はてなキーワード: 月刊アフタヌーンとは
R-16(原作:佐木飛朗斗、作画:桑原真也、週刊ヤングマガジン)
Rくろにくる(原作:数多ヒロ、作画:あづまゆき、コンプエース)
i・ショウジョ(高山としのり、週刊少年ジャンプ→ジャンプLIVE)
S〔エス〕—君と、彼女と、運命と(南部ゼロイチ、GANMA!)
F(六田登、ビッグコミックスピリッツ)
機動戦士ガンダムF90(山口宏・中原れい、サイバーコミックス)
機動戦士Ζガンダム デイアフタートゥモロー ―カイ・シデンのレポートより―(ことぶきつかさ、ガンダムエース)
逃亡医F(原作:伊月慶悟、作画:佐藤マコト、プレイコミック)
ドラ・Q・パーマン(原作:藤子・F・不二雄、作画:しのだひでお、コロコロコミック)
B-伝説 バトルビーダマン(犬木栄治、コロコロコミック)ル)
ファイナルファンタジーXII(天羽銀、ガンガンパワード)
今月号のアフタヌーンに掲載されている『天狗の台所』って漫画でピェンローって鍋を紹介していた
干し椎茸の戻し汁で白菜と鶏肉と豚肉と春雨を煮て、ゴマ油を垂らし、塩と一味とうがらしをスープに溶かし、それをつけ汁にして食べる鍋だ
この鍋は昔、木村紺の『神戸在住』でも作中に登場していて、その際は大根のべったら漬けと一緒に食うと美味いみたいな話をしていたような記憶がおぼろげにある
元ネタはどちらも妹尾河童という人の『河童のスケッチブック』という本で、『天狗の台所』ではコマ外に参考先として記載があり、『神戸在住』では作中の登場人物がその本を読んで作りたくなったと語っていた
二回紹介されると、そんくらい美味いんかなと思いながらも、鍋の季節ももう終わるから誰か作ったことある人がいたら感想を聞きたくなった次第
『BLUE』(ブルー)は、千葉コズエによる日本の漫画。『Sho-Comi』(小学館)にて、2009年19号から[1]2011年19号まで掲載された。単行本は全8巻。
『BLUE』(ブルー)は、山本直樹による日本の短編漫画、および同作を収録した単行本のタイトル。作中の性描写が問題となり、東京都により不健全図書の指定を受け、版元回収となったことで話題になった。
『Blue Gender』(ブルージェンダー)は、1999年10月7日から2000年3月30日まで毎週木曜日25時50分から26時20分にTBSで放送されたテレビアニメ作品。月刊コミックドラゴンにおいて加崎善彦の作画で漫画連載もしていた。
『BLUE SEED』(ブルーシード)は、高田裕三の漫画作品、および1994年放映のテレビアニメ。1992年『コミックガンマ』に連載され、看板作品だった。
『Blue Heaven』(ブルーヘヴン)は、髙橋ツトムの漫画作品。『週刊ヤングジャンプ』(集英社)にて2002年から2003年に連載された。単行本全3巻発売。
『BLUE MOON』(ブルー・ムーン)(英一&英二シリーズ)は、森脇真末味による日本の漫画。読み切りシリーズとして、小学館『プチフラワー』に発表された。「緑茶夢」・「おんなのこ物語」と並ぶ作者の代表作の一つ。
『BLUE DRAGON ラルΩグラド』(ブルードラゴン ラル・グラド)は、『週刊少年ジャンプ』(集英社)2007年1号から2007年32号まで連載された原作・鷹野常雄、漫画・小畑健によるファンタジー漫画作品。単行本は全4巻が出版されている。
『BLUE DRAGON ST』(ブルードラゴン シークレットトリック)
2006年12月4日から2007年6月6日まで、『月刊少年ジャンプ』にて連載されていた。漫画は柴田亜美。Xbox 360版から4年後という設定であり、ゲーム版のキャラクターも登場する。ギャグが主。掲載誌休刊の際に連載終了。後に単行本化されている。
Vジャンプ2008年7月号から2009年6月号に連載。原作はアニメのシリーズ構成の大和屋暁、漫画は作画監督の大竹紀子。アニメ『天界の七竜』22話と23話の間に当たる物語。後に単行本化されている。
