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はてなキーワード: 最後の一撃とは

2024-04-30

暇だし漫画版風の谷のナウシカ感想を書く

ナウシカはアタオ

これは間違いないよな?

特にラスト。何勝手未来のための資産を壊しとるねん

責任取れるんか?

狂気だよなぁ

さすが王蟲相思相愛人間

なぜ7巻でナウシカトップレス姿を出した?

あれ意味わからん

読者サービス

そんなのいらんねん

ナウシカのそういうのは見たくなかった

いや見たかった?

どうなんだろ

あれ違和感ずっとある

ナウシカ巨神兵母子関係になるの、気味が悪かった

なんで母子関係になるのか説明不足過ぎない?

ナウシカ母親面するのも良くわからん

精神世界的というか、そういうのが流行りだったのかな

クシャナは許されんだろ

人殺しまくっておいて、「血はむしろそなたを清めた」とか、都合良すぎない?

いや、好きなキャラだけどさ

急にそこまで聖人みたいにならんだろ

森の人が意味不明

人間・・・だよね?

ナウシカは結局アスベルじゃなくてあの森の人の男の子結婚したのかな?

あれも存在がよくわからんかった

皇弟、すぐ死にしすぎ

出てきて数日で死んでないか

あと薬飲まないと体がもたないって設定もよく分からん

もっと活躍して欲しかった

クロトワが良すぎる

カッコいいじゃん!クシャナを守りつつ最後の一撃を加えようとするのとか、いや、最高

ユパ様は死ななくてよかったんでは?

惜しい人を無くしてしまった感がありありでさ

あと髪型気になるよね

テレパシーみたいなのはやめて欲しかった

SF過ぎるんでは?

あとチククもなんかウザかったな

まあでも傑作だよな

何度でも読み返せるし、読むたびに新しい発見がある

ある意味宮崎駿最高傑作だよ

2023-10-21

そういやADV以外のゲームで泣いたことねえな

感受性が弱いのか知らんけど、なんか泣けないんだよな。

「うおおおストーリーはいいから早くラスボスや隠しボスとバトルさせろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」みたいになっちゃうんだよな。

ゲームプレイ中は効率厨戦闘民族になってしまう。

ようやく強敵を倒した後の「楽しい戦いだったな……もう立ち上がってくるんじゃねえぞ……」という気持ちはあるけど、それは涙を流すタイプとは違う虚無感だからな。

まあつまり、「最後の一撃は切ない」ってキャッチコピーは色んなタイププレイヤーに刺さる概念からスゲーよってこと。

2023-09-24

柳ヶ瀬の衰退理由

水曜日のダウンタウン」で柳ヶ瀬(西柳ヶ瀬)がシャッター商店街ワースト一位となってたので、地元出身としてコメントする。

番組の中では、西柳ヶ瀬衰退の理由が「国体開催に合わせた浄化作戦」という声を紹介していたが、これは半分正しくて半分間違っている。

西柳ヶ瀬柳ヶ瀬の中でも風俗店などが多い歓楽街だが、西柳ヶ瀬シャッター街化が進んだ本質的な要因は、岐阜市エリア経済基盤の崩壊である岐阜は昔から繊維工業が盛んな地域で、工場関連の問屋アパレルの周旋をやってるような自営業小金持ちが山ほどいた。彼らが顧客を連れて接待に向かうのが柳ヶ瀬エリア飲食店で、その後の二次会的な行き先が西柳ヶ瀬であったわけだ。こうした旦那衆以外の工場労働者連中の利用者も多かったことと思う。上の人間下の人間も、その周りの人間も、繊維工業で潤った金を握りしめて西柳ヶ瀬に集まっていたというわかりやす構造である

90年代以降に岐阜一宮あたりの繊維産業が軒並み倒れた。基幹産業の繊維が傾くと、地方ゼネコンやらの周辺産業煽りを受け、全国規模の企業岐阜に構えていた支店も畳まれるなどして、岐阜経済はあっという間に萎んだ。私は80年代後半から90年代岐阜で過ごしたが、当時も羽振りの良かった同級生が「家庭の事情で」家を売って引っ越していくと言うようなことが増えていた。

岐阜というと、今回話の上がった西柳ヶ瀬以外にも、駅前空洞化や、駅南の風俗街(金津園)の凋落や、長良川鵜飼の寂れ方などなどが報じられることがあるが、これらは全て一つの要因に行き着く。繊維産業衰退に伴う地場経済崩壊である

なお、シャッター街化の要因として今回の番組では取り上げられることのなかった、大手小売業郊外ショッピングモール存在もあるが、岐阜一宮エリア90年代以降に建設されたショッピングモール基本的廃業した繊維工場の跡地であることが多い。「郊外型の大型ショッピングセンターによって商店街が焼け尽くされた」という言い方を仮にしたとしても、つまり繊維工業の衰退が背後にあるということは変わらない。

国体による浄化作戦なるものが、西柳ヶ瀬シャッター街化への最後の一撃となったということはあるのかもしれないが、長期的かつ本質的な要因はそれではない。そして、これは地元人間ならみんな知っていることではある。

2023-02-16

BingAIが書いてくれたアメリカ風桃太郎

ある日、テキサス州田舎に住む老夫婦が川で洗濯をしていました。川は清らかで冷たくて、そこには魚やカエルやカモなどが泳いでいました。老夫婦は仲良く手をつないで歩いていました。彼らは子供がいなかったので、お互いが唯一の家族でした。

すると、川に大きな桃が流れてきました。桃は真っ赤でふっくらとしており、甘い香りしました。老夫婦は驚いて、桃を拾い上げました。「こんな大きな桃は見たことがないわ」と老婆は言いました。「今晩はこれを食べよう」と老公は言いました。

家に帰って、桃を切ろうとしたとき、中から元気な男の子が飛び出してきました。「こんにちは!僕はジョニーだよ」と男の子は言いました。彼は金髪に青眼で小さくて可愛らしい姿をしており、笑顔が素敵でした。老夫婦さらに驚きましたが、喜んでジョニー自分の子供として育てることにしました。

時がたち、ジョニーはすくすくと育ちました。彼は強くて勇敢で賢くて優しい少年になりました。彼は老夫婦の手伝いをしたり、友達遊んだりして楽しく暮らしていました。彼は学校で成績も良くてスポーツも得意で、みんなに慕われていました。彼は特にサッカーが好きで、チームのキャプテンを務めていました。

ある日、ニュースで悪い鬼たちがワシントンD.C.を襲って大騒ぎになっていることを知りました。鬼たちは人々や動物財産を奪って暴れまわっていました。彼らは白宮や国会議事堂リンカーン記念堂などの有名な建物占拠しており、大統領議員裁判官などの要人人質にしていました。彼らは世界征服すると宣言しており、他の国から脅迫していました。

ジョニーはこれを見て怒りました。「これは許せない!僕が行って鬼たちをやっつけてやる!」と言って、老夫婦に別れを告げて旅立ちました。

途中で、ジョニーは犬と猿とキジ出会いました。彼らも鬼退治に協力することにしました。彼らは仲良くなって一緒に旅を続けました。

ジョニーと仲間たちはワシントンD.C.に到着しました。そこは鬼たちによって荒らされており、煙や火や悲鳴があちこちから聞こえてきました。ジョニーと仲間たちは勇気を出して鬼たちに立ち向かいました。ジョニーライフルを持って戦いました。犬と猿とキジは牙や爪やくちばしで戦いました。

