はてなキーワード: 最終処分場とは
喜多川一族は地獄に落ちるべきだし、ジャニーズの社名は変更した上で現役タレントには今後も頑張ってほしいし、望月衣塑子記者の質問は長くてうっとうしいし。
DJ SODAさんへの触れ方は性加害だし裁かれるべきだし安心して日本に来てもらえたほうが良いと思うけどあの服装を街で見かけたら刺激的だなと思うしそれは当人が魅力的だからだしとやかく言うことではないけど妻や娘ならとやかく言っちゃうだろうなとも思う。
インボイスはやめといたほうが良いと思うし、岸田はメガネだし、10年限定で消費税撤廃してとにかく経済の回転数をあげろよと思うし共産党なんかも消費税の再開については必ず約束するなどしてから期間限定の減税等提案したほうが現実的だしそういうことを期待しつついつも共産党に投票しているんだよ僕は。なぜなら田舎では自民候補の対抗馬が共産しかいないのもあるのだが。強い野党はいてほしいがあの党内粛清っぷりはやっぱり怖いし気持ち悪いぜっていうのが一般的な感覚だよなあ。
アニメもマンガも人並み以上には好きだから、いろんな不幸な事態の原因をなんでもフィクションに追及の矛先を向けることには我慢がならないけど萌え絵炎上案件のうちいくつかは「そりゃさすがに場所選びなよ」と感じるものもあったよ。
授乳室は段ボール製でも無いよりはいいんじゃない?って最初は思ったし、低コストで導入しやすいなら運用しながらブラッシュアップしていけばいいと思うしでも男だし現役の乳児親などの意見が尊重されるべきだけど嫌だったら使わなきゃいいし便利に使う人が思ったより多かったらもっと普及すればいいんだしと思うし。
行き場のない未成年女性のための逃げ場を用意する活動は素晴らしいと思っていたが自治体予算への経理報告がずさんなのは論外だしほんとに救いたいなら矛先はコンカフェやホストクラブに向けてほしいというのは当然と思うのだがそういう意見は届いていないふりをされるのが悲しい。
犬系彼女は眼前にいたら鬱陶しいだろうなと思うし。
LGBTは可能な限り豊かに生きていけるためのさまざまなシスジェンダーと同じ権利を獲得したほうが良いと思うがトランスジェンダー男性が女性の領域に立つことについては内面的に女性であるトランスの人自身が慎重な姿勢でいたほうが円滑なのではと思うし。
ジョニーソマリはぶっ飛ばしてやりたいと思うしネットニュースにへずまりゅうとかシバターとか出てこないでほしいと思っている。
とまあこんなぐらいが極論あふれるネットの海をぼんやり眺めている氷河期世代の平均的なかんそうだとおもうんだが。
「わかる~」って共感が欲しくていっぱい書いたのに「同意できない部分」ばかりやり玉にあがるのとても普通って感じがして楽しい。
同意してくれたのもうれしい。人は自分の読みたいようにしか読まないってのも実感できる返しが一部あってそれも楽しい。
反応したくなったやつにだけ
・共産党に投票~ そらたしかに。割と自民支持なんだけどまじで強すぎるのよ地元。改善してほしいところがいっぱいあるから対抗馬に迫力を出してほしいんだもっと。国民民主がいたらそっちいれたい。立憲だといれない。
・みたまんまの順番で信じてなんも考えてないひと~ そうなの。判断材料が時間差で入ってくるんだから初手で火力全開でポジショントーク炸裂させるのって分断をうむだけだからやめとこうよって思うんだわ。まあ分断をこそ目的にしているんだろうけど。
・自分を普通だと思ってるやつって~ 「変わってるね」って言われたら「そう?へへへ」ってうれしくなる程度には凡人ですよ。凡人と普通はイコールではないか。
・薬物依存の人らを支援する団体にも売人やカルテルに矛先向けろって思ってるかな? ←薬物を買う金のために性を売る人がいたとして、買春する人ばかりを躍起になって支援団体がたたいてたら「ほかに糾弾する対象があるのでは…?」って思うのも不思議じゃないでしょ。非人道的な管理売春を行っている組織やらSEXをドラッグの入り口にしてはめようとしてる人とかを「問題視するそぶりもない」のは「ふつうじゃない」よ。ちなみにぼくは風営法に従った風俗店をたまに普通に利用する。
・ネトウヨ暇アノン確定 ←共産党に投票してても確定されるなんてネトウヨ暇アノンの門戸広すぎワロタ
・汚染水マンなの? ←そんなことないよ。なんなら収入の一部は原発マネーと言ってもいいような立地地域民だしね。いっそ放射性廃棄物の最終処分場に立候補すればいいんじゃね?って思っている。これが普通じゃない自覚はある。