『BLUE DROP』(ブルー ドロップ)は、吉富昭仁の漫画『電撃コミックガオ!』にて連作読み切りとして連載された後、『チャンピオンRED』にて『BLUE DROP 〜天使の僕ら〜』が連載された。『BLUE DROP 〜天使達の戯曲〜』としてテレビアニメ化され、2007年10月から同年12月に放送された。
『BLUE ROSES 〜妖精と青い瞳の戦士たち〜』(ブルー ローゼス ようせいとあおいひとみのせんしたち)は、2010年9月16日に日本一ソフトウェアから発売されたPlayStation Portable用シミュレーションRPG。 漫画版は『電撃「マ)王』にて2010年11月号から2011年8月号まで連載。作画は中村煌。
『ブルーシティー』は、星野之宣による日本のSF漫画作品。星野の「出世作」とも呼ばれる[1]。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて、1976年2号から同年21号まで連載された。全18話。
『ブルーホール』は、星野之宣によるSF漫画。1991年から1992年まで『ミスターマガジン』(講談社)に連載された。1992年から1993年にかけてKCDX(講談社)から全2巻が刊行され、その後も2度にわたり文庫化された。中国語・フランス語に翻訳されている。 続編にあたる『ブルー・ワールド』は、1995年から1998年まで『月刊アフタヌーン』(講談社)に連載された。1996年から1998年にかけてKCDXから全4巻が刊行され、2001年には文庫化もされた。
『ブルーフレンド』は、えばんふみによる日本の漫画作品。 少女漫画雑誌『りぼん』(集英社)にて連載された百合漫画であり、作者にとって4回目の連載作である。
『ブルーイッシュ』は梅田阿比による日本の漫画。『プリンセスGOLD』(秋田書店刊)2011年1月号から2012年3月号まで不定期連載された。単行本は秋田書店から全2巻。
『ブルートレイン』は、高橋はるまさによる日本の漫画。集英社の漫画雑誌で連載され、電子文庫化を経て、100円ショップダイソーで再文庫化されている。
『ぶるうピーター』は、小山田いくによる日本の漫画作品。1982年から1983年にかけて、秋田書店の『週刊少年チャンピオン』に掲載された。
『B.B.フィッシュ』(ブルーバタフライフィッシュ)は、きたがわ翔による日本の漫画。 1990年末から約3年にわたり、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)に連載された。
原ちえこ
ヤマダ
ブルーゲイル 伊藤明弘版権物作品集 (大都社、単巻) - アニメ『戦闘メカ ザブングル』の後日譚(ラグを主人公にした作品)の他、『ARIEL』『勇者王ガオガイガー』の外伝・パロディを収録。
斉藤倫
川本コオ
柿崎普美
近未来の海上を舞台に、水素燃料プラントを狙う謎の軍隊と、国連軍空母部隊との、ステルス戦闘機同士の戦いを描いたSF作品。『サイバーコミックス』連載。休刊により未完。
「18歳〜22歳の恋愛工学生が増加しつつも、どうやら彼らは中々結果を出せていないようです。そりゃそうだ。恋愛工学はその成り立ちからして"20代後半〜40代の男性向け"の理論なのだから、大学生が実践したところで結果を出せるわけがない」というツイートをしたところ、かなりの反響を貰いました。どうやらここ最近、恋愛工学が巷で話題になったためか、モテを志す若い工学生も増えているようです。しかしそういった人たちは、すぐに使えるトークスクリプトや恋愛理論にばかり目がいきがちです。そのため先のようなツイートがウケたのでしょう(実際、恋愛工学が大人の男性向けの理論だということを知らない人も多いようでした)。
そこで、今回は恋愛工学の成立を振り返ることにしてみました。勢いのままにバーッと書いたので、文章はとっ散らかっていますがご容赦ください。とはいえ、最近恋愛工学を知ったばかりだ、という人はぜひ読んでほしい内容になっています。
おべんきょうのじかんだよ!