ジョニーと仲間たちは鬼たちと激しく戦いました。ジョニーは鬼の頭目に挑みました。鬼の頭目は大きくて強くて恐ろしい姿をしており、巨大な斧を持っていました。

鬼の頭目ジョニーに向かって大声で叫びました。「お前なんかに負けるものか!俺は世界征服するんだ!」と言って、巨大な斧を振り下ろしました。

ジョニーは素早く斧を避けて、自分の持っていたライフルを鬼の頭目に向けて撃ちました。しかし、鬼の頭目弾丸を跳ね返してしまいました。「ふん!そんなものじゃ俺には効かないぞ!」と言って、再び斧でジョニーを襲いました。

ジョニーは危うく斧から逃れることができましたが、バランスを崩して倒れてしまいました。鬼の頭目はこれを見て笑いました。「これで終わりだ!さようなら!」と言って、最後の一撃を与えようとしました。ジョニー必死になってライフルを持ち上げて、鬼の頭目心臓に向かって引き金を引きました。

ジョニーの撃った弾丸は鬼の頭目心臓命中しました。鬼の頭目は大きく倒れて動かなくなりました。彼は死んでしまいました。

ジョニーと仲間たちは鬼の頭目を倒したことに喜びました。「やったぞ!鬼の頭目をやっつけたぞ!」と言って、ハイタッチしました。

そのとき、他の鬼たちが騒ぎ声に気づいてやってきました。彼らは自分たちのボスが倒れているのを見て驚きました。「ええええ!?ボスが死んだ!?どういうことだ!?」と言って、パニックに陥りました。

ジョニーは彼らに向かって叫びました。「聞け!お前たちはもう負けたんだ!お前たちはもう悪さをすることができないんだ!お前たちはもう世界征服することができないんだ!」と言って、ライフルを構えました。

犬と猿とキジも彼に続いて叫びました。「そうだ!お前たちはもう負けたんだ!お前たちはもう悪さをすることができないんだ!お前たちはもう世界征服することができないんだ!」と言って、牙や爪やくちばしを見せつけました。

鬼たちはこれに怯えて逃げ出しました。彼らは白宮や国会議事堂リンカーン記念堂から出て行きました。彼らは人々や動物財産を返して謝りました。彼らは二度と戻ってこないことを誓いました。

ジョニーと仲間たちは鬼たちを追い払ったことに喜びました。「やったぞ!鬼退治に成功したぞ!」と言って、抱き合いました。

そのとき人質にされていた大統領議員裁判官などの要人が現れました。彼らはジョニーと仲間たちに感謝しました。「ありがとう!君たちは我々の英雄だ!君たちは我々の救世主だ!」と言って、拍手しました。

ジョニーは彼らに微笑みました。「どういたしまして。僕はただ正義の味方をしたかっただけです」と言いました。彼は犬と猿とキジを紹介しました。「これが僕の仲間です。彼らも一緒に戦ってくれました」と言いました。

要人たちは彼らにも感謝しました。「ありがとう!君たちも素晴らしい仲間だ!君たちも我々の英雄だ!君たちも我々の救世主だ!」と言って、拍手しました。

そして、ジョニーと仲間たちはワシントンD.C.で大歓迎されました。彼らはパレードパーティー表彰式などで祝われました。彼らは名誉や賞品や贈り物などを受け取りました。彼らは幸せで満足で充実していました。

そして、ジョニーは老夫婦の元に帰りました。老夫婦ジョニーが無事であることに安心しました。「おかえりなさい!お疲れ様でした!」と言って、抱きしめました。ジョニーは老夫婦感謝しました。「ありがとうあなた方が僕を育ててくれたからこそ、僕は今日のことができたんです」と言いました。

そして、ジョニーと老夫婦は仲間たちと一緒に幸せ暮らしました。おめでとうございます

2022-07-16

anond:20220714231019

ターゲット選出が見事なんだよな。

話題性もあり、恨みも果たせるという。

まさに吊られるとき最後の一撃を放つ人狼ハンターのような。

これを防ぐにはセーフティネットを充実させるしかないだろう。

誰でも自由に最低限度の暮らしが送れるようにしないと。

そして政府政教分離ちゃんとやって宗教カルトから手を切るべきだ。

カルト被害者救済の立法もしてほしい。

国葬なんかに余計なリソースを費やしている場合じゃない。

2022-05-06

[]そして「星の世紀」へ

anond:20220502144345

3連休前日の夜、「エブレフェールの内壁」から先に進んで、ゲーム中最強ボスと噂の「ミケラの刃マレニア」と戦ってみた。

強いとは聞いていたけど、いやはや、ほんと強い。何度もやられて途中に休憩を挟みつつ(心折れつつ)1時間半くらいは戦い続けてたと思う。

ほぼ同じ行動の繰り返しで1時間半も連続して失敗し続けるとか、人生の中でもそうあることでない。

まったくもって勝てる気がしない中、運良くHPを削った時に「黒き刃ティシー」の攻撃が重なって、自ら最後の一撃を決めることもなくようやく撃破(なんだか虚しい)。

エルデの王は「ティシー師匠」に他ならないと実感させられた一戦だった。

ちなみに、この時点で自キャラLV155。けっこう高いと思うのだけど、まったく余裕なんぞなかった。

翌日3連休初日には、途中まで進んでた「崩れゆくファルム・アズラ」の攻略へ。

ここでも「ティシー師匠」に御出陣願って「神肌のふたり」を撃破、その先でいかにも落下死しような場所で「ここから先、下が有効」とかメッセージ出てるので先に進んでまたメッセージを読もうとしたら、いきなり自キャラが地面に寝始めて「????」となる。

派手なムービーが始まって、「崩れゆくファルム・アズラ」再生?とか思ってたら、そうではなく裏ボスらしい「竜王プラキドサクス」戦に突入

「マレニア」に比べたら動きは遅そうだし、なんとかなるかな?と思ってたら、瞬間移動とか長距離ビームとか、まぁ、ろくでもない。

何度か戦って、近接装備ではまったく勝てる気しないので、ここは放置して先に進むことに。

いかにもラスボス部屋の雰囲気を漂わせる建物の前で「ツリーガード」を撃破、「獣の司祭」戦へ。

「獣の司祭」は近接でも無理なく戦える雰囲気だったけど、第二形態の「黒き剣のマリケス」はヤバかった。

心折れて攻略サイトを見ると「冒涜の爪」でマリケスの動きが止まるとあったので早速試すも、「マリケスの剣が光る攻撃に合わせてアイテム使う」とか、余裕のない自分にはまったくの無理ゲーで、戦闘中操作が増えた結果、余計にYOU DIEDすることに。

ここを放置したら、もうLV上げに戻るか心折れて放置するかの2択だったので、「冒涜の爪」なんぞ使わず気合を入れ直して1時間ほど戦い続けて、なんとか撃破

灰都となったローデイルで放浪して、円卓にいた頃からいかにも怪しかった「百智卿ギデオン」に遭遇、人型のキャラ相手なら特大剣獅子斬りはとても有効で、さほど苦労せずに撃破