・自治体予算への経理報告がずさんなのではない。大元の法的枠組みが決まってなかったのを活動側のせいにしただけ。←そうなの?勉強不足なのかもしれない。しらべてみるね
正直に言えば、どこか残念でありほっとしている。
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対馬市長は先日、最終処分場への文献調査候補地として、応募しない旨の宣言をした。
もともと、核廃棄物の処分場はもう十五年くらい前から誘致をしてはどうかという動きがあったのだ。当時は調査を受け入れるだけで10億円が支払われると言われていた。
しかし、前市長はこれをバッサリと切り捨てた。このときは市民運動というほどでもない、変わり者が少数でわめいていただけだったので、それですっかり火は消えてしまった。その後、前市長の後継を取った現市長が就任。
二期目の市長選では対抗馬として核廃棄物処分場の誘致を謳う候補が立候補したものの大差で現市長が当選したのである。
ただし、この時の対立候補は対馬となんの関係もない大阪の右翼活動家で刑務所服役復帰戦のような様相があり、本気で当選する気はなかったと思われる。
いずれにせよ、現市長は『最終処分場誘致派を下しての当選』という事実を得てしまった。実際は堅実な市政への評価と、なにものともしれない右翼活動家への嫌悪もだいぶんあったのだけど。
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しかし、原子力に関するどこかの組織に旅費を全部出して貰って、どこかを視察してきたらしい。
日本に最終処分場などないのに、何を見てきたものか。酒宴などの歓待を受けたのか否か。日当や土産代などの現金を受け取ったのか。
それもしらない。
もしかしたら、貧しい旅行で勉強だけして帰ってきた可能性もある。
それでも旅費を利益関係者に出させたというのはいかにもまずかったのではなかろうか。議会でも反対派議員から突っ込まれていたし、それはそれとして今後揉めるかもしれない。
とにもかくにも、議会で正式な議題として『処分場の誘致』が上がってしまったのは事実である。もちろん、誰だって別に核廃棄物や処分場が欲しい訳ではない。それに伴ってついてくる金が欲しいのだ。
その額たるや、文献調査を受け入れるだけで20億円。
ざっと検索したところ、対馬市の年度支出額はおよそ250億円程度であることがわかる。
すでに文献調査受け入れを表明している北海道の寿都町の年間予算規模が60億円ちょい、神恵内村に至っては20億以下だ。
これが500億円とかなら、もっとグッと賛成に傾いたかもしれないが、提示額がいかにもしょっぱすぎる。
中には「文献調査だけやって20億を貰い、本格的な設置は断ればいい」と堂々と言うものもいたが、それで国から怒られるくらいなら最初から応募しない方が市長としても、市役所としてもいいだろう。
なんせ、国境離島として国から沢山の税金を貰ってどうにか回しているのだ。国の機嫌というのは、往々にして自治体を殺すことがある。
つまり、20億円があまり見合っていない気がする問題があるのだ。
だから推進派がいくら勢いを出しても、反対派を黙らせることはできない。
なんせしょっぱいのだ。
20億あればあれもこれも、とはならない。少なくとも市民に実感のある使い方は全くできないで消える金額でしかないのだ。
さらに、対馬は住民の半分くらいが水産か観光で飯を食っている島だ。
この人たちの家業にはマイナス補正がついて回る。なんせ、処分場や核廃棄物と記念写真をとりたい。推したい、みたいな変わり者はとても少なそうだ。最大限、好意的にみて「気にしない」。最悪「対馬産の物は徹底的に避ける」人が出てくる。実際はその間のグラデーションのどこかに皆が分布される。
逆に、仕事の恩恵を受けそうな土木業者も兄弟なり親戚、友人などの近しい者がかならずそういった職に就いている。
だから、みんな微妙なのである。推進派議員はあまり勢いが出せない。
対して、反対派議員は誰はばかることなく大声で反対運動を展開する。
それに伴って、推進派議員が「心ない言葉を投げかけられたので、市民を訴える」だのワケのわからない展開に発展したのだが、それは横枝だ。