2012年4月、藤沢数希所長が自身のメルマガ「週刊金融日記」で恋愛工学を提唱し、読者からの支持を集めました。かつて金融業界で働いていた藤沢所長が、そこで学んだ金融工学の考え方を恋愛に活かした"恋愛工学"は、いわゆるビジネスマン、経営者といった層の人たちから理解を得ることに成功したのです。離婚の経済学、スタスティカル・アービトラージ、Good DadやGood Genes。そういった恋愛工学の基礎的な単語もこの頃に普及したと思われます。
また、週刊金融日記の読者が恋愛相談を投げかけ、藤沢所長がそれに答えるといった形でメルマガが展開。藤沢所長の単純明解でバッサバッサと切り捨てる答え方が人気を博し、読者数が次第に増加しました。Kgoさんやタカシさん、ゴッホさん達の時代です。
そして、次第にメルマガ読者が独自の恋愛理論や恋愛テクニックを週刊金融日記に投稿するようになりました。議論は毎週活発に行われ、読者の中には童貞を卒業したり、有名になって雑誌にインタビューを受ける人も現れました。代表的な例はトリケラスクリプトなどでしょうか。また、恋愛工学生はメルマガだけでなくTwitterでも絡むようになっていきました。
2014年8月、恋愛工学のはじまりから2年と少しが経った頃のことです。株式会社ピースオブケイクが運営する媒体noteで「僕は愛を証明しようと思う。」の第1話が公開されました。非モテだったわたなべ君が、恋愛工学の理論をもとに次第にモテる男になっていく姿に、工学生たちは熱狂。毎週更新されていく先が見えないストーリー展開、登場する聞き覚えのある単語やデートスポット…それらも僕愛が人気を博した理由だと思われます。そして、2015年冬、月刊アフタヌーンにて「僕愛」の漫画版が連載開始。エロ漫画出身の井雲くすが作画担当についたこともあり、まずまずのヒット。このあたりから一気に恋愛工学を知る人が増えていった印象です。
そして、2016年の恋愛工学界隈は「オリジナルコンテンツ」の年でした。3月にPuAndaさん、タカシさん、モテツクさんが"恋愛サロン"を開始したのを皮切りに、みのさんの"ボディメイクサロン"、にゃんぱすさん・高城さんの"就活工学"、シンガさんにの"セクトレ講座"・"ネトナンのためのプロフィール写真撮影会"、ダンサーさんの"カラオケ工学研究所"、じーざすさんの"競馬工学"など、各自がおのおのの強みを活かしたオリジナルコンテンツを持ち、販売するようになりました。また、有料版noteを使ったトークスクリプトや恋愛理論の販売も行われていました。彼らのツイートを見るに、ビジネスと恋愛の両立、というのがメインテーマにあるように感じます。
さて、そうやって導線を増やしたことにより、これまで以上に多くの人が恋愛工学を知ることになりました。必然、モテたい盛りの男子大学生もその中に含まれます。いわゆる「草食系」と呼ばれる世代に生まれた彼らは、Twitter上で有名アカウントを見つけ、その過激さと実力(恋愛もビジネスも)に驚きます。「嘘だろ!?こんなモテ方をする男がいるのか!?」そして、自分も先輩たちのように女性にモテたいと思い、Twitterのbioに「恋愛工学」の文字を入れ、大学の友人の女子とアポをしてみたり、ストナンをしようとしたりするわけです。
しかし結果が出ない。
それもそのはず、恋愛工学の歴史を見るとわかるように、もともとこれは「いわゆるビジネスマン、経営者といった層の人たち」向けのものなのです。あくまで"20代後半〜40代の男性向け"の理論であり、18歳〜22歳の大学生が使うことを想定されていません。