続けて「最初の王ゴッドフレイ」戦となったのだけど、変身後の「戦士、ホーラ・ルー」は個人的には「マレニア」並みの強さだった。

格ゲーみたいな走ってきての掴み攻撃とか、けっこうな広さの範囲攻撃に苦労させられて、もはや近接戦闘は無理なのかと思い始める。

この戦闘で初めて範囲攻撃ジャンプで避けるのを覚えたけど、ジャンプ攻撃避けるって、まるでマリオみたいだなと思った。

距離攻撃とか試して何度も徒労に終わりながら、ここでも1時間以上は戦っただろうか、最後は「マレニア」に続いて、またもや「ティシー師匠」がフィニッシュ

やっぱりエルデの王は「ティシー師匠」で決まりだと思った。

続けて「黄金律ラダゴン」戦からもののけ姫」に出てくる「デイダラボッチ」みたいな「エルデの獣」を撃破

苦手な巨大ボスなので近接攻撃が当たりずらかったけど、その前のボスに比べるとラスボスにしては比較的あっさりと勝てた。

ワープした先で深く考えもせず「青い召喚サイン」で「ラニ」を召喚したら「星の世紀」でエンディング

エルデの王になるつもりが魔女ラニの王になってしまった。

正直「星の世紀」がどうゆう話なのかあまり理解できていないし、どうも大団円とは言えない内容だったけど、エルデの王になるよりマシなエンディングだったのかなと思った。

ちなみに、エンディング前に訪れた場所には祝福があったのだけど、連続するボス戦で頭が回ってなかったのか解放せずにラニ召喚したので再訪できなくなってしまった。

なんだかすごく気になるので、これからエンディングの人は気をつけてほしい。

エンディング後は攻略サイトを参考に各地の取りこぼしアイテムを回収したり(取りこぼし大量にあって驚いた)、ルーン稼ぎで色々な武器を強化。

連休最終日の昨日、最後の締めにと「竜王プラキドサクス」に再挑戦するも、相変わらず近接ではまったく勝てそうな気がしない。

攻略サイトで「使者たちの長笛」の「降り注ぐシャボン」が有効との情報があったので、急遽信仰を上げて即席のなんちゃって「筋バサ」で再戦してなんとか撃破

この時点ですでにLVは170。

たとえLV200でも楽に勝てそうな気はまったくしない。

「降り注ぐシャボン」は動きの緩慢な大型ボスにはほんと有効で、放置していた古竜もかなり楽に勝つことが出来た。

中盤くらいからずっと愛用してきたグレートソード個人的にはベルセルクガッツドラゴン殺し」)で終われなかったのは残念だけど、これはもう仕方ないというか、近接攻撃のみでは勝てる気がしない。

その後、伝説アイテムを一通り回収、Steamの実績も別エンディングを含む3つを除いて達成。

エルデンリングをやり始めたのが3月下旬、この日記を始めたのが4/4(anond:20220404161530)、以降ほぼ毎日プレイしていたと思うけど、ここまで集中してやったゲームは久々だった。

理不尽ボス戦、頻発する落下死、どう見ても落下死するしかない透明な床(オフラインだとクリア不能では?)、ダッシュボタン押しながらジャンプボタンと同時押しでないと発生しない長距離ジャンプ格ゲー的なコントローラーの持ち方推奨)、進行しずらいNPCイベント等々、不満というか心折れそうになったことは数えきれないけど、それでもやっぱりエルデンリングはたいへんよく出来たゲームでした。

個人的には、ダークソウル以上にデモンズの思い出補正に応えてくれたのが嬉しかった。

今は2週目やるかどうか悩み中。

これだけ苦労して撃破した後半ボスが強くなって戻ってくるとか悪夢しかないけど、再戦して負けると、またやってしまうのだろうな。

今後の目標

・褪せ人卒業

2021-07-06

好きな展開

1話主人公にあっさり負けた敵が実は強キャラ

・ はぐれた敵サイドのキャラ一時的な協力関係を結ぶ(敵対関係そのままで)

・ "凡人"であった相棒キャラの成長

最初に覚えた技がラスボスへの最後の一撃になる

暴走状態で発動する能力人間の姿のまま制御して使えるようになる

ストーリー終盤の唐突日常

あと一つは?

2021-06-22

anond:20210622140229

炭治郎は単騎で無惨を止めたり最後の一撃を入れたり重要役割果たしとるやん、お前読んでないの?w

お前の意見が正しいとして文化資本を受けてない脇キャラが大量に参加してる中で、なんで炭治郎が主人公になったかって、縁壱の文化資本を唯一受け継いでるからって話でしょ、何がそんなに気に食わないの?w

2021-05-27

これはフィクションです。


愚痴です。長文です。

オタク人間関係清算に関する吐き出しです。

もう半年上前ことなのに、自分のことが嫌いな私はたまに思い出しては自分を傷つけてしまう。

から気持ち言語化して人目に晒すことで過去出来事なんだと実感させて、あわよくばすっきりしたいという目的です。


Aさんとはオタク趣味出会った。

もう数年の付き合いになるはず。

サークル参加で、隣の席になってご挨拶したのが最初だった。

私はAさんの創作物が好きだった。

Aさん自体も良い人で、他人悪口相手が好きなものを下げるようなことは言わない人だった。

私たちジャンルが同じでも好みが全く違うことが多かったが不思議と話が弾んだ。

Aさんは活動を止めてしまったけど、ジャンルが変わったらお互いに布教したりして付き合いが続いていた。


私たちの今のジャンル公式供給頻度が低い。

Aさんは公式だけでは満足できなくなり、pixivを探し尽くし、ついに他人感想を求めてTwitterパブサをするようになった。


Twitter玉石混交だ。

そして玉を引ける確率はとても低い。

どうしようもない石に多く触れて、しか自分ではキャラクターの話をしなくなったAさんは、私の目からは少しずつ変わってしまったように思えた。


私が好きなキャラクター(Bとする)について、「B好きの人がTwitterで見当違いの感想を言っていた。これだからBのファン頭が悪いパブサする人のために配慮して発言するべき」と言ったり。

(確かにTwitterには公共性がある。

 ただ内容はどうあれリプライでもない純粋な「感想」のつぶやきに対して、こういう人もいるのかとか、腹立つ!ブロック!とか自己処理できないのならそもそもパブサしない方がいい)


Aさんが好きなキャラクター(Cとする)の話とBの話が、 公式から同時期に動きがあった時に「Bの話どうだった?私はCの話で胸がいっぱいだったから読んでないけど」と言ったり。

(後半は言わなくても良かった)


「Bは何考えてるのかよく分からない」と言うので、私はこう考えてると思うなぁと説明しようとすると「そんなことないよ!だってBは相手のこと全然考えてなくて~」ともはや悪口のような発言をしたり。

(それは苦手ではなくてかなり嫌いの域では)


