的には正しいのかもしれませんが、実学としてはイケていません)
実際に円周率を扱う際には、近似値を用いないと、有理数で表現することができません。
日常生活では無理数は扱いづらいので近似値で表します。そうすると絶対に有効数字はつきまとうはずです。
んで、なぜ実測値にしか有効数字が適用できないと考えている人が居るのか考えたのですが、
おそらく、計測するような人は、実測値の有効桁数が扱う桁数の律速になっているので、
円周率の近似値の有効桁数を意識せずに使っているというのが実際のところでは無いかと結論づけました。
「379.94は誤り」派の人はなぜ380が正解だと思ったのでしょうか。
まあ、益田が思う思わない、と言う話ではないんだけども
こう書くと、むしろ"対"だ、と言いたい様な
一方、自然数から有理数までは、実数が何かを考えずに定義できている。
だから僕は対だとは思わなかった。
これは何の根拠にもならなければ話がまったく閉じてないんだけども
その違いを明確にするために、有理数ではない「私」という存在を出して、無理数を定義するために実数という全体の集合が重要であると表現したかった。
これもさらに不明。
要するに、有理数と無理数は実数の中での互いに補集合としての間柄であり、それは対ではない、と言いたいのだと思うけど、
"対"と言う概念が何なのかも説明してなければ何で対で無いのかも書いてないし、
有理数と無理数は対だと言った人がいたが、僕はそうは思わなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20130713134729
無理数は実数集合のうちの有理数の補集合だから、無理数を定義することと実数を定義することはほぼ同じ。
一方、自然数から有理数までは、実数が何かを考えずに定義できている。
だから僕は対だとは思わなかった。
その違いを明確にするために、有理数ではない「私」という存在を出して、無理数を定義するために実数という全体の集合が重要であると表現したかった。