たとえば、週刊金融日記でアポ場所に推奨されるレストランも大学生にとっては高い価格帯です。恋愛工学生御用達とされる天王洲アイルのTYハーバーも、ディナーで行って、お酒を1杯ずつ飲んで、お腹いっぱいまで食べると10000円を軽く超えます。ご飯も美味しくて店の雰囲気も抜群、駅までにキス・CTスポットはたくさんあるしでいいこと尽くめなんですけれど…いかんせん高い。大学生がアポに毎回気軽に使える店では決してないですし、むしろ連れてこられた女性も、男の本気度に引いてしまう可能性もあるでしょう。
また「20代後半〜40代の男性が口説くことが多い女性像」と「18〜22歳の大学生が口説くことが多い女性像」に乖離があることにも注目しなければなりません。ざっくりいうと、前者はそこそこ恋愛経験を積んだ大人の女性で、後者はまだ恋愛経験が薄い同い年くらいの女子大生、ということです。港区住まいの20代後半バリキャリOLに響くセリフも、女子高出身で交際経験0の実家暮らし女子大生には効果ゼロだったりするのです。
以上のことから、大学生が恋愛工学を使ったとしても、うまくワークしないという事態が発生してしまいます。そのため、大学生の年齢層で「モテて」いる男は、恋愛工学を使いませんし妄信していません。だいたいトークスクリプトやACSモデルを覚えるだけで誰でもモテる、なんて女性のことをナメ過ぎです。
では彼らはどうやってモテているのかというと、これはもう「レベルを上げてスト値で殴る」だけです。外見、コミュニケーション、振る舞い、姿勢、そういった所をひとつひとつ改善し、その結果女性を魅了することに成功しているだけにすぎません。なにか秘密のテクニックなどがあるわけでもなく、意外とシンプルな方法だったりもするんですよね。
ですから、もしこの記事を読んでいる大学生で、恋愛工学を志そうと思っている人がいたら、ちょっとストップ!まずは落ち着いてください。トークスクリプトや恋愛理論を学ぶのは面白いですが、それがすぐ役に立つことはありません。女性は馬鹿じゃありません。彼女達の目はとても鋭いのです。
また、仮に恋愛工学の技術がすぐ役に立ったとしても、簡単に習得できるテクニックはあっという間に使い物にならなくなります。その度に毎回新しいテクニックを覚えて、使い物にならなくなって、覚えて……では自転車操業と変わりません。ここは、小手先の技術に頼るのではなく、もっと本質的な部分を磨くことを意識してみるのはどうでしょう。
地球上のすべての土地を削り取って海に投げ込むと陸地は無くなって海だけになるという。つまり山の総量よりも海の深さの総計(海の容量)の方が大きいということだ。
一つの例え話なのでこれが事実であるかはどちらでもいい(たぶん事実だけど)。
もしくは以下のような仮定をしてみる。。
予算に限りのあるNPO、例えば貧しい人に食料を配布するNPOだとしよう。そのNPOが一部の人だけに支援をするのは不適切だからと支援の対象者を世界の全員に広げたら支援は一食分にも満たずに結局は一人も救えないことになる。一人ひとりには取るに足りない金額でもかき集めれば何かを成し得るという募金の考え方の真逆になってしまう。
世界は少しずつ改善されており、建前と現実に食い違いはあるものの着実に民族や宗教、性別やジェンダーでの差別を減らす方向に向かっている。