一番堪えたのは「2.5のこと私はコスプレだと思ってるから」だ。

私の「この前の2.5のBがすごく良くて!」という感想を受けての返答だ。

ある意味では正しい。

コスプレとは、「漫画アニメゲームなどのキャラクターに扮装すること」だから

だが2.5が好きな人への発言としては、あまりポジティブ意味合いはないように思える。

好きで何度か鑑賞したことがあると聞いていたから驚いた。

そもそもコスプレをしている方にも、2.5の方にも失礼な言葉だ。

そっか、としか返事が出来なかった。


しかしたら。

見当違いのことを言うB好きがいると他のB好きに迷惑かかるよね、という気遣いだったのかもしれない。

公式からのBの供給に対する私の感想を単純に聞きたかったのかもしれない。

キャラクターへのマイナス感想って他人には言いづらいから、誰でもいいから吐き出したかったのかもしれない。

2.5じゃなくて原作の話してくれ、という気持ちが爆発したのかもしれない。


なんて前向きにこねくり回してはみたもののやっぱりそうは思えない。


人間関係は必ずどちらかが我慢している、というのを以前見かけたが全くその通りだと私は思っている。

そんなことないと思っている人は、相手我慢してくれているか、小さな鬱憤を処理するのがお互い上手なのだと思う。

別の個体である以上、摩擦を生まずに付き合うのは到底不可能な話だ。

そして別の人間からこそ、自分の好きなもの相手の嫌いなものということも多々ある。

逆もまた然りだ。

それ自体はどうしようもないことだし、理解を示すよう心掛けている。

だけど「あなたの好きなものが私は嫌いです」と直接伝える時、求めているのは理解ではなく許容なのではないかと思う。

私は許容できなかった。


今回の出来事複数の要因があったと思うが、大きく分けると二つの問題があった。

一つは、私が自分が傷付いたことについてAさんにその場で言わなかったこと。

そして、AさんがTwitterの透明な悪意に恐らく傷付いて発言の勢いが激しくなってしまたことだ。


前者は私の問題だ。

冒頭にも書いた通り私は私が嫌いなので、私が傷付いていることにひどく鈍感だ。

なのでその場では愛想笑いで流すものの数日間くらい相手発言を反芻してもやもやし、数週間後にもしかして自分は傷ついていたのかと思いつく。

その場で怒りを発生させることができない。

随分前のできごとなので、これはもう私が飲み込むしかない。


後者は、私もも大人なので相手を変えることはできないと知っている。

根本は好きなキャラクター供給不足から発生している問題なので、

Twitter感想以上の何かを私がAさんに与えることはできないし、する義理もない。

パブサを止めたらどうか、と言うことは簡単だが実現させるのは難しいと思う。

石は不味いかもしれないが空腹は凌げる。


まあ結局は、積もり積もった鬱憤が爆発するきっかけだったにすぎない。

Aさんは良い人だったけど摩擦を生まない人間関係はないので、私もAさんを傷付けてきたしAさんも私を傷付けてきたのだと思う。

知らない内に小さな傷が無数についていて、たまたま今回の出来事最後の一撃になってしまっただけ。

ただ一つ、私の好きなものを嫌いだという言葉で、私を傷つけていないとAさんが思っているのなら悲しい。

相手配慮のできていたかつてのAさんとはこれからも仲良くできたら嬉しかった。

心の底から勝手な話なので悲しいも嬉しいもないが。


これは愚痴であり、清算のための振り返りなのでどうすれば良かったかなんてことは、あったかもしれないけど既にない。

もう二度と会うことはないだろう。

2020-11-25

そもそもなんでフォロワー大勢いないと本が出せないのか

https://twitter.com/keiichisennsei/status/1331027778230046721

このへんのツイートがやや燃えている。

じわじわ燃え続けてる感がある。

 

https://anond.hatelabo.jp/20200716012131

↑の増田にくっついていた↓のコメント(消えてるのではてブ)が元なんだと思う。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200716203604

 

このへんについて、自分の思ったことを書く。

なお自分出版社で働いている。今の職場で3社目。昔は編集者をしていた。現在のメイン業務知的財産管理から、直接本を作っているわけではないけど……

大手になればなるほど縦割り構造が色濃く残っているんだよね。

 

大手基準は大体、駅内・電車広告を出せるかどうか)の出版社は、ざっくりいえば、戦中戦後出版黎明期から支えてきたタイプ会社(小●館、集●社、講●社等)と、高度経済成長さなか生まれ会社(宝●社、日●BP等)に分けられる。これらの会社はいずれも「ニッポン会社」像を色濃く残したまま現在に至っている。男尊女卑もまあまああるし、給料の差こそ法律でなくなっているだろうけど、女性の昇進はかなり大変そうだ。子供を持たない女性管理者を多く知っている。それ以上に、子供を産んだ後いち編集者まりで生きている女性がたくさんいるのだ。「会社にいられるだけでもありがたい。成果を出さねば」口を揃えて彼女たちは言う。

 

男性社員も同じだ。なかなか上にはいけない。窓際族と呼ばれる人は大抵、厄介払いされた部署に固まっている。そうならないように上のご機嫌を取りながら、どうにか戦力外通告されないように、ガッチリしたエビデンスがある「絶対売れますよ」という企画を出さないといけない。

 

全ての決定権がある管理職の世代は50代以上。役員になると65歳ぐらいまで会社にいるのだ。そいつらが、本を出す・出さない、重版をする・しない、一押し作品として猛プッシュする・しないを決めている。新卒の頃に「津軽海峡景色」や「悲しみにさよなら」がヒットしてたようなオヤジ共がそれを全部決めている。オヤジ共は目先のことしか今は見えていない。かつて抱いていた大志バブルとともに消えたのだから自分のやってきた事業が泡のように消えていく絶望オヤジから肝を引っこ抜いてしまった。

 

そこでSNSだ。オヤジ共にも「フォロワー10万人」は魅力的に見える。オヤジ共は「10万部刷っても売りきれだな!」ぐらいに思っている。バカである。この世の人間全員が本を買いたい・本が好きだと思って疑わない。そこのところがずれている。

しかしそんな中でも10万人のフォロワーの本を出す。「発売即重版!」をつけたいがために5万部。ところが、1万部ぐらいしか売れない。おかしい。企画を出した編集者に「売れないじゃないか!」と叱咤する。若い編集者は売れるように考える。「フォロワー数だけじゃなく、バズったモノなら本が売れる」と企画書に書く。編集者自分キャリアを守りたいのだ。

 

ここでよく聞く「未来の大樹を苗から育てるのが編集者だろがい」派について一つ言っておく。編集者仕事は本当に多岐にわたる。案外外から見えていないだけで、定期刊行物を多数抱えているかである。もちろん、オヤジ共のご機嫌とりの時間も含まれているし、定期刊行物執筆者・著者・イラストレーターフォトグラファーデザイナー等々大勢と関わっているハブ立ち位置編集者である。全員が全員協力的なわけでもないので、撮影は押すし、校了ギリギリになる。どこで育てろと言うのだ。そんな中で!売れるかわかんない人を!!上に推すために!!!使う時間なんてあるか!!!……ということだ。(結局人材不足、ひいては少子化のせいだと思うぞ)

 

 