対馬という島は歴史的に、ずっと国家中央の差し出す意向を飲んだり誤魔化したりして過ごしてきたのだ。騙したことは沢山あるが、面と向かって国家に反逆したことはないし、大きい島には必ずついて回る独立運動も皆無である。
推進派議員も熱心に燃えさかり続ける老婆などがいたが、全体的にはトーンダウンしていき、最終的な採決では賛成10、反対8で決定した。
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『核廃棄物の最終処分場として、文献調査の受け入れを進める』のが議会の結論となった。
『意見書提出権にもとづいた市長への、議会としての意見の提出』であったわけだ。
実のところ、市議会でどう決定しようとそれは、『市議会としてはこう思っていますよ』という枠をはみ出ないのだ。
もちろん、市政というものは市民の為に行われるものであり、市民を代表する市議会の意見というのはかなり重要な物だし、常に尊重されている。たいていの場合においてはそのまま通る。
それでも対馬市長はこれを突っぱねた。
理由として、風評被害がすでに起きかけていること。市役所に様々なところから苦情の連絡があっているらしい。
そして、観光や水産業が年に200億円近い経済規模を持っている点。風評被害で一割売り上げが減れば、それで20億の交付金は吹き飛んでしまう計算になることを上げ、最後に住民の合意形成がなされていないと告げた。
確かに現状で推進派と反対派が分かれているのなら、当然まずは見送ってみるというのは一般的な判断だろう。
もっとワンサイドに推進へ傾けばともかく、議会でさえ半分に近い票が反対だったのだ。仮に市民の半数が内心的反対者なら、市長の経緯と立場から現状維持が当然だと思う。
利益を得る者は一部で、大勢が不利益を被る危険があるのだから。
これは、まあ逆に言えば市民がもっとずっと大勢賛成して誰も反対など言えないほどの金額が約束されるのなら受け入れに傾いていた可能性は高かろう。
対馬といえば小さな離島と思われがちだが、長崎県の面積の2割以上は対馬が占める。案外にデカいのだ。経済規模もそれなりにデカいし、特産品もある。マグロやアナゴは景気も良い。
分散した20億円の余波など個人にはいくらも入らない。今時は田舎の集会所を建て替えるのにも一億円がかかる時代だ。
もっと、もっと巨大な、皆が涎をたらして狂う対価が必要だったのだ。
そうして、それが提示されない以上、対馬市には縁がなかった。保守的な田舎の住民が変化を突きつけられて、ストレスに耐えられなかったというのもある。
個人的には、誘致が決まればいち早くニューモに手紙を送るなどして、自分の山を買わないかアピールするつもりだったが、土地成金の夢はあっという間に醒めてしまった。
プラスチックごみを減らすと確かに環境負荷は減るが、こと日本に於いては慎重にならなければならない。
表題の理由を真っ先に述べてしまうと、日本は東京のゴミの最終処分場問題というものを抱えているためだ。
簡単に言えば「東京のゴミを燃やして圧縮した灰(スラグ)を捨てる場所」が後20年程度で埋まってしまう。
数年は地方にスラグを回すことでなんとかなるだろうが、限界は早い。
そうなるとどうなるかと言えば、めちゃくちゃ金がかかるし搾取的で倫理的にも批難されそうな「外国にゴミを持っていく」か、「新たに自然を破壊し埋立地を作る」の二択が発生する。
現状としては日本は手をこまねいており、この2つに向かって突き進んでいるというのが大まかな問題点である。
マイクロプラスチック問題も深刻ではあるが、この2つはそれらを遥かに上回る環境破壊が発生するため本末転倒だ。
もちろんプラスチックごみを減らした上で発生したゴミをリサイクルするという形ならば問題はない。
しかし、マクドナルドを例に見てみればプラスチックを紙ストローに変えたものの、それらは特に分別されることもなく燃えるゴミとして処理されている。
現状としては「とりあえずプラごみ減らせば良いんでしょ」という教義的な愚かしさがあるのは否めない。
ここから鑑みるに、「とりあえずプラスチック減らせばいいや」という動きは巨大なゴミ処分場を用意できる大陸や米国型の、ある種余裕の上で成り立っている論理でしかなく、
我々のような島国、特に最終処分場問題を抱える日本においては「焼却するゴミの量を減らす」というテーマに沿わなければ全くの逆効果であり環境破壊を早めてしまうと言える。