奴隷はいなくなり、軍人ですらも拷問されない権利があり、病気や障害などで働けない人、そもそも働く気のないような人ですらも生きることは保障されていたりもする。
今では子供向けギャグマンガでうっかり男の子同士がキスしちゃったりしたときに「オエー!気持ち悪い!」なんて言っている描写を見ると、同性愛者の人は気分を害していないだろうか?なんて余計な心配をしてしまうぐらいに世界は「配慮」に満ち溢れている。
もちろん国や地域や社会階層などで進行・浸透の度合いは違うけれど、少なくとも日本の属する西側先進国の間ではあらゆるマイノリティに対しての配慮を進め、平等な社会を実現することを目標としているように見える。
貧困や差別は無い方がいいに決まってる。貧困にまつわる問題を解決するためには貧困層以外の全員がなんらかの負担をしなければならない。それはある程度は税金と言う形で実現されている。
差別をなくすためにも何らかの負担は必要だ。上に挙げた例のようにゲイやオカマ、デブ、ハゲ、チビに嫌な思いをさせないためには程度の低いジョークを止める程度の負担で済む。もっと根深い差別に対しても同様で、差別される側が深く傷つく代わりに、差別していた側が広く浅く少しだけ何かの負担をすればいい。それは金銭的、精神的な負担だったりもしくは歴史的背景を学ぶことだったりといろいろな事が必要だとは思うけれどつまりはマイノリティが抱え込まされている負の財産を大勢でちょっとずつ負担するという募金のような考え方になるんじゃないかと思っている。
2012年ごろに月刊アフタヌーンで連載していた「勇者ヴォグ・ランバ」という漫画で以下のようなセリフがあった。正確には覚えてないので印象に残った部分の要約みたいになってしまうがこんな感じだ。
「世界から奴隷がいなくなったので今まで奴隷がやっていたような労働を一般の人が少しずつやるようになった。世界から戦争を無くしたいならば一般の人を含めた全員が今まで軍人がやっていたような作業をやらなければならない。」
続きで語られる具体的な部分は覚えていないが、つまりは戦争を無くすという大きな変革を成し遂げるためには全員がそれなりの負担をする(主人公は為政者側なので「負担をさせる」が正しいが)覚悟が必要。覚悟も無しにきれいごとを言っても意味が無い。という会話だったと思う。
誤解の無いように書いておくと、ここで言う「軍人がやっていたような作業」とは人を殺して回ることなどではなく、もっと精神的な部分だったと思う。この辺で揚げ足を取られるのは本意ではないので意図を汲んでいただけると幸いです。
現実に話を戻すと、少人数の重病の人の治療費をみんなの保険でカバーすることは可能だと思う。日本の人口の2%程度に生活保護を支給するのもまだ大丈夫だろう。でもこれは日本と言う裕福度の平均値が高い閉じた社会だから可能なだけであって、先の二例だけであってもこれを世界中に広げることは不可能だ。
全ての先進国が食事の選択肢を減らし、贅沢をしないように、残飯が出ないように、とがんばればアフリカで飢えてる人を全員救ってもまだ余るらしい。じゃあやりますか?「それ(アフリカ)とこれ(先進国)は別」というのが現在出ている答え。これについては特にコメントしない。
食料やお金なら多少は分けてあげてもいいという人もいるかもしれない。じゃあ平和を少し分けてあげることはできますか?過度な貧困地域や犯罪多発地域を無くすために世界で広く貧困と犯罪を引き受けてあげますか?