そういう業務量の暴力を浴びる役職から自分は降りた。編集者をやめて、管理サイドに回った。生きているのが楽になった。

結局、本を売りたいんじゃなくて、自分生存できるために全員必死になっているんだと、俯瞰で見られるようになった。

 

中小出版社はもちろんだが、大手も今はびくびくしながら本を作っていることだろう……。コロナ書店が閉店を余儀なくされて、工場もとまって、大ダメージをくらって潰れている出版社がそこらじゅうにある。書店に左右されないはずの業界専門誌の会社ですら最後の一撃になっている。 

そんな中でも、鬼滅なんかは最終巻がおっかない部数になっているが、そういう「苗から大樹を育て上げられる有能な編集者」が一握りしかいないから、ヒット作がこれだけ少ないのだ。もとい、有能な編集者でも、苗を見誤ることもある。そもそも苗の数も少ないと思う(漫画家志望の持ち込みが減ってると数年前に聞いた、具体的な数は知らない)。

 

 

オチらしいオチはそんなにない。もし今の仕事を追われることになっても、編集者にはもう絶対ならない。恐ろしい。

2020-10-22

もう疲れた、辞めたいんだが

やめるタイミングってあるじゃん

やめたくてもきっかけが欲しいっていうか

別れるでもきっかけが欲しいというか

そういうのがずっと無いとずるずるいっちゃうよね

あの、やったことないけど、スマブラダメージ蓄積された状況で最後の一撃がこないみたいな?

 

やめたい、ほんとはやめたくない、つかれた

 

仕事の話ではないです

生存の話

2020-08-13

コロナ地方自治体破綻する

おそらく観光業しか主要産業存在していない地方自治体破綻し始める。

gotoキャンペーン実施されているけど、まじめな日本人自粛して旅行へ行かないので、近いうちに地方観光地は潰れ始める。

東京一極集中政策のせいかどうかわからないが、日本各地の地方には観光頼みの自治体が思った以上に多い。

コロナ外国人観光客が消えて、更に日本人観光客も来ないとなると自治体レベル破綻すると思う。

北海道夕張市のように、元々破綻寸前だった自治体コロナで「最後の一撃」を受けた形なのではないか

2020-08-09

継続は力なり』はパワハラ本質を指した言葉

類義語として『雨垂れ石を穿つ』があるが、パワハラとはまさにこれだ。

たった一言暴言で人は折れない。

突然死ねと言われても「は?テメーが死ね」と跳ねのけられる力が人にはある。

それを時間をかけて奪い続けるのがパワハラだ。

パワハラ最後の一撃に宿ると言わんばかりの風潮には吐き気がする。

パワハラとは、日々積み重ねられる心労により心を壊すことだ。

2020-03-28

新型コロナウイルスを受容する社会可能

今でもコロナ別にしたことないんじゃないか、という意見が多いようだ。

したことあるかどうかはもちろん主観によるが、中国イタリアスペイン報道を見てそう思うならそうなのだろう。

あるいはあれは騒ぎすぎているインフォデミックの結果だ、と思っている人もいるだろう。

それでは、コロナを受容したら、騒がずに季節性のインフルエンザのように扱ったらどうなるか、ということも考えてみてもよいのではないだろうか。

季節性インフルエンザ比較してみよう。詳細な数字はわからないものの、致死率は少なくとも10倍、桁違いだ。感染力も2倍。少なくともインフルエンザ以上。

https://www.jiji.com/jc/article?k=20200313039830a&g=afp

季節性インフルエンザももちろん死亡に至るが日常でそれほど見ることはない。寝たきり高齢者最後の一撃としてならあるが普通に歩けている高齢者インフルエンザだけで亡くなるということはほとんどない。

ましてや、現役で働けるレベル医師インフルエンザ罹患が原因で亡くなったという話は聞いたことがない。そんなことが身近で起こることを看過できるだろうか。

日本でも季節性インフルエンザで1万人亡くなる

https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html Q10参照

それが新型コロナでは単純に計算して10万人になる。感染力が高ければもっと多い。年間死亡者は約137万人。さら10万人がコロナで亡くなる。

別の観点からは、

70代の致死率8%。

元気にテレビに出ていた70代の著名な芸能人罹患し突如亡くなる可能性を受容する。

https://www.mhlw.go.jp/content/000609467.pdf 6p参照

そういう社会

これが受容できるというなら、何も恐れることはない。

つい100年前まで、天然痘結核やその他あらゆる感染症に人類なすすべがなかった。それでも繁栄を遂げた。

それに比べれば、新型コロナウイルスなど取るに足らない病原体

人類全体、人類史全体で考えれば全くその通りだ。

気にしないで生きるのが全体最適と言えるかもしれない。

それが出来るなら何も困らない。

しかし、あの中国ですら、都市を封鎖してまで封じ込めたウイルス

日本だけやる、というならそれも面白い

出来るだろうか。

出来るだろうか?

一方で経済的な影響が健康に及ぼすリスクもある。

まず、経済的理由自殺する必要は全くない、ということは強調しておく。日本生活保護などセーフティーネットは十分ある。なんとでもなる。何度でもやり直せる。

とはいえ、影響はある。

リーマンショックでは自殺者が増えた。

「2000~07年に比べて2009年における世界54カ国の男性自殺率比(RR)は1.033(95%CI 1.027~1.039)であり,有意に増加していた(P<0.001)」

https://medical-tribune.co.jp/mtpronews/1309/1309055.html?_login=1#_login

日本では

2008年に起きたリーマンショックでは、自殺者数32,249人と前年の33,093人に比べ約800人程度増えています。ただ、自殺死亡率で見ると2008年が25.8人、2007年が25.2人と大きな変化は伺えませんでした。」

https://business-career.jp/articles/2LyRmipkcp4qic6ar53g?page=3

かに影響はあるし、無視してよい数字では全くないが、新型コロナウイルスの影響と比べると桁が違う。3桁ほど違う。

2019年自殺者は2万169人。以前よりだいぶ少ない。影響もより少ないことが予想される。

もちろん、対策もできる。

何より、公的補償をすればよい。極めてシンプル解決方法だ。

ただ、もしも政府無視したとしても影響は上記の桁に留まる。

そう考えると、経済が冷え込むから、という理由新型コロナウイルス感染を軽視するのは医療面健康面に関してはかなりバランスが悪いと言えるだろう。

そして、社会的に受容、許容が出来ないとしたらどうなるか。

適切な対策をしなければ、イタリアスペインの後を追うことになる。ならざるを得ない。

まりあれはインフォデミックではない。

まさにパンデミック

じゃあ、どうすべきか。

一刻も早く都市封鎖レベル対策をとり、

同時に公的収入補償約束する。

これに尽きる。

一刻も早くするべきではないだろうか。

2020-03-06

スターに終わりを告げるもの

その人のスターを、スタークローザーと呼ぶ

私のブコメ

はてなブックマークコメントをする。

それに同調同意する場合にはスターをつける。

コメントスターがつくと、嬉しい。

大量のスターを得たとき代議士のような感覚は、承認欲求をメラメラと埋めてくれる。メラメラ?ドバドバ?