要するに「燃えるゴミ」の削減が環境に対してもっとも重要な課題になり、原材料として再利用する「マテリアルリサイクル」と「ケミカルリサイクル」に力を入れる必要がある。
なぜなら、日本のプラスチックのリサイクル率の高さというのは実際には燃やして燃料としてリサイクルしているためであり、結局スラグが出ているからだ。
プラスチック削減をするにしても、「とりあえず紙ストローにしてみました」というようなものではほぼ逆効果に近い。
削減したならしたで「原材料として再利用できる形して、スラグを減らしました」にならなければ意味がないと言える。
例えば全国で画一的で細かいゴミ分別を行い、それらの原料化やリサイクル原料を用いた製品には補助金や減税などをかけて早急に浸透させるなど抜本的な改革が必要となる。
上勝町のような分別は人口が多くなると難しいだろうが、志布志市並の分別をした上で原材料の再利用に更に力を入れ、スラグ自体を削減していかなければならない。
更にマテリアルリサイクルやケミカルリサイクルに他国より力を入れて成功することは、楽観的な憶測ではあるが国際社会でも優位に立ちやすいと考えられる。
「環境を守る」という技術の最先端を走ることの優位性はなんとなくわかるだろう。
プラスチックごみを減らすということは確かに環境問題において大切だが、こと日本においてはスラグの発生量に気を配りながら運用しなければ環境を大きく破壊してしまうという話。
この増田とトラバとブクマを全て読んで私の中で出た結論はコレだ。
ハコヅメという漫画で元警察官の敵キャラが「警察なんて結局は嫌われるだけの汚れた仕事だって皆から扱われてるんだよ」と吐露するシーンがあったが、それは事実なのだと今回の件で改めて感じた。
そしてそんな仕事に就くのは事前の情報収集が不足していたりそもそも価値観がおかしいのだからソイツが悪いのだと主張するわけだ。
なんだったら頭が悪くてまともに給料と身分を保証してもらうには自衛隊に入るしかないような連中の最終処分場であり、無能のまま生まれ無能として育った奴の自己責任であると言わんばかりだ。
つまりは、経済的徴兵や立場敵徴兵を肯定するという立場なのだな。
なにより最悪なのは「強制的な徴兵がこの国にはなくてよかった」と他人事のように語っていることだ。
つまり彼らにとって自衛隊や消防隊員が非日常的な苦しみの中で日常を生きることは、自分の人生とは無関係のどうでもいいことであると切り捨ててしまっているのである。
『徴兵制が存在すれば望んでなったわけでもない隊員を「銃は扱えるがこの国に恨みを持っているわけではない国民」として社会に戻していく必要が常に生じるので、それによって何らかの自浄作用も生まれたのでは?』なんて事を思いつくはてなーは誰も居なかったのだ。
日本が武器を持たなければロシアは意気揚々と攻めてくるのは当然目に見えている現在の地球において、日本が存続しそこに生まれた国民が暮らすには自衛隊員は必須だというのに、その存在を卑職として蔑んで多くの問題を終わらせようとしているのである。
道路に穴が空いて危ないなと思っていても半年後には塞がっているのは役場の誰かが工事を発注して近所の建設業者が補修したからである。
駅のトイレで盛大にウンチが逆流していても次の日にはキレイになっているのは誰かが掃除したからだ。
そうした仕事をした人間に対して蔑みや罵倒を持って存在を否定し、あまつさえ居なくなればいいだけだと言えば世界は壊れていく。
「頭の悪い工事のオッサンがよお、赤字になるような仕事を役所に押し付けられたって嘆くならもう辞めちまえよ」と語りそれが叶えば道路はずっと穴が開いたままで事故が多発するだろう。
「誰がしたのかも分からねえきったねえウンチの世話なんてよく出来るな。そんな低俗な肉体労働で金もらっている奴が同じ街に住んでるなんて恥ずかしいから死んで欲しい」と願いそれが実現したときには日本中の駅がこぼれたウンチを混ぜた汚水で溢れかえるだろう。
はてなーはよく「非エンジニアはエンジニアのことを理解しようともせずなんでもカチャカチャターンで秒殺できるオタクとして安く買い叩くから困る」と語りがちだが、自分たちは軍人に対して平気で同じことをしている。
今から20年後である2040年にはゴミを埋め立てるための最終処分場(埋立地)が失われるということを知っていましたか?