(貧困が減れば犯罪も減るかも知れないので、それらの総量は常に一定ではないかもしれないけどここでは無視する)
今は世界の都会でもいわゆる危険なエリアに行かなければそこそこ安全だけれども、広く薄く貧困と犯罪を引き受けるというのは、全員が常にそこそこの犯罪リスクにさらされながら生きるという事になるのではないかと思ってしまう。全員が「負担」として十分な警戒心と自己防衛の知識と技術を持たなければならなくなるのではないだろうか。
先進国の豊かな暮らしは、貧困や犯罪や差別や不衛生やその他の負の財産を途上国やマイノリティに負担してもらう事でなりたっている。
みんなの理解や努力で負の財産自体を減らしたり消滅させたりすることが可能な部分もあるとは思う。
全ての人を救おうとした結果に待っているのはすべての人の不幸なんじゃないだろうか。
おれの考え方がおかしいのかもしれない。みんなこの辺にどう整合性を付けているか気になる。
トラバにあるように、まずは自分の生活が大事。遠くの誰かより身近なペットが心配。というのは理解できるし自分もたぶんそういう人間だと思う。
しかし目が届きにくいからと言って遠くの問題から目をそらすのは人間としてあまり程度の高くない行いにも思える。100年前ならいざ知らず今はインターネットやマスメディアなどで多くの情報を得られ、一般人でもその気になれば世界のほぼどこにでも行ける時代だ。なのに「遠くの事は知りません」という態度が(個人としてではなく社会として)正しいのかはわからない。
じゃあ何をどこまですればいい?そもそも今のまま差別や不公平をなくして行けば良くなるのか?もしかして良くしてるつもりがみんなで袋小路に突き進んでるのではないのか?と疑問がつきない。というのが現状。
トラバもブコメもあんまりついてないのに追記ばかりしてもしょうがないのだけれど、どうも意図がうまく伝えられてないようなので書き足す。
身近 VS 遠く という軸も気になる部分の一つではあるのだけどそれが主題ではないのです。
社会は確実に「遠くの知らない誰か」や「昔なら無視していいと考えられていたマイノリティ」に配慮する方向に向かっています。だからと言って身近な人やマジョリティに死ねとかは誰も言っていない。全員が幸せになるために、現状不幸せな人が幸せラインに立てる方策を模索しているわけですよね。
だけど「全員が幸せ」っていうのは実現可能なのか?それは「全員が少し不幸せ」になるのではないか?と言っているのです。
10の人、5の人、マイナス10の人、いろいろいると思います。(誰がどういう基準で判断するのかは置いといてください。定量化が目的ではなく、ただの表現ですから)
全員の幸せを目指した時にせめて3とか4で落ち着けばいいけれど、結局全員がマイナス7とかになるんだとしたら悲しい結末ですよね。会社で言うならば使えない社員やアルバイトにも平均的正社員と同じ待遇を与え、障害者雇用も推し進めてたら潰れてしまったということになるんじゃないの?差別や不平等は無くした方がいいとは思いながらも、差別や不平等があるからこそ今の生活があるのだとしたら、差別や不平等を無くさない方がいいんじゃないのか?でもそれは被差別者の人権を考えるともうありえない選択肢になっている。つまり社会は沈没に向かっているということになるのではないか?
というのがメインテーマです。
いろいろ意見をいただけてうれしいです。今後も考える材料にしたいと思います。より有益な意見をもらえるように以下に気になったコメント等に返事します。これ以降、コメント等への返事については「追記」とか区切らずに追記しちゃいます。
そもそも幸せかどうかって以前に命が保証されてない生活を送っている層もあるわけで、食料や医療の問題と、差別やマイノリティの問題を同じステージで考えるのは無理があると思うよ
だけども、基本的には同じだと思っています。
命が保障されていない人たちを救うために自分たちの命の保証度を引き下げる事をどう考えるか?
差別されている人を差別から自由にするために自分たちの自由が減ることをどう考えるか?
一個一個を見ると「やるべき」に思えるけど、それらをすべて推し進めた先には暗い未来が待ってる気がする。結局は誰かを犠牲にしないと生きていけないのか?という疑問です。
歴史上、農耕社会成立以降に被搾取者や非差別者がいなかった事はありません。彼らの犠牲なしに人間は社会を維持できるのか?犠牲のない社会とはどんな社会なのか?そこに自分は暮したいのか?今の暮らしを維持するために誰かを犠牲にし続けるのか?結局は「遠くの被差別者よりも身の回りが大事だから」と言って物質的精神的搾取を続けるのか?わからないことだらけで困っています。
わかりやすい説明をありがとうございます。
富の問題に関しては少なくとも良い方向に向かってるんですね。なんか安心。