コメントライフサイクル

さて、最近気づいたのだけど、特定ユーザスターを付けると、それ以上のスターが望めなくなる、終始記号のようなユーザがいる。

感覚的にいうと、

ほとんどのコメントスターつけまくってるbotみたいなユーザクローザーになることもあるが、

通知を見て覗きにいくと、周辺コメントには全然スターがない中で最後スターをつけるクローザーがいる

お前のことだぞ

最後の一撃は、せつない。

2020-01-27

テン年代俺的最強ゲームベスト10

いちゲーオタ中年男性ハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。

特別賞『Doki Doki Literature Club!(ドキド文芸部!)』(2017/PC

のっけから特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。

でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。

個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki Liteature Club』は例外ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現絶対不可能

本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。

でも、これだけは言わせてほしい。

本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。

その(一見破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対

ああ、すっきり。

では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます

10位  『ASTRO BOT Rescue Mission』(2018/PSVR)

「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」

ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。

僕はかなり潔癖症から、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。

けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVR新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。

ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。

9位  『ショベルナイト』(2014/PCほか)

「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」

あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。

プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品であるアイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。

そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。

8位  『Undertale』(2015/PCほか)

このゲームの印象を喩えて言うなら、

久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感嫉妬軽蔑と相いれなさのような感情腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。

正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。

もし未プレイだったら、このゲームはできればPCsteam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリコンシューマー勢なので、ゲームPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利ナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。

作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二糸井重里系譜に連なる倭人王道シナリオコピーライターと感じる。

確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。

2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。

7位  『デラシネ』(2018/PSVR)

その山の森の奥には古い洋館があった。

庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。

君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。

俺は黙って君を見つめていた。

君は俺に気づかない。

俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。

ああ、なんだかこのゲームやってると批評目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。

本作は「VRで描かれた古典的AVGアドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。

VRしか描けない世界情緒に対して、あまり意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。

『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。

6位  『バウンド 王国の欠片』(2016/PS4/PSVR

もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。

かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女サイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。

しかPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。

画を作っているサンタモニカスタジオゴッド・オブ・ウォー風ノ旅ビト他)の仕事はいだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事白眉と言える。

とにかく、思わず自分少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつ世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。

そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」しか言い様のない儚い感情だ。

5位  『INSIDE』(2016/PCほか)

書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。

が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。

実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。

終盤の怒濤の展開と比類なき生命描写インパクトに心奪われるが、本作の真骨頂木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔心持ちを強く喚起させる。

俺にとって『INSIDE』とは、自己内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分世界との乖離自覚するための尖った注射針であり、神なき世界宗教である

灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。

4位 『スプラトゥーン』(2015/WiiU

人の生には「もっと幸福な時期」というものがたしか存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。

俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっと幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから

そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったか確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。

プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。

が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。

その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。

ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっと幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的理由だ)。

ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。

3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である

3位  『ARMS』(2017/Switch

それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元昇華された「理想的格ゲー」であった。

スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。

そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。

やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアル大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初最後だろう。

余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。

いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sportsゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。

2位 『Rez infinite』(2016/PSVR

2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。

2017年冬、とにかく『Rez infinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器PS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。

AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後体験だった。

それは精神開放であり、身体解放だった。言葉遊びに非ず。

これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。

そして『Rez infinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。

1位 『とびだせ どうぶつの森』(2012/3DS

Rez infiniteからまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。

あれだけ昔からどうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか? 

お前はそんなにぶつ森好きだったのか? ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。

だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から仮想世界」における、人間存在理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。

一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rez infinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中ゲームファンに「もうひとつ世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつ生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。

どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれ どうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。

が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。

それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズド世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——

要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的神秘的なアトモスフィアに由るものだ。

カフカ『城』や村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。

そういうわけで、本作を迷わずテン年代1位に据えたいと思う。

※※※※※※※※※※

長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました

余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。

でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分重要度みたいなものぼんやり浮かび上がってきたので。

異論提言はもちろん、よかったらあなたテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。

ああ、10年はDECADE(でっかいど)。

2019-09-17

油田攻撃

追記: see https://jp.reuters.com/article/wrapup-saudi-attach-idJPKBN1W22KF

この問題について、二つの方面から考える必要があると思います。すなわち、兵器の性能と報道実態についてです。

まず兵器の性能ですが、イエメンフーシ派/イラン革命防衛隊が爆撃に使用する主力ドローン爆撃機200kg の爆弾を装備し 1000km 前後を飛行する能力があるとみなされています作戦において航空機が直線的に飛行することはほぼ考えられないため、せいぜい半径 300km 程度しか攻撃できないものと思われます

今回攻撃をうけたダンマームはフーシ派支配地域の先端(サウジアラビアのナジュラーン)から 1200km 近く離れています攻撃イランによるものだとした場合、以下のような可能性があります

それぞれの可能性について考えてみます地図を見てみると、

という都市ブーシェフルしか存在しません。ここはイランの核開発の拠点都市として知られているので、米軍衛星などにより厳重に監視されているものと思われます。そうした都市から直接爆撃機運用することはちょっと考えづらいと思います

またイランドローンが 3000km を飛翔可能であると想定すると、イラン領土から直接エルサレムの爆撃が可能になります。もし、イランがそうした兵器をすでに運用していた場合イスラエルがここまで「冷静に」事態を取り扱っていることはかなり不自然です。

ということは、仮にイランイエメンフーシ派が攻撃を行なったと考える場合フーシ派はサウジアラビア領内を陸路距離侵攻してサウジ領内に仮設の飛行場を作り作戦遂行する能力を持っていることになりますドローン一機とそれに関連する機器を最大限切り詰めても大型トラック 2 台分にはなると思います。今回の攻撃ではドローン 10 機を使ったというのがイラン側の宣伝なのでそれだけでトラック 20 台です。それに加えて仮設の飛行場を設定するための機材や人員輸送、警備兵力などを入れるとおそらくトラック 50 台近い車列になるものと思われます

このような大部隊サウジアラビア領内に密かに侵攻し、ドローン爆撃を行っているというのは一見極めて異常な事態です。しかサウジアラビア人口密度は極めて希薄であることを考えると不可能ではないと思います。またリヤド近郊のパイプライン攻撃、今回とは違う油田攻撃など「そういう手段確立されている」としか思えない攻撃についてもこれまで報道されてきています

次に報道についてです。まずよく言われる「なぜこの時期に」という問題ですが、正直なところこの時期も何もあったものではないです。これまでにあったことですが、リヤド弾道ミサイル攻撃されたことが報道されましたし、石油パイプライン攻撃される事例もありましたし、先月末にはサウジ国内の別の油田攻撃されています石油関係以外に目をむけると、軍事設備行政設備要人暗殺空港爆撃などイエメンによるサウジ航空攻撃は多岐に及んでいます。またナジュラーン、ジーザーンをはじめとした複数都市陸路から侵攻を受けています。こうした話はアラビア語メディアには頻出していますが、欧米日本中国といった先進国はこれまでほとんど無視を決め込んできました。