環境省では今年の3月に令和元年度のデータを基に、「およそ20年で日本全国のゴミの埋め立て場・最終処分場が満杯になり、ゴミを埋め立てできなくなる」という発表を出しています。(正確には21.4年)。
かなりヤバいのでは
フロンガスを使うことでオゾン層が破壊されて穴が空いてしまったという問題。
1987年のモントリオール議定書によってフロンガスの使用が禁止された結果、オゾンホールには縮小の兆候が見られている。
とはいえ、オゾンホールはいまだ大きく、本格的な問題解決は21世紀末になるという。
が、とりあえずは打てる手は打ったし、ということで、あまり言われなくなったのだろう。
工場の煙などに含まれる汚染物質により、雨が酸性になって木々が枯れ、人体にも悪影響を与えるかもしれないという問題。
日本では80年代から現在に至るまでずっとpH4.7くらいで変わっていないようだ。
国際条約で二酸化硫黄や窒素酸化物の規制が進んだことで、それらの排出量は減少し、欧米では酸性雨は「解決」扱いになっている。
日本でも排出ガスの規制は進んでいるし、「pH4.7くらいなら思ったより悪影響なくね?」みたいな論調もあって、あまり言われなくなったようだ。
窒素酸化物や炭化水素が、日光の紫外線により変質してオゾンを発生させることにより、人体に健康被害をもたらす、という問題。
ピークは70年代だけど、現在でも続いていて、たとえば近年の東京では年間5〜10日ほど光化学スモッグ注意報が発令されているようだ。
とはいえ、排出ガス規制により窒素酸化物の排出は減っているし、70年代ほどの被害にはなっていないから、ということで言われなくなったのか?
100年以上も前から「あと数十年で石油は枯渇する!」と言われてきた問題。
もともと「可採年数」というのは「既に発見されていて、技術的に採掘可能で、採掘コストに見合う石油の量」にもとづいているので、
新しく油田が発見されれば可採年数は伸びるし、シェール革命のような新技術で安く採掘できるようになっても伸びる、ということらしい。
なぜ毎年のように北関東三県が最下位争いをしているのか、といった議論があるが私なりに少し考えてみた。
この都道府県魅力度ランキングとは、地域のブランド力、すなわち地域の魅力を数値化するものである。
ということは他県の人間から見て、その特定県の魅力度を判別しているということなのだろう。
では他県の人間が、別の都道府県の魅力度を考える上で考慮しているのは「観光したいか」「移住したいか」の2点ではないか。
それ以外に、他県の事を詳しく知らない人間が魅力度を付けるとすると、その二つしかない。
要するに、都道府県魅力度ランキングとは「観光地ランキング」「移住先ランキング」と言い換えてもいいのかもしれない。
ランキング上位の常連である北海道と沖縄は観光地として、東京と大阪は移住先として人気である。
ここで都道府県魅力度ランキングの第一位である北海道について考えてみよう。
毎年発表される都道府県魅力度ランキングで、なぜ北海道がいつも第一位になるのか疑問であった。
冬は寒い、人口密度が極端に小さく原野と山地しか存在しない、鉄道網は壊滅寸前になっている、本州以上の車社会なので交通事故が多い、札幌一極集中が進み人口形態がいびつ、核のゴミの最終処分場になるかもしれない、夕張の次に財政破綻する自治体はまた北海道内から出ると思う。
いまは最終処分場とかあるし十分だけどなあ