どちらかといえば「よくある攻撃だったはずなのに今回だけが大きく報じられている」ということが問題だと思います

先月の攻撃ではサウジアラビア石油大臣は「サウジアラビア全体の石油生産には影響を与えない」という言い方をしていました。すなわち、該当の施設生産を停止するが、他の施設の増産で対処可能という意味です。しかし今回は攻撃一回で「サウジ石油生産能力一時的50% ダウンする」ということがストレートに発表されました。ここまで大打撃をうけるということは、つまり攻撃されずに残っていた油田稼働率限界まで上げることで対処していたところにさら攻撃を受けた結果ついに対処の限度を超えたということです。

今回の攻撃は「よくある攻撃」でしたが「最後の一撃だった」とも言えるものです。また今回の攻撃先進国民の生活に直接影響があるもので、そうしたこともあって「よくあること」なのに報道が多くなってしまったのだと思います

ではサウジアラビア意向はどうかというと、ムハンマド皇太子独裁体制のほころびを隠すことが全てだったと思います。これまでサウジアラビア国内イラン/イエメン攻撃により大被害を受けていたと考えられます(ドローン10機による攻撃程度で石油生産が半分も破壊されてしまたことがなによりの証拠)が、こうした事実サウジアラビアはなるべく隠蔽しようとしてきました。8月終盤ごろからいよいよ被害が隠し切れなくなってきた、あるいはムハンマド皇太子更迭の準備が整いつつあるということなのでしょう。

2018-08-02

男性医師育児家事休暇を義務化すればいい

積水ハウス男性社員育児休暇取得の義務化に倣って、各大学病院民間病院男性医師義務化してしまえばいいのだ。

男性には産休は取れないから、女性よりも育児休暇の期間を長く設定すれば男女平等になるだろう。

東京医科大の入試問題話題になっているけど、出産育児仕事から離脱する女性医師冷遇するよりも、男性医師労働条件を良くしてしまえばいいのだ。

子供が生まれれば、男性医師強制的に数カ月ほどの家事育児休暇を取得させるようにすれば、男女間の性差はなくなる。

医師職業に限らず、男性育児休暇取得を義務化すれば、女性社会進出改革も今以上に進む気がする。

男性側もキャリア強制的に中断して収入が無くなるので、女性側も必然的に働かなければならなくなる。

専業主婦を完全に絶滅させる「最後の一撃」になるだろうし、男性収入女性よりも少ない夫婦形態も増えるのではないか

2018-02-25

ダーリン・イン・ザ・フランキスの何が気に入らないのか

正直に言うと毎週楽しみに見ている。

けれどもなんというか、もの足りない。

いろんなキャラ情動が、味の素というか、パッケージというか、レトルトパウチみたいな感じがする。

岡田麿里っぽいというか。

何でこう感じるんだろうなー。


SFとしてのディテールの出し方やテーマとの絡め方が弱い?

から登場キャラ達を生活者としてリアルに感じることが出来ない?


メインキャラが多過ぎ?

10人も居るこどもたちが常に出てくる時点でどうしても一人一人は浅くなる?


単にドラマの作りが下手?

これ自体は確かにある

たとえば6話のヒロの復活だって、ヒロの中の何が変わったのかよくわかんないもんな。

02が1人にされたら上手く操縦出来なくなる姿ってヒロにとって意外なものではないはず。

2人で操縦するもんなんだって02も周りも何度もそう言ってるし、

02が戦闘中相棒にダウンされて1人になって出血して弱ってる姿もヒロは見たことあるし。


ヒロが搭乗3回目になるあの出撃で死ぬ覚悟だったとしても、

まだ敵を倒してないうちにダウンしちゃったら02に迷惑掛けたり02も道連れにしたりしちゃうことはわかってたわけで

気持ちよく死のうとしてたら02が困ってる」っていうのは意外な光景でもなんでもない。

情報が何もない。


からヒロの心があそこでどう劇的に変わるのか、変われない。

ので、ただ突然蘇って身体侵食を治して「ウオオオオオオーーーーッ!」って根性出すになっちゃったから

ダリフラ好意的海外でもあそこは「ass pull」って結構否定的に言われてる。


あの展開にするならもっと02が弱みや裸なんかも見せたことなくていつもきれいにしてて、

ヒロは02と仲が悪いか強い不信感を持ってて、

「俺はたぶん使い捨てられて死ぬけどお前も勝手にやれよ、ケッ」ぐらいの感情持ってるようにしておけば

「グオオオオーッ」ってボロボロになって狂乱してる02を見て「やっぱりこいつを助けるんだ!」になるヒロに感動できたと思う。


もしくはヒロが自分仕事を完遂して

最後の一撃を02だけで出来るようにアレンジして託して、心置きなく使い捨てられて死のうとしたのに

02が動揺してヒロをセーブする方を優先して敵を倒せなくなって窮地に陥っちゃうとか。

これならやっぱり02の意外な一面を見て「勝手死ぬつもりじゃダメなんだ」ってなったヒロが根性出すのは感動できたと思う。


これらはすごくベタで単純な1案にすぎず、絶対これにしろって意味じゃないよ勿論。

(02のベタベタする可愛さとヤバさを前面に出すことで興味を引っ張ってきたアニメだし)

でもとにかく、

何の新情報も心の回転もないまま「ウオオオオーッ」の気合絶望的な状況を転回させちゃうのはまずいでしょ。

ドラマとしても戦いの駆け引きとしても。ass pullともいわれるよ。


どうなんだろう。

まりわりと一本調子っていうことなのかなあ。キャラの行動や心が。

人間関係SFも、伏せられた情報が次々開けられていく感じがあると興奮や快感があるもんね。

15もずーっと普通に最初から同じようにヒロが好きだし。

あのマグマエネルギー世界の設定はあまり面白い斬新な物は出てこないのが感触としてわかってしまう。


わからん…。

はっきりとはわからん

あと、なんか自由妄想させてくれるような余地が少ないかな。

作中情報量は多くてもずーっとガシャガシャワアワアやってる感じ(静かなシーンも)

見てるこっち側世界リンクしてガシッと想像妄想スイッチ回してくれるようなキーあんまりない、ような。


どうもぼんやりしてまとまりきらないな。

このへんがはっきり整理できると自分の役にも立ちそうな感触なんだが。

2018-02-01

何故下痢は熱いのか

さっき腹痛になった。

そして今出してきた。

最後の一撃とも言える下痢便はいつも熱い。

腸の中を高スピードで暴れまわり蠕動運動体現するあの下痢便は何故いつもあんなに熱いのか。

下痢に含まれる未処理の消化液がタンパク質を溶かすから肛門が焼けているというだけでは、腹の中を駆け巡るあの熱は説明がつかない。

教えてくれ。

グーグル先生に聞いても「今うんこが熱い!時代うんこ!Unko Centruy COME HERE!!!」みたいなのしか出てこねえ使えねえ

2014-08-25

アイスバケツチャレンジといい、ふるさと納税といい

寄付税金話題性によって集めるってのはどうかと思うんだよな。

アイスバケツチャレンジみたいなのが流行ったら募金の集まらない団体に関して

宣伝が下手なのが悪い」

とか言い出す奴らがいてもおかしくないじゃん。

このままだと募金を取り合うためにステマっぽいことをカネ使ってやるやつがますますはびこるし、

その果てにあるのはアコギな奴らが他人善意を上手に毟り取る手段競争する世界だ。

アグネス御殿とか見てるとすでに大分そうなってるけど、

いよいよそれが来る所まで来て全ての募金アコギな連中の手に集まって

活動資金」として闇に葬られてしま時代が来るよ。

ふるさと納税だってそう。

今は売りがある所がちょっと頑張って税金誘致してもらってるだけだけど、

そのうち競争がどんどん加速して最後には売りのないような県が無理してまでカネを集めようとするようになる。

そうなったらふるさと納税なのに産地偽装とかが起こるようになるよ。

そしたら一つの地方自治体がやった不祥事のせいで国中の税金への不信感はいよいよ爆発する。

年金が使い込まれて、箱物行政が失敗して、消費税増税タイミングや調整を完璧にしくじって、

パンパンになった堪忍袋がいよいよ弾け飛ぶ、その最後の一撃になりうるよ。

ふるさと納税なんて今すぐやめさせた方がいい。

こんな「生き残るべき自治体を決めるためのラットレース」みたいな事を続けてたら何かがきっと崩壊する。

世の中は錆びついてるから一度崩れてしまった方がいいという気持ちは自分にもあるが、

そういった気持ちはある種の病理だ。

巨大なスパゲッティコードを一から全部やり直して結果的プラスになる確率がどれぐらい低いかを俺たちは知ってる。

答えが見つかり、変革のチャンスが訪れるまでは、無理に崩さないで崩れないようにした方がいいんだ。


アイスバケツチャレンジふるさと納税みたいなのは結局のところ

「目立った奴がパイを大きく食いちぎる」ってシステムだ。

こんな事をやってたら世の中自体宣伝うまい奴らや嘘が上手につける奴らの食い扶持になっちまう

いい加減やめるべきだ。

目立てば勝ちなんて考え鼻、小中学生クラスヒーローになろうとした瞬間にだけ許されるんだ

2013-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20130826125209

自分うつっぽくなった事が無ければわかんないよ。

俺も以前は心折れそうなヤツに最後の一撃を入れる発言ばっかりしてたし。

「強い自分」に酔いしれてたし。

復活目指して俺も少しずつ行動するわ

2013-08-25

野崎まど『know』論・前編——知ルはいかにしてブッダとなったか

野崎まど『know』を読んだ。早川SFクラスタでやたらと評判がよいのでいつか読もうと思いつつも、過去に同氏の作品を拝見した中生まれていたわだかまりと作品の底のようなもの邪魔をしていたのだが、ここにようやく機会を得たので所感をはき出しておこうと思う。

本作のジャンルは?

一言でまとめると、『know』という作品はSF的/ライトノベル想像力によって描かれた『ブッダである。つまり〝知ル〟という名の少女が正覚を得るまでの生涯およびその後の万人救済を、それに連れ添ったものの手で描いた物語の体裁を採っている。宗派技術過激派大乗仏教といったところ。福音書と呼んでもよいのだが、本書に織り込まれた示唆エピグラフクライマックス創世記引用であることなど)に反して作中で知ルらが辿った道は真言宗のそれに近いように思えたため本稿ではそちらの用語を採用する。

こう考えると『know』というタイトルも知ルという少女を指すとも解釈できる。だが最もわかりやすいのは目次に並ぶ章題だろう。〝birth〟から〝death〟までまさしく一生が記されている。

物語を振り返る

さて本作の舞台は2081年の京都情報材と電子葉という未知のテクノロジーによって情報空間現実と思考との直結を果たした世界である。一方で情報へのアクセス保護格差法律で規定されるまでに進む。そんな中、語り手を務めるのは作中トップクラス情報エリートである

〝birth〟の章では全知を定められた十四歳の少女・知ルとの出会いとともに、社会革新の原動力となった研究、そして彼女誕生が描かれる。ちなみにこの配置のために作者は作劇上結構な力業を用いている。またここではもうひとりのクラス9・問ウも登場している。彼の姓であるアリステラというのは「最上級」を意味する名前。位置づけがわかりやすい。ただ女性なのは気にかかるが……。

〝child〟では神護寺を訪ねて高僧と悟りについて問答する。ここで択ばれた真言密教とは即身成仏を極意とし、また教えを秘する——つまりオープンの逆をゆく——ことを是とする仏教の一宗派であり、つまりは作品の主題と密接に関わる教義を掲げている。物語構成上から初日にふさわしいといえよう。

〝adult〟では京都御所に匿われた古文書を通じてイザナミイザナギの二柱の行いから生きたまま黄泉路を往く手段を学び取る。これで境界を越える準備は万端、残るは実践のみである

〝aged〟において知ルは当初の目論見通り入定を果たす。その前夜、主人公と知ルは〝知恵の実をかじる〟と称して情報交換における無上の行為に達する。つまりセックスをする。

〝death〟では知ルの死後の肉体と、彼女の還りを信じる主人公の姿が描かれる。この情景は高野山奥の院空海が今でも生存しているという伝説を想起させる。

物語の外側へ

そしてエピローグでは生還した知ルによる革新が成った社会が語られ、物語は終わる。

——わけだが、この小説価値はなんと言っても計算されたフィニッシング・ストローク最後の一撃)だ。

作中では真理に至るための方法を量子葉によって脳を育て、高密度の思考による情報ブラックホール化を行うことだと説明しているが、これはあらゆる意味で知ルを育てた天才技術者の言うように「我々では無理」なのだ。彼の生誕は2014年であり、刊行年の一年先に設定されていることに留意したい。アーサー・C・クラークの名作『幼年期の終わり』は年少の読者に対して希望を残したが、この作者の意地の悪さはそれさえ許さない。

しかも知ルが死後の世界で目にし、人々に広めたものが何であるかは一切語られることなく物語は終わる。

この物語が抱える問題意識情報格差である。作者はそれを人類間のレベルから、全知の存在たる神との格差へと推し進めた。だからすべての人が全知となった瞬間、格差は消滅し、万人救済が果たされることになる。しかしそれはあくまで作品世界内の話にすぎない。読者はその外にいる。その格差を肌で感じた瞬間、初めて読者は揺さぶられ、知ることへの欲求を呼び覚まされる——格差を埋めたいという渇望によって。ただ純粋に「知ることと生きることは同じ」と断じた知ルに比べて何と浅ましいことだろう。けれどそれもまごうことなき人間本質である。語り手が中途半端情報強者に位置づけられていたことも、妙に鼻持ちならない人物であったことも計算ずく。すべてはこの一行の効果を最大化するための小道具に過ぎない。

もとよりメタフィクション指向する作家であると感じてはいたが、人工的な世界を下敷きにすることでより巧みにそれを演出できるようになったらしい。

読者への挑戦状

で。

実はここまではすべて前置きである。読者を操ることを至上とするこの作家メタフィクションへの可能性をこの程度のウェルメイドな小説に留めるはずがない。

この作品に残された最後の謎はずばり〝ただひとりに向けられた暗号である。正直な話、この解明に挑む資格があるのは野崎まどの全作品を電子化して常に携帯するような気狂いだけに違いない。

けれど非才を尽くしてその手がかりくらいは拾い集めておきたいと思う。

(後編へ続く)

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